朝起きると無性に体がだるく、どうにも起き上がりたくない。
皆様にはそんなご経験はあるだろうか。
しかしこういったものは大抵は気持ちの問題であったりするもので、起きてみれば意外と大したことがなかったりするものだ。
では、そうでない場合は?
それは勿論――、
「うーん、これは風邪をひいたみたいね」
――本当に体調が悪い場合である。
「まったく、遅くまで出掛けているからよ?」
そう言いながら永琳が測り終わった体温計を仕舞う。
「だって、妹紅の奴が……」
布団の中、ぐったりとした様子で輝夜が呟くが、
「だって、じゃありません」
ぴしゃりと永琳が言った。
「とりあえず、今日一日はゆっくりと休むことね。面倒は鈴仙に任せますから、何でも言いつけてください」
「何でも……ねぇ?」
そんな輝夜の呟きを聞いて、傍に控えていた鈴仙の耳がビクリと震える。
「あ、あのっ、出来ればお手柔らかに……」
「ふふっ、冗談よ……こほっ…こほっ」
「だ、大丈夫ですかっ!?」
慌てて鈴仙が輝夜に駆け寄る。
「……平気よ。ちょっと咳をしたくらいで慌てないの」
「す、すいません。つい……。でもアレですね――」
意外そうな表情で鈴仙が続ける。
「やっぱり、不老不死でも風邪をひいたりするんですね」
不老不死とは読んで字の如く、不老と不死を約束するものであって、決して生涯の健康を保障するものではないのである。
「そりゃ風邪くらいひくわよ……」
そう輝夜は渋面を作って呟いた。
◇◇◇
風邪をひいてしまった。
とはいっても実際の所はそれ程ひどい状態でもない。熱だってちょっと平熱よりも高いくらいだ。
だというのに、一日中寝ていろとはちょっと過保護すぎるようにも思う。普通ならそのまま働きに行ってもおかしくはないであろう。
しかし、私の場合はこれといった仕事もないし、無理をして起き上がるような理由も無い。
それに、心配してくれるのは素直に嬉しいとも思う。
けど――、
「退屈、なのよねぇ……」
窓の外では雪がただ静かに振り続いている。
普段は兎達の騒がしい声が途絶えないものだが、今日に限っては何故か物音一つ聞こえはしない。
これも、私が静かに休めるようにという永琳達の気遣いなのだろう。
だが皮肉なことに、その静寂がより一層にこの退屈さに拍車をかけている。
しかも、暇つぶしをしようにも起き上がることは禁止されているので、本を読むことすらも出来ない。
鈴仙を呼びつけるのも一つの手だが、彼女には私と違って仕事もあるし、一日中ずっと相手をさせるというのは流石に抵抗がある。
私に出来ることといえば、上を向いて天井の木目を数えるか、左を向いて四角に切り取られた雪景色を眺めるか、せいぜいそれくらいだ。
「本当に暇だわ……」
いくらぼやいても状況が改善されるはずも無く、ただただゆっくりと時間だけが流れて行く。
しかし、このままで良いのだろうか。
古来より、時間をもてあました上流貴族達は暇を潰すため、数多の遊びを生み出してきた。
私だって、元は月のお姫様だ。立派な上流貴族である。
その上、私はかれこれ千年以上もお姫様をやっているのだ。しかも、その殆どの時間をこの限定された空間の中で過ごしてきた。
もうこれは、暇つぶしにかけては右に出るものが居ないと言っても過言ではないんじゃないだろうか?
いわば暇つぶしのプロである。
その私が、この一日を退屈なまま終わらせて良いものだろうか。
いや、いいはずが無い。
暇つぶしが無いならば――今ここで考えればいい。
「そう、これだわ……!」
私の胸に、使命感にも似た熱い情熱が灯る。
――考えてやろうじゃないか、この暇をつぶす見事な遊びを!
「――で、姫様はなにをしていらっしゃるんです?」
「見てわからないかしら?」
はあ、と鈴仙が曖昧に応える。
「私には、布団を丸かぶりしているようにしか見えませんが」
困惑した表情でそう言った。
頭から布団を被っているので、実際には表情は見えないのだけれど。
「まあ、貴方にはそうとしか見えないかもしれないわね」
一介の玉兎に、この風情ある遊びを理解しろというのは少々酷かもしれない。
「ええと……?」
依然としてわからない様子の鈴仙。
ここは一つ、飼い主としてこの遊びの意味を教えてやらなければならないだろう。
ペットの教育というのも、飼い主の大切な義務なのだ。
「鈴仙、よく聞きなさい」
なんでしょうか、と鈴仙が応える。素直で大変よろしい。
「これはね――遭難ごっこよ」
「遭難ごっこ――ですか」
この遊びは、ぱっと見では布団に包まっているようにしか見えないかもしれない。
しかし、これは見立てなのである。
雪山で遭難し、急遽山小屋へと避難して毛布に包まり救援を待っている。
そういう見立てだ。
自分が遭難しているつもりになって、その状況を想像して楽しむ、そういう遊びなのである。
この季節特有の冷たい空気が想像力を刺激し、布団の隙間から見える雪景色は想像に現実感を与えてくれる。
まさにこの季節にうってつけの、しかも布団から一歩も動かずに実行可能という、状況に適した素晴らしい遊びだ。
外からはただ布団に包まっているようにしか見えないかもしれないが、丸まった布団の中では命をかけた熱いドラマが展開されているというわけだ。想像は無限大である。
「な、なるほど……。それは斬新な遊びですね!」
「ええ、貴方がわかってくれたようで嬉しいわ。……それで、何か用かしら?」
「あ、そうでした。実は、私これから出掛けなくてはならないのです」
そう申し訳なさそうに鈴仙が言った。
「成程ね。大丈夫、別に構わないわ」
「すいませんっ。ちょっと薬の材料が足らなくなってしまいまして……」
しかし、そうなると食事などの準備はどうしようか。
永琳は――確か人里まで検診に出掛けているはず。
まあ、適当な兎にでも任せれば問題ないだろう。
「それでですね。代わりの者に姫様の面倒を見てもらう事にしたのです」
はて、代わりの者とは誰だろうか。
私はてっきり兎の誰かだと思っていたのだが、それなら他の兎に世話を任せましたと一言言えば済む話だ。
「代わりって?」
そう抱いた疑問を口にしながら布団からひょいっと顔を出すとそこには、
「……遭難、ごっこ……くくっ、だってっ……!」
口を押さえて必死に笑いを堪えている妹紅の姿があった。
◇◇◇
顔が熱い。
今、自分の顔を見たらきっと見事なまでに真っ赤に染まっているのではないかと思う。
というのも、別に風邪のせいで熱いわけではない。
「成程、遭難ごっこね……ぷっ、いや、別に馬鹿にしているわけじゃ……くくっ、ないんだ……あはは!」
とあの後、妹紅に散々笑われたからだ。
何という失態だろうか。
妹紅にあんな姿を見られるとは。
「いやね、これは違うのよ。これは、そう、ちょっとした見立てでね?」
と、一応の弁解を試みたが、
「うん、わかってるわかってる。見立て……くふっ……ね。ちゃんとわかって……くくっ、いるよ」
どうやら長年に渡って放浪生活をしてきた妹紅には、私の趣きある高尚な遊びは理解できないらしい。まあ、それも無理のない事だ。妹紅のような余裕の無い人間に風情を理解しろという方が無茶な注文なのである。こんちくしょう。
「遭難ごっこって……。お前、そんなことをするほど暇だったのか」
妹紅が同情の篭った目で私を見る。
「うっさいわね! それより、なんであんたがここにいるのよ?」
それとなく話題転換を試みる。
これは純粋に私が気になっていることでもあった。
「なんだ、さっきの話を聞いてなかったのか?」
「ちゃんと聞いていたわよ」
ちょっと前まで鈴仙が居た場所を見遣りながら私は応える。
ついさっき言われたばかりのことだ。それを忘れるほど私は耄碌はしていないし、聞き逃したわけでもない。
ただ、恥ずかしくて気が動転していたこともあり、つい流してしまっただけだ。
「なら、わかっているだろ?」
「それが、納得いかないのよ!」
そんな私の文句を受けても妹紅は平然とした様子だ。
その余裕の表情が憎らしい。
「なんで――なんで私があんたにお世話されなきゃいけないのよ!」
どうしてそうなったのかさっぱりわからない。
鈴仙が先程言っていた代わりの者とは、この目の前でニヤニヤと笑っている女、藤原妹紅だったのだ。
何故ずっと永遠亭にいたはずの鈴仙が、外部の、しかも寄りにもよってこいつにそんな事を頼むのか。
「ここの兎にお前が病気で倒れたと聞いてね。ちょっと見舞いに来ただけだったんだ。けど、ウドンゲに話を聞いたら世話をする奴がいないそうじゃないか。それなら私が一肌脱いでやろうと、その役を買って出たわけさ」
発言だけを聞いていると、なんともいい話である。
「それで、本当のところは?」
「今日一日、お前が弱っている様を見て嘲笑ってやろうかと」
そんなことだろうと思いました。
大体、こいつが私の見舞いに来ること自体が怪しい。余りにも不自然である。
鈴仙はもうちょっと人を疑うことを学ぶべきだと思う。
飼い主として、彼女の将来が心配である。
しかし、私もこの時にはすっかり落ち着いていて、いつもの余裕を取り戻していた。
「なるほど、それじゃあ存分に笑ってもらおうかしら」
「む……?」
怪訝そうな顔で妹紅が私を見る。
「どうしたのよ。さあ、何とでも罵るがいいわ」
「え、いや、むむっ……?」
むう、と困惑した妹紅が唸る。
「ええっと、いや、ちょっと待て」
「はいはい、いくらでもどうぞ」
妹紅が目の前でうんうんと唸っている。
どうせ深い考えがあったわけではないのだろう。
そもそも、この妹紅という女は人を馬鹿にするということに慣れていないのだ。私と殺し合いをしている時だって、私が馬鹿にすれば売り言葉に買い言葉と言い返してくるが、自分から絡んでくることは滅多にないのである。
きっと根はいい奴なんだろうと思う。
今日だって、大方そう言われて悔しがる私の姿を見たかっただけなんだろう。
「まったく、慣れない事をしようとするからそんなことになるのよ」
「ふん、じゃあお前なら出来るって言うのか」
一体何をむきになっているのか、何故か張り合ってくる。
そんなに罵り合いで勝ちたいのだろうか。恐ろしく不毛な気がするが。
「そうねぇ。私なら――」
「私なら?」
ほんのちょっと考え込んで。
「あんたのような単細胞生物でも風邪をひくなんて高度な真似が出来るのね、驚きだわ!」
そう言ってやった。
「って、くらいは言うわね」
「……なんでそんな酷い事がすぐに思いつくんだ」
「ふふ、教養の差ね」
嫌な教養もあったものである。
「それで、どうするのよ?」
「どうするって、何が?」
まるでわからないといった表情で妹紅が聞き返す。
「もう用は済んだでしょ?」
体調は思ったよりも悪くないが、流石にちょっと疲れてしまった。
ここは一つ、妹紅にはさっさとお帰り頂いてゆっくり休みたいところだ。
「いや、まだ何も済んでないけど」
「はい?」
我ながら間抜けな声をだしてしまったと思う。
しかし、それくらいに妹紅の発言は予想外だった。
「だって、さっき言っただろう? 今日は私がお前の世話をするって」
言っている意味がわからない。
だってそれは建前で。
私を馬鹿にしに来たのではなかったのか。
「ウドンゲと約束しちゃったからな」
そうだ、私は失念していた。
この妹紅という女は――、
「だから、今日だけは私が面倒見てやるよ」
――愚直なほど、相手をするのが面倒なくらいに、馬鹿正直な奴なのだ。
◇◇◇
「ほら、新しいタオルだ」
そう言って額の上に乗ったタオルを妹紅が取り替える。
濡れたタオルはひんやりとして気持ちがよかった。
「まったく、あんなにぎゃあぎゃあと騒いでいるからだぞ」
私の体調は、朝よりも悪化していた。
なんだか熱も上がっているような気がするし、意識も少しぼんやりとしている。
原因はといえば、それは妹紅の言う通りだろう。でも、騒がせた張本人が自分であるということも忘れないで欲しい。
「うっひゃいわねー……」
熱のせいか、上手く呂律が回らない。
「ああ、はいはい。無理に応えなくていいからさ。ゆっくり休んでいなよ」
そして、風邪が悪化した私はものの見事に妹紅にお世話されていた。
私としては断固として拒否したい所だったのだが、こうも体調が悪いとどうしようもない。起き上がることすらもままならず、一人では本当に何も出来ないような状態だ。
なので、致し方なくこうして妹紅にお世話されているわけだ。
生涯の宿敵に看病される私。
なんと情けない図だろう。
「そういえば、ちゃんと水分はとっているか? 随分汗もかいているし、こういう時は水分はしっかりとらないと駄目だぞ」
言われてみれば今朝永琳に診てもらってから、殆ど何も口にしていない気がする。
「……とってない」
「おいおい、駄目じゃないか。まったく……、そろそろお昼だし、ついでに用意してくるよ」
呆れたように妹紅が言った。
「え、あんた料理できるの?」
「あのなぁ、私はお前と違ってずっと一人で生活してきたんだぞ。それくらい出来るに決まっているだろ」
「む……、私だってそれくらい出来るわよ」
なんだか悔しかったので勢いに任せて言い返す。
勿論嘘である。料理なんてこれっぽっちもできはしない。
「はいはい。それじゃ、私はちょっと準備してくるから、大人しくしているんだぞ」
妹紅は見透かしたようにそう言って、部屋を出て行った。
「むー……」
何となく、胸に残る敗北感。
確かに私は料理は出来ないけれど、それは仕方のない事なのだ。
何しろ、私はお姫様なのだから。
しかし、勘違いをしないで頂きたい。
私はお姫様だから『料理をしなかった』わけではない。
お姫様だから『料理をしてはいけなかった』のだ。
私のような立場の者がそんな雑務をしていては下々の者に示しもつかないし、挙句に士気の低下を招く事だって考えられる。
だからこそ、私は料理をしてはいけなかったのだ。
姫には姫の、役割というものがある。
それは、今も昔も変わらない。
決して面倒くさいからやらないとか、そんなことは無いのである。断じてない。
それに対して妹紅は――。
――ずっと一人で生活してきたんだぞ。
――妹紅は、不老不死になってからの千三百年とちょっとの間、ずっと一人で暮らしてきたという。
私は月にいた時からお姫様だったし、地上に降りてきてからもおじいさんとおばあさんに大切に育てられた。それこそ目に入れても痛くないっていうくらいに。
そこを離れてからもずっと永琳と一緒だったし、それからはてゐ、そして鈴仙も加わり、一人で暮らしてきたことなど一度も無い。
だから、なのだろうか。
あいつがこれまでどんな風に過ごしてきたのか、どんな想いで生きてきたのか、私にはさっぱり見当も付かない。
あいつは――妹紅は、私に出会うまで、どうやってその長い時を過ごしてきたのだろうか。
初めてあいつに出会った時のことを思い返す。
あの時は、まだ名前さえも知らなかった。
確か、迷いの竹林を一人で散歩していた時の事だったと思う。
悠々と私が歩いていると突然目の前を火球が横切ったのだ。
驚いて火球の飛んできた方向を見ると、白髪の女が恐ろしくギラついた目でこちらを睨んでいた。まるで飢えた獣のような、しかし活力は感じられない澱んだ瞳。それがあいつ――藤原妹紅だった。
私はそいつを即座に敵と判断し、全力で応戦した。
結果を言えば、私の圧勝。
大した見せ場も無く、あっさりと、それこそ一瞬で勝負はついた。
私は大した感慨も無く、何故突然襲い掛かってきたのだろうとか、そんなことすらも殆ど考えずにそのまま帰路に着いた。
それがあいつとの初めての殺し合いだった。
しかし、困ったのはそれからだ。
数日後、同じように散歩していると、なんと先日殺したはずのそいつがまた同じように襲い掛かってきたのだ。
これには流石の私も驚いた。
しかしながら、相手は問答無用で襲い掛かってくる。それはもう、物凄い形相で。
仕方なく応戦し、この時もやっぱり私が圧勝した。
前回と違うのは、この後に直ぐ去らなかったという所だ。一度殺したはずの人間が、再び襲い掛かってきた原因を確かめるために。
しばらく眺めていると、驚いたことにその死んだはずの人間は、私が殺す前とまったく同じ姿に再生をしたのである。
その時になって、私は漸く理解した。
この人間は、自分と同じように蓬莱の薬を飲んだのだと。
名前を聞いたのもこの時だ。
それからというもの、妹紅と殺しあうことは私の日常となり、また楽しみでもあった。最初は私が一方的に殺すだけだったが、次第に実力は拮抗し、今では勝率も五分五分と言ったところだ。
勿論、私が能力を使わないことが前提ではあるけれど。
そんなこんなでいつの間にか三百年もの時間が経ってしまった。
そう、三百年も――いや。
『たったの三百年』、そう考えるべきだろう。
私があいつに出会ったのは、『たったの三百年』前なのだ。
それ以前のあいつを、蓬莱の薬を飲んでからの千三百年とちょっとをあいつがどう過ごしてきたのか、それを私はまったく知らない。
それも当然のことだろう、今日までろくに落ち着いて会話すらしてこなかったのだから。
初めて会った時に見たあのどす黒い瞳。
どんな生活をすれば、あんな目をするようになるのか。
蓬莱の薬を飲んだ人間がどんな扱いを受けるようになるのか、それくらいは私にだってわかる。
姿形がいつまでも変わらなければ、素性を怪しむ者もいるだろう。そうなれば、その場所で暮らしていくことは難しい。やがて出て行かざるを得なくなるだろう。
けれども――その続きは、私には想像もつかない。
同じ蓬莱の薬を飲んだ者とはいえ、私には永琳が居て、鈴仙が居て、てゐが居たのだから。
きっと、私にはこれからもずっとわからないままなのだろう。
永琳に助けられて、ぬくぬくと暮らしてきた私には。
それでも――それでも、今それを知りたいと思うのは傲慢な事なのだろうか。
そんな事を考えている自分にふと気が付いて、思わず笑ってしまう。
今更何を言うのだろう。
それが一体どんな事態を招くかも碌に考えず、不老不死の薬なんて代物を置いていったくせに。
それが元で争いが起こることなどそれまでの歴史を見れば明らかだし、仮に誰かがその薬を飲んだとしても、辛い人生――少なくともそれまでとは異質の――が待っていることはわかりきったことなのに。
なのに何故、私はあんなことをしたのだろうか。
別に争いを引き起こしたかったわけでも、ましてや誰かを不幸にしたかったわけでもない。
……ああ、そうか。
もしかしたら私は――同じ境遇の人間が、私と同じように永遠の時を生きる仲間が欲しかったのかもしれない。
従者や部下ではなく、私と同じ目線で語ってくれる。そんな仲間を。
今更、本当に今更、私はそんなことを思う。
「……おい、何をぼうっとしているんだ?」
呼びかける声につられて上を見上げてみると、妹紅がお盆を持って枕元に立ち、覗き込むように私の顔を見ていた。
「……いつからいたのよ」
そういえば、こうして妹紅と落ち着いて話すのはいつ振りだろう。
滅多にあることではないのは間違いないが、たまにはこういうのも悪くないか――なんて思う。
「ついさっきからだよ。呼んでも返事が無いから寝ているのかと思ったわ」
そう言って、手に持ったお盆を置いて座り込む。
「もう出来たの?」
「ああ、簡単なものだしな」
いつの間にか随分と時間が経っていたらしい。
どうやら時間感覚も大分狂っているようだ。
「ほら、とりあえず水を持ってきたから、まずはこれを飲むといいよ」
「……ん」
起き上がってコップを受け取ると、そのまま水を喉に流し込む。
ただの水なのに物凄く美味い。
体中が潤っていくような錯覚を覚える。気付いていなかっただけで体の方は相当に水分を欲していたようだ。
「よし、それじゃあ次はこいつだ」
私が水を飲み干したのを確認すると、妹紅はお盆の上に乗っている器の蓋を取った。
もわっと白い湯気が立つ。
中はシンプルな白粥だ。
「なんか質素ねぇ。まあ、定番ではあるけれど」
「お前、人に作って貰っておいて真っ先に言うことがそれか! 他に何か言うことがあるだろ?」
そう言って私をじっと睨む。
「む……」
「まったく、月のお姫様っていうのは、礼儀も知らないのかな」
妹紅はこちらを見てニヤニヤと笑っている。
成程、私を嘲笑ってやるというのはまったくの嘘というわけでもなかったようだ。
確かに普段の私なら、こんなことを言われては平静ではいられない。間違いなく怒髪天をつく勢いで怒り出すだろう。
だがしかし。
「……ありがとう」
思いの外にすんなりと、私はお礼の言葉を口にすることが出来た。
いつもなら、いつもの私なら間違ってもこんなことは言わないかもしれない。
けれども今日は――なんとなく、そう言ってやりたくて。
「……へ?」
妹紅が唖然とした表情でこちらを見る。
「今、なんて……?」
「あ、ありがとうって言ったのよっ! 何度も言わせないで頂戴!」
しかし、なんだかやっぱり気恥ずかしい。
ああ慣れない事はするもんじゃないなぁと思う。
「ふ、ふーん? ほぉー……?」
そんな風に呟きながら、妹紅がこちらをじろじろと、ニヤつきながら見る。
「な、なによっ」
「いや、珍しいこともあったものだと思ってね。いやはや、わざわざこうして永遠亭まで来た甲斐があったよ」
何と言う言い草だろう。それではまるで、私がいつも礼を言わない無作法者のようではないか。……まあ、妹紅に対して限って言えばその通りなのだけれど。
「そういえば、薬とかは貰っているのか?」
「えぇ、そこらへんに置いてないかしら?」
妹紅が辺りを見渡す。
「ああ、これか」
そう言って白い紙袋を摘み上げる。
「食後に飲むように永琳が言っていたわ」
「なるほどね。それじゃあまずはこっちからか」
薬を置いて、お粥を持ち上げる。
そして蓮華で真っ白なお粥を掬うとそのまま私の口へ――。
「って、な、なにやってるのよ!?」
妹紅の突然の行動に驚き、思わず声を上げる。
「え? いや、普通に食べさせようと思っただけなんだけど」
きょとんとした表情で妹紅が言う。
本当に他意は無いようだ。
「普通って、あんたねぇ……」
「いいから、さっさと食べろって。ほら、あーん」
そうして差し出される蓮華。
「むぅ……」
食欲をそそるお米の香りが鼻をくすぐる。
今日はまだ殆ど何も口にしていなかったし、病の時こそしっかりと食べて栄養をつけなくてはならない。
そんな言い訳を思い浮かべながら、私は欲求にしたがって蓮華にパクリと食いついた。
「味の方はどうだ?」
もぐもぐとゆっくり咀嚼する。
「不味かったか?」
「……お」
「お?」
「……美味しかったわよ!」
久方ぶりに食べたご飯は本当に美味しくて。
気の利いた皮肉の一つも思いつかなかった。
「ははっ、そいつは良かった」
そう言って、再び蓮華を私の前に差し出す。
結局、私は少しも残す事無くお粥を平らげてしまった。
その間、妙に顔が熱い気がしたけれど、きっとそれは風邪のせいだと思いたい。
そうして食事を終えて薬を飲み終わると、
「さて、それじゃあ私はそろそろ帰ろうかな」
妹紅が唐突にそう言った。
「え、なんで?」
出し抜けに言われた言葉に動揺し、声が少し裏返る。
「そろそろウドンゲも帰ってくる頃合だろ。それに体調も大分回復しているようだし、もう面倒見るようなこともなさそうだしな」
それは考えてみれば当然のことだ。
妹紅は鈴仙の代わりに私の面倒を看ていただけなのだから、その必要が無くなれば帰るのは自然な流れだ。
元々私達はお互いを殺し合う宿敵同士、そもそもこんな風に一緒にいることの方がおかしいのだ。
そんな当り前のことを、私はすっかり忘れていた。
なんでだろう。
無意識のうちに、少なくとも今日のうちは妹紅が一緒にいてくれると勝手に思い込んでいたのかもしれない。
そんなの、ただあいつが適当に言っただけのことで、口約束ですらないのに。
あいつの言葉を勝手に解釈して、勝手に信じ込んでいた。
そうあって欲しいと――私は思っていたのだ。
「ま、ゆっくり休んでさっさと風邪を治すことだ。でないと、私も心置きなく殺せないからな」
それじゃあな、そう言って妹紅が立ち上がる。
「ちょっと待ちなさい」
そう言って、私は妹紅を呼び止めた。
だって、こんな機会は殆どなくて、
「……なんだ?」
「私はね、退屈だったのよ」
まだ話したいことがあって、
「はぁ?」
「そりゃもうね。退屈の余り一人で遭難ごっことかわけの判らないことを始める位に暇だったの」
まだ聞きたいことがあって、
「だからどうしたんだ?」
「だから――だから、あんた私の相手をしなさい」
まだ知りたいことが沢山あるのだ。
「なんで私がそんなことをしなきゃならないんだ……」
「いいじゃない。それとも何、今日は私が面倒見てやるとか偉そうな事を言っておいて、途中で放り投げる気?」
精一杯に余裕の表情を作って私は言った。
「いや、そうはいったけどさ。別にもう面倒みるようなこともないだろ?」
戸惑いを隠しきれずに妹紅が言った。
もしかしたら、何を企んでいるんだこいつ、とか思っているのかもしれない。でも、そんなことは知ったことではない。
「だから言っているじゃないの、私の相手をしろって。病人の相手をするのもお世話の一環でしょう?」
我ながら無茶な理屈だと思う。
けど、今はそれでも構わない。
「そんな無茶苦茶な……。それに――」
「それに、なによ?」
無理やりに余裕の笑みを浮かべながら私は尋ねる。
「……それに、私はアレだぞ。遊びとか苦手だし、なんていうか……その、多分一緒にいても……詰まらない、って言うか……」
そう途切れ途切れに、照れたように頬を染めながら妹紅が言った。
そんな見当外れの心配が何だか可笑しくて、つい笑ってしまう。
「大丈夫よ。あんたに大きな期待なんてしてないから」
「……お前なぁ」
呆れたように妹紅が呟いた。
「ただちょっと、お話してくれればいいわ」
そう、ちょっとだけ。
「話って、何を?」
顔に疑問符を浮かべて妹紅が問う。
「そうね、ちょっと昔の話をね――」
◇◇◇
さて、その数時間後。話し疲れて同じ布団で眠っている二人が鈴仙によって発見された。
後日、誰にうつされたのか妹紅が風邪をひいてしまったそうだが、それはまた別のお話である。
妹紅は一人だった。これからは一人じゃない。それでいいじゃない。
とりあえず風邪引いたときの卵とじうどんの美味さは異常。
続編読んでまいります
普段殺し合いしかしていない二人の、めったに見れないこういうシーン、好物ですわ。
さあ、次行ってみようか。
>蓬莱の薬を飲んでからの千三百年とちょっと
…あれ?
辛いならリザレクションでリセットだ!
迷うことなく別のお話行ってきます
そりゃ永琳がずっと仕えるけど、それは永琳が人を止めたというか、
もうジャーム化しているというか、輝夜とのロイスがエグゾースト化しているからであって、
本当の対等の友として過ごしていけるのは妹紅しかいないんじゃないかな、と。
よいかぐもこでした。
チクショウッ、これは罠だ!この作品は俺をホイホイする気なんだ!(ソンバナカナ