Coolier - 新生・東方創想話

あやとあきゅうの物語

2010/03/21 16:38:26
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「お母様、お早う御座います」

屈託の無い笑顔でお辞儀をする少女、稗田阿求。
見た目は十代になったばかりの子供といった所か、その表情は喜色に満ち、陰りは無い。
その阿求は今、向かい合って座っている少女をお母様と呼び、一度呼んでは嬉しそうに顔を綻ばせていた。

「あややや…これはどうしたものでしょうか」

一方、お母様と呼ばれている少女、射命丸文は、阿求の様子にほとほと困り果てていた。

一言で説明してしまえば、文は阿求の母ではない。
阿求は人間の少女であり、文は妖怪の少女である。 その繋がりに血縁なんて大層な物は無く、ただの新聞記者と取材対象程度のものだろう。
勿論、義理の母親だとか育ての親という事も無い。
それであるのに、阿求は文の事をお母様と呼び、何の疑問も抱かず懐いている。

しかし文の方にその気は無いのか、この状況をどうにか回避出来ないものかと必死に思考を巡らせていた。






事の発端は、今朝にまで遡る。






「んん……」

幻想郷の朝は、静謐で清々しい。
雲ひとつ無い青空と豊かな自然は、目が覚める事を喜ばせる力を持っている様にも思える程である。
ここ、人里一の屋敷である稗田の当主、阿求の朝も、澄んだ空気と寝ぼけ眼と共に在った。

「……?」

ただ、その表情は曇り空の様であったが。
寝巻きの袖で目を軽く擦り、白く靄の掛かった様な映像を思い浮かべては、一人首を捻っている。

「おかしい……確かに見たと思ったのに」

少し冷たい朝の空気を感じて、漸く思考が回り始めた様だ。
空を翔る鴉天狗の影も、屋敷の何処かで使用人の転ぶ音も、今の阿求に届く事は無いだろう。

阿求の興味は、この日見たはずの夢に向いていた。

求聞持の能力を持つ阿求は、一度でも『見た』夢ならば忘れる事は無いと思っており、事実その通りに記憶出来ている。
どんなに楽しい夢も、どんなに苦しい夢も、覚めてから忘れた事など一度たりとも無かった。
そのせいで、一日憂鬱な気分で過ごした事もあるのだが。

「………ん?」

見渡す青空の端に、
そちらの方を注視してみれば、空で鴉天狗が巫女らしき人物と弾幕勝負を繰り広げていた。
何か揉め事でも有ったのだろうか、巫女の方は随分と本気で鴉天狗を退治しようとしている様だ。
いくら空とはいえ人里近くで弾幕勝負をされるのも迷惑なのだが、戦闘系の力を持たない阿求には二人を止める手立ては無い。
とりあえず流れ弾に当たらないよう、踵を返して屋根の下に戻ろうと足を進める。


「えっ?」

直後に阿求の周りに響く、風を切る猛烈な音。
それに阿求が気付いた時には、彼女の視界は天地をばらばらに映し出していた。
後頭部に走る激痛と衝撃は、華奢な阿求の身体を軽く吹き飛ばし、畳の床に身体を叩き付けさせる。


状況を把握する間も無く、阿求は意識を手放した。





それから暫くして。






「…何か弁解しておきたい事は有るか?」

稗田の屋敷の一室に、不穏な空気が流れる。
部屋の中央には一組の布団が敷かれており、今だ意識を失ったままの阿求がその中で横たわっている。
その布団を囲う様に、医者、事の原因である二人、そして里の守護者が会していた。

「無いなら続けるが、お前達は自分の行いをしっかりと分かっているのか、知りたいものだ」

その内、里の守護者である上白沢慧音は、事の原因である決闘中だった二人、博麗霊夢と射命丸文に言葉を続ける。
普段は温厚な彼女でも、里の有力な家系、それも稗田の当主が被害者とあっては、怒りを静かに露にせざるを得ないで居た。
幾度も転世を繰り返し、その身体と寿命を弱めながらも後世へと知識を伝えている阿求は、
例え弾幕勝負の流れ弾だとしても、下手をすれば命に関わりかねない。

「特に今回は容態が危なくなり過ぎた。 命に別状は無い様だが、お前達にもしっかりと反省と償いをしてもらうからな」

慧音の説教を、二人は黙って聞き続けている。
流石に自分に非が有ると分かっているからか、霊夢も文も俯いたままだった。

「どう償わせるかは本人にも話してみるが、とりあえず反省の正座十時か………ん?」

微かな呻き声と布団の擦れる音がして、慧音の言葉が止まる。
その場に居る全員がそちらの方を向いてみれば、阿求が横になったまま身体を捻り、伸びをしている所だった。

「んん………あれ? 私……」

目を覚ました阿求は、自分の置かれている状況に戸惑っている様子だった。
何せ、突然弾を当てられたと思ったら、4人の人妖に囲まれて眠っていたのだから混乱していても仕方が無い。

「ほら、二人とも謝るんだ」

慧音が霊夢と文に指示し、阿求もその二人の方に向き直る。

「…ごめんなさい」

先に頭を下げたのは霊夢の方だ。
普段は我関せずを地で行くような態度だが、こういう時は礼儀を忘れない辺り、人間なのだろう。
それに対して文は、普段から謝る事が無かったせいか、固まったまま動かなかった。

「ほら、文も謝るんだ」

僅か数秒遅れた程度で、慧音は文を叱咤する。
せっかちは嫌われる、と言わんばかりに慧音を横目で見て、文も阿求に向かって頭を下げた。

「あや………」

阿求の小さな呟きが、その場に居た全員だけの耳に届いた。
文の名前を呼び気の抜けた表情で見つめる阿求。

「あや……お母様?」


は?  と、部屋の空気が捻じ曲がった方向に止まった。






そして、時は今に至る






「当たり所が悪かったのかなぁ…」
「いやいや、そんな暢気に考えないでくださいよ」

阿求の興味を一身に受け、文はたじろいでいる。
霊夢のとどちらの弾が当たったのかは分からないが、少なくとも危害を加えてしまった人間に優しい視線を送られては、流石の文も心苦しいのだろう。
その笑顔に裏が無い分、良心が傷む。

「八意先生、これは一体…」
「恐らくだけど、強い外傷による一時的な健忘…つまり、記憶喪失みたいなものかもしれないわ」

永琳の診断は、それに尽きた。
精神的な異常の診察は、例え永琳の知識を以ってしても確信までは辿りつけないからだ。

「主な原因は頭部への外傷、この場合は弾幕なのだろうけどね」
「あやや…結構な大事になってしまいました」

人里の有力者、それも求聞持の能力を持つ稗田の当主が記憶喪失という、何とも形容し難いニュース。
当然そんな美味しいネタを見逃す程甘い新聞記者が居るはずも無く、

「…分かっているだろうな、鴉天狗」

釘を刺されて肩を落とす。

「わ、分かってますよ。 私だって自分が犯人の事件なんて記事にしたくありません」
「あれ、そうだったっけ?」
「そうですよ!」
「いや、それもどうかと思うんだがな……」

射命丸文、清く正しく裏の取れた面白い記事のみを書く事をモットーとしている鴉天狗。
もっとも、自分に得の有る事だけではあるのだが。

「記憶喪失の件については、暫く経てば自然に回復すると思うわ。
阿求さんの場合、全ての記憶を失ってるという訳じゃないから、日常生活も問題無いわよ」
「そうですか……有難う御座います」
「こればかりは薬で治るものじゃないから、私の出る幕じゃないわね。
それと、出来るだけ落ち着かせてあげる事」

精神安定剤と睡眠薬、という二種類の錠剤を慧音に手渡し、永琳は一礼してすぐに屋敷から出て行ってしまった。
次の患者が居るという事で、誰も引き止める者は居ない。



「…それで、どうしましょうかこの状況」

今だに阿求の視線は文を捕らえて離さない。 表裏の無い笑顔もそのままだ。
きっと阿求は、文の事を本気で母親だと思っているのだろう。

「とりあえず、記憶が元に戻るまでお前が面倒を見るべきだろうな」
「な、何で私が!?」
「聞くまでもないでしょ、どう見たって」

子供には母親が居てあげるもの、と雰囲気が文に訴えかけている。
当然勝手に母親扱いされる文にしてみれば、たまったものではない。

「とにかく、今のこの子はお前の事を母親だと信じ切っている」

慧音はその言葉に始め、文が適任であるという考えを伝える。

稗田家は先代の記憶の一部を引き継ぎ、幻想郷の歴史を記録する家系である。
その中で、阿求の一つ前の世代は、文と読みを同じくする阿弥という女性。
今回の記憶への障害が先代の記憶と混同させ、あやという人物が阿求の親であるという認識が刷り込まれてしまったのだろう。

「そこまでいくと記憶の混乱、パニック状態の様なものとも考えられるな。
だから阿求が落ち着くまでは、一番心を許しているお前が面倒を見てやるべきだと思うぞ」

何処か納得がいかない絵空事の様な説明、だが文にその理論を覆す考えは無く、非が有る以上断る事も出来ない。
もっとも、この説明が無くとも文と霊夢に解決の手伝いをさせるという魂胆が慧音には有ったのだろうが。

「ふ~ん…それじゃあ、後はよろしくね」

非情にも立ち上がり、踵を返す霊夢。

「……大丈夫よ、ちゃんと私も此処に居るって」

歩みを始めた霊夢の脚に、文が縋り付きかけている。
何がそこまで彼女の自信を無くさせるのだろうか。



「すまないが、私は寺子屋の方に行かなければならない。 何か有れば呼んで欲しい」

結局霊夢とは別室で待機し、部屋には文と阿求の二人だけが残る事になった。
文としては非常に不本意な結果ではあるが、当の阿求がそれを望んでいた事が分かり、その後は流れる様に決まったのだ。

「それと、一応この事は他言無用にしておいて欲しい。 あまり広まっては碌な事にならないからな。
―――そこに居る者達も、頼んだぞ」

誰に向けるとも無く慧音は声を大にして言う。
直後、閉じた襖の向こうからパタパタといくつもの足音が聞こえて来た。

「主思いなのは良い事だが、流石にこれくらいは言っておかないとな」

どうやら、屋敷の女中が何人か聞き耳を立てていたらしい。 足音は慌てて逃げたからか。
きちんと話は聞こえていたと分かり、慧音は外を気にせず続ける。

「それじゃあ文、後は頼んだぞ」
「頑張ってね、文」

とても心の篭った人任せを受け取って、文はがっくりと項垂れる。
その隣では、ついに布団を抜け出した阿求が笑顔でちょこんと座っていた。



きゅるる



部屋に二人取り残された後、不意に阿求のお腹の虫が鳴る。
それもそのはず、阿求は朝起きてすぐに弾幕決闘の流れ弾に当たり今の今まで意識を失っていたのだ。
今は日も高いお昼時、本人に何が有ろうと正確に働く体内時計はお昼ご飯を求めている。

「…それじゃあ、お昼ご飯食べに行こっか」

ぎくしゃくとしながら、馴れない母親染みた言い方で阿求を昼食に誘う。
文の身体を変な汗が伝う。 阿求が元に戻るまでこれが続けられると思うと、何の罰ゲームかと愚痴を吐きたくなる。

「はいっ」

それも、阿求の元気な返事一つでどうでも良くなってしまうのだった。





文が屋敷の女中に一声かけると、たちどころに昼食の準備が整った。
稗田家は何故かとても裕福だとは知っていたが、普段の阿求の生活が垣間見えて、羨ましくなる。
それと同時に、その特権を自分が自由に扱える今の状況を、楽しんでも居た。

「稗田の当主、文です。 ――なんて」

稗田家の当主の母親、といえば稗田の当主だと言えるだろう。
少なくとも、普通ならば。

「私は御阿礼の子じゃありませんしね」

傍らの阿求を見て嘆息し、一人呟く。
稗田の当主は世代に関係無く御阿礼の子が受け継ぐというしきたりが有る。
すなわち、生まれてから死ぬまで阿求が稗田の当主とされており、それに例外は無い。

「?」
「あ、ああ、何でもないわよ」

目の前の幼子が稗田の当主だと思うと、なんだか可笑しく思えて来る。

一時的な阿求の母親役も、意外と悪くないと、文は感じ始めている。
一日稗田の当主を楽しめるし、阿求の変わった一面も見られて、色々な考え方を教えてくれる。
阿求には悪いと思ったが、文は今の状況に興味が湧いて来ていた。
記者としての眼を養う、良い機会だからだ。



昼食は文と阿求の二人だけで、言葉は少なくとも和やかに進んだ。






無事に昼食を終えて、食後の読書の時間。
元々聡明な阿求は本を読み解くのも天狗顔負けの速さで、普段から書く方に徹していた文の方が困っていた。
それでも鴉天狗の意地で、本の内容を基にした創作物語を聞かせてあげると、阿求は興味津々に聴いてくれる。
やはり子供というものは、素敵で幸せな物語が好きなのだろう。
少し自信を取り戻した文の話す物語は、終始それを意識していた。

「――そうして新しい家を見つけた光の妖精達は、神様の力を貰って世界平和の旅に出ました、とさ」

史実を基にした創作物語、所謂捏造は天狗の得意とする所だからだ。


次々に広がる物語の世界を、阿求は眼を輝かせて聴いている。
しかし、文が本を閉じた事でお話は終わりだと思ったのか、少ししょんぼりとしていた。

「…もう終わりですか?」

既に十作近くの物語を聴かせても、阿求の興味はまだまだ物語を欲している様だ。
手元に有る本は全て読んでしまったし、古い表紙の本は文にも理解出来ない所が有る。
このままでは新しい本が来ない限り、物語の根っこは広がる事は無い。
それならば、文の取るべき行動は一つ。

「それじゃあ、とっておきのお話にしましょうか」

捏造とは、姿を変えた事実を作り上げる事であり、物語の中で新たな世界を創り上げる事でもある。
たった一枚の写真からでさえ記事を書く事の出来る鴉天狗にしてみれば、造作も無い事。
文自身も乗り気になってきたのか、既に読み終えた本をもう一度手に取り、パラパラと適当に捲る。

「はいっ!」

阿求が期待に眼を輝かせている。 そのわくわく感が文にも伝わって来る様だ。
新しい本が無ければ、自分で捏造する。 新聞記者の魂が、文を震え上がらせる。

そのまま創造に想いを乗せて、文は本に書かれている言葉を噛み砕き、捏造という名の物語を話し聞かせる。


「次は…そう、大鯰と要石の友情物語ね」

阿求は首を傾げた。






「ふう……子供の相手も大変です」

そうして午後をのんびりと過ごす事数刻、既に東の空に軽く赤みが差し始めている。
元の部屋に戻った二人、その片割れである文はもう一人に聞こえないよう小さく呟いた。
相変わらず阿求は文にべったりで、トイレの時以外は殆ど片時も離れようとしなかった。
あっちへ行けば一緒にトコトコ、こっちへ行けば後ろをトテトテ、雛鳥のように文の後を付いて歩いて来る。

「ですが、慣れてしまえば可愛いものですねぇ」

これもまた、誰にも聞かせない文の独り言。
子育ての経験の無い文にとって、自分を親の如く慕ってくれる今の阿求は、まるで自分の子供の様に可愛く感じられる。

足を伸ばして畳に座り、膝の上に阿求を乗せてのひととき。
座ったり、手を置いてみたり、頭を乗せて寝てみたりと、阿求は文にじゃれつく様に寄り添っている。
無防備に文に心を許す阿求とそれを愛でている文は、傍から見ればどの様に映るのだろうか。

そうして割と母親を満喫している文は、阿求を背中に纏わり付かせて、『母親』について考えていた。





幼子ですら生命力や妖気に満ち溢れた妖怪とは違う、何の力も持たない人間の子供は比べるまでも無く脆い。
妖怪の手にかかれば寸瞬の間にその命を落とす事だって、幻想郷では全く無いという訳ではない。
それでも我が子を守るのが『母親』であると、文は考えていた。

種族の維持の為、というのが本能だろう。 それは大抵の動物に当て嵌まる事であり、人間も例外では無い。
しかし、子を成す妖怪は奔放に生きる頑丈な子供を放っておく事も少なくない。
子を成す妖怪そのものが殆ど居ない以上、滅多に妖怪の親子関係というものは見られないのではあるが。

「…私は人間を襲う側だから、何にも分からないんですよね」

捏造ですら記事に、言葉に出来ない自分に、文は人間と妖怪の違いを視た。



「そうね、分からない方が良いわよ」

もう一つの声が、文の背後から聞こえて来た。
振り返るまでも無い。空気すら瞬時に変える冷たい妖力と声、胡散臭さ、そしてこの奇襲性。
一度でも経験の有る者なら誰もが深く心に刻むであろう、八雲紫がいつの間にか文の後ろに座っていた。

「ごきげんよう」
「なっ、何ですかいきなり!?」

背後を取られたままでは不利だと、文は一歩飛んで振り返る。
ひしっ

「あら、御阿礼の子が非常事態だというのに、お見舞いくらい良いでしょう」

いつもの日傘は見あたらないが、右手に持った扇子を広げて紫は微笑む。 裏しかない笑顔はいつも通りだ。
見舞いに来たという割には物々し過ぎる様相が、文の警戒心を高める。

「悪いとは言いませんが、もう少し和やかに来れないものでしょうか」
「だって、怪しげな事を考えていそうだったんだもの」

ちらりと部屋を一瞥し、紫はあっけらかんと答える。
不穏な事。 少なくとも自分が考えている中にそれらしきものは無いと文は言い張れる。
ただそれを言った所で紫は聞いてくれないだろう、たまに文自身も知らない理由で糾弾されるのだから。

勿論、言葉をそっくりそのまま返したかったが、阿求の手前余計な面倒事は避けた。

「気付いていないかもしれないけど、その―――」

そして、紫が次の句を口に出す前に、その身体が猫の様にぷらんと持ち上げられた。

「はいはい、邪魔だから帰りましょうね」
「ああん、痛いわ~霊夢」

何処からとも無く現れた霊夢に襟首を掴まれ、ずるずると退場していく紫。
対紫において非常に重要な戦力である霊夢が別の部屋で待機しているという事を、文はすっかり忘れていた。
もしかして、この為に待機していたのではないかと思うくらい適役だ。

「お見事です、霊夢さん」

巫女にも責任感は有るのだと、文は心の中で書き加えておいた。





二人が出て行った襖が閉まり、部屋には文と阿求だけが残される。

「はぁ……一体何だったんでしょうか」

随分な大物が現れたと思えば、数分もたずに退場していってしまった。
阿求のお見舞いだけでなく文にも用事が有りそうな様子だったが、当事者が強制退去された今となっては確かめ様が無い。
とりあえず、文は心の中で霊夢の評価をもう二段階ほど上げておいた。

「………」

そこで、文は自分の脚にしがみついている阿求に気付いた。
紫から一歩間を空けた時に阿求の傍に寄っていたらしく、阿求は文の脚にしがみついて離れようとしない。
八雲紫の威圧感を目の前にしてそれだけで済んだのなら、十歳ちょっとの少女としては上々と言えるだろうか。

紫が居なくなったと分かり、阿求は文の脚から離れる。
しかし文の傍から離れようとはせず、殆どくっつくくらいの所に座っている。

「それにしても…これが本来の阿求さんなのでしょうか」

もしも阿求が御阿礼の子として生まれていなければ、こんな少女に育っていたのだろうか。
物心ついた時より稗田の当主として過ごしてきた以上、誰も純粋な子供としての阿求を見てはいないのだろう。
だからこそ、感情のままに行動している今の阿求が、余計に小さく見える。
それこそ、文が『射命丸文の娘』という全くの別人として、考えてしまいそうになるほど。

「っ………!」

唐突に、阿求が頭を抑えて顔をしかめる。
今の阿求に夢を見ていた文は、その瞬間現実に引き戻された。


「大丈夫です……すみません」

無理矢理な笑顔で、阿求は気丈に振舞う。
心配させまいと頑張る阿求を余所に、文の心は別の方を向いていた。

八雲紫を見て思う所でも有ったのだろうか。
記憶の混乱を治すトリガーを引く様に、阿求の頭は悲鳴を上げる。
もしもそれが文の予想通りだとしたら、もうすぐ阿求の記憶は元に戻ってしまうのではないか。


「大丈夫?」

娘を抱き寄せて、そっと膝に頭を乗せて寝かせる。

相も変わらず真っ直ぐな笑顔が、文には心苦しかった。

今の阿求は本物ではない。 脆い人間の子供より遥かに、儚い。
それが『射命丸文の娘』、阿求である。

妖怪は妖怪、人間は人間なのだと、文の心に否応無く刻み付けられる。
今の阿求にしても、遅いか早いかの違いでしかない。
ほんの僅かな時間の仮初の関係では、到底本物にまで至る事は出来ないと。
他者の命を軽んじる妖怪では、絶対に図り知る事は出来ないのだと。

「…本当に、人間は面白い生き物です」
「?」

娘の頭を撫でて、文は惜しむ。

今の頭痛が兆候なのかという予感が文の脳裏を過ぎる。 阿求が今の阿求で居られる期間はそう長くは無いのかもしれない。
もしかしたら、次に目が覚めた時には夢からも覚めているのかもしれない。
夢から覚めてしまえば、それが娘との別れの時だ。

「う~ん…ちょっと勿体無いですね」

文の率直な感想は、それだった。
今の阿求の姿は、それだけで号外を一部纏めるだけの価値と話題性が有るだろう。
それに、こうして精一杯頼られるというのも悪くない、むしろ嬉しいとも思える。
だから、文は娘と別れる事に一抹の寂しさを覚えていた。

我が子を失う親の気持ちはこういうものなのだろうかと、文は思う。
一緒に、それが感情の贋作なのだとしてもと心の中で付け加えた。

「でもやっぱり、可愛いものです」

いつの間にか膝の上では、娘がすやすやと寝息を立てていた。
文の気持ちを知らず、母親に見も心も預けて眠りに付く娘。
その安らかな寝顔を見つめているだけで、何処までも優しい気持ちで居られると、文は思った。
それが何故なのかは、結局分からないままで。






娘の最期の時まで、文は夢を見続けていた。








阿求は、自分の寝室、愛用の布団の中で目を覚ました。
身体を起こして周りを見てみれば、傍らで切なげな顔をして見守っていた文が、一人座っているだけ。
見慣れないお客さんだが、阿求は別段驚く事も無く笑顔で話しかける。




「私だって、たまにはそんな夢を見たって良いでしょう?」



彼女の見た夢物語は、彼女の眼にいつまでも残り続けた。



 
「それにしてもあの時の阿求さん、年齢未満の可愛さでしたよ」
「記事にしたら載せますよ」
「分かってますよ。 それに、もっと良いネタが手に入りました」
「ネタですか?」
「ええ、『母は強し』の記事は女性の方々に好評でした。
記事内容は想像でしたが 」
ライア
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コメント



0.810簡易評価
13.100名前が無い程度の能力削除
文と阿弥…なるほど
妖怪である文が考える『母親』がどういうものだったのか、記事を読んでみたいもの。
記憶喪失ネタでほのぼのというのは珍しい気がしました。
面白かったです。
15.90ずわいがに削除
記憶の混濁と精神の退行。それに接して妖怪である筈の文が「母親」というものについて考える。なるほど。
それにしても文と霊夢もちゃんと注意しなきゃよね;www
16.90名前が無い程度の能力削除
あっきゅんの可愛さは異変レベル
17.100名前が無い程度の能力削除
心に迫るものがあった