ちゅんちゅんと、外から聞こえる雀の歌声が私の目を覚ました。
布団の中で背伸びして、小さい口をいっぱいに開けて欠伸をする。
吐いた息は白い煙となり、ひんやりとした冷たい空気の中に溶けていった。
――――寒い。
ぽつり。冷えた顔を毛布の中に埋めてつぶやいた。
今が春の湊を迎えた季節といえど、朝は冬といささかも変わらぬ肌寒さだ。
過去に八苦をノックアウトさせてきた心身をもってしても、この寒さには言葉に形容しがたい辛さがある。
嗚呼、全てはこの毛布がいけないのだ。ふんわりぬくぬく。母の温もりのような温かさのそれは、私の身体を布団の上に縛りつけて離そうとしない。加えて再度眠りの世界へ引きずり込もうとするのだから性質が悪い。
しかし、だ。皆もとっくに起きている頃だろう。朝食の支度も始まっているはずだ。そろそろ私も居間に向かわなければ。何時までもこんなところでぐずついている場合ではない。
そう自分を戒め、毛布への未練を断ち切って身を起こした、その時。
「オイ、聖!」
聞き覚えのある図太い声と同時に、鋭い風切り音を立てて障子が開かれた。
向かい側の廊下には甲冑を身に纏ったがたいの良い大柄な男が立っていた。その姿はまさしく私の信仰するお方、毘沙門天様その人だった。何故このお方がここに?
「お主、いつまで寝ておる! 何時までもだらだらと毛布の中にうずくまっておるとナズーリンから聞いて私が……じゃなかった、ワシが直々に来てみれば、なんとだらしない姿か! ……プクク、エーゴホンッ! と、とにかく、早く起きれい! 他の者はとっくに居間に集まっておるぞ!」
唖然とする私に、毘沙門天様は厳めしい顔をさらに厳しくして私を指さして言った。だがすぐに違和を感じた。
おかしい。姿こそ同じだが、私の知る毘沙門天様とは明らかに違う。滑舌は悪いし、怒ってる割にはなんか顔が微妙ににやついてるし、内股をもじもじとさせるなんて絶対にあり得ない。それに、思い返せば以前も似たような状況になったような……。うーん、確かあれは…………あぁ、多分これが正解でしょう。
“正体”を確信したところで呆れて溜息をついた。
「”ぬえ”、本当はあなたなんでしょう? いい加減正体を現しなさいな」
私がそう言うと目の前の毘沙門天様の姿をしたその子は、突然高らかな笑い声を上げた。
「あっははは! なーんだばれちゃったかー、しかたないなぁ。そうれ!」
体中から黒煙がもくもくと湧きだし、大柄な体をあっという間に包んでいく。そして中から奇妙な形をした赤と青の羽を伸ばしてはためき煙を散らせると、正体不明の正体、封獣ぬえの本来の姿が現れた。
「やっぱり。相変わらず朝から元気なんだから」
ぬえは私が復活してから知り合った妖怪の一人だ。これがまた随分やんちゃな子で、聖輦船を命蓮寺に改装して住み始めてから泊まりがけで遊びに来ては、正体不明を操る能力を利用して朝私を起こしに来るのだ。先の毘沙門天様の姿に化けていたのはまさにそれである。
「私は80%の元気と20%の正体不明乙女心で作られてるからねー。朝から元気なのはあったりまえよ~!」
「元気なのは構わないけれど、朝起こすたびに正体不明の術で驚かすのはやめてちょうだいな。心臓に悪いわ。毘沙門天様の姿で来られると、特に」
「あっはははは! やっぱりひじりんは毘沙門天様に弱いんだ。これはまだまだ朝の起こし方に改良の余地があるわね。メモメモっと……」
ぬえがひじりんと呼び始めたのはごく最近の事だ。曰く「親しみのある新たな呼び名を考えた結果こうなった」らしい。私からすればいい歳してひじりんなんてきゃぴきゃぴした名で呼ばれるのはいささか恥ずかしいのだが……。しかしせっかくこの子が親しみを込めてそう呼んでくれているのだから、それを無下にして元の呼び名に戻させるわけにもいかないだろう。
やれやれね。
心の中でそう呟きながら壁の衣紋掛けにかけてあった毛糸製の上着を羽織り、部屋を出た。
居間に向かう廊下は朝日が照らしていて暖かい。上着は着てこなくてよかったかもしれない。とはいっても空気は依然とした肌寒さだ。歩を進めるたびに冷たい空気が肌を撫でる。
早く居間に向かって、温かいお味噌汁が飲みたいわね……。そうだ、お味噌汁で思い出した。確か今日の朝食当番はナズーリンと星だったはずだ。あの子達二人で大丈夫かしら。星に限って言えば過去にご飯の炊き忘れを二度も繰り返しているから、つい余計に心配してしまう。うっかり屋な星をナズーリンがうまくフォローしながらやってくれてるといいのだけれど。
「そういえば、みんなはもう居間に揃ってるのよね」
「うん、ひじりんと今台所で朝食を作ってるナズーリンと星以外は全員そろってるよ」
「そう、なら急がないとね」
「うーん、別に急ぐ必要はないと思うな」
「どうして?」
私の疑問に、ぬえは指でこめかみをぽりぽりかきながら応える。
「だって今、朝食でき上がるの遅れてるから」
「遅れてる? どういうこと?」
「なんでかさー、また星がご飯炊くの忘れちゃったみたいなのよ。それ以外の料理は出来てるらしいんだけど、主食のご飯がないと朝食とはいえないでしょ? だから炊きあがるまで待ってるみんなは今お預け状態ってわけ。そんなに急いでも意味はないのよ」
なんと、予想は早々に的中してしまった。思わず溜息が出る。
「ふぅ、あの子ったらまた……。ま、ご飯ならすぐ炊きあがるはずだから、それまでみんなで待ちましょう」
「随分とポジティブシンキングだね」
「ふふ。あの子のおっちょこちょいなところは昔からだから、慣れちゃったのかもね」
+ + +
「あ、おはようございます姐さん」
「おっはー聖」
私が襖を開けて居間に入ると、暖かい空気と共にちゃぶ台の周りに座る一輪と村紗の元気な声が迎えてくれた。
部屋の奥隅には火鉢が置かれていて、上に乗っている急須の口から白い湯気があがっている。
「おはよう、一輪、村紗。ナズーリンと星はまだ……?」
私とぬえも座り、私は上着を脱いで問うと、村紗が憤慨した様子で応える。
「そうなのよ! 星ったらまたご飯炊き忘れたのよ? もうこれで3回目、信じられないわ!」
ちゃぶ台を両手でバンと叩き、怒りをあらわにする村紗。
その熱気でご飯が炊けるんじゃないかしら。
「まぁまぁ。その間お茶でも飲んでのんびり待ちましょう。一輪、みんなにお茶を入れてくれる?」
「あ、はいはい。ちょっと待ってくださいね」
一輪は棚から茶碗4人分とお茶葉の入った筒と蓮柄の急須を取り出し、急須にお茶葉を入れる。それから火鉢の上の急須を持ってきてお湯を入れ、4つの茶碗にとくとくと注いだ。茶碗からは湯気が立ち上り、茶の良い香りが鼻をくすぐる。透き通った黄緑色がとても爽やかだ。
「はぁ、お茶は落ち着くわね。どうです村紗、あなたもこれを飲んで、少しは落ち着いたかしら?」
「うん、まぁ。でも私がこれを飲み終わってなお二人が来なかったら、問答無用で溺死させるつもりでいるわ」
村紗は余程お腹が減っているらしく、そんな物騒なことを言う。しかしこの子がばりばり舟幽霊として人々に恐れられていた頃を知る私から見れば、こんなのまだまだ可愛らしい言動だ。
当時のあの子は怖かったわねぇ。その昔、ある僧侶にあの子を退治してくれと頼まれて海に出向いた時なんか、出会い頭にいきなり舟を沈没させちゃうんですもの。あの日は法力が飛び抜けて調子良かったから溺れる直前咄嗟に聖輦船を創り出すことができたから助かったものの、もし調子が悪かったら今頃どうなっていたことか。想像するだけでも恐ろしい。
さてはて、そんなことよりあの二人はいつ来るのか……。いい加減私もお腹がすいてきた。
そんなことを思いながら熱いお茶をすすっていると、奥の廊下からドタバタとこちらへ向かってくる足音が聞こえてきた。
「お待たせしてすみません、朝食をお持ちしましたー! ……って聖もいるし! ああもう、ホントお待たせして申し訳ありません」
最初に襖を勢いよく開けて慌てて入って来たのは星だった。その後ろにナズーリンが続いて入ってくる。二人とも全員分の食事がのったお盆を両手に持っていた。
「あらあら、そんなに慌てちゃって。私は今来たばかりだったから、別に慌てなくたって良いのに」
「私は良くないっ! もー二人とも遅いよ、ずっと待ってたんだから~」
無事に朝食がやって来た安心感からか、腹の虫の音を盛大に鳴らしながら村紗が言った。
「文句を言うならご主人に言ってくれ。ご主人がご飯を炊き忘れてなければこんな遅くならずに済んだんだ」
溜息をついて朝食をちゃぶ台に並べるナズーリンに対して、星がむっと睨みつける。
「今回はナズーリンの所為でもあるでしょう! ちょうど私が釜に火をつけようした時に突然味噌汁の具材切るの手伝ってくれなんて言って呼ぶから……」
「だったら火をつけてから来れば良かったじゃないか。全く、相変わらず要領の悪いお方だ」
「また私を馬鹿にして。そういうナズーリンは未だにまともに包丁使えてないじゃないですか! 味噌汁に入れる豆腐だって、サイコロの形にして入れる前に既にぐちゃぐちゃにしちゃって」
「ううっ。そ、それはまだ練習中だからだ! いずれはきちんと形を崩さずサイコロ状に切って見せる! そんなことよりご主人はそのうっかり癖を直すべきだ。またご飯を炊き忘れられたら困る」
「だから今朝のはうっかりではないと言ってるじゃないですか! 今早急に改善すべきはナズーリンの包丁技術です!」
「ああんもう、喧嘩はいいから早く朝食を並べろー! 早くご飯を食べさせろー!」
再度村紗が憤慨して言うと、腹の虫も「早く飯を食わせろ」と言わんばかりに鳴った。
「村紗、気持ちは分かるけど落ち着きなさい。さぁさ、二人も睨みあってないで席に着きなさいな。せっかく温かい朝食は冷めてしまいますよ」
そう言って二人をしぶしぶ席に着かせてから、朝食で並べられたちゃぶ台を見やる。
ほくほくとした白米に千切りの大根と玉ねぎの入った味噌汁、ふっくらとした玉子焼きに命蓮寺特製(というか私特製)大根のぬか漬け、形の崩れた一切れの豆腐とヤツガシラの煮っ転がし。先まで茶碗と急須しかない殺風景だったちゃぶ台が、今は野原に花が咲いたかのように鮮やかだ。どれもこれも美味しそう。ああ、ちゃぶ台に光が満ちる。
おっとつい見とれてしまったけど、そろそろ挨拶をしなければ。食事前の号令は私の役目なのだ。
「全員と食事がそろいましたね。それでは……」
手を合わせ、それに後からみんなもついてきたのを見てから目を薄く閉じる。
しんと静まり返ってから、挨拶を口にする。
「いただきます」
『いただきまーす!』
みんなの斉唱と共に騒がしい食事が始まった。
ご飯をかきこむ茶碗の音や味噌汁をすする音、美味に唸る声、様々な食事の音が部屋の中を行き交う。
「ゥンまあぁ~い! はぁ、やっぱり日本の朝はご飯と味噌汁に限るわね~。ご飯を一口食べてから味噌汁を喉に通した時のブワァ~って体に染み込む感じ? あれが堪んないっていうかさぁ、『生きてて良かったァー!』って思わせるよねぇ~」
「生きてて良かったって、あんた思いっきり死んだ身でしょうが」
「もう、頭が固いなぁ一輪は。私が言いたいのはそれだけ美味しいってことよ。うう~ん、この聖が作ったぬか漬けも最高~。このシャリシャリっとした歯ごたえといい、 ぬか味噌のしょっぱさプラス隠し味の蜜柑の皮の甘みと風味が絶妙なハーモニーを奏でる味付けといい、 こんな大層なもの食べちゃったら人里で売ってる沢庵はもう食べれないよ~」
「ふふ。そこまで褒められると逆に恥ずかしいわね。でもありがとう村紗。おかわりならまだまだあるから、沢山食べなさい」
「ふぉーい(はーい)!」
ぬか漬けを一切れ口にしてはご飯をバクバクと水のようにかきこみ頬張る村紗。お粗末な食べ方で一言注意したいところだったが、美味しそうに食べるその表情を前にはとても注意する気にはなれなかった。
やっぱり一生懸命作った物を美味しく食べてもらえるのは嬉しいものね。
そんな思いに笑みを綻ばせながら煮っ転がしを食べていると、星が遠慮がちに私に訊ねてきた。
「聖、今日の朝食はいかがですか? お味噌汁とかしょっぱくありませんか?」
「ん。そんなことないわよ、米はしっかりと一粒一粒立ってるし、味噌汁はダシがよくきいてる。この煮っ転がしなんか柔らかくて甘い味噌が絡んで良い具合だし、どれもとても美味しくできる。ふふ。あなたたちのおかげで、今日も一日頑張れそうだわ」
「ははは、聖にそういってもらえるとありがたいですね。これからも精進します。ね、ナズーリン?」
「な、なんだいその意味ありげな振りは。形は崩れてるが豆腐の味には変わりないだろう!」
「ふーん、別に豆腐の事云々言ったわけじゃないですけどねー」
「んなっ?!」
やはりこの二人の掛け合いは見ていて面白い。意外と漫才とか似合うかしら。
命蓮寺をステージ会場にしてボケ合い突っ込み合いをする二人。なーんて、案外良い線いったりして。
「へっへー、ひじりんの玉子焼きいっただきぃ~」
夢想して上の空でいると、いつの間にか目の前の玉子焼きが姿を消していた。
顔を上げるとそこには箸に卵焼きを挟んで身を乗り出しているぬえがいた。私が「あっ」と声を挙げた瞬間、ぬえは大蛇が蛙を飲み込むがごとく大きく口を開いて、ぱくっとそれを食べてしまった。嗚呼、私の玉子焼きよ、南無三。
「ちょっとぬえ! 食事中にそういうことはするなって何度も言ってるでしょ! いい加減にしないとゲンコツ食らわすわよ。私と雲山のダブルゲンコツ」
既にぬえの胃の中に収納されてしまったであろう玉子焼きに対して遺憾の意、もとい南無三の意を心の中で唱えていると、突然一輪が声を張り上げて言った。その背後に薄くピンクがかった雲が立ち込める。雲山だ。
「まぁまぁ一輪、そんなに怒らなくたっていいでしょう。悪気があってやったんじゃないんですし」
「いやいや悪気ありまくりでしょう?! ていうか被害者聖なんですから、聖自身がもっとこうビシッと叱ってやらないと」
「私は気にしてないからいいのよ。でもそうね、テーブルに身を乗り出して食べ物をとるのは、ちょっとマナーが悪いわね。ぬえ、欲しいなら言ってくれればあげるから、今度からそうしなさい?」
「ありがとうひじりん! やっぱりひじりんは優しいなぁ。どこかの頭の固い尼さんとは大違いだなぁ」
「ぬぬぬ、我らの聖をひじりん呼ばわりとは……あの子にはいつか本気でゲンコツ食らわせてやるわよ、雲山」
一輪の言葉に肩をぽんと叩いて首を横振る雲山。
凹凸に浮かぶその顔はまるで「別にいいじゃないか」と肯定しているように見える。
「何? あんな幼い妖怪にゲンコツなんてできないって? ちょっと、この前命蓮寺の外壁に落書きしてたちっこい男の子には問答無用でゲンコツして説教したじゃない! え、この子は特別だって? ……ちっ、ロリコン親父め」
巨大な鉄拳が一輪に振り下ろされた。
「いだっ!!? ちょ、ちょっと雲山何をす……痛い痛いっ! ごめんなさいごめんなさい! 謝るからゲンコツラッシュはやめてー!」
雲山のゲンコツから四つん這いで逃げ回る一輪に、どっと笑いが起きる。
村紗とぬえが主な野次馬となって外野から二人を煽りたて、部屋は一層騒がしくなった。
「ふぅ。やっぱりみんなで賑やかに囲いながらの食事は楽しいものね」
「に、賑やか、ですか。まぁ私も賑やかなのは好きですけど。しかしこの場合賑やかというよりは、騒がしいといった方が正しい気がしますが」
「どっちも同じじゃない? むしろ朝は騒がしいくらいが丁度いいのよ。元気が湧かない朝はこういう雰囲気が良い薬になったりするものだわ」
「はぁ、そういうものですか……っていたっ! ちょっと一輪、いい加減に暴れ回るの止めなさい!」
「それはっ……イテッ! 雲山にっ、言ってちょうだいよ~! イダダダ!」
暴れ回る一輪の体が星とぶつかり、星は堪らず一喝するも、二人の暴走は止まることはなかった。
その様子に星は私の方を見て諦めたようにがっくりと肩を落とした。
「……こんな状況でもよろしいと?」
「ま、まぁこれはちょっと行き過ぎかしらね……」
さすがにそろそろ止めるべきか。そう思って二人を制しようとした、その時。
「ごめんくだせぇ~、誰かいねぇですかぁ~」
突然玄関の方から訛りのきいた男の声が聞こえた。居間にいた全員がピタリと体を止め、玄関の方角を見る。
「ええっと、あの声は……」
「いいよ聖、私が行くから」
村紗が私を制止して立ちあがると、「はいはーい」と玄関に通じる廊下を小走りしていった。
「はて、誰かしらこんな朝早くから」
村紗の姿が見えなくなってから、私はすっかり空になった味噌汁の代わりに生ぬるくなったお茶を啜って言うと、星は急須にお湯を入れて私の茶碗に熱いお茶を注ぎながら応えた。
「人里の者じゃないですか? ほら、週に一度は回覧板持ってやってくるじゃないですか。恐らくそれかと」
「確かにそんなこともあったね。……ていうかひどいたんこぶだな、一輪。頭の一部がまるで焼きたての餅のようだぞ」
「焼きたての餅とは言い得て妙ですねナズーリン。しかしまぁ雲山も容赦のないお方でいらっしゃる」
餅というよりは生えかけの鬼の角じゃないかしら。
心の中でそう突っ込みながら部屋を見回してみると、当の雲山は既にいなかった。お仕置きに満足して霧散したのだろう。もう一人の当人である一輪は涙目になりながら頭をさすっている。
「ううっ、ホントですよ。私だって一応女だというのにひどい仕打ちです。イタタ……」
「あははは、一輪ってば頭にお餅くっつけてるー! あははは、おっかしー!」
「うっさい! 元はといえばあんたの所為だ! このアンノウン娘!」
そんなやりとりをしている間に村紗が戸を開いて居間に戻って来た。手には回覧板を持っている。
「今戻ったぞーっと」
「おかえりなさい村紗。やっぱり人里から来た方だったのね」
「うん。はいこれ、回覧板。それとこれも」
そう言って村紗は回覧板と一緒に一枚のチラシを渡してきた。
そのチラシには【第59回 人間の里 一足早い春祭り! いよいよ今週末!】という文字と、人間と妖怪が法被姿で神輿を担いでいる絵が描かれている。
「毎年この時期にやるらしいよ、その祭り。さっき会った人とも少し話したんだけどね、なんでも春の訪れを一足早く祝う為に里中を花だらけにして行うお祭りなんだってさ」
「ふぅん、春祭りねぇ……」
村紗の分かりやすい説明を耳にしながら、不意に『あの時の言葉』を思い出しながらチラシを眺める。
ぬえたちも興味心身に私の背中にのしかかるようにしてチラシを覗き込む。
「ねーねーひじりーん、チラシ私たちにも見せてよ~」
「ちょ、ちょっと貴方達、みんなしてのしかからないでちょうだい、重いからっ。チラシなら、ほら、あげるから」
「やった! ありがとう!」
ぬえにチラシを譲ると、皆は私から離れて今度はぬえを中心にして群がった。
「『祭りには春らしさを取り入れたお菓子や食べ物を扱う出店が軒並み展開!』 だってさ! うわぁ楽しそう~! ねぇひじりんこの祭りみんなで行こうよ!」
「ふぅん、どうやって里中を花だらけにするのか疑問だったが、この風見幽香って妖怪が監修してるのか。しかし妖怪を人里に入れてしまっていいのだろうか。祭りとはいえ、色々と危険なんじゃないか?」
「昔いた世界と違ってここ幻想郷は人妖共存主義な世界ですから、そこら辺は問題ないでしょう。それにゆうかりんランドなんてけったいなネーミングで花畑を運営してる妖怪なんて、頭の中がお花畑になっちゃってる妖怪くらいですよ。恐るるに足らずです」
「今なんか星がものっすごく危ない発言しちゃったような……。気のせいならいいんだけど」
春祭りの話に盛り上がっているぬえたちを横目に私は席に戻り、ごくりとお茶を飲んだ。
はぁ、あと数十秒もあんな状態でいたら危なかったわね……。
「あ。す、すみません聖、さっきは大丈夫でしたか?」
いち早く席に戻って来た星が申し訳なさそうな顔で言った。
「え、えぇ。大丈夫よ、そんなに心配しないで」
、
またごくり。お茶を飲む。
実は結構深刻な事態だったなんてことは秘密にしておこう。
安堵のため息をする星に、私は「それにしても」と口を開く。
「春祭りだなんて、この世界は本当に平和ね」
「そうですねぇ。昔いた世界は人妖間の対立が激しい情勢もあって、祭りや他の行事なんてほとんど自粛して行われませんでしたからね。当時の先人たちがこの話を聞いたら、狂気の沙汰だとか言って大騒ぎになっていたことでしょう」
「狂気の沙汰、ね……。だとすればあの絵もさぞ奇想天外、空前絶後なものに見えたでしょうね」
「? あの絵というと……?」
「チラシに載っていた絵よ」
目を丸くする星に、私はぬえの方を指さして言った。
「人間と妖怪が協力し合って神輿を担いでる絵なんて、先人たちには想像もできない奇妙なものに見えたはずよ。それだけじゃない、さっき寺にやってきた人間だってそう。たった一人丸腰で妖怪たちの住処に出向いてくるだなんて、昔だったら恐れを知らぬ阿呆かと罵られたことでしょう。そんな殺伐とした世界に比べて、ここは何と平和で豊かなところか」
「はは、確かにその通りで。そこが幻想郷の素晴らしいところというか、この世界の人妖共存文化がいかに根強いかが伺える部分ですよね」
「そうね……」
星の言葉にまた『あの時の言葉』が頭に浮かぶ。
――――私が寺に居た頃と人間は変わっていないな
そう、魔界で霊夢と戦った時に言った自身の言葉だ。
いつだって人間というのは自分勝手で軽挙妄動で……そんな憤りの気持ちから出た言葉だ。
けど幻想郷に住み始めてからしばらく経った今にして思えば、それは私の勘違いだったように思える。
ここ幻想郷は、人間と妖怪が互いに手と手を取り合って輪になることができる世界だ。目と目を交わせば笑い合うことができる世界だ。それは、私が千年以上前から望んでいた、それでも叶える事のできなかった世界……。
「……まったく、私がその文化を実現させようと千年以上も昔から多大な努力を積み重ねてきたというのに、この幻想郷という世界はそれをあっさりとやってのけちゃってるのよね」
「聖……? 」
星が怪訝な表情で私を見つめる。
「ううん。ただね、今更ながら、昔いた世界で私が今までしてきた事ってなんだろうなぁって、そんなことを思っただけ」
お茶を一口すすってそう応えると、突然星の顔つきが厳しくなった。
「……まるで自分のしてきた事が無駄だったとでも言いたげな台詞ですね」
「えっ。あ、いやそれは……」
どきり。心臓が一瞬跳ね上がる思いがした。
完全な本心ではなかったとはいえ、軽く図星を突かれた事に焦ったのだ。
言葉を濁す私に星は語気を少し強めて、しかし静かに、言葉を続ける。
「聖が本当にそう思っていらっしゃるのなら、それはとんだ思い違いだと言わせていただきますよ。だってそうでしょう。確かに昔いた世界では聖の夢は実現できなかった、けどっ、その夢を実現させようと行動し、尽力してきた中で聖は多くの妖怪を救ってきたじゃないですか」
徐々に声を枯らし、若干の涙声で問いかける。気がつけば星の目には涙を浮かばせていた。
その姿に、私は言葉を出そうと思っても口を開く事ができず、ただ黙って星の言葉に耳を傾けることしかできない。
「私を含めてこの場にいる者も、過去に聖によって救われた者達ばかりです。もし聖が妖怪を忌み嫌っていたあの時代の人間と同じであったなら、今頃私たちは聖と共にこうして平和に過ごすことはなかったでしょう。私たちの平和を、絆を、聖は創りだしてくれたのです。……聖は、その成してきたことすらも無駄だったと仰るのですか?」
「それは……」
違う。
声を大にしてそう言いたかった。けどそれを口にしたら私も泣いてしまいそうで。それ以上の言葉は続かなかった。
それでも星は私の返事を理解したように続けて話す。
「ですから、自分が今までしてきた事が無駄だったんじゃないかって、そんな悲しい事思わないでください。じゃないと、救われた私たちも悲しくなってしまいますから……」
「星……」
胸が痛い。目から熱いものが込み上げてくる。
星の言う通りだ。自分のかつてからの行いがあったからこそ、この子達と出会い、今こうして共に居られるんじゃないか。自分が昔の自分を否定してしまったら、私だけじゃなく私を信じてついてきたこの子達に対して裏切るのと同じじゃないか。なのに私はくだらない自虐心にそんな簡単なことも忘れてあんな勝手な事を。
「……私は少々、己の歩んできた道を蔑ろにしていたようですね。その上密かに貴方たちの心を傷つけるようなこともしてしまっていたとは。ごめんなさい、星」
「そんな、謝らないでください。別に聖が悪いことしたわけじゃないんですから」
「でも……」
「もうお気になさらないで。ほら、いつものように微笑んでくださいな。命蓮寺の指導者である貴方がそんな暗い顔されては、ぬえたちや信者の方たちに示しがつきませんよ?」
にっこり微笑む星。その笑顔はまるで宝塔の輝きのように見えた。
「……そうね、ありがとう星」
私も笑みを浮かべて、そう応えた。
ふふ。まったく、下の身内に説教された揚句励まされては、命蓮寺の長失格ね。まだまだ修行不足とも言えるか。
そんなことを思いながら両手を叩き、未だに雑談が尽きる事のないぬえたちを呼ぶ。
「さぁさみんな、そろそろ席に戻りなさい。ごちそうさまして、お寺を開く準備をしましょう」
『はーい』
「ちょ、ちょっと待って姐さん! 私雲山に邪魔されてまだほとんど食べれてないんですけど~!」
皆が声を合わせる中、一輪だけが一人嘆くように言った。
「何時までもぬえたちとのお喋りに参加しているからですよ、一輪。待っててあげるから急いで食べちゃいなさい」
「了解です姐さん。今から雲山と力を合わせて10秒で平らげて見せます!」
「じゃあせっかくだし私がカウントしてあげよう。食べきれなかったらネズミたちに噛まれる罰ゲームで。はい、ヨーイドン」
「え、ちょはやっ!? 雲山、貴方も手伝って……ってオイ! 何ぬえとじゃれあってんのよこのエロ親父! あ、いやごめなさい言いすぎでした謝るからゲンコツはやめてー!」
「はい10秒経過~。ホレお前たち、あの尼公の足をかじってきていいぞ」
「ぎゃー! 私の隠れ美脚があああ!!」
ナズーリンが放ったネズミたちの魔の手、ならぬ魔の歯から四つん這いで逃げ回る一輪に、どっと笑いが起きる。
村紗とぬえが主な野次馬となって外野から二人を煽りたて、居間に騒がしさが復調した。
その光景に私は先の雲山との騒動を彷彿させて、口元を押さえて笑った。一方で星は肩を落として嘆息をついた。
「はぁ、まーた騒がしくなっちゃって。笑ってる場合じゃないでしょう聖。どうします、私たちだけでも挨拶しちゃいますか?」
「いいえ、それは駄目よ。食事の前後の挨拶はみんな揃ってからじゃないと。それに、せっかくのお薬ですもの、もったいないじゃない」
「お薬? どういうことです?」
「良薬口に苦しならぬ”良薬耳に五月蠅し”.。言ったでしょう、『元気が湧かない朝はこういう雰囲気が良い薬になったりするもの』だと。星にお説教されて落ち込んでしまった私と、目が赤くなるまで泣き疲れた星には、丁度良いお薬だと思わない?」
目を丸くする星に、私は片手を腰に当て、もう片方の手で瓶に入った何かをグイッと飲む動作をして応えた。
それに対し星は「う~ん」と少し考えてから、はにかんで言った。
「まぁ……ふふ、嫌いではないですね。うん、言われてみれば確かに。そうかもしれませんね。ふふっ」
星は笑い混じりにそう言い終えると、はじけたように笑いだした。私もそれにつられて、一緒になって笑う。
幻想郷の朝。命蓮寺から聞こえる騒がしさは、しばらく絶えることはなかった。
おk把握した
あと数十秒この発言があったら命蓮寺跡地に雪の無いハーフパイプができていただろう。
意外と不器用なナズーリンは新鮮だな。豆腐を切る段階でぐちゃぐちゃになるってどんだけだwww
誤字等報告します。
「結滞なネーミングで」けったいは漢字で書くと医療用語になりますのでひらがなでけったいです。
「たくわん」沢庵・たくあんです。
あと村紗が全部村沙になってます。
「にっこり微笑んむ星。その笑顔はまるで宝塔の輝きのように見えた。」微笑む星
あ、簡易評価付けてるので点数入れませんが、面白かったです
こんな聖もまた良いねぇ。