時折、幻想郷の夜道に姿を現す夜雀の鰻屋台がある。
何だかんだで商売が上手く回る程度には繁盛しているらしく、今日も気紛れに営業中だ。
が、今日はとてつもなく暇だった。
営業時間はいつもと同じなのだが、場所が悪かったのだろうか。
気紛れで営業場所をころころと変えてみるのも考えものである。
暇を持て余した夜雀は、鼻歌を歌いながら竹串を片手に作業を行っていた。
本来、串焼きに用いる串であったが、プスプスと穴を穿つには丁度良い。
ある程度の間隔をあけて、プスリ。さらに間隔をあけて、プスリ。
みるみるうちに穴だらけになっていく、夜雀の手元の物体。
躊躇なく穿たれていく風穴。どんどん痛々しい姿になっていくそれ。
やがて、全体に万遍無く穴があく。
夜雀は実に満足そうにそれを眺め、一人頷いたりしている。
と、その時である。
「こらぁーッ! あんたあんた、そこのあんたー! 何やってるのよ馬鹿ぁーッ!」
闇夜に紛れた叫び声。何事かと夜雀が顔を上げると、そこには一人の妖怪の姿。
「あ、あ、あ、あんたねーッ! なにそれ酷い! 残酷だわ、残酷すぎるわ!」
夜雀を指差して、わなわなと震える妖怪。夜雀はふと自分の手元を見る。
「あぁこれ? いやね、暇だったからちょっと工作でもと思って」
「酷い……こんな姿になっちゃって、あぁ……」
妖怪は夜雀の声を無視して一気に駆け寄り、奪うようにしてそれを取り上げる。
なにやら物凄く悲しそうだったが、夜雀には何が何だか分からないままだ。
「えっと……何かまずかった? 傘に穴あけたら……」
「当ったり前でしょぉー! この鳥! 雀ぇー!」
紅と蒼の瞳に睨みつけられ、夜雀は盛大にお叱りを受けたのだった。
§
「はぁ……酷い世の中だわ、どいつもこいつもモノを大事にしやしない……」
夜雀はとりあえず、妖怪を一人の客として迎え入れて落ち着かせるところから入った。
今では、がっくりとうな垂れた妖怪が、屋台の席についてひたすらに嘆いている。
先ほど夜雀が完成させた穴だらけの傘を撫で撫でしつつ、完全に意気消沈状態だ。
聞けば彼女は付喪神の一種、いわゆる唐傘お化けだとのこと。
夜雀が傘に串を突き立てているのを見て、思わず制止に入ってきたらしい。
だが間に合わず、もはや傘としては手遅れな状態に陥っている。
それがショックで堪らないのだろう。
「えっと……ゴメンね、知らずに酷い事しちゃったみたいで」
きっとこの化傘にとって傘を壊されるのは、夜雀でいう鳥肉を食べられるのと同じだ。
そう思い至り、夜雀は心から申し訳なさを感じて素直に謝った。
夜雀とて、目の前で鳥を焼いている輩を見つけたとしたら、冷静でいられるか分からない。
「本当よ。もう二度とこんな事しないでよね、お願いだから!」
「うん、もうしないわ」
真摯な態度で約束してくれた夜雀に、化傘の態度が少しだけ軟化する。
しかし完全に許すまではいかなかったらしく、ややきつい視線を送りながら尋ねた。
「それにしても、どうしてこんな事したの? 傘が可哀想じゃない」
穴だらけになってしまっては、傘としての役割を果たせない。当たり前の話だ。
夜雀は若干言いにくそうにしながらも、正直に答えを述べた。
「それで川の中をすくったら、魚とか簡単に獲れないかなぁと思って」
「す、すっごい浅知恵……ッ!」
そんなことの為にこの子はこんな姿にー、と、机に突っ伏してしまう化傘。
夜雀としては割と本気で活用しようと思っていたのだが、それ以上は言い出せなかった。
しばらくの間、悲しそうな化傘をどう扱ったものかとオロオロしていた夜雀だったが。
「……あ、お腹の虫」
「うぅ……悲しんでたら余計にひもじくなったわ……」
化傘のお腹が悲鳴を上げたのを聞いて、夜雀はぱぁっと明るい笑顔を浮かべる。
そして早速、注文も取らないまま串焼きの生産に入った。
ここで化傘の空腹を解消してあげれば、謝罪の効果も見込める筈だ。
「何してるの? 料理?」
いきなり活動を始めた夜雀を、化傘が訝しむように見上げた。
「ここわたしの屋台だもん。お客さんに出すお料理を作るのは当然でしょう?」
対する夜雀は笑顔だ。営業スマイルでもあり、出来る事を見つけた安堵でもあり。
そんな夜雀の姿をしばらく見ていた化傘だったが、やがて慌てた様子で立ち上がった。
「あれ、どうしたの?」
「お客さんって私ッ? ごめんなさい、払えるようなもの持ってないよ!」
既に調理開始されてしまった鰻を見て、逃げるように屋台を後にしようとする。
しかし夜雀はそれを呼び止めて、何故かちょっと凄みつつこう告げた。
「お詫びだからそんなのいいよ! それとも何、わたしの鰻が食べられないとでも?」
「な、なんでちょっと怒ってるのッ? 私が悪いの、ねぇっ?」
足を止めた化傘が動揺した様子で振り返る。夜雀は笑顔を崩さない。
「やだなぁ、怒ってないよ。捌いた鰻が無駄になっちゃうなぁと思っただけで」
「なんか笑顔が怖い……分かったよ、食べてくよぅ……」
トボトボと席に戻ってきた化傘に、夜雀はすかさずお酒を差し出した。
躊躇いがちに手を伸ばし、それを受け取って口を付ける。
ちびちびとお酒を呑み始めた化傘に向かい、夜雀が和やかに話しかけた。
「最後にご飯食べたの、いつ?」
恐らくはまともに食事を摂れていないのだろう。
夜雀がそう考えたとおり、化傘は少し考えてから首を振った。
「覚えてないや。最近はいくら頑張っても不発なの」
やはり、上手く狩りが出来ていない様子。夜雀はからかう様に笑った。
「そっか。お腹が空いてたら、狩りも上手に出来ないでしょ?」
空腹が過ぎれば狩りに影響をきたし、なおさら獲物にあり付けなくなってしまう。
そんな単純な悪循環が思い浮かぶが、その連鎖はここでストップする筈だ。
夜雀が食事を振舞う事で化傘は空腹から解放され、元気に狩りに臨める事だろう。
「あんまり関係ないかなぁ。日々勉強はしてるんだけど、なかなか……」
しかし化傘の反応は芳しくない。何が問題だというのか。
「ちなみに、あなたはどんな方法を使って獲物を狩るの?」
「狩り狩りって言われるとすごく違和感があるけど……こんな感じ」
ぺたり。
首筋にひんやりしたものがくっ付いた気がして、夜雀は後ろを振り返る。
しかしそこには何も無く、首を触っても少し湿った感じしかしない。
不思議に思いつつ前に視線を戻すと。
「うらめしやー」
目の前いっぱいに、大きな目玉と舌が広がった。
さらに続けて、ぺろん、と大きな舌に顔を舐められる。
「……えい」
「きゃああぁぁッ? な、何するの、酷いっ!」
ゆらゆらと鬱陶しい舌に串を突き刺すと、舌の向こうで化傘が悲鳴を上げた。
舌の傷口をさすりつつ、夜雀に抗議の視線を送ってくる。
「あ、つい。ごめんなさい」
「この仕打ち……うぅ、うらめしい……」
顔に残るしっとり感を袖で拭いながら、夜雀は気の無い返事を返した。
化傘は悔しそうに押し黙り、そのまま俯いてしまう。
「そっか、でも分かった。こころ喰いなのね、あなた」
「うん……」
肉を食べるもの、恐怖などを食べるものが居るとされる妖怪。この化傘は後者らしい。
「蒟蒻を使ったびっくり攻撃も、こないだ笑って流されたわ……」
夜雀は串焼きを引っくり返すと、相槌をうつように答える。
「こんにゃく。口にめいっぱい詰め込んだら強そう」
その言葉に驚いたように顔を上げ、化傘が反論に出た。
「そんなことして、死んじゃったら困るじゃない」
「でも、息が出来なくなるなんて凄くびっくりすると思わない?」
人間にとって、いや生物にとって、死に対する恐怖は少なからず存在する。
かくいう夜雀も、死ねと言われたら全力で抵抗するだろう。
単純に、いきなり死ぬ目に遭わせればかなりの驚きや恐怖を引き出せる筈だ。
「そっか! がつーんって窒息させれば、確かに凄いびっくりが私のお腹に……!」
「結局、狩りには違いないわよねぇ。試してみる価値はあるんじゃないかなー」
新たな可能性に気が付いた化傘が、頭の中で何やら算段を立て始める。
んー、と唸りつつ考えること数秒。
「ねぇねぇ」
「なに、どうしたの?」
「どうやって人間の口にこんにゃく詰めようか?」
「ガバッていって、ババッてやって、ガポッて詰める」
「なるほどー」
「あっ、ねぇねぇ!」
「今度はどうしたの?」
「ガポッてやろうとしたら指噛まれる! 痛い、どうしよう!」
「そうねー。ババッとしてから、どんな体勢になってるかによるかなぁ」
「えっとね、ずどーんって押し倒して、こうして、こんな感じで!」
「はいはい、お店で暴れないでね。ほら、鰻の串焼き出来たよー」
結局、鰻の串焼きが出来上がったところで脳内計算は中断されてしまう。
何だかんだで、普通のお腹のほうも空いていたのだろう。
化傘は実に美味しそうに串焼きを食べ、一口ごとに顔を綻ばせていた。
§
「ところでさ。その傘なんだけど……」
物理的なほうのお腹が満たされて、やっと落ち着いたらしい化傘が尋ねた。
夜雀の傍には、例の穴だらけになった傘がある。
「ちゃんと使うよ。使うから許して」
今になって再びこの話題を出されると思っていなかった夜雀が、上ずった声で答える。
化傘は『絶対だからね』と苦笑し、もう怒っていないと態度で示した。
その上で、穴の開いた傘についての質問を続けてきた。
「それさ、そうやって使う為にわざわざ用意したの?」
「あ、ううん。これ元々はお客さんの忘れ物だったのよー」
忘れ物という部分に、ピクリと反応する化傘。
「しばらく置いといたんだけどさ、誰も取りに来なくて。だから私が使おうかって」
客の誰かが忘れていったものには違いないのだが、それが誰かまでは分からない。
夜雀が客の持ち物をいちいち覚えている筈も無く。
ずっと店先で忘れ物アピールをしていたのだが、今の今まで引き取り手が無かったのだ。
流石に長時間放置されすぎだったので、もう要らないのだろうと結論付けたのである。
「そう……こんなところにも忘れ傘、か……」
「たまにあるのよね、傘に限った話じゃないけれど」
物憂げな表情を浮かべる化傘。何となく陰鬱な空気が二人を包み込む。
「あ、いいこと思いついた!」
夜雀がポムと手を打った。化傘がきょとんと見上げてくる。
他に誰が居る訳でもないのに、夜雀はそっと化傘に耳打ちをした。
「……そんなことしていいの?」
「いいの。じゃあ、これからよろしくねっ」
驚いた様子の化傘だったが、夜雀は悪戯っぽく笑って頷く。
「うん、分かった! よろしく!」
化傘も嬉しそうに声を弾ませて、頷き返して見せた。
その後、二人はひとしきり話し合った後、揃って上機嫌で別れたのだった。
§
「毎度~……あら?」
いつものように気紛れで屋台を出し、焼き鳥撲滅運動に勤しむ夜雀。
客を見送る夜雀は、背後になにやら違和感を感じて振り返った。
そこに無い筈のものがある。どうやら、先程の客の忘れ物のようだ。
忘れ物と見るや否や、夜雀は屋台の裏に置いてあった一本の傘を取り出した。
そしてその傘を広げると、忘れ物を括りつけてポンと空に放り投げる。
風に乗って何処かへ飛んで行く傘と忘れ物。
それを見届けてから、夜雀は屋台の仕事へと戻った。
「はぁ……減らないなぁ、忘れ物」
思わず独り言が漏れてしまう。
あの日に取り決めた段取りが、知らず知らずのうちに脳裏を過ぎっていく。
忘れ物をしたお客さんに、忘れ物のうらみを思い知ってもらおう。
それこそが今回立てた作戦の趣旨だ。
その為に夜雀は忘れ物に目を光らせるようになり、発見次第、連絡をするようになった。
先に飛ばした傘がそうだ。あれは使い魔のようなもので、化傘の元まで飛んでいく。
そうして連絡を受けた化傘が、忘れ物をした客の後を追ってめいっぱい驚かすのだ。
忘れ物も返せるし、驚かされた相手は今後、忘れ物に注意するようになるだろう。
相手は屋台のお客さんなので、本当に窒息させてしまわないように念も押しておいた。
これで、屋台にとって不要なものが置き去りにされにくくなるし、化傘のお腹も満たされる。
まさに一石二鳥……もとい、二人とも得をする作戦である。……あったのだが。
作戦開始からしばらく経ったとある夜。
悲しそうな化傘が屋台に顔を出したのは言うまでも無い。
何だかんだで商売が上手く回る程度には繁盛しているらしく、今日も気紛れに営業中だ。
が、今日はとてつもなく暇だった。
営業時間はいつもと同じなのだが、場所が悪かったのだろうか。
気紛れで営業場所をころころと変えてみるのも考えものである。
暇を持て余した夜雀は、鼻歌を歌いながら竹串を片手に作業を行っていた。
本来、串焼きに用いる串であったが、プスプスと穴を穿つには丁度良い。
ある程度の間隔をあけて、プスリ。さらに間隔をあけて、プスリ。
みるみるうちに穴だらけになっていく、夜雀の手元の物体。
躊躇なく穿たれていく風穴。どんどん痛々しい姿になっていくそれ。
やがて、全体に万遍無く穴があく。
夜雀は実に満足そうにそれを眺め、一人頷いたりしている。
と、その時である。
「こらぁーッ! あんたあんた、そこのあんたー! 何やってるのよ馬鹿ぁーッ!」
闇夜に紛れた叫び声。何事かと夜雀が顔を上げると、そこには一人の妖怪の姿。
「あ、あ、あ、あんたねーッ! なにそれ酷い! 残酷だわ、残酷すぎるわ!」
夜雀を指差して、わなわなと震える妖怪。夜雀はふと自分の手元を見る。
「あぁこれ? いやね、暇だったからちょっと工作でもと思って」
「酷い……こんな姿になっちゃって、あぁ……」
妖怪は夜雀の声を無視して一気に駆け寄り、奪うようにしてそれを取り上げる。
なにやら物凄く悲しそうだったが、夜雀には何が何だか分からないままだ。
「えっと……何かまずかった? 傘に穴あけたら……」
「当ったり前でしょぉー! この鳥! 雀ぇー!」
紅と蒼の瞳に睨みつけられ、夜雀は盛大にお叱りを受けたのだった。
§
「はぁ……酷い世の中だわ、どいつもこいつもモノを大事にしやしない……」
夜雀はとりあえず、妖怪を一人の客として迎え入れて落ち着かせるところから入った。
今では、がっくりとうな垂れた妖怪が、屋台の席についてひたすらに嘆いている。
先ほど夜雀が完成させた穴だらけの傘を撫で撫でしつつ、完全に意気消沈状態だ。
聞けば彼女は付喪神の一種、いわゆる唐傘お化けだとのこと。
夜雀が傘に串を突き立てているのを見て、思わず制止に入ってきたらしい。
だが間に合わず、もはや傘としては手遅れな状態に陥っている。
それがショックで堪らないのだろう。
「えっと……ゴメンね、知らずに酷い事しちゃったみたいで」
きっとこの化傘にとって傘を壊されるのは、夜雀でいう鳥肉を食べられるのと同じだ。
そう思い至り、夜雀は心から申し訳なさを感じて素直に謝った。
夜雀とて、目の前で鳥を焼いている輩を見つけたとしたら、冷静でいられるか分からない。
「本当よ。もう二度とこんな事しないでよね、お願いだから!」
「うん、もうしないわ」
真摯な態度で約束してくれた夜雀に、化傘の態度が少しだけ軟化する。
しかし完全に許すまではいかなかったらしく、ややきつい視線を送りながら尋ねた。
「それにしても、どうしてこんな事したの? 傘が可哀想じゃない」
穴だらけになってしまっては、傘としての役割を果たせない。当たり前の話だ。
夜雀は若干言いにくそうにしながらも、正直に答えを述べた。
「それで川の中をすくったら、魚とか簡単に獲れないかなぁと思って」
「す、すっごい浅知恵……ッ!」
そんなことの為にこの子はこんな姿にー、と、机に突っ伏してしまう化傘。
夜雀としては割と本気で活用しようと思っていたのだが、それ以上は言い出せなかった。
しばらくの間、悲しそうな化傘をどう扱ったものかとオロオロしていた夜雀だったが。
「……あ、お腹の虫」
「うぅ……悲しんでたら余計にひもじくなったわ……」
化傘のお腹が悲鳴を上げたのを聞いて、夜雀はぱぁっと明るい笑顔を浮かべる。
そして早速、注文も取らないまま串焼きの生産に入った。
ここで化傘の空腹を解消してあげれば、謝罪の効果も見込める筈だ。
「何してるの? 料理?」
いきなり活動を始めた夜雀を、化傘が訝しむように見上げた。
「ここわたしの屋台だもん。お客さんに出すお料理を作るのは当然でしょう?」
対する夜雀は笑顔だ。営業スマイルでもあり、出来る事を見つけた安堵でもあり。
そんな夜雀の姿をしばらく見ていた化傘だったが、やがて慌てた様子で立ち上がった。
「あれ、どうしたの?」
「お客さんって私ッ? ごめんなさい、払えるようなもの持ってないよ!」
既に調理開始されてしまった鰻を見て、逃げるように屋台を後にしようとする。
しかし夜雀はそれを呼び止めて、何故かちょっと凄みつつこう告げた。
「お詫びだからそんなのいいよ! それとも何、わたしの鰻が食べられないとでも?」
「な、なんでちょっと怒ってるのッ? 私が悪いの、ねぇっ?」
足を止めた化傘が動揺した様子で振り返る。夜雀は笑顔を崩さない。
「やだなぁ、怒ってないよ。捌いた鰻が無駄になっちゃうなぁと思っただけで」
「なんか笑顔が怖い……分かったよ、食べてくよぅ……」
トボトボと席に戻ってきた化傘に、夜雀はすかさずお酒を差し出した。
躊躇いがちに手を伸ばし、それを受け取って口を付ける。
ちびちびとお酒を呑み始めた化傘に向かい、夜雀が和やかに話しかけた。
「最後にご飯食べたの、いつ?」
恐らくはまともに食事を摂れていないのだろう。
夜雀がそう考えたとおり、化傘は少し考えてから首を振った。
「覚えてないや。最近はいくら頑張っても不発なの」
やはり、上手く狩りが出来ていない様子。夜雀はからかう様に笑った。
「そっか。お腹が空いてたら、狩りも上手に出来ないでしょ?」
空腹が過ぎれば狩りに影響をきたし、なおさら獲物にあり付けなくなってしまう。
そんな単純な悪循環が思い浮かぶが、その連鎖はここでストップする筈だ。
夜雀が食事を振舞う事で化傘は空腹から解放され、元気に狩りに臨める事だろう。
「あんまり関係ないかなぁ。日々勉強はしてるんだけど、なかなか……」
しかし化傘の反応は芳しくない。何が問題だというのか。
「ちなみに、あなたはどんな方法を使って獲物を狩るの?」
「狩り狩りって言われるとすごく違和感があるけど……こんな感じ」
ぺたり。
首筋にひんやりしたものがくっ付いた気がして、夜雀は後ろを振り返る。
しかしそこには何も無く、首を触っても少し湿った感じしかしない。
不思議に思いつつ前に視線を戻すと。
「うらめしやー」
目の前いっぱいに、大きな目玉と舌が広がった。
さらに続けて、ぺろん、と大きな舌に顔を舐められる。
「……えい」
「きゃああぁぁッ? な、何するの、酷いっ!」
ゆらゆらと鬱陶しい舌に串を突き刺すと、舌の向こうで化傘が悲鳴を上げた。
舌の傷口をさすりつつ、夜雀に抗議の視線を送ってくる。
「あ、つい。ごめんなさい」
「この仕打ち……うぅ、うらめしい……」
顔に残るしっとり感を袖で拭いながら、夜雀は気の無い返事を返した。
化傘は悔しそうに押し黙り、そのまま俯いてしまう。
「そっか、でも分かった。こころ喰いなのね、あなた」
「うん……」
肉を食べるもの、恐怖などを食べるものが居るとされる妖怪。この化傘は後者らしい。
「蒟蒻を使ったびっくり攻撃も、こないだ笑って流されたわ……」
夜雀は串焼きを引っくり返すと、相槌をうつように答える。
「こんにゃく。口にめいっぱい詰め込んだら強そう」
その言葉に驚いたように顔を上げ、化傘が反論に出た。
「そんなことして、死んじゃったら困るじゃない」
「でも、息が出来なくなるなんて凄くびっくりすると思わない?」
人間にとって、いや生物にとって、死に対する恐怖は少なからず存在する。
かくいう夜雀も、死ねと言われたら全力で抵抗するだろう。
単純に、いきなり死ぬ目に遭わせればかなりの驚きや恐怖を引き出せる筈だ。
「そっか! がつーんって窒息させれば、確かに凄いびっくりが私のお腹に……!」
「結局、狩りには違いないわよねぇ。試してみる価値はあるんじゃないかなー」
新たな可能性に気が付いた化傘が、頭の中で何やら算段を立て始める。
んー、と唸りつつ考えること数秒。
「ねぇねぇ」
「なに、どうしたの?」
「どうやって人間の口にこんにゃく詰めようか?」
「ガバッていって、ババッてやって、ガポッて詰める」
「なるほどー」
「あっ、ねぇねぇ!」
「今度はどうしたの?」
「ガポッてやろうとしたら指噛まれる! 痛い、どうしよう!」
「そうねー。ババッとしてから、どんな体勢になってるかによるかなぁ」
「えっとね、ずどーんって押し倒して、こうして、こんな感じで!」
「はいはい、お店で暴れないでね。ほら、鰻の串焼き出来たよー」
結局、鰻の串焼きが出来上がったところで脳内計算は中断されてしまう。
何だかんだで、普通のお腹のほうも空いていたのだろう。
化傘は実に美味しそうに串焼きを食べ、一口ごとに顔を綻ばせていた。
§
「ところでさ。その傘なんだけど……」
物理的なほうのお腹が満たされて、やっと落ち着いたらしい化傘が尋ねた。
夜雀の傍には、例の穴だらけになった傘がある。
「ちゃんと使うよ。使うから許して」
今になって再びこの話題を出されると思っていなかった夜雀が、上ずった声で答える。
化傘は『絶対だからね』と苦笑し、もう怒っていないと態度で示した。
その上で、穴の開いた傘についての質問を続けてきた。
「それさ、そうやって使う為にわざわざ用意したの?」
「あ、ううん。これ元々はお客さんの忘れ物だったのよー」
忘れ物という部分に、ピクリと反応する化傘。
「しばらく置いといたんだけどさ、誰も取りに来なくて。だから私が使おうかって」
客の誰かが忘れていったものには違いないのだが、それが誰かまでは分からない。
夜雀が客の持ち物をいちいち覚えている筈も無く。
ずっと店先で忘れ物アピールをしていたのだが、今の今まで引き取り手が無かったのだ。
流石に長時間放置されすぎだったので、もう要らないのだろうと結論付けたのである。
「そう……こんなところにも忘れ傘、か……」
「たまにあるのよね、傘に限った話じゃないけれど」
物憂げな表情を浮かべる化傘。何となく陰鬱な空気が二人を包み込む。
「あ、いいこと思いついた!」
夜雀がポムと手を打った。化傘がきょとんと見上げてくる。
他に誰が居る訳でもないのに、夜雀はそっと化傘に耳打ちをした。
「……そんなことしていいの?」
「いいの。じゃあ、これからよろしくねっ」
驚いた様子の化傘だったが、夜雀は悪戯っぽく笑って頷く。
「うん、分かった! よろしく!」
化傘も嬉しそうに声を弾ませて、頷き返して見せた。
その後、二人はひとしきり話し合った後、揃って上機嫌で別れたのだった。
§
「毎度~……あら?」
いつものように気紛れで屋台を出し、焼き鳥撲滅運動に勤しむ夜雀。
客を見送る夜雀は、背後になにやら違和感を感じて振り返った。
そこに無い筈のものがある。どうやら、先程の客の忘れ物のようだ。
忘れ物と見るや否や、夜雀は屋台の裏に置いてあった一本の傘を取り出した。
そしてその傘を広げると、忘れ物を括りつけてポンと空に放り投げる。
風に乗って何処かへ飛んで行く傘と忘れ物。
それを見届けてから、夜雀は屋台の仕事へと戻った。
「はぁ……減らないなぁ、忘れ物」
思わず独り言が漏れてしまう。
あの日に取り決めた段取りが、知らず知らずのうちに脳裏を過ぎっていく。
忘れ物をしたお客さんに、忘れ物のうらみを思い知ってもらおう。
それこそが今回立てた作戦の趣旨だ。
その為に夜雀は忘れ物に目を光らせるようになり、発見次第、連絡をするようになった。
先に飛ばした傘がそうだ。あれは使い魔のようなもので、化傘の元まで飛んでいく。
そうして連絡を受けた化傘が、忘れ物をした客の後を追ってめいっぱい驚かすのだ。
忘れ物も返せるし、驚かされた相手は今後、忘れ物に注意するようになるだろう。
相手は屋台のお客さんなので、本当に窒息させてしまわないように念も押しておいた。
これで、屋台にとって不要なものが置き去りにされにくくなるし、化傘のお腹も満たされる。
まさに一石二鳥……もとい、二人とも得をする作戦である。……あったのだが。
作戦開始からしばらく経ったとある夜。
悲しそうな化傘が屋台に顔を出したのは言うまでも無い。
あれ?公式の夜雀ってミスティアだけですよね?
たしかにあの羽は藍しゃまの尻尾のつぎにもふもふしたいものですね。
割烹着だと尚良し。
何だか。ほのぼのしました。
しかしこんなSS書けるなんて作者さんすごいなーあこがれちゃうなー