「お嬢様……?」
白銀に彩られた屋敷の庭で、銀髪のメイドは羽の生えた雪だるまに対し、問いかけるように声をかけた。
雪だるまは羽を弱々しく震わせてから、凛とした声で答える。
「……どうしたの、咲夜」
咲夜と呼ばれたメイドは安堵に胸を撫で下ろすと、
「燃料用の薪なのですが、貯蔵が切れ掛かっていまして……。そろそろこの冬を止めに行くために、外出のご許可を頂ければと思います」
雪だるまは暫しの沈黙の後に、
「そうね……。嬉しそうなあの子を見ていると、心苦しくなるけれど。この長い冬も終わりにしましょう」
雪だるまが向く先、一面の雪景色の中では金髪の吸血鬼が雪玉を手に持ち、逃げ回るメイド達を追い掛け回していた。
雪玉が当たり、倒れた者から雪にまみれて動かなくなっていく様に、雪だるまはため息を一つ。
「出来れば早く……春を取り戻してくれるとありがたいわ」
本心からの望みを口にした。
*
頭上には全天を覆いつくす雲、眼下には雪に覆われた大地、眼前には吹雪。
白一色に彩られた世界を咲夜は飛翔する。
羽織ってきた外套の襟を立たせて寒さを凌ぐと、彼女は風上を見据えた。
「春を奪った奴は……何をしようとしてるのかしらね」
疑問を呟いて彼女は手を伸ばし、吹雪に僅かに混じる桜の花びらを指で摘む。
そして春の象徴とでも言うべき花びらを見つめながら首を傾げて、
「燃料の心配がなければ、別にどうでもよかったんだけど……」
美鈴は花を弄れなくて嘆いてたけど、と一人ごちる。
咲夜は苦笑交じりに前を向き直ると、ゆっくりと速度を落として空中で停止した。
前方、吹雪に混じって黒い影がある。
その影は咲夜の方へと近づいてきているらしく、次第に輪郭がはっきりとしてきた。
影は背の黒い羽を忙しなく羽ばたかせ、体を小刻みに震わせながら飛翔している。
その姿を見て咲夜は、あら、と声を漏らし、
「……文さん?」
彼女の声に文と呼ばれた影は顔を上げて、
「ささささ咲夜さんっ……?」
吹雪の中、何故か薄着の体に雪を積もらせた彼女は、しきりに体を擦りながら咲夜の傍へと寄ってくる。
「どうしたの、そんな格好で……」
「ししし質問は後ですっ、ははは早く外套を開いてくださいっ」
寒さで歯の根が合わ無い様子の文の言葉に会話を遮られると、怪訝そうに眉を潜めながらも咲夜は求められるままに外套のボタンを外して前を肌蹴る。
すると吹雪が舞い込むよりも早く、咲夜よりやや小柄な鴉天狗の体が外套の中へと飛び込んできた。
彼女の腕は脇を通して咲夜の背に回され、衣服越しに伝わる凍えた彼女の体温が咲夜を身震いさせる。
「ちょ、ちょっと……文さん?」
「はっ、早く、閉じてっ、閉じてっ」
急かされて咲夜は外套の前を合わせようとするが、眼下の鴉天狗の背に生えた翼の所為でボタンをかける事が出来ない。そこでポケットに手を入れつつ、彼女の腰を抱くように腕を回すことで代用する。
咲夜の腕の中で、文は頭を振って髪に積もった雪を落としてから、ようやく落ち着いたのか顔を上げた。
「いやー助かりましたよ。こんにちは、咲夜さん」
「どういたしまして。こんにちは、文さん」
互いに挨拶を済ませてから、咲夜は会話を再開する。
「それで……そんな格好をして吹雪の中を飛んだ挙句、こんな状況になってることについて申し開きはあるかしら?」
「い、いやぁ……咲夜さん、何だか閻魔みたいで怖いんですが。……もしかしなくても怒ってます?」
文の言葉に咲夜は頭を振って、
「別に怒ってはいないわ。ただ、こんな日に薄着で飛んでたら風邪を引くし、案の定、体冷えてるじゃないと呆れてるだけ」
咲夜の言葉に文は苦笑いを浮かべた後、
「ごもっとも……まあ一応理由はあるんですけど。それより咲夜さんの体はぽかぽかですねぇ」
ぬくいぬくい、と外套から出している顔を綻ばせた。
理由とやらを口にしない彼女を見て、咲夜は嘆息。しかし彼女が寒がらないように抱き寄せながら、
「まあ考えなしに動いてないなら、別にとやかくは言わないけど」
「ありがたや……。しかしこんなところで咲夜さんに会うとは思わなかったんですが……どこかへお出かけで?」
当たり前の質問を受けて咲夜は頷き、
「ええ。春を奪った奴を探しにね。風上から来たっていうことは文さんも何か心当たりがあるんじゃないの?」
そうですねぇ、と文は前置きをして、
「私は博麗の巫女を追跡取材した結果、風上に行き着きましたからね。確かに風の向こう、雲の上には春がありましたよ。そこから先は隠れられるところが無かったので、取材を断念して帰ってきたんですが」
「霊夢さんが……?」
咲夜は名前を口にした少女のことを思い出す。
そして合点がいったと言わんばかりに肩を落として、
「どうりで……。行く道で会う妖怪達が、ぼろぼろな割りに憑き物が落ちたような満足げな表情浮かべてるわけね」
「まあ彼・彼女等にとっては春が来ないことよりも、異変に乗じて本気で遊べることの方が重要ですからねぇ」
「お祭り好きだものね。でも……彼女が動いているなら、異変は解決されるわけね。だったら私は――」
帰ろうか、と口にしようとした咲夜を文は足まで絡めて抱きついて遮ってきた。
「だ、だめですっ。い、今咲夜さんに帰られたら私、また凍えちゃいますよっ!?」
「この格好のままでもゆっくりなら帰れると思うんだけど……文さんは帰らないの?」
怪訝そうに咲夜が問うと、文は嬉しそうに歯を見せて笑う。
「ええっ! 異変の結末を見ることはあきらめましたが、雲の上から降りてきた時に面白いものを見つけまして」
だから、と彼女は前置きし、
「ちょっと体の向きを私も風上が見れるようにしてもらえますか?」
疑問符を浮かべながらも咲夜は文の望みをかなえるように、風に対して直角に構えるように体の向きを変えて、揃って風上を見据えた。
「それで面白いものって……?」
「ええ、妖精が一匹落ちていたんですよ。助けようかと思ったんですが、彼女の周りには春が集まりだしてたんです」
春が? 、と疑問符を掲げる咲夜を余所に文は言葉を続けて、
「だから彼女が為すことを特等席で見届けてから帰ろうかなって思いまして……。ん、咲夜さん、もう始まったみたいです」
え? 、と状況が理解できないままに咲夜が向いた先、風上から絶えず吹いていた凍てつくような吹雪が止みかけていた。
「来ますよ。幻想郷の冬の終わり、そして――」
文が興奮気味に呟いた時。
それはやってきた。
*
一面の雪景色の中、一匹の妖精が倒れていた。
彼女の体は傷だらけで、小さな羽根もところどころ破けてしまっている。
しかし白一色の世界の中で、彼女の周囲だけが色付いていた。
雪の上に倒れている彼女には、背に穴が開いた半纏が掛けられており、そして彼女の周囲には雲の上から降ってきた桜の花びらが渦巻いていた。
ぴくりとも動かない彼女を心配するかのように、渦巻く花びらは徐々に彼女との距離を狭めて、彼女を包み込むように降り積もってゆく。
彼女に降り積もる花びらの数は次第に数を増し、まるで桜色のかまくらが出来上がっていくようだ。
花びらが彼女を覆い尽くしても、まだ彼女は起き上がらない。
しかし、動きはあった。
桜の丘から突き出された小さな手が雪の上に置かれ、ぎゅっと雪を握り締める。
すると地面と雪の下で息づいていた野花が露となる。
野花は今まで自らを押し潰していた雪の戒めがなくなると、ゆっくりとその体を起こす。
まだ開いていなかった蕾を自分を解放してくれた妖精に向けると、まるでお礼を言うかのように花開いた。
彼女は解けた雪でぬれた手で、その花を撫でると勢い良く体を起こす。
「んっ……!」
降り積もっていた花びらを舞い上がらせながら、彼女は傷の痛みに眉を顰めた。
舞い上がった花びらは、再び彼女を包み込むように降り積もる。
自分の周囲の花びらを撫でる彼女の手が、起き上がったことで落ちた半纏に触れた。
「?」
見覚えがなく、自分の体に対して明らかに大きい半纏を抱えて彼女は首を傾げる。
「…………」
思案の後、どのような結論に達したのか彼女は嬉しそうに半纏を抱きしめた。
そして降り積もる花びらが彼女を覆い尽くす前に、彼女は立ち上がる。
全身に走る痛みに彼女は目じりに涙を溜め、花びらが彼女を引き止めるように足を包み込んだ。
しかし彼女は小さく首を横に振る。
「行こっ、みんな」
彼女の目の前には雪に包まれた世界がある。
「この世界のみんな、まだみんなが来たことに気づいてない」
だから、と彼女は口にして、
「教えてあげよ。みんなも、気づいてもらえないとさびしいでしょ?」
彼女がそう口にすると、足元に積もった花びらを舞い上がらせるように周囲の野花が立ち上がり、花開いていく。
「行こっ? 私はもう大丈夫」
彼女は抱きしめていた半纏を広げて見て、背に羽を通すための穴があることに気づくと満足そうに微笑む。
大き目の半纏をまるで外套を着るように纏い、背の穴から傷だらけの羽を出すと、
「春が来たんだって、みんなに伝えたいの」
彼女は右の一歩を踏み出た。
満身創痍の彼女の足取りは重い。
左の一歩を踏み出た。
背後の草花が彼女を応援するように背筋を伸ばす。
また一歩、右の足を踏み出した。
雪に出来た足跡、そこから覗く大地に咲く草花がゆっくりと体を起こし、しかし力強く吹雪の中で花を開く。
続いて、左の足を踏み出せば、足跡から草花が顔を覗かせた。
右左右左右左、徐々に彼女の足取りは力強く、軽快なものになっていく。
小さな手で拳を作り、精一杯に振って走り始めた彼女の背後。
全天を覆っていた雲海に、不意にぽっかりと穴が開く。
穴から零れ落ちてきたのは大量の桜の花びら、そして舞い降りてきたのは赤と白の巫女だ。
しかし彼女はもう振り返らない。
花びらや草花に後押しされるように速度に乗った彼女は――
――その小さな両腕を大きく広げて飛翔する。
*
咲夜は遠く、雲海が晴れて桜色の瀑布が零れ落ちたのを見る。
「――春の訪れを告げる、リリーホワイトが……!」
そして文の言葉どおり、それは風上からやってきた。
大きめの半纏を来た春を告げる妖精は両腕を広げ、傷だらけだが嬉しそうに飛翔してくる。
彼女を境にして、白一色の世界が色付いていく。
全天を覆い尽くしていた雲は晴れて、空が覗き。
雪に覆われていた大地は雪が解けて、木々や草花によって思い思いに彩られていく。
そして彼女を後押しするように吹く暖かな風が、吹雪を花吹雪へと変えていく。
春が来たのだ。
「春……だよー!」
満面の笑みで春を告げながら飛翔するリリーホワイトは、咲夜と文に気づかぬまま過ぎ去っていく。
彼女が通り過ぎた後に振り返れば、背後の世界が色付いていく様が見て取れた。
「凄い……わね。リリーが春を告げていくのを見たのは初めてじゃないけど……」
大地の木々が鬱憤を晴らすかのように舞わす花吹雪の中、咲夜は呟き、
「はい。多分、今年は春を奪われていた所為で、溜め込んでいたものもあったと思いますしね」
応えるように文が頷き、
「幻想郷の風物詩、これを見逃す手はないでしょうっ……って、あー! 写真機で撮るの忘れてました!」
しまったー! 、と嘆きだす。
そんな彼女に唖然として、しかし咲夜は頬を緩めた。
「いいじゃない、さっきの風景は私と文さんの二人占めっていうことで」
それでいいのかな、と考え込むように俯く文を見て、咲夜は呼気を漏らすように笑った。
それで、と前置きをして咲夜は口を開き、
「この後はどうするつもりなの? 私はお嬢様に申告して紅魔館で春祝いの花見パーティを開くつもりだけど」
来る? 、と問いかける。
問われた文は、喜びと苦しみが入り混じった複雑な表情を浮かべ、
「お言葉に甘えたいところですが……。うう、紅魔館ということはレミリアさんいるんですよね? ま、またエロ天狗とか言われて虐げられませんかね」
どうしよう、と再度思案するように俯いた。
咲夜はポケットに入れていた手を抜いて、改めて文の背中に回すと、子供をあやす様に背を叩いてやりながら、
「まあ、時間はたっぷりあるから……。回答はじっくり悩んでもらった後でいいわ」
それまではここで花見が出来るから、と――
――数ヶ月遅れの春が訪れ、花吹雪が吹く中で、咲夜はどこか嬉しそうに呟いた。
リリーが春を告げる話で、リリーが熱い話は初めて読みましたが良かったです。
地の文に関しては改行がないと連続した地の文の時は見にくいし、あると長引いて間延びした感じになるかなと。
少し展開が急かなと思いましたが、よかったとおもいます。
貴方もちゃんと休むんだよ、リリー。
個人的にはこのくらいが丁度いいと思います。
GJ
春の鮮やかな空気が伝わってくるようでした
改行ですが、話の転換点はもちろん、じっくり読ませたい部分、強調させたい部分に使うと良い感じだと思います