0
命蓮寺が建立されて早数日、私は既に退屈をもてあましていた。
あたえられた寺の客室は広く、眺めは上々で、畳のいい匂いがする。
「どうしたの? ぼおっとして」
夕刻の静けさに優しく響く声。ほんの少し前までは喉から手が出る程に求め続けた声。
「んー」
なんだか気恥ずかしくて、ふりかえらず外の景色を眺めたままに曖昧な返事をした。
「地底が恋しくなったのかしら?」
「!!」
驚いて彼女の顔を見る。
そして気づいた。これでは認めているようなものじゃないか。
「別に、そういうのじゃないよ」
「ふふ」
何か言い返したかったけど、喋れば喋るほど墓穴を掘ってしまう気がしてやめた。
彼女は人の心を読むことはできない(厳密に言うと私は人間ではないのだが)、
それでも居心地の悪さを感じるのは自身に負い目があるせいか―――。
「ねえ」
ああ。
「事情があってのことだとは思うけどね、たまには帰ってみてはどうかしら」
そうだった。いつだってあなたはそうだった。
「きっと心配してる」
自分のことより私たちのことを一番に考えてくれる。
「……そうかなあ」
そして私は、
「ええ。だって、それが家族だもの」
また甘えてしまうんだ。
home, sweet home
1
「「地上に遊びに行ってきまーす」」
地霊異変。
山の神々が地底の地獄鴉に力を与えた結果暴走し、地上が灼熱地獄と化すかと思われた事件。
そんな事件も地上の巫女によって解決され、地上・地底ともに平穏を取り戻していた。
とはいっても今回のことは、神の力を手に入れ増長した馬鹿な鴉が抱いた妄想に過ぎない。
巫女が止めずとも鴉の飼い主に、地底の鬼に、地上の妖怪達によって始末されていたであろう。
だというのにこの鴉は、もう地上の人間と馴れ合いをはじめたようだ。
友人の火車と連れ立って、今日もまた地上の巫女のもとへ行くと言う。
まがりなりにも一度は退治された相手だ。
そんな人間と友達ごっこだなんて、ちょっとどうかしてると思う。彼の弓で受けた傷を私は忘れない。
けれどこの異変によって変わったこともある。地上と地底の往来は本来タブーであったのだ。
地底を生きる妖怪達は忌み嫌われる能力を持っていたがために地底へと落とされた。
その妖怪達が再び日の目を見ることは、地上の人間にとっても妖怪にとっても望ましいことではない。
一方で地底の妖怪達も長い年月を経ていく内に彼女達の<仕組み>を作り上げた。
一部例外はあれど、彼女達は地底を生きることに誇りを持っている。満足している。
こうして地上と地底は相互不干渉という暗黙のルールが出来上がったのである。
しかし前述の異変以降、この不文律も徐々に意味を失っていった。
もともと互いに興味はあったのだ。一度きっかけが生まれてしまえば、あとは言わずもがな。
中には望んで地底に落ちた妖怪もいる。これがあるべき姿なのだろう。
「日が暮れる前には帰ってくるのですよ」
地獄鴉と火車を見送るこの妖怪は、その能力から怨霊も恐れ怯むと噂される。
地底は灼熱地獄跡の上に建つ地霊殿の主は、それほどまでに高く貴い。
「あなたは行かなくてよかったのですか?」
懐かしいまなざしに私の心は粟立つ。
「鵺」
積み上げた木片が音を立てて崩れ落ちた。
「別に、地上にもう興味なんてないし……」
「そうですか」
沈黙。
どうして私はいつもこうなんだろう。
「それ、なんです?」
彼女が床に散らばるガラクタを見て不思議そうに問うた。
「わかんない。キレイだって言って、お空が集めてきた」
お空というのは馬鹿な鴉の名前である。霊烏路空(れいうじうつほ)。
再びの沈黙。
「さとりは、それ、なぁに?」
安楽椅子に腰掛ける彼女は、先ほどから何やら作業中。
「これは空に手ぶくろを作っているんです。春が近いとはいえ、地上はまだ冷えるようですから」
なんだか面白くなくて立ち上がる。外へ行って釣瓶落としでもからかおうか。
「出かけるの?」
「ん」
「あまりいじめたら可哀想よ?」
「ああもう、煩いなあ」
さとりのそういうところ好きじゃない。
言って私は部屋を後にした。
2
旧都。
地底にあるここはずっと昔、地獄の一部だった。
年々広がり続ける地獄のスリム化を図る際に切り離されたのだそうだ。
昼夜を問わず賑やかなこの街では地上から姿を消したとされる鬼達が多く生活を営む。
地上と地底の行き来が増えるにつれ、番人である橋姫が忙しくなると嘆いていた。
その街の中心を通る旧地獄街道を歩く。普段から人通りは少なくないが、今日はとりわけ多いのではないか。
上空では名も知らぬ妖怪達が地上の遊びである弾幕ごっこの真っ最中であり、飛んで移動する気にもならない。
さとりに言われたからって訳ではないけれど、私はもう外に出た目的を失ってしまっていた。
はじめから目的なんてなかったんだ。ただ彼女と二人、あの場所にいるのは耐えられなかった。
地上へ行った二人が戻ってくる頃を見計らって戻ればいい。そして今日は早く寝てしまおう。
長い時を生きていればこういう日もある。後で思い返して死にたくなるのだけれど。
「(え!?)」
往来の中で、よく見知った顔とすれ違ったような気がした。
「(そんなはずない。だってアイツは……)」
頭では否定していても体が先に動く。人並みをかき分けアイツを探す、探す、探す。
確かに封じられたはずだ。あの人に関わる品々とともに、村紗水蜜は封じられたはずだ。
それに隣にいたのは―――忘れるはずない。忘れてなんか、やらない。
「……寅丸星」
◇
「ただいま」
誰にというわけでもなく、私はつぶやいた。
「おかえりなさい」
意外なことに館の主はまだお目覚めのようだった。
「ずいぶん遅かったのですね。ご飯が冷めてしまいましたよ」
「……いらない」
頭が痛い。彼女達の話は果たして本当なのだろうか。
「どうかし―――」
「やめて! 読まないで!!」
思わず声を荒げる。胸が少し痛んだ。
「もう……寝る……。おやすみ」
急がなければ。あれが彼女らの手に渡る前に。
聖を見つけるんだ。
3
旧都でムラサを見かけて数日が経つ。私は地上に来ていた。
にわかには信じられない話だが、事実彼女の封印は解かれている。
聖も同じく自由の身になっていないと誰が言えようか。
だというのに何故顔を見せてくれないのだろう。あの時のことをまだ怒っているのかな。
「(だってあれは……)」
仕方、なかったし。
一つ大きなため息をついて、私はまた過去彼女が関わった箇所をたずねてまわった。
そう。すべてはあの妖怪のせいだ。毘沙門天の弟子を騙る妖怪、寅丸星の。
◇
あの日、偶然にもムラサとすれ違ったあの日。幸運なことに私は再び彼女を見つける事ができた。
そこで聞いてしまったのだ。寅丸星が何をしようとしているのかを。
「……の……で……地上に……」
「聖が……本当に……」
「……ために……が必要なんです」
「飛倉?」
「はい。ここに来るまでに一部を見つけました」
ひろげられた星の手のひらには見覚えのある木の破片が握られていた。
お空の集めた木片、おそらく飛倉と呼ばれるそれはあの妖怪がこれからすることに必要らしい。
ムラサという協力者を得て、あの妖怪がしようとすること。それはきっと―――。
パキッ。
話を聞くのに夢中で気づかなかった。どうやら何かを踏みつけてしまったらしい。
「誰!?」
ここで姿を見られては不味い。正体不明が鵺の専売特許であるというのに、私の顔は彼女らに割れている。
それに早く地霊殿へ戻って飛倉の破片を処理しなくてはならない。あれがむこうの手に渡っては大変なことになる。
寅丸星は、聖白蓮をいまいちど封印するつもりだ。
◇
飛倉の破片はあのあとで正体不明の種を付け地上に放った。
少し心許ないが、二人はまだ地底にいるようだし、しばらくは時間が稼げるだろう。
今のうちに聖を見つけ出さなくてはならない。焦りばかりがつのる。
聖白蓮復活は私達妖怪にとっての悲願だった。
彼女は人間であるにもかかわらず多くの妖怪を救った。
彼女は私達のために涙を流し、血を流した。
それゆえ人間によって封じられてしまったけど、すぐまた会えると思ったんだ。
それなのに。
立ち寄ったすべての場所がはずれだった。そもそも私は彼女がどこに封印されていたかも知らない。
あの妖怪が教えてくれなかった。
寅丸星は信用できない。あの妖怪は聖を裏切った。
彼女のおかげで人間からの信仰も得たというのに、あの妖怪は封じられていく聖を前に何もしようとはしなかった。
それどころか自分が妖怪であることが人間に露呈するのを恐れ、その後も彼女を救おうとはしなかったじゃないか。
きっとアイツは怖いんだ、よみがえった聖が自身の罪を暴くのが。だからまた封印しようとしている。
ムラサもムラサだ。聖に受けた恩を忘れて星に協力するだなんて。
かつて彼女を助けようとして封じられたものの、その間に何もかも忘れてしまったのだろうか。
そして何より許せないのが、これまで地底でのうのうと生きてきた―――。
「一度地底に戻ろう」
ムラサたちにも何か動きがあるかもしれない。
4
そういえば地霊殿に戻るのは何日ぶりだろう。旧都の一件以来だから半月も経っていないはずだけれど。
なんだかずいぶん久しぶりのことのように思える。さとりは心配してくれているだろうか。
「ぬえ!!」
着替えをとって館をあとにしようというところで、らしくない大声に呼び止められた。
見ると急いで来たようだ、裸足で息を切らす少女の姿がそこにはあった。
「今までどこに行っていたのですか? いつも夕方には帰ってくるようにと言っているでしょう?」
嬉しかったのに、とても嬉しかったのに、私の口元は醜く歪む。
「関係ないじゃない。ほっといてよ」
「ご飯はちゃんと食べているの? 何か心配事があるのですね。私に何か―――」
「関係ないって言ってるでしょ!!」
違う。
「やめてよその目、誰にだって知られたくないことはあるんだから」
違う。違う。
「それに私」
こんなことを言いたいんじゃ、ない。
「さとりのペットになった覚えなんてない」
◇
「あらあなた怪我をしてるのね」
「ウチヘいらっしゃい。温かいスープがあるの」
「きっとすぐに友達ができるわ」
「自分の家だと思って構わないから―――」
◇
私が心を許すのは聖だけだ。今度こそ聖をお救いするんだ。
それなのに。
どうして涙が止まらないんだろう。
◇
地底から船が出ようとしている。地上に向け船が出ようとしている。
聖輦船、ムラサの船だ。
この船で聖を探しに行くらしい。あるいは飛倉の破片が地上にばら撒かれることも想定済みだったのだろうか。
どうやらむこうには協力者がまだ地上にいるとのことだ。はじめから私は相手になっていなかったのかもしれない。
それでも。
それでも。後悔したくない、逃げやしない。
最後の時がくるまで、私は聖を探し続ける。
5
「で」
博麗神社。
人里離れた山奥に存在する地上の神社である。そして、
「聖を封印しようとしていると思っていたはずの二人が、実は彼女の封印を解こうとしていた」
「…………」
「封印は解かれたものだと思い込んでいたあんたはその二人の邪魔をしていた」
「…………」
その日私は地上の巫女にお小言を頂戴していた。
「間違いないわね?」
「…………はい」
「だいたい、以前彼女が封じられた時もあんたは手をこまねいて見ていたんでしょう?
それじゃあんたの嫌いな寅丸星と何も変わらないじゃない」
「違っ、わない、けどっ!」
たかだか十年、二十年しか生きていない人間の小娘に説教されるのは甚だ心外だけど、
今回のことは私の早合点によるものだ。寅丸星は聖を救おうとしていた。
昨年の地霊騒ぎと時を同じくして村紗水蜜の封印が解かれる。
人為的なものではない。地霊とともに地上に吹き出した間欠泉の振動により自然と封印が破られたのだ。
そしてそれを知った星は一念発起する。
ムラサと彼女の有する聖輦船、それから毘沙門天の宝塔に飛倉の破片をもってして聖を救おうと。
宝塔は星の部下であるナズーリンに任せた。
いつのまにやら彼女の手を離れていた宝塔だが、部下の賢将が見事見つけ出したらしい。
飛倉の破片はというと、奇特な人間がいるもので、
私が地上へとばら撒いた後に用途も分からずただ集めていた人間がいるのだという。
それが他ならぬ目前の巫女なのだが、そんなことはもうどうでもいい。
かくして聖白蓮は復活し、地上には新しく寺が造られた。
「まあそのへんで勘弁してやれよ。弱いものいじめはよくない」
もう一人場に居合わせた人間が口を挟む。白と黒で統一された衣服が西洋の古い魔女を思わせるが、こちらも若い。
……ちょっと待て、一体誰が弱いものだって?
「あんたはさっさと帰りなさい。ウチは宿泊施設じゃないのよ」
すかさず巫女が答える。そうだそうだ、さっきからニヤニヤこっちを見やがって。
「あんたも。聖に言われたんでしょう? 地底にも顔を出せって」
「あー」
全てを知っても聖は私を責めなかった、命蓮寺で一緒に暮らさないかと誘ってさえくれた。
それでもなんだか気が晴れない。原因は、分かっているけど。
だからといって今さら地底に戻って何になる? どんな顔をして彼女に会えばいい?
酷いことを言った。ならいっそこのまま会わずにいたほうが―――。
「さっきね。あんたが来る前、地底の鴉と火車が来ていたのよ」
「あんたのご主人から伝言。手ぶくろ、早く取りに来なさいって」
EX
「あー」
「その」
「ただいま!」
命蓮寺が建立されて早数日、私は既に退屈をもてあましていた。
あたえられた寺の客室は広く、眺めは上々で、畳のいい匂いがする。
「どうしたの? ぼおっとして」
夕刻の静けさに優しく響く声。ほんの少し前までは喉から手が出る程に求め続けた声。
「んー」
なんだか気恥ずかしくて、ふりかえらず外の景色を眺めたままに曖昧な返事をした。
「地底が恋しくなったのかしら?」
「!!」
驚いて彼女の顔を見る。
そして気づいた。これでは認めているようなものじゃないか。
「別に、そういうのじゃないよ」
「ふふ」
何か言い返したかったけど、喋れば喋るほど墓穴を掘ってしまう気がしてやめた。
彼女は人の心を読むことはできない(厳密に言うと私は人間ではないのだが)、
それでも居心地の悪さを感じるのは自身に負い目があるせいか―――。
「ねえ」
ああ。
「事情があってのことだとは思うけどね、たまには帰ってみてはどうかしら」
そうだった。いつだってあなたはそうだった。
「きっと心配してる」
自分のことより私たちのことを一番に考えてくれる。
「……そうかなあ」
そして私は、
「ええ。だって、それが家族だもの」
また甘えてしまうんだ。
home, sweet home
1
「「地上に遊びに行ってきまーす」」
地霊異変。
山の神々が地底の地獄鴉に力を与えた結果暴走し、地上が灼熱地獄と化すかと思われた事件。
そんな事件も地上の巫女によって解決され、地上・地底ともに平穏を取り戻していた。
とはいっても今回のことは、神の力を手に入れ増長した馬鹿な鴉が抱いた妄想に過ぎない。
巫女が止めずとも鴉の飼い主に、地底の鬼に、地上の妖怪達によって始末されていたであろう。
だというのにこの鴉は、もう地上の人間と馴れ合いをはじめたようだ。
友人の火車と連れ立って、今日もまた地上の巫女のもとへ行くと言う。
まがりなりにも一度は退治された相手だ。
そんな人間と友達ごっこだなんて、ちょっとどうかしてると思う。彼の弓で受けた傷を私は忘れない。
けれどこの異変によって変わったこともある。地上と地底の往来は本来タブーであったのだ。
地底を生きる妖怪達は忌み嫌われる能力を持っていたがために地底へと落とされた。
その妖怪達が再び日の目を見ることは、地上の人間にとっても妖怪にとっても望ましいことではない。
一方で地底の妖怪達も長い年月を経ていく内に彼女達の<仕組み>を作り上げた。
一部例外はあれど、彼女達は地底を生きることに誇りを持っている。満足している。
こうして地上と地底は相互不干渉という暗黙のルールが出来上がったのである。
しかし前述の異変以降、この不文律も徐々に意味を失っていった。
もともと互いに興味はあったのだ。一度きっかけが生まれてしまえば、あとは言わずもがな。
中には望んで地底に落ちた妖怪もいる。これがあるべき姿なのだろう。
「日が暮れる前には帰ってくるのですよ」
地獄鴉と火車を見送るこの妖怪は、その能力から怨霊も恐れ怯むと噂される。
地底は灼熱地獄跡の上に建つ地霊殿の主は、それほどまでに高く貴い。
「あなたは行かなくてよかったのですか?」
懐かしいまなざしに私の心は粟立つ。
「鵺」
積み上げた木片が音を立てて崩れ落ちた。
「別に、地上にもう興味なんてないし……」
「そうですか」
沈黙。
どうして私はいつもこうなんだろう。
「それ、なんです?」
彼女が床に散らばるガラクタを見て不思議そうに問うた。
「わかんない。キレイだって言って、お空が集めてきた」
お空というのは馬鹿な鴉の名前である。霊烏路空(れいうじうつほ)。
再びの沈黙。
「さとりは、それ、なぁに?」
安楽椅子に腰掛ける彼女は、先ほどから何やら作業中。
「これは空に手ぶくろを作っているんです。春が近いとはいえ、地上はまだ冷えるようですから」
なんだか面白くなくて立ち上がる。外へ行って釣瓶落としでもからかおうか。
「出かけるの?」
「ん」
「あまりいじめたら可哀想よ?」
「ああもう、煩いなあ」
さとりのそういうところ好きじゃない。
言って私は部屋を後にした。
2
旧都。
地底にあるここはずっと昔、地獄の一部だった。
年々広がり続ける地獄のスリム化を図る際に切り離されたのだそうだ。
昼夜を問わず賑やかなこの街では地上から姿を消したとされる鬼達が多く生活を営む。
地上と地底の行き来が増えるにつれ、番人である橋姫が忙しくなると嘆いていた。
その街の中心を通る旧地獄街道を歩く。普段から人通りは少なくないが、今日はとりわけ多いのではないか。
上空では名も知らぬ妖怪達が地上の遊びである弾幕ごっこの真っ最中であり、飛んで移動する気にもならない。
さとりに言われたからって訳ではないけれど、私はもう外に出た目的を失ってしまっていた。
はじめから目的なんてなかったんだ。ただ彼女と二人、あの場所にいるのは耐えられなかった。
地上へ行った二人が戻ってくる頃を見計らって戻ればいい。そして今日は早く寝てしまおう。
長い時を生きていればこういう日もある。後で思い返して死にたくなるのだけれど。
「(え!?)」
往来の中で、よく見知った顔とすれ違ったような気がした。
「(そんなはずない。だってアイツは……)」
頭では否定していても体が先に動く。人並みをかき分けアイツを探す、探す、探す。
確かに封じられたはずだ。あの人に関わる品々とともに、村紗水蜜は封じられたはずだ。
それに隣にいたのは―――忘れるはずない。忘れてなんか、やらない。
「……寅丸星」
◇
「ただいま」
誰にというわけでもなく、私はつぶやいた。
「おかえりなさい」
意外なことに館の主はまだお目覚めのようだった。
「ずいぶん遅かったのですね。ご飯が冷めてしまいましたよ」
「……いらない」
頭が痛い。彼女達の話は果たして本当なのだろうか。
「どうかし―――」
「やめて! 読まないで!!」
思わず声を荒げる。胸が少し痛んだ。
「もう……寝る……。おやすみ」
急がなければ。あれが彼女らの手に渡る前に。
聖を見つけるんだ。
3
旧都でムラサを見かけて数日が経つ。私は地上に来ていた。
にわかには信じられない話だが、事実彼女の封印は解かれている。
聖も同じく自由の身になっていないと誰が言えようか。
だというのに何故顔を見せてくれないのだろう。あの時のことをまだ怒っているのかな。
「(だってあれは……)」
仕方、なかったし。
一つ大きなため息をついて、私はまた過去彼女が関わった箇所をたずねてまわった。
そう。すべてはあの妖怪のせいだ。毘沙門天の弟子を騙る妖怪、寅丸星の。
◇
あの日、偶然にもムラサとすれ違ったあの日。幸運なことに私は再び彼女を見つける事ができた。
そこで聞いてしまったのだ。寅丸星が何をしようとしているのかを。
「……の……で……地上に……」
「聖が……本当に……」
「……ために……が必要なんです」
「飛倉?」
「はい。ここに来るまでに一部を見つけました」
ひろげられた星の手のひらには見覚えのある木の破片が握られていた。
お空の集めた木片、おそらく飛倉と呼ばれるそれはあの妖怪がこれからすることに必要らしい。
ムラサという協力者を得て、あの妖怪がしようとすること。それはきっと―――。
パキッ。
話を聞くのに夢中で気づかなかった。どうやら何かを踏みつけてしまったらしい。
「誰!?」
ここで姿を見られては不味い。正体不明が鵺の専売特許であるというのに、私の顔は彼女らに割れている。
それに早く地霊殿へ戻って飛倉の破片を処理しなくてはならない。あれがむこうの手に渡っては大変なことになる。
寅丸星は、聖白蓮をいまいちど封印するつもりだ。
◇
飛倉の破片はあのあとで正体不明の種を付け地上に放った。
少し心許ないが、二人はまだ地底にいるようだし、しばらくは時間が稼げるだろう。
今のうちに聖を見つけ出さなくてはならない。焦りばかりがつのる。
聖白蓮復活は私達妖怪にとっての悲願だった。
彼女は人間であるにもかかわらず多くの妖怪を救った。
彼女は私達のために涙を流し、血を流した。
それゆえ人間によって封じられてしまったけど、すぐまた会えると思ったんだ。
それなのに。
立ち寄ったすべての場所がはずれだった。そもそも私は彼女がどこに封印されていたかも知らない。
あの妖怪が教えてくれなかった。
寅丸星は信用できない。あの妖怪は聖を裏切った。
彼女のおかげで人間からの信仰も得たというのに、あの妖怪は封じられていく聖を前に何もしようとはしなかった。
それどころか自分が妖怪であることが人間に露呈するのを恐れ、その後も彼女を救おうとはしなかったじゃないか。
きっとアイツは怖いんだ、よみがえった聖が自身の罪を暴くのが。だからまた封印しようとしている。
ムラサもムラサだ。聖に受けた恩を忘れて星に協力するだなんて。
かつて彼女を助けようとして封じられたものの、その間に何もかも忘れてしまったのだろうか。
そして何より許せないのが、これまで地底でのうのうと生きてきた―――。
「一度地底に戻ろう」
ムラサたちにも何か動きがあるかもしれない。
4
そういえば地霊殿に戻るのは何日ぶりだろう。旧都の一件以来だから半月も経っていないはずだけれど。
なんだかずいぶん久しぶりのことのように思える。さとりは心配してくれているだろうか。
「ぬえ!!」
着替えをとって館をあとにしようというところで、らしくない大声に呼び止められた。
見ると急いで来たようだ、裸足で息を切らす少女の姿がそこにはあった。
「今までどこに行っていたのですか? いつも夕方には帰ってくるようにと言っているでしょう?」
嬉しかったのに、とても嬉しかったのに、私の口元は醜く歪む。
「関係ないじゃない。ほっといてよ」
「ご飯はちゃんと食べているの? 何か心配事があるのですね。私に何か―――」
「関係ないって言ってるでしょ!!」
違う。
「やめてよその目、誰にだって知られたくないことはあるんだから」
違う。違う。
「それに私」
こんなことを言いたいんじゃ、ない。
「さとりのペットになった覚えなんてない」
◇
「あらあなた怪我をしてるのね」
「ウチヘいらっしゃい。温かいスープがあるの」
「きっとすぐに友達ができるわ」
「自分の家だと思って構わないから―――」
◇
私が心を許すのは聖だけだ。今度こそ聖をお救いするんだ。
それなのに。
どうして涙が止まらないんだろう。
◇
地底から船が出ようとしている。地上に向け船が出ようとしている。
聖輦船、ムラサの船だ。
この船で聖を探しに行くらしい。あるいは飛倉の破片が地上にばら撒かれることも想定済みだったのだろうか。
どうやらむこうには協力者がまだ地上にいるとのことだ。はじめから私は相手になっていなかったのかもしれない。
それでも。
それでも。後悔したくない、逃げやしない。
最後の時がくるまで、私は聖を探し続ける。
5
「で」
博麗神社。
人里離れた山奥に存在する地上の神社である。そして、
「聖を封印しようとしていると思っていたはずの二人が、実は彼女の封印を解こうとしていた」
「…………」
「封印は解かれたものだと思い込んでいたあんたはその二人の邪魔をしていた」
「…………」
その日私は地上の巫女にお小言を頂戴していた。
「間違いないわね?」
「…………はい」
「だいたい、以前彼女が封じられた時もあんたは手をこまねいて見ていたんでしょう?
それじゃあんたの嫌いな寅丸星と何も変わらないじゃない」
「違っ、わない、けどっ!」
たかだか十年、二十年しか生きていない人間の小娘に説教されるのは甚だ心外だけど、
今回のことは私の早合点によるものだ。寅丸星は聖を救おうとしていた。
昨年の地霊騒ぎと時を同じくして村紗水蜜の封印が解かれる。
人為的なものではない。地霊とともに地上に吹き出した間欠泉の振動により自然と封印が破られたのだ。
そしてそれを知った星は一念発起する。
ムラサと彼女の有する聖輦船、それから毘沙門天の宝塔に飛倉の破片をもってして聖を救おうと。
宝塔は星の部下であるナズーリンに任せた。
いつのまにやら彼女の手を離れていた宝塔だが、部下の賢将が見事見つけ出したらしい。
飛倉の破片はというと、奇特な人間がいるもので、
私が地上へとばら撒いた後に用途も分からずただ集めていた人間がいるのだという。
それが他ならぬ目前の巫女なのだが、そんなことはもうどうでもいい。
かくして聖白蓮は復活し、地上には新しく寺が造られた。
「まあそのへんで勘弁してやれよ。弱いものいじめはよくない」
もう一人場に居合わせた人間が口を挟む。白と黒で統一された衣服が西洋の古い魔女を思わせるが、こちらも若い。
……ちょっと待て、一体誰が弱いものだって?
「あんたはさっさと帰りなさい。ウチは宿泊施設じゃないのよ」
すかさず巫女が答える。そうだそうだ、さっきからニヤニヤこっちを見やがって。
「あんたも。聖に言われたんでしょう? 地底にも顔を出せって」
「あー」
全てを知っても聖は私を責めなかった、命蓮寺で一緒に暮らさないかと誘ってさえくれた。
それでもなんだか気が晴れない。原因は、分かっているけど。
だからといって今さら地底に戻って何になる? どんな顔をして彼女に会えばいい?
酷いことを言った。ならいっそこのまま会わずにいたほうが―――。
「さっきね。あんたが来る前、地底の鴉と火車が来ていたのよ」
「あんたのご主人から伝言。手ぶくろ、早く取りに来なさいって」
EX
「あー」
「その」
「ただいま!」
勘違いして、さとりとも擦れ違って……でも最後の「伝言」でゾクッとしちゃいましたね、興奮でv