~はるのやしろで~
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姉様が欲しい、と思うことが時々あった。
その反面で私は長女で良かったと思う。仮に姉がいたら私に現人神の力は宿らなかったかもしれない。
すると神奈子さまと諏訪子さまという愛すべき神様方とも出会えなかったし、私はこちらに来なかっただろう。
それは嫌だ。
ましてあの人の、あの凛とした巫女装束姿を見てしまったのだから。
単純に慕える人が欲しいだけかもしれない。
けれど私が時折思う「姉様」とはそれだけのものではなかった。
じゃあなんなのかというと、それも分からないのだけど。分からないというか伝えられない。
それでも私は自分の心をあの人に伝えたいと思った。
どんな意味があるのか私に分からなくても、ひょっとしたらあの人なら分かってくれるかもしれないから。
こんな事を考えるだけで眠れなくなる。
寝返りを打って時計を見た。
短針は夜更けをとうに過ぎて夜明けを差していた。
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道端の梅の木には花がついている。
私と霊夢さんは秋に出会ったのだから、もう幾らかの時間が経ってしまった。
それなのに、私とあの人の間にはこれといった出来事も無い。
初めて出会った時以来、ろくにお話しした事すらなかった。
かといって機会が無かったのではない。我ながらもどかしくてならない。
神奈子さまと諏訪子さまが博麗神社での宴会に招かれる時は私もお供をしている。
だから私がその気にさえなれば、お話しなどいくらでも出来たかもしれないのだ。
でも不安だった。
一番最初があんなだったから……。
あの人に、ひょっとしたら自惚れ屋だと思われてるかもしれない、自信過剰の嫌な子だと思われてるかもしれない。
そんな事を思うと、話しかける事すら出来なかった。
それが誤解かどうか私自身じゃ判断できないけど、仮に誤解だったとして、その誤解を解くには実際にお話しするしかないのに。
そう言った気持ちも含めて私は博麗神社を目指して歩いていた。宴会のお供でもその他の事務的な用事でもなしに。
思えばこんな事をするのは初めてかもしれない。
決して歩き慣れない道でも無いのに、足取りがおぼつかない。
まるで周りが見えていない。梅の花に気がついたのも香りがしたからだ。
私は迷わないように――といっても道に、ではなくて決心に迷いが生じないように、霊夢さんの姿だけを思い描いて、博麗神社へと真っすぐに足を動かした。
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鳥居をくぐる。
規則正しく並んだ石畳、真っすぐ伸びた参道。
誰もいない境内に吸い込まれるように足を踏み入れる。
何も拒まない、そういう雰囲気がここにはあった。
そもそも神社とはそういうものでなくてはいけないと思うけど、それだけじゃないと思う。
何も拒まないのは神社だから、じゃなくて霊夢さんがいるから――。
だと思う。
そういう事にすれば、私も拒まれていないと思い込めるから。
立ち並ぶ桜の木にまだ花は無い。
けれどふんわりとした春の香りを感じた。
桜のつぼみから視線を落とす。
手水舎があった。
特に義務感を感じたわけじゃないけど、なんとなく近付いてみる。
ほんの少し頭を下げて手水舎に入る。
陽が遮られていっぺんに辺りが暗くなった。
ひんやりとした空気を顔に感じる。
水の鉢は綺麗に掃除をされていて、透き通った水が満たされていた。
その水の向こう側に霊夢さんの姿を見る。
幻想郷では神社に参拝するような人間は滅多にいない。
仮に訪れたとしてその人は手水舎を気にするかも分からない。
目の前の透き通った水に、果たしていくらの人が触れるだろう。
それでも、目の前にあるのはこまめに手入れがされているとしか思えない石で出来た水鉢。
まるで置き方まで決められてあるような柄杓。
そして春の空気のように透き通った清らな水。
柄杓を手にとって水に触れる。
両の手を清めてから、柄杓の中の水を左手に満たす。
その左手を口元に運んだその時、ふと思い至る。
――私がこの水に触れた初めての人であったなら、誇らしいけれど。
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「ちょっとアンタ、なにしてんの」
急な呼びかけに心あらずで振り向いた。手も口元もまだ濡れているそのままで。
霊夢さんが箒を手にして立っていた。
「なに、と言われても、見ての通りとしか」
「…………まぁね」
私も私で強張ってしまって、久しぶりの会話はあんまりだった。
霊夢さんが私と水鉢を見比べる素振りをして腕を組み、首を傾げる。
「そっちでなにか宴会とかの予定あったっけ? 冬の間馬鹿みたいに宴会やってたんだから、あたしのところではやらせないわよ」
「そ、そういう用事じゃないです、今日は……」
「じゃなに? 勧請のお誘いは謹んで断らせてもらってるけど」
「それは」
口ごもる。
なんて言えば良いのだろう。
遊びに来た? お話がしたい?
そういう事を言えるほどの仲とは、残念だけど違うから――。
「……なんかここじゃ言いにくいようなこと? まぁ良いわ。午前中いっぱい掃除してたおかげで、もうだいぶ暇だから」
箒を持った出で立ちではあまりに説得力が無い。今も掃き掃除でもしてたんじゃないだろうか。
霊夢さんは言うだけ言って、歩き出してしまった。
「なにボーっと突っ立ってんの? 早く来なさいよ」
「え、え……?」
「お茶でも淹れれば良いんでしょ、ってなんかこういうのが癖になっちゃってるわ」
彼女は独り言のように言う。
「あ、ぁ……はい」
不思議そうな顔をする霊夢さんから眼を逸らすように顔を伏せる。
ろくに口をきく事も出来ない私は、大股で歩いて行ってしまう彼女を一生懸命に追いかけていた。
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霊夢さんに待つように言われて居間の畳の上に腰を下ろす。
イグサの香りは自宅のそれと一緒で、ほんの少し心に余裕を与えてくれた。
ぼんやりとしてしまって部屋を見回す気も起きなかった。
それでも興味は尽きない。
霊夢さんここでどんな風にすごしているのだろう。
朝目が覚めてから、夜眠るまで――。
あんまりじろじろ眺めるのは失礼だという気持ちと、気になってしまうという気持ちがせめぎ合って、結局目を瞑る方を選ぶ。
自分の胸の鼓動が、耳元で聞こえる気がした。
首元の血管が脈動しているような、そんな気すらする。
あぁ、折角だけど、何を言えばいいのだろう。
それこそ単刀直入に「貴方の事が気になります」と言ってしまえば良いのだろうか。
けれどもそんなのは出来る気がしない。
でもずっと黙ったまんまじゃ呆れられてしまうだろうし、どうしたら良いのだろう。
目元がちかちかとしてまともな視界も確保出来なかった。
何も見えない私は、イグサの香りに混じって、お茶の温かい香りと、彼女の柔らかい香りを嗅いだ。
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顔に風を感じて、それで私は目を覚ました。
ぼんやりとした視界の向こうに開け放たれた障子がある。先にはそのまま縁側と、桜の木が見えた。
そよ風がすり向けて行く心地よい感覚と一緒に、頭の下にほっこりとした温もりを感じた。
朝のまどろみを思い出して目を再び閉じる。
けど、なにかおかしい。
目を閉じた顔に、煽がれるような風を浴びて、目を開いた。
「……ようやく目を覚ましたと思ったら、また寝ようとするなんて」
ハンカチでひらひらと煽いでみせる霊夢さんが、小さく呟いた。
「あ、あっ! ごめんなさい、私」
慌てて置きあがろうとする私を霊夢さんが制した。
「急に倒れるんだもの。びっくりしたわ。なにがあったのかは知らないけど、少し居間を貸すくらいなんて事ないから」
彼女はあくまで関心の無い様子を繕っていた。
これが色んな妖怪や、人間に好かれる理由なのかなぁ、なんとなく思った。
例え霊夢さんが関心がなくても、私……だって、だって……、
「で、でも……膝枕…………だなんて」
私が言うと霊夢さんはわざとらしくそっぽを向いてみせた。
けれどもそのまま、そのままの姿勢で。
そして飽くまでなんの関心の無い様子で。
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「どこか具合でも悪かったの」
「い、いえ。今日はたまたま寝不足だっただけで」
「仕事、大変?」
「そんな、お仕事自体はずっとお手伝いしてきた事ですし」
「神様が意地悪とかしてるんじゃないの」
「神奈子さまも諏訪子さまも、お二人ともお優しいですよ」
「そう」
「お仕事だって、手伝ってくれますし」
「羨ましい」
「あっ……」
「ん、別にいいけどね。一人でやるのは気楽で良いから」
「そう、ですか。…………そうだ。あの手水舎は」
「あれも代々の決まりだからやっているだけ。毎日やってるわけでもないから、口なんてすすいだりはしない方が良いわよ」
「そんな、ふふっ」
「別におかしくないでしょう」
「おかしいだなんて、いえ。ちょっと面白かっただけです」
「同じじゃん」
「違います」
「どこが」
「兎に角違うんです」
「意味分かんないわ――」
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他愛ない会話が自然と生まれる。
時々思うけれど、会話ってどこから生まれるのだろう。
それが心から生まれるのだとしたら、霊夢さんの心を知れるようで嬉しくて、自分の心が知られてしまいそうでこそばゆい。
ましてや頭を完全に霊夢さんの膝の上に預けたままで――思うと恥ずかしくなって、いい加減にこの心地よさともお別れするべきだと思った。
「待って」
「えっ、どう、しましたか?」
頭を上げようとすると、肩を優しく押さえられた。
「まだ桜が咲くほど、温かくもないわよね」
「つぼみはもう、いくらか見えますよ」
「明け方とか、寒い事も多いわよね」
「え、えぇ」
「今日なんて昼も過ぎても肌寒いわ」
「そう、ですね」
そよ風が心地よかったのは、単純に私が火照っていたからかもしれない。
その上、霊夢さんの体温さえも頬伝いに感じているのだ。
熱くないわけがない。
胸も、心も。
私のぎこちない返答を受け入れて、霊夢さんは優しく微笑んだ。
「だから、もう少しこうしていなさい」
凛とした声はその口調と相まって抱擁感に満ちていた。
姉がいたら、こんな風にしてもらえるだろうか。もらえただろうか。
声は確かに聞いていたのにその言葉の意味が一瞬分からなくて、それでも他に理解のしようがなくて、
「…………うん」
口から出かけた「はい」を仕舞って、代わりにこう言う。
私は頬が一層熱くなる事を理解しながら、伏し目がちで頷いた。
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例えば「お友達になって下さい」なんてわざわざ言うのも変だと思う。
私だって、一度としてそんな事を言った覚えはない。
でも友人は確かにいたし、こちらでも出来るだろう。
全て自然に、気がついたらそうなっているもの。
だから年もそう違わないだろう霊夢さんに「姉様になって下さい」なんて言ったら絶対に笑われてしまう。
なのにこの膝の上が、姉様のものであるという幻想は拭いきれなかった。
「本当はもっとこうしていたいけど……そろそろ帰ります」
「そう」
私が気恥ずかしさを振り払ってようやく口にすると、霊夢さんは呆気なく一言だけ、返事をした。
彼女の頬も心なしか色付いているように思える。
それを眺めながら立ち上がると、霊夢さんは頬を掻きながら、玄関まで付き添ってくれた。
「あー、それで、なにか用事があったんじゃないの」
「別に、今日でなくても良いって気が付きました」
もしどうにかして、折角触れた霊夢さんの温もりを台無しにしたくないから――。
「そう」
「あ、あのだから」
「今日じゃなかったら、明日でも明後日でも、好きにしたら。手水舎の水が綺麗だとは限らないけど」
皮肉っぽく言うその顔は落ち着いていて、だからこそ言葉の裏なんてとても読めそうにない。
「はい。それでは」
お辞儀をして歩きだす。
しばらくして振り向くと、もう霊夢さんは家の中に戻ってしまっていた。
参道を歩く。
さっきとは反対側に手水舎がある。
桜の木を見上げる。
やっぱり桜はまだ咲かない。
でもすぐに咲いてくれそうだ。
そんなふうに春を思う。
ここに、私に春は来た。
ここには真っ青な空と春がある。
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夜、布団にもぐりこんだは良いけれど、昼間に、霊夢さんのもとで……膝の上で寝てしまったせいで全く眠気が訪れなかった。
思い出すとなおの事、眠れる気がしない。
睡魔が私を誘いに来るまで、ただ思い馳せる。
夢の中でなら何をされても……しても許されそう。
だから何度でも、頬に触れた御足の感触を思い出して、恥ずかしげも無く赤面する。
布団の中では誰にも見られる事はないし、夢の中でならなおさら。
どこまでが夢の中が、頭の中か分からなくなって、だから今だけはこう呼ばせて下さい。
霊夢姉様――。
四季でシリーズになってるのかな?と思いましたが、そういうわけではないのですね。
それにしてもお姉様な霊夢もいいね!
自分は後者派
私は断然「ねえさま」をプッシュします。
ならば前者を支援
あえて空気読まずにどちらも呼んでみて結局「霊夢さん」になるに一票。
あと早姉も中々だと思う
霊夢姉様か…ありですな。
でも早苗さんはやっぱり「霊夢さん」がいちばん似合うイメージ。
霊夢より大人びていて背が高いため、早苗が霊夢を姉扱いするのは
違和感が強く、そしてこのSSからはその違和感を覆すほどの
説得力を感じなかった。
発想は面白いんだけどネタが先行して内容がついてきてないって所か。
期待期待
さっぱり?ほっこり?しっとり?
この甘さとくすぐったさはいったいなんなのだぁ~ッ