少し、昔のお話をしましょう。
◆
朝。
こけこっこーと鶏が鳴く頃、二人の一日が始まります。
じりじりじりと、けたたましい時計の音。掛け布団から伸びた手が、ピッとスイッチを押しました。
ひっそり訪れる静寂。少しして布団がもぞもぞと動いて、誰かががばりと起きました。
「……朝、ね」
一人で呟く女の子。古明地さとりちゃんよんさいです。
髪はぼさぼさ、猫じゃらし。普段から癖っ毛であちこちぽんぽん飛んでいるのに、寝起きはもっとひどいのでした。
物憂げそうに頭をぽりぽり、眠そうに欠伸を一つ出すと、隣のふくらみをぽんぽんと軽く叩きます。
「こいし……もう朝よ。起きなさい」
「うぅ……ん……あと五分ー……」
「わがまま言わないの。ほら、早くお布団から出て」
「うー……分かったよぅ」
さとりちゃんより、やや幼い声の返事。次いでのそのそ這い出てきたのは、妹のこいしちゃんさんさいでした。
かわいいですね。
お姉ちゃんに似て少しウェーブの掛かった碧っぽい髪は、ふわふわとしてとても触り心地が良さそうです。
赤みがかったほっぺたは見るからにぷよぷよとしていて、まるで大福か何かのよう。無意識の内に手が伸びてしまいます。
思わずさとりちゃんがつんとつつくと、こいしちゃんは「うふふ」と笑いました。
「お姉ちゃん、いっつも私のほっぺつんつんってするよね」
「仕方ないじゃない。こいしのほっぺたが柔らかそうなのがいけないのよ」
「それ、どうしようもないじゃない?」
「そうね。だから大人しくつつかれてなさい」
「だめよぅ。私もやり返してやるんだから!」
つんつん、つんつん。
きゃっきゃきゃっきゃと笑いながら、お互いに頬をつつき合います。
そんな戯れを、何度か繰り返していると。
こんこん。
「さとり様ー、こいし様ー。もう起きる時間ですよー」
間延びした声。二人のペット兼お目付け役のお燐です。
「ほら、燐が来ちゃったじゃない。早く着替えなきゃ」
「はーい」
きゃっきゃと騒ぎながら、姉妹はベッドからぴょんと跳び下ります。
慌ただしい一日が、始まりました。
◆
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした!」
二人揃って、ご飯を食べ終わっての挨拶。両手を合わせてごちそうさま。目の前にあるお皿は、まっさら空っぽになっていました。
作ったお燐も、心なしか満足げな笑みを浮かべています。
「さぁ、お二人とも。お口を拭いてトイレに行ったら、幼稚園に行きましょう。今日も一日、張り切って頑張りましょうね!」
「おー! がんばろー!」
「おー!」
お燐が右手を高く突き上げると、姉妹もそれを真似します。
こいしちゃんは元気に、さとりちゃんはちょっと控えめに。
そうして、皆で笑い合うのでした。
「さぁさぁ、幼稚園直行おりんりんバス出発するよー! 早く乗らないと行っちゃうよー!」
「あぁ、待って待ってー!」
「早く! こいし早く!」
焦った様子で、さとりちゃんはこいしちゃんに呼び掛けます。
玄関先でこいしちゃんを待つ二人。そのこいしちゃんはと言うと、まだ家の中で靴を履こうとしている最中でした。
けれども、靴を一人では履けないこいしちゃん。一所懸命頑張りますが、なかなか足が入りません。
「んっ……しょっ……うぅ、履けないよう……」
「こいし様ー! 頑張れー!」
「早く! こいし早く!」
皆の声援が聞こえます。ちょっと潤んでいた瞳を拭って、もう一度挑戦。
何度でも、何度でも。苦手なことでも繰り返せば、いつかはきっと出来るようになるはず。
頑張れ、こいしちゃん。
「うー……しょ、うぅー……」
「早く! こいし早く!」
「もう! お姉ちゃんうるさい!」
そう、こいしちゃんが、怒鳴ったら。
「……あ」
「履けた! こいし様、お一人でも履けましたね! やったぁ!」
「頑張ったね、こいし!」
「うん! お燐、お姉ちゃん、ありがとう!」
こいしちゃんは笑顔で応え、とてとてと駆け寄ります。その足には靴。脱げることもなく、しっかりと履けているみたいでした。
さて、それじゃあ、とお燐は引いてきた台車に姉妹を乗せます。
おりんりんバスは人力車。お燐が責任を持って、二人を幼稚園まで送り届けるのです。
入念なストレッチをした後、ぐぐ、と腰を引き、肘を張って、お燐は大きな声で言いました。
「さぁ、おりんりんバス出発だよぉ!」
「わぁい!」
「わぁい」
掛け声とともに、おりんりんバスが発車しました。
たったったった。二人を乗せる台車は、軽やかに風を裂いて走り抜けます。
めぐるましく変わる景色。目に飛び込む色彩は、次から次へと移ろいます。それが二人には、とても面白く思えました。
「さぁさぁ、お次は落ちたら真っ逆様、地獄の連続急カーブだよ! お嬢さん方、しっかり掴まってくんな!」
「きゃー!」
勿論そんなカーブなどないのですが、そこはご愛嬌。姉妹を喜ばせるための、お燐の小粋な愛情なのです。
右から左へ、左から右へ。急角度のジグザグ走行は、車体を激しく揺らします。
がたんごとん、がたんごとん。ぐらぐら揺れる、おりんりんバス。スリルは満点、おりんりんバス。
まるでジェットコースターのような感覚に、子供たちは大喜びです。
始終笑顔のこいしちゃんとは対照的に、お姉ちゃんの顔は少し引きつっていましたけれど。
「ほいほいっ! 続いてくるのは上下に波揺れる、山と谷の針山地獄! 振り落とされないように気を付けなよ!」
「ひゃあっ!?」
突然の揺れに、さとりちゃんは突拍子もない声を上げます。ガコンという音と同時に、体がふわりと浮いたからです。
地獄の急カーブの後は、地面が波打ちでこぼことしている悪路。
流石にそのまま進むわけにはいかないので、お燐が台車を持ちあげているのです。
だからふわふわと、宙に浮いたままゆらゆらと。まるで船にでも乗っているかのような浮遊感。
お燐の歩みに合わせてガコンガコン揺れる台車の中は、上へ下への大騒ぎ。
嬌声と叫び声が混じり合って、そこはまるで地獄のようでした。
◆
「ほい、到着っ!」
ぴたりとお燐は止まって、台車の中から姉妹を連れ出します。
こいしちゃんは天真爛漫そのままの笑顔で、さとりちゃんは疲労困憊といった様子でへろへろになって。
姉妹二人は、朝から異様な雰囲気を醸し出していました。
ふらふらとしながら、さとりちゃんはお燐に歩み寄り囁きます。
「ちょ、……ちょっと燐……」
「はい? なんでしょうか?」
「……お願いだから、もうちょっと、ソフトに運んで貰えるかしら……死ぬ……」
「あぁ……すいません、さとり様。でも、こいし様が喜ぶものですから……」
お燐はそう言って、ちらとこいしちゃんの方を見ます。
さとりちゃんも同じように視線を向けると、そこにはにこにこと笑うこいしちゃんの姿がありました。
「……仕方ないわね……分かりました。でも、もうちょっと控えめにね」
「あいあいさー!」
「……? ちょっとお姉ちゃん、何のお話してるの? 私も混ぜて!」
「だめよ。秘密のお話だもの」
「えー! いいじゃんいいじゃん! 混ぜて混ぜてー!」
こいしちゃんがだだをこね始めると、ぱんぱん、と乾いた音がその場に鳴り響きました。
「はいはい。お二人とも、もう行かないと。皆が待ってますよ?」
「むー……そうやってまた私を仲間外れにしてー……」
「ごめんね、こいし。次はきっと、貴女も仲間に入れてあげるから」
「……本当? 絶対? 約束だよ?」
「えぇ。本当よ」
じゃあ、とこいしちゃんは小指を立ててさとりちゃんに差し出します。
さとりちゃんも小指を立てると、二人で一緒に指切りげんまん。それが終わると、今度はお燐と指切りげんまんをします。
そうしてお燐とも指切りし終わった後に、こいしちゃんはやっと笑顔になりました。
「約束ね! 絶対の約束だよ!」
「えぇ。それじゃあ行ってらっしゃい、さとり様、こいし様」
「行ってきます」
「行ってきまーす!」
元気な声が、辺りにこだまします。
二人が駆けて行く先には、大きな一棟の建物。
地底の子供たちが集まる幼稚園、幼稚霊殿でした。
◆
「おはようございます!」
「おはようございます、勇儀先生」
「あぁ、おはよう。今日も二人とも元気だね!」
長く太い、大きな角が一本生えた長身の女性。鬼の星熊勇儀先生です。
幼稚霊殿には組はなく、代わりに何人かの子供たちにつき一人の先生が担当しています。
二人の先生は、この勇儀先生なのでした。
「それじゃあ、こいしは手を洗って中に入っていようか。さとりは……いつもの仕事をお願いしてもいいかな?」
「あ、はい。分かりました」
「それじゃあ先に行ってるね、お姉ちゃん!」
こいしちゃんはお姉ちゃんに向かって大きく手を振りながら、手洗い場まで走っていきます。
そして残された二人は、顔を合わせてにこりと笑い合うのでした。
勇儀先生の言った「仕事」。それはさとりちゃんのとても大好きな仕事です。
さとりちゃんは動物係。幼稚霊殿で飼っている動物たちの世話をするのが仕事なのです。
毎朝早くから幼稚園に来なければならず、とても大変な仕事なのですが、動物が大好きなさとりちゃんには何のその。
皆も立候補する中で、自分がいかに動物が好きなのかを滔々と語り、見事その座を勝ち得ただけのことはあります。
勇儀先生も、さとりちゃんの動物好きは承知済み。毎朝彼女が来るのを待って、飼育小屋まで一緒について行くのでした。
「ほい、餌袋」
「ありがとうございます。……ほら、ご飯の時間だよー」
さとりちゃんが小屋の中に入ると、動物たちがそわそわとし始めます。
ご飯だから、という理由だけではありません。皆さとりちゃんのことが大好きなのです。だって、してほしいことをしてくれるから。
さとりちゃんは妖怪覚り。相手の心を読み取ることのできる、不思議な力を持っていたのです。
「皆お腹を空かせているのね……はいはい、今あげますよ」
勇儀先生から受け取った袋から、一つ一つ餌を取り出します。人参、キャベツ、バナナにお肉。鳥の餌に、忘れちゃいけないのがお水。
それぞれの定位置にある餌箱に、それぞれの動物に適した餌をひょいひょい置いていきます。
さとりちゃんが小屋から出ると、途端に餌箱に群がる動物たち。彼女はそれを見て、にっこりと優しく微笑みました。
と、そこに。
「……あら? あなた……」
トコトコと。
いつの間に逃げ出していたのやら、さとりちゃんの足下に一羽の地獄鴉がいました。
黒い羽根には光沢が宿り、光を受けて鈍い輝きを放っています。嘴も鋭く尖っていて、触れば怪我をしてしまいそうでした。
でも、心なしか、目だけは優しそうに丸くクリッとしているのです。
さとりちゃんは鴉を両手に抱え、その小さな顔を眠たげな瞳でじっと見つめます。鴉は首をくいっと傾げました。
「……ねぇ、先生。ちょっといいですか?」
「うん? なんだい?」
「この子……おくうを、私の家で飼いたいんですけど」
「…………」
おくう、とはその鴉の名前でした。
勇儀先生も覚えています。一羽だけ、さとりちゃんにやけに懐く鴉がいたことを。
さとりちゃんはその子に、「おくう」と名前を付けてあげたことを。
毎日彼女に頭を撫でられ、嬉しそうに目を細めていたことを。
「私、分かるんです。おくうの気持ちが――『ついていきたい』、って、そう、私に訴え掛けてくるんです」
「って言われてもねぇ……ここの動物たちは皆のものだからねぇ。私一人じゃあ簡単には決められないな」
そうです。そうなのです。ここにいる動物は、皆のペット。世話をしていても、さとりちゃんだけのペットではありません。
でも、それじゃあおくうの願いを叶えられない。私だっておくうと一緒にいたい。どうすればいいんだろう。
うーん、とさとりちゃんは俯いて、唸り始めてしまいました。
「……でも、そうだね。さとり、お前、これから卒園するまでずーっと動物係やる気はあるかい?」
「は……はい! 勿論です! 毎年立候補して、ちゃんと面倒を見て……皆と一緒に、遊びたいから」
「うむ。なら、こういうのはどうだろう。お前がその約束をちゃんと守れたら、この動物たちを引き取ってもいい、と」
「え……? い、いいんですか!?」
「勿論。っていうか、他の奴らに任せてたら死んじゃいそうだからさ。お前なら安心してこいつらを任せられる。そうだろう?」
さとりちゃんは、はいと力強く頷きます。
「なら結構。じゃあ、それまでは大切に育てて行かないとな。うん。……そろそろ、戻ろうか?」
「――はい!」
腕に抱えたおくうを再び小屋の中へと帰して、さとりちゃんはてててっと勇儀先生のところに戻ります。
手を繋いで、建物まで。てっくてっくと歩き出し。
帰るまでの間、何度も何度もさとりちゃんは振り返り、動物たちに手を振り続けていました。
◆
「ただいまー」
「あ、お帰りー。さとりちゃんも一緒?」
「あぁ、うん。動物たちに餌やったところだよ」
二人を出迎えてくれたのは、先生の一人黒谷ヤマメ先生。もうすぐ赤ちゃんが産まれるみたいで、お腹も大分大きくなっています。
「大丈夫かい? そろそろ休んだ方がいいんじゃないの」
「そう思うんだけどねー……もうちょっとだけ、頑張ろうかなって。ほら、やっぱり皆のこと気になるし」
「……ま、分からないでもないけどねぇ」
勇儀先生は苦笑します。ヤマメ先生は人気者。子供たちにも優しいと、親の間でも評判なのです。
何しろあのグリーンアイドモンスターペアレント、水橋さんですらヤマメ先生のことは認めているそうなのですから。
でも、そんな皆の期待があってか、ヤマメ先生はなかなか仕事を休めません。
本人も頑張ってしまうタイプなので、余計に拍車がかかってしまうのでした。
「赤ん坊にも差支えるだろうし、程々にしときなよ……おっと。さとりのことを忘れていたっけ。先に部屋戻ってていいよ」
「……あ、はい。分かりました」
さとりちゃんは頷き、トテトテと廊下を走っていきます。先生の「廊下は走っちゃだめだよー!」という声で、減速しつつも。
そうして部屋に戻ると、さとりちゃんは部屋の中で一人で積み木遊びをしているこいしちゃんを見つけました。
「こいし、ただいま!」
「あ、お姉ちゃん。お帰りなさい。……どうしたの? なんかすっごく嬉しそうだけど」
「えへへー」
嬉しい。嬉しいのです。そりゃあ嬉しいに決まっています。だって、大好きな動物たちが皆家に来てくれるのですから。
ずっと先のことだけど、先生と約束したのですから。絶対に来てくれるに決まっているのです。
でも、とそこでさとりちゃんは考えました。そうだ、皆をびっくりさせてやろうと。
卒園式の日まで、その約束は誰にも言わないで、黙ってペットを引き連れて皆を驚かせてやろうと。そう思ったのです。
だから、こいしちゃんにも本当のことは言えませんでした。
「秘密ー」
「えー? また秘密なのー? お姉ちゃん本当意地悪だね」
「今は、まだ、秘密。また、教えられる時がきたら教えるから。だから今は我慢して? ね?」
「むー……じゃあ、今日はお姉ちゃん、私といっぱい遊んでくれる?」
「ええ、勿論。いっぱいいっぱい遊んであげるわ」
「やった! お姉ちゃん大好き!」
こいしちゃんは飛び跳ねて、さとりちゃんに抱きつきます。
勢いが良過ぎて二人とも倒れてしまいましたが、それもなんだか面白い。二人で笑い出してしまいました。
と、そこでパンパンと。
両手を叩く、大きな音。
起き上がって見てみれば、勇儀先生がそこにいました。
「さぁ、皆集まれ! おゆうぎの時間だよ!」
◆
お歌にダンス、ゲームにお稽古。楽しい時間が過ぎて行きます。
今日は今度の学芸会でやる劇が決まりました。演目は「シンデレラ」。お友達のナズーリンちゃんがシンデレラ役だそうです。
いつもの彼女はボーイッシュだけど、本当は心優しい女の子。どぎまぎしながらも、まんざらではなさそうに見えました。
「いいなぁ……私もシンデレラ、やってみたかったなぁ」
「そうね……木なんてやったって、あんまり楽しくないかも」
「お姉ちゃんはまだいいじゃない。私なんて石よ石。丸まってそこにじっとしてるの。やんなっちゃう」
ぷくーっと、こいしちゃんは頬を膨らませます。決められた理由はただのダジャレ。そりゃあ、怒りたくもなるってものです。
なら、とさとりちゃんは続けます。
「見せて貰おうじゃない。貴女がシンデレラに相応しい淑女であるかどうか……今ここで!」
「なに? す……すくじょ?」
「淑女!」
ナズーリンちゃんを呼んで、ひとまず実践。
さとりちゃんが、ナズーリンちゃんを拘束しています。
「きゃー。たーすーけーてー」
「フハハハハ。お前は私のマジタレとなるのだ!」
「たーすけてー」
「待ていっ!」
「!?」
「!?」
「天が呼ぶ地が呼ぶ人が呼ぶ、悪を倒せと俺を呼ぶ! 忍者戦隊覚恋ジャー、ここに見参!」
「忍者戦隊……」
「覚恋ジャー……って一人しかいないじゃないか」
「ニンジャインビジブル! こいし!」
「人の話は聞こうよ」
ハンカチを頭に被って、決めポーズを取るこいしちゃん。背中には段ボールで作った模造刀が下げてあります。
かわいいですね。
「さぁ、お姫様を返しなさい!」
「ふっ……良かろう、掛かってきなさい!」
「うおおおぉぉぉぉぉぉ!!」
「いやいやいやいや。ちょっと待ちたまえよ君たち」
折角興が乗ってきたところなのに、ナズーリンちゃんが間に割って入ります。
姉妹はムッとした顔になって、ナズーリンちゃんをキッと睨みつけました。
「なんで私が睨まれているんだ……ってそれより。
こいし嬢はシンデレラになりたかったんじゃないのかい? どうしてヒーローなんかやっているんだ?」
「えっ……だってヒーローの方が格好良いし……」
こくりこくり。さとりちゃんも頷きます。
そうです。ヒーローは格好良いのです。誰だって、あの○○戦隊のリーダーを演じてみたことはあるはずです。
レッドという言葉の響き。それは世の子供の心を、ぐわっと鷲掴みにしてきました。そのくらい、ヒーローは魅力的なのです。
「いや、分からないでもないけどさ……え、だってそういう話じゃなかったっけ?」
「そういう話だっけ?」
「そういう話でしたよ」
とぼけた様子で、こいしちゃんは聞き返します。それに応じるように、さとりちゃんは深く頷いて肯定しました。
そんな二人のやり取りを見て、ナズーリンちゃんは深く溜め息を吐きます。
「はぁ……君たちの相手をしていると本当疲れるね。悪いけど、今日は私は別の友達と遊ぶことにするよ」
「あっ、待って!」
さとりちゃんが呼び止めるのも聞かずに、ナズーリンちゃんはひょいっと腕の中からすり抜けてどこかへ行ってしまいました。
呆然と立ち尽くす二人。無言のまましばらくの間、何もしない時間が流れます。
やがて、どちらからともなく向かい合って、
「……さぁこいニンジャインビジブル! 実は私は一回刺されただけで死ぬぞぉぉぉ!」
「うおおぉぉぉぉ!!」
また、ヒーローごっこを始めるのでした。
◆
お次は二人で一緒にかくれんぼ。あの手この手を使って隠れて、あの手この手を使って見つける。
攻めて守って守って攻めて、一進一退のその刹那。先に油断した方が負けという、とても過酷な戦いなのです。
じゃんけんの結果、鬼はさとりちゃん。二回目からは毎回交代しますが、今日はまずさとりちゃんが先に探す役になりました。
「それじゃあ、100数えるからね! ちゃんと隠れてよ!」
「はいはーい。分かってますよー。ほら、早く早く! 休み時間終わっちゃうよ!」
「全くもう……それじゃあ、スタート! いち、にい……」
園内の中心にある大きな地獄樫の木。幹に手をつき両目を隠して、さとりちゃんはカウントを始めました。
10秒、20秒。時間は淡々と確実に過ぎていきます。
けれども隠れるはずのこいしちゃんは、口元に不敵な笑みを浮かべたままそこに立っているだけでした。
さとりちゃんは目をつぶっているので、勿論そんなことは分かりません。
けれどもこのままでいれば、すぐに見つかることは間違いない。こいしちゃんは、一体どうしてしまったのでしょうか。
くすり。小さく、こいしちゃんは笑いました。
「――ひゃく! さぁこいし、すぐに見つけるわよ――!」
勢いよく、さとりちゃんは振り返ります。
そこには誰もいません。当たり前のことです。だって、こいしちゃんは隠れているのですから。
でも、どうしてでしょうか。さとりちゃんには、誰かのいる気配を感じられたのです。
「……気のせい、かな?」
首を傾げて、こめかりの辺りをぽりぽりと掻くさとりちゃん。どうにも変な感じがするのですが、よく分からないのだから仕方がない。
いざ行かん、と一歩踏み出したその時でした。
ざ、と。
真後ろから、少し遅れて砂を蹴る音が聞こえたのです。
「…………」
「…………」
はぁ、はぁ。やけに荒い呼吸音。
間違いない、とさとりちゃんは確信しました。そう、自分の背後に妹がいるのだ、と。
多分、後ろにいれば見つからないと思っているのでしょう。くすくすと漏れる笑い声と、興奮した荒い鼻息が首筋に掛かります。
こいしちゃんからすればグッドアイデアだったのでしょうが、生憎とお姉ちゃんにはすぐ看破されてしまったのでした。
さて、ここで困ってしまったのがさとりちゃん。こいしちゃんの自信策、あんまり簡単に破ってしまうとがっかりすること間違いなし。
できることなら、妹を悲しませたくはない。うーん、どうしたものかなぁ。
「……さぁ、ど、こ、に、いるのかなー……」
「…………」
とりあえず、普通に探し始めることに。
手始めに木の周り。それから幹を揺らしてみて、上にいないかの確認。
園内をぐるっと見回して、うっかり隠れ損ねていないかも勿論チェックします。
けれども全然見つかりません。当然です。だって、こいしちゃんは後ろにいるのですから。
ぷくく、と堪え切れない笑いが聞こえてきます。まだ見つかっていないと思っているのでしょう。余裕を含んだ声でした。
もうそろそろいいでしょう。さとりちゃんはそう判断して、手を後ろに回し背後に立っているこいしちゃんの体をがしっと掴みました。
「!?」
「みーつけた!」
「あ、あれ!? 今日は大丈夫だと思ったのに……どうして見つかっちゃったの!?」
「ふふん。こいし、それはね、私はいつでも貴女のことを見ているからよ。だからどこにいたってすぐ見つけちゃう。絶対にね」
「そうなの!? お姉ちゃんすごーい!」
こいしちゃんは目を輝かせて、お姉ちゃんへと尊敬のまなざしを向けます。
そう、かくれんぼをしていても、さとりちゃんは必ずこいしちゃんを見つけてしまうのです。どれだけ時間がなくたって、必ず。
何故かって? 決まっているじゃありませんか。さとりちゃんは心の声が読めるのですから。
勿論、こいしちゃんの心だってお見通しなのでした。
どこに隠れているかなんて一目瞭然。どきどきしているこいしちゃんの背後からすりよって、わっと驚かせるのです。
そんなこととは露知らず、素直に感心するこいしちゃん。とっても純粋ですね。本当のことなんかとても言えません。
「まぁ、精々かくれんぼの腕を上げることね。それこそ貴女がどこに行ってしまっても、すぐに見つけてしまうのだから」
「本当に?」
「本当よ」
「じゃあ、もし私が急にいなくなっても安心ね!」
「えぇ、そうよ。いなくなっても、すぐに見つけ出してあげる。だって私は、貴女のお姉ちゃんなんですから!」
胸を大きく張って、自信満々に言うさとりちゃん。こいしちゃんはそれを見て、くすくすと笑っています。
何よいきなり笑いだして、と怒りかけたさとりちゃんですが、こいしちゃんの笑顔につられて思わず噴き出してしまいました。
二人でただただ笑うひととき。笑っていることそれ自体がおかしくて、尚更笑えてくる始末。一向に止まる気配を見せません。
結局残りの時間も笑い続けて、気付けばヤマメ先生が二人のことを呼んでいましたとさ。
◆
お昼が終わればお昼休み。皆がそれぞれ思い思いの場所へと散り、遊びに興じる時間です。
さとりちゃんとこいしちゃんの二人は、お部屋の中でトランプ遊び。今やっているのは神経衰弱でした。
「ハートのエースが出てこなー……あ、揃った」
「もう一回ね」
こいしちゃんがめくったのはハートのエース。次にめくって出てきたのも同じ図柄だったので、もう一度こいしちゃんの番なのです。
表にしたカードを手に持ち、まじまじと見つめるこいしちゃん。
どうかしたの? とさとりちゃんが尋ねると、こいしちゃんはううん、と首を横に振りました。
「なんて言うかねー……ハートのエースって、私っぽいなぁ、って思って」
「ハートのエースが……こいし?」
「そう。それで、お姉ちゃんがダイヤのクイーンなの」
「ふぅん。なら、燐は?」
「お燐は……スペードの4って感じかなぁ。4ってなんだか格好良い感じするし」
「格好良いの?」
「格好良いでしょ」
こいしのセンスはよく分からないわね、とさとりちゃんは苦笑します。
でも、それぞれに当てはめたトランプの数字と記号は、どうしてか合っているように感じられました。
あるいは、姉妹だからかもしれないけれど。
「なら……おくうは差し詰め、クラブの8ってところかしらね……」
「え? おくう? 動物小屋にいる、あの地獄鴉の?」
「え?」
しまった、とさとりちゃんは口を押さえます。
つい呟いてしまったけれど、おくうが将来家族になるということは、こいしちゃんにはまだ内緒なのです。
ぽろっと口にした言葉。それは見過ごすには、ちょっぴり大き過ぎました。
「なんでおくうなの? お姉ちゃん、そんなに鴉好きだっけ?」
「え、えぇ……そう、好きよ。私、鴉大好きなの」
「そうなの!? へー……知らなかったなぁ。ちょっと意外」
目を丸くして驚くこいしちゃん。窮地はなんとか切り抜けられたようでした。
ふぅ、とさとりちゃんは額ににじんだ汗を拭います。やれやれ、焦った焦った。変なところで勘が良いのがこの子なのよね。
次からは、あんまり余計なことを言わないようにしないと。
「ねぇ、お姉ちゃん」
「何かしら?」
「ふんぎりがついたら、本当のこと話してね。私、信じてるから」
「……!」
やっぱり、気付かれてしまっていたみたいでした。
◆
お昼休みの後は、皆でお勉強。今日はキスメ先生の英語の日です。
キスメ先生の授業は、他の先生とは一風変わったおかしな授業。毎回違う内容で、皆を楽しませてくれます。
「はい、それでは始めますね。今日の授業はー……これ!」
じゃかじゃん、とおどけながらキスメ先生が出したフリップには、「みんなでKISS ME!」という文字。
それだけでは何をやるのか全く分かりません。皆が皆、首を傾げて頭の中を「?」でいっぱいにしていました。
「Kiss Me――きす、みー。言えますか? さぁ、一緒に。さん、はい」
キスメ先生の掛け声に合わせて、皆もたどたどしく発音します。
けれど何をしようとしているのかさっぱり分からないので、語尾が小さくなるばかり。
ふむ、とキスメ先生は頷いて、
「それでは……こいしちゃん。貴女にお手伝いして貰いましょう。いいですか?」
「えっ……わ、私ですか!?」
「YES! さぁ、こちらへ来て。私に向かって、キスミーと言って下さい。そうすれば何をするのか、すぐに分かると思いますよ!」
にこやかに喋り掛けるキスメ先生。こいしちゃんはお姉ちゃんの方をちらちらと見ながら、恐る恐る前に出ました。
そうしてキスメ先生の前に立って、か細い声で一言。
「きっ……き、きすみー?」
こいしちゃんが言うと、キスメ先生はこいしちゃんの頬にちゅっと軽く口付けをしました。
「Good! 素晴らしいですね、こいしちゃん!
――さて、今のが『キス』と言います。一部の国では友人の頬にキスするのは、当たり前のコミュニケーションなんですよ。
さぁ、皆さんもやってみて下さい。お友達とでも、話したことがない人でも、皆一緒になってやりましょう!
体の触れ合いは心の触れ合い。勇気を出して話し掛けてみて下さい。きっと、新しいお友達ができるはずですよ!」
その言葉を合図に、子供たちはわっと散らばります。途端に聞こえる、「キスミー」の音。
みんな恥ずかしそうだけれど、その癖とっても楽しそう。やっぱり興味はあったみたいでした。
とてとてとて、とはにかみ笑顔を浮かべて戻ってくるこいしちゃん。ほっぺはすっかり赤りんご。耳の端まで赤く染まっていました。
「ただいま、お姉ちゃん!」
「お帰りなさい、こいし」
「えっへへー、ちゅーされちゃった」
「そうね。羨ましいですこと」
「……あれ? お姉ちゃん、もしかして怒ってる?」
「怒ってなんか。ただ」
「ただ?」
「……キスミー?」
ちゅっ。
こいしちゃんが間髪入れずに、お姉ちゃんのほっぺたに優しくちゅーします。
すると、何ということでしょうか。みるみる内に、さとりちゃんまでふじりんごに。
両手で顔を蔽い隠しても、分かるくらいにまっかっか。
「……凄く恥ずかしいのね、これ……」
「うん。でもね、一つ分かったことがあるよ」
「分かったこと?」
「される方は恥ずかしくても、する方はちょっと嬉しい感じ」
そう、臆面もなく言うものですから、尚更さとりちゃんは恥ずかしくなってしまいます。
身をくねくねとよじらせて、しゃがみ込んで転げ回る。頭からはぷすぷすと、煙のようなものまで出ているような気さえします。
そんなお姉ちゃんに、こいしちゃんは更に追撃。
「ねぇ、お姉ちゃん」
「……なに?」
「…………きす、みー?」
◆
キスメ先生の授業が終わると、みんなで集まり帰りの会。
お歌を歌い、家族の人に渡す書類を受け取り、最後に口をぽかんと開けて、先生に甘いキャンディーを一粒入れて貰います。
まるで子供の鳥が、親鳥に餌を分け与えて貰っているかのような光景。
そして口の中に広がるとろけるような甘い味に、みんな身もだえしてほっぺが落ちないよう必死に小さな手で押さえるのです。
「さ、これでおしまい! 最後の挨拶やるよ、さんはい!」
『先生さよーなら! みなさんさよーなら!』
建物の中に響く、子供たちの元気な声。夕陽の赤が広がるお庭に、別れの声が溶け合います。
姉妹は仲良く手を繋いで、一緒に外に飛び出しました。
「今日も楽しかったね、お姉ちゃん!」
「うん!」
はなまる満点にこにこ笑顔。今日も一日、頑張りました。
「今日のお夕飯は何かなー……私、ハンバーグがいいなぁ」
「あ、そのことだけどね、こいし」
「?」
「あのね、この間ね、燐と一緒にハンバーグ作ってみたの」
「えっ! そうなの!? お姉ちゃんすごい!」
「えっと、それでね……もしよかったらなんだけど……今日は、お姉ちゃんのハンバーグ食べてくれるかな?」
さとりちゃんの不安げな問いに、こいしちゃんははっきり強く頷きます。
「うん! 食べたい! うわー、すっごい楽しみ!」
「そう……よかった」
ほっとした様子で、胸を撫で下ろすさとりちゃん。
一緒に並んで歩く先には、猫耳三つ編み少女の影。
それに気付いた二人は、同時にだっと駆け出しました。
「ただいま、燐!」
「ただいま、お燐!」
「お帰りなさい、さとり様、こいし様。さぁ、一緒に帰りましょう」
元気いっぱい、姉妹の一日。
二人の日常は、楽しいことが詰まっていて。
きっと、明日はもっと楽しくなるのでしょう。
また、明日。ばいばい、さとりちゃん、こいしちゃん。
おしまい。
個人的には最後までほのぼののハッピーエンドであって欲しかったが、それでも可愛いお話でした。この二人がいつか幸せになることを願います。
俺もキスメ先生になりたい……
無意識にCtrl+Aをした自分が怖い
あとがき切ねえな。
最後の一行で、本文が決定的に過去の話なんだなと思い知らされました。
さとりが作ったハンバーグは食べてもらえたのでしょうか。
(´;ω;)ブワッ
おくうのネタが何らかの伏線になってたらもっとよかったかも
誰もツッ込んでないが勇儀先生とお遊戯とかナズデレラとかwww
やべぇ園児服ナズちゃんとかいたらマジ誘拐しそう。紳士的なロリコンの皆。また肩身狭くしちゃってごめん。
でも皆可愛いなぁ
最初はかわいいこめいじだってほくほくしながら読んでたのに…
最後の最後でしんみりしちゃいました。うう。
良作ありがとうございます。
>今ではもう遠くなってしまった、ちょっぴり昔のお話。
なんだよな?そうなんだよな!?
今はもう二人で楽しくハンバーグ食べれてるんだよな!?
ちなみにわっしは『はなまる幼稚園』、全巻持っておりますよ。アニメの方は見たこと無いんですけどね。