星降る夜。
恋人と愛を語らいながら、流れ星に思いを馳せる。
星の尻尾が消えるうちに、三回言葉を繰り返せば願いが叶うと信じて。
少女は祈り、心の中で呪文を唱える。
広いテラスの中で、白いテーブルに腰を下ろし読書を楽しむ。
そんな想い人の横で、黒と白の使用人用の衣装を着た少女は、羽を揺らしながら胸の前で手を組んだ。
神様、と。
種族からして、神様に頼むなんて馬鹿げているとは思う。でもこの状況で救いを求めるなら、魔王ではない気がしたから。
少女は一度、濃い紫色のネグリジェのような服を着る想い人に、ほんの少しだけ瞳を向け。
再び空を見上げて、ゆっくりと目を伏せた。
叶わぬ想いとは知っている。
それでも、ただ心の中で叫んでいても、何も解決しない。
でも、瞳を開けたら世界が変わっていて欲しいと願う贅沢な自分がいた。
自分が何もしなくても全てが好転していて。
瞳を開けたら、晴れ渡る夜空が広がっているような。
視界を曇らせるものがない世界を少女は願う。
願い、瞳をもう一度開けた。
そして、落胆する。
ああ、やっぱり世界は何も変わらない。
何もしていないから当たり前で。
たぶん状況は悪くなっているだけ、でも、気づけない、気づこうとしない。
そんなどうしようもない中で、少女は。
視界の中で流れる星に向かって口を開く。
「誰か助けて! 誰か助けてっ!! 誰でもいいから本当に助けてくださぁぁぁぁい!!」
晴れ、ときどき、星。
彼女の視界の中で、どんどんと大きくなる。
流星――いや、隕石に向かって、少女は声を枯らせるほど泣き叫んだのだった。
その数十分前――
最初に気づいたのが門番の美鈴と、少し遅れてパチュリー。
気と魔力で敏感に感じ取った二人が異常を咲夜に伝え。
そこからレミリアも運命で知る。
「なんか、落ちてくるらしいよ。隕石ってやつ」
レミリアにそう断言されたらもう、どうしようもない。
それから各々できることをやろう、と決意したはいいのだが。よく考えるとレミリアとフランドールくらいしかこの状況を打破できないので、他の者はとりあえず通常業務を続けていた。
空に浮かぶ星は、まだ月よりも大分小さく見えるが。
それが紅魔館を目標としているのだから、恐ろしい。
咲夜はその大きさを目で確認するために、門のところまで移動し美鈴の横に立つ。
「星降る夜に、本当に星が向かってくるなんてなんて気の利いた冗談かしら」
「私も若干目の前に星が飛んでいるんですが、複数」
「あら、私は一つしか見えないわよ?」
何故かふらふらと足元がおぼつかない美鈴の横で、冷めた口調の咲夜は丁寧にナイフを服の中に仕舞い込んだ。もちろん使ったばかりの。
「そうですねぇ、咲夜さんがもう少し私に優しければ一つで済んだと思うんですが」
「勤務時間中にサボる人がいるおかげで、ナイフの手入れに必要以上の時間が掛かるのだけれど」
「んー、これは難しいですね。お互いの意見が平行線っ――はい、ごめんなさい、調子にのりました。できれば首にナイフを押し付けるのはやめて欲しいと思うんですよ、ええ。何か冷たい感触が恐怖心を煽るといいましょうか」
「なら、減らず口を叩かずにこの状況をなんとかする方法を一つくらい考えなさいな」
パチュリーの目算では、あの空に見える隕石は紅魔館よりも少し大きいくらい。
まだ手をかざせば隠れてしまいそうなのに、それだけ巨大なものらしい。
そんなものが地表に落下すればどうなるか。
生卵のように黄身と白身をぶちまけて終わり。
なんてことはありえない。
隕石が弾ける前に幻想郷の地面が弾けとぶ、もちろん紅魔館ごと。
だから逃げるだけ無駄、とのことらしい。なので優雅にテラスまで出て、小悪魔と一緒にその光景を眺めにいくそうだ。
最後まで知的好奇心を抑えられない。
それが魔女の本質というもの。
「どうせ、レミリアお嬢様の運命と、フランドールお嬢様の破壊の力でなんとかするしかないでしょうしし。それで何もできないようならお手上げというところですね」
「……それがね、問題なのよ」
「問題って、魔力が足りないとかですか?」
「いえ、お嬢様に確認したら、パチュリー様に頼ればなんとかなるとのことなのですが。問題の破壊を担当する妹様が、ね」
「力不足? ですか?」
「いえ、そうではないのよ」
何か言い難そうにする咲夜の様子を不思議そうに眺める美鈴だったが、何かを思い出し。
はぁっと大きくため息を吐いた。
力の以外の原因があるとすればそれしかないのだから。
「……まさか、夕方の?」
「ええ、そのとおりよ。プリンの大きさが違うというあのケンカを引き摺ってね。お姉様になんか協力しないって」
「プリンが原因で崩壊……」
そんなことになると、きっとこんな感じで史実に残るに違いない。
紅 美鈴。
十六夜 咲夜。
両名とも紅魔館で吸血鬼姉妹に長く仕えた。
死因:
①隕石とプリン。
②姉妹ケンカ。
③主にプリン。
意味がわからない上に、恥ずかしいし。
後世には絶対残したくない。
「では、フランドールお嬢様にこう伝えていただけますか? 『隕石を破壊してくれなかったら、明日から弾幕勝負で遊ばない』そう私が言っていたと。咲夜さんの口から」
「あなたが直接言えば?」
「そうしたいのは山々なのですが、少しずつ隕石が大きくなっているような気がしますし。時間を止めて移動できる咲夜さんが動いた方がいいでしょう? レミリアお嬢様の次にフランドール様が信頼している人が伝えたほうが、効果も高いでしょうし」
美鈴の言うとおり。
隕石は段々と大きさを増していた。
「本当ならこういう異変は大妖怪のお方が解決するべきだと思うんですけどね。こうやってすごく大きな隙間を開いて、ぱくって、レミリアお嬢様に任せるよりも確実では―― あいたっ」
「紅魔館において、お嬢様を疑うようなことを言ってはいけないのよ」
「うう、手を抓らなくてもいいじゃないですか。それに疑ったのではなくて、適正が高い人に任せた方がいいかなって。ほら、あの鬼とかでも止められそうな気がしません?」
「そのときは、そのとき、よ。助力は受けておいて損はないでしょう? まあお嬢様のプライドは傷つくかもしれないけれど。さて、無駄話をしていられる状況でもなさそうね」
「はい、いってらっしゃぁい」
「あなたも、もう少し緊張感を持ちなさいよね……」
ぶんっと。一本のナイフを美鈴に投げ捨ててから、咲夜は姿を消す。
美鈴はそれを右腕の人差し指と中指で掴んで難なく止めた後、その持ち手のところに紙が巻かれているのに気が付いた。
それを何気なく広げてみると。
美鈴へ――
もし、何かあったら私がレミリアお嬢様と妹様。
そしてパチュリー様と小悪魔を時間を止めて逃がすつもり。
でもそれが限界。
あなたを連れに戻っている時間はないから。
あなたは今のうちにできるだけ遠くにお逃げなさい。
レミリアお嬢様には私から伝えておくわ。
――咲夜より
「ふむ、これは最近噂の、デレた。というやつでしょうか。つまり咲夜さんは私に気が――」
「……呼んだかしら?」
「イエ、ゼンゼン?」
ぼそり、とつぶやいた瞬間、後頭部に当たる硬い感触。
後頭部にナイフを突きつけられながら。美鈴は引きつった笑みを浮かべ、ぷるぷるっと首を横に振る。すぐレミリアのところに向かったと思ったのに、聞き耳を立てていたとは。美鈴は万歳した状態でぶんぶん手を振り、無抵抗であることを表現する。
「ぼ、ぼーりょくはんたーいっ! わ、我々労働者は平和的解決を望みますよっ、割と本気でっ」
「このナイフを押し込んだら、少しは平和になると思うわよ。私の心という世界で」
「あ、ほらほら、私なんか構ってる場合じゃないですって! 急いでお嬢様を説得しないと! ね!」
「……後で覚えてなさいよ」
咲夜は、ナイフの柄で軽く美鈴の頭をコンっと叩き、再び気配を消す。
そんな気配が完全に消え去ってから、美鈴は帽子を深く被りなおし。
いつもと同じように門に背を預けた。
いつもと違うのは、異質なる巨大な流星がそこにあること。
でも、彼女が命じられたことは何も変わらない。
彼女は守るだけ、この屋敷を、この門を。
「後が、あればいいですけどね」
まるでそこが自分の居場所だと主張するように、美鈴はこつんっと固い壁に握り拳をぶつけた。
◇ ◇ ◇
「……んー、なるほど。やはり魔力的な何かがあるようね。あの隕石は呪いか何かでここを正確に狙っている。魔力の糸のようなものを感じるわ」
「ぱ、ぱちゅりぃ、様、にげましょう! 逃げましょうよ」
「こんな技術はこちらの世界にはない、なら過去の遺物? それとも月からの侵略兵器か。考察することしかできないのは腹立たしいわね」
「うわぁぁん、逃げようっていってるのにぃ! どうしてパチュリー様は危機感とかないんですか! 引きこもり過ぎてなくしちゃったんですか! この、万年家事手伝い!」
「落ち着きなさい、こぁ。だから逃げ場なんてないと言っているでしょう。それと、今、あっさり暴言吐いたわね?」
パチュリーが座る椅子をガタガタ揺らし。少しでも空から迫る恐怖から逃れようとする。
そんな小悪魔の行動は間違ってはいない。生き延びたいというのは当然の感情だ。その生存本能と言われる衝動に似た感情により、肉体的な限界を超えた力を出すこともある。しかしそれを逃げに使ってはいけない。
パチュリーの計算では後数分程度であの隕石はこちらに落下するのだから。
その数分間でここを離れたとして、周囲にばらまかれる膨大な力の流れからは逃げようもない。故に、今は少しでも魔力を残しておく必要があった。空を飛ぶ分を捻出するなど、勿体無い。今行っていいのは力を使わない無駄な行動のみ。
「あなたの魔力も借りる予定だから、大人しくする」
「別に貸してもいいですよ! でも、それで本当に助かるんですよね? ねぇ?」
「……さぁ?」
「さぁ? じゃ、ないですよ! こ、こうなったら! パ、パチュリー様! 不肖小悪魔、最期の思い出作りを!」
「はい、『バインド』」
妖しく小悪魔が瞳を輝かせた瞬間。
パチュリーは地面を指差して魔力を込める。すると、テラスを構成していたレンガや木製の板が次々とはがれ、小悪魔を床に束縛していった。
「く、は、はなせぇっ! はなせぇっ!!」
「往生際が悪いわよ、大人しく時を待ちなさい」
「あ、そ、そうだ。魔法! 魔法使わないようにするってさっき言ったばかりじゃないですか!」
「最優先事項が自分自身の安全だもの」
「うう、パチュリー様のエゴイスト……」
最期の希望(?)すら遂げられず。
小悪魔は大の字で床に固定されたしくしくと涙を零す。
「残念ね、魔女というものは少なからずそういうものよ。それとね、私は分の悪い賭けはしないの……だって、ねぇ?」
パチュリーが屋敷の方を振り向いた直後。
ばたんっ とテラスに続く窓を荒々しく開け一つの影が踊り出た。
漆黒の翼を広げ、紅の瞳を輝かせ。
ただ不敵に笑う。
もう、彼女の住まう屋敷へと向かってくる隕石など、まるで意に介さぬように。
ただ二人を見落ろし、自身満々に声を上げる。
「ふふ、魔と名のつく者よ。打ち震えるがいい! 血を滾らせ、力欲しろ! このレミリア・スカーレットの名の元に!」
その名乗りを聞いただけ。
それだけで、床に縫い付けられた小悪魔の瞳が赤く輝き。小刻みに震え始める。
恐怖ではない。
武者震いで。
この幻想郷において隕石を止める。そんな偉業を成し遂げられるかもしれない感動で。
悪魔の眷属として血が騒ぐ。
そんな、同属すら魅了するほどの力を持つ。古代種の親友を見上げて、彼女は静かにつぶやいた。
「だって運命は私たちとともにある。これほどの切り札はないわ。それに……」
ばさりっと。
風が鳴る。
パチュリーの言葉を無理やり途切れさせたのは。本物の風ではない。それは暴力的名魔力の流れ。一人の、歪な羽を持つ少女による喜びの魔力。
全力に近い状態で開放した彼女の力を防げるものなど、この世にいないだろう。
「壊していいのねっ! あんな大きなものをこの手に掴めるなんて、わくわくするわっお姉様!」
もう一枚の切り札。紅い妹、フランドール・スカーレット。
運命と破壊。
ジョーカーが二枚手札に揃った時点でゲームに勝てないわけがない。
後は、カードの切り方を間違えなければそれでいいのだから。
しかし残念ながら、切り間違いなんてあるはずがない。
「さあ、二人とも。配置に。小悪魔は私に力を寄越しなさい。始めるわよ」
手札に持つのは、紅魔館の頭脳、パチュリー・ノーレッジなのだから。
魔女は天を隠そうとする流星を指差しふわりっと、空中に舞い上がると。レミリアを右にフランドールを左に配置。
そして「運命」の強化のため。
肩を抱くようにレミリアの後ろへと周り、魔力を預け――
預けようとして。ふと、パチュリーは気がついた。
なんかレミリアの服がごわごわしている。
まるで何かで焼け焦げてしまったかのように、ところどころくすんだ場所も見受けられる。
「ねえ、なんで服ぼろぼろなの?」
「……説得という名の物理的懐柔を試みていたからよ」
「また姉妹ケンカね」
「身振り手振りを交わして語り合った、それだけ」
「はいはい、わかったから」
吸血鬼姉妹の後からそのテラスに現れた咲夜の方をパチュリーが振り返れば、こくりっと無言で頷いた。どうやら推測は間違っていないようだ。しかも服装の乱れ具合がフランドールよりもレミリアの方が酷いところを見ると。
どちらが優勢だったかは明らか。
「どうせ、また美鈴か咲夜の名前を使ったのだろうけれど。もう少し姉として接してあげればいいんじゃないかしら」
「うるさい、気が散る!」
「はいはい。わかったわよ。じゃあ、私の全て預けておくから」
そう言うと、パチュリーの体から光が溢れ。
唇が静かに動く。
その場では誰も聞き取ることが出来ない、魔女の言葉。この世の理を捻じ曲げ、自分の理屈を無理やり通す。そのための呪文。
彼女の唇が動くのをやめたと同時に、淡い紫色の光はレミリアの体の中に吸い込まれ。
「ふふ、実に心地いいじゃない」
ごうっと空気を震わせ、紅の柱が天を貫く。
それは攻撃でもなんでもない。
レミリアが力を少し解放しただけ、パチュリーと混ぜ合わせた魔力をより練り上げ、高め。組み上がった新しい魔力が、レミリアから立ち昇っただけなのだから。
その桁外れの魔力の解放により、背中に抱きついていたパチュリーは弾き飛ばされてしまう。空を飛ぶための魔力すら預けてしまっているので、パチュリーの体は自由落下をするだけ。
テラスへとまっ逆さまに落下する親友を振り返ろうともせず。
レミリアはただ不適に笑う。
パチュリーの心配する必要など、あろうはずがない。
「ナイスキャッチよ」
「これくらい当然ですわ」
地上には紅魔館のパーフェクトメイド、十六夜咲夜がいる。
とさり、と。重さを感じないほど悠々とパチュリーを腕で捕まえると、脱力したその体をそっとテラスの床の上に寝かせた。
一仕事を終えたパチュリーはふぅっと軽く胸を上下させ。
瞳を開けることすら億劫になった体に鞭を打ち、声を張り上げる。
「わかってるわね! レミィ!」
「ふふ、愚問だわ。実にパチェらしくない」
ぎょろり、と。
真紅に染まる瞳を一度だけパチュリーに向ける。魔族の凶暴性を含みながら、吸い込まれてしまいそうな魅力を放つ魔眼。それが熱く燃え盛る。
「すべては私たちの手の中、ただそれだけだろう?」
その横では、右手に魔力を集中させたフランドールが右手を高く持ち上げていた。その先にあるのは紅魔館と同程度の大きさの隕石。
フランドールはもう我慢できないと言わんばかりに羽を小刻みに震わせ。
口元を笑みの形へと歪める。
「お姉様、まだ? まだかしら? もう私の能力の射程内よっ!」
「ふふ、フラン。高貴なる吸血鬼の血を引くのであれば、哀れな獲物の前でも気品を忘れてはいけない」
愛する妹の目の前に回り込み、優しく片腕で抱きしめる。
そんなレミリアの背中に、無機質な塊が迫った。
唸りを上げ。
空気を震わせ。
周囲の木々をなぎ倒し。
咆哮を上げる巨大な獣のように、無慈悲に小さな背中を飲み込もうと襲い掛かり。
「無粋だわ、少し大人しくなさい」
レミリアはなまるで小動物でも止めるように。
空いた左腕をゆっくりと斜め上に向け。
「だって、あなたは紅魔館に招かれざる者」
横目を向け、邪魔な客人に言い聞かせた。
「運命どおり、あなたはここに入れない」
レミリアがそうつぶやいた瞬間。
空間が、時間が、大地が。
すべて軋み、狂喜の声を上げた。
刹那――
ありえない現象が紅魔館の上空で発生する。
隕石が、止まったのだ。
何もない、何の隔たりもない空間で。
まるで透明な強固な壁にぶつかったように。
レミリアがかざす手の平の、数メートル先で空間を震わせながら停止していた。
そんな光景を見上げ、パチュリーは感動するでもなく。
ただテラスに体を預けたまま、咲夜へと話し掛けた。
「……なるほど、やはりあれは古来の術式ね。不死族が全盛期を迎えていた頃、人間たちが苦し紛れで生み出した魔法。地表ごと一団の魔物を消し飛ばすための。だって明らかにあの二人を目標にしているもの」
「それが忘れ去られ、幻想郷に流れてきたということでしょうか」
「ええ、迷惑な遺物だわ」
パチュリーの言うとおり、レミリアがその力を運命で受け止めたというのに。隕石はまるで生き物のように彼女を目指して進もうとする。足掻き、もがき苦しむように。その身を小刻みに揺らし、不死の王を滅ぼそうと。
けれどそんな足掻きなど無駄というもの。
「さあ、あとはあなたがやるのよ、フラン」
「ええ、わかったわお姉様!」
右腕でレミリアにに抱かれていたフランドールは、その温もりの中から離れると。
改めて力を高め、瞳を巨大な物体に向ける。
この術式の本質を、核となる部分を探し。
破壊するために。
そんな妹の雄姿を横目に見ながら、レミリアは急降下した。
「お疲れ様ですわ、お嬢様」
「ええ、私にかかれば当然のこと、パチェ立てる?」
「……無理よ。あなたにほとんど預けたんだから。たぶんこぁも似たような状態だと思うけれど」
言われるままに見れば、小悪魔はテラスの上ですやすやと寝息を立てていた。力を失いすぎて起きていることが難しくなったのだろう。
「それで、後は妹様がやるということ?」
「ええ、あんなものを丸々残しておくわけにもいかないでしょうし。片付けやすいように砕いておく。ついでに小賢しい対魔族用の呪いも破壊してね」
「そう、ならいいわ」
ここまでの作戦は完璧。
何も間違った選択を選んでいない。
誤っていないというのに、パチュリーは何故か不安になる。
予想以上に元気なレミリアを見て、嫌な予感がとまらない。
なぜならパチュリーの計算上では、もう少しレミリアに疲労が残るはずだったから。しかし、紅魔館はしっかりと守られているのは確かである。
落ち度などあるはず……
「……ねぇ、レミィ」
「なにパチェ」
「あの子が、ぎゅっとしたら、隕石の破片って散らばるわよね?」
「散らばるね。でも散り散りになったところで何の問題もない。運命によってあの隕石の破片も防ぐのだから」
そうだ、紅魔館には落ちない。
レミリアはそう言っている。
だからパチュリーはおそるおそるこう尋ねてみた。
「散らばった隕石って、まだかなりの力の流れを残すまま降り注ぐと思うのだけれど」
「心配性ね、パチェは。私とあなたの魔力で練り上げた運命があの程度の力で歪むなんてありえないわ」
「違うの、レミィ。強度の心配をしているんじゃないの。あの隕石の破片が周囲の地面に降り注いだら、その衝撃は並外れたものとなるわ。おそらく紅魔館を消し飛ばすには十分なほど」
そう、紅魔館を守るだけなら実はレミリアの力だけで十分だった。
でも周囲一帯の地面まで守るとなると力不足になる恐れがあるので、パチュリーが力を貸したのだ。
「だから、ちゃんと周囲の地面も運命で操作したか心配になっただけよ。レミィのことだから抜け目はないのでしょうけれど」
そんな親友の言葉に、レミリアはくすっと笑みを零し。
「……え、なにそれ?」
「レ、レミィィィィっ! は、早く! 周囲の運命を切り替えて!」
つーっと冷たい汗がレミリアの頬を伝う中で。
パチュリーの悲鳴が響くが。
『ぎゅっとして……』
上空で右手を前に向けたフランドールはすでに膨大な力を放出していた。
『どかーんっ!!』
彼女が手のひらを握り締めた、瞬間。
鼓膜が破れてしまいそうな轟音が響き、隕石は原型がわからないほど粉々に弾け飛ぶ。
破片や粉塵は空を覆い尽くすように広がり。館の周囲を取り囲むように落ちていく。
レミリアとパチュリーが真っ青な顔で空を見上げる中。
カチッ
咲夜の持つ懐中時計が、静かに揺れた。
◇ ◇ ◇
危ないところだった。
もし、後コンマ数秒遅ければ、時間を止めても逃げる隙間などなかったかもしれない。
咲夜は静止した時の中を、二人の吸血鬼を抱えて飛ぶ。隕石の欠片を避け、湖を渡り。妖怪の山の麓まで。そこまで離れてからレミリアとフランドールを優しく草原の上に寝かせ、再び紅魔館に戻る。
戻っているうちに、彼女は見つけた。
見つけてしまった。
隕石の破片が降り注ぐ、紅魔館の門に。
ただ一人佇む美鈴の姿を。
『あなたを助ける余裕はないから、もしものときのために逃げなさい』
そう告げていたはずなのに。
美鈴はそこにいるのが当然と言うように、動揺一つ見せていなかった。
――この馬鹿っ!
咲夜は心の中で叫び、思わず足をそちらに向けそうになるが。
美鈴に伝えた言葉を思い出し。
唇を噛んで方向を変える。
優先順位は変わらないから。
優先するべきはあくまで、スカーレット姉妹。
その次は、パチュリーと小悪魔。
だからメイド長としてとらなければいけない行動は、テラスにいる二人を運び出すこと。美鈴を助け出すことはそれを終えてからでなければならない。
だから咲夜は歯を食いしばる。
あともう一度。
たった一回だけ往復する時間を確保するため。
二人を抱えたまま空を駆ける。
全範囲の時間停止だけで負担がかかるというのに、全速力で4人を運び出すという荒行を成し、とうとう残すはあと一人。
咲夜はふぅっと小さく息を吐き、意を決したように地面に足をつき。
「あっ」
膝を、ついた。
あと一回、たった一回だというのに。
静止した世界の中では流れるはずのない風が咲夜の頬を撫で。世界が元の色を取り戻す。
咲夜はもう限界だった。
「――美鈴っ!」
かくかくと、自らを嘲笑うように震える膝をなんとか押さえ、咲夜が立ち上がれば。
その視界の中で、砂粒のような欠片が紅い屋敷の周囲に容赦なく降り注ぎ。
館の倍ほどの高さの、巨大な土煙を上げた。
たった一つだけではない。
いくつも、いくつも、止めどなく。
破壊と轟音を撒き散らして、まるで夢でもみているかのように一瞬で紅魔館が消えた。門にいたはずの美鈴ごと、爆発の中に、消えていく。
何度も何度も、地面が弾け飛んだその後には。
悲壮感を漂わせる茶色い砂煙だけが。
その館を覆い尽くしてた。
◇ ◇ ◇
「……お姉様、少々意地汚いのではないかしら?」
「あなたこそ、立場をわきまえることね。あなたはこの館の主ではないのよ?」
館の一室で、銀色の輝きが二つ交差する。
がきっという高い金属音を残して飛び退く小さな影は、間を置かずに再び突撃を繰り返す。その姿はまるで弾丸のように速く、風のように流麗。
しかし、勝負は片方の少女の禁じ手により。決まる。
フランドール・スカーレットがその手に握る武器を左手に持ち替え、ぐっと右手を握り締めたのである。
「なっ!」
すると、レミリアが手にしていた銀色の武器が粉々に砕け散り。
思わず立ち尽くしてしまう。その隙を見逃さず、フランドールは左手に握る銀色を薄紅色の柔らかい中心へと突き立て――
「んふ~、咲夜のブラッディカステラさいこぉ~」
ぱくっと口の中に放り込み、表情を蕩けさせた。
頬を手で覆いあからさまに美味しい事をアピールしながら、姉の周囲をくるくると飛び回る。そうやって馬鹿にされるレミリアはわなわなと肩を震わせ……
「フ、フラァァァン!!」
とうとう我慢できなくなったのか、両手に魔力を貯めて飛び上がろうとする。
しかし――
「はい、そこまで」
後ろから羽をぐいっと引っ張られ。背中からぺたんっと倒れこむ。
誰が妨害したのかと恨みがましい瞳で見上げるが。
そこにいたのは呆れた顔をするパチュリーだけ。
「あのねぇ、レミィ。せっかく館が無事だったというのにいきなり内装を壊すつもり?」
「うー、でも、フランが」
「妹様はただレミィに構って欲しいだけよ、それぐらい察しなさいな。あの隕石の件で多少あなたのことを感心したようだし。私だって一応見直したつもりなのだから」
「見直したって、何?」
「ほら、私があなたを疑って取り乱したときのことよ」
レミリアが起き上がり、服をぱんぱんっと叩きながら眉を潜めていると。パチュリーは声を続けた。
「あのとき隕石からの直接的なダメージだけしか防いでいないと思ったのに、しっかり周囲や爆風の対策もしておいたなんてね。魔女がペテンにかけられた」
「あぁ~、う、うん、まあ、そのことね」
昨晩、隕石が紅魔館に降り注いだとき。
もう建物は消し飛ばされたと思っていた。住む場所が消えてしまったと、フランドールなどは泣きじゃくっていたというのに。
立ち昇った土煙が消えた頃には、なんの変化もない紅魔館がそびえ立っていた。
窓ガラス一つわれずに、威風堂々と。
だから、パチュリーはレミリアがこっそり運命操作をしたと推測したわけだ。
「と、当然ね。いつも冷静なパチェのあんな顔が見れるなんて。そうそうない機会だし」
「まったくもう、できればこれからは事前に伝えてくれる? 本当に肝を冷やしたのだから」
「え、ええ、当然よ」
そうやって、パチュリーとばかり会話をしていると。
どんっと勢いをつけてフランドールが体当たりをしてきた。構って欲しいという気持ちを上乗せして。
「お姉様、今日は一緒に遊びましょう。その方がきっと楽しいわ」
「……はあ、仕方ない。いいよ、付き合ってあげるから。先にお部屋で待ってなさいな」
「いやっ! 一緒に行く! だってお姉様いつも遅いんだもの」
「しょうがない子ね。パチェ悪いけどその食器妖精に片付けさせておいて。フランの部屋に行ってくる」
そう言い残し、自分の部屋を出て。
フランドールの重さを背に感じながら、レミリアは静かにつぶやく。
――運命を途中で切り替えた記憶など、ないのだけれど。
「ん? 呼んだ?」
「なんでもないわ」
そんな小さな疑問を胸に残しながら、レミリアの一日は始まった。
◇ ◇ ◇
そして、もう一箇所では。
カ、カカカカカカ……
「あ、あわわ、ぎぶ、ぎぶあっぷっ!」
門の壁にナイフで繋ぎ止められた美鈴が、あっさりと咲夜に敗北していた。
しかし弾幕勝負が苦手な美鈴が咲夜に挑むはずがない。
「あ、あのー、一応これでおわり、ですよね? ね?」
つまり、この勝負は咲夜が望んだこと。
スペルカードの枚数は三枚で、相手に降参させたほうが勝ち。
それで勝負を始めた所。
咲夜に一枚もスペルカードを使わせられず、あっさり行動不能というところであった。少しでも体を動かそうものならちくりと、ナイフが皮膚に突き刺さる。そんな形で貼り付けにされた美鈴は、万歳することもできず降参を口にした。
しかし――
「あの、えーっと。勝負終わり、ですからね。あの、ナイフを抜いて自由にしてくれると助かるのですが。あのー、さくやさーん、さくやさぁぁんっ!」
降参を宣言したのに、咲夜が両手にナイフを握り締めたまま俯き、近づいてくる。
だらりっと腕を垂らし、まだ終わっていないとでも言うように。
美鈴は必死に声を張り上げているのに、聞こえていない様子で。
じわり、じわり、と距離を詰めてくる。
そしてとうとう、手の触れられる位置まで、美鈴に近づき。
ぶんっと腕を振り上げ。
「た、たすけてぇぇっ……ぇえ?」
ガキンっと。振り下ろされた両腕で美鈴を拘束するナイフを弾き飛ばし。
顔を下に向けたまま、美鈴の肩と腰を掴むと。
ぎゅっと。
力一杯抱きしめ、顔を美鈴の胸に埋めた。
「門番の癖に、こんなに弱いなんて、どうしようもない。使えない門番ね」
「……えーっと、あの咲夜さん。ちょっと苦しいというか。できれば一度離れて欲しいというか」
「動かないでっ!」
「は、はひっ!」
ゆっくり咲夜を押しのけようとすると、鋭い声に遮られてしまう。仕方ないので、抱きしめられたまま両腕を体の横にくっつけ、咲夜に言われるまま直立不動で待機した。
「こんな、こんな馬鹿みたいに弱い」
「うう、すみません」
「スペルカードすら使う必要がないだなんて」
「いや、だからちょっと苦手で……」
「本当にどうしようもない門番なのにっ」
さらに、咲夜の腕に力がこもり。美鈴は思わず咳き込んだ。さすがにこれは苦しいと、再度咲夜の肩をつかもうとしたところで。
その服の胸の部分に、暖かい何かが染み込んできた。
暖かい感触はどんどん布に広がり、苦しさで引き離そうとする美鈴の腕を止めさせる。
「どうして逃げなかったのよ、馬鹿! あなたがいたって何にもならないのにっ! 命を無駄にするだけなのにっ!」
「……あ、昨日の夜のこと、ですか」
「そうよ、私がどれだけ心配したと思ってるの! 私がどれだけ!」
「えーっと、あはは、やだなぁ。そんな冗談ばっかり――」
ぎぃゅぅぅぅううう。
「あ、すいません。ごめんなさい。嬉しいです! 心配してくれて凄くうれしいです! ですから背中の肉を抓るのはやめて欲しいです、凄く痛いですっ!」
「ふざけないで答えなさい! 何で逃げなかったのよ!」
「何で逃げなかったのかといわれましても……あっそうだ」
美鈴は頭の上でぱんっと手を叩き。
咲夜が見えないのをお構いなしで、いつも自分がいる定位置を指差し。
「そこに、門があるからですよ!」
自身満々に言い切った。
しかしその美鈴の背中に回された背中に、ぐぐっと咲夜の指先が食い込んでいく。
「……へぇ、私が真剣に話をしようとしてるのに、こんなときまであなたは……」
「あ、いえ、本気! 本気ですって! 常に私はこう親切丁寧をモットーに! 心血を注いで門番をしていますからって、ぁぁぁああっ! 痛いっ痛いですってばっ!」
「だったら本当の理由を教えなさい! 私はね! あなたを見たのよ。あんな物凄い量の隕石の破片の中であなたを。救い出したかったのに、途中で、時を止めきれなくなって……あなたが死んだと思って……なのにっ! あなたはそうやってっ!!」
「ごめんなさい、咲夜さん。言い方が悪かったです」
美鈴は少しだけ恥ずかしそうに。
でも心から嬉しそうに。
微笑みながら、咲夜の背中へと腕を回した。
「私は紅魔館の門番ですから、この場所を守りたかっただけ。ただそれだけなんです。仕事って意味だけじゃないですよ。だって私はここにいるみんなが大好きですからね。だから皆さんが逃げるより先に持ち場を離れるなんて、できるはずないじゃないですか」
「役にも立たない癖に、偉そうなこと言うんだから……」
「あ、酷いですね。今のは傷ついちゃいましたよ。私。皆さんがまだ中にいると思って、かなり頑張ったんですから。こうやって、地面に気を送ってですね。薄い膜みたいなのを作って、隕石を受け止めた直後に、その力の方向性とまったく逆の、負の気の力をぶつけて相殺してやるんですよ」
「ウソツキ」
「そうやって、地面に流れる気の力を全面的に活用することで。隕石も相反する力に耐えられず粉々、素敵な庭石に再利用」
「ウソツキ」
「でも、ちょっと力加減が上手くいかなかったので、いくつか強すぎる力で弾いちゃったりしましたから。余計な砂埃が上がってしまい。皆さんに余計なご心配を」
「ウソツキ」
「……信じる気ないでしょう?」
「当たり前よ、お嬢様が運命を操作してあなたと館を救ったのだから。ちゃんと感謝することね」
「あぁ、そういうことになっていらっしゃる……」
「不満?」
「いいえ、全然……だって、咲夜さんのこんな意地らしいところも見ることができるなんて。うふふ、得した気分で」
かちゃり……
「何か?」
「いいえ、ナンデモナイデス。ですから至近距離でナイフを抜かないで欲しいんですけど」
「そう。ナイフは調子に乗りすぎたあなたにちょうど良い薬だから」
「いらないです、ぜんぜん、イラナイデス」
「なら、そうね、罰として……」
咲夜は一度、力を込めていた手を緩め。
再びぎゅっと優しく美鈴の腰に手を回す。
「もう少し、こうしてなさい」
それだけを言い残し。
咲夜は何も語らなくなった。
ただ、小さな嗚咽が、美鈴の胸の中で聞こえ。
ポリポリ、という頬を掻く音が後に続いた。
面白かったです。
…え?あぁ…あなたも女の子でしたか。かっこよくてつい、錯覚をば。
映画一本観終えたようだ
そして美鈴のかっこよさは異常
しかしお嬢さま、肝心な所で抜けていらっしゃる…
非常に読後感がよいな。
美鈴さん独りでなんとかなったなら、お嬢様方のしたことが無意味であることとなり、中盤の盛り上がりが空々しく感じる
設定自体は面白かったので次はもっと上を目指してください
こっそり館をささえる感じが好き
大げさでケレンミが効いてるくらいがちょうどいいと思います。
紅魔館内の信頼関係みたいなのがひしひしと伝わってきますなぁ。
みんな家族を愛してるんだよ!仕事じゃないんだよ!
全面的に支持しようか