※原作と、一部設定が異なります。
東風谷早苗は今、幻想郷に来て最大の戸惑いを覚えていた。
幻想郷という土地は、博麗の巫女という非常識の泰斗がいる。その巫女の守護者で大結界の主たる八雲紫――その非常識のツートップと対峙した時でさえ、ここまでの戸惑いを覚えなかった。
「(あぁ……幻想郷に来てから、私の知る常識は、ことごとく崩れました)」
早苗は思わず遠い目をし、長くは無い幻想郷での生活で体験した、数々の非常識を回想した。人は、抗えない存在に出会った時、過去を回想して現在から目を逸らすという。
「(でも、こんなところでまで、私の常識は崩されなければいけないんですかっ!?)」
手にしたティーカップが、無意識のうちに震え、中の茶が音を立てた。
「あら、お茶がお気に召しませんでしたか?」
「ん、どうかしたのか早苗?」
給仕をしてくれた図書館の悪魔が、小首を傾げる。だが、早苗はあさっての方向を見たままで、小悪魔に何の返事もしない。
図書館の主とその使い魔、そして白黒の魔法使いは、どうしたのだろうと顔を合わせた。だが、そんな事すら、今の早苗は気づけなかった。
走馬灯を見てしまうほどの衝撃――風祝の少女が、疑う事すら考えたことの無い「常識」が今、吹き飛ばされてしまったのだった。
「(これはっ……この味は……っ!)」
ここは、幻想郷の知識の源――紅魔館内の魔法図書館。
レミリアの宝の持ち腐れであり、パチュリーの私空間であるこの図書館は、近年になって多くの客を受け入れている。
紅魔の異変以来、多くの人妖がこの図書館を訪れては、調べ物をして行く。その中には、お茶とお菓子が目当ての紅白の巫女もいれば、パチュリーも呆れるほど知識に貪欲な白黒の魔法使いもいた。そんな2人の友人を持つ風祝の少女が、外の本に触れたくて図書館を訪れるようになったのは、つい最近のことだった。
「うわー……懐かしい本ばかりですね」
「この辺りの本は、私の興味をそそらないものばかりよ。でも、読んでくれる者がいれば、本も喜ぶわ」
外の世界から流れてきた、非魔道書。中には、月刊誌や週刊誌の古いものも含まれている。幻想郷に流れ着くだけあって、それらの本にはある種の「力」が宿っている。一冊一冊の力は微弱でも、数百冊も集まれば、無視出来無い脅威だ。その力を納めるには、本を満足させる、即ち読んでやるのが良い。自分に代わって本をなだめてくれるのだから、早苗のような客は、パチュリーにとっても重宝する存在なのだ。
ウキウキと雑誌のバックナンバーを読み漁る早苗は、知の探求者であるパチュリーには、好ましい存在である。だから彼女も、レミリアや霊夢それに魔理沙のように、図書館でお茶を供されるに値する客と認定されたのだが――それが、悲劇だった。
「あのー、早苗さん? お口に合いませんか?」
小悪魔が心配そうに尋ねる。やっと我に帰った早苗は、慌てて小悪魔の不安を否定した。
「……はっ! いえいえ! とても美味しいですよ!?」
うわずった声のまま、早苗はカップの中身を一気に飲み干した。慌てていたため、その後にむせるのはお約束。
「……何をしてるのよ」
「衝撃を受けるほど、美味くも不味くも無いと思うんだがな」
パチュリーと魔理沙は呆れた顔をして、机に突っ伏してゴホゴホと咳き込む早苗を見、自分のカップを傾けた。
「ん。別に、小悪魔がお茶に何か仕掛けたわけじゃないのね」
「どーゆー意味ですか、パチュリー様」
「あなたの事だから、またお茶になにかいたずらをしたんだと思ったのよ」
カップを持った手で、まだ悶えている早苗を示す。そんな主人を見て、小悪魔は微笑んだ。
「いやですねー、まだ根に持っておられるんですか?」
「タバス紅茶にお汁紅茶、お新紅茶とかやられたら、誰だって根に持つわよ」
「あのシリーズはミジン紅茶で懲りたんで、もう封印です」
「タバス紅茶は、酷かったな。まさか、口からマスタースパークを撃つ日が来ようとは思わなかったぜ」
やっと復活して起き上がろうとしていた早苗は、ほのぼのと物騒な会話に、また突っ伏してしまった。
「な、なんてものを作るんですか、小悪魔さん……」
「あら、復活したのね」
「お騒がせしました」
どうにか顔を上げ、椅子に掛け直した早苗に、小悪魔がお茶のお替りを給仕した。
「大丈夫ですよ、この紅茶には何の仕掛けもしていませんから」
「こ、紅茶ですか……」
「? そうですよー。あ、もしかして緑茶の方が良かったですか?」
「いえ、これで」
早苗は、つい最近まで外の世界で暮らしてきた。外の世界では、二柱に合わせて緑茶もよく飲んだが、自分ひとりの時はもっぱら紅茶党だった。砂糖たっぷりのミルクティーはお気に入りで、学校にもペットボトル入りのミルクティーを持ち込んでいたものだ。
そんな早苗だからこそ、断言出来る。今供されているお茶は、紅茶なんかじゃない。
「(これは……なんのお茶だっけ?)」
色こそ、紅茶に似ているかもしれない。しかし、味が全く違う。外にいた時の習慣で、ミルクティーにしたため、いまいち何のお茶かわからなかった。
早苗は、新たに注がれたお茶には、ミルクも砂糖も入れず、ストレートで飲んでみた。芳醇な香り、サッパリとした飲み口。そう、カップを湯のみのように両手で持ち、飲んでホッとため息をつきたくなるこの味は――
「(ほうじ茶……間違いないです。これは、ほうじ茶ですよっ!)」
いくら幻想郷では外の非常識が常識になっているとはいえ、これは酷い。もしかしてパチュリーは、自分に恨みでもあるのだろうか?
そう思って2人を見るが、何ら隠し事をしている様子も無い。魔理沙にも、特に変わった様子は見られない。カップを傾け、さも普通に飲んでいる。同じポットから注がれるのをこの目で見ていたのだから、2人が飲んでいるものは、自分と同じものの筈だ。そう、今この場では、3人がほうじ茶にミルクと砂糖を入れて飲んでいるのだ。そして、それに疑問を感じているのは、自分だけらしい。
「そういえば、貴方は外の世界から来たのよね。今の外の世界では、どんなお茶が飲まれているのかしら?」
「私も興味あるな。こっちに無いようなお茶があるんじゃないか?」
何気なく発せられた質問に、早苗は顔を引き攣らせた。
「そ、そうですねー……緑茶に紅茶にコーヒーですか。烏龍茶も人気ですよ」
「幻想郷では、緑茶と紅茶だけね。うーろん茶? というのは知らないわ」
「(いや、今あなたが飲んでいるのは、紅茶なんかじゃありませんよっ!)」
ツッコミたい。大声でツッコミたい。外の世界にいた頃から憧れていた「ちゃぶ台返し」をしながら絶叫したい。そんな誘惑に、早苗は必死で耐えた。
「コーヒーなら、いっぺん香霖が煎れてくれたな。外から流れてきた茶葉を使わないお茶で、むやみやたらと苦かったぜ」
「外から? というと、幻想郷にコーヒーは無いのですか」
「幻想郷は、外の世界と隔絶されているでしょう? 色々なお茶を楽しみたいとは思っても、なかなか難しいものなのよ」
パチュリーは、カップを傾けながら説明した。曰く、幻想郷は博麗大結界によって130年ほど前に外の世界と隔離されたため、それ以前から存在していたものは幻想郷にもあるが、それ以後に登場したものは、完全に外の世界で廃れたもの以外、幻想郷にはやって来ないのだ。
「お茶にしてもそう。外の世界で盛んに飲まれているものは、なかなか幻想郷入りしないのよ」
嗜好品にもその掟が適用されるんだから、まったく残念ね。そうこぼして、パチュリーは締めくくった。空いたカップに茶を注ぎながら、性分なのか茶々も入れた。
「どーせパチュリー様は、味なんてよくわからないじゃないですか」
「小悪魔、後で妹様のところに行って、本を取り返してきなさい」
「ごめんなさいごめんなさい、調子に乗りました」
全力で謝る小悪魔を無視して、パチュリーは話し続けた。
「外の世界では、紅茶も色んな種類があるんでしょう?」
「えぇ、ダージリンにアッサム、キームンとか……他にも一杯ありますよ」
「小悪魔、このお茶の種類は?」
「今日は、ダージリンです」
「ちょっと待てコラ」
「な、なんですか早苗さん、急に」
爆弾発言に、小悪魔の襟首を掴み、早苗は揺さぶり始めた。
「これがダージリンですって!? 私は絶対認めませんよっ!」
「あがががががうわばら」
「落ち着けよ、早苗。それ以上ゆすったら、小悪魔の耳が落ちちまうぞ」
「……脱着式だったの? 私だって知らなかったわよ」
シェイクされまくって、小悪魔は完全にダウンしてしまった。
「すいません、ちょっと調子狂っちゃったんで、今日はこれで失礼します……」
「おい、大丈夫か? なんなら送ってってやるぜ」
無意識の女ったらし――そう称される笑顔で、魔理沙が気遣ってくれたが、早苗は礼を言って辞退した。断ったのは、パチュリーの目が更に細められて危険な輝きを放ちだしたからだけではなく、これ以上何かを話して混乱したくなかったからだ。
もう一度暇を告げてから、早苗はフラフラと出て行った。
守谷の二柱は、縁側に仲良く並んで、お茶をすすっていた。参拝者からの心付けか、2人の間にはまんじゅうの箱があり、残りは3つとなっていた。
一見、何でもないような素振りを見せながら、神奈子も諏訪子も緊張していた。
「(まんじゅうは、残り3つ……神奈子に1つはやるとして、2つを手にするには……)」
「(諏訪子の帽子の目が、挙動不審……きっと、残りのまんじゅうを独り占めする算段だね)」
その探りあいの沈黙を壊したのは、他ならぬ彼女たちの風祝だった。
「神奈子様っ、諏訪子さまーっ!」
早苗が取り乱しているのを見て、2人の神は驚いた。
「ど、どうしたんだい早苗!? 紅魔館で、何かされたのかい!」
「あぁぁぁ、されたわけじゃないんですけど、いや酷い事をされたともいうような……キーッ!」
大変な取り乱しようである。早苗に神奈子の注意が逸れた隙に、諏訪子は2つのまんじゅうを掠め取ろうとしたが、その手は空を掴んだ。
「聞いて下さいよ神奈子様…モグモグ…諏訪子さまっ! 紅魔館で紅茶を出されたんで…パクパク…すけどねっ! それがほうじ茶だったんですよ……ガツガツ」
「あぁぁ……」
情けない声をあげる諏訪子に構わず、早苗はひっつかんだまんじゅうを、ものすごい勢いで平らげてしまった。
「……美味しいおまんじゅうですね」
「そ、そうかい。そりゃ良かったね。……で、訳がわからないから、一から説明しておくれ」
勢いに圧倒されながらも、神奈子は説明を求めた。
「実は――」
「――というわけで、紅魔館では『紅茶』といって、ほうじ茶にミルクとお砂糖を入れて飲んでいたんですよっ!」
興奮しながら、早苗はまくし立て終えた。聞いていた神は、すっかり渋面になってしまった。
「おえぇ……」
「そりゃ、不味いんじゃないかい?」
「それが、案外不味くなかったから、余計に腹立たしいんですっ!」
なおも憤る風祝をなだめつつ、諏訪子は首をかしげた。
「んー……幻想郷では、なんでほうじ茶を紅茶なんて言うんだろうねぇ?」
同じく首をかしげていた神奈子は、手を打ち鳴らした。
「以前、天魔に聞いたんだが。博麗大結界が閉じられたのは、明治初期なんだそうだ」
「それで?」
「覚えているかい、うちの神社に紅茶とかがお目見えするようになったのは、早苗の祖父の代からだ」
「そうだったっけ……」
「それまでは名前は知られていても、普及していなかったんだよな」
「ふむ」
「だから、だ。名前だけ幻想郷にやって来て、現物が来る前に博麗大結界が閉じられてしまい、誰かがほうじ茶を『紅茶』と称したんじゃないかね」
「……詐欺だなぁ」
諏訪子が、げんなりした顔で神奈子の推理の感想を言った。
「どうだい、早苗。そういう事情があるのかも知れないよ」
「はぁ……じゃあ、これから幻想郷では、本当の紅茶を飲めないんですね……」
「かも、ね。無いものは、しょうがないじゃないか」
「ふえぇぇ……」
紅魔館で紅茶を出された時、久々に口に出来ると、大いに心弾ませたのに――早苗は、がっくりと肩を落とし、ため息をついた。
「幻想郷……まだまだ理解出来ないところです」
これからの早苗の幻想郷での生活に、幸多からんことを――。
ていうか、ぱっちぇさんは味覚っていうか嗅覚が麻痺してやいませんかww
面白かったです。
上海ほうじ茶館……。無いなぁ、それは微妙だよねぇ。
ほうじ茶にミルクと砂糖を淹れて飲む。
というかグリーンじゃない系のティーは全部それする。
そして俺のベトナム人の知り合いは緑茶だろうがそれをやる。
俺も真似してみた。抹茶のカクテルみたいで案外うまかった。
最近のお気に入りは、ほうじ茶2:1紅茶でブレンドすることだ。
ほうじ茶の口当たりの香ばしさと、紅茶の薫り高い後味が良い感じにハーモニーっぽくなる。お勧めだ。
紅茶では無いけどw
醤油入りの水っていう
イタズラされたの思い出した。
今では良いトラウマです。
というか、図書館の机って結構な重量がありそうなイメージが・・・
同じく味覚に障害を持つ身から言えば、お茶は飲む前に匂いでわかっちゃいますね。
ミルクを入れるとどうなるかわかりませんが。
最近は指摘していいものかわからなくなってきましたが一応。
>ヴワル魔法図書館:曲名ではあるけど場所ではない
製法さえスキマか香霖堂経由で入ってくれば幻想郷でも紅茶を生産できそうだけどね
人里での需要がないのかな…(´・ω・`)
抹茶ミルクもありますからまあいいんじゃないですか?
常識に囚われていては新しい発見はできませんよ。早苗さん。
面白い発想でした。ヴワルについては突っ込みません。
緑茶にたっぷりのミルクと砂糖(リ○ディ茶)を思い出しましたwww
実はどちらも同じもの、というような話を聞いたことがあります
栽培・製造にあたって、気候や品種で向き不向きがあるのかどうか、
といったことまでは分かりかねますが
知識さえあれば、生産は可能そうな気もしますね
味覚は音痴だからとしても、嗅覚は?
ほうじ茶にミルクか…今度試してみる
誤字
>「そりゃ、不味いんじゃないかう?」ないかい
>余計に腹ただしいんですっ!」腹だたしい
きっとパチュリーさんを笑えない。
紅魔館での会話とか面白かったです。
脱字の報告です。
>「それが、案外不味くなかったら、~~」
『なかったから、~~』ではないでしょうか。
誤字かな?
>カップでもって カップをもって
ほうじ茶ミルクは今度、機会があれば試してみたいと思いました。多分……きっと……
あと一つ気になったんですが、確かぱっちぇさんは定期的にコーヒーを飲んでいた描写があったような……
さすが小悪魔だ!
というかほうじ茶は気付かないのにミジン紅茶は分かるのかパッチュさん。
萃ではコーヒー党だと思っていたけどあれもきっとコーヒーらしき何かなんだね!イカ墨とか。
日本語って、意外と由来とか適当だったりするし。
緑茶ラテっぽい感じ。日式緑茶って書いてあるのは日本の緑茶と同じで無糖なんだけどね
中身は緑茶に砂糖を入れたような紅茶とも言い難い甘ったるい飲み物だったなぁ
誤解の感覚は、我々がマンションやナイーブという単語を
英語での使い方とはかなり異なった使い方をするのに、
別に不自然に感じないような感じでしょうかね。たまにあることです。
お話は新鮮な着眼点で話が展開されており面白かったです。
麦茶とほうじ茶と紅茶とめんつゆを間違えるのはよくある話
いやぁ、それにしても二柱は最後にちょっと出ただけなのにこんなにも俺はテンション上がっちゃうのね。モリヤバス