「霊夢、人里へ買い物に行かない?」
「断る」
麗らかな午後の昼下がり、知る人ぞ知る博麗神社のその境内。
程よい陽気に当てられながら掃除をしていた少女は、突如聞こえてきた言葉に動揺することもなくキッパリと言い切った。
その直後、何もない空間に裂け目が生まれ、その中から見た目麗しい女性が現れる。
金紗のような流れる髪、黄金の瞳に病的な肌の白さ。陰陽の紋を拵えた道士服と、優雅なドレスを混合させたような衣服に身を包み、彼女はくすくすと笑みをこぼす。
先ほど自分が現れた空間のスキマに肘を立て、まるで空中で机に座っているかのような格好で巫女の少女を見下ろしている。
見る人が見れば、『胡散臭い笑み』だと言葉にするだろう表情をのぞかせる女性に、巫女の少女―――博麗霊夢は盛大なため息をひとつこぼした。
「何の用なのよ紫、くだらない冗談のひとつをこぼす暇があったらお賽銭のひとつでも入れてほしいものね」
「残念、私がお賽銭を入れてはここの神様が戸惑ってしまいますわ。お賽銭は信仰の証でもあるのですから、私のような大妖がお賽銭をするべきではない。
ここの神にとっても私にとっても、そして私以外の妖怪たちにとってもね」
彼女の言葉にはいはいと適当に答えながら、霊夢は再び掃除を再開する。
さしたる期待もしてなかったのかその言葉はあっさりとしたもので、そのいつもどおりの少女の態度に満足そうに笑いながら、女性はゆっくりと、優雅に境内に降り立った。
千年以上の時を生きた大妖怪。この幻想郷において知らぬ者のいない、境界を操る能力を持った妖怪の賢者。
八雲紫。それが、今現在霊夢に語りかける女性の名であり、また正体でもある。
方や、妖怪を退治する博麗神社の巫女。方や、賢者と謳われるほどの大妖怪。
文面だけ取れば、それは相容れぬ者同士のように思えるが、二人の様子に険悪なものはまったくない。
博麗霊夢は相手が人間だろうが妖怪だろうが同じ態度で接する人柄であったし、そしてそんな性格の霊夢を八雲紫は大層気に入っていた。
立場上、妖怪に対して多少厳しいスタンスを取ってはいるが、それだけだ。
博麗霊夢と言う少女は人間の友人だろうが妖怪だろうが終始このような調子なのである。
「それに、心外ですわ。買い物に行こうというのは冗談などではありませんのに」
そんな彼女でも、大妖怪の放ったこの言葉に動きを止め、胡散臭そうに彼女に視線を向けた。
手にした扇子で口元を隠し、くすくすとおかしそうに紫の姿。妖しく、油断ならないはずのソイツは、どういうわけか楽しそうに霊夢の言葉を待っている。
「マジ?」
「うふふ、マジですわ♪」
とことん楽しそうな声色の返答だった。普段は使わないくだけた言葉も霊夢の耳には右から左へと素通り状態。
博麗の巫女と、妖怪の賢者。この二人が仲良く人里に買い物に出かけるなど、それだけで多くの人は目を丸くして驚くことだろう。
巫女と賢者が協力することは珍しくは無いのだが、そのことを普通の人々は余り知らないのだから、当然と言えば当然である。
盛大なため息をひとつこぼし、霊夢はめんどくさそうな視線を彼女に向けて言葉をつむぐ。
「あんたねぇ、博麗の巫女である私と、妖怪の賢者ともあろうあんたが一緒に人里に買い物だなんて、天狗のスキャンダルのネタにされるだけよ?」
「今更だと思うけれどねぇ、その心配。あなたと一緒に異変解決に向かったこともあるでしょう?」
「そりゃ、そうだけどさ……。ていうか、あんた今日はやけにしつこいわね」
いつもならからかうことに満足すれば、すぐに本題を切り出すと言うのにその兆候が見られない。
ということは正真正銘、こいつの今日の目的は自分を買い物に連れ出すことなのかと霊夢は考えて、いや無いわと思考を打ち切った。
どっちにしても、このまま引きそうにも無いし、意固地になっても仕方が無い。丁度買出しにも行かないといけないことだし、丁度いいと言えばそうなのだろう。
タイミングがやたら作為的だったのが気になったが、それはそれ。もうこいつ相手には諦めるしかないとため息をひとつついた。
「わかったわよ。今から支度するから、ちょっと待ってなさい」
「さすが霊夢。だから霊夢って大好きよ」
「うっさい黙れスキマババァ」
げんなりしながら悪態をついて、霊夢はため息をつきつつ神社の奥に消えて行く。
ふと、後ろを振り返ってみれば妖怪の賢者様は鼻歌交じりで実にご機嫌。そのままスキップでもしそうな雰囲気に、霊夢はうへぇと辟易した。
一体何がそんなに楽しみなんだかと考えて、結局わかるわけも無いと気がつくと自室に向かって足早に移動するのだった。
▼
人里という場所は存外に活気に満ちた場所であり、そして意外にも妖怪の姿も多く見られるものである。
里の中には妖怪向けのお店もあるほどで、そこでは人と妖怪の垣根を気にすることも無く楽しげに笑いあう人々の姿もよく見られた。
今ではすっかりとお馴染みになっている光景を眺めながら、霊夢は盛大なため息をついていた。
「あら、どうしたの霊夢。そんなにため息ばっかりついていると老け込んでしまうわよ?」
とりあえず、そのため息の原因はこちらを覗き込んできた妖怪の賢者様にあるわけなのだが。
「……紫、あんたなんでその姿なわけ?」
「似合わない?」
「似合ってる。似合ってるから余計に腹立つ」
霊夢がジト目で睨み付ける視線の先、そこにはいつもとは違う八雲紫の姿がある。
麗しい女性と言った表現がよく似合いそうな妖怪は、今は霊夢と同じ年頃の美少女へと変貌を遂げていた。
流れる金紗の髪を結い上げてポニーテールを作り赤いリボンで纏め、陰陽の紋を拵えた道士服と、優雅なドレスを混合させたような衣服はそのままに。
まるでどこかのお嬢様といった雰囲気を醸し出すその様子は、普段の彼女と違って可愛らしいと思える容姿もあってよく似合っている。
普段の胡散臭さなど微塵も感じない。隣にいる霊夢でさえ、相手が紫だとわかっていなければ同い年の人間だと勘違いしてしまいそう。
そんな美少女が自分の隣でくすくすと笑う。
普段と違って若々しい姿の彼女に違和感を覚えてしまって、なんというかどうにも落ち着かない。
「で、なんでその姿なのよ」
「なんとなく……と言っても、納得はしないのでしょう?」
「当たり前でしょ。なんか企んでるんじゃないでしょうね?」
「まさか、そこまで策謀を巡らせるつもりなんて無いわよ」
やれやれと肩をすくめて、紫は小さくため息をつく。
そんな彼女の様子をジト目で観察しては見るのだが、本当なのか嘘なのか判断に迷ってしまう。
「ほら、この姿のほうがあなたも周りを気にしないですむでしょう? 妖怪の賢者と外出していると周りが見るより、友達と一緒にいると周りに見られたほうが、あなたも気が楽だと思って」
「それで、私と同じぐらいの年齢になってるわけね」
げんなりとした様子で言葉にすれば、「そのとおり」と満足そうに紫は口にする。
彼女なりの気遣いなんだろうけれど、若くなっただけで姿がほとんど変わっていないのではあまり意味が無いんじゃなかろうかと思うわけで。
何しろ、若さはともかく衣服がまったく一緒である。少し勘の鋭い人物なら、この少女が八雲紫本人であるとすぐさま気づいてしまうだろう。
服を変えずに髪を結い上げただけで済ませているのは、その衣装がよっぽどお気に入りなのか。
少し考えて、考えても仕方が無いかと霊夢は思考を打ち切った。
何しろ普段から何を考えているのかわからない胡散臭い妖怪である。妖怪たちからも胡散臭いと称される彼女の考えなど、20も生きていない小娘にわかるわけも無いと自己完結。
本人がその姿を大層気に入っていそうなのだ。変える気もなさそうだし、だったら考えても無駄なこと。
「ねぇ、霊夢。あそこの雑貨屋に行かない? 藍から聞いたのだけれど、色々売っててお勧めみたいなの」
「それは……別に、いいんだけどさ」
「なら行きましょう。ふふ、なんだかこんな気分も久しぶりかも」
どこか楽しそうに、本当に心のそこから楽しそうに笑いながら、紫は霊夢の腕を取って足早にその店に向かっていく。
無理やり腕を引っ張られ、半ばつんのめりながらも文句のひとつでも言おうとして―――ついて出ようとした言葉を喉の奥に飲み干した。
彼女の笑顔が、普段のものとはぜんぜん違っていたから。まるで本当に、同い年の友達を見ているような、そんな錯覚すら抱かせる満面の笑み。
胡散臭いとか、信用ならないだとか、妖しいだとか、そんな言葉とは程遠い無垢な笑顔。
博麗霊夢が、はじめて見た紫の顔。
もうずいぶんと長い付き合いになるものの、今のような表情はこれまで見たことが無かった。
まるで、外見相応の無邪気な笑み。肉体の年齢に精神が引っ張られているのか、それともそう振舞っているだけなのか。
結局、霊夢にはわからない。わからないけれど、その笑顔がひどくまぶしくて、そして可愛いなと思った。
その考えにいたった自分に気がついて、彼女はぶんぶんと首を横に振る。
今のはまったく持って気の迷いだと自分に言い聞かせ、もう一度紫に視線を向けてみた。
やっぱり、彼女は笑っている。楽しそうに、嬉しそうに、今まで自分には見せなかったそんな笑顔で。
▼
思えば、八雲紫という妖怪は昔からわけのわからないやつだったと霊夢は思う。
神出鬼没。真実の確かめようの無い様々な噂。相手を煙に巻くような胡散臭い笑顔と、何をとっても信用できる要素が皆無の妖怪だった。
妖怪の賢者。その頭脳は誰よりも高く、その能力は神に匹敵するとも噂で言われているが、傍にいる霊夢自身はよく知っている。
彼女は、その噂どおりの正真正銘のトンデモなのだ。
初めて会ったのは、まだ先代の巫女、つまり霊夢の母親がまだ存命だったころ。
その時の感想といえば、今と同じで胡散臭くて信用ならないという、半ば直感にも似たものだった。
一体何の用事だったのか、彼女はふらりと訪れて先代と会話を交えた後、幼い霊夢を見つけてはよく頭をなでていた。
それを鬱陶しく思って、霊夢はいつも仏頂面をしたままその手を払っていた。我ながら可愛げの無い子供だったと彼女は思う。
そんな可愛げのない子供を前にしても、胡散臭い大妖怪はくすくすと笑った。
それからも彼女との関係は続き、代替わりした後はスペルカードルールを作ってみたり妖怪退治したりと巫女の仕事を続けていると、ふらりと彼女は現れた。
時には修行をつけに来たこともあったし、おいしい山菜なんかをお裾分けに来たりと、お前はどこのご近所さんだと一度ツッコミを入れた覚えもある。
時には異変の解決に乗り出したこともあるし、その時は、正直に言って彼女の存在は頼もしかった。
まったくもって妙な関係だと霊夢は思う。
それを他の人物、たとえば霧雨魔理沙や西行寺幽々子が聞けば「何を今更」と二人そろってキッチリ言葉にすること請け合いだろうが、それは一度置いておこう。
そんなわけで、霊夢と紫の関係はそれなりに長く続いているわけなのだが―――
「ねぇねぇ霊夢、この人形なんて妖夢にぴったりだと思わない?」
とりあえず、このきゃぴきゃぴとした笑顔と態度は一度たりとも見たことが無いわけで。
こういっては何だが、アレだ。八雲紫の初めて見せた表情は予想以上に精神にくる。
ボディブローをどっすんどっすんとみぞおちに叩き込まれるがごとく、浮かべている笑みがピクピクと引き攣っているのが、霊夢自身よくわかった。
付き合いの長い霊夢でなければ、おそらくテンカウントノックダウンで試合は終了していたに違いない。
いや、逆だ。付き合いが長くて、八雲紫と言う人物をよく知っているからこそこの笑顔が効いてくる。
見た目相応の可愛らしい笑顔。それだけを見れば違和感なんてかけらも無い。
ただし、そこに『妖怪の賢者の八雲紫』という要素が混じった途端、それはすさまじい違和感となって襲ってくるのである。それもマシンガンのごとく。
普段の紫を知っているだけに、あの胡散臭い笑みを知っているだけに、その違和感は強烈だった。
「……霊夢?」
「あー、いや。なんでもない。うん、なんでもない」
こてんと首をかしげながら名を呼ばれて、霊夢は背筋に走る薄ら寒いものを感じながら、半ば自分にも言い聞かせるように霊夢は言葉を返す。
痛み出したこめかみを指でほぐす様に動かしながら、霊夢は彼女の腕にある人形を見る。
これまた傍目から見れば判断に困るもので、多分幽霊のつもりなのだろうがその人形は餅にしか見えなかった。
「……こっちの方がいいんじゃない? 妖夢ならこういう可愛らしいのも似合いそうだけど」
「犬ねぇ。そっちでもいいけど……ねぇ、これは?」
「嫌がらせにしか見えないからやめときなさい」
ぴしゃりと言ってやる。さすがに餅の人形など贈られては、妖夢が不憫に思えて仕方が無い。
その辺のことをわかっていないのか、ちえーっと口を尖らせて餅(幽霊)の人形を棚に戻す大妖怪。
やめろ、鳥肌が立つだろババァと内心思ったが、今この場でそれを言うとなんだか後が怖そうなのでかろうじて飲み込んだ。
「じゃあ、霊夢はこれね。ネコネコ巫女人形」
にっこりと笑って別の人形を見せる八雲紫。くるりと楽しげに体を反転させ、ポニーテールが慣性の法則にしたがってふわりとゆれる。
うん、可愛い。変な偏見さえなければ本当に可愛い。中身がアレであるということを知っていることが本当に悔やまれる。
そのせいで素直に可愛いと思えない。普段の彼女がそんな笑顔を浮かべないだけ余計に。
「あ、ありがとう。か、かわいいわねー」
「でしょう!? 待ってて、妖夢の分とあわせて買ってくるわ!!」
「へ? いや、ちょっと待てッ!!?」
人が止める暇も有らばこそ、彼女はあっという間に店員のいる勘定台に走り去っていってしまい、霊夢はその背中を呆然と見送るばかり。
本格的に頭痛がしてきた霊夢は頭を抑え、ぶんぶんとかぶりを振った。
アレは素なのだろうか。それとも演技なのだろうか。個人的には是非とも後者でいてほしいと思うのだが、なんだか見ていると素っぽいからなお恐ろしい。
だって、八雲紫である。妖怪の賢者様である。一日あれば幻想郷を潰せるほどの実力をもった大妖怪なのである。
その彼女が、口笛吹いている。スキップしている。スキップスキップランランランと口走りそうな勢いで勘定台に向かう姿は、長年付き合ってきた霊夢にとっては悪夢に近い。
そして、その悪夢を可愛いと思ってしまっていることこそが、霊夢にとっての最大の悪夢である。
周りの生暖かい視線はもう慣れた。慣れたと言うよりは意識的に無視を決め込んでいるだけなのだが。
ふと、店から出て行く稗田阿求の姿を見つけ、なんとなしに彼女と視線がかち合って。
「……ハッ」
鼻で笑って去っていきやがった。
「……ふ、うふふふふふふふ。殺す。今殺す。すぐ殺す。すごく殺す」
「おまたせー……って、どうしたの霊夢?」
比喩で無く、今まさに飛んでいきそうな霊夢にかかる紫の声。その声に戸惑いがあったことは間違いあるまい。
何しろ、視認できるほどのどす黒いオーラが霊夢を中心に渦巻いているのである。にもかかわらず声をかけた紫はさすがと言うべきだろう。
その紫の声でハッと我に返り、霊夢は「なんでもない」と口にして、今日何度目かわからない頭痛に頭を抑えた。
とりあえず、阿求のほうは後日お礼参りをする方向で行くとして、今は直面する現実問題に立ち向かうほうがより健全だと判断。
視線を紫に向けると、いつもよりも幼い顔で心配そうに自分を覗き込んでいる。
それで、ドキリとした。間近で見た彼女の顔は―――先ほどまで感じていた違和感を吹っ飛ばすほど綺麗だったから。
思わず、息を呑んだ。その様子を見て、紫はますます心配そうに眉を寄せた。
「体調が優れないならちゃんと言いなさい。送っていってあげるから」
「だから、大丈夫って言ってるでしょうが。ほら、次のお店行きましょう」
手をひらひらと振って霊夢はスタスタと店を後にする。
真っ赤になっているだろう自分の顔を誤魔化すように足早に移動しながら、一瞬でも彼女に見惚れたことを悔しく思った。
それに気がついていないのか、紫は首をかしげながらも彼女の後を追って、再び霊夢の腕を絡めとる。
鬱陶しいと少しだけ思って、けれども拒絶もできないまま、霊夢は「ふん」とそっぽを向いて次の場所へと歩みを進めたのだった。
▼
あれからカフェで昼食をとったり、食糧を買ったりと大方の用事を終えたころにはすっかりと夕方になっていた。
博麗神社に続く長い石段を登る二つの人影は、寄り添うようにくっついている。
片方は気だるそうなのを隠そうともせずに。片方はどこか楽しそうに。
まるで正反対の表情を覗かせながら、博麗霊夢と八雲紫は帰路についていた。
「こんなにはしゃいだのはいつ以来かしら。楽しかったわぁ」
「年を考えろ年を。ったく、外見変えてまであんなに浮かれてさぁ」
くすくすと笑う妖怪の言葉に、霊夢は小さくため息をこぼしてジト目でにらみつける。
彼女はいまだに霊夢と同じぐらいの外見年齢のまま、くすくすと楽しそうに笑っているのが、なんだか霊夢には面白くない。
こいつ、本当に若い肉体に精神が引きづられてるんじゃなかろうなと疑わしい視線を向けるのだが、紫はと言うとそんな視線も気にする気配も無い。
あぁ、間違いない。見た目こそ若いが、コイツは正真正銘あの八雲紫だと再認識。
「あら、あなたもずいぶん楽しんでいたように思えたのだけれど?」
「冗談。あんたが何か企んでやしないかと気が気じゃなかったわよ」
「もう、嘘つき。そんなこと気にもしなかったくせに」
「まぁね」と肩をすくめて、霊夢は苦笑した。
彼女の言うとおり、そんなこと気にもしなかった。むしろ出来なかったといっていい。
本当は、いつもとは違う彼女のギャップに脳の処理が追いつかなかっただけなのだが、それを認めるのが悔しくて口にはしない。
やがて、門をくぐり神社の境内へとたどり着く。
赤々と輝く夕焼けが沈み行き、もう少しすれば妖怪の時間である夜が訪れることだろう。
よっこいせと、荷物を縁側に置いてから腰掛ける。すると、紫も荷物を置いてゆっくりと霊夢の隣に腰掛けた。
二人して、無人の境内を眺めて寄り添っている。
思えば、初めて紫とであったのもこの縁側だったような気がするけれど、子供のころだったから記憶があやふやでよく思い出せない。
ふと、紫のほうに視線を移してみれば、どこか懐かしむような表情で彼女は遠くを眺めていた。
ここでは無いどこかを。ここではない場所にいる誰かを見ているようで。
どうしてか、まったくわからないのだけれど―――ものすごく、面白くない。
「ねぇ、紫。あんたってさ、どうして私を気にかけるの?」
自分でも、どうしてそう思ったかわからない。どうして、そう言葉を投げかけたのかわからない。
けれど、それは前々から思っていた疑問でもあったのだ。
自分は博麗の巫女で、彼女は妖怪の賢者。
時には幻想郷全体を保つために、手を取り合って協力することもあるだろう。
けれどそれは、結局は利害の一致に過ぎないはずなのだ。
最初のうちは、霊夢もそう思っていた。利用し利用され、自分たちの関係はそういうものなのだと理解しているつもりだった。
けれど、時々わからなくなるのだ。
修行をつけるのは、いざ利用としたときに不甲斐ないといけないというのもあるだろう。
事実、霊夢は修行はめんどくさがって余りやらないし、紫が修行をつけてやらなければまともに修行するかどうかと言うレベルである。
しかし、他はどうだろう。
食材のお裾分けなんて紫がする必要なんて無いし、ご機嫌伺いのつもりならなおさら必要なんて無い。
天子が神社を倒壊させ、あまつさえ神社をのっとろうとした時もそう。
いつもは妖しい笑顔を浮かべて、自分の感情を相手に悟らせないあの八雲紫が、その時ばかりは表情こそ平静だったが怒りを露にして天子を懲らしめた。
今回もそう。
自分を買い物に誘う意味も、理由も無い。それが、ただの利害の一致でしか無い関係ならなおさらだ。
けれど、彼女は自分を誘い、そして楽しそうに笑っていたのだ。
八雲紫がわからない。
彼女がなぜ、こんなにも自分に気をかけるのか、わからない。
そんな霊夢の心情を見透かしたように、紫はくすくすと苦笑して言葉をつむぐ。
「もちろん、あなたの事を好いているからよ。それ以外に、必要以上にあなたを気にかける理由があるかしら?」
「あんたみたいなスキマ妖怪が? うっそだぁ」
何しろ、あの八雲紫である。神出鬼没で胡散臭いことで評判の八雲紫様である。
だから、ある意味で霊夢の反応は至極全うなものだろう。スキマ妖怪の言うことは素直に信用するなと言うのは有名な格言である。
そんな胡散臭そうな霊夢の言葉に、紫は「心外ですわ」なんていってくすくすと笑ってみせた。
「ならば、あなたに教えましょう霊夢。スキマ妖怪のスキマのスキは、『Like』であり『Love』であるのよ」
「嘘をつけ。絶対嘘でしょ、あんたそれ」
「うふふ、もちろん。でもね―――」
途端、彼女は霊夢に向き直った。
何時に無く真剣な表情で、優しく愛しむ様な、また霊夢の知らない表情で。
「あなたが好きだというのは、紛れも無い本心よ」
そんな恥ずかしい言葉を、こともなげに言い切ったのだ。
かぁ~っと顔に血が集まっていくのがはっきりとわかる。顔が火照って真っ赤になり、感情が無い混ぜになってぐちゃぐちゃになった。
思考が回らない。考えがまとまらない。その言葉が、本気だとわかってしまったから、霊夢はパクパクと口の開閉を繰り返すばかり。
「あら、顔が真っ赤よ霊夢」
「うっさい!! わかってるわよ馬鹿スキマ!!」
ようやくついて出た言葉はそんな罵倒で、けれどそんな罵倒にも彼女は意に介さずクスクスと笑うだけ。
恥ずかしくなって、顔を見られないようにうつむいて、そして結局思考の檻にとらわれる。
こんな顔、彼女に見られたくない。こんな、誰にも見せたことが無い表情、こいつにだけは見られるのが嫌だった。
だって、こんなにも恥ずかしい。こんなにも心臓がバクバクと高鳴って、今にも破裂してしまいそうなのに。
そんなに、優しい笑みを向けられたら―――本当に、壊れてしまいそうだ。
「信じられない?」
「あ、あたりまえでしょ!!」
「ふーん、そう」
まともに彼女の顔を見られないまま、半ば自棄になって反論する。
彼女から何か見えているのだろうか。自分の赤くなった顔は隠せているのだろうか。
そんなことを、考えていたからだろうか。
「霊夢」
本当に、普段の自分では考えられない失敗だったと、後の霊夢は思う。
その声に、半ば反射的に顔を上げたのがまずかった。すぐ目の前に、いつの間にか少女の姿でなくいつもの女性の姿に戻った紫の姿があった。
ぁ……と、か細い吐息がこぼれ出る。顔が爆発してしまったんじゃないかって思うぐらい熱が集まっていくのがわかる。
「昔みたいに頭を撫でてあげれば、信じてくれるかしら?」
それは、ずっとずっと昔の話。
まだ先代の博麗の巫女がいて、霊夢がもっと幼かった時の頃。
あの時、霊夢は紫の手を払って、ふいっとそっぽを向いた。
鬱陶しい。煩わしい。その感情はどれも正しかっただろう。けれど本当は―――
「それとも、キスのほうがいい?」
「……ふん、やってみなさいよ」
微笑む彼女の顔が正視できなくて、ふいっとそっぽを向いて悪態をつく。
けれど、この距離じゃ顔が真っ赤になっているのはばればれだし、反論する声もどこか力が無いけれども。
「……超喜んでやる」
本当に消え入りそうな声で、霊夢は恥ずかしそうに言葉をつむいでいた。
その言葉に、紫がきょとんとしたのが気配でわかった。それで、ますます恥ずかしくなって霊夢は顔を俯かせていく。
やがて、紫はくすくすと笑った。本当に楽しそうに、でもどこか嬉しそうに。
「それじゃ、遠慮なく」
昔そうしてやったように頭を撫でて、優しく髪を梳かすように指を絡ませる。
霊夢は恥ずかしそうだったが、拒絶はせず、やがて心地よさそうにまぶたを閉じた。
そんな彼女の額に、口付けをひとつ。
霊夢は何も言わず、いっそう顔を真っ赤にしただけ。けれども、それで満足。
まるで夢のような時間、二人はただただそうやって過ごしていく。
夕焼けは赤く染まり、ただ二人を見下ろしているように思えて。
紫は彼女の頭を撫でながら、満足そうに微笑んでいた。
▼
二人の少女が笑いあっている。
金の髪をした少女と、黒い髪の少女が、机に向きあって幸せそうに微笑んでいた。
嬉しそうに、そして楽しそうに。
それが当たり前であるかのように、少女たちは会話に花を咲かせた。
その少女たちを、ただぼんやりと眺める女性の姿がある。
真っ白な空間の中で、彼女はただ一人、懐かしむようにその光景に見入っていた。
何を思うのか、何を考えているのか、あいにく、その女性を眺めていた霊夢にはわからない。
これが、夢だと言うことはなんとなくわかっている。けれども、これは誰の夢なのだろう?
少女たちを眺める女性は、八雲紫。霊夢のよく知る、胡散臭くて、けれども気心の知れた妖怪の賢者。
じゃあ、その妖怪の賢者にそっくりな、あの少女は誰なんだろう?
買い物で見せた紫の笑顔とそっくりで、……いや、あの時の紫と同じ笑顔で少女は笑う。
もう一人の黒髪の少女も、どこかあきれているようで、けれども楽しいのかくすくすと笑っていた。
その金髪の少女の楽しげな笑顔が、幸せな笑顔が、そして些細なしぐさが、まるで八雲紫の生き写しのよう。
八雲紫はただ佇んでいる。
その光景に思いをはせるように、その光景を懐かしむように、ただジッと。
思わず、霊夢は彼女の名を呼んだ。
このままどこかに消えてしまいそうで、どこかに彼女がいなくなってしまいそうで。
そうして、彼女はこちらを振り向いた。
振り向き、一瞬驚いて、けれども彼女は精一杯微笑んでくれた。
その八雲紫の笑顔が、あの紫そっくりな少女の笑顔と、重なって、溶けたような気がした。
それは、霊夢が見た些細な夢。
なんてことの無い、目が覚めてしまえば覚えてもいない泡沫の夢。
けれど、その世界はこんなにも―――さびしくて、悲しそうな世界だった。
その世界が誰のものだったのか、目が覚めて夢が記憶から抜け落ちてしまった霊夢には、終ぞわからぬ疑問だった。
「断る」
麗らかな午後の昼下がり、知る人ぞ知る博麗神社のその境内。
程よい陽気に当てられながら掃除をしていた少女は、突如聞こえてきた言葉に動揺することもなくキッパリと言い切った。
その直後、何もない空間に裂け目が生まれ、その中から見た目麗しい女性が現れる。
金紗のような流れる髪、黄金の瞳に病的な肌の白さ。陰陽の紋を拵えた道士服と、優雅なドレスを混合させたような衣服に身を包み、彼女はくすくすと笑みをこぼす。
先ほど自分が現れた空間のスキマに肘を立て、まるで空中で机に座っているかのような格好で巫女の少女を見下ろしている。
見る人が見れば、『胡散臭い笑み』だと言葉にするだろう表情をのぞかせる女性に、巫女の少女―――博麗霊夢は盛大なため息をひとつこぼした。
「何の用なのよ紫、くだらない冗談のひとつをこぼす暇があったらお賽銭のひとつでも入れてほしいものね」
「残念、私がお賽銭を入れてはここの神様が戸惑ってしまいますわ。お賽銭は信仰の証でもあるのですから、私のような大妖がお賽銭をするべきではない。
ここの神にとっても私にとっても、そして私以外の妖怪たちにとってもね」
彼女の言葉にはいはいと適当に答えながら、霊夢は再び掃除を再開する。
さしたる期待もしてなかったのかその言葉はあっさりとしたもので、そのいつもどおりの少女の態度に満足そうに笑いながら、女性はゆっくりと、優雅に境内に降り立った。
千年以上の時を生きた大妖怪。この幻想郷において知らぬ者のいない、境界を操る能力を持った妖怪の賢者。
八雲紫。それが、今現在霊夢に語りかける女性の名であり、また正体でもある。
方や、妖怪を退治する博麗神社の巫女。方や、賢者と謳われるほどの大妖怪。
文面だけ取れば、それは相容れぬ者同士のように思えるが、二人の様子に険悪なものはまったくない。
博麗霊夢は相手が人間だろうが妖怪だろうが同じ態度で接する人柄であったし、そしてそんな性格の霊夢を八雲紫は大層気に入っていた。
立場上、妖怪に対して多少厳しいスタンスを取ってはいるが、それだけだ。
博麗霊夢と言う少女は人間の友人だろうが妖怪だろうが終始このような調子なのである。
「それに、心外ですわ。買い物に行こうというのは冗談などではありませんのに」
そんな彼女でも、大妖怪の放ったこの言葉に動きを止め、胡散臭そうに彼女に視線を向けた。
手にした扇子で口元を隠し、くすくすとおかしそうに紫の姿。妖しく、油断ならないはずのソイツは、どういうわけか楽しそうに霊夢の言葉を待っている。
「マジ?」
「うふふ、マジですわ♪」
とことん楽しそうな声色の返答だった。普段は使わないくだけた言葉も霊夢の耳には右から左へと素通り状態。
博麗の巫女と、妖怪の賢者。この二人が仲良く人里に買い物に出かけるなど、それだけで多くの人は目を丸くして驚くことだろう。
巫女と賢者が協力することは珍しくは無いのだが、そのことを普通の人々は余り知らないのだから、当然と言えば当然である。
盛大なため息をひとつこぼし、霊夢はめんどくさそうな視線を彼女に向けて言葉をつむぐ。
「あんたねぇ、博麗の巫女である私と、妖怪の賢者ともあろうあんたが一緒に人里に買い物だなんて、天狗のスキャンダルのネタにされるだけよ?」
「今更だと思うけれどねぇ、その心配。あなたと一緒に異変解決に向かったこともあるでしょう?」
「そりゃ、そうだけどさ……。ていうか、あんた今日はやけにしつこいわね」
いつもならからかうことに満足すれば、すぐに本題を切り出すと言うのにその兆候が見られない。
ということは正真正銘、こいつの今日の目的は自分を買い物に連れ出すことなのかと霊夢は考えて、いや無いわと思考を打ち切った。
どっちにしても、このまま引きそうにも無いし、意固地になっても仕方が無い。丁度買出しにも行かないといけないことだし、丁度いいと言えばそうなのだろう。
タイミングがやたら作為的だったのが気になったが、それはそれ。もうこいつ相手には諦めるしかないとため息をひとつついた。
「わかったわよ。今から支度するから、ちょっと待ってなさい」
「さすが霊夢。だから霊夢って大好きよ」
「うっさい黙れスキマババァ」
げんなりしながら悪態をついて、霊夢はため息をつきつつ神社の奥に消えて行く。
ふと、後ろを振り返ってみれば妖怪の賢者様は鼻歌交じりで実にご機嫌。そのままスキップでもしそうな雰囲気に、霊夢はうへぇと辟易した。
一体何がそんなに楽しみなんだかと考えて、結局わかるわけも無いと気がつくと自室に向かって足早に移動するのだった。
▼
人里という場所は存外に活気に満ちた場所であり、そして意外にも妖怪の姿も多く見られるものである。
里の中には妖怪向けのお店もあるほどで、そこでは人と妖怪の垣根を気にすることも無く楽しげに笑いあう人々の姿もよく見られた。
今ではすっかりとお馴染みになっている光景を眺めながら、霊夢は盛大なため息をついていた。
「あら、どうしたの霊夢。そんなにため息ばっかりついていると老け込んでしまうわよ?」
とりあえず、そのため息の原因はこちらを覗き込んできた妖怪の賢者様にあるわけなのだが。
「……紫、あんたなんでその姿なわけ?」
「似合わない?」
「似合ってる。似合ってるから余計に腹立つ」
霊夢がジト目で睨み付ける視線の先、そこにはいつもとは違う八雲紫の姿がある。
麗しい女性と言った表現がよく似合いそうな妖怪は、今は霊夢と同じ年頃の美少女へと変貌を遂げていた。
流れる金紗の髪を結い上げてポニーテールを作り赤いリボンで纏め、陰陽の紋を拵えた道士服と、優雅なドレスを混合させたような衣服はそのままに。
まるでどこかのお嬢様といった雰囲気を醸し出すその様子は、普段の彼女と違って可愛らしいと思える容姿もあってよく似合っている。
普段の胡散臭さなど微塵も感じない。隣にいる霊夢でさえ、相手が紫だとわかっていなければ同い年の人間だと勘違いしてしまいそう。
そんな美少女が自分の隣でくすくすと笑う。
普段と違って若々しい姿の彼女に違和感を覚えてしまって、なんというかどうにも落ち着かない。
「で、なんでその姿なのよ」
「なんとなく……と言っても、納得はしないのでしょう?」
「当たり前でしょ。なんか企んでるんじゃないでしょうね?」
「まさか、そこまで策謀を巡らせるつもりなんて無いわよ」
やれやれと肩をすくめて、紫は小さくため息をつく。
そんな彼女の様子をジト目で観察しては見るのだが、本当なのか嘘なのか判断に迷ってしまう。
「ほら、この姿のほうがあなたも周りを気にしないですむでしょう? 妖怪の賢者と外出していると周りが見るより、友達と一緒にいると周りに見られたほうが、あなたも気が楽だと思って」
「それで、私と同じぐらいの年齢になってるわけね」
げんなりとした様子で言葉にすれば、「そのとおり」と満足そうに紫は口にする。
彼女なりの気遣いなんだろうけれど、若くなっただけで姿がほとんど変わっていないのではあまり意味が無いんじゃなかろうかと思うわけで。
何しろ、若さはともかく衣服がまったく一緒である。少し勘の鋭い人物なら、この少女が八雲紫本人であるとすぐさま気づいてしまうだろう。
服を変えずに髪を結い上げただけで済ませているのは、その衣装がよっぽどお気に入りなのか。
少し考えて、考えても仕方が無いかと霊夢は思考を打ち切った。
何しろ普段から何を考えているのかわからない胡散臭い妖怪である。妖怪たちからも胡散臭いと称される彼女の考えなど、20も生きていない小娘にわかるわけも無いと自己完結。
本人がその姿を大層気に入っていそうなのだ。変える気もなさそうだし、だったら考えても無駄なこと。
「ねぇ、霊夢。あそこの雑貨屋に行かない? 藍から聞いたのだけれど、色々売っててお勧めみたいなの」
「それは……別に、いいんだけどさ」
「なら行きましょう。ふふ、なんだかこんな気分も久しぶりかも」
どこか楽しそうに、本当に心のそこから楽しそうに笑いながら、紫は霊夢の腕を取って足早にその店に向かっていく。
無理やり腕を引っ張られ、半ばつんのめりながらも文句のひとつでも言おうとして―――ついて出ようとした言葉を喉の奥に飲み干した。
彼女の笑顔が、普段のものとはぜんぜん違っていたから。まるで本当に、同い年の友達を見ているような、そんな錯覚すら抱かせる満面の笑み。
胡散臭いとか、信用ならないだとか、妖しいだとか、そんな言葉とは程遠い無垢な笑顔。
博麗霊夢が、はじめて見た紫の顔。
もうずいぶんと長い付き合いになるものの、今のような表情はこれまで見たことが無かった。
まるで、外見相応の無邪気な笑み。肉体の年齢に精神が引っ張られているのか、それともそう振舞っているだけなのか。
結局、霊夢にはわからない。わからないけれど、その笑顔がひどくまぶしくて、そして可愛いなと思った。
その考えにいたった自分に気がついて、彼女はぶんぶんと首を横に振る。
今のはまったく持って気の迷いだと自分に言い聞かせ、もう一度紫に視線を向けてみた。
やっぱり、彼女は笑っている。楽しそうに、嬉しそうに、今まで自分には見せなかったそんな笑顔で。
▼
思えば、八雲紫という妖怪は昔からわけのわからないやつだったと霊夢は思う。
神出鬼没。真実の確かめようの無い様々な噂。相手を煙に巻くような胡散臭い笑顔と、何をとっても信用できる要素が皆無の妖怪だった。
妖怪の賢者。その頭脳は誰よりも高く、その能力は神に匹敵するとも噂で言われているが、傍にいる霊夢自身はよく知っている。
彼女は、その噂どおりの正真正銘のトンデモなのだ。
初めて会ったのは、まだ先代の巫女、つまり霊夢の母親がまだ存命だったころ。
その時の感想といえば、今と同じで胡散臭くて信用ならないという、半ば直感にも似たものだった。
一体何の用事だったのか、彼女はふらりと訪れて先代と会話を交えた後、幼い霊夢を見つけてはよく頭をなでていた。
それを鬱陶しく思って、霊夢はいつも仏頂面をしたままその手を払っていた。我ながら可愛げの無い子供だったと彼女は思う。
そんな可愛げのない子供を前にしても、胡散臭い大妖怪はくすくすと笑った。
それからも彼女との関係は続き、代替わりした後はスペルカードルールを作ってみたり妖怪退治したりと巫女の仕事を続けていると、ふらりと彼女は現れた。
時には修行をつけに来たこともあったし、おいしい山菜なんかをお裾分けに来たりと、お前はどこのご近所さんだと一度ツッコミを入れた覚えもある。
時には異変の解決に乗り出したこともあるし、その時は、正直に言って彼女の存在は頼もしかった。
まったくもって妙な関係だと霊夢は思う。
それを他の人物、たとえば霧雨魔理沙や西行寺幽々子が聞けば「何を今更」と二人そろってキッチリ言葉にすること請け合いだろうが、それは一度置いておこう。
そんなわけで、霊夢と紫の関係はそれなりに長く続いているわけなのだが―――
「ねぇねぇ霊夢、この人形なんて妖夢にぴったりだと思わない?」
とりあえず、このきゃぴきゃぴとした笑顔と態度は一度たりとも見たことが無いわけで。
こういっては何だが、アレだ。八雲紫の初めて見せた表情は予想以上に精神にくる。
ボディブローをどっすんどっすんとみぞおちに叩き込まれるがごとく、浮かべている笑みがピクピクと引き攣っているのが、霊夢自身よくわかった。
付き合いの長い霊夢でなければ、おそらくテンカウントノックダウンで試合は終了していたに違いない。
いや、逆だ。付き合いが長くて、八雲紫と言う人物をよく知っているからこそこの笑顔が効いてくる。
見た目相応の可愛らしい笑顔。それだけを見れば違和感なんてかけらも無い。
ただし、そこに『妖怪の賢者の八雲紫』という要素が混じった途端、それはすさまじい違和感となって襲ってくるのである。それもマシンガンのごとく。
普段の紫を知っているだけに、あの胡散臭い笑みを知っているだけに、その違和感は強烈だった。
「……霊夢?」
「あー、いや。なんでもない。うん、なんでもない」
こてんと首をかしげながら名を呼ばれて、霊夢は背筋に走る薄ら寒いものを感じながら、半ば自分にも言い聞かせるように霊夢は言葉を返す。
痛み出したこめかみを指でほぐす様に動かしながら、霊夢は彼女の腕にある人形を見る。
これまた傍目から見れば判断に困るもので、多分幽霊のつもりなのだろうがその人形は餅にしか見えなかった。
「……こっちの方がいいんじゃない? 妖夢ならこういう可愛らしいのも似合いそうだけど」
「犬ねぇ。そっちでもいいけど……ねぇ、これは?」
「嫌がらせにしか見えないからやめときなさい」
ぴしゃりと言ってやる。さすがに餅の人形など贈られては、妖夢が不憫に思えて仕方が無い。
その辺のことをわかっていないのか、ちえーっと口を尖らせて餅(幽霊)の人形を棚に戻す大妖怪。
やめろ、鳥肌が立つだろババァと内心思ったが、今この場でそれを言うとなんだか後が怖そうなのでかろうじて飲み込んだ。
「じゃあ、霊夢はこれね。ネコネコ巫女人形」
にっこりと笑って別の人形を見せる八雲紫。くるりと楽しげに体を反転させ、ポニーテールが慣性の法則にしたがってふわりとゆれる。
うん、可愛い。変な偏見さえなければ本当に可愛い。中身がアレであるということを知っていることが本当に悔やまれる。
そのせいで素直に可愛いと思えない。普段の彼女がそんな笑顔を浮かべないだけ余計に。
「あ、ありがとう。か、かわいいわねー」
「でしょう!? 待ってて、妖夢の分とあわせて買ってくるわ!!」
「へ? いや、ちょっと待てッ!!?」
人が止める暇も有らばこそ、彼女はあっという間に店員のいる勘定台に走り去っていってしまい、霊夢はその背中を呆然と見送るばかり。
本格的に頭痛がしてきた霊夢は頭を抑え、ぶんぶんとかぶりを振った。
アレは素なのだろうか。それとも演技なのだろうか。個人的には是非とも後者でいてほしいと思うのだが、なんだか見ていると素っぽいからなお恐ろしい。
だって、八雲紫である。妖怪の賢者様である。一日あれば幻想郷を潰せるほどの実力をもった大妖怪なのである。
その彼女が、口笛吹いている。スキップしている。スキップスキップランランランと口走りそうな勢いで勘定台に向かう姿は、長年付き合ってきた霊夢にとっては悪夢に近い。
そして、その悪夢を可愛いと思ってしまっていることこそが、霊夢にとっての最大の悪夢である。
周りの生暖かい視線はもう慣れた。慣れたと言うよりは意識的に無視を決め込んでいるだけなのだが。
ふと、店から出て行く稗田阿求の姿を見つけ、なんとなしに彼女と視線がかち合って。
「……ハッ」
鼻で笑って去っていきやがった。
「……ふ、うふふふふふふふ。殺す。今殺す。すぐ殺す。すごく殺す」
「おまたせー……って、どうしたの霊夢?」
比喩で無く、今まさに飛んでいきそうな霊夢にかかる紫の声。その声に戸惑いがあったことは間違いあるまい。
何しろ、視認できるほどのどす黒いオーラが霊夢を中心に渦巻いているのである。にもかかわらず声をかけた紫はさすがと言うべきだろう。
その紫の声でハッと我に返り、霊夢は「なんでもない」と口にして、今日何度目かわからない頭痛に頭を抑えた。
とりあえず、阿求のほうは後日お礼参りをする方向で行くとして、今は直面する現実問題に立ち向かうほうがより健全だと判断。
視線を紫に向けると、いつもよりも幼い顔で心配そうに自分を覗き込んでいる。
それで、ドキリとした。間近で見た彼女の顔は―――先ほどまで感じていた違和感を吹っ飛ばすほど綺麗だったから。
思わず、息を呑んだ。その様子を見て、紫はますます心配そうに眉を寄せた。
「体調が優れないならちゃんと言いなさい。送っていってあげるから」
「だから、大丈夫って言ってるでしょうが。ほら、次のお店行きましょう」
手をひらひらと振って霊夢はスタスタと店を後にする。
真っ赤になっているだろう自分の顔を誤魔化すように足早に移動しながら、一瞬でも彼女に見惚れたことを悔しく思った。
それに気がついていないのか、紫は首をかしげながらも彼女の後を追って、再び霊夢の腕を絡めとる。
鬱陶しいと少しだけ思って、けれども拒絶もできないまま、霊夢は「ふん」とそっぽを向いて次の場所へと歩みを進めたのだった。
▼
あれからカフェで昼食をとったり、食糧を買ったりと大方の用事を終えたころにはすっかりと夕方になっていた。
博麗神社に続く長い石段を登る二つの人影は、寄り添うようにくっついている。
片方は気だるそうなのを隠そうともせずに。片方はどこか楽しそうに。
まるで正反対の表情を覗かせながら、博麗霊夢と八雲紫は帰路についていた。
「こんなにはしゃいだのはいつ以来かしら。楽しかったわぁ」
「年を考えろ年を。ったく、外見変えてまであんなに浮かれてさぁ」
くすくすと笑う妖怪の言葉に、霊夢は小さくため息をこぼしてジト目でにらみつける。
彼女はいまだに霊夢と同じぐらいの外見年齢のまま、くすくすと楽しそうに笑っているのが、なんだか霊夢には面白くない。
こいつ、本当に若い肉体に精神が引きづられてるんじゃなかろうなと疑わしい視線を向けるのだが、紫はと言うとそんな視線も気にする気配も無い。
あぁ、間違いない。見た目こそ若いが、コイツは正真正銘あの八雲紫だと再認識。
「あら、あなたもずいぶん楽しんでいたように思えたのだけれど?」
「冗談。あんたが何か企んでやしないかと気が気じゃなかったわよ」
「もう、嘘つき。そんなこと気にもしなかったくせに」
「まぁね」と肩をすくめて、霊夢は苦笑した。
彼女の言うとおり、そんなこと気にもしなかった。むしろ出来なかったといっていい。
本当は、いつもとは違う彼女のギャップに脳の処理が追いつかなかっただけなのだが、それを認めるのが悔しくて口にはしない。
やがて、門をくぐり神社の境内へとたどり着く。
赤々と輝く夕焼けが沈み行き、もう少しすれば妖怪の時間である夜が訪れることだろう。
よっこいせと、荷物を縁側に置いてから腰掛ける。すると、紫も荷物を置いてゆっくりと霊夢の隣に腰掛けた。
二人して、無人の境内を眺めて寄り添っている。
思えば、初めて紫とであったのもこの縁側だったような気がするけれど、子供のころだったから記憶があやふやでよく思い出せない。
ふと、紫のほうに視線を移してみれば、どこか懐かしむような表情で彼女は遠くを眺めていた。
ここでは無いどこかを。ここではない場所にいる誰かを見ているようで。
どうしてか、まったくわからないのだけれど―――ものすごく、面白くない。
「ねぇ、紫。あんたってさ、どうして私を気にかけるの?」
自分でも、どうしてそう思ったかわからない。どうして、そう言葉を投げかけたのかわからない。
けれど、それは前々から思っていた疑問でもあったのだ。
自分は博麗の巫女で、彼女は妖怪の賢者。
時には幻想郷全体を保つために、手を取り合って協力することもあるだろう。
けれどそれは、結局は利害の一致に過ぎないはずなのだ。
最初のうちは、霊夢もそう思っていた。利用し利用され、自分たちの関係はそういうものなのだと理解しているつもりだった。
けれど、時々わからなくなるのだ。
修行をつけるのは、いざ利用としたときに不甲斐ないといけないというのもあるだろう。
事実、霊夢は修行はめんどくさがって余りやらないし、紫が修行をつけてやらなければまともに修行するかどうかと言うレベルである。
しかし、他はどうだろう。
食材のお裾分けなんて紫がする必要なんて無いし、ご機嫌伺いのつもりならなおさら必要なんて無い。
天子が神社を倒壊させ、あまつさえ神社をのっとろうとした時もそう。
いつもは妖しい笑顔を浮かべて、自分の感情を相手に悟らせないあの八雲紫が、その時ばかりは表情こそ平静だったが怒りを露にして天子を懲らしめた。
今回もそう。
自分を買い物に誘う意味も、理由も無い。それが、ただの利害の一致でしか無い関係ならなおさらだ。
けれど、彼女は自分を誘い、そして楽しそうに笑っていたのだ。
八雲紫がわからない。
彼女がなぜ、こんなにも自分に気をかけるのか、わからない。
そんな霊夢の心情を見透かしたように、紫はくすくすと苦笑して言葉をつむぐ。
「もちろん、あなたの事を好いているからよ。それ以外に、必要以上にあなたを気にかける理由があるかしら?」
「あんたみたいなスキマ妖怪が? うっそだぁ」
何しろ、あの八雲紫である。神出鬼没で胡散臭いことで評判の八雲紫様である。
だから、ある意味で霊夢の反応は至極全うなものだろう。スキマ妖怪の言うことは素直に信用するなと言うのは有名な格言である。
そんな胡散臭そうな霊夢の言葉に、紫は「心外ですわ」なんていってくすくすと笑ってみせた。
「ならば、あなたに教えましょう霊夢。スキマ妖怪のスキマのスキは、『Like』であり『Love』であるのよ」
「嘘をつけ。絶対嘘でしょ、あんたそれ」
「うふふ、もちろん。でもね―――」
途端、彼女は霊夢に向き直った。
何時に無く真剣な表情で、優しく愛しむ様な、また霊夢の知らない表情で。
「あなたが好きだというのは、紛れも無い本心よ」
そんな恥ずかしい言葉を、こともなげに言い切ったのだ。
かぁ~っと顔に血が集まっていくのがはっきりとわかる。顔が火照って真っ赤になり、感情が無い混ぜになってぐちゃぐちゃになった。
思考が回らない。考えがまとまらない。その言葉が、本気だとわかってしまったから、霊夢はパクパクと口の開閉を繰り返すばかり。
「あら、顔が真っ赤よ霊夢」
「うっさい!! わかってるわよ馬鹿スキマ!!」
ようやくついて出た言葉はそんな罵倒で、けれどそんな罵倒にも彼女は意に介さずクスクスと笑うだけ。
恥ずかしくなって、顔を見られないようにうつむいて、そして結局思考の檻にとらわれる。
こんな顔、彼女に見られたくない。こんな、誰にも見せたことが無い表情、こいつにだけは見られるのが嫌だった。
だって、こんなにも恥ずかしい。こんなにも心臓がバクバクと高鳴って、今にも破裂してしまいそうなのに。
そんなに、優しい笑みを向けられたら―――本当に、壊れてしまいそうだ。
「信じられない?」
「あ、あたりまえでしょ!!」
「ふーん、そう」
まともに彼女の顔を見られないまま、半ば自棄になって反論する。
彼女から何か見えているのだろうか。自分の赤くなった顔は隠せているのだろうか。
そんなことを、考えていたからだろうか。
「霊夢」
本当に、普段の自分では考えられない失敗だったと、後の霊夢は思う。
その声に、半ば反射的に顔を上げたのがまずかった。すぐ目の前に、いつの間にか少女の姿でなくいつもの女性の姿に戻った紫の姿があった。
ぁ……と、か細い吐息がこぼれ出る。顔が爆発してしまったんじゃないかって思うぐらい熱が集まっていくのがわかる。
「昔みたいに頭を撫でてあげれば、信じてくれるかしら?」
それは、ずっとずっと昔の話。
まだ先代の博麗の巫女がいて、霊夢がもっと幼かった時の頃。
あの時、霊夢は紫の手を払って、ふいっとそっぽを向いた。
鬱陶しい。煩わしい。その感情はどれも正しかっただろう。けれど本当は―――
「それとも、キスのほうがいい?」
「……ふん、やってみなさいよ」
微笑む彼女の顔が正視できなくて、ふいっとそっぽを向いて悪態をつく。
けれど、この距離じゃ顔が真っ赤になっているのはばればれだし、反論する声もどこか力が無いけれども。
「……超喜んでやる」
本当に消え入りそうな声で、霊夢は恥ずかしそうに言葉をつむいでいた。
その言葉に、紫がきょとんとしたのが気配でわかった。それで、ますます恥ずかしくなって霊夢は顔を俯かせていく。
やがて、紫はくすくすと笑った。本当に楽しそうに、でもどこか嬉しそうに。
「それじゃ、遠慮なく」
昔そうしてやったように頭を撫でて、優しく髪を梳かすように指を絡ませる。
霊夢は恥ずかしそうだったが、拒絶はせず、やがて心地よさそうにまぶたを閉じた。
そんな彼女の額に、口付けをひとつ。
霊夢は何も言わず、いっそう顔を真っ赤にしただけ。けれども、それで満足。
まるで夢のような時間、二人はただただそうやって過ごしていく。
夕焼けは赤く染まり、ただ二人を見下ろしているように思えて。
紫は彼女の頭を撫でながら、満足そうに微笑んでいた。
▼
二人の少女が笑いあっている。
金の髪をした少女と、黒い髪の少女が、机に向きあって幸せそうに微笑んでいた。
嬉しそうに、そして楽しそうに。
それが当たり前であるかのように、少女たちは会話に花を咲かせた。
その少女たちを、ただぼんやりと眺める女性の姿がある。
真っ白な空間の中で、彼女はただ一人、懐かしむようにその光景に見入っていた。
何を思うのか、何を考えているのか、あいにく、その女性を眺めていた霊夢にはわからない。
これが、夢だと言うことはなんとなくわかっている。けれども、これは誰の夢なのだろう?
少女たちを眺める女性は、八雲紫。霊夢のよく知る、胡散臭くて、けれども気心の知れた妖怪の賢者。
じゃあ、その妖怪の賢者にそっくりな、あの少女は誰なんだろう?
買い物で見せた紫の笑顔とそっくりで、……いや、あの時の紫と同じ笑顔で少女は笑う。
もう一人の黒髪の少女も、どこかあきれているようで、けれども楽しいのかくすくすと笑っていた。
その金髪の少女の楽しげな笑顔が、幸せな笑顔が、そして些細なしぐさが、まるで八雲紫の生き写しのよう。
八雲紫はただ佇んでいる。
その光景に思いをはせるように、その光景を懐かしむように、ただジッと。
思わず、霊夢は彼女の名を呼んだ。
このままどこかに消えてしまいそうで、どこかに彼女がいなくなってしまいそうで。
そうして、彼女はこちらを振り向いた。
振り向き、一瞬驚いて、けれども彼女は精一杯微笑んでくれた。
その八雲紫の笑顔が、あの紫そっくりな少女の笑顔と、重なって、溶けたような気がした。
それは、霊夢が見た些細な夢。
なんてことの無い、目が覚めてしまえば覚えてもいない泡沫の夢。
けれど、その世界はこんなにも―――さびしくて、悲しそうな世界だった。
その世界が誰のものだったのか、目が覚めて夢が記憶から抜け落ちてしまった霊夢には、終ぞわからぬ疑問だった。
このゆかれいむはままでで最高だぁっ!
賢者な紫様
少女なゆかりん
ツン霊夢
でれいむ
ツボが多すぎて100点じゃ足りません
あとあっきゅんがやさぐれてるので、誰か幽香さんを呼んできてください
素晴らしすぎるだろおおおおお!!!
素晴らしいぞ!
あっきゅんあっきゅんくろあっきゅん♪