麗らかな午後の日差しが差し込む大学構内のカフェテラス。
お茶を楽しむ学生達の間には、休日を明日に控えているせいもあってどこか弛緩した雰囲気が漂っている。
そんな空気には似つかわしくない、けたたましい音を立てて蓮子がカフェテラスの中に駆け込んで来た。突然の闖入者に学生達がざわめくが、彼女はまるで目もくれない。誰かを探すようにきょろきょろと辺りを見回す蓮子は、ゆったりと紅茶を飲んでいるメリーを見つけるや否や、店中に響くような声で叫んだ。
「メリー、大変よ! 見て! これを見て!」
「蓮子……、あなた鼻息が荒いわよ。それにカフェの中では静かにしなくちゃ、ね?」
若干呆れ顔のメリーにやんわりとたしなめられて、ようやく蓮子は自分が学生達の注目を集めていることに気がついた。毎度毎度の事、まるで二人のやり取りがこの大学の名物であるかのように回りの学生達が笑っている。
「ねえねえ、二人の関係はどこまで進んでいるの!?」
「結婚式には絶対呼んでよね! 私が友人代表でスピーチしてあげる!」
「くそっ、この際男でもいいから俺も恋人がほしいぜ!」
次々にヤジを飛ばされ真っ赤になる二人。これもいつもの光景である。
「みんなこっち見てるじゃない。うわ、恥ずかしい……」
「もう、急に大きな声出すから……。ところで蓮子、一体どうしたの? 何か面白い物でもあった?」
「あー、と、そうだった。これよ、これ。これをメリーに見せようと思って……」
尋ねるメリーに対して、蓮子は顔を赤くしたまま二つ折りにされた一枚の紙を手渡した。世界的に有名なハンバーガーチェーンのチラシだ。白塗りのピエロがこちらを向いてにっこりと笑っている。
(蓮子があんなに慌てるなんて、このチラシにどんな秘密が隠されているというの?)
蓮子が大変だというのならよほどのことに違いない。親友として、秘封倶楽部の相棒として、メリーは蓮子のことを信頼していた。その蓮子が持って来たチラシなら、きっとすごいことが書かれている。軽い興奮を覚えながらメリーはチラシを広げた。
「これは……、ビーフ、ひゃ、百パーセント!? しかも完全数量限定で、お値段は通常のハンバーガーと同じですって!? ねえ蓮子、これって……!」
メリーの目が驚愕に見開かれる。これはたしかに大変だ、一大事だ。興奮のあまり口の中が渇く。貧血さえ起こしそうだ。
「おい、今の聞いたか?」
「百パーセントって、本物って事だよね……? ウソ、信じられない!」
話を聞いていた学生達の間にもどよめきが起こった。動揺が伝染しているのだ。
チラシの上にはでかでかと踊っているビーフ百パーセントの文字。その文字は今を生きる人々にとって非常に特別な意味を持っていた。仮にビーフ百パーセントの文字ではなく、十割引のクーポン券がチラシについていただけならば、きっとここまで騒ぐこともなかったであろう。
この時代、天然物の食材は非常に珍しい。かつて、爆発的な人口の増加や世界的な経済危機、地球規模の気候変動などにより世界中が深刻な食糧不足に陥ったことが原因だ。
第三次世界大戦の勃発も間近と囁かれる中で、この事態を人類存亡の危機と捉えた各国は本格的な合成食料の開発に着手した。たんぱく質や糖類などを人工的に組み合わせて肉や魚に模したそれは、何よりもまず高い栄養価と安価で大量生産が可能な事を前提に開発されている。
もっとも、合成食料が実用化されるころには既に人口は大きく減ってしまっていたのだが。
「ふっふっふ、解るでしょメリー。総天然物よ総天然物。ビーフ百パーセントのパティが当たり前だったなんて今や昔の物語! 知ってる? 昔ハンバーガーはジャンクフードって呼ばれてたのよ。言うに事欠いてジャンク呼ばわりなんて昔の人はお肉様に申し訳ないと思わなかったのかしらね!?」
拳を大きく振り上げて蓮子は熱く語り始めた。結局のところ、人口が減ったからといって食糧事情が回復することはなかった。それ以上に生産者や生産できる環境が減ってしまったためである。
今では合成食料が毎日の食事の主流である。たとえ天然素材と銘打たれた商品が出回っていたとしても、たいていの場合は天然物が五割、合成品が五割といったような、いわゆる『混じり物』なのが現状だった。
「合成品の混じってない食べ物なんてお祝いの時でもないとなかなか食べられないんだもの、この機を逃す手なんてないじゃない! そう、そうよ! 今、私のこの若くて健康な肉体が新鮮なお肉を求めているのよ!!」
蓮子の背後に炎が見えた気がしてメリーは思わず拍手をしていた。
正直なところ、合成食料の味は天然物と比べると大きく劣っている。どんなに技術が向上しても、天然物と合成品の差はなかなか縮めることができなかったのだ。生まれたときから合成品で、その味に特に不満もなく生きてきたこの時代の人々であっても、一度天然物の味を知ってしまえば今まで食べてきたものはなんだったのかと思わずにはいられない。
今、蓮子とメリーはまるでシンパシストのように同じ気持ちを共有している。二人は丹念に捏ねられたパティが灼熱の鉄板の上で踊るさまを想像した。肉が油と絡み合い、心躍るメロディを奏でている。あたりに立ち込めるのは肉本来の持つ香りと、これは胡椒だろうか、食欲をそそるえもいわれぬ芳香が鼻腔をくすぐってくる。バンズも天然物だったらいいなあ。香ばしく焼き上げられたバンズの間にこれまた焼きたてのパティが挟み込まれる。一口頬張れば肉汁と小麦の香りがあふれ出すのだ。
ああ、ハンバーガー、夢のような天然物。合成品では決してたどり着けないその境地。
「素敵だわ蓮子。本当に最高よ。考えただけで涎が出そう。きっと私たち秘封倶楽部の歴史に輝かしい一ページが加わるのね?」
メリーがうっとりとした顔で蓮子に言った。その瞳は蓮子を遥かに通り過ぎ、まだ見ぬ天然物のハンバーガーを映しているようだ。
「もちろんよメリー。このチラシには明日午前九時から販売開始と書いてあるわ。まるでお店のほうが私たちに来てほしがってるみたいだと思わない? だったらもう私たちのやるべきことは一つしかないじゃない!」
お互いに見つめあう二人。心は一つだ。
「だからねメリー、明日一緒にハンバーガーを食べに行かない?」
「それじゃあ蓮子、明日は二人でハンバーガーを食べに行きましょう」
/
早朝、蓮子はまだ暗い街の中を駆けている。空を見上げれば時刻は午前五時三十八分、メリーとの待ち合わせの時間はもう過ぎていた。
あたりはシンとしていて蓮子の息遣い以外に音を立てるものはいない。時折夜通し走り続けてきたのであろうトラックのエンジン音が聞こえてくるくらいのものだ。
息を切らせながら待ち合わせの場所にたどり行いた蓮子だったが、そこにメリーの姿は見当たらなかった。メリーも遅刻だろうか。
「……メリー、いるの? いるんだったら出てきてよ……」
ふと何者かの気配を感じて、蓮子は恐る恐る声をかけた。
「出てきましょうか?」
「!」
蓮子の心臓が跳ね上がる。老いさらばえた婆のような、穢れを知らない童女のような不気味な声がだった。メリーにこんな声が出せたかどうか蓮子の記憶にはない。電柱の脇に立てかけられた『変質者に注意』と書かれた看板が、やけに存在感があるように感じられた。
「ほら、出てきました」
「ひええ、お助けえぇぇ」
突如、真後ろから声をかけられて、蓮子が素っ頓狂な声を上げる。涙目になりながらそっと振り返れば、メリーが腹を抱え、声を殺して笑っていた。メリーだ、確かにメリーだ。
「メリー、脅かさないでよぅ。心臓止まるかと思った……」
「まったくもう、蓮子ったらいっつも遅刻するんだから。移木の信って言葉もあるように、ちゃんと約束守らないと嫌いになっちゃうわよ?」
不気味な声色を作ったままメリーが言う。蓮子の遅刻はいつものことである。メリーもただ待っているのはなんだか癪だったので、ちょっと脅かしてやろうと思ったのだ。
「ごめんなさい、もう遅刻はしません。だから嫌いにならないでくださいぃ……」
「はい、わかりました。ふふっ、蓮子の面白い顔が見られたから許してあげます。……ところで、これからどうするの?」
「すっかり忘れるところだったけど、そうよ! 善は急げよメリー、早速ハンバーガーショップへ向かいましょう!」
先ほどの件もあってか、まだ日も昇る前だというのに蓮子のテンションは真昼のものに近い。昨日、蓮子の勢いに流されてこんな時間に待ち合わせの約束をしてしまったメリーの顔には、本当にこの時間に来る必要があったのだろうかという疑問符が現れていた。
「駅まで歩いて行って、そこから繁華街まで電車で三十分くらいでしょう? 早く行くのはいいけれど、こんな時間じゃお店も開いてないわよ。どこかで時間を潰すあてはある?」
メリーの言葉に蓮子はきょとんとした顔をしている。そのうち何かを理解したように、笑いながら何度も何度も頷きはじめた。
「あー、なんだか馬鹿にされてるー」
「ゴメンゴメン、そんなつもりじゃないのよ。そっか、メリーはこういう限定物のイベントは初めてなのね。ほら、日本人ってお祭り騒ぎが大好きでしょう? きっと今日はハンバーガーを買うために並んでいるのか、行列に並ぶために並んでいるのかってくらいの人が集まるわ。特に今回はいくつ販売されるのか分からないから、私たちもなるべく早く行って並んでおこうって訳」
「……すごいところに行くのね、私たち」
「さあ、そうと分かればさっそく出発よ! 天然物のハンバーガーが私たちを待ってるわー!」
蓮子の威勢のいい声をきっかけに二人は歩き始めた。東の空がだんだんと明るくなりだしている。もうすぐ夜が明けるのだ。
「見て、蓮子。すごい朝焼けだよ」
「本当だ。朝なのに夕方みたい」
暁の光を浴びてもまだ街は眠ったままだった。無機質な建物郡は人気がないのも相まって、生きているのか死んでいるのか曖昧である。さらにそこへ朝焼けの赤が加わることで、まるで異界の中に紛れ込んでしまったかのような錯覚を蓮子は覚えた。
「真っ赤だね。ここまで赤い朝焼けは初めて」
「そうだね、メリー……」
朝焼けを背中に受けてメリーが言う。彼女の鮮やかな金髪は赤色の世界の中に溶け込んで、徐々にその輪郭を失っていくかのように蓮子には思えた。例えるならメリーと朝焼けの境界が薄れてきているというべきだろうか。蓮子に境界を見る力はない。だが、何か得体の知れない不安に駆られていた。
「……メリーは歩くのがゆっくりだなぁ! あんまりゆっくりだと置いていっちゃうよ?」
「わ、わ、急にどうしたのよ蓮子? いきなりなんて恥ずかしいわよ」
「あはは、女同士なんだから恥ずかしがることなんてないじゃない。それにこの時間じゃ誰も見てないわよ」
蓮子はしがみつくようにメリーと腕を組んで、早く行こうと急かした。メリーが少し頬を赤らめて抗議をしたがどこ吹く風だ。
実のところ、メリーの歩くスピードが遅いかというとそんなことはなかった。早く行こうというのも建前に過ぎなかった。ただ、なぜだかメリーを捕まえておかなければいけないと思ったのだ。
メリーがこのまま朝焼けの中に溶けてどこか遠くに行ってしまうような、もう二度と会えなくなってしまうような気がしたなどとはとても言えなかった。言ってメリーに変な顔をされるのは嫌だったし、なにより口にしてしまうことで妄想が現実になってしまうように感じたからだ。
こんなことを考えてしまうのはきっと朝焼けのせいだろう。朝焼けがあんまりにも赤いから、ちょっとセンチメンタルになってしまったのだ。
(普通、センチな気分になるのは夕暮れ時って決まってるんだけどね……)
「蓮子、急にぼうっとしちゃってどうしたの? 気分でも悪いの?」
いつの間にか呆けていたのか、半ば引きずられるようにして歩くメリーが心配そうに問いかける。一瞬、蓮子は心でも読まれたのかとどきりとした。そんなことあるはずがない、蓮子は慌てて否定した。朝からこんなんじゃ精神的に不健康だ。
「何言ってるのよメリー、私はいつだって健康な女よ。さっきは夢にまで見た天然物のハンバーガーを想像していただけよ」
「もう、蓮子ったら食いしん坊なんだから」
「なによー、メリーだって昨日あんなに楽しみにしてたじゃない」
メリーがくすくすと笑っている。組んだ腕越しに体温が伝わってきた。所詮妄想は妄想に過ぎないのだ。ありえないことを心配したところで何も始まらない。
目指す駅ははもうすぐだ。暁の街を抜ければまたいつもの騒がしい日々が続いていくのだろう。
「メリー、電車を降りればハンバーガーショップはもう目の前よ。さあ、覚悟はいいかしら?」
「ふふ、もちろんよ蓮子。望むところですわ」
/
天然物は希小品である。合成品ではいまだ再現できないその味を求め、今日は大勢の人たちがハンバーガーショップの前へ詰め掛けるだろうとあらかじめ予測していた。そしてその予測はたしかに当たっていた。当たっていたのだが――
「蓮子……。これ、どうなってるの……?」
「まさか……、徹夜組だとでもいうの……? こんなに、たくさん……!」
あたり一面の人、人、人。通りを埋め尽くすほどの人、人、人。普通の人ならばまだのんびりと朝ごはんを食べているような時間帯なのに、ハンバーガーショップの前にはすでに黒山の人だかりができていた。店側も予想以上の集客だったのだろう、開店前だというのに店員の青年が慣れない様子で必死に行列を捌いていた。
「ふふ、ふふふふふ。面白いじゃない。これは私達への挑戦と受け取ったわ。人の波が何よ、行列が何だっていうの? メリー、日本人の意地を見せてやりましょう」
「私は日本人じゃないよぅ、蓮子……」
壮絶なまでの笑みを浮かべている蓮子を見て、メリーは盛大にため息をついた。
(蓮子は本当にこういうイベントが好きなんだな。それにしても天然物のハンバーガー、ちゃんと食べられるかな?)
「どうしたのよメリー、ため息なんかついちゃってさ。天然物のハンバーガーまでもう一ふんばりよ。さあ、行きましょう、メリー!」
蓮子が何も迷うことなく列の最後尾まで歩いてゆく。メリーは一瞬ためらったものの、はぐれても困るので小走りに蓮子の後を追った。一度並んでしまえば後はもう持久戦である。
時間が刻々と過ぎてゆく。二人の後ろにもこれでもかというほどの長蛇の列ができている。いったいどれほどの人数がこの場所に集まっているのか、まるで見当がつかなかった。
「あら奥さん。奥さんもここに来てたの? 私は天然物のお肉が食べられるって聞いて、いても立ってもいられなくなっちゃって。たまの贅沢だもの、いいわよねえ」
「そうよねえ、たまには贅沢しなくちゃねえ。あたしん家なんて最後に天然物のお肉食べたのいつだったか覚えてないわよう」
行列の中で世間話を始めたかしましいおばちゃんの集団。
「ねえ、おとうさん。お肉ってどんな味がするの?」
「うーん……、そうだなあ。こう、口の中にうまみがジュワーって広がって……、ってこれじゃ分からないよなあ。」
お肉の味をしどろもどろに説明する父親と、天然物を食べたことがない少年。
「懐かしいですねえ、お爺さん。わたしたちが初めてデートしたときもハンバーガーを食べたんでしたねえ。あのころは若かったわあ」
「いやなに、お婆さん。お婆さんは今もとてもきれいですよ。こうしてまた昔のように二人でハンバーガーを食べる機会ができるなんて、僕は幸せ者だなあ」
昔語りをする仲睦まじい老夫婦。
「なあ、お前も来いよ。ビーフ百パーだぜ、百パー。ヤバいって、マジヤバいって。今からならまだ間に合うかもしんねーからさ。なあ――」
携帯端末を手に誰かと話をしている若者。
列を構成する人々は老いも若きもさまざまだが、誰一人として例外なく、希望に満ちた表情をしていた。
「メリー、そろそろ時間だよ」
空を見上げたまま蓮子が言う。次の瞬間、列の遥か前方で大きな歓声が巻き起こった。時刻は午前9時、ついに天然ハンバーガーの販売が始まったのだ。
ゆっくりと、しかし確実に、列は一歩一歩進んでゆく。さっそく天然物のハンバーガーを手に入れた人達がとても幸せそうな顔で二人の脇を通り過ぎていった。その姿に自分達を重ねてみる。うん、最高だ。
「蓮子、なんだか私どきどきしてきちゃった……」
「私もよ、メリー……」
人の波に流されてはぐれたりしないよう、二人はどちらからともなく手を繋いだ。期待と緊張のせいでひどく汗ばんでいたけれども、それは決して不快ではなく、むしろ二人が同じ気持ちでいる証だった。
手の平から互いの鼓動が感じ取れる。いつもより少し速い、心地よいリズム。この音を感じているだけで、二人はどんな苦難にも負けないだけの勇気がわいてくるような気がしていた。
そうだ、緊張なんてする必要なんてないんだ。繋いだ手に力をこめればお互いをより一層強く認識することができる。二人が一緒なら、もう何も怖いものなんてない。
「もうすぐね、蓮子。私たち、ちゃんとハンバーガー買えるわよね?」
「きっと買える。いえ、絶対に買えるわ。そう信じましょう、メリー」
列は前に進み続ける。
だんだんと二人の順番が近づいてくる。
もうすぐハンバーガーが、天然物のハンバーガーが手に入るのだ。
ハンバーガーが。
夢にまで見たハンバーガーが。
誰もが恋焦がれるハンバーガーが。
すぐ、そこに――――――
お茶を楽しむ学生達の間には、休日を明日に控えているせいもあってどこか弛緩した雰囲気が漂っている。
そんな空気には似つかわしくない、けたたましい音を立てて蓮子がカフェテラスの中に駆け込んで来た。突然の闖入者に学生達がざわめくが、彼女はまるで目もくれない。誰かを探すようにきょろきょろと辺りを見回す蓮子は、ゆったりと紅茶を飲んでいるメリーを見つけるや否や、店中に響くような声で叫んだ。
「メリー、大変よ! 見て! これを見て!」
「蓮子……、あなた鼻息が荒いわよ。それにカフェの中では静かにしなくちゃ、ね?」
若干呆れ顔のメリーにやんわりとたしなめられて、ようやく蓮子は自分が学生達の注目を集めていることに気がついた。毎度毎度の事、まるで二人のやり取りがこの大学の名物であるかのように回りの学生達が笑っている。
「ねえねえ、二人の関係はどこまで進んでいるの!?」
「結婚式には絶対呼んでよね! 私が友人代表でスピーチしてあげる!」
「くそっ、この際男でもいいから俺も恋人がほしいぜ!」
次々にヤジを飛ばされ真っ赤になる二人。これもいつもの光景である。
「みんなこっち見てるじゃない。うわ、恥ずかしい……」
「もう、急に大きな声出すから……。ところで蓮子、一体どうしたの? 何か面白い物でもあった?」
「あー、と、そうだった。これよ、これ。これをメリーに見せようと思って……」
尋ねるメリーに対して、蓮子は顔を赤くしたまま二つ折りにされた一枚の紙を手渡した。世界的に有名なハンバーガーチェーンのチラシだ。白塗りのピエロがこちらを向いてにっこりと笑っている。
(蓮子があんなに慌てるなんて、このチラシにどんな秘密が隠されているというの?)
蓮子が大変だというのならよほどのことに違いない。親友として、秘封倶楽部の相棒として、メリーは蓮子のことを信頼していた。その蓮子が持って来たチラシなら、きっとすごいことが書かれている。軽い興奮を覚えながらメリーはチラシを広げた。
「これは……、ビーフ、ひゃ、百パーセント!? しかも完全数量限定で、お値段は通常のハンバーガーと同じですって!? ねえ蓮子、これって……!」
メリーの目が驚愕に見開かれる。これはたしかに大変だ、一大事だ。興奮のあまり口の中が渇く。貧血さえ起こしそうだ。
「おい、今の聞いたか?」
「百パーセントって、本物って事だよね……? ウソ、信じられない!」
話を聞いていた学生達の間にもどよめきが起こった。動揺が伝染しているのだ。
チラシの上にはでかでかと踊っているビーフ百パーセントの文字。その文字は今を生きる人々にとって非常に特別な意味を持っていた。仮にビーフ百パーセントの文字ではなく、十割引のクーポン券がチラシについていただけならば、きっとここまで騒ぐこともなかったであろう。
この時代、天然物の食材は非常に珍しい。かつて、爆発的な人口の増加や世界的な経済危機、地球規模の気候変動などにより世界中が深刻な食糧不足に陥ったことが原因だ。
第三次世界大戦の勃発も間近と囁かれる中で、この事態を人類存亡の危機と捉えた各国は本格的な合成食料の開発に着手した。たんぱく質や糖類などを人工的に組み合わせて肉や魚に模したそれは、何よりもまず高い栄養価と安価で大量生産が可能な事を前提に開発されている。
もっとも、合成食料が実用化されるころには既に人口は大きく減ってしまっていたのだが。
「ふっふっふ、解るでしょメリー。総天然物よ総天然物。ビーフ百パーセントのパティが当たり前だったなんて今や昔の物語! 知ってる? 昔ハンバーガーはジャンクフードって呼ばれてたのよ。言うに事欠いてジャンク呼ばわりなんて昔の人はお肉様に申し訳ないと思わなかったのかしらね!?」
拳を大きく振り上げて蓮子は熱く語り始めた。結局のところ、人口が減ったからといって食糧事情が回復することはなかった。それ以上に生産者や生産できる環境が減ってしまったためである。
今では合成食料が毎日の食事の主流である。たとえ天然素材と銘打たれた商品が出回っていたとしても、たいていの場合は天然物が五割、合成品が五割といったような、いわゆる『混じり物』なのが現状だった。
「合成品の混じってない食べ物なんてお祝いの時でもないとなかなか食べられないんだもの、この機を逃す手なんてないじゃない! そう、そうよ! 今、私のこの若くて健康な肉体が新鮮なお肉を求めているのよ!!」
蓮子の背後に炎が見えた気がしてメリーは思わず拍手をしていた。
正直なところ、合成食料の味は天然物と比べると大きく劣っている。どんなに技術が向上しても、天然物と合成品の差はなかなか縮めることができなかったのだ。生まれたときから合成品で、その味に特に不満もなく生きてきたこの時代の人々であっても、一度天然物の味を知ってしまえば今まで食べてきたものはなんだったのかと思わずにはいられない。
今、蓮子とメリーはまるでシンパシストのように同じ気持ちを共有している。二人は丹念に捏ねられたパティが灼熱の鉄板の上で踊るさまを想像した。肉が油と絡み合い、心躍るメロディを奏でている。あたりに立ち込めるのは肉本来の持つ香りと、これは胡椒だろうか、食欲をそそるえもいわれぬ芳香が鼻腔をくすぐってくる。バンズも天然物だったらいいなあ。香ばしく焼き上げられたバンズの間にこれまた焼きたてのパティが挟み込まれる。一口頬張れば肉汁と小麦の香りがあふれ出すのだ。
ああ、ハンバーガー、夢のような天然物。合成品では決してたどり着けないその境地。
「素敵だわ蓮子。本当に最高よ。考えただけで涎が出そう。きっと私たち秘封倶楽部の歴史に輝かしい一ページが加わるのね?」
メリーがうっとりとした顔で蓮子に言った。その瞳は蓮子を遥かに通り過ぎ、まだ見ぬ天然物のハンバーガーを映しているようだ。
「もちろんよメリー。このチラシには明日午前九時から販売開始と書いてあるわ。まるでお店のほうが私たちに来てほしがってるみたいだと思わない? だったらもう私たちのやるべきことは一つしかないじゃない!」
お互いに見つめあう二人。心は一つだ。
「だからねメリー、明日一緒にハンバーガーを食べに行かない?」
「それじゃあ蓮子、明日は二人でハンバーガーを食べに行きましょう」
/
早朝、蓮子はまだ暗い街の中を駆けている。空を見上げれば時刻は午前五時三十八分、メリーとの待ち合わせの時間はもう過ぎていた。
あたりはシンとしていて蓮子の息遣い以外に音を立てるものはいない。時折夜通し走り続けてきたのであろうトラックのエンジン音が聞こえてくるくらいのものだ。
息を切らせながら待ち合わせの場所にたどり行いた蓮子だったが、そこにメリーの姿は見当たらなかった。メリーも遅刻だろうか。
「……メリー、いるの? いるんだったら出てきてよ……」
ふと何者かの気配を感じて、蓮子は恐る恐る声をかけた。
「出てきましょうか?」
「!」
蓮子の心臓が跳ね上がる。老いさらばえた婆のような、穢れを知らない童女のような不気味な声がだった。メリーにこんな声が出せたかどうか蓮子の記憶にはない。電柱の脇に立てかけられた『変質者に注意』と書かれた看板が、やけに存在感があるように感じられた。
「ほら、出てきました」
「ひええ、お助けえぇぇ」
突如、真後ろから声をかけられて、蓮子が素っ頓狂な声を上げる。涙目になりながらそっと振り返れば、メリーが腹を抱え、声を殺して笑っていた。メリーだ、確かにメリーだ。
「メリー、脅かさないでよぅ。心臓止まるかと思った……」
「まったくもう、蓮子ったらいっつも遅刻するんだから。移木の信って言葉もあるように、ちゃんと約束守らないと嫌いになっちゃうわよ?」
不気味な声色を作ったままメリーが言う。蓮子の遅刻はいつものことである。メリーもただ待っているのはなんだか癪だったので、ちょっと脅かしてやろうと思ったのだ。
「ごめんなさい、もう遅刻はしません。だから嫌いにならないでくださいぃ……」
「はい、わかりました。ふふっ、蓮子の面白い顔が見られたから許してあげます。……ところで、これからどうするの?」
「すっかり忘れるところだったけど、そうよ! 善は急げよメリー、早速ハンバーガーショップへ向かいましょう!」
先ほどの件もあってか、まだ日も昇る前だというのに蓮子のテンションは真昼のものに近い。昨日、蓮子の勢いに流されてこんな時間に待ち合わせの約束をしてしまったメリーの顔には、本当にこの時間に来る必要があったのだろうかという疑問符が現れていた。
「駅まで歩いて行って、そこから繁華街まで電車で三十分くらいでしょう? 早く行くのはいいけれど、こんな時間じゃお店も開いてないわよ。どこかで時間を潰すあてはある?」
メリーの言葉に蓮子はきょとんとした顔をしている。そのうち何かを理解したように、笑いながら何度も何度も頷きはじめた。
「あー、なんだか馬鹿にされてるー」
「ゴメンゴメン、そんなつもりじゃないのよ。そっか、メリーはこういう限定物のイベントは初めてなのね。ほら、日本人ってお祭り騒ぎが大好きでしょう? きっと今日はハンバーガーを買うために並んでいるのか、行列に並ぶために並んでいるのかってくらいの人が集まるわ。特に今回はいくつ販売されるのか分からないから、私たちもなるべく早く行って並んでおこうって訳」
「……すごいところに行くのね、私たち」
「さあ、そうと分かればさっそく出発よ! 天然物のハンバーガーが私たちを待ってるわー!」
蓮子の威勢のいい声をきっかけに二人は歩き始めた。東の空がだんだんと明るくなりだしている。もうすぐ夜が明けるのだ。
「見て、蓮子。すごい朝焼けだよ」
「本当だ。朝なのに夕方みたい」
暁の光を浴びてもまだ街は眠ったままだった。無機質な建物郡は人気がないのも相まって、生きているのか死んでいるのか曖昧である。さらにそこへ朝焼けの赤が加わることで、まるで異界の中に紛れ込んでしまったかのような錯覚を蓮子は覚えた。
「真っ赤だね。ここまで赤い朝焼けは初めて」
「そうだね、メリー……」
朝焼けを背中に受けてメリーが言う。彼女の鮮やかな金髪は赤色の世界の中に溶け込んで、徐々にその輪郭を失っていくかのように蓮子には思えた。例えるならメリーと朝焼けの境界が薄れてきているというべきだろうか。蓮子に境界を見る力はない。だが、何か得体の知れない不安に駆られていた。
「……メリーは歩くのがゆっくりだなぁ! あんまりゆっくりだと置いていっちゃうよ?」
「わ、わ、急にどうしたのよ蓮子? いきなりなんて恥ずかしいわよ」
「あはは、女同士なんだから恥ずかしがることなんてないじゃない。それにこの時間じゃ誰も見てないわよ」
蓮子はしがみつくようにメリーと腕を組んで、早く行こうと急かした。メリーが少し頬を赤らめて抗議をしたがどこ吹く風だ。
実のところ、メリーの歩くスピードが遅いかというとそんなことはなかった。早く行こうというのも建前に過ぎなかった。ただ、なぜだかメリーを捕まえておかなければいけないと思ったのだ。
メリーがこのまま朝焼けの中に溶けてどこか遠くに行ってしまうような、もう二度と会えなくなってしまうような気がしたなどとはとても言えなかった。言ってメリーに変な顔をされるのは嫌だったし、なにより口にしてしまうことで妄想が現実になってしまうように感じたからだ。
こんなことを考えてしまうのはきっと朝焼けのせいだろう。朝焼けがあんまりにも赤いから、ちょっとセンチメンタルになってしまったのだ。
(普通、センチな気分になるのは夕暮れ時って決まってるんだけどね……)
「蓮子、急にぼうっとしちゃってどうしたの? 気分でも悪いの?」
いつの間にか呆けていたのか、半ば引きずられるようにして歩くメリーが心配そうに問いかける。一瞬、蓮子は心でも読まれたのかとどきりとした。そんなことあるはずがない、蓮子は慌てて否定した。朝からこんなんじゃ精神的に不健康だ。
「何言ってるのよメリー、私はいつだって健康な女よ。さっきは夢にまで見た天然物のハンバーガーを想像していただけよ」
「もう、蓮子ったら食いしん坊なんだから」
「なによー、メリーだって昨日あんなに楽しみにしてたじゃない」
メリーがくすくすと笑っている。組んだ腕越しに体温が伝わってきた。所詮妄想は妄想に過ぎないのだ。ありえないことを心配したところで何も始まらない。
目指す駅ははもうすぐだ。暁の街を抜ければまたいつもの騒がしい日々が続いていくのだろう。
「メリー、電車を降りればハンバーガーショップはもう目の前よ。さあ、覚悟はいいかしら?」
「ふふ、もちろんよ蓮子。望むところですわ」
/
天然物は希小品である。合成品ではいまだ再現できないその味を求め、今日は大勢の人たちがハンバーガーショップの前へ詰め掛けるだろうとあらかじめ予測していた。そしてその予測はたしかに当たっていた。当たっていたのだが――
「蓮子……。これ、どうなってるの……?」
「まさか……、徹夜組だとでもいうの……? こんなに、たくさん……!」
あたり一面の人、人、人。通りを埋め尽くすほどの人、人、人。普通の人ならばまだのんびりと朝ごはんを食べているような時間帯なのに、ハンバーガーショップの前にはすでに黒山の人だかりができていた。店側も予想以上の集客だったのだろう、開店前だというのに店員の青年が慣れない様子で必死に行列を捌いていた。
「ふふ、ふふふふふ。面白いじゃない。これは私達への挑戦と受け取ったわ。人の波が何よ、行列が何だっていうの? メリー、日本人の意地を見せてやりましょう」
「私は日本人じゃないよぅ、蓮子……」
壮絶なまでの笑みを浮かべている蓮子を見て、メリーは盛大にため息をついた。
(蓮子は本当にこういうイベントが好きなんだな。それにしても天然物のハンバーガー、ちゃんと食べられるかな?)
「どうしたのよメリー、ため息なんかついちゃってさ。天然物のハンバーガーまでもう一ふんばりよ。さあ、行きましょう、メリー!」
蓮子が何も迷うことなく列の最後尾まで歩いてゆく。メリーは一瞬ためらったものの、はぐれても困るので小走りに蓮子の後を追った。一度並んでしまえば後はもう持久戦である。
時間が刻々と過ぎてゆく。二人の後ろにもこれでもかというほどの長蛇の列ができている。いったいどれほどの人数がこの場所に集まっているのか、まるで見当がつかなかった。
「あら奥さん。奥さんもここに来てたの? 私は天然物のお肉が食べられるって聞いて、いても立ってもいられなくなっちゃって。たまの贅沢だもの、いいわよねえ」
「そうよねえ、たまには贅沢しなくちゃねえ。あたしん家なんて最後に天然物のお肉食べたのいつだったか覚えてないわよう」
行列の中で世間話を始めたかしましいおばちゃんの集団。
「ねえ、おとうさん。お肉ってどんな味がするの?」
「うーん……、そうだなあ。こう、口の中にうまみがジュワーって広がって……、ってこれじゃ分からないよなあ。」
お肉の味をしどろもどろに説明する父親と、天然物を食べたことがない少年。
「懐かしいですねえ、お爺さん。わたしたちが初めてデートしたときもハンバーガーを食べたんでしたねえ。あのころは若かったわあ」
「いやなに、お婆さん。お婆さんは今もとてもきれいですよ。こうしてまた昔のように二人でハンバーガーを食べる機会ができるなんて、僕は幸せ者だなあ」
昔語りをする仲睦まじい老夫婦。
「なあ、お前も来いよ。ビーフ百パーだぜ、百パー。ヤバいって、マジヤバいって。今からならまだ間に合うかもしんねーからさ。なあ――」
携帯端末を手に誰かと話をしている若者。
列を構成する人々は老いも若きもさまざまだが、誰一人として例外なく、希望に満ちた表情をしていた。
「メリー、そろそろ時間だよ」
空を見上げたまま蓮子が言う。次の瞬間、列の遥か前方で大きな歓声が巻き起こった。時刻は午前9時、ついに天然ハンバーガーの販売が始まったのだ。
ゆっくりと、しかし確実に、列は一歩一歩進んでゆく。さっそく天然物のハンバーガーを手に入れた人達がとても幸せそうな顔で二人の脇を通り過ぎていった。その姿に自分達を重ねてみる。うん、最高だ。
「蓮子、なんだか私どきどきしてきちゃった……」
「私もよ、メリー……」
人の波に流されてはぐれたりしないよう、二人はどちらからともなく手を繋いだ。期待と緊張のせいでひどく汗ばんでいたけれども、それは決して不快ではなく、むしろ二人が同じ気持ちでいる証だった。
手の平から互いの鼓動が感じ取れる。いつもより少し速い、心地よいリズム。この音を感じているだけで、二人はどんな苦難にも負けないだけの勇気がわいてくるような気がしていた。
そうだ、緊張なんてする必要なんてないんだ。繋いだ手に力をこめればお互いをより一層強く認識することができる。二人が一緒なら、もう何も怖いものなんてない。
「もうすぐね、蓮子。私たち、ちゃんとハンバーガー買えるわよね?」
「きっと買える。いえ、絶対に買えるわ。そう信じましょう、メリー」
列は前に進み続ける。
だんだんと二人の順番が近づいてくる。
もうすぐハンバーガーが、天然物のハンバーガーが手に入るのだ。
ハンバーガーが。
夢にまで見たハンバーガーが。
誰もが恋焦がれるハンバーガーが。
すぐ、そこに――――――
>メリーはくすりと笑い、細い指先を蓮子の『おべんとう』に伸ばした。
『おべんとう』は口で取ってそのまま食べるべき。
面白かったです
ハッピーエンドという感じで、これはこれでありでしょうけども。
自分は、一つしか手に入らず、二人で分けたりする展開を想像したりしてました(笑)
ほのぼのしたお話、ご馳走様です。
あとがきの言葉にはかなり唸らされました(笑)
題材はいいんですが話が少し薄く感じられたので、もうひとひねり欲しかったかもw
ということで80点
ありがとうございました。
さり気に後書きが神主仕様ですね。
合理性の先にあるのは、果たして幸せなのだろうか。