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馴れ初めは一週間ほど前、何気なく人里から少しはなれた場所を散歩していた時の事。
「困ったわぁ」
ふと突然聞こえてきた女性の声、驚いてそちらのほうを振り向くと、
そこには謎の下半身が浮かんでいた。
「藍はまだかしら?」
よく見れば、女性の腰から上は宙にある穴の奥へと消えていた、
おそらくは穴を中心として干した布団のような体勢になっているのだろう。
「どちら様かしら?」
放っておくわけにもいかず、声をかけてみる、
その瞬間、彼女の下半身がびくりと跳ねた気がした。
「人間の方? ……であれば何も見なかった事にして去りなさい」
返答の後、すこし冷たさと威圧感を纏った言葉が帰ってくる。
「このような姿を見られては沽券に関わりますの、消されたくはないでしょう?」
目の前にある下半身は、どうやら地位の高い方の下半身のようだ、
よく見れば着ているものも人里の物とは明らかに違う。
「私にその姿を知られる前に去りなさい」
こう言ってくれるのは彼女の温情なのだろう、それならば仕方がないとここから去ることにした、
しかしほんの数歩歩いて振り向いた時、自分の目にはその下半身がやけに淋しげに見えたのだ。
「何をしているのかしら?」
ひとまず、穴がどうにかして広がらないかと調べてみる、
僅かな隙間に指を入れて広げようとするが、びくともしない。
「や、やめなさい! やめて!」
足を持って引っ張ってみるが、やはり抜ける気配はない。
「ひゃっ!」
お尻を全力で押してみるが、これも動く気配はない。
「……早くここから去りなさい」
どうにかならないかと思案していると、穴の向こうからか細い声が聞こえてくる、
その言葉に迷い、去ろうかどうか考えているとき、ふと穴の端にあるリボンに気づく。
「あら?」
そっとリボンを少し外側にずらして足を引っ張ると、
彼女はすとんと何事もなく落ちてきた。
「……あら」
地面に腰をついたままの彼女と視線があうと、
途端にその顔が真っ赤に染まっていく。
「…………」
彼女は顔をうつむかせ、一言も喋らないまま数分が過ぎる、
どうにかと、声をかけようとしたとき自分の左手を彼女の左手が掴んだ。
「警告はしたのよ? 責任を取っていただくわ」
同時に彼女の身体から妖気が満ちるのが感じ取れる、
警告は受け取り、それでもなお助けようと選択したのだ、
覚悟をしていなかったわけではない、なので自分は首を縦に振って返事をした。
「そう……それでは」
「おや、紫様もとうとうご結婚なされるのですか」
「……えっ?」
突然姿を現した九つの尾を持つ女性、
彼女は目の前の女性を紫様と呼ぶと、満面の笑みで言葉を続けた。
「殿方の前に跪いてその手を取り、責任を取ってくださいとは……、
いやいや、まさか紫様がこれほど情熱的に殿方をお誘いになるとは!」
「ちちち違うわよ藍! ここっ、この場合の責任というのはね!」
「わかっております、今更私達の間で照れ隠しなど必要ないではありませんか。
人はいつ集めましょう? それともひっそりとですか? ならば私に仲人をお任せください」
「待っ……その……!」
紫という女性は慌てながら九尾の女性を止めようとするが、
上手な言葉が出てこないのか、ただ口を開くだけにとどまる。
「ち、ちが……うう……」
ふと自分の手を握りっぱなしだった紫と視線があう、
途端に彼女は先程異常に顔を赤くして固まった、左手を握りしめたままの姿で。
この女性があの八雲紫だと知ったのは、婚姻を結ぶほんの数時間前の事だった。
―――――
一日の始まりは正午からになる。
「んにゅ……すー……」
目を覚ました後、一番に視界に飛び込んでくるのは紫の寝顔、
大妖怪とは思えぬその愛くるしい寝顔に、ついつい頬をつついてしまう。
「すーすー……」
しかしここからが大変だ、紫の両の腕は自分を拘束している、
妖怪の身体能力というものは凄まじく、力尽くで剥がすのは無理だった。
「くー……」
さらに寝ている紫は生半可な事では起きない、
一度だけ藍が強引に起こしている場面を見たことがあるが、
起きるか死ぬかの二択はさすがにどうかと思ってしまった。
「すぴー……」
どうにかこうにかして紫から抜け出すと、そっと布団を掛け直す、
頭を軽く撫でてやり、よく寝入っているのを確認する。
「おはようございます」
大体それを終えた頃に藍が着替えを持って入ってくる、
毎日部屋の外で待ってくれているのだろうか、感心するほかない。
「紫様もたまには早起きすればいいんですけどねぇ」
自分ももっともだと思いつつ着替えを受け取る、
後は着替えて普通にのんびりと過ごすだけだ。
「にゃー!」
簡単な食事を終えると、大きめの猫じゃらしを使って藍の式である橙と遊んだり、
そんなこんなで夕方を迎えると、ようやく紫が目を覚ます頃になる。
「んふぁ……おはようあなたぁー……」
寝間着姿のまま背後から現れた紫が、覆い被さるように抱きついてくる、
紫の寝起きはいつも寝ぼけた状態だ。
「ほらほら紫さま、いつまでも寝ぼけてないで目をお覚ましください」
「やだー……もうちょっとだけこうさせてー」
そのまま寝ぼけながら甘えてくる紫を可愛がる、
それを五分か十分ほど続けていると、突然紫は隙間に消えた。
「おはよう、あなた」
それからさらに十分程過ぎると、先程までの寝ぼけ姿が嘘のように、
しっかりとした姿で紫が戻ってくる、ただほんの少しだけ頬が赤い、
寝ぼけ姿を見られるのはやはり恥ずかしいのだろう。
―――――
「それじゃあ、開くわよ」
紫がそっと扇子で空間を縦になぞると、そこが割れて隙間が開く、
そのまま隙間に飲み込まれたかと思うと、すぐに自分は他の場所に移動していた。
「二人で一緒に里に来るのは初めてね……」
ただ単に人里に買い物をするだけ、それだけなのだが、
紫は妙に感慨深い表情を浮かべている。
「さ、行きましょうあなた」
そっと紫が腕を組んでくる、そして開かれた日傘が自分と紫を覆う、
すでに日は暮れかけなのだが、紫がそれを気にする様子はない。
「ねぇ、これとかあなたに似合いそうじゃない?」
人里で妖怪向けに開かれている店を色々と巡っては、
様々な物を紫から勧められる、にこやかな笑顔と共に、
たまにすれ違った通行人が驚いた表情を浮かべるのが面白い。
「ふふふ、楽しいわねぇ、次は何を買おうかしら?」
ただの買い物なのに、紫は心底嬉しそうに振舞っていた、
その姿を見て自分も和んでいたところに、後ろから声がかかる。
「あの紫様、もうこれ以上荷物を持てないのですが……」
両腕と九尾一杯に荷物を携えた藍が、苦悶の表情を押し殺しながら訴えてくる、
さすがに気の毒になり、そろそろ帰宅しようかと促すと、紫は少し表情を歪めた。
「……そうねぇ」
紫と組んでいた腕が少しだけ強く締められる。
「じゃあ荷物はしっかり運んでおいてね、さ、帰りましょうあなた」
「ええっ! 私も隙間を通らせてくださいよ!」
「あらあら、二人の時間を邪魔するのは野暮ってものよ?」
そこまで聞いて、ようやく自分が藍に気を使ったことに紫が妬んでいたことに気づく、
隙間に飲み込まれつつも藍に心の中で謝っておいた。
―――――
「はい、あーんして」
食事の時の紫は積極的だ、自分の茶碗を取ると、片っ端から食べさせようとしてくる。
「美味しい?」
これでは夫ではなく子に対する態度に近いが、
どうにかしようにも紫の嬉しそうな顔を見ると何も言えない。
「んもぅ、遠慮しなくていいのに」
流石に汁物だけは自分で食べれるのが幸いである。
「どうせなら口移しをなされては?」
「くっ!?」
たまに傍で待機している藍が茶々をいれてくる、
しかも微妙に紫の心をくすぐるような物ばかりだ。
「……する?」
顔を赤らめながら上目遣いで聞いてくる紫の後ろで、
藍が悪人のような笑みを浮かべながらこちらを見ていた、
―――――
「…………」
八雲邸には天然の温泉がある。
「…………」
何十人とはいれそうなその広い温泉で、
自分と紫は二人きりでお湯に浸かる。
「…………」
温泉の中では、紫は何故か一言も喋らない、
さらに少し離れた位置で湯に浸かっていた。
「…………」
ちらりと自分と紫の視線があう、ふい、と紫が視線をそらす、
そしてほんの少しだけ、紫が自分の傍に近寄る。
「…………」
また自分と紫の視線があう、こんどは少しだけ見つめ合って、紫が視線をそらす、
そしてまたほんの少し、紫が自分の傍に近寄る。
「…………」
それを繰り返して間が二人分ほどの距離になると、
そっと紫が湯の中で手を重ねてくる。
「…………」
そのままほんの少し、ほんの少しと近寄ってきて、
最後に自分の方に頭を乗せてくる。
「……いい、お湯ね」
本当にいいお湯だ。
―――――
こうして男と紫が共に過ごす一日は過ぎて行く、
人里に行かない日は幻想郷の何処かを一緒に巡り、
二人はなんでもないどこにでもある幸せな新婚生活を送っている。
されど一つだけ、ただ一つだけ。
「……あ・な・た」
丑三つ時に入る頃、縁側で月を見上げていた男の背後から、
なまめかしい服に着替えた紫が、艶やかな声で男を呼ぶ。
「うふふ……今日はこんなものを用意してみたの」
紫は手に持った物を男に見せつけ、男が逃げられないよう腕をきつく抱きしめる。
「今日も楽しみね……うふふふ」
八雲紫は長い年月を生きている、とりわけその知識は多岐に渡って膨大だ、
しかし知識と経験は比例しないことも多い、長く生きていればそれはより顕著になる、
そしてその二つに差があればあるほど、差を埋めようとした時の行動はより深く、深く。
「さあ、一緒に楽しみましょう?」
男を引きずるようにしながら、紫は真っ暗な闇に包まれた寝室へと姿を消した、
やがて結界が張られる音だけが、一度だけ静かな月夜に響き渡る。
ああ、夜が降りてゆく。
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生活の一部とはいえまさか作者様にここまでリアルに書かれるとは思ってなかったw
御覧のように私も妻も幸せにしてます、異論は認めないし絶対譲らん
さあ、私と一緒に経験していきましょう。
ただ、オリキャラ男の注意書きは欲しかったですね。
誤解から婚姻までの流れも、些か強引すぎる感が…
そういった諸々で、マイナス30点とさせていただきました。
家内との馴れ初めを見られてしまうとは、いやはや、かたじけない。
大変そうな藍様はもらっていきますね。
藍なら俺の隣で寝てるよ
何と言う破壊力……
残念それは残像だ。
橙は私の隣さ(キリッ
夜の紫さんは・・・おっと、その先は秘密だぜ
とりあえず俺と代われ
妻の主夫妻に挨拶に来たんだが……。