「ねぇ、こんなところでなにしているの?」
「あぁ、咲夜さんか。ながめているんです、新月を」
紅魔館の屋上の縁に一人座っていた美鈴は、振り向き声の主を確認すると
いつもの穏やかな口調で応えたが、再び空を見上げはじめた。
今宵、月は見えない。ただ雲の切れ間から星が見えるだけである。
それを眺めるというのは、どういうことなのだろうか。
二人の間を冷たい風が走り抜ける。
春が近いとはいえ、やはりまだ夜は寒い。
「ぼっーとしていたわけね」
「……そうなりますね、咲夜さんもどうです?なかなか、おつなものですよ?」
「私は遠慮しておくわ、時間がもったいなく感じるもの」
咲夜さんが言うとなんだか変ですね、と美鈴は苦笑した。
からかわれたと思ったのだろうか、美鈴の背中に当たる咲夜の口調が強くなる。
「いくら時間を止められるといっても、私自身の時は止められないのよ?
仕方ないじゃない。それに貴方達とでは時間の感覚も違うでしょ?」
「そうでしたね、おかしなことを言ってすみません」
妖怪の美鈴と人間の咲夜では寿命に大きな差が存在する。
そのためか、二人の時間に対する感覚がまるで違うことがある。
日常生活くらいなら不便はないが、少し前のことや昔のことを話すときには
――大抵は美鈴が咲夜に合わせるのだが――食い違ってしまうことも少なくない。
「美鈴、私達が初めて出会った日のこと覚えている?」
「さすがに覚えていますよ。私が咲夜さんと出逢えた日ですからね」
「なら私が一度だけ、お嬢様にお出しする紅茶を間違えたことは?」
「少し前にそんなことがありましたね。あの頃はまだ凄く小さくて可愛かったなぁ」
その時、また一筋の風が二人の間を駆け抜けた。
「私がまだ幼かった頃の話をするとき、貴方はよく『少し前』と言うけど、
私にとって10年前は、もう既に『昔』なの」
知っていたかしら?と言う咲夜の声は少し寂しそうに聞こえた
そこから少しの間、沈黙がつづいた。
二人とも、ただ月のない夜空を眺めるだけだった。
いく筋の夜風が過ぎ去ったのだろう。その沈黙は破られた。
沈黙を生んだのが咲夜なら、その沈黙を殺したのも咲夜だった。
「美鈴、私がいなくなったら、貴方はどうするの?」
「特になにも、今までどおりのままですね」
「悲しんではくれないの?」
「そりゃ、たくさん悲しみますよ。でも、私はお嬢様の従者ですから。
いつまでも、めそめそしてはいられませんよ」
美鈴は咲夜に背を向けたままで、振り向こうとしない。
ただ、見えるはずのない新月を眺め続けている。
「でもなんで、そんなことを聞くのですか?」
「私は残していく方だから、残る方のことが気になるのよ」
「そういうものなんですか」
「いけばそれっきりだけど、残る方には、まだ続きがあるでしょ?」
「ありますね、たくさん」
「残る方は先にいった方のことを色々と思う――背負うことになる、
だけど先にいく方は、いけばそれで終わり。だから、先にいく方が楽だと思うの」
「無茶苦茶なこと、いいますね」
「実際に経験している私が言うの、真理だわ」
「経験則はあまり当てにしない方がいいですよ」
美鈴は誰との経験なのか、咲夜に聞きたかったがやめておいた。
聞いてしまうと、咲夜が壊れてしまうのではないかと思ったからだ。
だが、そんなことはお構いなしで、咲夜は言葉を続ける。
まるで自分を傷つけ、追い込むのを楽しんでいるみたいだ。
「美鈴にとって、私といられる時間ってどれくらいなの?」
「どれくらいというと?」
「何分の一とか、そういうことよ」
「厳密には言えませんが、十分の一もないと思います」
「そっか、一割にも満たないかぁ……」
「はい、一割以下です。もしかしたら五分くらいかもしれません」
臆病な美鈴には、気のきいた言葉を選ぶことは出来なかった。
もし慰めの言葉を使っても、漂流する咲夜の心を掬えなかったら……
そう考えると恐ろしくなり、気付けば率直な言葉を口にしていたのだ。
「美鈴、お願いがあるの」
「お願い…ですか?」
「うん、お願い」
「なんですか?私に出来ることなら、なんでもしますよ?」
「あのね、私がここからいなくなっても、貴方はずっとここにいるのよね?
だったら私がいなくなる少し前に、貴方に食べ……」
「嫌です!!そんなこと…出来ませんよ…?」
とうとう無関心さを装う事が出来なくなり、美鈴は背後の咲夜に叫んだ。
「そう、残念ね。そうすれば、ずっと一緒にいられると思ったのになぁ」
そう言って夜空を眺める咲夜の顔を、美鈴は見ることができなかった。
咲夜がどんな顔をしているか容易に想像出来るが、それを確かめたくなかったのだ。
振り返り確かめてしまうと、本当の意味で現実になってしまうからだ。
その代わり、美鈴は臆病者にはこれが精いっぱいだと言わんばかりに口を開き叫んだ。
「私が咲夜さんと一緒にいられる時間は、私の『時』の一割にも満たないかもしれません。
ですが、咲夜さんは私の心の大部分を、ずっと占め続けます。それでは物足りませんか?」
感情を抑えるために、最初から最後まで早口のように言い通した。
それでも、口にした言葉の最後の方は、涙声になっていたかもしれない。
今まで隠してきたものが一気に溢れそうになったのだ、我慢出来た保障はない。
「うんうん、私はそれで十分よ。でもね、それでも貴方に食べて欲しいのよ」
「なんで…そんなこと言うんですか?私の言葉、信用できませんか?」
「だって、ただ単に私がいくだけだと、きっと優しい貴方はそれを背負い込んでしまう。
私は貴方の重荷になんてなりたくない。でも食べてしまえば、それを振り切れると思うの」
「先程の言葉と矛盾していませんか?私とずっと一緒にいたいのでは、なかったのですか?」
「私はずっと貴方といたいわ。だけど、カコを想い続けるのって辛いだけでしょ?
私はそんな呪いみたいなもので、貴方を縛りたくないの。だからね……」
「私は……」
「私を食べて欲しい。そうすれば私はずっとあなたと一緒にいられるし、
貴方は私のことを背負い込まずにすむ。…ほら、両者両得だよ?美鈴お姉ちゃん」
咲夜は美鈴におねだりをするような言葉で話した。
ちゃかすような言葉だったが、声音は懇願の色をしていた。
「……考えておきます」
だから美鈴は折れるしかなかった。
「困らせてごめんね」
「ありがとう、美鈴」
咲夜は立て続けに短く口を動かしたあと、
身体が冷えることを理由に自室へと帰っていった。
「後で私の部屋に来なさいな。一緒に温かいコーヒーを飲みましょう」
咲夜が帰り際に言い残した、誘いの言葉に承諾の返事をした後も
しばらくの間、美鈴は屋上一人で新月を眺めていた。
泣いた跡を見られたくも、見たくもなかったからだ。
夜風が冷たい。
美鈴の頬が乾くまで、まだまだ時間がかかりそうだった。
「あぁ、咲夜さんか。ながめているんです、新月を」
紅魔館の屋上の縁に一人座っていた美鈴は、振り向き声の主を確認すると
いつもの穏やかな口調で応えたが、再び空を見上げはじめた。
今宵、月は見えない。ただ雲の切れ間から星が見えるだけである。
それを眺めるというのは、どういうことなのだろうか。
二人の間を冷たい風が走り抜ける。
春が近いとはいえ、やはりまだ夜は寒い。
「ぼっーとしていたわけね」
「……そうなりますね、咲夜さんもどうです?なかなか、おつなものですよ?」
「私は遠慮しておくわ、時間がもったいなく感じるもの」
咲夜さんが言うとなんだか変ですね、と美鈴は苦笑した。
からかわれたと思ったのだろうか、美鈴の背中に当たる咲夜の口調が強くなる。
「いくら時間を止められるといっても、私自身の時は止められないのよ?
仕方ないじゃない。それに貴方達とでは時間の感覚も違うでしょ?」
「そうでしたね、おかしなことを言ってすみません」
妖怪の美鈴と人間の咲夜では寿命に大きな差が存在する。
そのためか、二人の時間に対する感覚がまるで違うことがある。
日常生活くらいなら不便はないが、少し前のことや昔のことを話すときには
――大抵は美鈴が咲夜に合わせるのだが――食い違ってしまうことも少なくない。
「美鈴、私達が初めて出会った日のこと覚えている?」
「さすがに覚えていますよ。私が咲夜さんと出逢えた日ですからね」
「なら私が一度だけ、お嬢様にお出しする紅茶を間違えたことは?」
「少し前にそんなことがありましたね。あの頃はまだ凄く小さくて可愛かったなぁ」
その時、また一筋の風が二人の間を駆け抜けた。
「私がまだ幼かった頃の話をするとき、貴方はよく『少し前』と言うけど、
私にとって10年前は、もう既に『昔』なの」
知っていたかしら?と言う咲夜の声は少し寂しそうに聞こえた
そこから少しの間、沈黙がつづいた。
二人とも、ただ月のない夜空を眺めるだけだった。
いく筋の夜風が過ぎ去ったのだろう。その沈黙は破られた。
沈黙を生んだのが咲夜なら、その沈黙を殺したのも咲夜だった。
「美鈴、私がいなくなったら、貴方はどうするの?」
「特になにも、今までどおりのままですね」
「悲しんではくれないの?」
「そりゃ、たくさん悲しみますよ。でも、私はお嬢様の従者ですから。
いつまでも、めそめそしてはいられませんよ」
美鈴は咲夜に背を向けたままで、振り向こうとしない。
ただ、見えるはずのない新月を眺め続けている。
「でもなんで、そんなことを聞くのですか?」
「私は残していく方だから、残る方のことが気になるのよ」
「そういうものなんですか」
「いけばそれっきりだけど、残る方には、まだ続きがあるでしょ?」
「ありますね、たくさん」
「残る方は先にいった方のことを色々と思う――背負うことになる、
だけど先にいく方は、いけばそれで終わり。だから、先にいく方が楽だと思うの」
「無茶苦茶なこと、いいますね」
「実際に経験している私が言うの、真理だわ」
「経験則はあまり当てにしない方がいいですよ」
美鈴は誰との経験なのか、咲夜に聞きたかったがやめておいた。
聞いてしまうと、咲夜が壊れてしまうのではないかと思ったからだ。
だが、そんなことはお構いなしで、咲夜は言葉を続ける。
まるで自分を傷つけ、追い込むのを楽しんでいるみたいだ。
「美鈴にとって、私といられる時間ってどれくらいなの?」
「どれくらいというと?」
「何分の一とか、そういうことよ」
「厳密には言えませんが、十分の一もないと思います」
「そっか、一割にも満たないかぁ……」
「はい、一割以下です。もしかしたら五分くらいかもしれません」
臆病な美鈴には、気のきいた言葉を選ぶことは出来なかった。
もし慰めの言葉を使っても、漂流する咲夜の心を掬えなかったら……
そう考えると恐ろしくなり、気付けば率直な言葉を口にしていたのだ。
「美鈴、お願いがあるの」
「お願い…ですか?」
「うん、お願い」
「なんですか?私に出来ることなら、なんでもしますよ?」
「あのね、私がここからいなくなっても、貴方はずっとここにいるのよね?
だったら私がいなくなる少し前に、貴方に食べ……」
「嫌です!!そんなこと…出来ませんよ…?」
とうとう無関心さを装う事が出来なくなり、美鈴は背後の咲夜に叫んだ。
「そう、残念ね。そうすれば、ずっと一緒にいられると思ったのになぁ」
そう言って夜空を眺める咲夜の顔を、美鈴は見ることができなかった。
咲夜がどんな顔をしているか容易に想像出来るが、それを確かめたくなかったのだ。
振り返り確かめてしまうと、本当の意味で現実になってしまうからだ。
その代わり、美鈴は臆病者にはこれが精いっぱいだと言わんばかりに口を開き叫んだ。
「私が咲夜さんと一緒にいられる時間は、私の『時』の一割にも満たないかもしれません。
ですが、咲夜さんは私の心の大部分を、ずっと占め続けます。それでは物足りませんか?」
感情を抑えるために、最初から最後まで早口のように言い通した。
それでも、口にした言葉の最後の方は、涙声になっていたかもしれない。
今まで隠してきたものが一気に溢れそうになったのだ、我慢出来た保障はない。
「うんうん、私はそれで十分よ。でもね、それでも貴方に食べて欲しいのよ」
「なんで…そんなこと言うんですか?私の言葉、信用できませんか?」
「だって、ただ単に私がいくだけだと、きっと優しい貴方はそれを背負い込んでしまう。
私は貴方の重荷になんてなりたくない。でも食べてしまえば、それを振り切れると思うの」
「先程の言葉と矛盾していませんか?私とずっと一緒にいたいのでは、なかったのですか?」
「私はずっと貴方といたいわ。だけど、カコを想い続けるのって辛いだけでしょ?
私はそんな呪いみたいなもので、貴方を縛りたくないの。だからね……」
「私は……」
「私を食べて欲しい。そうすれば私はずっとあなたと一緒にいられるし、
貴方は私のことを背負い込まずにすむ。…ほら、両者両得だよ?美鈴お姉ちゃん」
咲夜は美鈴におねだりをするような言葉で話した。
ちゃかすような言葉だったが、声音は懇願の色をしていた。
「……考えておきます」
だから美鈴は折れるしかなかった。
「困らせてごめんね」
「ありがとう、美鈴」
咲夜は立て続けに短く口を動かしたあと、
身体が冷えることを理由に自室へと帰っていった。
「後で私の部屋に来なさいな。一緒に温かいコーヒーを飲みましょう」
咲夜が帰り際に言い残した、誘いの言葉に承諾の返事をした後も
しばらくの間、美鈴は屋上一人で新月を眺めていた。
泣いた跡を見られたくも、見たくもなかったからだ。
夜風が冷たい。
美鈴の頬が乾くまで、まだまだ時間がかかりそうだった。
咲夜さんが・・・半月思い出しながらみたらりかおもいだした
さて、美鈴はその時、どうするかな