暗い。
目は開けているはずなのに。
前を向いているはずなのに。
目に入るものは全て霞がかっていて。
何故かなんて私は知らないし、知りたいとも思わない。
ただ、この目から流れる涙に、どこか温もりを感じたのは気のせいだろうか。
■ □ ■
今日、私は家出をした。
理由はなんてことのない、お姉様との喧嘩。
そんないつもどおりの出来事。
でも、今日だけは違った。
咲夜が高熱で倒れた。
過労。
美鈴が連れてきた竹林の医師はそう言って、少しは休ませてあげなさい、と笑う。
お姉様もほっとした顔で、これだから人間は脆くてダメだ、なんて皮肉を言って。
咲夜は辛そうな顔で苦笑いをするばかり。
分からない。
なんで、お姉様は咲夜を眷属にしないんだろう?
なんで、お姉様は咲夜の血を吸わないんだろう?
なんで、お姉様も咲夜も笑っていれるんだろう?
まわりの緊迫した空気が緩む中、私の心だけが取り残されていった。
咲夜は数年前に比べて衰えてきていることを私は感じていた。
外見はあまり変わってないけど、彼女から感じる霊力は段々少なくなっていった。
最近は私が遊びに誘っても、あの手この手で逃げられてしまう。
そして――咲夜から聞いた話だけれど――古株の妖精メイドに紅茶の入れ方を教えるのが日課らしい。
なんでそんなことするの?
その問いかけに返ってきた答えは、少し儚げな笑顔だった。
その頃から、私の頭に生まれた疑問。
咲夜が吸血鬼になってしまえば、体が衰えることはないのに。
咲夜が吸血鬼になってしまえば、永遠に生きられるのに。
咲夜が吸血鬼になってしまえば、ずっと一緒に暮らせるのに――。
何故咲夜は人間のままなんだろう?
ずっとずっと思っていたこと。
その思いはどんどん大きくなっていった。
何かのきっかけで爆発してしまうほどに。
■ □ ■
満月の下、轟音が紅魔館に鳴り響く。
響く叫び。妖精の悲鳴。崩れる瓦礫。
その中に、廊下を突き進む閃光が二つ。
「フラン、やめなさい!」
お姉様の静止の言葉なんて耳に入らない。
これは咲夜のためなの。
お姉様に相談しても返ってきた答えはNOだった。
咲夜のことを考えなさい、なんて言い訳を口にして。
――私は、一生フランドール様と一緒にいますよ――
咲夜は笑顔で私に言ってくれた。
それは咲夜が私のことを好きでいてくれる証。
私も咲夜が好き。
その意志の強い目、真直ぐな心、心地よい温もり。
彼女の全てを愛おしく思う。
私は大好きな咲夜と別れる気なんて全く無い。
それは咲夜も同じこと。
そう、これは咲夜が望んだこと。
咲夜も私とずっと一緒に居ることを望んでいる。
人間の沽券なんてものを気にして行動を起こさないお姉様なんて頼りにならない。
臆病なお姉様の代わりに、私が咲夜の血を吸ってあげる。
だから、待ってて咲夜。
咲夜の部屋の前に降り立つ。
お姉様はまだ来ていない。3人の「私」が足止めしてくれているから。
ドアを開けると、鼻をくすぐる咲夜の匂い。
咲夜は体を起こして私のほうを見ていた。
「あら咲夜、起きていたの?」
「フランドールお嬢様……。先程から騒がしくて、目が覚めてしまいましたわ」
まぁ、大体想像は付くんですけどね。
咲夜はまだ辛そうな顔をしながら苦笑いをして、言う。
その顔が、私の思いを加速させる。
「また喧嘩ですか?」
「うん、そうよ。でも今日はお姉様の言うとおりになんてならない」
「それで、私を味方につけようと?」
「ううん、違うわ。もう喧嘩は終わった。お姉様なんて頼りにできない。私が咲夜を『仲間』にしてあげる」
「? 何のことですか、フランドールお嬢さ……」
咲夜の言葉を遮って、私は咲夜の上に跨った。
とても細い身体。すぐにも折れてしまいそう。
「フランドールお嬢様……?」
「咲夜は私と、ずっと一緒に居たいと言ってくれた。でも、お姉様はそうしようとしない。だから咲夜。私がしてあげる。私が血を吸ってあげる。私が願いをかなえてあげる!」
そう言いながら、私は牙を咲夜の首元に持ってゆく。
彼女の血は、どんなに美味しいだろうか。
彼女と過ごす未来は、どんなに楽しいだろうか。
そんなことを頭に思い浮かべながら……。
ふと。
私は抱きしめられた。
抱く、とは言えないくらい小さな力で。
けれど、心地よい温もりを持った腕で。
咲夜はやっぱり、望んでいるんだ。
咲夜はずっと、生きていたいんだ。
私は嬉しくなって、彼女の顔を見た。
咲夜は笑っていた。涙を流して。
悲しげで、儚くて。
全てを受け入れるような、優しい笑顔。
ねぇ、なんで涙を流しているの?
ねぇ、なんでそんな顔をするの?
ねぇ、何を受け入れようとしているの?
頭の中に幾多の疑問が浮かび消えていった。
そっと、消え入るような声で咲夜が零す。
――それを、フランドールお嬢様が望むのなら――
呆然としていた私の顔に咲夜が手を添える。
そして初めて、私も涙を流していることを知る。
――この身、あなたのために尽くします――
その言葉に、私の牙は止められた。
何故止めたのか、分からない。
でも、止めなければ、彼女が消えてしまう気がして。
咲夜という生命が、咲夜という存在が、咲夜という人間が。
そう思った瞬間、私は驚く。
私は今なんと言った?
咲夜という人間、確かにそう思った。
そして、気づく。
咲夜の意志の強い目は。
咲夜の真直ぐな心は。
咲夜の心地よい温もりは。
全部、咲夜が『人間』だからこそであると。
寿命の短い人間だからこそ、その一瞬を力いっぱい輝かせようとする。
吸血鬼にとって瞬く間に近い短さ。
けど、その光は私の目に焼き付いて。
彼女の影を残そうとする。
彼女の見失うまいとする。
けど、違った。
私が作ろうとしている影は。
『咲夜』という名を借りた、別の存在。
『咲夜』という体を持った、偶像。
頭が否定しても、心が知っていたこと。
私は、咲夜を吸血鬼にしたいんじゃない。
咲夜は、人間のままでいて欲しい。
けど、それだと咲夜は死んでしまう。
いつか、別れが来る。
いつか、彼女はいなくなる。
私にはどうすることもできない。
じゃあ、私はどうすればいいの?
ただ別れを待つだけ?
迫り来る喪失を、恐怖に身体を震わせながら待つの?
私を抱きしめる細い腕も。
そこから伝わる温もりも。
いつか、どこかへ消えてしまうの?
頭の中がグシャグシャにかき混ぜられたようで。
吐き気を催すほどの嫌悪感。
心が鉛のように、絶望の海に沈んでゆく。
私には何もできない。
わたしにはなにもできない。
ワタシニハナニモデキナイ。
ここからにげなきゃ、はやく、はやく!
子供の私が出した答えは、とても単純で、とても愚かな逃避だった。
壁を打ち壊して、羽を滅茶苦茶に動かして飛ぶ。ふらふらと、よたよたと。
咲夜の声が聞こえた気がしても、耳を塞いで音を消した。
咲夜を感じたら、すぐにも堕ちて、死んでしまいそうだったから。
そして、私は咲夜から逃げた。
■ □ ■
「フランッ!!咲夜ッ!!」
嫌な予感に駆られながら開けたドアの先には、無残にも壊された壁と、もぬけの殻になったベッドが横たわっていた。
外から感じる気配は二つ。
忘れもしない我が妹と、我が『人間』の従者の気配。
「咲夜は、大丈夫みたいね……」
まだ『人間』である咲夜の気を感じて、ほっと息を降ろす。
「それにしても、我が侭な妹とお節介な従者を持ったわ……」
十中八九、咲夜は飛び出したフランを追っていったのだろう。
あの高熱の中、大したものだ。
安心したら疲れが表に出てきた。
さすがに3体同時はキツかったか。力が抜けて、その場に座り込む。
フランと咲夜はもう大丈夫だ。
なんたってフランは、私の最愛の妹であり。
なんたって咲夜は、私の最高の従者であり。
二人とも、私の大切な家族なのだから。
■ □ ■
空は曇って、あの綺麗な満月は姿を消していた。
無我夢中に飛んだ。
何も考えられないくらいに、速く、速く。
ただただ、現実から逃げるように。
また、羽が木の枝にぶつかる。
その衝撃で、私は地面に倒れた。
そんなこと関係なしに再び飛ぼうとするが、羽に力が入らない。
羽はもうボロボロで、体力も底を尽きていた。
だんだん身体の力も抜けて、地面に横たわる。
飛んでいるときも、そして今も。
私の涙は止まらない。
心は絶望の海の底。
溺れることの無い海に放り込まれた私は。
息もできず、ずっと苦しみ続けるのだろうか。
「わたしは……どうすればいいのっ……」
息と共に、心を空にぶちまける。
悪魔の私が、神に助けを乞うような、滑稽な姿。
シトシトと。
身体を水滴が打つ。
まるで、私を嘲笑うかのような雨。
現実という雫が身体にしみこんで、私を動けなくするような。
目の前が霞む。
このまま意識を手放して、命も手放せたら、もうこんな辛さは味わらなくていいのに。
そう考えながら、意識はどんどん遠のいていった。
急に雨が止む。
何事かと思えば、背中に伝わる温もり。
さっきまで恐れていた、私の、大好きな温かさ。
「こんなところで寝ていては、風邪を引いてしまわれますよ?フランドールお嬢様」
優しい声。
冷えていたからだに染み渡って、涙が勢いを増す。
何か言おうにも、口は空気を吐くばかり。
「フランドールお嬢様。私は死ぬまで人間でいるつもりです。『十六夜 咲夜』は人間でなければならないと、私は思っています」
抱きしめる力が少し強くなる。
「私が人間であるかぎり、いつか必ず別れが来ます。それは変えられない結末です。でも、その過程は、私たちが作っていくんです」
締め付けるような抱擁。
「私はその過程を、フランドールお嬢様と、紅魔館の皆と一緒に歩いていきたい。皆と笑いあいながら、共に過ごしていたい。私にできた大切な、大切な家族ですから……」
それは覚悟と決意に溢れた言葉。
人間のまま生きる覚悟と、これからの未来への決意。
いつのまにか、涙は止まっていた。
背中の温もりがとても愛おしく感じて、私は振り向いて、彼女に抱きつく。
さっきまで受け入れられなかった現実が、彼女の言葉にのって私の心に届く。
それは決して冷たくなくて。むしろ、温かさが心の中に広がった。
あの時、彼女は言った。
私が望む限り、私のために尽くす、と。
それは彼女の愛の証。
ならば私も誓おう。
彼女が望む限り。
彼女のために尽くすと。
私は一生、咲夜を忘れることはない。
いや、大切な家族のことなんて、忘れるはずがない。
それが、幼い私ができること。幼い私の愛の証。
彼女とのこれからの未来を見据えるように、空を眺め
「当たり前じゃない!世界一幸せにしてあげるんだから!」
いつか、彼女が笑って逝けるように。
いつか、私が笑って見送れるように。
そんなことを、願いながら。
いつのまにか、空には丸い月が灯っていた。
■ □ ■
「全く、あの子たちは手間がかかるわね……」
「あら、母親みたいなこと言っちゃって。いつもは子供なのにね、レミィ」
「うるさいよ、パチェ」
あのあと、びしょびしょで帰ってきた二人はフランドールは疲労、咲夜は高熱で倒れてしまった。
今は同じベッドで仲良く熟睡中だ。
「屋敷も滅茶苦茶だし、従者もしばらく休み……ふんだりけったりね」
「あら、私には楽しそうに見えるけど」
「まぁ、ね」
「心境は子供の成長を見守る母、ってところかしら」
「そこは姉でいいでしょ。老けてるように聞こえるじゃない」
「500歳超えが何を言うか」
「あなたも大概よ」
「……屋敷の修理、手伝わないわよ?」
「ごめんなさい」
「素直でよろしい」
「フランったら私の部屋にまで大穴開けて」
「あら、月光浴が気持ちよさそうね。日光浴も楽しめるじゃない」
「そんなに羨ましいのなら、ここにも大穴開けてやろうかしら」
「別にいいけど、その前にあなたが穴だらけになってしまうわよ?」
「あら怖い。そうなる前に、私は退散しようかしら。あの二人のことも気になるしね」
「娘のことが心配なのね。さすが母親だわ」
「私が母なら、あなたは父かしら?」
「私は小姑でもやらせてもらいますわ」
「「ふふふっ」」
いつもの軽口の応酬。
非日常は終わりを告げ、日常がまた訪れる。
可愛い妹の、大きな成長を残して。
■ □ ■
咲夜がメイド長復帰したのは、つい昨日。
本当は3日前に熱は収まったけれど、少しは休め、とのお姉様の命令で無理やり休まされていた。
その間、たくさんの話をした。
メイドの仕事から、休日の過ごし方、お姉様の愚痴まで。
もっと咲夜のことを知りたかったから、私は飽きずにずっと聞いていた。
そして、一つの約束をした。
――今度から、私に紅茶の入れ方を教えること!それも毎日!――
それを聞いた咲夜は笑いながら了承してくれた。
何故か、と咲夜は聞いてきたけれど
いつでも、あなたの紅茶の味を思い出せるから。
なんてことは恥ずかしくて言えない。
そして今日。
「むぅ……」
「フランドールお嬢様、あまりお気を落とさずに」
「うあー。上達する気配が微塵もないんだけれど」
「万里の道も一歩から、ですわ」
「なんか、道が十倍になってない……?」
「気のせいですわ」
「もうお腹の中タプタプなんだけど……」
「食べ物を粗末にしてはいけませんわ。さぁ、もう一回やってみましょう。そしたら私も幸せですわ」
「うぅ……。うまく丸め込まれてる気がする……」
「それも気のせいですわ」
……まだまだ道のりは長そうね。
そう私が漏らすと咲夜は。
大丈夫、私が一生傍についてますから。
と言った。
私の大好きな笑顔を浮かべて――。
フランちゃんナイス狂気!
内容に関しては文句なしなので、細かいことを。
「…」や「―」は偶数単位で使います。
それから地の文の行頭は一つ字下げをします。
次回作を楽しみに待ってますー。
初とのことでしたが、内容も質感も氏の名前すらも気に入りました。面白かったです。
次回作楽しみです。これから頑張ってください。
あなたのこれからの作品にも期待。
温かい気持ちになりました。
次回作も楽しみにしています。
ようこそ、東方二次創作へ。歓迎致します!
そして次回もこっそりお待ちさせて頂きますw
という新しい組み合わせは気に入りました
>>葉月ヴァンホーテン 様
おぉ、ほんとだ。1つ下がってたの気づかなかった…。
ご指摘、ありがとうございます。
>>4 様
本当は長くしたかったんですけど、今の自分ではテンポが悪くなってしまいそうで、この短さになりました。
いつかスラスラと読める長い文を書きたい…。
>>16、26 様
よくレミリアと咲夜さんの寿命ネタなら見るんですが、フランのって何故かあまり見ないですよね。
フラ咲いいよフラ咲。
フランはこれからも「咲夜」を大事に出来るでしょう。