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私はお姉ちゃんが泣いているところをほとんど見たことがない。
「そういえばさ、こいし」
「なに?」
「さとりって何か苦手な物ってあるのか?」
「お姉ちゃんの苦手な物?」
いつものごとく、博麗神社で何となくおしゃべりに興じていたら突然白黒がそんなことを言い出した。
「いや、前に地底に行った時に散々苦手な弾幕見せられたからな。いつかさとりの苦手なものを見つけて、もう一度乗りこんでびっくりさせてやろうと思ってるんだ!」
「相変わらず負けず嫌いねぇ」
呆れたように湯飲みを持った紅白の巫女が溜息をつく。いつも思うけど、そんなにお茶ばっかり飲んでて飽きないのかなぁ。
「うっさい霊夢。それでどうなんだ?妹のお前ならそこら辺なんか知ってるんじゃないか?」
「むう、お姉ちゃんの苦手な物かぁ」
うーんと考えてみる。何かあったかなあ。動物系統はあれだけペット飼ってるくらいだから全然平気だしなあ。蛇とかも素手で捕まえちゃうし。食べ物も特に苦手なものはなさそうだし。
「あ、そうだ!」
「お、何か思い出したか?」
「うん!えーとね、無意識で近付いて後ろからいきなり抱きついて耳にふーって息を吹きかけるとすごく驚いてくれるよ!」
うんうん、あの時のお姉ちゃんは本当に可愛かった。いつもの静かな様子からは考えられない素っ頓狂な悲鳴をあげて後ずさりした挙句、真っ赤な顔で『こ、こ、こ、こいし!驚かさないで下さい!』だもんねぇ。いけない、思い出したら涎が。あれ、白黒と紅白が何か微妙な顔で固まってる。
「……それが出来るのはお前くらいのもんだぜ……」
「……さとりも大変ね……」
何だか同情的な目で見られてしまった。でも気にしない。私無意識だもん。
「そういうのじゃなくてさ、例えば私でも出来そうなこととかないか?」
「ってそんなこと言われてもねぇ。一緒にいる時間で言ったら私よりもお燐とかお空の方が長いし。中途半端なことだと私以外は心読まれちゃって失敗するだろうし」
「幽霊とかは?」
「いや、地獄の幽霊管理してるのお姉ちゃんだから。実務はほとんどお燐がやってるみたいだけど」
食べ物も駄目、動物も駄目、幽霊も奇襲も駄目となると他に何かあるかなぁ。例えばお姉ちゃんだけじゃなくて、一般的に怖がられそうなものとか……。
「Gとか?」
単なる思い付き。しかしその言葉を発した瞬間、急に白黒がびくっとなって、面白いくらいに狼狽しだした。
「い、いかん!それだけは駄目だ!奴は悪魔だ!漆黒の追跡者だ!あいつをけしかけるなんて鬼畜の所業だ!いくら私でも、そんなひどいことは出来ないぜ!」
「あー、魔理沙あれすっごい苦手なのよ。この間も魔理沙の家の台所に出た時に真っ青になってうちに駆け込んで来て『た、頼む!何でもするからあいつを退治してくれ!』って私に泣きついてきたし」
「こ、こら霊夢!それは誰にも言うなって言っただろ!」
「あら、そうだったかしら?」
「そうだったんだよ!」
そーだったのかー。どうやらお姉ちゃんの弱点じゃなくて白黒の弱点だったらしい。まああれが得意な奴なんていないと思うが、そこまで苦手とは。普段の行動に似合わず意外と乙女というかなんと言うか。普段の行動に関しては私も余り人のことは言えないが。
「ええい、お前らニヤニヤするな!今は私のことなんてどうでもいいだろ!肝心なのはさとりの弱点だ!」
「いや、だから私も知らないんだって……あ」
突然、ある一つの映像が私の頭をよぎった。
苦手な物。
お姉ちゃんの怖い物。
お姉ちゃんの……トラウマ。
ある。一つだけある。でも私はそれを思い出したくなくて首を振る。けど駄目だった。一度浮かんでしまった映像は否応なしに私の頭の中で鮮明になっていく。
「本当、何なんだろうね、私もよく分からないや」
はは、と曖昧に笑って誤魔化そうとする。上手く出来たかどうかは分からない。
「ごめんね、私今日は帰る」
「あら、もう帰るの?」
「おいおい、急にどうしたんだよ」
紅白と白黒が何か言ってるけど、私は構わず神社を飛び出してそのまま離れていった。
このままあそこに残っても、まともに話が出来るとは思えなかった。だって、私は思い出してしまったから。
脳裏に浮かぶのは昔の記憶。お姉ちゃんが、私の知る限り一度だけ泣いた日のこと。
□
私はお姉ちゃんが泣いているところをほとんど見たことがない。
今よりもずっと昔、人間から迫害を受けた時も。
地底に隠れ潜むことを決めた時も。
お姉ちゃんは決して涙を見せることはしなかった。
私が心を閉ざした時はすごく辛そうな顔をしていたけど、それでも泣くことだけはしなかった。今思えば、小さい頃は泣き虫だった私を安心させようとする意味もあったのかもしれない。家出をして無意識のままにフラフラして、本当にたまに地霊殿に帰った時でも、お姉ちゃんはいつも優しい笑顔で迎えてくれた。今も昔も、私はどれだけあの笑顔に救われてきたか分からない。
だけど。たった一度だけ。
お姉ちゃんが泣いている姿を見たことがある。
見てしまったことがある。
あれはもういつのことだったか覚えてない。いつも通りフラフラとそこら中を彷徨った後、何となく地霊殿の方に足を向けた。久しぶりにお姉ちゃんの顔を見たいなぁという理由もあったかもしれない。
「お姉ちゃん、ただい……ま……?」
そこで私が見たものは。
止め処なく涙を流しながら、両腕で全身を抱き締めて震えているお姉ちゃんの姿だった。
「お姉ちゃん!」
慌てて駆け寄って、その肩を掴む。
「どうしたのお姉ちゃん!何処か痛いの!?どうして泣いてるの!?」
「嫌……怖い、怖い、痛い、もうやめて……!」
震えたまま、ポロポロと涙を流して何かに怯えるように嘆き続ける。
「お姉ちゃん……」
余りにその姿が痛々しくて、泣き続けるお姉ちゃんを見たくなくって、涙を拭おうと頬に手を伸ばす。
「い、いや!」
パシン!
しかし、その手は頬に届く前にお姉ちゃんの手に跳ね除けられてしまった。
私はその場を動くことが出来なかった。今起こった出来事が信じられなかった。お姉ちゃんにこれほど明確な拒絶を受けたのは初めてだったからだ。しばらくそのまま立ち尽くしていると、急に我に返ったかのように謝り始めた。
「ち、違うの、そうじゃないの。ごめんなさい、こいし。ごめんなさい……」
「お、お姉ちゃん、でも……」
「何でもない……何でもないの……私は大丈夫だから、心配しないで」
そう言って、いつもとは違うどう見ても強がりにしか見えない笑顔を私に向ける。どう考えても大丈夫なんかじゃない!そう言おうとして、ふと肩に手が置かれる。振り返ると心配そうな顔のお燐が立っていた。こいし様、と目で呼び掛けてふるふると首を振った後、部屋の外に目をやった。扉の外では、お空も心配そうな顔でこちらを見ている。
『今は一人にしてあげてください』
心なんか読めなくても、お燐が言いたいことは分かった。私は頷いて部屋を出る。こんな状態のお姉ちゃんを一人にしておきたくないけど、理由が分からない私じゃどうしようもない。今はお燐とお空から事情を聞くことが先決だと思った。
□
バタン、と扉が閉まる音が響く。
私達はしばらくの間一言も発さなかった。
「何があったの?」
沈黙に耐えきれず、俯いたままの二人に問いかける。だけど、返答はない。
「お願い、教えてお燐!お空!お姉ちゃんがあんな風になってるなんて絶対に普通じゃないよ!」
あんな状態のお姉ちゃんを見ているのは絶対に嫌だ。私は家にいない時間の方が多い不良な妹だけど、お姉ちゃんを助けることは出来ないかもしれないけど。それでも何もしないで、何も知らないでい続けるのは嫌だ!
「こいし様……分かりました。お話します」
「お空!さとり様はこいし様には話すなって……!」
「だって、私だってあんなさとり様見ていたくないよ!お燐だってそうでしょ!?」
「そ、それはもちろんそうだけど」
「だったら、皆で一緒に考えようよ!さとり様が元気になる方法を!」
「お空……そうだよね。分かった。あたいが話すよ」
そしてお燐はポツポツとお姉ちゃんの身に何が起こったかを話してくれた。
……正直、聞かなければ良かったと後悔した。
考えたくなかった。お姉ちゃんがそんな目にあったなんて信じたくなかった。同じ状況に自分が置かれた時のことを想像するだけで身震いがする。私は心を閉ざしたからその心配はないけれど。でもお姉ちゃんはそうはいかない。
そして最も最悪なのが、お姉ちゃんに対して私が出来ることが何一つないことだった。全てはもう手遅れだったのだ。
あの後、お姉ちゃんの状態がある程度回復するまでにはかなりの時間がかかった。二日間ほどは食事もまともに取れないくらいだった。それでもお姉ちゃんが比較的短期間で立ち直ったのは、ずっと傍でお姉ちゃんを励まし続けたお燐とお空の存在が大きかったのだろう。私もこの時ばかりは家を離れるようなことはせず、ずっとお姉ちゃんの傍にいた。何か特別なことをした訳ではないが、無駄ではなかったと思う。
私達はあの時に誓った。二度とあんな目にお姉ちゃんを遭わせることはさせないと。起こってしまったことはもうどうしようもないけれども、再び同じような悲劇が起こらないようにすることなら出来る。そうしていれば、いつかお姉ちゃんの心の傷も癒されるかもしれないと信じて……。
ギュイイイィィィィン!!!
「おかしいです!その音は絶対におかしいです!人の口の中に入れる物の音ではありません!」
大丈夫ですよー。痛いのは最初だけですぐ済みますからねー。
「嘘です!絶対に嘘です!『あー、ちょっとこれはひどいわね、相当削らなきゃいけないかも』とか思ってますよね!?『えーと、麻酔はどこだったかしら』ってまさか口の中に注射を撃つつもりですか!?危険過ぎます!鬼畜の所業です!」
放っておいたらもっと痛みがひどくなってしまいますよ。
ほら、そんなに固く口を閉じてたら危ないですからもう少し大きく口を開けてください。はい、あーん。
「あが、く、くひをふひはひひろへはいへふははい~!」
それじゃ始めますよー。痛かったら遠慮なく言ってくださいねー。
「もう痛いです!その音を聞いてるだけで痛いです!『あ、他にも何箇所かまずいところがあるわね。こっちもついでに治療した方が良さそう』ってまさかこれが終わってもまだ続きがあるということですか!?あり得ません!それはきっと幻想です!それに、妖怪の虫歯なんて放っておいてもきっと問題な……」
ガリガリガリガリガリ……バキィ!
「あ」
「ひにゃあー!!!」
「……歯医者さんの心なんか読みたくないよねえ……」
リアルでも幻想でもがんばってください
あと、バキィなんて音の出る歯の治療って....
泣き虫なこいしちゃんの性格も自分にマッチして最高でした
痛いって言っても絶対止めないよねwww
これは良いシリアス殺しwww
だが俺は虫歯になったことがないのでその怖さを知らない
痛みはないが、あのメキメキいう音はトラウマ。
・・・盲腸になったらどうするんだ?さとりん。
しかしこれは絶対にトラウマになる・・・。
これは良いシリアス殺し!
歯医者...行かなきゃ...
いいシリアス殺しでした。
ちゅっちゅしてない…だと?
でもかわいいからおk
どんだけダークな展開が繰り広げられると思ったらそれかいぃぃぃ!
ここでポイントなのは「“虫歯”そのものよりその治療の方が怖い」ということね。