Coolier - 新生・東方創想話

むいしきこねこ

2010/03/03 23:57:45
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 ――古明地こいしは、猫だった。


 正確に言うならば、だった、というのは間違いで、現在進行形でこいしは、猫だ。それもまだ生まれて一年足らずの大きさ。旧地獄にはたくさんの猫が居るから、こいしは嫌でも猫についての知識を蓄えざるを得なかった。だからこいしは黒猫で、一年も生きていない子猫で、尻尾はまだ一本しかないただの猫……。それだけのことは瞬時に把握することができた。出来た上で考える。不条理だ。

 あぁ私は無意識の内に猫になっちゃったのね、とそれでもどうにかこいしは納得し、大きく身体を反らして声を漏らした。にゃあ、という間抜けな声だった。
 まるで猫だわ、と内心笑いながらこいしは自宅の中を歩く。旧地獄の中では一番大きな屋敷――地霊殿は、こいしと姉であるさとりが住むのには大きすぎるそれだった。そういう理由もあってか、今ではさとりのペットである多くの動物たちが暮らしているのだけれど。

 廊下を堂々と歩いても、ペットたちは気づかなかった。一部さとりからもらったこいしのペットも歩いていたけれど当然気づくことはない。
 無意識というものは、そういうものなのだ。
 猫になっても変わらないんだね、と欠伸をして廊下に寝そべる。冷たい床が気持ちよかった。でも、ここは灼熱地獄に近いはずだ。普段はもっと熱いような気がするのだけれど……、寝そべったことはないから、その違いだろうか。何事もやってみるに限る。

 こいしは無意識を操ることができるのよ……、そうはっきりと言ったのは他でもない姉のさとりで、実は能力の持ち主であるこいしよりもそれに詳しい。漠然としたものしか感じていないのに力を無意識に力を使っているのだから、自分でよく分からないのは当然といえば当然なのだけれど。

 にゃあ、ともう一度鳴いた。
 暇だったのだ、いつも通りに。
 妖怪というのは、基本的にすることがない。人間でも襲いに行ければそれはそれで面白いのかも知れないけれど、無闇に襲うのは禁止されているらしいし、そもそも地上に行かなくては人間がいないというのが大きな課題だ。人間を最後に見たのはもう何年前のことだろうか?

 けれど、そう……最近、さとりのペットである鴉が不穏な空気を漂わせていることは知っている。近々何かが起きるのは、間違いじゃないだろう。さとりはまだ気づいていないようだけれど。
 そういえば、と。覚妖怪である象徴ともいえる第三の目が自分についていないということにこいしはここでようやく気づいた。
 正直に言えば、今のこいしには必要のないものだ。けれど、もしもお姉ちゃんが猫になったら……と思うと、思わず笑いがこみ上げてきた。さとりからアレを取ってしまえば、後には何も残らない。心は読めないし、もともと力は強くないし……人間にだって負けてしまうかも知れないのだ。

 でも、それは結局矛盾だった。
 私は無意識に猫になっちゃったんだから、お姉ちゃんが無意識で何か出来るなんて考えられないわ。
 にゃう……と首を振りながらよたよたと歩き出す。猫の姿でも、大して不便はなかった。強いて言うなら言葉が通じないことなのだろうけれど、今現在、話さなければならないような相手には出逢っていない。

 廊下はいつもよりも狭かった。それに見た目も随分と違う。ステンドグラスの埋め込まれた綺麗なタイルはそこにはなく、ただ天井の白い光を反射するだけの粗末なものになっていた。
 ……白い光?
 その単語も、どこかがおかしい。地霊殿にこんな真っ白な光はない。見上げれば、やたらと細長い光源が天井には埋め込まれていて、そこから不健康そうな光を放ち続けている。
 こんな場所は知らない。今も分からない。
 いつの間にか地霊殿を出てしまったのだろうか。無意識に、どこかへと行ってしまったのだろうか。
 無意識を操るっていう言葉自体に、矛盾があるように思えてきたわ。
 こいしは口元をつり上げて笑った。まるでチェシャ猫のように。このまま笑顔だけ残して消えられたならそれはとても愉快なのだろうけれど、さすがに無意識でもそれは出来そうな気がしなかった。
 廊下には、動物はこいししかいないようだった。後は人間――まぁ人間も動物だけれど――だけだ。いつか見た人間とは全く違う服装で、この廊下を行き来している。先ほどまで居たはずのさとりのペットの姿はもう見えない。けれど他からのこいしに対する認識はやはり0であるそうで、子猫に気を留めるものは誰もいなかった。
 このおかしな廊下には、どうやらたくさんの部屋が繋がっているようだった。窓は高い場所にあってその部屋の中を見ることは出来ないけれど、中では誰かがずっと独り言を呟いている。大きな声で誰かに説明しているようだけれど、返事をする者がいない。
 こいしは段々と退屈になってきた。
 ふにゃあ、と都合数度めの欠伸をして、床に寝そべった。冷たくも何ともなかった。やはり、場所は違うのだ。

 ――無意識というのは……。

 ……にゃ?
 急にはっきりと耳に届いた呟きが、こいしを起き上がらせた。既に聞き飽きた単語が耳にまとわりつく。寝ようと思っていたけれど、急に目が覚めてしまった。
 扉を開けることは、出来そうだ。中に入って聞いてみようかと思った。
 どうせ、誰も聞いてくれない独り言だ……、と話し続ける男性の声に同情して、こいしはそっと扉を横にスライドした。一応は旧地獄の猫、子猫でも扉程度は簡単に開けられる。
 人がいた。
 たくさん、椅子に座っていた。
 一人だけ椅子に座っていない男性が、先ほどと同じ声で話す。

 ――メリー君、分かるね?
 ――……もうメリーで良いです。
 メリーと呼ばれた金髪の少女が立ち上がった。
 ――つまり、それが超自我……スーパーエゴです。超自我は……。

 そんなスペルもあったわね、とこいしはその会話に興味が湧いてきた。メリーと呼ばれた少女以外は無表情で椅子に座ったまま俯いている。怒られているわけじゃないのに……心でもなくしてしまったのだろうか?
 こいしはそっと中へと身体を滑り込ませ、入ってきたときと同じようにして扉を閉めた。

 ――そう。この、エスとエゴとスーパーエゴ。これらが精神分析学上の概念で、まぁいわば根本というわけだ。君たちも分かっている通りだろうがね。だから全員がフロイトもユングも大抵理解しているとして話は進める……メリー君、座って良いよ。

 座っている方の全員が小さく頷いた。少しでも知識があることを教えたかったのだろうか。金髪の少女は自分の呼び名について首を捻っているように見えた。
 こいしにはもちろん意味不明だった。確かに自分のスペルカードだけれど、あれらはすべてさとりが手ほどきしてくれたものだ。名前と弾幕の内容も彼女が決めたし、使っているこいし自身としては、何だか気持ちが良かったり悲しくなったりする程度の違いしかない。
 ……にゃっ。
 鳴いた。
 誰もこいしに気づかない。

 ――予習はしなくて良いと言ったとおり、これからは私の授業だけを聞いていればいい。私は教えるために此処に立っているのだからね。理解したかったらおとなしく聞き、それでも分からなかったら自分で調べなさい。
 ――教授に聞いてはいけないのですか?
 疑問に思ったのか、座っている内の一人が顔を上げて訊ねた。というより、いつの間にか全員顔を上げていた。きっと大切な話をしているのだろう。
 ――私は教える人だからね。聞かれた質問に答える人間じゃない。さすがにそれでは不憫だから、講義中の質問については答えるけれど。

 こいしは目の前にある机の上に飛び乗った。紙やらよくわからないものやらがいろいろと置かれている。一人一人の目の前にあるものはたいてい似ていた。

 ――宇佐見か?
 ふいに男性が部屋の後ろの方を見て言った。全員の視線がそちらに集中する。
 ――よく気づきましたね、先生。
 こいしと似た帽子を被った少女がそこには座っていた。どこか裏のある笑顔でそう答えて、男性を興味なさそうに眺める。

 男性は、君、そんなにこっちの学問が好きなのか? もしそうならさっさとこっちに籍を置いた方がいいんじゃないか? と呆れた声を発して蓮子と呼ばれた少女を睨みつける。

 ――私の興味は、別にありますよ。

 そう答えた彼女の瞳が僅かに……メリーを捉えたことを、こいしは見逃さなかった。
 男性は気づいたのか気づかなかったのか。
 頷いて、唸って。
 仕切り直すように、こう言った。

 ――それじゃあ、相対性精神学を始めようか。





 古明地こいしは、眠かった。
 正確に言うならば、眠いというのは正しいのだけれど、それよりも退屈だ、の方が的を射た表現だ。
 こいしがその部屋でようやく分かったことは、男性が何かを大勢に教えているということ、こいし自身の能力に何かしら関係する学問であること、宇佐見という少女が非常に退屈そうにしているということ……。
 それだけだった。
 結局此処はどこなのか分からないままだし、もとを辿れば急に猫になってしまうなんておかしい。不条理すぎる。無意識なら何でも許される訳じゃない。
 退屈そうね、と宇佐見の目の前にある、何も乗っていない机の上に飛び乗る。こいしはそこで男性の話を聞こうとしたのだけれど、これはどうも……。
 ……にゃぁ……?
 非常に、退屈だったのだ。
 退屈で、そして眠くなる。
 結局、古明地こいしは眠いだけだった。
 日差しの差し込む暖かい机の上で、こいしの瞼はゆっくりと閉じられた。








    ***



「こいし?」
「んん……どうしたの、お姉ちゃん」
 私は目を擦った。目の前では私を心配そうに見つめる姉の顔がある。
「どうしたの、はこちらの台詞ですよ」さとりはゆるゆると首を振る。「白昼夢でも見ていたのですか?」
「ううん……、無意識よ」
「それが、夢です」
「そうなの?」
「そうなんです」
 さとりは珍しく微笑んだ。余りに珍妙な笑顔だったから、私は思わず目を大きく見開いてしまう。すると心を読みでもしたのか、さとりは少しだけ顔をしかめた。
「じゃあ、私は夢でも見ていたのかしら」
「どんな夢でした?」
「ううんとね……そうだ、お姉ちゃん、訊きたいことがあったの」
「何ですか?」さとりはかくんと首を傾げた。

「無意識って、なあに?」










     ***





「猫がいるわ」
 宇佐見蓮子は自分の前の机を眺めながら呟いた。子猫は我が物顔で机の上を占領している。
 全員が振り返り、そして沈黙。重々しくなった空気の中、マエリベリー・ハーンだけが平然と蓮子に話しかけた。
「あらホント。猫がいるわね」





約二ヶ月振りです、ぜろしきです。突っ込んだら負けだと思っているぜろしきです。

これで良いですか○○さん、と責任転嫁してみるてすと。
だから早くここから出して下さいよ刑事さん。牛丼はもうお腹一杯食べましたって。



……あ、読んで下さってありがとうございました。
ぜろしき
[email protected]
http://ergoregion.web.fc2.com/
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コメント



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5.90名前が無い程度の能力削除
緩やかに流れる時間。急速に引き戻されていく感覚。生きた声が聞こえてきます。
まどろみの中でふわりふわりと。足場のない世界の中で、断片的に耳に入る単語。
こいしと無意識、そして自我、エス、超自我。上手に結びついていると感じました。
ありがとうございます。
7.80名前が無い程度の能力削除
いろんなもん突破しちゃってるな。無意識ってすげー。
で、無意識ってなに?
14.80名前が無い程度の能力削除
意識して我慢してないと、無意識のうちに猫画像を集めてしまいそう
なぜ私の前の机には猫が居ないのか、それが問題だ
16.100名前が無い程度の能力削除
こいし視点の薄ぼんやりとした描写もさることながら、
蓮子とメリーと男と背景の人々の書かれ方もうまいと思った。
教室の様子や授業の描写、蓮子の視線の動きまで脳裏にすごくリアルに湧きあがった。
およそ東方っぽくない、だがそれがいい。

ぜろしきさんおかえりなさい!