命蓮寺。
「おーい、ナズにゃん、ナズにゃん」
「……ネズミに対して『にゃん』は無いだろう、船長」
ムラサの呼びかけに、ナズーリンはため息混じりに振り返った。
全く悪びれる様子もなく、ムラサは「細かい事は気にしない」と笑う。
「それよりナズにゃん、ぬえっち見なかった?」
「いや、ぼ――」
言いかけて固まったナズーリンに、「ぼ?」とムラサは首を傾げる。
「……ぼんやり飛び回ってるんじゃないか、そのあたり。私は見ていないよ」
「だといいんだけどねー。どこ行っちゃったんだか」
「うちのネズミに探させるかい?」
「んにゃ、そこまでしなくていいよ。ちょっとそのへん見てくるね。ばいにー」
手を振ってムラサは飛び去っていく。それを見送り、ナズーリンはもう一度ため息をついた。――危ないところだった。
うっかり口を滑らせそうになったのは、間違いなくご主人――星のせいだ。
いや、正確に言えば、自分が星のことを考えていたからなのだけれども。
ナズーリンは首を振る。ぼんやり物思いに耽るなんて、柄ではないのは解っているのだけれども、どうにも、
「ナズにゃーん」
「うわっ!?」
目の前にムラサの顔があった。思いっきりのけぞったナズーリンに、ムラサは楽しげに笑う。
「び、びっくりさせないでくれないか」
「ぼんやりしてるのはナズにゃんの方じゃん」
全くその通りだ。肩を竦めたナズーリンに、「そうそう」とムラサは指を一本立てる。
「星ちゃんが呼んでたよ」
「ご主人が? ……了解」
んじゃそんだけー、と再び飛び去るムラサを見送り、はて、とナズーリンは首を傾げる。
星には、伝言用に部下の子ネズミを一匹預けている。何か用があれば、その子ネズミに言いつければナズーリンのところまで連絡が来るようにしているのだ。なのにどうしてムラサがそれを伝えてくるのだ。
「……まさか私の部下を失くしたとか言わないでおくれよ」
あのご主人の下についてから、独り言が増えたと自分でも思う。
ナズーリンはもう一度小さくため息をついた。
* * *
「……すみません、ナズーリン。預かっていた子ネズミがどこかへ行ってしまいまして」
「やっぱりかい!」
案の定だった。
星の自室。申し訳無さそうに顔を伏せる星の前で、ナズーリンは頭痛に額を押さえる。
というか、あの子ネズミはちゃんと星のそばにいるようにナズーリンが言いつけてあるのに、どうしてそれを失くせるというのか。もはや意味が解らない。
「本当にすみません、あなたの大事な部下を預かっていたのに」
「いや、勝手に居なくなったのなら部下の職務怠慢だ。ご主人が謝ることじゃないよ。――とりあえず、呼んでみよう」
ナズーリンは指笛を吹く。部下のネズミにだけ聞こえる波長の音だ。
散らばっていた部下たちが、ほどなくナズーリンの足元にわらわらと集まってくる。それをざっと見渡して、ナズーリンは顔をしかめた。やはり一匹足りない。
「誰か、ご主人についていたチュー之助を知らないか?」
部下たちに訊ねてみるが、部下は首を傾げるばかりだった。ナズーリンは腕を組んで唸る。「解った、すまない。持ち場に戻って」と部下たちに命じ、さてどうするか、と星を振り返った。
「ご主人、チュー之助……部下が居なくなったのはいつだい?」
「ええと……今朝は確かに部屋に居たのですが、いつ居なくなったかと言われると……」
首を傾げる星に、「まあそうだろうね」とナズーリンは嘆息。元からご主人の記憶力には期待していない。ちゃんと覚えていればこんなに頻繁に物を失くすこともないからだ。
「あ、それと……」
「今度は何だい」
「筆も一本行方不明なんですが」
「筆の一本ぐらいは今は後回しだよ。とりあえず部下を――」
と、ダウジングロッドを取り出そうとしたところで、不意にか細い鳴き声にナズーリンは気付いた。
「ナズーリン?」
「ちょっと待った。静かに」
ふたりが黙ると、確かに聞こえた。星の使っている机の裏からだ。
覗きこむと――机と壁の隙間に挟まって、子ネズミが一匹じたばたしていた。行方不明になっていた部下のチュー之助だった。
「こんなところにいたのか――」
ダウジングロッドを差し込んで、つっかえていた身体を押してやると、子ネズミはロッドにしがみついた。そのまま外に引きずり出し、ナズーリンはほっと一息。と、そこで子ネズミが何かを引きずっていることに気付く。
筆だった。
「ああ――そういうことか」
ナズーリンは苦笑して、ぐったりした部下にチーズのカケラを分け与えてやった。
「見つかりましたか」
「ついでに筆もね」
「さすがです、ナズーリン」
「僕よりこの子を労ってあげてくれ」
要するに、星が机の裏に落とした筆を拾い上げようと隙間に入り込んで、出られなくなっていたのである。呼んでも集まってこないわけだ。
「すみません、本当に」
「自分が困るだけならともかく、二次被害まで発生させないでおくれよ、本当に」
チーズで元気を取り戻した部下を、再び星に預けた。やれやれ。
「このぐらいは、僕に頼らなくても自力で何とかしてほしいね」
「ええ、心がけてはいるのですが――」
「実践してくれないと困るよ」
嘆息したナズーリンに、星は苦笑して。
「……そういえば、久しぶりに聞きましたね」
「うん?」
「貴女のその一人称ですよ」
「え?」
何を言われたのか解らず、ナズーリンは目をしばたたかせる。
星は不思議そうに首を傾げて、「今言ったじゃないですか」とナズーリンを指差した。
「僕、って」
「――――ッ!?」
狼狽した。
しまった。つい気が緩んで、うっかり口に出てしまったのか。
もうだいぶ前に使わないと決めた、心がけていた、昔の一人称――。
「懐かしいですね。初めて会ったときは、『僕』と言うものだから男の子なのかと思いましたよ」
「わ、私は――お、女だ」
――まだ星のことを、面と向かっても《ご主人様》と呼び、ちゃんと敬語を使っていた頃。
その頃は、自分の一人称は確かに「僕」だった。毘沙門天は自分を女だからどうという目では見なかったから、自分の性別のことなど、特に意識することもなかった。おかげで今でも、聖のような女性らしい喋り方は苦手だ。主に毘沙門天の影響でついた中性的な言葉遣いはおそらく抜けないだろう。
「そ、それを言ったらご主人だってそうだろう。檀家の人たちには、ご主人を女顔の男性だと思ってる人が結構いるそうじゃないか」
「そうなのですか? まあ、私はどちらでも構いませんが」
「構うだろう!」
「どうしてですか?」
――どうして、って。
あまりにも根本的な星の問いかけに、ナズーリンは言葉に詰まる。
女性が、女性として見られなければならない理由。
それは――突き詰めれば、生殖本能が導き出すものだ。
子孫を残す為に己の魅力を異性に伝える。そのために女性は自らが女であることをアピールする。
――それなら、私はどうして、「僕」という一人称を止めたのだ?
「そう、ナズーリン、どうして一人称を『私』にしたんです?」
「いや――」
「貴女には、『僕』も充分似合っていたと思うのですが」
そんなことを。
そんなことを、言わないでくれ。
ナズーリンは心の中だけで呻く。
僕が――私が、自分を「私」と呼ぶようにしたのは。
ただ、ただ――。
「……こ、子供っぽくて、みっともないと思ったからだよ」
「そうですか?」
「そうなんだ」
星の視線から目を逸らして、ナズーリンはしどろもどろにそう答えた。
それは一面の事実ではある。ただでさえナズーリンは小柄だ。身体の大きさが強さに比例しないとはいえ、この身体つきで一人称が「僕」では侮られる。そう思ったのは確かに事実だ。
だけど、それ以上に。
「ナズーリン」
不意に星の手が伸ばされて、ナズーリンの髪に触れた。
びくりと身を竦め、真っ赤になっているのを自覚して、ナズーリンは顔を伏せる。
星の手の感触が、あまりにもくすぐったい。
「いつも、私が頼ってばかりですみません」
「……そう思うなら、もう少ししっかりしておくれよ」
「ええ、善処します。ですから」
視線を逸らしているから、星の顔は見えないけれど。
きっと優しく微笑んでいるのだろう、とナズーリンは思う。
――慈愛に満ちた、ご主人の微笑。
失くしものをしてあたふたしているときとは違う、包み込むようなあたたかい――。
「貴女ももう少し、私に甘えてくれてもいいんですよ」
たぶん、このまま抱きしめられてしまえれば、色々と楽になれたのだと思う。
だけどそうするのは、ちっぽけなプライドのようなものが許してくれなかった。
「……私がそうできるように、キミがしっかりする方が先だよ、ご主人」
身体を離して、そう言ってしまった。
「その通りですね」と星は、少し残念そうに笑っていた。
「それじゃあ、私は戻るよ」
「ええ、すみません、足止めしてしまって。ありがとうございます、ナズーリン」
星に背を向け、扉に手を掛けて、ナズーリンは振り返った。
「ご主人――」
「はい?」
――私が、「僕」を止めたのは、貴女が頼りないからだよ。
でも、貴女がもし、もしもそちらの方がいいと言うなら、私は――僕は。
「もう、私の部下を失くなさいでおくれよ」
「気を付けます」
苦笑を交わして、星の部屋を出た。
ドアを閉めて、ナズーリンは何度目かのため息をついた。
全く、ご主人は解っていないのだ。
貴女が思っている以上に、僕は貴女に甘えている。
だって僕の生活は、時間は、世界は何もかも――寅丸星というご主人を中心に回っているのだから。
星ちゃんて・・!ぬえっちて・・・!!可愛いW
僕っ娘ナズとかナチュラルすぎてWW
にしても浅木原さんよ。よく爆発しなかったな。いつ流れがくるかとひやひやするよ。
ナズなら許す。
……よく考えたら子ネズミに関しては星ちゃんに落ち度は無いような。
星君といいナズといい、命蓮寺は宝庫か!
ナズーリンよ、なんでもいい。ただ、ありのままの君でいてくれ。
いいぞもっとやれ。
・・・できれば次は甘さ増量240%くらいで。
あとチュー之助がマジデ可愛い
蕩れー。
許せる!!!!