何年ぶりかという表現も生ぬるい、そんな久しぶりあるいは初めての出来事だった。
唐傘お化けの妖怪多々良 小傘は、傍から見ればそれはもう悲しいことがあったんだろうなぁと言われるほど悲壮なテンションで森の中を歩いていた。
断じて飛んでいるのではない。空を飛ぶ能力があるくせに歩いているのである。
きれいな裸足に大きめの下駄をくっつかせながら、じめじめとして陰気な森を小傘は目的もなくのろのろと歩き回っていた。
時折お腹の辺りを弱々しくさすりながら。
「うぅ……もうダメ、倒れそう……」
自分でそんなことを言っておきながら、間髪入れずに膝からがくりと崩れ落ちる。
小傘はそのまま肘をも地面に投げ出して、傍から見ればそれはもう悔しいことがあったんだろうなぁと思われるほど器用な体勢でくず折れた。
ご丁寧に頭も腕と腕の間に入れ込む。そしてつむじと額の中間を地面につく。
丸っきり親友の墓の前で涙する主人公のような赴きで、小傘は長く細い息を吐き出した。
しかし小傘は悲しいことや悔しいことがあったのかと問われれば決してそんなことはなく、むしろ幸せになれるはずのイベントに遭遇したばかりだった。
妖怪の小傘にとっての幸せとはもちろん、人を驚かせることに他ならない。
だがその幸せと長らくご無沙汰だった小傘は、それを上手く活かすことができなかったのである。
今からほんの十分ほど前、お腹を空かせた、もといお腹を空かせっぱなしだった小傘は、人里近くの森で絶好のターゲットを見つけた。
「(人間の子どもだわ……! しかもたくさん! どうしてこんなところに)」
あまりの空腹にもはや背に腹は変えられぬ、あるいは背と腹がくっついてしまうと懸念したのか、
小傘は思い切って人里に突撃してやろうと思っていたところだった。
人里には人間の守護者がいて一妖怪である小傘など排除されて当たり前の存在であったが、このまま誰にも会わなければ腹が満たされるはずもない。
あそこに行けば少なくとも人やら気さくな妖怪はいるし、姿を見せればあるいは多少なりともびっくりしてくれるかもしれない。
そんな玉砕覚悟の小傘の前に現れた千載一遇のチャンス、それが人間の子どもの群れである。
「(そうか、いつの間にかだいぶ人里に近いところまで来ちゃってたのね……大人の目を盗んで出てきたのかしら)」
お腹の虫が鳴って子ども達に勘付かれてしまわないだろうかとひやひやしながら、小傘は冷静に状況を分析した。
子ども達はそれにしても夕方近い森の恐怖を知らぬわけではないのか、なにやら忍び足で森の中にできた獣道をそろそろと歩んでいる。
森の中でも一際目立つ、大きな木に向けて列を作りながら。
小傘は無い知恵を絞って考えた。この子ども達の目的地は、あそこの大木に違いない。
きっとあそこまで辿り着いてとんぼ返りして、誰にも見つからなかったーという武勇伝を自分達の中に作りたいのだ。
小さい子どもというのはどうしてもそういう人と違った何かに憧れる。かくいうわちきもそうだった。というか今もね。
どちらかといえば幼い妖怪の小傘には子ども達の心情が痛いほど分かった。
そしてその武勇伝を恐怖体験談に変えるのが小傘の役目かつ仕事かつ欲望である。
許せ子どもたち。わちきのハングリー精神はハングリーには変えられないのだ。
慣れない横文字を何故か自分の頭の中だけで使いながら、小傘はそろりと宙に浮き茂みの影を移動した。
そして大木近くの茂みにスタンバイする。ここなら間違いなく子どもが集まってくるだろう。
「(茂みに近づきすぎたかな。向こうの様子がぜんぜんわかんない……けど)」
いくら小傘がダメ妖怪とはいえ、身体能力ならばさすがに人間のそれをある程度は上回っている。
聞き耳を立てれば滝壺の前でも友人と会話くらいならできるだろうし、鼻のほうだって目をつぶっていても友達のそれなら嗅ぎ分けることが出来るだろう。
問題はその友達が全くいないことだが。小傘は目の端の涙をぬぐった。
湿度の高さからか濡れている地面を踏みしめる足音が近づいてくる。もちろん複数。
いちばん遠かった足音、列の最後の足音が止まった。いよいよ子どもたちは大団円を迎えるところ。……のはずだ。
小傘は茄子色傘の柄を握り締めた。今だ、行くぞタローちゃん(傘の名前)。
「うーらめーーしやああぁーーーーー!!」
「「「「うわぁあああああああああ!!!!」」」」
非常に配色の悪いタローちゃんを思い切り振り回し、茂みの中から思い切り気合を入れて小傘が飛び出す。
子どもたちはそれはそれは盛大に驚いた。ものすごい悲鳴もあがった。腰を抜かしてちびる子どもまでいた。
言うまでもなく結果は大成功。小傘のそれなりに長い妖怪人生を見ても、類を見ないほどの驚かせっぷりである。
しかし、新記録はそれだけでは終わらなかった。
「「「うぎゃあああああああ!!!」」」
「「「わおおーーーーん!!!」」」
小傘が茂みから飛び出す直前、子どもたちの前にいたのは、仲良く眠っていた野犬の親子、というか家族だった。
さらにその子どもたちの後ろにいたのは、小傘と全く同じことを考え、先回りして姿を消していた妖精三人組だった。
子どもたちは大木にただ向かっていたのではなく、眠っている野犬の家族を近くで見ようとしていただけなのである。
そして三人組の妖精たちは、その姿を見て悪戯心をくすぐられ、思い切り驚かしてやろうとしていたのである。
小傘はその集団全てを、いい意味でも悪い意味でも力の限り驚かしてしまったのだ。
「や、やったわ! これでお腹がいっぱいに……うぷっ!?」
人を驚かせるという喜びに思わず顔を綻ばせていたはずの小傘は、タローちゃんを投げ出し両手で口元を押さえた。
何年ぶりかと感じるほどのお腹の張り。永らく空っぽだったのが一気に満たされる胃袋。
小傘はそう、あまりにも多くの対象を驚かせすぎて、信じられないほどお腹が膨れてしまったのである。
「な、なにこれ……くるし……い……」
そして話は冒頭へと戻る。
お腹いっぱいの小傘は右往も左往もできず、ただ大木の近くをうろうろとするばかりだった。
揚げ句に立っていることすら億劫になり、大地に身を預けてしまう始末。
子供たちの嘆きを聞いた人里の守護者が駆け付けるのは、至極当然な流れだった。
「この辺りだな妹紅、子どもたちが話していたのは」
「(げ、まずい……)」
茂みの深いところでくず折れたまま、小傘はどきりと心臓が鳴るのを感じた。
このままではまずい。何がまずいって、茂みの中に隠れた形になっている自分がまずい。
子どもがまだ残っていないかあるいは大元の原因を探しに来たのかはわからないが、この声の主はまもなく自分を見つけるだろう。
茂みを掻き分け掻き分け、水色の衣装に身を包んでくず折れた女子を突然見つける形で。
そうなったら恐怖ではないにしろ声の主は驚くだろう。だがこれ以上はまずいのだ。
既に胃袋の中は驚きで一杯で、どう頑張ってもこれ以上は入りそうにない。下手をこくと最悪、パーン、である。
そんな事態はまっぴら御免だ。小傘は焦燥しつつも再び無い知恵を絞った。
「(そうだ、あそこに投げ出してあるタローちゃんを使えば……)」
先程小傘が投げ出してしまったタローちゃんは、おあつらえ向きに茂みの辺りに隣接して寝転がっていた。
あれに少々手を触れれば、茂みががさがさと音を立て声の主にやんわりとこちらの存在を気付かせてくれるに違いない。
それでも多少は驚かせてしまうことに変わりはないが、派手に驚かれるよりはいくらかマシだろう。
小傘は懸命に長くはない腕を伸ばし、傘の柄のいちばん下の下駄を掴んだ。そして、それを九十度ほど回転させた。
その回転に伴いタローちゃんがゆっくりと回転し、上手い具合に茂みがかさかさと音を立てる。
むっ、という古臭い反応が聞こえてきた。どうやら成功のようだ。
しかし今日の驚きの神様は、どこまでも小傘の背中を後押ししていた。
「う、うわぁあ!」
「うぐぐっ!?」
限界だと思っていた腹がさらに膨れ、小傘の頬がハムスターのように膨らむ。
なんとかリバースだけはギリギリのところで回避した。しかし、一体何が起こったのか。
タローちゃんはたぶん茂みの向こうからはまだ見えない位置にあるし、それほど大きな音も立てていない。
なのに何故、あんなに大きな驚きが返ってきたのか。
「も、妹紅! あ、あの赤いヘビみたいなのは……なんだ!?」
「んー? ……なんだありゃ、何かの舌じゃないか?」
あぁん、と小傘は内心で不ヅキに涙した。
寝転がっていたタローちゃんは偶然にも顔のほうがてっぺんを向いていたらしく、
小傘が回転させた拍子にその顔が横を向き、茂みからベロの部分だけが飛び出してしまったようである。
「舌……! ということは、ヘビか何かの妖怪じゃないか!?」
「おい、そこに誰かいるのか! いるなら返事をしろ、返事が無いなら敵と見なして焼いちまうぞ」
いやに豪気な女性の声が、ハムスター小傘の焦りをさらに加速させる。
いますいます。私、ここにいます。小傘はそう返事をしたかったが、今口を開いたら確実にリバースしてしまう。
しかしこのまま黙っていれば、小傘は忘れ傘から焼き忘れ傘にクラスチェンジしてしまうだろう。
そんなのはイヤだ。小傘は涙目になりながら、必死にんーんーとうめき声をあげた。
すると幸いなことに、豪気な女性は小傘のうめき声をいい具合に勘違いしてくれた。
「誰かいるのか、口が使えないのか? 今私が行くから待ってろ」
「んーんー」
助かった。ありがとう驚きの神様。間違えた逆だ。クソ喰らえ驚きの神様。
神の気まぐれか女性は拘束された子どもの姿を思い浮かべつつ、驚くことなくがさがさと茂みに侵入してきた。
それならば姿を見られても問題はない。口を使えないとはいえ今の小傘は、一見するとか弱い人間の子どもに見えるからである。
「んー、んー……」
「大丈夫かお前、って……お前人間じゃないだろ。妖怪じゃないか」
「どうした妹紅、犯人がいたのか?」
「慧音、コイツだよ。その舌もうめき声も、このからかさお化けの仕業みたいだ」
倒れた小傘の首根っこを掴んで、妹紅がぐいと小傘の体を引き上げる。
体が垂直になって少し楽になったのか、小傘は口の中のものを飲み込むことができた。
「んぐっ……ご、ごめんなさい、子どもたちを脅かしたのはわたしです……」
「なんで私が声を掛けたときすぐに返事をしなかった? 逃げる気だったんだろ」
「ち、違います、それはその……うぐっ!」
びくりと体を一つ震わせて、小傘は下腹部と口元にそれぞれ左右の手をやった。
声を出そうとすると横隔膜が収縮し、それにつられて胃袋が悲鳴をあげるのだ。
小傘は体の仕組みを知っているほど博識ではなかったものの、口を開くと事態がまずい方向に行くということだけはなんとなく理解できた。
妹紅の誤解を解きたいところだが、今口を開くのはもっとまずい。やばい。
進退窮まった小傘がお腹をさすっていると、今度は慧音が妹紅を制した。
「まあ待ってやろうじゃないか妹紅。なんだか苦しそうな様子だし」
「慧音……まあ、お前がそういうなら」
「じゃあそういうことだ。何があったのかは私の家で聞こう、悪いが手枷だけはつけさせてもらうぞ」
されるがままに両手首を紐で縛られ、小傘はまるきり連行される犯人の姿になった。
実際に犯人なのだから見た目はどうでもいいのだが、両手が使えないのはやや辛い。
胃袋からあがる悲鳴をなだめることができないからである。
「さぁもう少しの辛抱だ」
「う、うぐぐ……」
小傘を縛っている紐の先端を持ったまま、慧音は堂々と人里へ足を踏み入れた。
名も知らぬ妖怪を人目に晒しているというのに、躊躇する様子は微塵もない。
つまり人里の人間達も慧音が妖怪を連れ込むことに慣れているのだろう。
いずれにせよ自分を見ても驚く人がいないという事は、小傘にとって唯一の救いである。
これ以上は本当に無理だ。たぶん表面張力とかそういうギリギリな力が自分のお腹にかかっているに違いない。
慧音の歩みはけっこう速いので、それだけでも小柄な小傘には少々辛いものがある。
それでも体をくねらせるように身もだえしながら、小傘はなんとか慧音の歩みについていった。
「着いたぞ。ここが私の家だ」
「うぅ、は、早く……」
「まぁまぁ、慌てるな」
早く紐をほどいて。そう声を出したかったがお腹の都合でやっぱり小傘は喋れなかった。
楽な体勢というのもよくわからないが、とりあえず歩いているよりはじっとしているほうがマシに決まっている。
しかし慧音は家に入ってもなかなか小傘を開放せず、紐を持ったまま応接間を素通りしてどんどん奥へと進んでいく。
何の嫌がらせだと涙目になる小傘を差し置いて、慧音はようやく足を止め――小傘を厠の前に案内した。
「見たところ君は、腹の具合が悪いんだろう?」
「ち、ちが……うぷっ」
「何? 違うのか」
違わないけど違う。そういうお腹の悪さではない。
身をよじったり腹をさする仕草を見て小傘が腹を下していると思ったのだろう、驚いたような声で慧音がそう言う。そう、驚いたような声で。
ダメなの。いい人なのは分かるけど、そんな些細なことで驚いちゃダメなの……!
いよいよ小傘の胃袋がダメを押され、小傘は縛られた手のまま口元を塞ぎ、膝から崩れ落ちた。
「う、うぐぐうぐ……!」
「どうした! 大丈夫か!?」
小傘の様子に驚いた慧音が声を荒げる。
おねがいしますおねがいしますおどろかないでください。小傘の儚い願いは全くもって届かなかった。
顔を真っ青に染めた小傘を何かの病気だと思ったのか、慧音は妹紅に医者を呼ぶよう叫んでいる。
小傘の姿を見て、妹紅も少なからず驚いた。
そして小傘の胃袋は、盛大にギブアップ宣言をした。
「う……」
「う?」
「うええええええええええええ!!!」
普段の鈴の音のような可愛らしい声とは似ても似つかない声で、小傘はついに逆流を始めてしまった。
しかし逆流という表現を使うものの、小傘の腹には何も消化されかけた食べ物が入っているわけではない。
もちろん、口から目に見える何かが出てくるはずもない。
リバースされるのはそう、『驚き』これ一本である。
「一体どうし……うわあああああああああ!!!」
「うええええええええええええええええ」
小傘のリバースに呼応して、慧音自身も驚くほどの驚きで派手に驚く。
小傘から出てきたものは『驚き』という感情。すなわち、それに触れれば何が何でも驚いてしまう。
「うわああああああああああ!!」
「うえええええええええええ!!」
「慧音、何が起き……おおおおおおお!?」
慧音は妹紅を容赦なく突き飛ばしながらついには家を飛び出し、小傘から逃れようという本能からどこかへ向けて走り出してしまった。
手枷と称して小傘につけた紐をぎゅっと握り締めたまま。
つまり慧音は小傘を引きずり回す形で、人里マラソンを始めたのである。
「うわあああああああああああ!!」
「こんばんわ慧音様あああああああああ!?」
「慧音様! そんなに取り乱して何が……うひょおおおおおおおお」
「どうなされました慧音様! ここは一つ落ち着いてられるかああああああ!!!」
小傘の吐き出した驚きは瞬く間に人里中に伝染し、道行く人道行く人が全て驚くこととなった。
小傘からすればある意味夢のような現象である。が、それも小傘が平常状態だったらという話。
村人と小傘を引っ張る慧音が驚きまくるせいで、小傘の胃の中は吐き出したそばからすぐさま満たされてしまい、
その結果として小傘はおろろろろと驚きを吐き出すだけの付喪神となってしまった。
これが永久機関誕生の瞬間である。
「ひえぇ……ひええええええええええええぇぇええ!?」
「あんたを鳥目にしてあげられないいいいいいいいいい!!」
第一中継所の人里出口を区間新記録で駆け抜けた慧音は、その脚で無意識に博麗神社へと向かった。
途中遭遇した妖怪はもれなく全力で驚き逃げ出し、小傘の小さな体は相も変わらずガソリン満タンになっている。
さらに慧音が加速するあまり、小傘はついに大地を離れ、思いのほか上手く行かない凧揚げ状態となった。
物理的な問題で小傘は前のめりのような体勢になっていて地面しか見えない。
慧音にブレーキをかけようにも流れ行く景色を見つめることしかできない。神様お願いだからこの紐を切ってください。
これさえなんとかなれば小傘も解放されるのだが、小傘の祈りはまたしても神様にスルーされた。
「うわあああああああああああ!!」
「五月蝿いわね、一体何事よ!」
そうこうしているうちに慧音は博麗神社の鳥居を視界に捉え、その鳥居の元では霊夢が臨戦態勢で仁王立ちしていた。
慧音の叫びが聞こえたのかはたまた巫女としての勘か、霊夢は凄まじい勢いでやってくる慧音と小傘に早い段階で気がついていたのだ。
小傘は心底安心した。あの巫女ならきっと慧音を止めてくれるだろう。
自分は慧音に引っ張られているので、驚きよりも先に慧音が先行するはずだ。
それなら最悪でも止まることは出来る。その後を想像するのは怖いので小傘は考えるのを止めた。
猛然と突っ込んでくる慧音に対し、霊夢は力ずくで止めてやろうとスペルカードを構える。
そして霊夢のスペル・夢符『二重結界』の射程に慧音が侵入しようとしたとき――慧音は石畳に足を引っ掛け力の限りすっ転んだ。
「うわああああああ……へぶっ!!」
「きゃあああああああああああ!?」
転倒する際に慧音は小傘と繋がっていた紐の先端を放してしまい、小傘は霊夢の鼻先を掠めて上空斜め四十五度に投げ出されてしまった。
予想外の動きに一瞬泡を食った霊夢は驚きに触れてしまい、あの博麗の巫女からそれはそれは可愛らしい女子のような悲鳴が上がる。
うぐっ、と小傘は苦しげな呻き声をあげた。
霊夢を驚かすというのは小傘の一大目標であったが、この状況では下腹部への強烈な右フックと大差はなかった。
とはいえ慧音から解放されたという事実に変わりはない。
あとはどこか人目のつかないところに隠れて、お腹が落ち着くのを待つだけだろう。
博麗神社の上空を飛びながら小傘はそう考えて――地上の風景を見て絶望した。
いつだったか散歩がてら眺めたときに寂れきっていた神社は、今はおおよそ比べ物にならないほど賑わっていた。
そう、小傘の真下、博麗神社の境内では、今日も宴会が行われているところだったのである。
「おい! なんだありゃ?」
「さっき霊夢の悲鳴が聞こえたわよ?」
誰かのそんな声が耳に入ってくる。小傘は焦った。
まずい。このままでは誰かしらが自分を追いかけてくる。
そしてその誰かを驚かせてしまったら最後、初っ端の悲鳴が火付けとなり、残りの全員も順番に驚かせる羽目になるだろう。
お腹が空っぽになるまではまだまだ時間がかかる。もうこんな地獄が続くのはイヤだ。
そうと決まれば少しでも遠くまで逃げなければならないと、小傘は最後の力を振り絞って飛行を試みた。
しかしハンマー投げのハンマーになっている小傘に制空権はなく、小傘は博麗神社のお社を飛び越し、結局無防備に神社の裏手へと転落してしまった。
「(むぐっ!? め、目の前が真っ暗に!?)」
すると突然、小傘の視界が暗闇に包まれた。
どうも長らく続いていた雨で地面がぬかるんでいたらしく、田んぼのようになった泥に勢い余って全身ずっぽりとはまり込んでしまったようである。
小傘は慌てて脱出をしようとして、ふとした閃きからぴたりとその動きを止めた。
全身が隠れているのならこれはむしろ好都合ではないだろうか。
どうせやってくるのは酔っ払い、大した捜索もせずにすぐに引き上げていくに違いない。
「誰だったのかしら? さっきの」
「確かこの辺だったと思うんだけどなぁ」
すぐに何人かの声が集まってきて、自動的に息を潜める形になった小傘はもう一度天に祈った。
神様仏様驚きの神様。どうか私をお助けください。
またしばらくお腹を空かせる毎日が続いても構いません。
むしろもう二度とお腹一杯になれなくても文句を言いません。
だから今この一瞬だけは周りの連中に見つからないようにしてください。
あと驚きの神様は自重してください。
そんなどちらかといえば謙虚な小傘の願いが通じたのか、捜索に飽きた酔っ払いたちがまあいいやと適当な感じで引き上げて行く。
今度こそ助かった……! 小傘は泥の中で喜びに涙した。
「あれ? なんだあの紐は」
しかしその一声で小傘の涙は血の色に変わった。
どうやらこの期に及んで慧音につけられた紐が田んぼの中からコンニチワしていたらしく、それを誰かに見つけられてしまったらしい。
その声につられてなんだなんだと人の気配が再び集まってくる。
終わった。こんなことなら念仏を覚えておけば良かったと小傘はひどく後悔した。
「それじゃ抜くぜ、せーの……うわあああああああああああ!!」
「うええええええええええええ!!」
聞き覚えのある声の主が勢いよく小傘の紐を引っ張る。
するとべちゃべちゃに汚れた小傘が半分姿を現した。声の主はその姿に驚くあまりそこで紐から手を放してしまった。
さらに小傘がそこから驚きを再び吐き出し始めてしまい、瞬く間にその驚きがその場の全員に伝染していく。
小傘は中途半端に泥に埋もれていて身動きが取れず、容赦なく浴びせられる驚きにノックアウト寸前だった。
周りの妖怪の中には小傘を退治しようとする者もいたが、その勇者は漏れなく返り討ちと相成った。
「ええい、よくも幽々子様を! 妖怪が鍛えたこの楼観剣に!
斬れぬものなど……ありましたああああああああああああ」
「みんな落ち着いて! 幻術には幻術、ここは私の出番よ!
この瞳を見て……もう狂ってるうううううううううう」
「情けないわね貴女たち! 私が滅してやるから見てなさい!
こんなに月も紅いから……本気で驚くわよおおおおおおおおおおお」
いつもなら誰も驚いてなんてくれないのに、今日は誰も彼もが驚きの大安売り。
これがいんふれーしょんというやつか。反対な気がするけど何でもいいや。
朦朧とする意識の向こうにお花畑が見えてきた。一面の優しい黄色、それに渡るべきでない川。
あ、死神さんがこっちを見てる。なかなかタッパのある女の船頭さんだ。手招きなんかしちゃったりして。
……と思ったら驚きに触れて逃げてしまった。どうやらまだまだ死ねそうにない。
しかしそんな中、全てをあきらめた小傘が驚きと同時に魂を吐き出していると、
何者かが全く動じることなく紐を引っ張り上げ、小傘を今は誰もいない境内へと引きずっていった。
「うえええええぇぇえええ……」
「…………」
ずるずると泥の跡を残しながら、小傘はここぞとばかりに驚きを吐き出した。
うつ伏せに引きずられているのでお腹が辛い。しかし背に腹は変えられない。変えられるものなら変えたいが。主に体勢的な意味で。
しかし文句を言っている場合ではないのは百も承知である。小傘はめげずに驚きを吐き出し、ついに胃の中を空っぽにすることに成功した。
感謝の面持ちをした小傘が海老反りに面を上げると、そこには金髪に緑眼を持った妖怪の姿があった。
「はぁ、はぁ、助かった……」
「あんなに黄色い悲鳴を浴びるなんて妬ましい。そのまま天に召されればよかったのに」
「あぁ、助けてくれてありがとう……。
別にぜんぜん黄色くはなかったと思うけど……それにしてもどうしてあなたは私を見ても驚かなかったの?」
「……私は驚きを食べないからよ」
「え?」
突然持っていた紐が放され、へぶっ、という悲鳴とともに小傘が顎を地面に打ち付ける。
涙目になった小傘がもう一度視線を上げると、その妖怪は数刻前の小傘のように青白い顔をしていた。
「勇儀に無理矢理誘われて来てみたけど、やっぱり宴会なんて妬みの温床でしかないわね。
もうさっきからあっちもこっちも妬ましくて……うぷっ!」
「あなた、もしかして私と同じ……」
小傘がそう言いかけたとき、一度は逃げ出した妖怪たちがぞろぞろと戻ってきた。
「おー、やっぱりお前か傘妖怪。一体どんな魔法を使ったんだ? お前にあんなに驚かされるとは思わなかったぜ」
「あ、ま、魔理沙……この人って、もしかして……」
「この人? ってパルスィのことか? おーい勇儀、パルスィならここにいるぜ」
「おお、良かった良かった。すまないねパルスィ、私としたことがお前さんを置いて逃げるだなんて……
ん、どうしたんだいパルスィ、顔色が悪いぞ?」
「うぐ……その優しさが……ね、妬ましい……」
「どうしたんだい、飲みすぎちゃったか? 気分が悪いのか?」
「ね……ねたま……し……」
がくがくと震え始めたパルスィに対し、勇儀は着実にボディーブローを決めていく。
そんなパルスィを心配してか、どうしたどうしたと野次馬たちが次々と集まってくる。
これから先一体何が起こるのかは想像に難くない。
鼻緒の切れた下駄をあきらめ、小傘は脇目も振らずに駆け出した。
「う……」
「う?」
「うええええええええええええ!!!」
背後から聞こえる喧騒を尻目に、泥んこの足跡を残しながら石畳を駆け抜ける。
鳥居のところで倒れていた慧音を負ぶってやったのは、小傘のせめてもの償いだった。
慧音たちからの驚きで限界がきて逆流させてからの展開とか面白かったです。
面白い解釈だと思います。
全体的にもまとまっていて、最後まで楽しめました。
ノリのいい良質なコメディ活劇を見ているようでした。
俺も小傘ちゃんに驚かされたいいいひいいいいい!
やあ俺
面白かったです!
小傘で終わらずパルスィも出したところがより良かった
涙が出るくらい笑いながら読ませてもらいました。
作者はきっと笑いを食べる妖怪に違いないww
あのAAとフラッシュを思い出した
皆パルスィから逃げろ~!!
何より驚きリバースの発想に感心したw
とてもおもしろかったです!
思わず笑ってしまったw
逆転の発想ですね。すげえええええええええええええ!
てかその発想は無かったw
小傘はやれば出来る子だったんや……!