※前作「地霊殿はねこまっしぐら!」とほんのちょっとだけ関係があります。
※ですが、ある程度補っているので前作を読まなくても大丈夫な仕様となっております。
この注意を踏まえた上で、どうぞ。
ペット。それは何か。
一般的には、日常生活で飼育される動物のことである。または、愛玩を目的として飼われる生物とも言われる。
ではここを見ている皆さんは、ペットと言えば何を最初に思い浮かべるだろうか。
犬?猫?ハムスター?兎?鳥類?魚類?昆虫?それとも植物?
大抵の人はこれらを思い浮かべるだろうが、今回の話はそれらとはまた異なる話だ。
これは、地底の館に住まう二人と二匹、そしてペット一頭のお話である………。
◆猫耳ジャンボタニシを飼ってみた。◆
「さとりさまー!さとりさまはいずこかー!」
地霊殿。地底にある洋風の建物である。
今の地上の季節は夏真っ盛りらしく、蒸し暑い時期が続いているそうだ。地底は割と涼しいのだが。
さて、ここ地霊殿は普段静かな場所だが、今日は賑やかな様子。
それもそのはず、地霊殿で飼われているペットの一匹が一際大きな声をあげたからだ。
ばたん!
「さとりさま!」
「…聞こえていますよ、空。そんなに大きな声を出さなくても、ちゃんと聞こえていますから」
「えへへ、すみません」
ぺこりと謝る黒髪の少女。名前を霊烏路空という。
背中には立派な翼が生えており、羽織っている白いマントも、よく目立っている。因みに今日は右手の制御棒をはめていない。
そんな勢い良く入ってきた空を嗜めたのは、地霊殿の主である古明地さとり。
また何事か厄介事を持ってきたのかしら、と思ったが、少し訳ありなようだ。
「で、空。私に何か用でもあるんですか?」
「あ…はい!実はですね?さとりさま。そのー…」
少しもじもじとする空。
いつもならストレートに言いたいことを言ってくる空だが、言いあぐねているのは珍しい。
空も少しは慎みを持つようになったのかしら、とさとりは思う。それだったら少しは嬉しいのだけど。
「(うにゅにゅ…大丈夫かな。さとりさまにダメって言われたりしないかな…)」
言いあぐねている空に対し、さとりは自身の能力である読心を使って心を読み取ってみた。
どうやら、さとりに何かを許可してほしいみたいである。
…しかし、何を許可してほしいかまでは読み取ることは出来なかった。さとりは、そんな空の背中を押してやることにした。
本当は早く終わらせて、読んでる本の続きが読みたいと思っていたのは内緒である。
「空。言いたいことは言わないと、いくらさとりである私にも分かりませんよ」
「…そうですね。ちゃんと言わないと、分からないだろうし」
「ええ。さ、何を言いに来たのですか?」
そこまで言い終わると、空はごそごそと後ろ手にあるものを取り出して、こう言った。
「あのね、さとりさま。これ飼いたいの!」
空が取りだしたるは、緑色の小さな虫カゴ。何が入っているかは分からなかったので、さとりは目を凝らして見てみる。
そして、それの正体が分かると、さとりは小さく溜め息をついたのだった。
ぴこぴこ。
それは、白い猫耳が生えてるジャンボタニシだった。
どうしてこうなった、とさとりは思う。
実は地霊殿では先日、猫の日に合わせ「地霊殿住民全員猫耳宣言」を一日限定で開催していたのだ。
猫の怨霊に頼み、さとりを含む地霊殿全員に猫耳を生やしてもらった。
これは、ペットの一匹で火車である火焔猫燐(お燐)を労う為に、さとりが行ったことである。
結果としては大成功だった。燐には相当受けが良かったらしく、とっても満ち足りた表情をしていた。
…まあ、こいしと空がさとりと燐のじゃれ合う様子をビデオカメラで録画していて、それを知った時はものすごく恥ずかしかったけれど。
それはともかく。「地霊殿住民全員猫耳宣言」をしたのだが、その後もちょびちょびペットたちの間で密かに行われていたらしい。
妹のこいし曰く、
「いやぁ、何故か知らないけどお姉ちゃんのあの宣言、ペットたちには好評だったみたいだよー?」
とのこと。確かに猫耳を生やしているペットはその後もたまに見かけた。
心を読んでみると、「新鮮」「耳が聞こえやすくなった」「これがあると彼女にもてる」「ねこねここねこ!」といった理由。
まあいいか、とさとり自身は放任していたのだが、まさか空がこれを飼いたいと言うなんて。しかもタニシ。
「…あ、あの。空、私はこんなことは言いたくないのですけど…」
「はい、なんでしょう?」
「何でよりによってそれなんですか?もっと違うものを飼ってもいいでしょう…」
「それじゃないです!タニシさんですよ!」
「…ご、ごめんなさい」
何か違うところで怒られてしまった。その気迫が凄かったので、思わず謝ってしまうさとり。
そもそもタニシを飼いたいと言う人をさとりは見たことはない。幻想郷では多分空が初だろう。
おめでとう、空。でもそれは全然名誉なことではないのですよ。
「ですが、地霊殿では私が飼い主ですよ。会おうと思えばいつでも会えるのでは?」
「…確かにそうですけど、私がこのタニシさんを育ててみたいのです!」
「…はあ」
そうですか、と付け足すさとり。
それにしても空は、どうしてそんなにタニシを自分で飼いたいのだろうか。
確かそのタニシは稲などに害をもたらす、私と同じ嫌われ者なはず…。
とりあえず聞いてみることにした。きっと単純な理由ではないなとさとりは考えながら。
「ですが、どうしてそれを飼いたいのですか?」
「そりゃあかわいいからです!」
…単純だった。深読みした私がバカみたいだよちくしょう。
あまりにもあっさりとした答えに、ばさりと本を落としてしまう。…あ、そういえば膝に猫状態の燐を乗っけていたような…。
「…ふぎゃ!?」
本が寝ていた燐の頭にクリーンヒット。言わば脳天直撃である。
…ごめんなさい燐。さとりは心の中でそっと謝っておくことにした。
「…いたた。さとり様、どうしたんですか?」
ぽんっと人間形態になる燐。
頭を押さえながら、さとりを見つめている。
さとりはそんな燐を見て、話をそらすことにした。決して謝るのがおっくうだからではない。
「いえ…そうだ。せっかくですから燐にも聞いてみましょう。…空」
「はい!」
「もう一度、私にあのお願いしてくれませんか?」
「分かりました!さとりさま、これ飼いたいの!」
二回目とはいえ、今度はずずいとさとりの目の前に虫カゴを突き出す空。入れてる水がたぽんたぽん。ああ、タニシが慌てている。
燐はそんな空とタニシを見比べた後、おそるおそる空に言った。
「…あのさ、おくう」
「ん?何、お燐?」
「それ、おくうが飼うんだよね?」
「そうよ!さとりさまの許可が貰えたらだけど!」
大真面目に胸を張って言う空。
そんな空を見て、ちょっと固まる燐。
少し、空白の時間が流れる。そして、その空気に耐えきれなかったのか燐はぶふっと思いっきり吹き出してしまっていた。
「にゃはははははっ!飼う?おくうがっ!?そりゃあ何の冗談だい!?」
「む、お燐。冗談じゃないよー。私は本気なんだから」
「無理無理!忘れっぽいおくうがペットを飼うなんて、おかしくておかしくて…!」
ばんばんと強くさとりの膝を叩く燐。…燐、それ結構痛いです。
でもまあ、燐の言うことは一理あるかもしれない。
献立を忘れたり、霊夢と早苗の区別がつかない(色でも区別出来なかったらしい)空には少々厳しいとは思う。
さとりはとりあえず、二人の様子を眺めることにした。「見」の姿勢だ。
「おーりーんー!」
「ごめんごめん。…そもそも、どうしておくうがタニシを飼いたいと思ったんだい?」
「…そうね。せっかくだから、さとりさまとお燐にもタニシのかわいさを見てもらわないとね!」
ばーんと自信満々に言う空。ほう、そこまでかわいいのだろうか。
その言葉に少し興味を持ったさとりと燐は、空の次の行動を注目することにした。
一方の空は、自信に満ちた表情で虫カゴを地面に置いた。そして、次にしたことは…。
………。
………。
放置プレイだった。
「ね、どうです!かわいいでしょー!?」
「「………」」
…ああ、もしかして鳥頭が進行しちゃったのかな。二人は同時にそう思った。
何かすると思ったが、結局何もしないじゃないかと落胆の気分。ああ、がっかり。
そんな二人の明らかに呆れた視線で見られていることに気づいた空は、信じられないと言った目で二人を見る。
「え?もしかして、分からなかった?」
「…空。残念ながら私には、あなたのかわいさの基準が分かりません…」
「…おくう。あんたが見てるのは多分幻想だよ。…ほら、早く目を覚まして。現実に戻ろ?」
「がーん!?二人ともひどい!?」
大きなショックを受けている空。
まあ、自分の信じてたものが他人に理解されないのは確かにショックを受けるかもしれない。
…でも、いくらなんでもそれじゃ分からない。きっと読んでる読者様にも分からないわよ。さとりはそう思った。
読者様とはもう言わずとも分かるであろう。ここを見ているあなたのことですよ。
「ふ、二人とももっとよく見てくださいね!」
さて、このままじゃまずいと思ったのか、空が慌てて指を虫カゴに指す。
もしかしたら、近くから見たらまた違う魅力があるのかもしれない。
僅かな希望を持ったまま、さとりと燐はもう一度カゴを覗いてみた。
カゴの中には、相変わらずジャンボタニシが一匹。猫耳が時折ぴくりと動いている。
「…ほら、ここからかわいいところですよ」
空のその声に、二人は集中してカゴを見る。
果たして、このタニシが何をするのか…。ごくりと自然に息を呑む二人。
そんな二人が目にしたものとは。
…のろのろ。
…のろのろ。
ジャンボタニシの低速移動。これはタニシの普通の行動な気もするが…。
いや、逆に高速移動していたらきっと農家の人たちはトラクターで逃げだすだろう。
水面を凄まじい勢いで這いずりまわる無数のタニシたち。色々と怖すぎる。
「…ああ、かわいい。タニシさんがのろのろ動いてるとこ、かわいいですよねー…」
「おくう、あんたもしかして…この動きが好きなの?」
「うん。…はぁ、本当にたまらないなぁ…」
ほうと両手を頬で押さえ、恍惚の表情を浮かべながら、ちびちびと動くタニシを眺める空。
様子だけ見たら、それはまるで恋する乙女のよう。因みに、空には彼氏はまだいない。募集もしていない。燐がいるからである。
そんな空の様子を見て、二人は。
…ああ、空はカタツムリや亀みたいな動きが遅いのがときめくのね、とさとりは理解した。
…ああ、おくうは動きが遅いのが好きなんだ。…あたいは速い方だから、もしかして…と、燐は深読みしすぎた。
勿論その後に二人が言ったことは、まったく違っていたのだった。
「なるほど、あなたの言いたいことはよく分かりました」
「おくう、あたいこれからあんたとは猫車しょって付き合うよっ!」
「…うにゅ?」
首を傾げながらも、とりあえず頷く空。
空は違ったことを二つ以上覚えられないのだ。聖徳太子の10分の1、いや、ある意味ノーマルな人類よりひどい。
そんな空の記憶処理能力を燐はよく知っていたので、自分が一歩引くことにした。
よく出来た良い猫の例である。
「…いえ、あたいは何でもないです」
「ありがと、燐。…とにかく、空はそこがかわいいと思ったのですね?」
「いえ、もう一個あるんです。…えっと」
空はぱかとカゴを開けて、タニシの猫耳をつっつく。
猫耳はぴるるっと動き、タニシが小さく震える。…心の中曰く、触られると嬉しいみたいだ。
「まるでお燐の猫耳を触ってるみたいで、何だか胸が熱くなっちゃうんですよー」
えへへと照れる空。…まあ、これはちょっぴりかわいいかもしれない。
でも、それを聞いた燐は気が気でならない様子だった。
「お、おくう?それってあたいの耳よりタニシの方がいいってこと…?」
「…んー。どっちもいいとは思うけど…今はタニシさん!」
ぎゅっと幸せそうに虫カゴを抱きしめる空。それを見た燐は…あ、真っ白になっている。
「今はタニシさん!」…これを聞いた現在の燐の心の中は荒れ放題である。まさか、まさかタニシの猫耳が大元であるあたいの猫耳を上回るなんて、とショックを隠しきれない様子だった。
ふるふると燐の体が震える。羞恥に顔が赤くなり、目には涙がこんもりと溜まっていく。
猫は総じてプライドの高い生き物である。自分の自慢の耳が負けたというのは、きっと猫生の中では屈辱的なことだろう。
燐はきっと空とタニシを睨みつけた後、後ろの扉へ駆けだしていた。
「うう…おくうのバカぁ!!そんなにタニシの猫耳が好きならタニシと親友になっちゃえばいいのよおおおおぉぉっ!!」
止める間もなく、燐はそのまま捨て台詞を吐きながら、部屋から飛び出して行ってしまった。
そんな燐の後ろ姿からは、きらきらと涙の粒が落ちてたように見えていたとか。
その様子にさとりは小さく溜め息をつき、空はぽかーんと燐のいたところを眺めていた。
…別に、そこまで言ったわけじゃあないんだけど。二人はそう思う。シンクロの瞬間である。
「…こほん。燐には後で言っておきます」
「…お願いします。で、さとりさま。このタニシさん飼ってもいいですか?お世話も何でも、私がやりますから!」
そういえばそんなことを言っていたな、とさとりは思う。
元々さとりは放任主義なため、細かいことは気にしない主義なのだ。
それに、普段自発的な行動が少ない空がこんなにも意欲を持っていることに、さとりはそれを嬉しく思っていた。
…まあ、やってみないと分からないかな。さとり自身の脳内会議で、結論が決まった。
「まあ、いいでしょう。飼ってもいいですよ」
「!…あ、ありがとうございますっ!」
さとりの許可に、ぱあっと顔を明るくする空。
「ですが、条件があります」
でも条件と聞くと、ぴくんと体を固くする空。
…忙しいな、とさとりは心の中で空のことを微笑ましく思った。一行動一行動で反応するのは、空のかわいらしいところだ。
「そんなに緊張しなくても大丈夫です。簡単なことですから」
「は、はい」
「一つ。皆の目につくところに置くこと。一つ、鳥たちに食べられないようにすること」
「………」
「一つ、餌やりは分量よく、多すぎず少なすぎず。一つ、散歩するときは目を離さないこと…」
「…うにゅう~」
説明している最中、さとりは空の様子がおかしいことに気づいた。
ぷしーっと空の頭から煙が出始めている。心なしか周りの温度も2、3℃上昇している気がする。
複数のことをあまり覚えきれない空には、少々難しすぎたらしい。
これはちょっといけないなと思ったさとりは、とにかく自分が一番大切に思ってることだけを言うことにした。
「…。空の愛情をたっぷり注いでやってくださいね?」
「はい!」
にかーと笑顔で元気に答える空。よくできましたと紙に花丸を書いて送りたいくらい、いい笑顔をしていた。
後は、分からないことがあれば誰かに遠慮せず聞きなさいといった基本的なことだけを言っておいた。
とりあえず空が無下にしなければ大丈夫だろう。
ところで、ペットブリーダー一級のさとりが何故タニシを飼っていいと言ったのか。
それは、あの空がどこまであのタニシの面倒を見れるのか…とさとり自身も、内心楽しみにしていたからであった。
空も生き物を育てることで、何か新しいことを掴みとってくれたらという期待もあったのである。よりによってその生き物がタニシだけど。
「それじゃ、さとりさま!この子のためにおっきな水槽持ってきますね!」
カゴを持ったまま、空は勢い良く部屋から出ていった。その表情は見てるこちらも明るい気分にさせてくれる。
本当に忙しい子ね、とさとりは小さく笑う。あれならきっとしばらくは大丈夫だろう。
燐には後で膝枕でもして、頭を撫でてあげれば機嫌は直るはずだし、まずは概ねよしと言ったところか。
…しかし、さとりには二つの課題が残ることとなった。
一つは、タニシの飼い方なんてまったくといっていいほど知らないということ。
もう一つは…いや、これは育てていけばいずれ分かるか。とさとりは敢えて考えないことにした。
そのことを考えると、少し悲しくなってしまうから。
さとりははあとまた溜め息をつきながら、そっと立ち上がる。
きっと空は育てると言ってもよく分かっていないだろうから、自分がなんとかしなきゃいけないな。
そう考えたさとりは、地霊殿の古びた書架に向かうことにした。
…きっと、あそこなら貝の飼い方くらいはあるだろうと僅かな望みを持ったまま。
◆◆◆
えーと…こ、こんにちは、タニシさん!
今日からあなたの飼い主の霊烏路空といいますっ。
私、頭良くないから飼い方とか好きな食べ物とか何にも知らないけど…。
いっぱい頑張って覚えて、タニシさんを満足できる生活にしてあげるから!
それじゃあ…これからよろしくね、タニシさん!
◆◆◆
「…むー」
あの猫耳タニシを飼い始めてから数日がたった。
いつもはすぐに忘れるはずの空は、今日もちゃんとタニシの世話をしている。
今現在は水槽に張り付いてタニシの低速移動をじっと眺めている。見始めてからもうそろそろ2時間になるだろうか。
タニシを見ているその表情は、にこにことした笑顔。太陽のような、明るい笑顔をしていた。
…気にいらない。
空のその様子をさらに外の物陰から見ているのは、燐だった。
表情は空とは対照的で、刃物のような鋭利な目つきで空を見つめている。
「なんだいなんだい。最近おくうはタニシのことばっかり…」
確かに、燐はあの後さとりに何かと気をかけられたのだが。
口を開けばタニシ。食事中にもタニシ。朝起きた時も真っ先にタニシの水槽へ。
空があんなにも夢中になるのを、燐は空と親友になってから見たことがなかった。
燐にはそれがショックで、悔しくてたまらなかった。
あの笑顔は、今まであたいだけに見せてきたものなのに。
空が、あたいの知ってるおくうが何だか遠くに行ってしまったみたい。
ねぇ、どうして。どうしてなの?
「…おくう」
「そんなところで何してるのー?」
「ひにゃ!?」
そう燐が考えていると、いきなり誰かに肩を叩かれた。
今まで空しか見てなかった燐には不意討ちだったようで、びくんっと体を大きく跳ねさせる。
その様子はまるで、悪い悪戯をしていた子供が親にばれてしまった時のようだったとか。
尻尾を大きく膨らませながら、燐はそっと後ろを振り返る。
こんなことをするのは、地霊殿では一人しかいない。それは…。
「ここ、こいし様。びっくりさせないでくださいよっ」
「えー?だってあまりにもお燐が妬ましオーラを出してたから。興味を持たないわけがないでしょ?」
「…こいし様には、あたいはどんな風に見えてたんですか?」
「うーん。…一番当てはまるのは変質者かな」
「ひどいっ!?」
こいしである。彼女は空がタニシを飼いたいとさとりに言った時、たまたま地霊殿にはいなかった。
つまり事情を何も知らない。そして、こいしから見ればこの事態は非常に面白く、興味深い。
簡単に言うと私も混ぜろ、ということである。この大胆奔放さは一体誰に似たのだろうか。
ひょこり、とそのままこいしは燐の居たところで顔を覗かせた。そして、すぐに事態を察知したようである。
「ははあ。お燐はあのタニシにおくうの笑顔が取られて妬ましいというわけですなー?」
「…むぐぐ、そんな感じです。大体三日坊主なおくうがあそこまで覚えてるなんて、信じられませんよ」
「そりゃあ、皆の目につくところに置いてるしね。大方お姉ちゃんの提案なんだろうけど」
一応あれもペットだしね、とこいしが付け加える。
万が一空が忘れてしまっても、その世話をさとりが引き継ぐために作られたシステムだろう。
さとりは動物のためとなると頭が良く回る。地底のムツゴロウさんというあだ名は伊達ではないのだ。
「はあ。おくう、猫耳が好きならもっと触らせてあげるのに…」
「でもまあ、おくうがあんなに献身的になってるのは私も見たことがないかも。何がおくうの頭を動かしてるんだろうね」
「…一人立ち、ではないですか?」
聞きなれたその声に、二人が声の主を探す。
と、突然扉の陰から、ぬるりとさとりの姿が出てきた。
さとりが思ったより近くのところにいて、思わず後ずさる二人。何という気味の悪い登場だろうか。
「さ、さとり様。あたいたちの話聞いていたんですか?」
「燐の独り言から。ピンからキリまで全部聞かせてもらいましたけど」
「い、いたなら始めっからいるって言ってくださいよー!」
「すみませんね。心が読めるもので」
「それは今関係ないですっ!」
かーっと顔を赤くする燐。誰でも独り言を聞かれたら恥ずかしいものだ。
しかも、誰もいないと思って独り言をしていたので、その恥ずかしさも倍増である。
改めて燐は、自分の主が悪い意味でいい性格をしていると再認識させられるはめとなったのだった。
「とりあえずただいまお姉ちゃん。…ところで、一人立ちってどうしてまた?」
「ええ、おかえりなさいこいし。…空も、もうそろそろ私や燐から自立してもいい頃ではないかと思うのです」
挨拶を済ませながら、さっきの質問に答えるさとり。
そんなさとりには、ある考えがあった。
それは、空がいつしか自分で行動し、自分で自分を動かすようになるのでは、という考えである。
「…自立って、さとり様」
「私も燐もこいしも変わりましたが、空だっていつしか変わっていくものですよ」
「今までが今までで、あんまり自分からしたいことをしなかったもんね。おくうは」
空が進んですることと言えば、強いて言うならゆで卵を食べることくらい。
仕事も確かにするのだが、仕事を進んでやる燐とは違って、空は時々仕事を休むことがあった。
さとりのペットで、自らはただ他人の流されるがままにする。今持つ神の力も山の神様二人が付けたもので、空はそれをそのまま受け入れただけである。
それが、空の特徴でもあった。
「最近は地上にもよく出て、様々な人妖と弾幕ごっこしてると聞きます。昔と比べたら随分活動的になりましたよ」
「ですが、どうして今回のことが自立に繋がるんですか?」
「何かしら自分がこれをしたい、してみたいと思い始めたら行動範囲はすごく広がりますよ」
「まあ私みたいにふらふらするものいるけどねー」
「こいし、あなたは放浪しすぎですよ。もう少し落ち着きを持ちなさい」
「はーい、気をつけまーす」
こいしが声をあげる。…この様子だと、恐らく真面目には聞いていないだろう。
ともあれ、活動的になるのは悪くない。むしろ良いことだとさとりは考えている。
自立といかずとも、何かしらことに興味を持って動いてくれるだけでも、空には大きくプラスになることだろう。
さとりは、空が少しでもそうなったらと信じてこのように空に世話を任せているのだった。
「誰にとっても、何かに興味を持つことはいいことですよ」
「…まあ、それはあたいもいいこととは思いますけど」
「世話してるときもそうだけど、なんていうかさらに明るくなったよね。おくうは」
もう一度、空の横顔を見る。
相変わらず顔は笑顔のまま、じっとタニシを見つめている。
ここ数日間だけでも、空の物忘れは少なくなり、仕事も普段より頑張るようになった。
今回のことはすでに空を少しだけ成長させ、良い結果を生み出している。
止める道理なんて、まったくないのだ。
「まあ、空が成長しようとしているのです。そっと見守ってあげましょう」
「そうだね。おくうは楽しそうにしてるし、これからどうなるか気になるし」
「…むう。ま、おくうの物忘れがなくなるならこれくらい、涙を飲んであげよっかな…」
満場一致で可決。三人は空を暖かな目で見守ることにした。
自分たちの家族である空の成長を、精一杯援護してあげよう。そう決まったのである。
燐の不満も解け、これで一先ず一件落着となった。
が。
「…ああ―――――――っ!!」
空が唐突に出した大きな声に、三人が同時にびくりと反応する。
やはりこのまま、すんなり平穏には終わらないようで。
さっきの話のこともあり、三人はどたどたどたっと一気に部屋へ雪崩れ込む形となった。
「「「どうしたのおくう(空)!?」」」
「うにゅあ!?…び、びっくりした。皆急に入ってくるんだもの」
「それより、何かあったのですか?何か重大なことがありました?分からないことがありました?タニシの様子が変だったのですか?水を変え忘れてたりしたのですか?」
「さ、さとり様。そんなに多くのことおくうに聞いても分かりませんよ」
「またおくうがショートしちゃうよ?せっかく物忘れが改善されそうなのにー」
「あ。…す、すみません」
ぺこりと謝るさとり。
実は、期待する半面、さとりは相当心配していたのだ。
親が子供の自立を遠くから見ているような感じで、さとりも空をわが子のように大事に育ててきたのだ。それは不安にもなる。
しかも空はいつ何をするか分からない爆弾のようなものだったので、さとりの不安度はいっぱいいっぱいになっていたのだった。
気分次第で核融合してフュージョンしましょというのは、さすがに無視できないのだ。
「えっと…そのね?タニシさんをずっと見ていたら…」
空の一言で、三人が緊張した面持ちになる。こいしはあまりそうではなかったのだが。
しかし、空の次の言葉は、全くタニシとは関係のない一言だった。
「………おなかすいちゃった」
くーとなるおなかを押さえながら、えへへと照れる空。
そのあまりの能天気さに、三人全員が思いっきりずっこけた。一体自分たちはどれくらい深刻に受けとめようとしていたのか…。
果たして、こういった調子で大丈夫なのか。空もさとりたちも前途多難であった。
◆◆◆
へぇ、おくうが可愛がってるタニシってあなたのことなのね。
どう?この水槽の中での生活は慣れた?
…満更じゃなさそうみたいだね。良かったね、いい飼い主さんに飼われて。
あ、小さく耳がぴこぴこしてる。嬉しいのかな?
………ふむ。
こうしてみると…ちょっとだけ、かわいいかもなぁ…。
◆◆◆
「…ふむ」
ぱららと本を捲る音が聞こえる。
さとりが調べていたのはあのジャンボタニシ、別名スクミリンゴガイのことである。
あれから何週間かたったものの、相変わらず空はタニシに夢中らしい。
最近はこいしも水槽にちょくちょく近寄るようになり、賑やかになった。…燐はまだ少し抵抗があったみたいだけど。
「なるほど、大体のことは理解しました…」
頭の中で先程まで読んでいたことの整理をすることにしたさとり。上を向き、本を見ないようにする。
一つは、ジャンボタニシというけれど実はタニシ科でないということ。
正式にはリンゴガイ科という腹足類で、外の世界の南米というところの産まれらしい。
後、この地域では外来種と呼ばれる生き物だったともいう。魚で言うならブルーギルやブラックバスである。
誰かが食用のために連れてきたはいいが、見た目からかまったく売れず、人が野放しにした結果野生化してしまったということらしい。
「…ふう」
溜め息を一つつく。
かわいそうにな、とさとりは思う。
元々生まれ育った自分の地域から連れてこられて、あげく野放しにされる。
たくさんの動物を飼って、なおかつ心を読めるさとりには、その行動が理解できなかった。
タニシだって生きているし、ちゃんと心だってある。だが、人は自分の利益を優先しようと恣意的な行動をする。
きっと他の生物のことは考えていないのだろう。勿論考えている人もいるかもしれないが、恐らくその数は少ないはず。
人間は相変わらずなところもあるのですね、と簡単にまとめた上で、さとりは次に覚えたことを思いだしてみる。
次に分かったことは、ジャンボタニシはほぼ何でも食べるとのこと。
苦手なものもなく、植物も動物の肉も食べる。果てには土壌にいる微生物も食べれるそうだ。野生化して急激に生息域を広げたのもこのせいだろう。
しかも、ジャンボタニシが主に食べるとされる稲。実は、稲はあまり好きではないという研究があるという。
水田には食料となるものが少ないため、仕方なく食べているのではないかと本に書いてあったのだ。これにはさとりも驚かされた。
ジャンボタニシは育ち始めたばかりの稲を食べるため害虫とされているが、この本で書いてある研究が真実なら実は生きるために食べていたということになる。
例え害虫と呼ばれても、ジャンボタニシにとっては生きるために稲を食べなければならない。驚きの連続であった。
「こうして見ると、ジャンボタニシにも色々な事情があったりするんですね…」
視線を本に向け、ぱたんと本を閉じる。
今までタニシのことを真面目に調べたことはなかったのだが、こうして見ると中々面白い。
自分の今まで知らなかったペットの実態を知るのは、飼い主のさとりにとってもプラスとなる。
いつか全部のペットを調べてみるのもいいかも、とさとりは一人で小さく微笑んだ。
「…ええと、他には…」
まだ後一つか二つあのタニシには特徴があるはず…と、思い返してみた、が。
…ふと、さとりは考える。
せっかくだし、実際に地霊殿で起こった体験談形式で思い返してみようかな。
それはいいかもと思ったさとりは、早速ここ最近タニシ関連で起こったトラブルを思い出すことにした…。
だがその前に、さとりはくるりと向きを変え独りでに話しだした。
話す先は今ここを読んでいる、他ならぬあなたに向かって。
ふふ、説明ばかりで読んでいてちょっと味気ないなと思っていたでしょう?
そういう人たちのために、わざわざ体験談形式にしてみました。
なに、遠慮はいりません。せっかくですからこのお話、あなたも聞いてくださいな。
…。
……。
………。
あれは飼い始めてちょっとしたときのこと。
「うわーん!さとりさまこいしさまおりん―――――っ!!」
「どどどどうしたんだいおくう!?灼熱地獄がメルトダウン始めてとろけちゃったとかそういう問題かいっ!?」
ばたばたと廊下を走り回る空に、あわてて対応したのは燐。
その時燐は優雅なねこまんま食事タイムに洒落込もうとしていたのだが、空の悲痛な声に中断せざるを得なかった。
空はそれくらい動揺していたのである。
「あああ、あのあ、たた、大変大変大変大変大変…!」
「…へんたい?」
「へんたい!そう、へんたいだよお燐っ!」
燐は頭を抱える。こりゃあダメだ、ものすごくおくうは動揺している。
友人に面と向かってへんたいと言われたショックもいささかあったのだが、今の空はさすがに慌てふためき過ぎである。
いくらなんでもその言い間違えはないだろう…と思いながら、燐はとりあえず空を落ち着かせることにした。
空はこうすれば落ち着く、燐にはそんな地味な必殺技があった。それは…。
「どうどう。おくう、どうどう」
「どうどう、どうどうどう…!?」
「…どう。…で、何があったんだいおくう?」
「どう…あ、うん。えーっと、あのね?」
「うん」
どうどうである。燐が空と付き合っていく中でいつの間にか身につけていた技であった。
鴉なのに馬を落ち着かせるためのかけ声とはこれいかにと最初は思ったが、どっちにしろ空には大変有効だから仕方がない。意外と実用性があるのだ。
とにかく、空は落ち着いた。後はちゃんと話を聞いてあげればいいのである。
「その、タニシさんがね?…動かなくなっちゃって…」
「タニシがかい?…死んじゃったんじゃないの?」
「そそ、そんなわけないよ!私、ちゃんとお世話してたもの!」
ばたばたと翼を動かしながら否定する空。
確かに空がちゃんと世話しているところを燐は遠巻きに見ていたし、スキンシップしている姿も見かけていた。
その時の空の顔といったらそれはもうゆるゆるで、眩い笑顔を振りまきながらタニシの猫耳を撫でていたのを覚えている。
因みにその時燐はタニシにぱるぱるしていた。と同時に空のその笑顔をカメラでパシャリとしていた。
ブン屋にお古を貰っていたらしい。
…まあそれはともかく、空は確かに世話をしていた。いきなり死んじゃったということもないだろうから、燐はこの考えを捨てることにした。
「それもそっか。じゃあどうして急に動かなくなったのさ?」
「それが分からないから聞きにきたのよー」
「そうだよね…ところで水槽は?」
「ここにある!」
空はじゃーんと水槽を掲げる。ああ、そんなにしたらタニシがびっくりしちゃう。いやもしかしたら死んでるかもしれないけど。
とにかく、中を見てみないことには始まらない。
とりあえず空に水槽を下ろしてもらい、中を覗きこんでみる。
「…確かに動いてないねぇ」
「でしょ、でしょ!?今まではこんなことなかったのに、私どうしていいか分からなくて…」
水槽の中は少しの水に満たされ、水に湿った土が顔を覗かせている。
真ん中のほうに、空が今日も用意していたのであろう餌が置かれていた。見る限りただの雑草。しかしタニシは何でも食べるので、これでもいいのだ。
そして、問題の猫耳タニシは端っこの少し盛り上がった土の上で、不動の状態だった。
いつもならのろのろと水槽内を移動していたはずだが、今日は全くその様子はない。
白い猫耳もぴくりとも動かずに、まるで活動を停止してしまったようだった。
「ううん、でもあたいはタニシについてまったく知らないからなぁ…」
「うう…タニシさんどうしちゃったのかな…もしかしてホントに死んじゃったの…?」
空の顔が歪んでいく。みるみるうちに悲しげな表情になり、今にも泣きそうな顔になっていた。
そんな空を見て、燐ははっと気付かされた。飼い主がペットの異常を心配するのは当然のことなのだ。
自分がさとりのペットであるという自覚があるからこそ、燐にはよく分かった。
燐だって、昔重い風邪にかかったときにさとりに付きっきりで看病してもらった。その時のさとりの表情は、とても心配そうな目をしていて。
そして、数日たち病気が治った時に、さとりがぎゅーっと思いっきり燐を抱きしめた。その際にさとりの目の下にクマができていたのを見て、燐はちょっと泣いてしまった。
そんな経験があったからこそ、燐は本気になって考え始める。なぜなら。
今この状況でおくうとタニシを救えるのは、他ならぬこのあたいだけなんだから。
ということで、燐は頭をフル回転させる。これも困っている親友のためなのだ。
「死んでるわけないよ。大体おくうがずっと愛情込めて育ててきたんでしょ?それでころりと死なれたらあたいが許さないよ!」
「…どうしてお燐が許さないの?」
「…。…そりゃあ、おくうの寵愛を一手に受けてるからで…って、それは今関係ない!まずは色々してみなきゃ」
「うにゅ?…うん、もしかしたら単に寝てるだけかもしれないしね!」
そこで、二人は様々なことをしてみることにした。
まずはちょんちょんとタニシをつっつく。…これは反応なし。
次に餌を近くに置いてみる。肉などにも変えてみたが、これも反応なし。
今度は猫耳を触ってみる。…と、ここで小さな反応があった。
「…ん?」
「どうしたのお燐。タニシさん、生きてた?」
「いや…気のせいかな、耳が動いたように思ったけど…」
「耳動いてたの?」
「今は触っても動かないけど、始めに触った時ちょっと手ごたえがあったような」
ぴるるとタニシの猫耳が動いたのを、わずかに燐の指がキャッチしたのである。
とりあえず最悪の結果は回避できそうだったので、ほっと一安心する二人。まだ未確定だが、反応なしよりかは幾分かましだ。
では何故タニシは動かないのか。後はその疑問だけが残ることとなった。
「ふむ…二人ともお困りのようだねー?」
だがそこに、二人にとって救いの手となる声がやってきた。
燐と空、二人が振り向き同時にその声に対応する。これも二人の仲が良いからこそできることであった。
「「こいし様(さま)!」」
「うん、こいしちゃんですよー。それでさ、二人とも何があったの?」
ひらひらと手を軽く振り、挨拶をするこいし。
こいし様ならもしかして知ってるかもしれない。そう思った燐は、今まであったことを全部こいしに話すことにしたのだった…。
「…なるほどねぇ。事情は何となく分かったよ」
「それで、こいし様。どうすればいいと思います?こいし様は何かしってたりしますか?」
「まあ兎とかは愛情の与えすぎで死んじゃうケースもあるんだけどね」
「う、うにゅっ!?」
事情を聞いても、さらりとそんなことを言ってのけるこいし。その言葉を聞いて空は気が気でない様子だった。
もしかしたら、色々と人選ミスをしたかもしれない…。燐はそんな不安を抱きながらも、そのまま話を進める。
「こいし様。おくうは色々間に受けちゃいますからあんまりいじめないで下さいよ?」
「それは元々だけど今はより敏感かもねー。…まあそれはいいや。で、私が知ってることと言えばー…」
「…こくり」
息を呑む空。こいしの口ぶりからして何かしら知っているのではないか、と踏んだのだ。
恐らく飼い主として自分に出来ることを精一杯しようとしているのだろう。
今の空は、昔の空とは一味も二味も違うのだ。
「…うーん、多分だけどタニシさん漂流してるんじゃないの?」
「漂流って…どういうことですか、こいし様?」
「いやまあ、この水槽の様子を見て簡潔に言った結果だけどー…」
「そんな言い方したら、おくうがまたショートしちゃいます…って…」
燐はくるりと空を見る。それと同時に言葉がとぎれとぎれになっていく。
どうしたのだろう、と水槽を覗きこむ空を見るこいし。…そして、あっと小さな声をあげた。
二人が見た光景、それは。
「…漂流。タニシさんが漂流してるってことは、この地面が盛り上がってるところがいけないのかな…ううん…」
じっと水槽を見据えて、こいしの言葉をどうにか解釈しようと頭を捻らせている空の姿だった。
思わず燐とこいし、二人揃って物陰に移動する。
勿論空はぴくりとも水槽の前から動こうとしなかった。
「…ここ、こいし様。見ましたか、あのおくうの姿」
「…うん、見てた。私の言葉にすごく頭を悩ませてたね…」
「いつもならぽふんって音がした後、きゅうって倒れこんじゃうあのおくうがですよ!?」
「…そこまでのリアクションはしてないと思うよ?でもまあ…うん、私もちょっとびっくりしてるかも」
ひそひそと空のことを話す二人。
実際二人は空がここまで考えているのを見たことはなかったし、ましてや今回見たのが初めてかもしれなかった。
空がまるで別人になってしまったかのような…そんな錯覚を二人は受けることとなった。
「あぁ…あたいの、あたいのおくうは今何処に…」
「それはとにかく、早いところ問題を解決しないとまたあの悩んでるおくうを見ることになるよ?」
「うぅ。なんて違和感なの…。…分かりました、早いとこ解決してあげましょう!」
ぐっと拳を合わせる二人。とにかく、この奇妙な状況を解決せねばと思ったようである。
そうと決まれば話は早く、二人は早速行動することにした。
物陰から復帰し、水槽をまじまじと見つめる空に近づいていく。
「あ、あのー…おくう?」
「…ん。あ、ごめん。それでこいしさま、どうすればタニシさんを救えますか?私何も思いつかなくて…」
「えっとね。つまり簡単に言うと水に沈めちゃえばいいんじゃないってことだよ」
こいしが言ったことは非常に簡単で、かつシンプルな考えだった。
かつて彼女が地上に行った際、無意識に田んぼの中にいるタニシを見つめていたことがあった。
ほとんどのタニシは水辺から出ず、水の中で動いていた。
地上で、かつ水のない地面で動いているのを見たことがない。ならば水に沈めてしまえばいいじゃない―――ということである。
「水!そういうのもあるのかー!」
ぽんと手をうつ空。それが分かると、一目散に廊下へと駆けだしていた。
燐が慌てて止めようとするが、こいしはそれを制する。
「こ、こいし様?おくうは何をするつもりですか?あんなに急いで…」
「そりゃあ、水を持ってきてあそこを濡らすんでしょ」
「あ、なるほど…」
こくりと頷く燐。確かにそれが一番いいとは思うし、もし違ったら救出すれば良い。
いずれにせよ何もしないよりかは遥かにましだ。
そう思う燐に、こいしが呟くように言う。
「ところでお燐」
「あ、はい。なんでしょうか」
「…水を持ってきてあそこを云々って何か妙にえろいと思わない?」
「何言ってるんですかこいし様!?」
…色々とダメだこの人。燐はそう思うことにして、さっきの言葉を記憶から抹消するのだった。
「水持ってきたよ!」
しばらくして、どたどたという音の後に続けて空が入ってきた。
手には、青いポリバケツ。その中には水がたっぷりと満たされているのが何となく分かる。
…それが分かるのは、バケツの水がたぽたぽ端っこから溢れ、床に小さな染みをじんわりと作っているからで。
ああ、良かった。やっぱりおくうはおくうだった…と、燐がほっと一安心できた瞬間であった。
「そっか。じゃあ早く入れてあげた方がいいんじゃない?タニシのためにも」
「そうですねこいしさま!…それじゃあ、入れようかな…」
「あ、あたいも手伝うよ。そんなにぷるぷるしてたら見てらんないし」
二人でバケツを持ち、水槽の中に水をばしゃばしゃと入れる。
少し水を入れ続けると、すぐタニシのいるところまで水がきて、貝の上のところまで水に満たされる。
そして…タニシが、動いた。
ぴこ…ぴこぴこっ!
「あ、耳が…」
「え?…あ!ホントだ!」
「…何かいつもより多めに動かしてるみたいだね。ずっと動いてなかったからかしら?」
タニシの猫耳が上へ下へ大きく動く。そして、それを何回かし始めた後、またのろのろと低速移動を始めた。
それを見た空の顔に、ぱあっと笑顔がはじける。
そしてその溢れんばかりの喜びを、隣にいた燐に思いっきりぶつけるのだった。
「やった―――――っ!!タニシさんちゃんと生きてた―――っ!」
「わぷっ!?…ち、ちょっとおくう、急に抱きつかないでよ!」
「…でも満更じゃない顔してるよね、お燐」
「そそ、そんなことありませんっ!久しぶりに抱きつかれたから嬉しいななんてちっぽけも思ってないんですから!」
「うん、自滅してるね♪」
「にゃにゃ、にゃ―――っ!?違います、違いますからねこいし様っ!?」
「いいよいいよー、しばらくこのネタでお燐を弄れるんだからー」
空を抱きとめながら、自分の気持ちを自分で暴露してしまう燐。
燐を姉譲りのじと目でじーっと見ているこいし。
そんな二人なんてお構いなしに、傍にいた燐をぎゅっとしている空。
それでも、皆が皆笑顔だった。
タニシという一頭が動くだけでも、まるで自分のことのように喜ぶ。
三人には、それが当たり前のことだった。
「…あれ?」
そのまま燐を抱いていた空が、あることに気づく。
何かあったのだろうかと空を見る二人。空は、タニシをそっと指差した。
「タニシさん、お燐の方向いてる」
「…え?あたいに」
「うん。お燐をじーっと見てるみたい」
水槽の中にいるタニシが、抱かれている燐を見ていたのだ。
そんなタニシに、燐もタニシを見つめ返す。
…。
…。
…。
そのまましばらくお互いがお互いを見ていたが、やがてぽつり、ぽつりと燐が語り始めた。
「…あたいに、何か用かい?」
ぴるるっ。
「…何が言いたいのか、あたいにゃちょっと分からないよ」
ぴこぴこ。
「ね。…あんたの耳、触ってもいいかな」
ぴこん、ぴこん。
それを同意と見た燐は、水槽の中に手を入れ、そっと耳を撫ぜる。
ふんわりとした、柔らかな感触。少し震える耳。そして…耳を撫でられてなお、燐のことを見ていた。
そんなタニシを見て、燐はくすっと笑って。
「…なんだ。こうして見ると、ちょっとかわいいとこあるじゃない」
不思議な感情が燐を包んでいく。
それが何かは分からないが、何となくタニシのことが愛らしく思えるようになった気がする。
そして、自分の中を巣食っていたわずかな嫉妬の心も、綺麗に洗い流されていくように感じた。
一連の流れを見ていた空が、嬉しそうに燐に尋ねる。
「だよね!お燐もタニシかわいいって思ったでしょ!?」
「…うん。悔しいけど、あたいなんだかこいつのこと憎めないよ。こんなにあたいのこと、じっと見てくるんだもの」
「こいつなんかじゃない!タニシさんはタニシさんなの!」
「あはは、ごめんごめん。…それじゃあ、あたいもタニシさんって読んでいいかな?」
そう言うと、燐はタニシを見る。
タニシはそのまま燐を見ながら、ぴこぴこと猫耳を動かした。
それがいいよと言ってる気がして、燐はまた笑ってしまうのだった。
…。
……。
………。
…みたいな話があったらしいのです。こいしが言っていたので、信憑性は分かりませんが。
後で調べて分かったことですが、タニシは水がなくても地面に埋まり、そのまま数ヶ月間飲まず食わずでも生きられるそうです。
繁殖力もすごいそうで、交尾をした後条件が揃えば3、4日で赤い卵を産み出すそうです。場合によっては一生で数千もの卵を産むとのこと。
まあ、うちのタニシは交尾させませんけどね。子だくさんになったらさすがに育てきれませんから。
こうして調べてみると、本当に驚かされますよ。
…タニシは、燐になんと言おうとしていたのでしょうね?
私は心が読めますから、その場にいたらなんて思っているか分かったのですが…。
まあ、それはいいでしょう…。
…そういえば、もうすぐ冬ですね…。
◆◆◆
…また来ちゃった。こんばんは、タニシさん。
相変わらず猫耳ぴこぴこして、かわいさアピールかい?このこのー。
…こうして見ると、おくうがあんなにかわいがる理由も分かる気がするよ。こんなに嬉しそうにしちゃってまあ…。
………。…正直言うとさ、あたいはあんたに嫉妬してたんだ。
今まであんなに嬉しそうにしてたおくうなんて見なかったし、おくうをあんたに取られちゃったみたいでさ…。
あはは、今となれば笑い話だよ。何であたいタニシさんにこんな話してるんだろうね。
…あんたがいれば、おくうがずっと笑顔でいられる。
いや、おくうだけじゃない。皆笑顔になるよ。さとり様も、こいし様も…あたいも。
だからさ、絶対に…。…ううん、こんなこと言うもんじゃないよ。忘れておくれ。
それじゃあ、また明日ね。タニシさん。
◆◆◆
数カ月がたった。
最初に水槽に入ってから、もう大分たつ。
小さかったジャンボタニシは、二回りくらい大きくなっていた。相変わらずのろのろとした移動だが。
白い猫耳も同じように大きくなり、そのまま水に濡れない貝の上にぴょっこりと生えている。
今、そんなタニシは…。
「…んー」
「どう?起きてる?」
「まだでしょう。そっと寝かしておきなさい」
「でも、そろそろ起きてもいいと思うんだけどねー」
秋の中旬から冬眠中であった。
タニシだって冬眠をする。つまり活動できない冬を除き、ほぼ一年中生きていられるということだ。
ただし、タニシは寒さに弱い。飢えや乾燥には強いが、寒さだけには弱いのである。
-3℃を下回ると、ほとんどの個体は冬眠出来ずに死んでしまう…とこいしが本に書いてあったのを見つけた。
さとりがそのことを空に話したら、空が大慌てでヘルズトカマクを発動しようとしたので、必死に押さえたが。
因みに現在は河童製のハロゲンヒーターを使い、温度を調節させているのだった。
「さとりさまぁ、いつくらいに起きるんでしょうね?」
「…そうですね。今心の中を読んでもZZZ…としか出てませんが…」
「あはは、さすがに寝てる時は心を読めないものなんですね」
「お姉ちゃんのことだしもしかしたら嘘ついてるのかもしれないけどねー」
きししと笑うこいし。そんなこいしを、さとりはじとりと見つめている。こいしはまったく気にしていない様子だが。
しかし、タニシが冬眠の時期に入ってからの空は色々と不安定だった。
灼熱地獄の火力調整を間違えるわ、水槽の前で起きるのを待つわ、タニシの代わりに燐の猫耳をもふもふしたりするわ。関係はないが、その時燐は幸せそうな表情をしていたとか。
ともかく、いつタニシが起きるか、もしかして死んでしまったりしないだろうかと毎日不安になっていた。
最近は地上も少し暖かくなってきて、春の兆しが出始めた。恐らく数日もすればリリーが春を告げるだろう。
「はあ…まだかなまだかな。タニシさん、元気にしてるかなー」
「まあ、ずっとそんなところにいるのもなんですし、少しタニシの話でもしましょうか。来なさい、空」
「はーい」
水槽の前で張り付いていた空を呼び、椅子に座らせる。
こうして全員揃うのもいい機会なので、さとりは全員に話を聞いてみることにした。
「では…率直に聞きますよ。タニシのどこがかわいいですか?」
「はーい!」
その質問に真っ先に手を挙げたのは飼い主である空。
しかし、さとりは後回しにすることにした。
飼い主にペットのかわいいところ自慢をさせると、話が長くなるということを分かっていたからだ。
さとり自身も燐と空のかわいいところをと言われたら、小一時間話せる自信がある。その危険性を知っていたのだ。
「空は一番最後に聞きますよ」
「えー!話したいこといっぱいあるのにー!」
「ちゃんと話は聞きますから。…それで、燐かこいしはどこがかわいいと思いましたか?」
「んー…はい」
「はい。なんでしょうか、燐」
次に手を挙げたのは燐。すかさず指をさすさとり。
手を挙げたのなら、必ず答えないといけない。地霊殿の隠れた掟なのだ。
「…ええと、そうですね…。やっぱりあたいとおんなじ猫耳がついてるだけでも、親近感が出てきますよ」
「えー?お燐、それかわいさとは違うようなー…」
「こいし、口を挟まないの。そうですか、やっぱりそれが一番かわいいのですか?」
「うーん…あ。後あたいが来ると必ずこっちを見てくるところがかわいらしいですね」
嬉しそうに猫耳をぱたぱたさせながら喋る燐。むしろ喋ってる方もかわいいですが、と言いそうになったのはさとりだけの秘密である。
ともかく、燐もあの一件があって以来水槽に近づくようになった。時々空と一緒に眺めているらしい。
と、ここで空ががたんと立ち上がった。その顔は、ちょっぴり不満そう。
「そうなんですよー!タニシさん、私の時はちらっとしか見てくれないんですけど、お燐だけずっと見てるんですよ」
「にひひ。もしかしておくう、毎日毎日水槽にべったりだったから飽きられたんじゃないのー?」
「そんなことない!…はず」
「まあまあ、空。言いたいことは最後に全部言わせてあげますから」
「ぶー…はーい」
ちょっぴり残念そうにもう一度席に座る空。心の中を覗くと、タニシのことでいっぱいいっぱいだった。
そんな空をちらと見た後、さとりは真向かいのこいしの方を見る。
「さ、こいし。あなたはどこかかわいらしいと思います?」
「…うむむ。いきなり言われても結構困るんだけどなぁ。存在そのものがかわいいとまではいかないし…」
ぴくりと反応すると、あごに手をあてて考え込むこいし。どうやら何も考えていなかったようだ。
その間も空はしきりに水槽を気にしていて、燐はぷらぷらと足を動かしている。
そしてちょっと時間がたった後、こいしが顔をあげて言った。
「えっと、んっとー。…餌食べてるところかな?」
「…こいし様、随分マイナーなところを選びますね」
「む、うるさいお燐ー。何だかんだいってあれが私の中では一番かわいかったんだもの」
タニシを育てる役割は、いつの間にか四人が分担してやるようになった。
空、さとり、燐、こいしといったローテーションで、毎日欠かさず餌をやったり、手入れをしたりしている。
ある日。暇だったこいしは、いつものようにタニシに餌の肉をやっていた。
タニシは意外と食欲があり、自分の体重の半分ぐらいまで食べることができるのだ。
そしてその際、こいしは肉を食べているタニシを見ていた時に、そのかわいさに気付いたという。
「あのもくもくと食べてて、なおかつ猫耳もぴょこぴょこしてるところは少しきゅんときたかも」
「嬉しそうに食べますもんねー、本当に…」
「そうですね、私もそこは好きかもしれません」
猫耳があるだけで、タニシの大体の感情が分かる。
ぴこぴこしているときは喜んでいて。
へなへなとしているときは悲しいとき。
逆立ってるときは怒っているとき。
と、さとりのように読心をしなくても他の三人は大体耳の動きで分かっていた。
勿論ちゃんと読心もして、間違いないというお墨付きである。
…ふと、こいしはあることを思い出した様子で、姉に問いかけた。
「そういえば、お姉ちゃんはどこが好きなの?」
「…よく考えば、さとり様はどこがかわいいか言ってませんでしたね」
「あ、私も興味あるー!さとりさま、どこがかわいいと思いますか?」
三人ともさとりの方を見る。
普段が普段、あまりタニシのことを言わないさとりはどこが好きなのか。
そして、この質問を始めた人物でもある。皆期待していた。
さとりは目を閉じ、すぅっと息を吸い…そして、はっきりと言い放った。
「…性格ですね」
「「「え?」」」
「性格です。あの謙虚で控えめな性格は、中々高評価です」
くつくつと笑うさとりに、ぽかんとする三人。
第三の目を持ち、読心が唯一出来るさとりは、タニシの心の声も見えていた。
それ故、あのタニシがどんな性格で何が好きで何が嫌いか、なんでも分かっているのだ。
ある意味誰よりも太いパイプで、さとりとタニシは繋がっているのである。
そんなさとりの言葉を聞いて、一番最初に喰いついたのは勿論空だった。
「さ、さとりさま!タニシさんは私のことどう思ってましたか!?」
「…ふむ。毎日ちゃんと世話をしていて、きちんと世話してくれる自慢のご主人様ですとは言ってた気がします」
さとりの言葉を聞いて、ぴょいんと飛んで喜ぶ空。
やはり、ペットにそう言われるのは飼い主にとって最高の褒め言葉なのだ。
「やったー!さとりさま、せっかくですからお燐やこいしさまはどう思っていたか教えてくださいよ!」
「そうですね。…燐についてですか。同じ猫耳が気になるし、最近は近くにいてくれて嬉しい…でしたかね」
「そ、そんなこと考えてたんですか…。でも、そう思われると嬉しいですねぇ…」
尻尾をぶんぶん振りながら、てへへと照れている燐。
…その行動も微妙にかわいらしいのだが、さとりはどうにか堪える。まだこいしの分もあるんだし。
「後はこいしですね。不思議な人物として見られてるようですよ?現れたり消えたりしてるからでしょうけど」
「あはは、まあ私はたまにしか触れ合ったりしないから…」
「…でも、お肉を多めにくれて嬉しい…と。ほほう、こいし?随分かわいがってるみたいじゃない?」
「はぅ!?」
こいしの顔がぼふっと赤くなり、慌ててぶんぶん首を振っている。
いつもにこにこしているこいしだが、顔を赤くするこいしはレア中のレアである。
さとりはいいものを見たなぁ…と満足していた。こいしの照れ顔だけでさとりはきっと来月まで闘えるだろう。そう確信した。
「そそ、それはともかくっ!次、次おくうでしょ!?はやくかわいいとこ言って!」
「わっかりました!ようやく私の出番ですね!」
こいしの扇動にがたんと立ち上がり、いざタニシのかわいいところを羅列せんとする空。
…だが、そんなことはさせない。さとりには空を封殺できる必殺技があったのだ。
そして、これの成功率は100%。にやりと笑ったさとりは、空が言いだすタイミングに合わせて「魔法の言葉」を言う。
「まずは…「あ、タニシが起きそうですね」
「えぇっ!?ホントですかさとりさまっ!?」
そう言った途端ざざざと床を平行移動し、水槽にべったりと張り付く空。
一方、さとりはによによとした笑みを浮かべているだけ。燐やこいしはそれを見て悟った。
「(ああ…おくうを最後に後回しにしたのは、こういうことだったのね…)」
実はさとり、タニシが起きかけているのを読心で知っていたのである。
長々と空の惚気話を聞くよりも、こうして無理やり話を切った方が三人のためにもなるのである。
燐とこいしは、じーっとさとりを見つめている。そんなさとりは小さく笑って、空と同じように水槽の前に移動していく。
二人もそれについて行くことにした。
「…あ、ぴくぴく動いてるね」
「うん!私が一番最初におはようって言うんだからね!」
「あはは、おくうったら。どうせなら皆で言った方がいいんじゃない?」
「ほら、もうすぐ起きそうですよ?」
ゆっくりと左右に揺れてる貝。
その姿を、四人全員が見つめている。その表情は、誰も微笑ましそう。
タニシの長い冬眠の目覚めを、全員で迎える。きっとタニシ的には恥ずかしいが、嬉しいことでもあるだろう。
まあ、さとりの憶測に過ぎないのだが。
ぴこ…ぴこん。
猫耳が小さく震え、ゆっくりと動き始める。どうやらまどろみから覚めているようだ。
空はわくわくと待ちわびている。他の三人はそのまま動きを見つめていた。
やがて、タニシは少しのろのろと動きだすと、ふっとこちらを見上げてきて。
そのタイミングで、四人はタニシに向かって挨拶をする。
「おはようございます」
…ぴるる。ぴこぴこ。
それに反応するかのように、タニシの猫耳がぴこぴこと動いた。
「…さとりさま、今タニシさんはなんて言ってたんですか?」
そう聞いた空に、じーっとさとりはタニシを見ている。
そしてふっと顔を上げた後、三人ににっこりと笑って言ったのだった。
「ふぁ…おはようございます。…ですって」
「あら、かわいらしい挨拶じゃないの」
「…というか、律儀に欠伸まで再現しているんですね…」
「ああもう、かわいいなータニシさんはー!」
なでなでなでと高速猫耳撫でをしている空。…あ、タニシの耳も同じように動いている。
いつの間にやらこんなに相性が良くなったのだろう。空はもうすっかり一人前の飼い主だった。
…まあ、ちょっとかわいがりすぎかもしれないが。
燐もそんな空を苦笑いで見つめていて、こいしも腰を落とし水槽のタニシを見ている。
「………」
でも、こんな日も後少しで終わりを迎えるかもしれない。
さとりは何となく、そんな予感を感じていた。
◆◆◆
こんばんは。
いつも空がお世話になっております。
…え?お世話になってるのは自分の方ですって?ふふ、一応ですよ。
始めは私もびっくりしましたよ。空が急にあなたを飼いたいなんて言いましたから。
ええ。確かに色々苦労をしました。…ですが、あなたを飼えて本当に良かったと思いますよ。
空や燐、こいし。そして私もあなたに感謝してます。…それにしても、あなたはかわいいんですよね、色々と。
…あらあら、照れちゃってまあ。
………。
分かっています。私たちはずっと暮らすことは出来ないということを。
そして、もうすぐあなたは。
…ええ。伝えておきます。それでは、私はこれで…。
今まで、ありがとうございました。
◆◆◆
ずっと楽しい時間を過ごしていた。
そのままずっと過ごせると思っていた。
今までも、これからも…。
春先になり、少し暖かくなってきたある日のこと。
「んーにゅー…」
ぐぐーっと背伸びをしながら、目を擦っている空。
今日も変わらず、いつものように仕事をこなし、一日を終えるだけ。
その前に、タニシさんの世話をしないとねー…と思った空は、今日も餌を持って水槽を覗きこんだ。
しかし、いつものような光景は、もうそこにはなかった。
「…あれ?」
眠たげにしていた空の目が、ぱっちりと開く。
空にはのろのろ動くタニシも、ぴこぴこ動く猫耳も見えなかった。
あるのは、空っぽになったタニシの貝殻だけ。
「あれ?あれあれ?」
きょろきょろと水槽周りを探す空。タニシが外に出ているところは、見たことはない。
勿論、ヤドカリのようにタニシは殻を変えたりしない。
今までに無かった非常事態に、空の思考がぐるぐる回り出す。
まさか、まさかそんな。
必死で探す。水の中も、地面の下も余すところなく探した。
でも、タニシはやっぱりいなかった。あるのは一つの貝殻だけ。
「…あれ?タニシ、さん…?」
「…ふあぁ。ん、おくうおはよー…う?」
次に起きてきた燐が、空の様子がおかしいのに気づく。
水槽を覗きこんでいるその目は、真っ赤に充血していて。
そのまま空は黙って見ていたが、唐突に燐に向き直り、ぎゅうっと燐を抱きしめた。
「お燐!タニシさんが、タニシさんが…!」
「ちょっと、おくう!?どうしたのさ」
ぶるぶると震え、そのまま燐から離れようともしない空。
その表情を見て、燐はすぐに状況を察した。
「…はは。まさか、そんなわけないじゃない…。今日だって…のろのろって動いてるはずだよ」
「…ううん。水槽の中には、貝殻しかなかったよ…」
そのまま空を抱きながら、燐は水槽を見る。
水槽は、空が見たあの状況と何も変わっていなかった。
「お燐、私…私、何かへまをしちゃったのかな…」
「まだそうだとは決まってないじゃない!もしかしたら探せばいるかもしれないよ!」
燐が動揺する空を励ましながら、どうにかなだめようとする。
単純に貝殻があるだけで、もしかしたらこいし様辺りが悪戯をしたのかもしれないと燐が考えていたからだ。
しかし、その言葉を否定する声が、空たちの後ろから聞こえた。
それは空たちが非常によく知っていた声だった。
「…いえ。タニシは…あの子は、亡くなりましたよ」
二人は振り返る。
そこにはさとりと、さとりに寄りかかっているこいしの姿があった。
さとりの表情は心なしか暗く、こいしはさとりの袖に顔を埋めていた。小さく嗚咽が聞こえている。
亡くなった。
タニシが生きているという希望が無くなったその瞬間、空は弾かれたかのように立ち上がり、叫んだ。
「さとりさまっ!!なんでですか!なんで死んじゃったんですか!?」
「…寿命です。タニシは、そんなに長生きではないのです…」
俯き加減にさとりが話す。
ジャンボタニシの寿命は平均して大体一年と半分程度。元々そんなに長寿な方ではない。
長生きするものは四年程度生きるが、そこまで生きるケースは非常に稀である。
そして、今日はタニシを飼い始めておおよそ一年とちょっとだった。
条件はぴたりと当てはまっている。
「そ、んな。…そんな、そんなことって…ないですよ…」
「ごめんなさい、燐…。…どうしても、あなたたちを悲しませるわけにはいかなかったのです…」
それに気付き、かくんと崩れ落ちる燐。
さとりはタニシの寿命のことは知っていたが、それを皆に言うことまでは出来なかった。
タニシを囲み、楽しそうにしている空たちにそんなことを言うのは、あまりにも忍びないと思ったからである。
そしてまた、さとり自身も覚悟していた。自分自身も様々なペットを飼っている以上、何度もペットの死に目に立ち会ったことがあるから。
「…そっか。そうですか。…いつかは、別れが来ちゃうんですよね…」
「…ええ。ペットを飼う以上、必ずペットとの別れのときが来るのです」
呆然と呟く空。
大きく開かれた目からぽた、ぽたと涙の粒が落ちていく。
その様子があまりにも悲しげで、さとりはそっと視線をそらしてしまう。
例えどんなに覚悟をしていたとしても、自分が愛情を注いでいたペットが亡くなるのはあまりにも悲しい。
そんな空の気持ちをさとりは痛いくらい、分かっていた。空の心が荒れ、乱れていく。
「あは、あはは…。そうですよね。…どうしてこんなことに気づかなかったんだろ…」
「…おくう」
「いつか、ぐすっ、いつかはこうなったんですよね。私たちと、ぐしゅ、ずっと一緒には生きていけないんですよね」
「………」
「いいんです、ひくっ…いいんですよぅ。わたし、タニシさんがいつか死んじゃうんだって、分かってたんですからぁ…!」
自分の体を抱きながら、空は自分の気持ちを吐露していく。
ぽろぽろとこぼれた涙は止まらず、床に敷かれた絨毯をじんわりと濡らしていく。
そこは、奇しくも前に空がタニシのために持ってきたバケツの水がこぼれたところと、まったく同じところだった。
…さとりは、そっと空に近づいていった。
「…空。あなたに伝えたいことがあります」
「ずずっ…はい、なんでしょうか…」
「タニシが、私に伝えてくれたことを教えます」
「…!」
三人全員が、さとりの方を見る。
さとりはそのまま話し続けた。
「私は昨日、あのタニシに会いに行きました。その際、心を通して自分はもうすぐ死ぬということを私に伝えてきたのです」
「………」
「その時、死ぬ前にどうしてもあの飼い主さんに伝えたいことがあると。…あなたのことですよ、空」
「…続けて、ください。…タニシさんは私に何を伝えたかったのですか…?」
いつの間にか空は泣きやみ、じっと泣き腫らした眼でさとりを見ていた。
その眼は、大きな悲愴と、かすかな希望の色をしていて。
さとりはすぐ傍で見ていたこいしの頭を撫でてから、同じように空を見つめ直す。
…数秒の沈黙の後、さとりは空にゆっくりと語り始めた。
タニシが伝えたかったことを。
…もうすぐ、私は死んでしまいます。
だからせめて、死ぬ前にご主人様に伝えたいことがあるのです。死んでしまった後では遅いのです。
ご主人様、私が死んでもどうか気を落とさないでください。
全ての生き物は寿命があり、いつかは死ぬ。私も同じです。
ですから、ご主人様が悪いわけではありません。それだけは、どうか分かってください。
…こうして話していると、私が初めてご主人様に飼われた日を思い出します。
のろのろと動く私を見て、かわいいと言ってくれました。猫耳に触れて、それもかわいいと言ってくれた。
そして、私を飼っていいとさとりさんに言われた時、ご主人様はいっぱい喜んでいましたね。
私達タニシは、地上では嫌われ者でした。飼われることなんて全くなかったのです。
でも、そんな私を飼うと言ってくれただけでも、嬉しかったんですよ?
結局、最初の夜の日に私に言った約束を最後まで守ってくれましたね。言われた時は正直少し不安でしたが、その心配は全くの杞憂でした。
私のことを忘れたりせず、私が死ぬまでちゃんと世話をしてくれたのですから。
ご主人様はばかなんかじゃありませんよ。私が保証します。
さて…私の言いたいことも少なくなってきました。
今まで世話してくれた皆さんには、感謝しても仕切れないくらいです。
最初の内はそっぽを向いていたけれど、最終的にはずっと近くにいてくれた燐さん。
たまにふらりとやって来て、多めの食事を私にくれたこいしさん。
私の心の中を読んで、私に何かあったときによく駆けつけてくれたさとりさん。
そして、誰よりも私を一番よく見てくれて、一番世話をしてくれた、ご主人様こと空さん。
皆さん、本当に、本当にありがとうございました。
私のことを、たまにでもいいから思い出してくださいね?
「………あなたはタニシからこんなにも慕われ、何回もあなたに感謝をしていました」
「………」
「あなたは、とても良い飼い主だと私に言ってましたよ。私の自慢のご主人様だ、とも」
「…っ…」
「空。…今までよく頑張りましたね。あのタニシの一生を、あなたが幸せな一生にしてあげたのですよ…」
「…ぐしゅ、しゃとり、しゃまぁ…!わたし、わたしぃ…っ!」
目からさらにぼろぼろと涙をこぼして、ふらふらと歩みながら空はさとりに抱きつく。
同時に、私はこんなにも認められていたんだ。タニシさんは最期まで私たちのことを気にかけてくれてたんだ、という心がさとりの第三の目から伝わってきた。
さとりはしっかりと空を抱きとめた後、そっと背中を撫で、無言であやす。
隣にいたこいし、水槽の近くにいた燐、そして…さとりも、皆泣いていた。
たった一頭の小さな命はこのような別れを持って、ここ地霊殿からいなくなったのだった。
◆◆◆
あれから一カ月がたった。
地上は春真っ盛りで、タニシがいなくなった日から大分月日がたっていた。
ばたんっ!
「さとりさま、おはよーございます!」
「ええ。…おそよう」
「…おはよーございますとか言ってるけど、もう夕方だよ?おくう」
「あはは、今日もいつものことじゃない。おくうは吸血鬼とおんなじ生活してるねー」
最近の昼夜逆転生活をする空に、苦笑する三人。
そんな空は、むすーっと無愛想な表情をしていた。笑われるのは癪らしい。
「ぶー。いいじゃないですか寝るの気持ちいいんですからー」
「でも、さすがに生活リズムは改善した方がいいですよ」
「そうだよおくう。あんまりあたいの手を煩わせないでよね」
「ふふふ。そんなに寝ないなら私が一緒に寝てあげよっか?恋焦がれる睡眠を提供しちゃうよー」
「…う、うにゅう。今度から気をつけますー…」
だが、皆に色々言われしょぼんとなる空。相変わらず感情表現が豊かである。
因みにこいしは全然関係がないことを言った気がするが、空には聞こえていなかったようだ。
そうしている空に、さとりは「あそこ」を指さす。
「ほら、空。今日もするんでしょう?」
「あっ…そうだった!」
「もう、あの日からずっとしてるでしょ?何でいつも忘れそうになっちゃうかな」
「むむ、お燐ー。それでもぎりぎりの線で出来てるからいいじゃないのさ」
「まあこの前は日付が変わるぎりぎりの時だったけどねー」
こいしの言葉にまた少しむくれながら、空はとてとてと「あそこ」の前に立った。
そこは…生き物が何にも入っていない、空っぽの水槽。
しかし、水槽の中にはたった一つ、中に入っている物があった。
それは、あのタニシの貝殻だった。
タニシがいなくなってから、空たちは毎日のように水槽の前に来ることにしていた。
これの発案者は空。何でも自分が忘れないようにするから、らしい。
最初これを聞いた時は皆何事かと思ったが、さとりがそれが良いかもしれませんねという一言で、することが決まった。
毎日、全員が揃った時に必ずやることにしている。これも空が決めたことだ。
それを、今日現在まで欠かさずやり続けている。それのおかげで、空たちはずっとタニシのことを忘れていない。
「…それじゃあ、今日もするよ?」
空がそう言うと、全員が水槽の前に集まってくる。
そして、誰が言うまでもなく、皆自然と目を閉じたのだった。
水槽の中には、貝殻が一つ。その横には、空が書いたと思われる拙い文字が、水槽の底に直接書かれていた。
『忘れないこと―――わたしが、初めて飼ったペット タニシさん。』
END
かつて私も飼ってましたが……
想起「テリブルスーヴニール」
蓋をしわすれた水槽から出て床にいたのに気づかず踏……
それ以来田圃を避けるほどのトラウマだったのですが……
このタニシさんは幸せ者だ、と心からそう思いました。
そして空、ありがとう。尊敬します。
病弱猫耳幼女田西さん(××才)。余命一年で空が懸命に(ry
・・・さておき、普通に良い話でした。おもしろかったです。
実家付近の田圃にいたのを思い出した。
卵は食えない事も無いそうです
タニシさん貴方は幸せ者だ!!!
こいしちゃんが照れるところが可愛らしかったです。
発想もおもしろいし、それが上手く文にまとまっていて見事だなぁ
と、嫉妬しつつ読まさせていただきました
目が涙でいっぱいになったけど、心もいっぱいになりました。
ありがとう!
地霊殿の皆はかわいい!
昔メダカを飼っていた水槽の中にたにしがいて気持ち悪いなあ、なんて思ってました。ごめんね
ジャンボタニシは飼っていませんでしたがモノアラガイは飼っていました。
水面をスイスイ滑る様がキュートなことキュートなこと……
今回の経験を経て空は少し大人になったことでしょう。
そう、思っていた時期が僕にもありました
有り体に言わせてもらえば、良い話でした
どんなペットでも、飼い主との間には絆があるんですねぇ
俺もタニシのこと、ちょっと好きになりました……触るのは無理だけど;ww
地霊殿皆の絆が暖かすぎます。
それに、たにしも良い子でしたし・・・。
これをきっかけに、お空だけじゃなくて、皆も何かが変わったんじゃないかなぁ、と思いました。
>>2さん
田んぼには必ずと言っていいほどジャンボタニシがいましたよね。
空は最後までタニシを可愛がっていましたが、
これが中々出来ないことのです。
近年は育てきれずに野放しにして野生化、といったことが多くて空しい気持ちになります。
>>4さん
自分が育てた生き物が死んでしまうのは、どうしても耐えがたいものがあります。
私自身も経験があるからこそ分かるのですが。
>>6さん
タニシのこと、少しは好きになれましたか?
>>9さん
それ以上いけない
>>16さん
いいえ、シュールです。
…でも、実際これはどういう話なんでしょうか。
>>17さん
タニシを擬人化するとしたら、一体どうなるんでしょうね。
頭に大きい貝殻帽子でもついてるんでしょうか。
ありがとうございます。これからも楽しめるような話を書いていきたいです。
>>18さん
タニシは西日本なら大体いることでしょう。
ただ、卵を割ったことがある身としては、あれが食べれるわけが…。
>>20の奇声を発する程度の能力さん
ありがとうございます。
タニシにも色々事情があると知って欲しかったので、分かってくれたらこれ幸いでし。
>>24さん
いいえ、珍ジャンルです。
何だかんだ言ってこいしもタニシを可愛がっていたのでした。
>>25さん
いえいえ。自分はまだまだ卵が孵る前のひよこですよ。
ですが、そう言ってくださるのはこちらとしてもとても励みになります。
>>26さん
かたつむりとは違うのだよ、かたつむりとは。
かたつむりと言えば、実家でブロックをひっくり返したらなめくじと一緒にうじゃうじゃいた時がありました。
あれは純粋に怖かったです。
>>27さん
実のところ、当初はだんご虫とかもいいかなあと思っていました。
>>29さん
空も今回のことで、きっと何かが変わったことでしょう。
>>32さん
そしてタニシもかわいい!…やっぱりダメですかね?
>>40さん
気がつけばタニシがへばりついているのはありますね。一体どこから来たのでしょうか。
まあ見つけた時はそのままにしてても害はないので、一緒に飼ってあげてください。
>>44さん
ありがとうございます。
貝類は見てるだけでも楽しかったりします。ヤドカリやらタニシやら。
少し大人になった空は、一体次に何を悩むのか。
そんなときに、きっとこういった経験が役立つことでしょう。
>>47さん
小説で泣けるというのはある意味羨ましい話だったり。
>>50のずわいがにさん
その気になれば海牛とかでもペットにすれば絆が生まれるわけです。
ワニとかタランチュラとか飼ってる人もきっとそういうものがあるんでしょうね。
まあ、眺めるだけでも意外と楽しいので、良かったら一度見てください。
>>51さん
まあ、ギャグに期待していた人には少しあれだったかもしれませんね。
人にも絆がありますが、ペットにも絆があるのです。長い時をかければそれはより強くなります。
おそらく変わることでしょう。数日は貝料理が出なかったとかだけなら少し空しいですけど…。