『海に行きたいっ!』
彼女はいつも突然現れる。
それはまるで見えないながらも大気が其処に在るかのように、いつから居るのかも判らない。
でもそれはいつも有ることで、それが日常。
突然現れる彼女は毎日此処へ帰って来るのだ。
そして今日も――。
………………
…………
……
「あっついわねぇー」
とある神社の境内、賽銭箱に座りながら一人の巫女服の少女が呟いた。
とはいえ、少女以外には誰もいないので、非難の対象にはならないのだろう。
だから、少女がそんな行儀の悪いことをしているのは人目を忍んでのことなのかも知れない。それはさておき。
少女が暑さに参ってしまうのも無理はない。
それもその筈、幻想郷は今は夏。太陽が燦然と輝き地上は焼けるような暑さだ。
「空でも飛んで涼もうかな、地底に行くのも――」
少女は言いかけて、手にした箒を握り直す。
「……はぁ、現実逃避してないで、さっさと掃除終わらせちゃいましょ」
そう言って、少女は落ち葉を掃きはじめた。
どうやら少し汚い神社の境内の掃除をするのは彼女の役割らしい。
恐らくは連日の猛暑でサボってしまっていたのが自分に跳ね返ってきたのだろう。
まあ無理もない、この暑さでは。
と、少女の頭がすっと誰かの手で撫でられる。
「お早う、霊夢。こんな日に掃除だなんて、えらいえらい」
いつからそこに居たのだろう、巫女服の少女――いや、改めて博麗霊夢はそんな疑問すら抱かなかったのだろうか、突然現れた女性に話しかける。
「こんにちは、紫<ユカリ>。今日は早いわね、まだお昼前よ、珍しいじゃない? あなたがこんなに早くうちに来るのも」
紫と呼ばれた女性は場の雰囲気にそぐわない、奇妙な出で立ちだった。
意図的なのだろうか。名前に関係して紫色を基調とした服を着ている。
霊夢より少し大人びた雰囲気もあり、恐らくは彼女の方が年上なのだろう。
「あら、そうかしら? でも不思議ね、朝起きたら貴女の処に行きたくなったのよ」
(こういう、恥ずかしい科白をさらっと言える所もね……)
霊夢は照れ隠しに無意識のうちに中断してしまっていた掃除を再開する。
「そうだ、紫。上がっていくでしょ? そこの縁側で待ってて、これ片付けたら冷えたお茶でも出すわ」
「あらそう? 私は此処で掃除する貴女とお喋りするのも悪くないと思うわ」
しれっと言う紫。
「私の掃除を手伝うっていう選択肢は無いわけね……まあ良いわ、ほら無理しないの、紫は日陰で休んでなさいって」
霊夢は少し真剣に言う。それを真っ向から否定するほど紫は空気が読めない訳ではない。というより、事実霊夢の言うとおり紫はこの暑さにすっかり参っていた。
「有難う、霊夢。じゃあお邪魔させて戴くわね」
「何よ、今更じゃない。紫が突然うちに来るのなんていつものことなんだから」
「そうね――迷惑だったかしら?」
「そんなこと、あるわけない、わよ……」
顔を真っ赤にする霊夢。
ただ暑いからだけではないだろう。
――しかし。
紫はもう其処には居らず、吹き抜ける熱風に霊夢のかき集めた落ち葉が舞った。
「もう…」
照れ隠しに振った手が、所在無さ気に下りた。
………………
…………
……
「海っ!?」
霊夢は興奮してちゃぶ台を叩きながら叫んだ。
「そ、海。こっち<幻想郷>にはないし、一度貴女と行ってみたかったのよね」
「凄く嬉しいわ! ありがとう紫!」
霊夢は紫に飛び付く。
幻想郷には海が無い。それを考えれば、紫の誘いは霊夢にとってかなり魅力的なものだったのだ。
「わ、ちょっと、霊夢……全くもう、まだまだお子さまなんだから」
紫が霊夢をたしなめる。端から見たら、さぞかし姉妹或いは親子のように見えるだろう。
霊夢は周りから見ても判りやすいほど気分が高揚していた。
(浮かれすぎよ、霊夢……まあそこが貴女の可愛い処だけれどね)
「顕界での海かー、水着とかも用意しなくっちゃね、紫?」
だが、紫は既にその空間から姿を消し去っていた。
「紫……」
霊夢は呟くと、まだ水面の揺れている紫の飲みかけの麦茶を、一気に飲み干した。
………………
…………
……
明くる朝、霊夢は差し込んでくる陽の光に目を覚ました。
「ん――あ、れ?」
霊夢は寝起きが良い。
よく考えてみれば巫女という職業上は当たり前なのかも知れないが。
「昨日紫と、えーっと……」
記憶があやふやなのだろうか。別に大した問題にはならない彼女は自分の日課へと向かう。
霊夢が巫女服に着替えて、朝のお祈り・食事の準備に向かった実に数十秒後。
ひょっこりと金髪の髪の毛が現れる。
「れーいーむ……」
快活な声がしたかと思うとすぐにしぼんで行く。この部屋の主はここには居ないのだ。ひらひらと振った手が、下りる。
「なによ、せっかく頑張って朝早起きしたのに……」
紫は呟く。強がっていても、無理をしているのがありありと判る。
「朝だしちょっと寒いわね」
そう言って紫が霊夢の寝ていた布団にくるまった。
「……」
ぎゅっと、縮こまる。布団には霊夢の体温がほんのりと残っていた。
………………
…………
……
「雨……ね」
その声には不快感が混じる、無理もない。
二人が顕界に来たときには絶好の海水浴日和だったのだから。そこに、急な雨だった。
晴れ、ているのに雨。いわゆるお天気雨、というやつだろう。
二人は眼前に広がる海を見ながら立ちつくす。
紫はショックが大きかったらしく、傘を差そうともしないので、霊夢が自分と同じ傘に入れてあげないといけないほどであった
。
「なに落ち込んでるのよ。私は……ほら、紫と海が見に来れただけでも、大満足だから」
明らかに沈んでいる紫を霊夢が励ます。
気ままに生きてきた紫にしてみれば、天気のことを気にする日々など送って来なかったのだろう。
「紫と水着選んだりとか、楽しかったし、ね!」
またしてもフォローを入れる霊夢。事実、こうして顕界で紫と買い物だなんて、今まで夢にも思わなかったことだったから。
「その水着を着れる海には入れないけどね……」
一方の紫は一向に落胆しきっていた。
(こっちに二日泊るのは、駄目よね……)
霊夢は模索する、が。時間にそこまで余裕がある訳ではない。
そもそも、結界云々の当事者である二人がこうして顕界にやってくることは大問題なのだ。
(事前に色々やったからね……その分発覚したらどんな目に逢うか……となると、何が何でも今日帰らないとね)
そこで、昼間に紫と買い物をしていた時のことを思い出す。
「ね、紫。ここで立ちっぱなしってのもあれだし、とりあえずお茶屋さんでも入りましょ」
何かを思い立ったのであろうか、霊夢が紫の手を取って先導する。
二人が立ち寄った店は一見して香霖堂のような風格のある家屋に構える茶屋だった。
「何が食べたいかしら? 遠慮なく食べていいわよ、私の奢りだから」
少し調子を取り戻したのか、紫が霊夢に話しかける。
「じゃあこれとこれと……」
「ふふ、欲張りさんね」
楽しそうに笑う二人だったが、メニュー越しの手が触れ合うことは、なかった。
………………
…………
……
「ねえ、紫。聞きたい事があるんだけど」
茶屋で甘味を堪能し尽くした後、緑茶を飲みながら霊夢は切り出した。
「何かしら?」
「私たちのこの服って……紫が選んだものなの?」
霊夢は自分が着ているスカートをひらひらさせながら疑問を投げかける。
ちなみに、霊夢はレトログリーンのハイウエストスカートに白地のTシャツ(紫いわく、ベアワンピというものらしい)。
対する紫は普段の派手な服とは対照的に、Tシャツにジーパンという何ともラフな格好だった。
まぁ、紫のTシャツは紫色だったのだが。紫だけに。
「そうよ、『今はこれが流行なんだ』っていうのに遅れないようにするのも一苦労だったわ」
「ふーん……良く解んないけど。でも、たまにはこういう服も良いかもね」
普段は巫女服ばかり着ている霊夢にとって、現代人のトレンドに則ったカジュアルな服を着ることは新鮮だった。
「そう言って貰えると嬉しいわ」
紫はにっこりと笑うと、空になったコップをコトン、とテーブルの上に置いた。
それから二人は色々な話をした。その多くは顕界に関する話だった。幻想郷のことも度々話題には上がったが、やはり二人の会話の内容は現代の科学技術寄りなものだった。
「それで、今日の買い物のときにね……」
霊夢が思い出したように会話をつなげる。ここからがどうやら本題らしい、実際の姿勢こそ変えないものの、紫も少し真剣に霊夢の話に耳を傾けた。
………………
…………
……
時間は戻って昼間。
二人は出来てから間もないと見受けられるショッピングモールに足を運んでいた。
「すっごーい! 見て見て、紫、この店、沢山の蝋燭を売ってるわ!」
自動車や娯楽施設など、視界に入るもの初めて見るものばかりの街に、霊夢は順応……する筈もなく、キョロキョロとあちらこちらを見回す。
ましてや、ここは割と大きい部類に入るショッピングモールだ。好奇心旺盛な霊夢が騒がないはずがない。そんな霊夢を紫が先導する。
「あれはね、『アロマキャンドル』と云うモノよ、心を落ち着ける効果があるの。ほら、こっちのとこれとじゃ匂いが違うでしょ?」
店頭に並んでいる、火のついた見本を霊夢に嗅がせる。
「あ、ホントだ……。なんだかお香みたいね」
「ね、霊夢も気に入ったようだし、一つ買っていきましょう?」
「えっ……だ、駄目よ」
この反応は紫も少なからず想像していた。それはつまり、こういうことだろう、『外界<そと>のモノを持ち込むことになるから』――と。
でもそれだけじゃ“淋しいな”と紫は思ったのだ。
「ね、霊夢と私の思い出に。良いじゃない」
「でも……」
霊夢にはやはり抵抗があるらしかった。
(これは少し押した方が良さそうね)
そこで、確信した紫は霊夢に商品の代金に足りる額の紙幣を握らせた。
「ほら、これでお願い、ね?」
小悪魔的なウインク。擬態語を無理に使おうとすれば『きゅぴーん』とか『きらっ』とかそんな感じだろうか。
自分でも小悪魔っていう年齢は越えてる……と思ったけど。
それでも霊夢は買ってきてくれた。
………………
…………
……
「以上回想だけど、ここからが本題なの」
ばん、とテーブルに手をつく霊夢。
「えらく第三者視点なのね……」
思わず、だが静かに溜め息をつく紫。
(え? なにその回想、長!?)
――内心ではかなり驚いていた。
そうとも知らない霊夢が会話を続ける。
「それで、あのお店で蝋燭を買ったときに、店員さんにこんなチラシを貰ったのよ」
「アロマキャンドル、よ。まあそれは良いとして……なになに、“ナイトカーニバル”?」
霊夢からチラシを受け取った紫は、その詳細を確認していく。
要約するとこうだ。先のショッピングモールでのイベントで、どうやらお祭りみたいなものが本日開催されるらしい。夏らしく花火なんかを打ち上げるとも書いてあるが、ここからが見所だ。
実はこのイベント、屋内で行うのである。広さにして××ドームより大きい会場で打ち上げる花火、そして様々な屋台がどうだとかパレードかなんたらとかそんなことも載っているが……。
つまり。雨天、関係ないのである。
「いいじゃない、よく覚えていたわね、霊夢」
「だって、海の後にも来れるかなって思ったから……」
霊夢が照れくさそうにうつむく。
霊夢の頭を、紫が撫でた。
「ほら、もう夕方よ。急ぎましょう」
紫が立ち上がる。霊夢もそれに続く。雨はいつの間にか小雨となり、二人にとって鬱陶しくないものへと変わっていた。
歩きながら霊夢が話しかける。もう太陽も沈み、辺りは暗くなっている。
「ね、紫。私達って周りから見たらどんな関係に見えるかな?」
唐突に霊夢が話しかけている間にも。
「うーんと、そうねぇ……姉妹とかかしら?」
遠目から見ても煌びやかな会場は段々と近付いていく。
「そっか……そうよね……」
イベントは、今にも、始まろうとしている。
「でもね、一つ忘れないでほしいの」
小雨は、いつの間にか止んでいる。周囲の音も、聞こえない。
「え?」
空に、大きく。 とても、大きな。
「大事なのは、私達の気持ちだから」
ぱぁん、と。空に華が開く。何度も、何度も。咲き続ける光の華を二人は眺める。
「え、えっと……綺麗ね、紫……」
霊夢は立ち尽くしていた。霊夢だけではない。紫も。周りの人々も。皆、歩みを止めて、空に咲く華に心を奪われている。
それは見る人の心を捉えて離さない。だけれど。
「ね、知ってるかしら、霊夢」
紫の眼は。彼女の眼、だけは。
「貴女も凄く、綺麗なのよ」
そう言って、紫は霊夢の唇に自分の唇を重ねた。
「ん……っ!! 紫ぃ……紫、紫……」
突然のことに始めは戸惑った霊夢だったが、次第にその行為を受け入れた。
「んちゅ、んん、んく……、んぅ、ちゅ、ちゅる、んっ」
お互いが、お互いを求め合う。ただ口づけるだけではない、熱いキス。
そして、恥ずかしそうに、どちらともなく離れる。
うつむいた二人は、互いの顔も確認できないけれど。
「たまにはこういうのも、いいわね。霊夢」
「そうね……また紫と。またこうして二人で……」
歩みを取り戻し始めた人々。向かう先は、目前の会場。
「ええ。じゃあ行きましょ、霊夢」
差し出した手が、
「うんっ!!」
握り返された。
<了>
彼女はいつも突然現れる。
それはまるで見えないながらも大気が其処に在るかのように、いつから居るのかも判らない。
でもそれはいつも有ることで、それが日常。
突然現れる彼女は毎日此処へ帰って来るのだ。
そして今日も――。
………………
…………
……
「あっついわねぇー」
とある神社の境内、賽銭箱に座りながら一人の巫女服の少女が呟いた。
とはいえ、少女以外には誰もいないので、非難の対象にはならないのだろう。
だから、少女がそんな行儀の悪いことをしているのは人目を忍んでのことなのかも知れない。それはさておき。
少女が暑さに参ってしまうのも無理はない。
それもその筈、幻想郷は今は夏。太陽が燦然と輝き地上は焼けるような暑さだ。
「空でも飛んで涼もうかな、地底に行くのも――」
少女は言いかけて、手にした箒を握り直す。
「……はぁ、現実逃避してないで、さっさと掃除終わらせちゃいましょ」
そう言って、少女は落ち葉を掃きはじめた。
どうやら少し汚い神社の境内の掃除をするのは彼女の役割らしい。
恐らくは連日の猛暑でサボってしまっていたのが自分に跳ね返ってきたのだろう。
まあ無理もない、この暑さでは。
と、少女の頭がすっと誰かの手で撫でられる。
「お早う、霊夢。こんな日に掃除だなんて、えらいえらい」
いつからそこに居たのだろう、巫女服の少女――いや、改めて博麗霊夢はそんな疑問すら抱かなかったのだろうか、突然現れた女性に話しかける。
「こんにちは、紫<ユカリ>。今日は早いわね、まだお昼前よ、珍しいじゃない? あなたがこんなに早くうちに来るのも」
紫と呼ばれた女性は場の雰囲気にそぐわない、奇妙な出で立ちだった。
意図的なのだろうか。名前に関係して紫色を基調とした服を着ている。
霊夢より少し大人びた雰囲気もあり、恐らくは彼女の方が年上なのだろう。
「あら、そうかしら? でも不思議ね、朝起きたら貴女の処に行きたくなったのよ」
(こういう、恥ずかしい科白をさらっと言える所もね……)
霊夢は照れ隠しに無意識のうちに中断してしまっていた掃除を再開する。
「そうだ、紫。上がっていくでしょ? そこの縁側で待ってて、これ片付けたら冷えたお茶でも出すわ」
「あらそう? 私は此処で掃除する貴女とお喋りするのも悪くないと思うわ」
しれっと言う紫。
「私の掃除を手伝うっていう選択肢は無いわけね……まあ良いわ、ほら無理しないの、紫は日陰で休んでなさいって」
霊夢は少し真剣に言う。それを真っ向から否定するほど紫は空気が読めない訳ではない。というより、事実霊夢の言うとおり紫はこの暑さにすっかり参っていた。
「有難う、霊夢。じゃあお邪魔させて戴くわね」
「何よ、今更じゃない。紫が突然うちに来るのなんていつものことなんだから」
「そうね――迷惑だったかしら?」
「そんなこと、あるわけない、わよ……」
顔を真っ赤にする霊夢。
ただ暑いからだけではないだろう。
――しかし。
紫はもう其処には居らず、吹き抜ける熱風に霊夢のかき集めた落ち葉が舞った。
「もう…」
照れ隠しに振った手が、所在無さ気に下りた。
………………
…………
……
「海っ!?」
霊夢は興奮してちゃぶ台を叩きながら叫んだ。
「そ、海。こっち<幻想郷>にはないし、一度貴女と行ってみたかったのよね」
「凄く嬉しいわ! ありがとう紫!」
霊夢は紫に飛び付く。
幻想郷には海が無い。それを考えれば、紫の誘いは霊夢にとってかなり魅力的なものだったのだ。
「わ、ちょっと、霊夢……全くもう、まだまだお子さまなんだから」
紫が霊夢をたしなめる。端から見たら、さぞかし姉妹或いは親子のように見えるだろう。
霊夢は周りから見ても判りやすいほど気分が高揚していた。
(浮かれすぎよ、霊夢……まあそこが貴女の可愛い処だけれどね)
「顕界での海かー、水着とかも用意しなくっちゃね、紫?」
だが、紫は既にその空間から姿を消し去っていた。
「紫……」
霊夢は呟くと、まだ水面の揺れている紫の飲みかけの麦茶を、一気に飲み干した。
………………
…………
……
明くる朝、霊夢は差し込んでくる陽の光に目を覚ました。
「ん――あ、れ?」
霊夢は寝起きが良い。
よく考えてみれば巫女という職業上は当たり前なのかも知れないが。
「昨日紫と、えーっと……」
記憶があやふやなのだろうか。別に大した問題にはならない彼女は自分の日課へと向かう。
霊夢が巫女服に着替えて、朝のお祈り・食事の準備に向かった実に数十秒後。
ひょっこりと金髪の髪の毛が現れる。
「れーいーむ……」
快活な声がしたかと思うとすぐにしぼんで行く。この部屋の主はここには居ないのだ。ひらひらと振った手が、下りる。
「なによ、せっかく頑張って朝早起きしたのに……」
紫は呟く。強がっていても、無理をしているのがありありと判る。
「朝だしちょっと寒いわね」
そう言って紫が霊夢の寝ていた布団にくるまった。
「……」
ぎゅっと、縮こまる。布団には霊夢の体温がほんのりと残っていた。
………………
…………
……
「雨……ね」
その声には不快感が混じる、無理もない。
二人が顕界に来たときには絶好の海水浴日和だったのだから。そこに、急な雨だった。
晴れ、ているのに雨。いわゆるお天気雨、というやつだろう。
二人は眼前に広がる海を見ながら立ちつくす。
紫はショックが大きかったらしく、傘を差そうともしないので、霊夢が自分と同じ傘に入れてあげないといけないほどであった
。
「なに落ち込んでるのよ。私は……ほら、紫と海が見に来れただけでも、大満足だから」
明らかに沈んでいる紫を霊夢が励ます。
気ままに生きてきた紫にしてみれば、天気のことを気にする日々など送って来なかったのだろう。
「紫と水着選んだりとか、楽しかったし、ね!」
またしてもフォローを入れる霊夢。事実、こうして顕界で紫と買い物だなんて、今まで夢にも思わなかったことだったから。
「その水着を着れる海には入れないけどね……」
一方の紫は一向に落胆しきっていた。
(こっちに二日泊るのは、駄目よね……)
霊夢は模索する、が。時間にそこまで余裕がある訳ではない。
そもそも、結界云々の当事者である二人がこうして顕界にやってくることは大問題なのだ。
(事前に色々やったからね……その分発覚したらどんな目に逢うか……となると、何が何でも今日帰らないとね)
そこで、昼間に紫と買い物をしていた時のことを思い出す。
「ね、紫。ここで立ちっぱなしってのもあれだし、とりあえずお茶屋さんでも入りましょ」
何かを思い立ったのであろうか、霊夢が紫の手を取って先導する。
二人が立ち寄った店は一見して香霖堂のような風格のある家屋に構える茶屋だった。
「何が食べたいかしら? 遠慮なく食べていいわよ、私の奢りだから」
少し調子を取り戻したのか、紫が霊夢に話しかける。
「じゃあこれとこれと……」
「ふふ、欲張りさんね」
楽しそうに笑う二人だったが、メニュー越しの手が触れ合うことは、なかった。
………………
…………
……
「ねえ、紫。聞きたい事があるんだけど」
茶屋で甘味を堪能し尽くした後、緑茶を飲みながら霊夢は切り出した。
「何かしら?」
「私たちのこの服って……紫が選んだものなの?」
霊夢は自分が着ているスカートをひらひらさせながら疑問を投げかける。
ちなみに、霊夢はレトログリーンのハイウエストスカートに白地のTシャツ(紫いわく、ベアワンピというものらしい)。
対する紫は普段の派手な服とは対照的に、Tシャツにジーパンという何ともラフな格好だった。
まぁ、紫のTシャツは紫色だったのだが。紫だけに。
「そうよ、『今はこれが流行なんだ』っていうのに遅れないようにするのも一苦労だったわ」
「ふーん……良く解んないけど。でも、たまにはこういう服も良いかもね」
普段は巫女服ばかり着ている霊夢にとって、現代人のトレンドに則ったカジュアルな服を着ることは新鮮だった。
「そう言って貰えると嬉しいわ」
紫はにっこりと笑うと、空になったコップをコトン、とテーブルの上に置いた。
それから二人は色々な話をした。その多くは顕界に関する話だった。幻想郷のことも度々話題には上がったが、やはり二人の会話の内容は現代の科学技術寄りなものだった。
「それで、今日の買い物のときにね……」
霊夢が思い出したように会話をつなげる。ここからがどうやら本題らしい、実際の姿勢こそ変えないものの、紫も少し真剣に霊夢の話に耳を傾けた。
………………
…………
……
時間は戻って昼間。
二人は出来てから間もないと見受けられるショッピングモールに足を運んでいた。
「すっごーい! 見て見て、紫、この店、沢山の蝋燭を売ってるわ!」
自動車や娯楽施設など、視界に入るもの初めて見るものばかりの街に、霊夢は順応……する筈もなく、キョロキョロとあちらこちらを見回す。
ましてや、ここは割と大きい部類に入るショッピングモールだ。好奇心旺盛な霊夢が騒がないはずがない。そんな霊夢を紫が先導する。
「あれはね、『アロマキャンドル』と云うモノよ、心を落ち着ける効果があるの。ほら、こっちのとこれとじゃ匂いが違うでしょ?」
店頭に並んでいる、火のついた見本を霊夢に嗅がせる。
「あ、ホントだ……。なんだかお香みたいね」
「ね、霊夢も気に入ったようだし、一つ買っていきましょう?」
「えっ……だ、駄目よ」
この反応は紫も少なからず想像していた。それはつまり、こういうことだろう、『外界<そと>のモノを持ち込むことになるから』――と。
でもそれだけじゃ“淋しいな”と紫は思ったのだ。
「ね、霊夢と私の思い出に。良いじゃない」
「でも……」
霊夢にはやはり抵抗があるらしかった。
(これは少し押した方が良さそうね)
そこで、確信した紫は霊夢に商品の代金に足りる額の紙幣を握らせた。
「ほら、これでお願い、ね?」
小悪魔的なウインク。擬態語を無理に使おうとすれば『きゅぴーん』とか『きらっ』とかそんな感じだろうか。
自分でも小悪魔っていう年齢は越えてる……と思ったけど。
それでも霊夢は買ってきてくれた。
………………
…………
……
「以上回想だけど、ここからが本題なの」
ばん、とテーブルに手をつく霊夢。
「えらく第三者視点なのね……」
思わず、だが静かに溜め息をつく紫。
(え? なにその回想、長!?)
――内心ではかなり驚いていた。
そうとも知らない霊夢が会話を続ける。
「それで、あのお店で蝋燭を買ったときに、店員さんにこんなチラシを貰ったのよ」
「アロマキャンドル、よ。まあそれは良いとして……なになに、“ナイトカーニバル”?」
霊夢からチラシを受け取った紫は、その詳細を確認していく。
要約するとこうだ。先のショッピングモールでのイベントで、どうやらお祭りみたいなものが本日開催されるらしい。夏らしく花火なんかを打ち上げるとも書いてあるが、ここからが見所だ。
実はこのイベント、屋内で行うのである。広さにして××ドームより大きい会場で打ち上げる花火、そして様々な屋台がどうだとかパレードかなんたらとかそんなことも載っているが……。
つまり。雨天、関係ないのである。
「いいじゃない、よく覚えていたわね、霊夢」
「だって、海の後にも来れるかなって思ったから……」
霊夢が照れくさそうにうつむく。
霊夢の頭を、紫が撫でた。
「ほら、もう夕方よ。急ぎましょう」
紫が立ち上がる。霊夢もそれに続く。雨はいつの間にか小雨となり、二人にとって鬱陶しくないものへと変わっていた。
歩きながら霊夢が話しかける。もう太陽も沈み、辺りは暗くなっている。
「ね、紫。私達って周りから見たらどんな関係に見えるかな?」
唐突に霊夢が話しかけている間にも。
「うーんと、そうねぇ……姉妹とかかしら?」
遠目から見ても煌びやかな会場は段々と近付いていく。
「そっか……そうよね……」
イベントは、今にも、始まろうとしている。
「でもね、一つ忘れないでほしいの」
小雨は、いつの間にか止んでいる。周囲の音も、聞こえない。
「え?」
空に、大きく。 とても、大きな。
「大事なのは、私達の気持ちだから」
ぱぁん、と。空に華が開く。何度も、何度も。咲き続ける光の華を二人は眺める。
「え、えっと……綺麗ね、紫……」
霊夢は立ち尽くしていた。霊夢だけではない。紫も。周りの人々も。皆、歩みを止めて、空に咲く華に心を奪われている。
それは見る人の心を捉えて離さない。だけれど。
「ね、知ってるかしら、霊夢」
紫の眼は。彼女の眼、だけは。
「貴女も凄く、綺麗なのよ」
そう言って、紫は霊夢の唇に自分の唇を重ねた。
「ん……っ!! 紫ぃ……紫、紫……」
突然のことに始めは戸惑った霊夢だったが、次第にその行為を受け入れた。
「んちゅ、んん、んく……、んぅ、ちゅ、ちゅる、んっ」
お互いが、お互いを求め合う。ただ口づけるだけではない、熱いキス。
そして、恥ずかしそうに、どちらともなく離れる。
うつむいた二人は、互いの顔も確認できないけれど。
「たまにはこういうのも、いいわね。霊夢」
「そうね……また紫と。またこうして二人で……」
歩みを取り戻し始めた人々。向かう先は、目前の会場。
「ええ。じゃあ行きましょ、霊夢」
差し出した手が、
「うんっ!!」
握り返された。
<了>
とりあえず最後の方は規制に引っかからないように気を付けましょう。
「回想部分」と言ってしまうと投げやりな感じになってしまうから自白しすぎるのもアレかも。
展開が早いのは自分で推敲しつつ修正していけばぐっと良くなるかと。
語彙の不足は仕方ないかな。文章としては悪くないと思うから頑張ってください。
その効果は私にとって、ただ読みにくくするというものでしかありませんでした。
なのでこの仕掛けの必要性はあったのかな、と首を傾けてしまいました。