その日、紅魔館から一人の人間が去った。
三途の川を渡った等ではなく、単にいなくなった。
つまり世間で言うところの解雇である。
「……」
ゆっくり歩き去る人影が見えなくなるのを確認して、赤い髪の門番は溜息をついた。
彼女が去る事は残念だ。
私としてもつまらないし、私の主も彼女を側におけば楽しそうだった。
だが、彼女の解雇を宣言したのは他ならぬ主なのだ。
自分に、止める事は出来なかった。
十六夜咲夜は人間であり、妖怪とは異なった時を歩む。
いずれ別れの時がくるものと思っていたが、まさかこういう形で、とは予想もしなかった。
まだ妹様との戯れで命を落とす方が現実的である。
「失礼ねぇ」
いつのまにか側にその妹様がいた。
後ずさるが、特にどうこうする様子は無い。
「口に出してました?」
「さぁね」
右手をぐにぐに握ったりしながら妹様はにこりと微笑む。
どうやら謝罪をせねばならないようだ。
妹様の場合、謝罪とは頭を下げる事ではなく、弾幕やらその他の遊びやら、そういった類の償いとなる。
やたらと個性的な方々にもまれた結果、妹様も変わった。
流石に数十年も弾幕ごっこ一点に拘るほど気長ではなく、いろいろと遊びを試すようになった。
「今日は何の遊びで?」
「ジェンガ、というのをしてみたいわ」
おや、妹様にしてはおとなしい。
しかし、私の安堵を握り潰すように彼女は言葉を続けた。
「たしか、相手が積み上げたブロックを適度にドカーン、ってするのよね」
「全然違いますよ」
賽の河原じゃあるまいし。
ああ、そういえば目の前の少女は鬼だった。
「まぁいいわ。とりあえずやってみましょ」
「ええ。ちゃんとしたルールを教えてあげますよ」
館に入る前に振り返る。
銀髪のメイドは、やはりもう見えなかった。
☆
魔女はぱたりと読み終えた本を閉じた。
読後の気だるさから一息つき、使い魔の淹れた紅茶を飲む。
味に不足は無い。
かつて最高の紅茶を用意していたメイドは、館のいくつかの者に出来る限りの技を伝えていた。
友人である吸血鬼はなんだか不満そうだが、大して味も分からない私にしてみれば十分旨い。
そもそも、本を読むのが目的の私としては味覚など大して必要ないものだ。
自然と、使わない機能は退化していく。
……そのくせまだ感覚を失わないのは、やはりメイドの料理がなかなか絶品だったからだろうか。
時折変なハズレがあるのが難点だが、当たればとてもおいしい。
そういったハイリスクハイリターンも今思えば悪くなく、もしかしたら退屈な主を楽しませる為だったのかもしれない。
レミィが咲夜を手放したのには訳がある。
咲夜は老いた。
妖気瘴気狂気、様々なものに満ちるここは、そんな彼女が生きるにはもう限界だった。
レミィも色々手を回したようだが、せいぜい時間稼ぎ。
咲夜がそんな主の奮闘を把握していないわけもなく、解雇を宣告された時も反発しなかった。
「おかわり淹れましょうか」
「頂くわ」
小悪魔が紅茶を淹れる。
仮にも悪魔が人間などに情を移すはずもなく、彼女の動作は平常と変わらない。
紅茶を口に含む。
変な味がした。
「……なにこれ」
「え?あ!間違えてお嬢様用の血液が入ってました!」
前言撤回、平静なのは皮だけだった。
「そんなだから何年経っても"小"悪魔なのよ」
「うぅ。すいません」
「悪魔なんだから、人間の心底くらい見通しなさい」
「はい……って、え?」
非難が紅茶でないことに小悪魔は首をかしげる。
まぁいい、すぐにわかるだろう。
あの子は時間を無駄にするのが嫌いだから。
☆
十六夜咲夜に用意された住居は、どちらかといえば里の中心寄りな位置にある。
あまり人の多い場所を咲夜は好まない。
だが、長く妖怪側の存在だった彼女を良く思わない存在を考慮し、このような位置となった。
念の為、私もしばらくは頻繁に顔を出そうと思っている。
里での彼女の知り合いは余り多くないし、話し相手くらいにはなれるだろう。
時は夕方。
寺小屋やらの仕事が一通り終わったあと、大通りを抜けてその家を訪れる。
「……ん?」
戸は固く閉ざされていた。
外出中だろうか。
「あら、慧音。いらっしゃい」
「うおっ!?」
中の様子を探ろうとした時、気配も感じさせず声をかけられた。
感覚を集中していたため、すこし大げさに驚いてしまう。
「魔理沙の真似事かしら?」
「冗談じゃない」
息を整えながら答える。
そのまま家の中に招かれたので、言葉に甘え中に入れてもらう。
咲夜はキャスターのついたケースを持っていた。
中身を尋ねると、中を見ていいという返事が返ってきたので遠慮なくケースを開く。
そこそこの大きさのケースには……無数のナイフが所狭しと詰められていた。
「……」
思わず絶句する私に咲夜は上機嫌に話しはじめる。
やはりナイフは銀がいいとか、砥ぐとやっぱり違うわねとか。
確かに彼女はどこか抜けている会話が多かったが、先日来た時は確かもっと平和な話題だったはずだ。
呆然と話を聞き流す私を余所に、咲夜はナイフをどんどん体の色んなところにしまっていく。
へーあんな所にも入るのかー服って便利だなー。
「いやいや待て待て」
「あら、どうかした?紅茶ちょっと苦かったかしら」
「いや、茶菓子に合っていて美味しい、ってそうじゃない。そんな重武装で何処に行く気だ!?」
ケースに満たされていた凶器は、半分ほどに減って整頓されていた。
減った分のナイフは、勿論全部咲夜の服の中だ。
「何処って、紅魔館」
「何をしにだ」
「喧嘩を売りに」
ここに引っ越す際の交渉で、私も一通りの事情は聞いている。
レミリアとも合えなくなるわけじゃないし、私も死ぬよりはその方がいいだろうと賛成した。
交渉の際に咲夜が居なかったのが不安要素だったが、引越し作業にはむしろ積極的だったし、ここ数日はそんな素振りもなかったから安心していた。
それがなぜ今日になっていきなり武装して喧嘩を売りにいくのか。
「だって、退屈なんですもの」
「いや、しかしだな」
「休暇も十分頂いたし、そろそろ戻らないと。ここも住み心地は悪くないけれど……刺激が足りないわ」
「レミリアは認めないぞ」
「ええ。だからお願いしに行くの、これで」
袖からナイフを一本取り出し、ふらふら揺らす。
銀色の刀身が、時折夕日を反射する。
「あまり遅いと日が暮れるわ。あんまり速く飛べないしね。ああ、戸締りお願いできるかしら」
「え、ああ、わかった」
「じゃあね」
そう言うと、咲夜の姿は消えた。
時間を止めたのだろう、沈む夕日の中に小さな点が見える。
そういえばレミリアが言っていた。
咲夜は結構頑固だけど、よろしくね、と。
ああ、あれは吸血鬼でも手を焼きそうだ。
彼女が空の彼方に消えるまで、私はなんとも微妙な表情で夕日を眺めていた。
☆
「お嬢様、侵入者です!」
慌てて入ってきた妖精メイドを、私は睨みつけた。
侵入者なんてよくあることだ。
大体は美鈴が対処できるし、対処できない敵でもメイド長が報告に来るくらいの時間は稼ぐ。
「それが、メイド長で門番さんが妹様で……!」
「報告は適切にしなさい」
あまり見ない顔だ、もしかしたら新入りかもしれない。
鋭く注意し、目を一層細める。
恐怖に縮み上がったメイドは、しかしそのおかげでなんとか落ち着きを取り戻した。
一呼吸置いて報告をやり直させる。
「……十六夜咲夜が進入してきました」
「美鈴は?」
「地下です」
フランのところに居るらしい。
話を聞けば、直通の電話も途絶しているそうだ。
メイドでは外から地下の扉は開けられないし、美鈴が自分で出てこないならどうしようもない。
……100%、わざとだ。
フランがはしゃいでいる可能性もあるが、最近は美鈴も妹の扱いがうまくなった。
パチェの話では、私が騒げば咲夜、フランが騒げば美鈴をあてがえばいい、なんて言うくらいだった。
……話がそれた。とにかく、美鈴が来たくても来れない状況というのはまず無い。
詳しく話を聞くと、パチェも適当に理由をつけて地下にいるそうだ。
咲夜は最短経路、つまり書斎を通っているのにも拘らず。
おそらく、この騒ぎを仲良く鑑賞でもしているのだろう。
「老人は労われって事か。ちょっとサービスしすぎじゃないかね」
「まったくですわ」
ドアの方から数日ぶりに聞く声がした。
声と同時にメイド長がドアと一緒に飛び込んでくる。
その後ろから、老婆が一人、ゆっくりと入ってきた。
「最悪、妹様も想定しておりましたのに。拍子抜けです」
「皆おばあちゃんは無理しないで寝てなさい、って言ってるのよ」
「そうさせてもらいますわ。和室の布団ではなく、暖かなベッドで」
皺だらけの顔を歪め、薄く笑う咲夜。
老いたその姿からは力などほとんど感じない。
しかし、門と館中の妖精を蹴散らし、彼女自ら鍛えたメイド長を今踏みつけているのは事実だった。
「……暇を出したはずだけれど」
「ええ。確かに承りましたわ」
「なら、何で戻ってきたのかしら」
「だって、今はもうメイドではありませんから。命令を聞く必要もありませんわ」
「ここにいれば、あなたは死ぬ。苦しみながら」
「そうかもしれませんね」
だからどうした、とでも言うかのように咲夜は笑みを崩さない。
里で死ぬはずだった彼女の運命は、再び館で死ぬ結末に戻っていた。
もっとも、あの体で能力を使いまくってここまで来た以上、今すぐ朽ちてもおかしくない。
今は、最期の場所くらいまでしか見えなかった
「もう一度言うわ。ここから去りなさい」
翼を広げ、数日前の言葉を再び告げる。
今度は主人から従者への言葉ではない。
悪魔から人間への、力づくの命令だ。
「断る」
短く咲夜は答える。
その目に迷いは一切なかった。
「……そう」
こうなってはもうどうしようもない。
目の前のただの人間はもう私の言う事を聞かないし、私も人間風情の要求を無条件に呑むつもりもない。
そして、こういった時の対処法は昔から決まっている。
「わかっているわね?」
「ええ」
「妖怪と人間の争いは」
「スペルカードで決着をつける」
互いにスペルを宣言する。
半世紀ぶりの、人間と悪魔の大喧嘩が幕を開けた。
「はい、口開けてくださいな」
「自分で食……むぐっ!?」
差し出されたスプーンから顔を背けると、強引に口につっこまれた。
さわやかな笑顔で次の一口をすくうのは、もちろん咲夜だ。
あの後、館を滅茶苦茶にしつつ大暴れした私と咲夜の戦いは夜明けを持って終了した。
咲夜はその後一日寝込み(そのままずっと寝てればいいのに)、私も全身に銀やら何やら体に悪そうなものをぶち込まれた為本調子でない。
結局、咲夜を解雇した原因である館の環境については何も改善されていない。
が、対処できそうなパチェは咲夜の交渉と館の惨状をみて何も問題なしとほざき、私は敗北した身の為何も言えない。
そう、吸血鬼が人間ごときに朝まで時間を取られたというのは立派な敗北なのだ。
美鈴?
咲夜に何も言うわけないし、フランに任せた"おしおき"で今は口も聞けないでしょうよ。
「……つまんない」
「私は大変機嫌がいいですわ」
「禄な死に方しないわよ、あんた」
「でしょうねぇ」
本当に機嫌がいいらしく、咲夜は冗談めかしもせず素直に答えた。
……まったく、厄介な人間を拾ってしまった。
数十年遅い後悔をしながら、私はスプーンを口に含んだ。
おわり
凄く良い!
お嬢様はもしかしたら手を抜いたのでしょうか。
皆に看取られる咲夜さんの笑顔が見えるようです。
ってことですね
本編、後書きともに寿命ネタなのに悲壮感がなく、お疲れさんと言いたくなる内容でした。
実に素晴らしい。
咲夜さんがらしくて良かった。
快い作品でした!
まさに瀟洒
咲夜さんなら凛として「居場所は自分で確保するものですわ」と言いそう
人間の寿命が見える話でありながら、全然暗くないところが素晴らしい
面白いお話をありがとう。
そして渋い
後書きがいいな
老いても咲夜さんは咲夜さんなんですね。
後書きにグッときた
死にネタの中でも屈指の名作じゃねと思いました
爽やかな終わり方ですね。彼女は瀟洒だったと思います。
けどまあ変にウジウジした悲劇的展開じゃないのは感じよかったよ。
敢えて難を言うなら、あまりにも帰結が当然すぎる点かな。
なにかもうひと捻り、ぐさりとナイフで胸を抉られるような衝撃が欲しかった。
自然と顔がほころぶ素敵なお話でした。
そうか……
最後まで瀟洒なメイドであり続けたんだろうな。
人間、いつか死ぬなら悔いを残さず大好きな場所で死にたいものですな。
四季様も褒めてくれますよ。
おわりと書いたからにはそこまでが作品なのでしょう。
年老いてなお、瀟洒で華麗な咲夜さんが、(‥でも克己心はない)
心優しい紅魔館の面々が、(‥でも悪戯心は抑えない)
とても素敵でした。
悔いの無い最期を実力で勝ち取った咲夜さんは、人間としてこれ以上はない幸せな死を迎えたのでしょうね。
『永遠の別れ』という、ともすれば重く暗くなりがちな題材を、爽やかに軽やかに仕上げた作品を拝見できて、私もとても幸せです。