昨日は雪が降った。
だが、それは軽い粉雪ではなくみぞれのような重く粒の大きな雪で、つまりそれは、春の訪れを告げる雪だったと言えた。
雪は夜半まで降り続いたが、今朝の景色の中に、もうその面影はほとんど見えない。代わりに店の屋根瓦や地面、森の草木がしっとりと濡れている。
春の雪は幻想郷を無色に染めることはなく、代わりに、水となって景色をより濃くするように作用していた。
ただ、春と言ってもまだ寒いことに変わりはない。三寒四温。ここ数日はどうもその三寒のようで、僕は今日もストーブの世話になっている。なにしろ、昨日は雪が降ったのだ。
そうしていつものように本を読んでいたとき、店の戸をたたく音が聞こえた。
「ちょっと道具屋に頼みがあるんだが、入ってもいいかな?」
聞きなれた声ではない。そもそも僕が声を聞きなれている連中は扉の前で律義に待ったりしない性質だ。つまり、今扉の目に居るのは客、ということになる。
「どうぞ。香霖堂の営業中の看板に偽りはありませんよ。」
「開店休業中と営業中というのは、どうやら矛盾しないようだね。」
いらっしゃいませ、の声に交錯したのがこの台詞である。残念なことに、この客は僕が声を聞きなれている連中と大差ないようだ。
「それで、本日の御用向きは何でしょう。」
僕はこの客に見覚えがある。霊夢や魔理沙よりさらに低い身長に灰色ずくめの服、丸い耳、そしてこの口調。確か名前は…
「忘れていると思うから言っておくと、私の名はナズーリン。人里の命蓮寺という寺に住まわせてもらっている。以前、宝塔の件では世話になったね。」
世話になった、というのはやはり皮肉なのだろう。なぜなら、去年の春に彼女に売った毘沙門天の宝塔を超える取引は、この一年なかったのだ。しかし僕としては久しぶりの上客到来ということになる。
「手短にいこう。このダウジングロッドを直してほしい。大事な商売道具なものでね。使えないと困るんだ。私も、私のご主人様も。」
彼女は後ろ手に持っていた鈍く光る棒二本を振って見せた。
ダウジングロッド。用途は、探し物を探し当てるのを補佐する。
僕の目はそう判断したが、あいにく目の前の棒はその用途を全うできそうになかった。
僕もダウジングについて通り一遍の知識は持っている。この棒、ダウジングロッドは探し物に反応して手の中で動くのだが、そのためにはきわめて微妙な重量バランスが不可欠だ。
しかし、彼女が持ってきたそれは本来直線であるべきところが、緩く歪な弧を描いている。完全にバランスを失っていた。
「これはまた、一体何をしてこんな風にしてしまったんだい。」
故障や事故の類に対処する際には原因を知っておいて損することはない。
「断っておくが、私は自分の道具を粗末に扱ったりはしない性質だよ。実は一昨日、酔った連中に絡まれてしまってね。まぁ私も酒が入っていたせいか、弾幕勝負をすることになってしまった。私はそこで負けて、しかも当たり所が悪くて墜落。とっさにこのロッドで受け身をとったというわけさ。全く、人に話して気分がいい記憶じゃないがね。」
つまり、自分のせいではない、と言いたいらしい。まぁこの少女が進んで勝負事に興じるとは思えないし、おおかた絡まれ損といったところだろう。少しだけ、気の毒ではある。
「それで、修理にわざわざここを頼ったのは。」
「ああ、勝ち誇った顔の魔法使いにその場でこの店を紹介されてね。聞けば店主には妖怪の血が流れているというから、なら大丈夫だと思って、こうして頼んでいるわけだよ。」
何かと思えばまた魔理沙か。香霖堂をさりげなく宣伝してくれるのはいいが、間接的にとはいえ加害者が彼女だとすると、ここへの出入りの頻度から僕のやらせが疑われかねない。目の前の少女は今のところその辺りの事情を知らないと見えるが、きっと知った暁には間違いなく僕を責め立てるだろう。気苦労の種が増えてしまった。
さて、それにしても金属の曲げ直しであれば人里の鍛冶屋の方が適任である。大体、妖怪の血が流れていれば大丈夫、という彼女の話の真意がわからない。
「見たところその棒は金属製だろう。里の鍛冶屋を頼るという選択肢は考えなかったのかい。」
幻想郷において、金属は全て貴重である。河童が高度な技術文明を築いているという妖怪の山や、最近交流が生じた地底などでどうしているかは知らないが、少なくとも僕が知っている幻想郷の金属資源は、砂鉄や砂金くらいであり、鉱山というのは聞いたことがない。他にまとまった量の金属、特に鉄や銅などが手に入るルートとして、外の世界から流れ着く物品の回収があるが、この恩恵に預かっているのは僕くらいのものだろう。
とにかく、ここでは包丁にしても鍬にしても、刃が欠ければ鍛冶屋で打ち直され、いよいよ駄目になれば溶かしてもう一度道具に生まれ変わる。
金は、天下を回るのだ。
「ああ、確かに、鍛冶屋に直させるのも悪くはない。だがこのロッドは鋳物でね。たたいて直すより、一度溶かしてからこの形に戻す方が良い。それに、鍛えるのは柄じゃないのさ、妖怪だから。」
妖怪だから、という彼女の言葉を反芻し、僕はようやくその真意に辿り着いた。
「ああ、確かに君のその道具は鋳込んで作り直すべきだよ。」
古来、人妖が金属で道具を作る手段は二つだった。
鋳造と鍛造。このうち、上位なのが鋳造だ。鋳造は常に鍛造に先行して行われ、それだけで道具作りが完結する場合もある。金に寿と書くだけあって、神具仏具の類は鋳造によるものばかりだし、魔法使いが錬金術と呼ぶ魔術は鋳造の一種だ。これだけ鋳造が曰くつきなのは、鍛造が価値を高める作業にすぎないのに対し、鋳造は価値を創造する作業だからである。
僕にとってこれは重大だ。なぜなら、僕が判別できる”道具の用途”というのは、そのほとんどが鋳造の際に材料に与えられるのだから。
そして、鋳造と鍛造の関係は、そのまま妖怪と人間のそれに当てはまる。
妖怪は、付喪神や鬼に代表されるように道具や人間から、新たな価値として生まれ出でた存在だ。その力は往々にして生まれつきのものである。
ゆえに、妖怪は鋳造と相性が良いのだ。一見しておめでたい字面も、妖怪が好むところである。
もちろん、妖怪なら誰でも鋳造ができるというわけではないが、その力、妖力は鋳物にきわめてよく馴染む。ナズーリンのダウジングロッドはその一例にすぎない。
では人間はどうか。こちらは古来から、ただひたすらに一つの種族の中で連綿と発展してきた存在と言える。
妖怪に比べて一人の生涯は短くても、親から子へ、子から孫へとささやかな力を教え、受け継ぎ、その流れの中で人間は自らを鍛えるのだ。
そう考えれば、人間が火と槌を手にした時、鍛造を始めたのも当然と言える。人間は鍛造に、自らの一生と、種族としての性質を見るのである。これは人間として、きわめて健全な行為だ。だが、怠け者の多い妖怪にとっては苦痛でしかないだろう。
他方、半妖である僕にはその両方に通じる素地がある。これは、自分が道具屋に向いていると感じるところの一つだ。
事実、これまでに作った道具は鋳造と鍛造、両者を用いなければできないものばかりであり、それがこうして、今のように商売にもつながっている。
「ようやく戻ってきたか。全く、君は商売人のくせに人をないがしろにしすぎるよ。目の前で客が待っているというのに黙り込んで、あろうことかうすら笑いまで始めている。」
ナズーリンは、さも呆れたという風に手を広げていた。
「それで、これを直してくれるのかい、くれないのかい。」
彼女は僕の店主としての態度に一言あるらしいが、僕からすれば彼女も随分な客だ。そうやって僕に棒を突き付けてみたって
「安くはないよ。」
安くはならないのだ。
僕はおよそ妥当だろうと思える金額に少し色をつけて提示した。
「だろうと思っていたよ。何しろ、この前はあれほど吹っ掛けられたのだからね。しかし私自身、これが直らないことには仕事に差し障りが出る。そこでだ店主、私はその金額を飲もう。ただし、今払うのはその半分だ。あいにくそれしか持ち合わせがないのでね。残り半分は、君が直したロッドで探し出した宝で、ということにしようじゃないか。」
利に聡そうな割にあっさり飲んだと思えば、そういうことか。
僕としては値切られている感覚を否定できない。
「それは難しい注文だな、現物支給は悪くないが、せめて8割は確実に払ってもらわないと。」
「ふむ、店主殿は御自分の腕に自信があるんじゃないのかね。件の魔法使いはそう言っていたんだが。それと彼女は随分この店に詳しいようだったからそれとなく聞き出したんだが、なに、相当に懇意の客で、対等の取引があると言うじゃないか。全く、御自分の商売の機会を自ら作ろうなんて、店主殿も随分逞しいことだ。私の子ネズミたちは人里のあらゆるところで、噂の種を待っているのだがね。」
もう知られていた。
それにしても魔理沙め、何が懇意の客だ。取引があるのは否定しないが、彼女が客として来たことなどほとんどないじゃないか。
だが魔理沙が店の常連だと知られてしまった以上、僕がナズーリンに責められるのは自然だ。まずは誤解を解きたいところだが、今彼女は完全に風評を人質にしている。確信犯だ。
「君は誤解しているようだが、僕は、これからそのロッドを直すかもしれない、という一点にしか関わっていないよ。とはいえ、自分の腕に自信がないのかと言われては道具屋として黙っていられない。君にはこの棒が直り次第、しっかりと残りの代金を払ってもらおうじゃないか。」
開き直った物言いだが、僕としては涙を飲んで、といったところだ。人妖問わず商売をするのが僕のポリシーであるし、里には昔世話になった人もいる。こんなところであらぬ噂を立てられてはたまらない。もちろん、人間の魔理沙からも、目の前の妖怪ナズーリンからも道具屋としての腕を見込まれたという点は喜ばしく受け止めたいところだが。
「ふふ、分別ある店主で良かったよ。それではこれが前金だ。ロッドはこれをそのまま溶かして鋳込んでくれればいいが、念のために材料を伝えておくと鉄だからね。形の方は、今歪んでいる部分がまっすぐであればいい。それと納期だが、なるべく早く、できれば二週間以内にお願いするよ。子ネズミを一匹、店に常駐させておくから、直り次第それに伝えてくれれば問題はない。」
扉を開けて去っていくナズーリンを見ながら、僕は背に冷や汗を流していた。彼女の道具が、鉄であると知ったからだ。
鉄とネズミ。それは、エゴと権力によって信頼を裏切られ、陥れられた人間の、復讐の道具である。
鉄鼠。僕はまだ幻想郷で鉄鼠そのものの妖怪の話を聞いたことはない。だが、延暦寺のあらゆる経典を食い破り、遥か下野まで数百里を踏破した頼豪阿闍梨の大軍は、その数八万を越えたとされる。その末裔がここ幻想郷に生き残っていたとしても、なんらおかしな話ではあるまい。僕はナズーリンがどういう妖怪か知らないが、彼女が鉄鼠の血を引いていることは十分にあり得る。そうであれば、陥れられることを嫌悪し、大軍で復讐するのも辞さないという彼女の言葉にも納得がいくじゃないか。
僕ははじめ、小柄な彼女の姿を見て大したことはないと思ってしまったが、それは大いに間違っていたようだ。
もし先程の彼女の提案を拒絶していたら、僕とこの店は名実ともに蹂躙されていたかもしれない。
僕は目の前の道具を手に取りながら、あらためて妖怪の力のことを想うのだった。
恐ろしいことばかり考えていても仕方がない。
何より、今の僕の仕事は目の前のダウジングロッドを直すことである。しかもこの仕事は出来高払いのようなものだ。何としても良い道具を作って、彼女に支払いを完遂させなければ。
そう思って、僕は今回の秘密兵器、鋳造について書かれた外の世界の書物を紐解いた。
幸いにして、僕はこの本を読んだことがあり、大体の内容は頭に入っている。本にはところどころ意味のわからない単語があったが、ほぼ問題なく自らの糧にできる自信があった。
今回の仕事に関しても、真っ先に参照すべき項目は目星がついている。
鋳造材料の章、鋳鉄の節、片状黒鉛鋳鉄の項だ。
外の世界では、鋳物の組成を細かく分けるのが流行っているらしい。片状黒鉛鋳鉄というのもそうして分けられたうちの一種らしいが、この本には別名として、ねずみ鋳鉄とも言う、と書いてあった。
これだ。これでダウジングロッドを作れば、彼女の能力はより強く、高感度に増幅されるに違いない。
名は体を表す、などとよく言うが、それは物事の真実をとらえていない。
ここでの真実は、名と体が一致したときにそのものが力を発揮するということである。いくら包丁と名が付いていても、切れなければ包丁としての力はないし、その逆もまた然りだ。
僕が道具を作るにあたって、いつも心がけているのもそこである。すなわち、道具に名前と用途を与えたならば、それに見合う能力を備えさせなければならない、ということ。
今回の場合、ねずみ鋳鉄の、型の中を流れやすく細い部分にも入りやすいという性質は細長いダウジングロッドを作るのに好適である。
振動を吸収しやすいという性質はダウジングの際に目的地への収束を早めることができるだろう。
急な加熱に強い。これも、妖術の媒体となる道具にとって大事な性質だ。
そのうえ腐食にも強いときた。ダウジングの舞台は、決して屋内だけではない。
素晴らしいじゃないか。いかに科学の発達した外の世界と言えど、これだけおあつらえ向きの性質を揃えるのはさぞ大変だったろう。まるでこのために作られた材料であるかのよう…、そこまで考えてから、僕は新しい考えに思い至った。今まで僕は、僕が初めてねずみ鋳鉄のダウジングロッドへの応用を思いついたように考えてしまっていたが、それは間違いなのだ。
おそらくねずみ鋳鉄というのは、外の世界の人間が何らかの失せ物探しの機械を作るために練り上げた材料なのだろう。名前の理由は、どこにでもいてどんな食糧でも見つけ出すネズミになぞらえて、ということに違いない。そうでなければこんなにうまく名と体が合うわけがないのだ。
この結論は、言うまでもなく今読んでいる外の世界の書物がもたらしてくれたものである。だからおそらく、幻想郷でも僕ぐらいしか知ってはいまい。これを機に、鋳造と鍛造に関する新たな書物を書いてみようか、半妖の僕にならできるかもしれないな。
そう思うと俄然やる気が出てきた。こういう気分にさせてくれるのなら、この仕事も悪くない。ナズーリンにはあとでお礼の一つもした方が良いかもしれないと思う。
机に置かれたダウジングロッドを握りしめ、作業場に向かう。
これから僕は炉に火を入れるが、僕の意欲は一足先に大きく燃え上っていた。
文章回しも霖之助然とした感じで、とてもうまくキャラクターを生かせていると思います。
今後とも、一読者として応援しております。
頑張って下さいね☆
やられた、これはやられた。
減衰能が高い→人間関係の緩衝材とか、片状黒鉛→とんがってるとか、かなりナズーリンに近いイメージの材料だと思う。
でもきっとナズーリンの手は真っ黒になるなwwww
けれど、句読点…句読点が…!
そしてあとがきの部分でにやりとしました。
ふつうは「、」と「。」です。ちゅーか書き物のルールでござる。
SSだから厳格に守んなくてもいーじゃんみたいなハナシもありますが
守ったほうが読みやすいから遥か昔から守られてきてるわけなので
できれば次は修正希望。
中身はふつうの恋愛ものって感じでしたが、句読点のせいで読みづらくて、ちゃんと読めてないので、失礼を承知でフリーレス。
お礼は何がいいかな
→ そういえば里で何か流行ってたな
→ チョコか(本を取り出す)
→ 鋳造と共通点もある
→ 彼女へ渡すにはぴったりだ
って感じかね?
ちなみに、句読点に「,」「.」を使うのは、論文の書式だね。(の一種)
英数が頻繁に混ざる文章では、この方が違和感がないが
普通の文章では「、」「。」の方が一般的だね。
とても良かったです
最後のアレは恐らく霖之助自身は単なる感謝以外の思惑は無いんだろうなぁ
と感じました。無いからこそさらっと渡せたような。
そこも原作の朴念仁っぽさがあって良かったです