鼻から指を引っこ抜くと、八坂神奈子はそれを何気なく丸めてみた。あっという間に米粒の半分ほどの汚物の玉ができた。
神奈子は首だけ起こすと、指の先の汚物をピン、と飛ばした。汚物の球はあっという間に見えなくなった。神奈子はTシャツの腹のところで人差し指を拭き、言った。
「暇だ」
「暇ね」
唱和する声があった。部屋の隅に転がっている洩矢諏訪子の声だった。
ふと思い立って、神奈子はぐい、と声がしたほうに足を持っていってみた。メチャ、と何か柔らかいものに足の指先が触れる感触があった。たぶん諏訪子の顔に足が触れているのだろう。
「神奈子の足臭い」
「臭くない」
「臭い」
「しゃぶれよ」
「テメーがしゃぶれよこの野郎」
「クソガキ」
毒づいてみても、諏訪子は逃げ出そうともしない。逃げ出すのも馬鹿馬鹿しいというようにちょっと身を捩って漫画を読んでいる。漫画のタイトルに目を移してみて、神奈子は嘆息するはめになった。
「それ、大総統がホムンクルスなんだぜ」
「知ってるよ」
「ウソつけ」
「もう何回読んだと思ってるの」
「十回ぐらいか?」
「二十二回目」
神奈子は再び嘆息した。ぱたり、と諏訪子が漫画を放り捨てて仰向けになった。
この酷暑の中、産業革命遂行の成果であるクーラーだけは効いているのが救いだったが、それは逆にこの部屋からは出られないと言うことも意味していた。必然、二人の神様はここに缶詰になる結果となり……それが三日間続いていた。今更正装でいることも馬鹿馬鹿しくなり、今では両者ともTシャツにジーンズというナウいファッションですごしていた。
「暇だ」
「暇ね」
「諏訪子、なんとかしろ」
「しない」
「早苗もいないしなんか面白いことしてくれ」
「神奈子がやれ」
「出来ない」
「無能」
「やかましい」
ここのところ、恐ろしく暇だった。早苗は日夜布教活動に走り回っているものの、かといってやってきた参拝客に対して何か特別することがあるわけでもない。いいところ背中についている注連縄をくるくると回転させて衆目を楽しませる程度で、それにしても特別神様である自分たちがやらなければいけないようなことでもない。
そのとき、頭にふとある思いつきが浮かんで、神奈子はがばっと身を起こした。
「そうだ! 相撲やろうぜ相撲!」
「相撲?」
諏訪子がけだるそうに片目を開ける。帽子の目玉も器用に方目だけを明けて見せた。
「知ってるか? 相撲って私が起源なんだぜ。どうせ暇なら外でちょっと運動しよう」
「ム……やってみるか」
諏訪子もむっくりと起き上がり、身体についた畳のカスをパンパンと手で払い落とした。
それは、暇を持て余した、神々の遊び。
1.相撲遊び
神奈子たちが外に出ると、あ、セイントお姉さんだ、という声が参拝客のあちこちから上がった。物凄い直射日光がクーラーに馴れきった身体に酷だったが、耐えられないほどではない。
「とは言っても土俵がないよ」
諏訪子が言う。確かに、土俵がない。境内を土俵に見立てて相撲を取るには少し広すぎるし、適当に円を書くにしてもチョークの類もない。
「困ったな」
「困った」
「あ、そうだ」
そこで神奈子は自分の背中にある注連縄を外して地面に置いた。
「それ着脱式なのか……」諏訪子が今更驚いたというように呟く。土俵と言うにはちょっと狭いが、注連縄だし、見栄えだけは立派な土俵の完成だった。
「へへん、カナちゃんはそこらへんもお見通しなのよ」
「どうでもいいけど、その注連縄使ってもいいの? みんな見てるよ」
へやぁ? と神奈子が周りを見てみると、いつの間にか自分たちを囲むようにして人垣が出来ていた。なんだ? 何かやるの? と言いたげなのを隠そうともしない好奇の目に晒されて、神奈子もさすがにバツが悪くなった。
「いいの。相撲だぜ。神様の相撲だぜ。拝観料取ってもいいぐらいだ」
「そういうもんか」
「そういうもんだ」
何、拝観料取るの……? と心配そうな呟きが聞こえてきたが、神奈子は努
めて無視することにした。
まず神奈子が土俵入りした。注連縄の円は凄まじく狭かった。神奈子一人が入った時点ですでに四股を踏むスペースすらなさそうだったが、いまさら気にはしまい。
「おおぅ、狭いな」
「じゃ、次は私だね」
今度は諏訪子が土俵入りしようとしたが、なにぶん狭い。おっととと、という感じで注連縄をまたぎ、縄が区切ったスペースに諏訪子が入ってくると、両者はほとんど密着するような形で向かい合うことになった。
地面に手をついてにらみ合うスペースなど望むべくもないし、それ以前にこの時点で両者はほぼ密着していた。とどめに、神奈子と諏訪子の身長差では必然的に諏訪子が神奈子を見上げる格好になり、それはあたかも高校生が幼稚園児に向かってガンを垂れているかのような光景だった。
「神奈子、スペース確保のために乳だけでも縮めろ」
「やかましい」
「……なにか間違ってる気がするけど、やろうか」
「よし来た」
ハッケヨイ、のこった、と神奈子が言うと、諏訪子が腰に手を回し、ぐいぐいと押してきた。諏訪子の顔が神奈子のTシャツにめり込んで見えなくなった。
神奈子は最初から全力でやったつもりだったが、そこはさしものミシャグジ様だった。この体格差で押しても、諏訪子の身体はまるで岩のように動かない。
「この……おとなしく投げ飛ばされろ」
「ムグググ」
小さな諏訪子が呻いた。神奈子の乳の中で拒否したらしい。諏訪子の足を取ろうにも、このスペースでは足を出したが最後、うっかりバランスを崩して土俵の外に足をついてしまう可能性があった。
膠着状態が続き、両者の力はいまや完全に拮抗していた。諏訪子の短い腕では神奈子の身体を持ち上げることも出来ず、かといって神奈子も諏訪子を押し出せない。端から見ればそれは単に神奈子の腰に諏訪子が密着して抱きついているだけのように見えたが、本人たちは至って真剣だった。
エロい、という呟きが人垣から聞こえた。これはどうも早く決着をつけなければ。守矢神社のセイントお姉さんたちは神社の境内で異教徒の踊りをやっているなんて噂を立てられたら堪らない。
神奈子は乳に向かって言った。
「このやろ……いいのか? カナちゃん本気出しちゃうぞ? お前の身体に草生やしちゃうぞ?」
「ムグググ」
乳の中で諏訪子が何か言った。やれるもんならやってみろという類の挑発らしい。「ようし、覚悟しろ。ボーボーにしてやる」と言った瞬間、不意に力が緩み、きゅぽん、と諏訪子が乳から顔を出した。
「どうした」
「……もうやめよう。なんだか凄まじく落ち込んできた」
そう言って顔を俯けてしまった諏訪子は、萎むほどの大きなため息をついた。なんだよ、調子狂うなぁ、とぼやこうとして、神奈子は寸前でそれを飲み込んだ。
諏訪子は、うつろな目でぺたぺたと自分の胸に手を当てだした。
そこで神奈子はやっと、自分の軽率な思いつきがナイチチビーチをひどく汚染したらしいということに気がついた。
気まずい沈黙が流れた。ギャラリーから、虐めるな、という野次が飛び、神奈子は居た堪れなくなった。
「……諏訪子、悪かった」
「ううん、気にしてないから」
目を赤く腫らした諏訪子が顔を上げた。
「ほら、みんなも散った散った。神様は今日は店じまいだよ」
神奈子は手を叩き、ギャラリーを追い払った。ぞろぞろと人垣が散り、皆各々の家へ戻っていった。
なんだよつまんねぇ、という不満げな声が聞こえた瞬間、神奈子は「おい今言った奴、新月の晩に外出歩くときは後ろに気をつけな」と凄みを利かせることも忘れなかった。
「さ、立って諏訪子」
「……うん」
涙を拭った諏訪子は、神奈子の手を握った。
2.フリスビー遊び
あらかた境内から人がいなくなった辺りで、神奈子はポン、と手を叩いた
「よし、じゃあふりすびぃでもするか」
「ふりすびぃか。懐かしいな」
ふりすびぃは二人が幻想郷に来る前、下々が盛んに興じていた一種の遊びだった。人間たちは何か円盤状のものを投げてキャッチし合ったり、はてまた犬に取ってこさせたりしていた記憶がある。あれなら大仰なコートも必要ないし、守矢神社の境内なら広さも充分だった。
「あ、でもふぃりすびぃって何を投げてたのかな」
諏訪子が言い、神奈子も「あ」と声を上げた。二人とも、ふりすびぃがどういう遊びなのかは知っていたが、ふりすびぃが何を材料としていたものかは知らなかった。
「うーん、とにかくこう、円盤状のものだったらなんでもいんじゃないかな。何かの蓋とか」
「円盤状のもの……」
諏訪子が顎に手を当て、考える顔つきをした。神奈子もきょろきょろと境内を見回してみたが、生憎なにもない。
そのときだった。諏訪子がはっと何かに気がついた顔になり、「その神奈子がぶら提げてるやつなんてどうかな?」と言った。
「え、この鏡?」
「そう、その鏡」
確かに、神奈子は青銅製の鏡を身につけていた。しかしこれは守矢神社の宝物、今では酒の名前にもなっている真澄鏡である。一応、守矢神社の正当性を表すものだし、祀られる側の自分がコレをブン投げるのは……。いかな神奈子と言えどさすがに抵抗がないわけではない。
「……投げるの、これを?」
「それしかないじゃん」
「えー……でも……」
「神様はちゃんとここにいるからいいんだよ」
それもそうか、と納得して、神奈子は首から鏡を取り外した。重い。いつもは首にかけていたのでわからなかったが、青銅製だけあって、ともすれば取り落としそうなくらいの重さがある。
「おおぅ、重いな」
「ガンバ」
諏訪子が手を叩き、ヘイヘイと催促するように飛び跳ねた。
「よし、投げるぞ」
「よっしゃこい」
瞬間、神奈子は真澄鏡を投擲した。
イメージとしてはふわりと夏風に乗り、諏訪子の胸辺りに無事納まる感じだったのだが、鏡は信じられないスピードで神奈子の手を離れ、あろうことか電動ノコギリの如く縦回転しながら飛んでいった。
あっ、と声を上げる暇もなかった。ゴッ、ガリガリ、という物凄い音がして、諏訪子の顔の中心に鏡がめり込んだ。
「すっ、諏訪子!」
神奈子が大声を上げて駆け寄ろうとすると、諏訪子は顔を抑えつつ、いい、いいんだという風にそれを手で制した。たっぷり一分ほどうずくまってから、諏訪子は鼻血で真っ赤になった顔を上げた。
そのときの諏訪子の顔を、なんと表現したらよいのだろう。鏡の縁に掘られた花弁のレリーフは鋭利な刃物となって諏訪子の顔に突き立ち、青銅に相応しい質量が鼻を潰していた。鼻血で汚れた顔に凄惨な笑みが浮かび、神奈子は思わず後ずさった。
「す、諏訪子……」
「神奈子、次は私の番ね」
「ちょ、ちょっと……」
止める暇もなかった。瞬間、諏訪子の手が信じられないスピードで一閃され、真澄鏡が投擲された。思わず手を出したが受け止めきれず、鏡は神奈子の腹部に着地した。
メキ……と全身が軋み、ボキボキッと何かが粉砕される音が全身に突き抜けた。ぐえぇ、とカエルのようなうめき声を出した神奈子は、鏡を抱いて崩れ落ちた。
「かっ、神奈子……」
諏訪子が駆け寄ってくる。神奈子はいい、いいんだというように手でそれを制した。どうもアバラ骨が二、三本粉砕されたらしい。あまりの激痛に立ち上がることも出来ず、呻くしかない神奈子の肩に、諏訪子の手がそっと置かれた。
「……もうやめよう。ふりすびぃに馴れる前に死んじゃうよ」
異論はなかった。神奈子は声に出さないまま、コクコクと頷いた。
3.ジェンガ遊び
「……思えば外での遊びに拘るからいけないんだよな」
「……そうだね。もっと慎ましやかな遊びをすればよかったんだね」
神が傷を癒すスピードは他の生物の比ではない。如何なる瀕死の傷を負っても、三分お湯につければ元通りになるのだ。諏訪子の顔の傷もあらかた塞がったところで、また新たな遊びを考案すべく首を捻るのが二人の仕事になった。
「そうだ、じぇんがとかあるよな。アレやらないか」
「ああ、じぇんがね。いいよねアレ。ドキドキするし」
じぇんがとは複雑な形の木片をうずたかく積み上げ、それを崩さぬように引き抜くアレである。早苗が現役だったころはよく三人で遊んだものだが、幻想郷に来てからは遊んだ記憶がなかった。
「よっしゃ、じぇんがで遊ぼう」
「あ、でもちょい待ち。諏訪子、じぇんが持ってるの?」
「持ってないけど」
「どこにあるかは?」
「知らない」
そうだった。あのじぇんがは元々早苗のもので、今ではどこに仕舞ったかわからない。幻想郷に越してきて一年以上経つが、まだまだ封を開けていないダンボールは社殿の奥にうずたかく積み上げられたままだった。あれの中からじぇんがを取り出すのは少々骨が折れる仕事と思われた。
「仕方ない。早苗には悪いけど、勝手にダンボール開けさせてもらおうか」
「仕方ないね」
そう言って諏訪子と神奈子は社殿の奥の物置部屋に足を踏み入れた。ダンボールが所狭しと置かれ、まるで空き巣にやられた直後の如くモノが散乱していたが、そのほとんどが神社関連の宝物や巻物の類だった。早苗の荷物は部屋の隅に置かれた二、三箱にまとめられており、むしろ少数と言えた。
「よーし、じゃさっさと見つけちゃおうか」
「よし来た」
軍手をはめた諏訪子がガムテープを剥ぎ取り、ダンボールを空けた瞬間だった。
「これは……」
二人の顔が音を立てて引きつった。
そこにあったのは、ダンボールにぎっちりと詰められた数十冊の本だった。漫画本とも小説とも違う、微妙に大きなサイズの本だったが、表紙には微妙に覚えのある顔が居並んでいた。
この紅白の服を着た神主は、髪飾りから霊夢だとわかる。その隣で箒を手に持ち、黒いジャケットを羽織っているトンガリ帽子は魔理沙だ。その横で魔理沙と思われる男に抱きついているバタ臭い顔つきのブレザーは……アリス……か?
「『東方恋無双』、『イーストサイドLove物語』『八坂カナメ至上主義』、『諏訪吉同盟』……」
タイトルを読み上げた諏訪子の声が尻切れ蜻蛉になる。諏訪子が震える手でその中の一冊『東方男体録』なる漫画本を取り出すと、パラパラとめくってみた。
そこには、やたらとショートカットヘアになった自分たちがベットの上で抱き合っていた。当然の如く見慣れないキノコが生えており、その上には申し訳程度に刻み海苔のようなものがついていた。
「……諏訪子って男の子だっけ」
「……神奈子こそ」
二人は無言になった。
早苗がどこで道を間違えたのかは知るべくもないし知りたくもない。いくら世の中の変遷に敏感で技術革新が大好きの両者といえど、この世には腐女子なるものがいて、他ならぬ早苗がそうなのだと理解するには余りに予備知識がなさすぎた。
とりあえず読み進めるうちに、両者の顔は漫画本にぐいぐいと近づいていく。
「凄いコレどうなってんの?」
「うわ、これは恥ずかしい」
諏訪子の後ろから物凄い勢いで鼻息が吹きかけられるが、気にしている余裕もない。ページを繰る指に力がこもり、気温とは無関係に手から滲み出る汗が紙をふやけさせてゆく。
たっぷり三十分ほどかけてそれを読み終わった後も、二人は無言だった。
「諏訪子、このことは私たちの心に仕舞っておこう」
「そうだね」
やっとそれだけ呟いて、二人は立ち上がった。床の間からガムテープを持ってくると、ダンボールを厳重に梱包し直して部屋の隅に置いた。
部屋から出る間も、二人は終始無言だった。
4.強姦遊び
部屋に戻ると、まだ昼前だった。これから日暮れまで時間を潰さなければならないと、二人はどうしても気が滅入ってきた。
「あー……また部屋に逆戻りだよ」
「どうしよう……早苗早く帰ってこないかなぁ」
二人は神様である。普段はいちいち瑣事に腹を立てるようなことはないのだが、三日の暇は二人にそれを忘れさせるに充分だった。冷蔵庫の中でも時としてモノが腐ることがあるように、部屋の中に缶詰になっていた二人もやはり腐りかけていた。
そのときだった。ピ、と音がした。低い唸り声を上げて冷風を噴き出していたエアコンが停止して、神奈子は顔を上げた。見ると、リモコンを握る諏訪子の顔には陰惨な笑みが貼りついている。
「神奈子、久しぶりに荒ぶる神になってみないかい?」
その声は、普段の諏訪子のものではなかった。これはずいぶん久しぶり、厳密に言えば四日ぶりに見るミシャグジ様モードじゃないか。かつて神奈子が諏訪の地を奪い取る前、恐怖政治によって国を治めていたときのドSな諏訪子。その予備知識が脳裏に甦ってきて、神奈子は目を丸くした。
諏訪子がケッケという下卑た笑い声で笑った。
「ちょっと考えを変えて、ワルい遊びをしてみようじゃないか」
「諏訪子先輩……! すると、ワルい遊びというのは……?」
「まわすんだよ。私たちの気が済むまでね」
まわす。その言葉を聞いて、神奈子も諏訪子が意図していることがわかったようだった。神奈子も負けじとケッケと下卑た笑声を漏らし、二人は顔を見合わせた。
「諏訪子先輩……! 自分も行っていいッスか?」
「もちろんだぜ神奈子。ただし、くれぐれもヘマすんじゃねぇぞ」
「もちろん。それにしても、諏訪子先輩もなかなか好きモノっすね」
「お前こそ」
ヘヘヘ、と二人は笑い声を上げた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「おらっ、何休んでんだ! 気合入れろこの!」
「あぅう……」
「神奈子先輩! 今度は私の番ッスよ!」
「やぁめてぇ……」
か細い声の抗議を聞き流し、神奈子が女の足を掴んだ。ぐい、と力を込めると、女の悲鳴が大きくなった。ギシ……と部屋が軋み、神奈子がヘッヘヘと笑い声を上げると、女の悲鳴も大きくなった。
「あうう……も、もうまわさないでぇ……」
そう言ったのは、妖怪の山に住む厄神、鍵山雛だった。そこらの往来をくるくる回っていたところをクロロホルムで眠らされて拉致られた雛は、気がつくとエアコンが効いた部屋の中心にいた。「え、なんなのコレ?」とキョトンとしてから、雛はそこで初めて自分の身体が荒縄で亀甲縛りにされ、天井の梁から吊り下げられていることに気がついた。
「神奈子、替われ。今度は私の番だよ」
「いやぁぁ……きもちわるい……」
諏訪子がぐいぐいと雛の身体を回し、手を離した。雛を縛り上げる縄のよじれが戻り、「あーれー」というか細い悲鳴とともに雛がくるくると回る。雛の長い髪が遠心力で振り回されると、二人はヘッヘヘと満足げな笑い声を上げた。
「すごいな。もう三十分は回り続けてるのに目が回らないとは驚いた。とんだ厄神様もいたもんだぜ」
「ううう……もうだいぶ回ってるよぅ……うげぇぇ……吐きそう……」
「吐いたら承知しねぇぞ。……おい神奈子、もっと回そうぜ」
「オッス先輩」
「いやぁぁ……もうまわさないでぇ……」
その後、諏訪子と神奈子は雛を飽きるまで回し続けた。
これ別に面白くないな。両者がそう気づいたのは一時間後のことだった。
5.指相撲遊び
カァ、とカラスが寂しく鳴いた。神奈子と諏訪子は湖畔に腰を下ろし、巣に帰って行くカラスを漠然と見送った。湖面に燃えるような色の太陽光が反射して、二人の顔を赤く染め上げていた。
「なんだったんだろうな、この一日」
「さぁ、わからん」
「私が一番わけわからん」
そう言ったのは雛だった。もう回る気力もないという風に、雛はほつれた髪の毛を直そうともせず膝を抱えている。神奈子は手の中で弄っていた石を湖面に投げた。ポチャ、と間抜けな音がして、茫漠と広がる湖面に波紋を広げていった。
達成感もなければ満足感もない。ただ一日を空費してしまった虚しさだけが二人を支配していた。
回しすぎてフラフラになった鍵山雛を開放してからはや一時間。精も魂も尽き果てた様子の雛を誘ってなんとなく湖畔に来てしまったはいいものの、かといって何かをするわけでもなく、ただここで日が沈み行くのを待っていた。
ジジジ……という音がして、三人の目が湖面に注がれた。見ると、一匹のセミが湖面に墜落し、羽を盛んに震わせていた。それを見るともなく見てから、三人は再び山の陰に沈み行く太陽に視線を戻した。
「……明日も暇なのかな」
そう呟いたのは、諏訪子だった。「さて」と言ってみたはいいものの、神奈子自身にも明日のアテがあるわけではなかった。返答してしまった自分の迂闊さに舌打ちをしてから、神奈子は湖畔の土手に寝転がった。
「……思えば、この数千年間、こんな暇なときはなかったな」
神奈子が呟くと、諏訪子がこちらを見ずに言った。
「そうだね。いつもいつも政に追われてて、暇さえあれば二人で国家戦略を練ってたね」
「へぇ。二人にもそんな時間があったわけ。そういえばここに来る前は諏訪の神様だったのよね」
ちょっと感心した、という風に声を上げた雛に、神奈子は苦笑で答えた。
「そうさ。毎日毎日下々の信仰のことばかり考えてね。雛はそういう経験ないのかい?」
「うーん……」
呻吟し、抱えた膝に顎を埋めた雛は珍しく悩んでいる様子だった。そりゃそうだろう。雛は元は流し雛で、今でこそ厄神として存在しているとは言えど、言うなれば季節限定の神様である。いわば一年に一度の晴れ舞台を待っているような状態が常だったのだから、「いつも」という感覚に慣れないのは当然だった。
「私は厄神だからなぁ。人間ってのはいつもどこかで厄を集めてくるからね。私から動く感じだったから、そういう経験はないなぁ」
「なるほどね」
答えたのは諏訪子だった。肘枕で湖畔に寝転がる諏訪子は、トレードマークのケロちゃん帽子を傍らに置いて苦笑する。
「私たちは結局、信仰が集められなくなってここに来たクチだからね。雛みたいに自分から動き回って信仰を集める努力が足りなかったのかも知れないなぁ」
はは……と神奈子も笑った。確かにそうだったかもしれない。自分たちは目の前の出来事に捕らわれすぎていたのだ。政さえきちんとやっていれば、民はおのずから自分たちを信仰してくれるのだと思っていた。けれど、それは間違いだった。
民の信仰心は移ろいやすく、それに応じて時代も変わる。それに柔軟に対応し、自分たちの存在を知らしめる努力を自分たちは怠っていたのかもしれない。それも、災害や疫病を流行らせるというステレオタイプな発想から離れ、もっと時代に応じた方法を模索するべきだったのかもしれない。
ごろん、と雛も土手に寝転がった。頭の後ろで手を組み、空の真上を見る。
「でも、よかったんじゃない。そんな忙しい生活も、今では懐かしいぐらいなんでしょ?」
「そりゃそうさ。でも、私たち神様なのに、それでいいのかな」
雛の言葉に、諏訪子が言った。雛は諏訪子の方に顔を向けて言った。
「いいのいいの。たまにはこういう日もいいじゃない」
「そういうもんか。……そうか、そうだよな」
神奈子が呟くと、雛がこちらを向いた。厄神のものとは思えぬほどまぶしい、百万ルクスの笑顔だった。
その笑顔に、同じく笑顔で応じたときだった。ガボン、という水音が発し、三人は同時に顔を上げた。
見ると、水面には大きな波紋が出来ていた。さっき湖面に墜落したセミを何かの魚が捕食したらしかった。
三人は顔を見合わせた。数秒の間、沈黙が流れ、それからドッと笑い出す。
何かが可笑しかったわけではない。ただ笑いたくて笑ったのだった。理由も気負いもない笑声が風に乗って湖面を滑り、やがて大気に吸収されて消えていった。
そうだ、と神奈子は身体を起こした。む? と視線を寄越した二人に、神奈子は親指を立てた両手を差し出した。
「指相撲しようぜ。暇つぶしさ」
一瞬、神奈子の真意を測りかねたように神奈子の顔を見返した二人は、それからすぐに両手を出した。
親指以外の指を組み合わせて互いの手を取ると、お互いの身体に流れる血潮の温かさが手のひらを伝わった。
「言っておくけど、私物凄く指相撲強いんだからね? 指が折れちゃうかもよ?」
雛が得意げに言うと、「へへん、ミシャグジ様の指相撲テクを舐めるなよ」と諏訪子が応じる。負けじと神奈子も「相撲の起源は私だって言ったろ?」とやり返す。
また笑い声が漏れた。諏訪子と雛の顔は晴れやかだった。
ああ、掛け値なしにいい休日だったな。
心の中で呟いてから、神奈子は「いくぞ」と声をかけた。途端に、組み合わされた手のひらがぐっと緊張し、じっとりと汗ばんでくるのがわかった。
それを確認してから、神奈子は言った。
「いくぞ……ハッケヨーイ……のこった!」
ペキャ、という音がして、神奈子と諏訪子の親指の骨が同時に砕けた。
(´・ω・)つ「オチwww」
しかし、考えてみれば幻想郷の少女達も結構ヒマなのかもしれんな。
面白いようなそうでないような…
うわぁすごくシュールww
でもごめんなさい、個人的にどうしても許せない部分があるのでこの点数で;
鼻くそ丸めはハードルが高過ぎっスよ