はっとする。
あぁ、この感覚。一体どれくらいぶりだろう。胸を熱く焼き焦がすような、じりじりとした衝動。
私はそれを知っている。何年も前から知っている。瞳が開いていた頃から知っている。
鼓動が高まる。息が荒くなる。頬は熱を帯び、耳は赤く染まりきる。
でも、私の中の衝動は止まらない。体中を締め上げるこの狂おしい程の感情は、今にも私をくびり殺そうとしている。
なら、いっそ。
遂げてしまおう、この想い。
視線の先にはお姉ちゃん。
その姿は、まるでお相撲さんみたくて。
あぁ、正直に告白してしまおう。私の知っているこの想い。熱く熱く燃えたぎる、マグマのような熱情は。
私、古明地こいしの、姉、古明地さとりに対する、抑え難き恋心なのだと。
◆
身長142cm、体重83kg。
豊満な肉体は身を包む衣にぎゅうぎゅうと締め付けられ、艶めかしい曲線を幾重にも描いていた。
衣服の各部より伸びるサードアイのコードも、ぱっつんぱっつんの肉に食い込み今にも千切れそうである。
いわゆるボンレスハム状態。俗に言うふとりんであった。
誰得? 私得。
まるまると肥えたお姉ちゃんも、それはそれでかわいいのです。
「燐。おかわり」
「あいあい」
通常の物より一回りも二回りも大きな茶碗を、お姉ちゃんは私の隣にいるお燐に向かって差し出す。今日の給仕当番はお燐なのだ。
せっせかせっせか。お燐の手が忙しなく動き、茶碗の中が白米で埋まっていく。もうすっかり手慣れたものだ。
お姉ちゃん専用の飯びつには、もう半分ほどしかご飯が残っていない。既に食べてしまったのだ。
毎日毎日、空っぽになるまで食べるのである。
はい、とよそい終わったお燐が茶碗をお姉ちゃんに手渡す。お姉ちゃんはそれを満面に笑みを湛えて受け取った。
「ありがとう。やっぱり燐の炊いたご飯は美味しいわね」
「いえいえ。さとり様の食べっぷりも見ていて気持ちいいですよ。……でも、そう言って頂けると嬉しいですねぇ」
お燐は恥ずかしそうにぽりぽりと後頭部を掻く。その間にもお姉ちゃんは箸でご飯を口へと運ぶ。話を聞いていない。
その正面に座る私は、お姉ちゃんより少し小さいサイズの茶碗を持ってぽーっとしていた。見惚れていたのだ。
お姉ちゃんが私の視線に気付き、何かしら、と首を傾げる。それで私ははっと我に返り、慌ててご飯を口内にかっこんでむせた。
「うえっ、っげほ、げほげほ……!」
「だ、大丈夫ですかこいし様!? お背中を……」
「無理して食べるからよ……全く、落ち着きのない子ね」
お燐が背中をさすってくれている中、お姉ちゃんの辛辣な言葉が投げ掛けられる。少し嬉しかった。
脳に酸素が回らなくなる。思考が停滞し、血がどんどん赤黒くなっていく。毛細血管がぷちぷちっと何本も切れた気がした。
顔を真っ赤にさせ、ずっと咳き込む私。やがてそれも収まり顔を上げると、みんなが心配そうに私の方を見ていることに気付いた。
心が読めない私でも、表情を見れば大体分かる。
お燐にありがとうと伝えてペットたちに心配ないことを告げる。すると同時にお姉ちゃんが「ごちそうさま」と席を立った。
茶碗の中を見てみれば、たっぷりあったご飯は既に空っぽ。私が咳き込んでいる間にも、一心不乱に食べていたようである。
「こいし様がこんなにも苦しんでいるというのに……さとり様、最近ご飯のことばっかりですね」
「いいって、お燐……けほっけほ」
「……すいません、こいし様」
お燐が苛立ちを露わにする。周囲から見たら不快なのだろう。姉が妹のことを蔑ろにする、という光景は。
でも、私はそれでもいいと思っている。お姉ちゃんはそういう人だし、私にもあまり干渉してこない。だから、それは当然だった。
あと、お姉ちゃんにならちょっとくらい蔑ろにされた方が好きだったり。
「それにしても……こいし様、私、思うんですけど」
急に声をひそめて、私の耳元でこっそりと呟くお燐。彼女がこんなことをするのは珍しい。なになに、と私も耳を寄せる。
「最近のさとり様の食欲、ちょっと異常だと思いません? ほら、言っちゃ悪いですけど……こう、まるまるとしていますし」
「そうかな? 私も同じくらい食べてる筈だけど」
「こいし様は食べても太らない体質だからいいでしょうが!
……それに、今日もこいし様のことを放っておいて出て行かれました。流石にこれはちょっと、行き過ぎだと思います」
「ふぅん……まぁ、言われてみればそうかもしれないわね」
元々お姉ちゃんは小食だった。それがいつの間にやらこんな巨体になってしまったのである。
原因は明確。ここ最近の過食にある、と私ですら分かるのだ。お燐はそのことに関して憂いているのだろう。
「はっきり言います。さとり様は食べ過ぎです。おかげで地霊殿の食費もかさんで、今月の家計が火の車なんですよ!」
「火車だけに?」
「別にそういう意味ではなく」
ちなみにお燐は会計の担当でもある。苦労人だ。
それはそうとして、とお燐は咳払いをする。
「なので、ここは一つさとり様にダイエットをして頂こうかと。つきましてはこいし様にもご協力頂きたいのですが、宜しいですか?」
「えっ」
「……? 何か問題でも……?」
「いやー……ないっちゃないし、あるっちゃあると言うか……」
苦笑いで返す私に、首を軽く横に傾けるお燐。彼女は知らないのだ。私が今のお姉ちゃんにも魅力を感じているということを。
普段のお姉ちゃんも素晴らしいけれど、今の丸々と太った樽のような体型のお姉ちゃんもなかなか捨て難いのである。むちむちかつ妖艶な肢体。見よ、あの曲線美を。綺麗なカーブは見る者全てに衝撃を与える、黄金の弓をかたどっているかのようではないか。触れてみればぼよんと跳ね返す。弾力もまた申し分ない。お腹のお肉をつまむと、赤面して「やめて!」と懇願してくる姿のなんと愛らしいことか。以前は薄かったお尻も今はぷるんぷるんで何度頬ずりしても飽きることはない。ほっぺたのもちもち感なんかもう最高。一日一ぷには欠かせない最高級の嗜好品である。にじみ出る脂も格調高く、お姉ちゃんの高貴さ、気品をこの上なく引き立てている。そして何より、好物を目の前にした時のあの表情。食べることへの執着から生まれた奇跡のワンシーン。いくら写真にとっても物足りない、直に見るのとは及びにも付かない。もう逆に私がお姉ちゃんを食べたいくらいだ。そのくらいかわいいのである。
一口に語ってみても、これだけの魅力を有しているのだ。ていうかもう少し語らせろ。時間がない? ああそう。仕方ないわね。
とにかくそういった理由でとても賛同し難い計画だったのだが、けれども拒否すれば確実にお燐は怪しむだろう。馬鹿じゃないし。
自分の感情が少々常軌を逸していることくらい、自分でも分かる。故にバレてしまっては困るのだ。
なのでとりあえずここは頷いておく。
「……いえ、何でもないわ。うん、協力します。確かにちょっと食べ過ぎだものね。体に毒だと思う」
「そうですか! それは良かったです。いやぁ、こいし様のことだから嫌だと言われるかと」
「でも。ちょっと待って? 今のお姉ちゃんに、いったいどうやって食事制限をさせれば……」
「だから、それを二人で考えましょうと。意見を各自で出して、実行してみるのです」
「あぁ、ブレインストーミングってやつね。お姉ちゃんに教えて貰ったことがあるわ。三人寄れば文殊の知恵、とも」
「まぁそんな感じで。そういうわけで、まずは意見を出しあってみましょう。それではスタート!」
「おー!」
「おー!」
「え?」
「え?」
「うにゅ?」
知らない内に、烏が混ざっていた。
◆
前略。
おくうが仲間になりました。
いやまぁ、知られた以上は、というわけで。
ここは調理室。今は晩御飯のお時間です。
結局食べさせないのは無理じゃないかなぁという結論に落ち着き、なら料理で満足させればいいじゃないかと。
絶対量を減らす作戦に出たわけでした。
「それじゃあ、まずは私から行ってみましょうか。これです」
ばばん、とお燐が勢いよく出したのは微妙に青く染まったご飯。
見るからにいかにもまずそうなご飯だ。
「これは普通のふりかけご飯なんですけど、色が青いものでして……青は食欲を減退させるらしいんですね。ですから丁度宜しいかと」
「へー。さっすがお燐、考えてるじゃん」
「ふふん。おくうとは違うんだよ」
自慢げに胸を張るお燐。成程、私も思わず感心してしまうアイデアだ。
「確かに、気持ち悪い見た目してるもんねぇ……うぇ、私まで食欲なくなってきた」
「こいし様も、少しは食事制限なさった方が良いかと思いますが……さとり様とあんまり変わらないんですし」
「いいじゃん。別に太らないし」
「太る太らないの問題ではなくてですね……」
お燐は苦笑する。まぁ、心配してくれるのはありがたい。でも私は好きでこうしているのだからいいのだ。お姉ちゃんと一緒だし。
そう返すと、「本当、こいし様ってお姉ちゃんっ子ですよねぇ」とからからと笑った。
からかっているのか、それとも本心か。判断がつかないので私は沈黙を守った。
お燐はお盆に茶碗をのせて、既に食堂の席に座っているお姉ちゃんへと青いご飯を持っていく。
これ一杯でお腹いっぱいになれば成功だ。
でもね、お燐。私思うんだ。
その程度でお腹いっぱいになるなら、お姉ちゃんは太らなかったんじゃないかって。
「燐、おかわり」
「あれー!?」
食堂の方から声が聞こえる。
見事に玉砕したお燐の、悲痛な叫び声だった。
◆
「はい、次はおくう……っていうかもう何しても無駄だと思うけど。まさかあれを普通に平らげるとは……」
放心状態のお燐。かなりショックを受けているようだ。自信作っぽかったもんなぁ。
けれどもう終わってしまったものは仕方がない。お燐の犠牲は無駄にしない。私たちは彼女の屍を乗り越えて生きていくのだ。
「というわけでおくうね。どんなの考えたの?」
「えっと……はい、これです!」
そう言っておくうが出したのは、いつもより大量の――大皿にどかんと盛られた白いご飯。
丸い形の無地の皿。しかしサイズが規格外なのだ。私とお姉ちゃん、二人が乗っかってもまだ一人分のスペースはあるくらいの。
その上にこんもりと盛られた白飯の、なんと圧倒的なことか。
存在するだけで発される強大な威圧感。「おお……」と思わず言葉が漏れてしまう。それくらいの衝撃だった。
「なっ……そ、それは私の考えていた第二の作戦!
人は少しずつなら多く食べられるが、一気に目の前にどんと出されると途端に食欲を失ってしまうという……おくう、なかなかやるね」
「お燐が教えてくれたんじゃん」
「あれ? そうだっけ?」
覚えがないんだけどな、とお燐は首を傾げる。
……今までそれなりに頭がいいと思ってたけど、お燐、もしかして相当頭悪いんじゃ……?
「弾幕はパワー。ご飯もパワーよ!」
「よく分からない理論だけど……でも、確かにこの量は食べる意欲を失いそうよね。着眼点はばっちりだと思う」
「だからそれ私の考えたアイデアなんですけど……ああもう、おくうって良いところだけ持ってくよね」
「パワー!」
おくうは私たちの話を全く聞かずに、更にご飯をよそっていた。既に山である。
最終的にうずたかく積まれたほかほかのお米。いやこれ全部食べ切れるのか。私の身長ぐらいあるんだけど。
「フュージョン完了!」
そんな私の疑問をよそに、おくうは額ににじんだ汗をぬぐう。一仕事終えた後のさわやかな笑顔だった。
そして両手にお皿を持っててくてくと食堂まで歩いて行く。いや、抱えてと言った方が正しいか。
さて、結果は吉と出るか凶と出るか。私たちは期待と不安に包まれながら、おくうの後ろ姿を見送るのだった。
◆
結果から言えば、だめだった。
普通に食べた。ぱくぱく食べた。おいしいと顔をほころばせて。お姉ちゃんかわいい。
そうして結局、一粒残さずたいらげてしまったのだ。流石の私もこれにはびっくり。だって残して当たり前の量だったんだもん。
お前の胃袋はブラックホールか、なんて、そんな安直な例えがぴったりと当てはまる。お姉ちゃんの体は銀河系なのかもしれない。
戻ってきたおくうが言うには、すっかり食べてしまった後に「デザートが欲しい……」とぽつりとお姉ちゃんは呟いたのだそうだ。
そして奇しくも、私の用意していた作戦はお姉ちゃんの要望を満たすものだった。
「というわけでケーキです。じゃん!」
「いやいやいやいや! どうしてそうなるんですか! 目的見失ってますってそれ!」
お燐の突っ込みが素早く入る。
そんな私たちの目の前にはおっきなケーキ。さっきのおくうがよそったご飯と同じくらいの大きさだ。勿論私の用意したものだった。
「明らかにこれ太らせようとしてるじゃないですか! しかも今のタイミングでこれ出すって!」
「えー? そんなこと言うならおくうだってそうじゃん」
「ぐっ……それはそうですが……」
言いよどむお燐。目茶苦茶なこと言ってることに気付かないのだろうか。そこがまた好きだけど。
「……あれ、もしかして……ははぁ、こいし様、あれですか? それ、わざとでしょ」
「わざと……? いったいどういう意味?」
「どういうも何も、そのままの意味です。さとり様を太らせたい。それが貴女の狙いですね」
「……っ……!」
「そう、考えてみれば簡単なこと……最初渋っていたのも、本当はダイエットなんてさせたくなかったから。そうでしょう?」
にやにやと笑みを浮かべて私を責め立てるお燐。しかも図星である。私は思わず動きを止めてしまった。
まずい。まずい。これはまずい。私のお姉ちゃんへの恋心が知られてしまうなんて、そんなの耐えられない。
ましてや、太っているのもまたいとおかしなんて考えているのが知れたら。
だめだだめだ。何か考えろ。別の言い訳を考えろ。そう、何か、別の――そうだ!
「ふっ……ダメね。全然ダメよ、お燐」
「強がりを言っても無駄ですよ、こいし様。私には分かる――そう、貴女は、」
「私はこのケーキを元々一番最初に出す予定だった――そう言えばどうかしら?」
「……!?」
「ご飯の前におやつを食べてはいけない……そう、お腹がいっぱいになってしまうから。それと同じ道理よ。
だからこそ私はこの特大ケーキを選んだ。糖分たっぷりの甘ったるい、私お手製のホールケーキをね」
窮地に陥った私が思いついた苦し紛れの起死回生。それがこの理論だ。
ある程度は理に適っていると思う。ちょっとくらいは。ほんの少しでも。せめてお燐を騙すことくらいは――
「……なーるほど。それならそうと最初に言って下さいよ! あっはは、全く、こいし様も悪いお人ですねぇ」
あっけなかった。
あまりにも肩透かしなオチに私はかくんと一瞬全身の力が抜けてしまう。
お燐はそんな様子の私に気付いていないようだったが、むしろ気付いてほしかった。ちょっとあんた、それ絶対誰かに騙されるって。
けれども流石にそこまで突っ込む余裕はなかった。いっぱいいっぱいなのである。
「まぁ、それはそれとして……それじゃあ、行動に移してみましょうか! ねぇ、こいし様?」
「――何やら騒がしいと思えば」
割り込んできた、淡々とした声。
聞き慣れたはずのその声色に、私の背筋は凍りつく。
ゆっくりと、振り返って。
その姿を直に見る。
「楽しいことをしていたようね。ねぇ、私も混ぜてくれないかしら?」
言わずもがな。
髪の毛を指に遊ばせながら、壁に寄り掛かるお姉ちゃんが、そこにいた。
◆
「――すいません! 誠に申し訳ございませんでしたああぁぁっ!!」
「だから、別に宜しいと言っているのに……貴女も人の話を聞かない子ね」
困った顔で呟くお姉ちゃん。
その前には土下座をして平謝りするお燐。おくうも隣に座って、お燐に無理やり頭を押さえつけられている。痛そうだ。
「まぁ、確かに私も最近、少々食べ過ぎかなぁ、と思っていたところですし……ちょうど良い機会だったのかもね」
「少々どころじゃないと思うんだけど」
「そこに座りなさい」
「ごめんなさい」
あぁ、この感触。
ちょっと冷たい感じがまたたまらないなぁ。
「大体、最初から私に相談すればそれで済む話だったのよ。
それに私は覚り。こいしはともかく、貴女たちの考えなんて筒抜けよ。そうでしょう?」
「あうう……仰る通りです。返す言葉もございません」
がっくりとうなだれるお燐。その様は見ていてとても痛々しい。本当に心から反省しているように見えた。
そんなお燐に対し、お姉ちゃんは何度も首を横に振る。そしてはぁ、と一度息を吐いて言った。
「謝る必要はありません。むしろこちらが謝りたいくらいです。こんなにも心配を掛けさせていたなんて……飼い主失格ね」
「そんなことありません! さとり様は、その、ええっと、んー、凄いです!」
「そうですさとり様! 私たちは貴女様だからこそ、こうして付き従っているのです! だからそんなこと言わないで下さい!」
お姉ちゃんの言葉を、ペットの二人は全力で否定する。目には涙まで浮かべていた。
「……そう。ありがとうね、二人とも。私はとても嬉しいわ。こんなに主人想いのペットがいて――」
そこでお姉ちゃんも感極まり、言葉に詰まる。瞼にたまった涙を、指でそっとぬぐった。
辺りにほんわかとした空気が漂う。でも、私にはどうしても一つ、聞きたいことがあったのだった。
「――ねぇ、お姉ちゃん」
「何かしら」
「お願い、これだけは答えて。……今日のお昼、どうして私を無視して出て行ってしまったの?」
そう。
今日のお昼のこと。お姉ちゃんは咳き込む私に全くの関心を示さず、そのまま食べ終えて自室へと戻ってしまったのだ。
私がお燐を止めはしたが、実際のところ私自身が、その行動に疑問を抱いていたのだ。
お姉ちゃんは私の質問を、目をつぶって黙って聞いていた。そしてこくり、と一度頷くと、ゆっくりと瞼と共に口を開いた。
「……ええ、ごめんなさい、こいし。貴女からすれば、きっと私が貴女のことを放っておいたように見えたのでしょうね」
「じゃあなんで!」
「動揺、していたのよ」
ふっ、と。
音が途切れる。
「一つ弁解させて貰うと……あの時、確かに私は動揺していたのよ。貴女が喉を詰まらせたことに。だって、その原因は私にあるから」
「お姉ちゃん、に……?」
「ええ。だって貴女、最近いっぱいご飯食べてるじゃない。私の真似して」
「…………」
真似?
真似。
真似、か。
成程、確かにそうだ。私はお姉ちゃんの真似をしていた。あるいは少しでも近付こうとするために、そうしていたのかもしれない。
そうしていないとなんだか、お姉ちゃんが私の手から離れて行くように思えて。そんなわけないのに、不必要な恐怖心に苛まれて。
だから、私はお姉ちゃんと同じような行動を始めたのだ。手始めに、一番分かりやすい「食事」という形態で。
「それで私も驚いた。驚いて驚いて、ご飯を残してしまったくらい。貴女たちならそれがどんなにおかしいことか、分かるでしょう?」
「え? だってお茶碗の中には……あ」
そこで気付く。
お姉ちゃんは毎日毎食、米びつの中のご飯を丸々たいらげるのだ。
でも、今日のお昼はどうだった?
――そうだ。お姉ちゃんはおかわりをして、食べて、部屋から出て行った――まだ、米びつの中には半分もご飯が残っているのに。
それがどんなに異常なことか。私たちはよく知っていた。
だから分かる。お姉ちゃんが上っ面だけでなく、本当に動揺していたことに――本当は、私のことを気に掛けていてくれたことに。
そんなことにも気付けなかったなんて。
私は、なんて、ばかなんだろう。
「……自己弁護は、これくらいにしましょう。確かに私は動揺していた。
けれど、そのまま黙って出て行っては、貴女を見捨てたも同じ――その罪は重い。よく理解しています」
さあ、どうぞお好きに、とお姉ちゃんは私と向かい合って両手を広げる。抵抗する意思はない、と示しているのだ。
けれども私はううん、と首を横に振って、駆け出し――お姉ちゃんの胸の中に飛び込んだ。
「違うよ、お姉ちゃん。そんなことじゃ私は、お姉ちゃんを嫌いになんかならないよ」
「そう。……優しいのね、こいしは」
そう言って、お姉ちゃんはぎゅうっと私の体を抱きしめた。それに応じるように、私もお姉ちゃんの体をぎゅうっと抱きしめ返す。
ああ、どうしてだろう。お姉ちゃんに抱きしめられるだけで、こんな気持ちになれるなんて。
なんて心地よく、温かで――こんなにも、幸せな気持ちになれるんだろう。
「……私は今、幸せよ。かわいい妹と、優しいペット。こんなに温かな家族が、私を気遣ってくれるなんて」
「それは違うわ」
「えっ?」
「だって、かわいいお姉ちゃんもいるじゃない」
私の答えに、お姉ちゃんはくすりと笑う。
それにつられて、私まで笑って。
更に連鎖し、お燐におくうも大笑い。
にわかに、ではあったけれど、その時確かに私たちは幸せの中にくるまれていたのだと思う。
お姉ちゃんは言った。
「……そうね。やっぱりダイエット、した方がいいものね。それじゃあ一つ、私も頑張っちゃおうかしら。みんな、手伝ってくれる?」
「当然!」
「もちろん!」
「あいあいさー!」
私たちの揃った応答に、お姉ちゃんは微笑んだ。
「ありがとう」
その笑顔に、私はすっかり打ちのめされて。
そうして再度、思うのです。
ああ、やっぱり私、お姉ちゃん大好きだわ、って。
あぁ、この感覚。一体どれくらいぶりだろう。胸を熱く焼き焦がすような、じりじりとした衝動。
私はそれを知っている。何年も前から知っている。瞳が開いていた頃から知っている。
鼓動が高まる。息が荒くなる。頬は熱を帯び、耳は赤く染まりきる。
でも、私の中の衝動は止まらない。体中を締め上げるこの狂おしい程の感情は、今にも私をくびり殺そうとしている。
なら、いっそ。
遂げてしまおう、この想い。
視線の先にはお姉ちゃん。
その姿は、まるでお相撲さんみたくて。
あぁ、正直に告白してしまおう。私の知っているこの想い。熱く熱く燃えたぎる、マグマのような熱情は。
私、古明地こいしの、姉、古明地さとりに対する、抑え難き恋心なのだと。
◆
身長142cm、体重83kg。
豊満な肉体は身を包む衣にぎゅうぎゅうと締め付けられ、艶めかしい曲線を幾重にも描いていた。
衣服の各部より伸びるサードアイのコードも、ぱっつんぱっつんの肉に食い込み今にも千切れそうである。
いわゆるボンレスハム状態。俗に言うふとりんであった。
誰得? 私得。
まるまると肥えたお姉ちゃんも、それはそれでかわいいのです。
「燐。おかわり」
「あいあい」
通常の物より一回りも二回りも大きな茶碗を、お姉ちゃんは私の隣にいるお燐に向かって差し出す。今日の給仕当番はお燐なのだ。
せっせかせっせか。お燐の手が忙しなく動き、茶碗の中が白米で埋まっていく。もうすっかり手慣れたものだ。
お姉ちゃん専用の飯びつには、もう半分ほどしかご飯が残っていない。既に食べてしまったのだ。
毎日毎日、空っぽになるまで食べるのである。
はい、とよそい終わったお燐が茶碗をお姉ちゃんに手渡す。お姉ちゃんはそれを満面に笑みを湛えて受け取った。
「ありがとう。やっぱり燐の炊いたご飯は美味しいわね」
「いえいえ。さとり様の食べっぷりも見ていて気持ちいいですよ。……でも、そう言って頂けると嬉しいですねぇ」
お燐は恥ずかしそうにぽりぽりと後頭部を掻く。その間にもお姉ちゃんは箸でご飯を口へと運ぶ。話を聞いていない。
その正面に座る私は、お姉ちゃんより少し小さいサイズの茶碗を持ってぽーっとしていた。見惚れていたのだ。
お姉ちゃんが私の視線に気付き、何かしら、と首を傾げる。それで私ははっと我に返り、慌ててご飯を口内にかっこんでむせた。
「うえっ、っげほ、げほげほ……!」
「だ、大丈夫ですかこいし様!? お背中を……」
「無理して食べるからよ……全く、落ち着きのない子ね」
お燐が背中をさすってくれている中、お姉ちゃんの辛辣な言葉が投げ掛けられる。少し嬉しかった。
脳に酸素が回らなくなる。思考が停滞し、血がどんどん赤黒くなっていく。毛細血管がぷちぷちっと何本も切れた気がした。
顔を真っ赤にさせ、ずっと咳き込む私。やがてそれも収まり顔を上げると、みんなが心配そうに私の方を見ていることに気付いた。
心が読めない私でも、表情を見れば大体分かる。
お燐にありがとうと伝えてペットたちに心配ないことを告げる。すると同時にお姉ちゃんが「ごちそうさま」と席を立った。
茶碗の中を見てみれば、たっぷりあったご飯は既に空っぽ。私が咳き込んでいる間にも、一心不乱に食べていたようである。
「こいし様がこんなにも苦しんでいるというのに……さとり様、最近ご飯のことばっかりですね」
「いいって、お燐……けほっけほ」
「……すいません、こいし様」
お燐が苛立ちを露わにする。周囲から見たら不快なのだろう。姉が妹のことを蔑ろにする、という光景は。
でも、私はそれでもいいと思っている。お姉ちゃんはそういう人だし、私にもあまり干渉してこない。だから、それは当然だった。
あと、お姉ちゃんにならちょっとくらい蔑ろにされた方が好きだったり。
「それにしても……こいし様、私、思うんですけど」
急に声をひそめて、私の耳元でこっそりと呟くお燐。彼女がこんなことをするのは珍しい。なになに、と私も耳を寄せる。
「最近のさとり様の食欲、ちょっと異常だと思いません? ほら、言っちゃ悪いですけど……こう、まるまるとしていますし」
「そうかな? 私も同じくらい食べてる筈だけど」
「こいし様は食べても太らない体質だからいいでしょうが!
……それに、今日もこいし様のことを放っておいて出て行かれました。流石にこれはちょっと、行き過ぎだと思います」
「ふぅん……まぁ、言われてみればそうかもしれないわね」
元々お姉ちゃんは小食だった。それがいつの間にやらこんな巨体になってしまったのである。
原因は明確。ここ最近の過食にある、と私ですら分かるのだ。お燐はそのことに関して憂いているのだろう。
「はっきり言います。さとり様は食べ過ぎです。おかげで地霊殿の食費もかさんで、今月の家計が火の車なんですよ!」
「火車だけに?」
「別にそういう意味ではなく」
ちなみにお燐は会計の担当でもある。苦労人だ。
それはそうとして、とお燐は咳払いをする。
「なので、ここは一つさとり様にダイエットをして頂こうかと。つきましてはこいし様にもご協力頂きたいのですが、宜しいですか?」
「えっ」
「……? 何か問題でも……?」
「いやー……ないっちゃないし、あるっちゃあると言うか……」
苦笑いで返す私に、首を軽く横に傾けるお燐。彼女は知らないのだ。私が今のお姉ちゃんにも魅力を感じているということを。
普段のお姉ちゃんも素晴らしいけれど、今の丸々と太った樽のような体型のお姉ちゃんもなかなか捨て難いのである。むちむちかつ妖艶な肢体。見よ、あの曲線美を。綺麗なカーブは見る者全てに衝撃を与える、黄金の弓をかたどっているかのようではないか。触れてみればぼよんと跳ね返す。弾力もまた申し分ない。お腹のお肉をつまむと、赤面して「やめて!」と懇願してくる姿のなんと愛らしいことか。以前は薄かったお尻も今はぷるんぷるんで何度頬ずりしても飽きることはない。ほっぺたのもちもち感なんかもう最高。一日一ぷには欠かせない最高級の嗜好品である。にじみ出る脂も格調高く、お姉ちゃんの高貴さ、気品をこの上なく引き立てている。そして何より、好物を目の前にした時のあの表情。食べることへの執着から生まれた奇跡のワンシーン。いくら写真にとっても物足りない、直に見るのとは及びにも付かない。もう逆に私がお姉ちゃんを食べたいくらいだ。そのくらいかわいいのである。
一口に語ってみても、これだけの魅力を有しているのだ。ていうかもう少し語らせろ。時間がない? ああそう。仕方ないわね。
とにかくそういった理由でとても賛同し難い計画だったのだが、けれども拒否すれば確実にお燐は怪しむだろう。馬鹿じゃないし。
自分の感情が少々常軌を逸していることくらい、自分でも分かる。故にバレてしまっては困るのだ。
なのでとりあえずここは頷いておく。
「……いえ、何でもないわ。うん、協力します。確かにちょっと食べ過ぎだものね。体に毒だと思う」
「そうですか! それは良かったです。いやぁ、こいし様のことだから嫌だと言われるかと」
「でも。ちょっと待って? 今のお姉ちゃんに、いったいどうやって食事制限をさせれば……」
「だから、それを二人で考えましょうと。意見を各自で出して、実行してみるのです」
「あぁ、ブレインストーミングってやつね。お姉ちゃんに教えて貰ったことがあるわ。三人寄れば文殊の知恵、とも」
「まぁそんな感じで。そういうわけで、まずは意見を出しあってみましょう。それではスタート!」
「おー!」
「おー!」
「え?」
「え?」
「うにゅ?」
知らない内に、烏が混ざっていた。
◆
前略。
おくうが仲間になりました。
いやまぁ、知られた以上は、というわけで。
ここは調理室。今は晩御飯のお時間です。
結局食べさせないのは無理じゃないかなぁという結論に落ち着き、なら料理で満足させればいいじゃないかと。
絶対量を減らす作戦に出たわけでした。
「それじゃあ、まずは私から行ってみましょうか。これです」
ばばん、とお燐が勢いよく出したのは微妙に青く染まったご飯。
見るからにいかにもまずそうなご飯だ。
「これは普通のふりかけご飯なんですけど、色が青いものでして……青は食欲を減退させるらしいんですね。ですから丁度宜しいかと」
「へー。さっすがお燐、考えてるじゃん」
「ふふん。おくうとは違うんだよ」
自慢げに胸を張るお燐。成程、私も思わず感心してしまうアイデアだ。
「確かに、気持ち悪い見た目してるもんねぇ……うぇ、私まで食欲なくなってきた」
「こいし様も、少しは食事制限なさった方が良いかと思いますが……さとり様とあんまり変わらないんですし」
「いいじゃん。別に太らないし」
「太る太らないの問題ではなくてですね……」
お燐は苦笑する。まぁ、心配してくれるのはありがたい。でも私は好きでこうしているのだからいいのだ。お姉ちゃんと一緒だし。
そう返すと、「本当、こいし様ってお姉ちゃんっ子ですよねぇ」とからからと笑った。
からかっているのか、それとも本心か。判断がつかないので私は沈黙を守った。
お燐はお盆に茶碗をのせて、既に食堂の席に座っているお姉ちゃんへと青いご飯を持っていく。
これ一杯でお腹いっぱいになれば成功だ。
でもね、お燐。私思うんだ。
その程度でお腹いっぱいになるなら、お姉ちゃんは太らなかったんじゃないかって。
「燐、おかわり」
「あれー!?」
食堂の方から声が聞こえる。
見事に玉砕したお燐の、悲痛な叫び声だった。
◆
「はい、次はおくう……っていうかもう何しても無駄だと思うけど。まさかあれを普通に平らげるとは……」
放心状態のお燐。かなりショックを受けているようだ。自信作っぽかったもんなぁ。
けれどもう終わってしまったものは仕方がない。お燐の犠牲は無駄にしない。私たちは彼女の屍を乗り越えて生きていくのだ。
「というわけでおくうね。どんなの考えたの?」
「えっと……はい、これです!」
そう言っておくうが出したのは、いつもより大量の――大皿にどかんと盛られた白いご飯。
丸い形の無地の皿。しかしサイズが規格外なのだ。私とお姉ちゃん、二人が乗っかってもまだ一人分のスペースはあるくらいの。
その上にこんもりと盛られた白飯の、なんと圧倒的なことか。
存在するだけで発される強大な威圧感。「おお……」と思わず言葉が漏れてしまう。それくらいの衝撃だった。
「なっ……そ、それは私の考えていた第二の作戦!
人は少しずつなら多く食べられるが、一気に目の前にどんと出されると途端に食欲を失ってしまうという……おくう、なかなかやるね」
「お燐が教えてくれたんじゃん」
「あれ? そうだっけ?」
覚えがないんだけどな、とお燐は首を傾げる。
……今までそれなりに頭がいいと思ってたけど、お燐、もしかして相当頭悪いんじゃ……?
「弾幕はパワー。ご飯もパワーよ!」
「よく分からない理論だけど……でも、確かにこの量は食べる意欲を失いそうよね。着眼点はばっちりだと思う」
「だからそれ私の考えたアイデアなんですけど……ああもう、おくうって良いところだけ持ってくよね」
「パワー!」
おくうは私たちの話を全く聞かずに、更にご飯をよそっていた。既に山である。
最終的にうずたかく積まれたほかほかのお米。いやこれ全部食べ切れるのか。私の身長ぐらいあるんだけど。
「フュージョン完了!」
そんな私の疑問をよそに、おくうは額ににじんだ汗をぬぐう。一仕事終えた後のさわやかな笑顔だった。
そして両手にお皿を持っててくてくと食堂まで歩いて行く。いや、抱えてと言った方が正しいか。
さて、結果は吉と出るか凶と出るか。私たちは期待と不安に包まれながら、おくうの後ろ姿を見送るのだった。
◆
結果から言えば、だめだった。
普通に食べた。ぱくぱく食べた。おいしいと顔をほころばせて。お姉ちゃんかわいい。
そうして結局、一粒残さずたいらげてしまったのだ。流石の私もこれにはびっくり。だって残して当たり前の量だったんだもん。
お前の胃袋はブラックホールか、なんて、そんな安直な例えがぴったりと当てはまる。お姉ちゃんの体は銀河系なのかもしれない。
戻ってきたおくうが言うには、すっかり食べてしまった後に「デザートが欲しい……」とぽつりとお姉ちゃんは呟いたのだそうだ。
そして奇しくも、私の用意していた作戦はお姉ちゃんの要望を満たすものだった。
「というわけでケーキです。じゃん!」
「いやいやいやいや! どうしてそうなるんですか! 目的見失ってますってそれ!」
お燐の突っ込みが素早く入る。
そんな私たちの目の前にはおっきなケーキ。さっきのおくうがよそったご飯と同じくらいの大きさだ。勿論私の用意したものだった。
「明らかにこれ太らせようとしてるじゃないですか! しかも今のタイミングでこれ出すって!」
「えー? そんなこと言うならおくうだってそうじゃん」
「ぐっ……それはそうですが……」
言いよどむお燐。目茶苦茶なこと言ってることに気付かないのだろうか。そこがまた好きだけど。
「……あれ、もしかして……ははぁ、こいし様、あれですか? それ、わざとでしょ」
「わざと……? いったいどういう意味?」
「どういうも何も、そのままの意味です。さとり様を太らせたい。それが貴女の狙いですね」
「……っ……!」
「そう、考えてみれば簡単なこと……最初渋っていたのも、本当はダイエットなんてさせたくなかったから。そうでしょう?」
にやにやと笑みを浮かべて私を責め立てるお燐。しかも図星である。私は思わず動きを止めてしまった。
まずい。まずい。これはまずい。私のお姉ちゃんへの恋心が知られてしまうなんて、そんなの耐えられない。
ましてや、太っているのもまたいとおかしなんて考えているのが知れたら。
だめだだめだ。何か考えろ。別の言い訳を考えろ。そう、何か、別の――そうだ!
「ふっ……ダメね。全然ダメよ、お燐」
「強がりを言っても無駄ですよ、こいし様。私には分かる――そう、貴女は、」
「私はこのケーキを元々一番最初に出す予定だった――そう言えばどうかしら?」
「……!?」
「ご飯の前におやつを食べてはいけない……そう、お腹がいっぱいになってしまうから。それと同じ道理よ。
だからこそ私はこの特大ケーキを選んだ。糖分たっぷりの甘ったるい、私お手製のホールケーキをね」
窮地に陥った私が思いついた苦し紛れの起死回生。それがこの理論だ。
ある程度は理に適っていると思う。ちょっとくらいは。ほんの少しでも。せめてお燐を騙すことくらいは――
「……なーるほど。それならそうと最初に言って下さいよ! あっはは、全く、こいし様も悪いお人ですねぇ」
あっけなかった。
あまりにも肩透かしなオチに私はかくんと一瞬全身の力が抜けてしまう。
お燐はそんな様子の私に気付いていないようだったが、むしろ気付いてほしかった。ちょっとあんた、それ絶対誰かに騙されるって。
けれども流石にそこまで突っ込む余裕はなかった。いっぱいいっぱいなのである。
「まぁ、それはそれとして……それじゃあ、行動に移してみましょうか! ねぇ、こいし様?」
「――何やら騒がしいと思えば」
割り込んできた、淡々とした声。
聞き慣れたはずのその声色に、私の背筋は凍りつく。
ゆっくりと、振り返って。
その姿を直に見る。
「楽しいことをしていたようね。ねぇ、私も混ぜてくれないかしら?」
言わずもがな。
髪の毛を指に遊ばせながら、壁に寄り掛かるお姉ちゃんが、そこにいた。
◆
「――すいません! 誠に申し訳ございませんでしたああぁぁっ!!」
「だから、別に宜しいと言っているのに……貴女も人の話を聞かない子ね」
困った顔で呟くお姉ちゃん。
その前には土下座をして平謝りするお燐。おくうも隣に座って、お燐に無理やり頭を押さえつけられている。痛そうだ。
「まぁ、確かに私も最近、少々食べ過ぎかなぁ、と思っていたところですし……ちょうど良い機会だったのかもね」
「少々どころじゃないと思うんだけど」
「そこに座りなさい」
「ごめんなさい」
あぁ、この感触。
ちょっと冷たい感じがまたたまらないなぁ。
「大体、最初から私に相談すればそれで済む話だったのよ。
それに私は覚り。こいしはともかく、貴女たちの考えなんて筒抜けよ。そうでしょう?」
「あうう……仰る通りです。返す言葉もございません」
がっくりとうなだれるお燐。その様は見ていてとても痛々しい。本当に心から反省しているように見えた。
そんなお燐に対し、お姉ちゃんは何度も首を横に振る。そしてはぁ、と一度息を吐いて言った。
「謝る必要はありません。むしろこちらが謝りたいくらいです。こんなにも心配を掛けさせていたなんて……飼い主失格ね」
「そんなことありません! さとり様は、その、ええっと、んー、凄いです!」
「そうですさとり様! 私たちは貴女様だからこそ、こうして付き従っているのです! だからそんなこと言わないで下さい!」
お姉ちゃんの言葉を、ペットの二人は全力で否定する。目には涙まで浮かべていた。
「……そう。ありがとうね、二人とも。私はとても嬉しいわ。こんなに主人想いのペットがいて――」
そこでお姉ちゃんも感極まり、言葉に詰まる。瞼にたまった涙を、指でそっとぬぐった。
辺りにほんわかとした空気が漂う。でも、私にはどうしても一つ、聞きたいことがあったのだった。
「――ねぇ、お姉ちゃん」
「何かしら」
「お願い、これだけは答えて。……今日のお昼、どうして私を無視して出て行ってしまったの?」
そう。
今日のお昼のこと。お姉ちゃんは咳き込む私に全くの関心を示さず、そのまま食べ終えて自室へと戻ってしまったのだ。
私がお燐を止めはしたが、実際のところ私自身が、その行動に疑問を抱いていたのだ。
お姉ちゃんは私の質問を、目をつぶって黙って聞いていた。そしてこくり、と一度頷くと、ゆっくりと瞼と共に口を開いた。
「……ええ、ごめんなさい、こいし。貴女からすれば、きっと私が貴女のことを放っておいたように見えたのでしょうね」
「じゃあなんで!」
「動揺、していたのよ」
ふっ、と。
音が途切れる。
「一つ弁解させて貰うと……あの時、確かに私は動揺していたのよ。貴女が喉を詰まらせたことに。だって、その原因は私にあるから」
「お姉ちゃん、に……?」
「ええ。だって貴女、最近いっぱいご飯食べてるじゃない。私の真似して」
「…………」
真似?
真似。
真似、か。
成程、確かにそうだ。私はお姉ちゃんの真似をしていた。あるいは少しでも近付こうとするために、そうしていたのかもしれない。
そうしていないとなんだか、お姉ちゃんが私の手から離れて行くように思えて。そんなわけないのに、不必要な恐怖心に苛まれて。
だから、私はお姉ちゃんと同じような行動を始めたのだ。手始めに、一番分かりやすい「食事」という形態で。
「それで私も驚いた。驚いて驚いて、ご飯を残してしまったくらい。貴女たちならそれがどんなにおかしいことか、分かるでしょう?」
「え? だってお茶碗の中には……あ」
そこで気付く。
お姉ちゃんは毎日毎食、米びつの中のご飯を丸々たいらげるのだ。
でも、今日のお昼はどうだった?
――そうだ。お姉ちゃんはおかわりをして、食べて、部屋から出て行った――まだ、米びつの中には半分もご飯が残っているのに。
それがどんなに異常なことか。私たちはよく知っていた。
だから分かる。お姉ちゃんが上っ面だけでなく、本当に動揺していたことに――本当は、私のことを気に掛けていてくれたことに。
そんなことにも気付けなかったなんて。
私は、なんて、ばかなんだろう。
「……自己弁護は、これくらいにしましょう。確かに私は動揺していた。
けれど、そのまま黙って出て行っては、貴女を見捨てたも同じ――その罪は重い。よく理解しています」
さあ、どうぞお好きに、とお姉ちゃんは私と向かい合って両手を広げる。抵抗する意思はない、と示しているのだ。
けれども私はううん、と首を横に振って、駆け出し――お姉ちゃんの胸の中に飛び込んだ。
「違うよ、お姉ちゃん。そんなことじゃ私は、お姉ちゃんを嫌いになんかならないよ」
「そう。……優しいのね、こいしは」
そう言って、お姉ちゃんはぎゅうっと私の体を抱きしめた。それに応じるように、私もお姉ちゃんの体をぎゅうっと抱きしめ返す。
ああ、どうしてだろう。お姉ちゃんに抱きしめられるだけで、こんな気持ちになれるなんて。
なんて心地よく、温かで――こんなにも、幸せな気持ちになれるんだろう。
「……私は今、幸せよ。かわいい妹と、優しいペット。こんなに温かな家族が、私を気遣ってくれるなんて」
「それは違うわ」
「えっ?」
「だって、かわいいお姉ちゃんもいるじゃない」
私の答えに、お姉ちゃんはくすりと笑う。
それにつられて、私まで笑って。
更に連鎖し、お燐におくうも大笑い。
にわかに、ではあったけれど、その時確かに私たちは幸せの中にくるまれていたのだと思う。
お姉ちゃんは言った。
「……そうね。やっぱりダイエット、した方がいいものね。それじゃあ一つ、私も頑張っちゃおうかしら。みんな、手伝ってくれる?」
「当然!」
「もちろん!」
「あいあいさー!」
私たちの揃った応答に、お姉ちゃんは微笑んだ。
「ありがとう」
その笑顔に、私はすっかり打ちのめされて。
そうして再度、思うのです。
ああ、やっぱり私、お姉ちゃん大好きだわ、って。
冒頭を読んだだけでギャグかと思いましたが、終わってみればハートフル。
良いお話でした!
ぷるぷるもちもちどころか垂れた腹の肉でおふぁんつが見えない。そんなレベル。
いい話なのに想像したら食欲減退orz
そして作者氏の愛も…どんな姿になってもかわいらしい姉、そしてそれを愛す妹。
若干お話の収束が早急な感はあれど、ギャグ→ハートフルでいい感じにまとまったのではないでしょうか。
次回はダイエット編ですね、楽しみにしています!
地霊殿組はいいですね、ハートフルです
こいしはちょっと変な子、っていうのがデフォルトなのかWWW
俺は頭を抱え、
こう思った
『くそっ!どうしてこうなった!!』
しかし、
読み進めていくと、
そのハートフルな物語に
惹かれていた…
でも何故か簡単にイメージ出来るのね。そしてその光景のせいで感動し切れなかったのね。
そのイメージのせいで特に
>髪の毛を指に遊ばせながら、壁に寄り掛かるお姉ちゃん
でめっさ吹いたww