暖かくて気持ちのいい朝はコーヒーに限る。
風見幽香は下着にシャツ一枚というあられもない格好で、優雅に椅子へ座りコーヒーを啜っていた。
朝日に照らされた肢体は輝く真珠の様に美しく、組んだ脚も流れるようなラインが艶やかだ。
(今日も私は、び・じ・ん)
大きな鏡に映った自分の姿に欲情しながら、幽香は文々゜新聞を見る。
やたらと少女のパンチラや着替え現場の写真が多い新聞の記事で、幽香が注目したのは最近話題となっている命蓮寺の記事。そこでは命蓮寺の住人について紹介されていた。
白蓮という魔女の優しそうな笑顔に静かな強者の影を見つけて胸を躍らせ、ナズーリンという生意気そうな鼠娘の泣き顔を想像してほくそ笑み、ムラサというセーラー服の少女をズタボロにしたい欲望に頬を染め、雲山の顔に思わず笑ったりし、一輪という少女には気がつかなかったりした。
そんな中で幽香が一番気に入ったのは、真面目な顔で寝癖が跳ねている、毘沙門天の代理という虎の妖怪、寅丸星。
「この娘は、面白そうね」
桜色の唇から宝石のような歯を覗かせ微笑む幽香の眼は、血のような赤に彩られていた。
命蓮寺には記事の通りたくさんの妖怪や人間が訪れていた。
幽香は、挨拶をしてくる人間にはにこやかに挨拶を返し、そそくさと逃げ出す妖怪の背に殺気をぶつけながら本堂へ向かった。
本堂の中へ入ると、たくさんの人間と妖怪が何かに向かって熱心に拝んでいる。
その拝まれている対象の星は、寝癖の写真が嘘のように神々しく静かに鎮座していた。
毘沙門天の代理とはさすがなもので、幽香も思わず嘆息してしまう程の威厳に満ちている。
もっとじっくり星と接触したい幽香は、星が自由になるまで時間を潰すことにした。
「それでですね幽香さん。ぬえちゃんが、ムラサが、一輪がペラペラペラ……」
星が自由になるまで白蓮に挨拶でもと思った幽香だったが、軽く後悔していた。
歳をとった人間はお喋りになるとは聞いていたが、白蓮もその例に漏れないようだ。
彼女の長い永い説教や思い出話を内心うんざりしながらも笑顔で聞き流しながら、星が来るのを今か今かと待ち続けた。
幽香が白蓮に付き合ってから、体感時間で季節が三回ほど巡ったところで救いの声が聞こえてきた。
「白蓮、ただいま戻りました」
「そこで、私が必殺光線を! ってあらあら星、本日もお疲れ様でした」
「いえいえ、ところでそちらの御方は?」
「こちら、妖怪の」
「初めまして風見幽香よ。よろしくね」
挨拶ついでに、白蓮の長話から開放してくれた星に感謝の印としてウインクをしてみると、星もこちらの意図が理解出来たらしく、いえいえと小さく手を振って答えてくれた。
あらためて星を観察してみると、穏やかそうな表情は見る者に安心感を与えつつ、長い時間動かなかったはずなのに微塵も疲れを見せない姿からは力強さを感じさせる。そして、特に星の優れているところは殺気も出ていないのに隙が見当たらない所。
白蓮から聞いた話では、うっかりぽけぽけすっとこ星ちゃんとあだ名がついている星であるが、武神の代理を務められる事実からして、幽香から見ても文句無しの実力者だ。
(だからこそ、楽しめるわ。)
幽香は、胸中のヘドロが発酵するようなドス黒いワクワクなどは微塵も感じさせないように星に命蓮寺の案内をお願いした。
「へぇ、このお寺、元々宝船って割には案外普通なのね」
「……えっ、あっ、はい! 白蓮は親しみやすいほうがいいとのことだったので、あんまり派手なものは置いてないんですよ」
「ふ~ん。あら、庭は結構綺麗じゃない」
「そ、そうですか? あ、ありがとうございます」
「……」
「……」
「あの、幽香さん」
「なにかしら?」
「え~とですね、ちょっと近すぎではないですか?」
「あら、そんなことないと思うけど」
否定する幽香だが、実際の距離はお互いピッタリとくっつく程の近さであり、更に幽香が軽くしな垂れかかっているので星は若干歩きづらそうにしている。
星の頬が薄く桃色に染まり、少々落ち着かないのは、疲労からだろうか?
いや、違う。幽香にはその理由が分かっていた。
(虎に効くかは知らなかったけど、どうやら当たりらしいわね“マタタビ”)
今の幽香は猫を興奮させるというマタタビの香りを身体に纏っているのだ。
幽香は思い込みで 『虎は猫が大きくなったものでしょ? だったら、猫に効果あるなら虎にも効果があるわよね』 ということで試してみたのだが思いのほか成功だったようで、星は幽香の事が気になってしょうがないらしくチラチラと落ち着き無く視線を向けてくる。
フーフーと息も荒く、もじもじそわそわしている星からは、もはや凛々しさの欠片も無い。
そんなキュンキュンな星の姿を見て幽香のウキウキは最高潮に達していた。
(ここまできたなら、あともう一押しってところかしら)
虎が罠に掛かるまであともう一歩。
幽香は期待に胸躍らせながら最後の仕上げに取り掛かることにした。
「あら? ねえ、ちょっとついてきてくれるかしら」
突然、幽香は星の手を取って庭に走り出すと、とっさの事に反応できない星を茂みにつれこみ、自然な動作で胸元を少しあけた。
一層強くなった、マタタビと幽香の理性を溶かすような甘くとろける体臭がブレンドした香りに、背後の星が身を強張らせたのを幽香は気配で感じた。
しかし、幽香はまるで気がついていないかのように振舞い続ける。
「かわいいお花ね。ここの庭が……!」
幽香は最後まで言い切ることが出来なかった。
マタタビの香りに本能を刺激され続け、理性が大気圏外までぶっ飛んだ星に押し倒されたからだ。
ハァーハァーと息も荒く、もはや獣と化した星に対して、幽香はか弱い少女(笑)のような脅えた表情をしながらも内心ではガッツポーズを取っていた。
「ああ、星さん。どうしたのッ! ヤンッ!」
興奮した星は幽香を押さえつけると、その白い肌に赤い熱を帯びた舌を這わせる。
「アッ、……ちょっ! くすぐ!! ふあぁ」
幽香は猫科特有のざらざらした舌の感触に身悶えながら、星にされるがままとなっていた。
しばらく幽香を嘗め回した星だったが、正気に戻ると自分がしたことを自覚し、顔面蒼白になりそのまま膝を抱えて震え出してしまった。
幽香はというと、赤くなった肌など気にしていないかのようにはだけた服を着直し、尚も震える星の肩に優しく手を置いた。
「わ、私はなんてことを……」
「ええっと星さん、どうか気に病まないでね。私にも非はあるんだから」
励ましの言葉に表情が明るくなった星だったが、幽香の手にあるものを見た瞬間、針に刺されたかのように身体が跳ねる。
再び顔を青くし震える星に、幽香は後光でも差しそうな笑顔で語りかけた。
「ああ、このカメラ? せっかくだから星さんの野生的な姿を撮ったの。せっかくだから私のお友達にも見せてあげようかしら?」
星はたまらず目に涙を浮かべ、ウフフオホホと楽しそうな幽香の脚にすがりつくと捨てられそうな子犬のような儚さで懇願をした。
「お、お願いです! どうか、どうかこのことは、このことは!」
震える星の感触に心満たされた幽香は思わず垂れたよだれを拭いながら、お願いします、お願いしますと繰り返す星の眼前に手の甲を差し出す。
ふぇ? と事態が飲め込めない星に幽香は笑顔のままで言った。
「忠誠を誓いなさい。最初から靴はつらいだろうから手で勘弁してあげる」
「そ、そんな……」
「そ・れ・か・ら、私のことは幽香様とお呼び」
「わ、私は毘沙門天に仕える身です、そんなことは」
震えながらも抵抗しようとする星に幽香は黙ってカメラをチラつかせた。
星はカメラと幽香を力なく睨みつけると、観念したように幽香の手の甲に短く口付けをする。
その光景に幽香は満足そうに微笑んだ。
「ふふっ、これからよろしくね。仔猫ちゃん」
「よ、よろしくお願いします。幽香……様」
■
幽香が星を脅迫して数日後。
星が幽香と行動を共にすることが多くなったのを、白蓮一同は「星に仲のいいお友達ができたのね」と喜んだ。
しかし、そう思わないのが一人、星の部下であるナズーリンだけは幽香が星の友人とは思っていなかった。
集めた幽香の噂は、男のナニをもぐのが日課だとか、洋菓子屋のお菓子を一人で代金を払わずに食いつぶしたとか、変な薬の実験体を日々求めて徘徊しているとか碌なものが無い。
それに幽香が来たことを星に伝えたときに、星の身体が微かに強張るのを長年一緒に居たナズーリンには分かる。
(あの幽香って妖怪は信用できない。お人よしのご主人のことだからどうせ弱みでも握られてイジメられてるんだろう)
もしそうだとしたらナズーリンは黙っていられなかった。
かわいいご主人をいじるのは優秀な部下の特権なのだから。
何をするにもまずは情報収集が心情のナズーリンは、幽香が来ている間は近づいてはいけないと言われた星の部屋まで来ていた。
襖の奥には星と幽香が居るハズだが、音はよく聞こえない。
「まずは、襖に耳ありってところかな」
ナズーリンが大きく丸い耳を襖に密着させ神経を研ぎ澄ますと、中に居る二人の声が聞こえてきた。
「ココがいいのかしら?」
「ああん! そ、そんなこと……」
「口とは違って身体は正直ね」
「いっ、いやぁ、言わないでください! ッツ!!」
「? あら、星ったら我慢できなくて隠れてたのが顔出してるわよ」
「うぁぁ……あ、あまり擦らな…いで」
「! ふふっ、見つけたわ。あなたの弱いところ」
「あっ……あっ……」
「ほらほら、我慢なんてしなくていいのよ」
「アッー!!」
ナズーリンは全身が雪に埋まったかのように寒いのに、耳だけ暑いという奇妙な感じに襲われていた。
「そ、そこまで進んでいたのか!?」
予想外の展開に身体が湯たんぽのように火照ったナズーリンは、震える手で襖を少しだけ開けたが、そこから中を覗く勇気が出せずにその場から走り去ってしまった。
「まったく星ったら、耳かきというベタなネタでベタな反応ね」
「ふにゃ~」
幽香の耳かきテクニックによって、普段は隠している虎耳までさらしてしまう程骨抜きになった星に虎の威厳はなく、もはや飼い主に弄ばれる飼い猫そのものとなっている。
幽香は、膝の上で恍惚とした表情の星を優しくなでながら話しかけた。
「ねえ、星ちゃん。私に飼われる気になった?」
「! そっそれは、にゃふ~ん」
一瞬我に返りそうになった星の耳をこねて黙らせると幽香は少し開いている襖に目を向ける。
(あらら、見られちゃったかしら。全然問題ないけど)
すっかり星が気に入った幽香は、最初からかうだけのつもりだったのが今では半ば本気で星を欲しいと思い始めていた。
なんといっても星は黙っている時の凛々しさと、今のように気を緩めている時の無防備さのギャップが最高にかわいい。
もう、今すぐにでも力づくでお持ち帰りしたい! という欲望を幽香はなんとか抑えた。
(我慢よ我慢。それに、きっと焦らずともあともう少し……)
熱く萌える胸の内とは裏腹に幽香は冷静な表情を繕うと、まだふにゃふにゃ言っている星をペイッと放り捨てる。そして、星に女王様の様に言い放った。
「さあ、星。忠誠の口付けをしなさい」
言われた星は、特に抵抗の様子も見せずに幽香の手を取ると、その甲に口付けをしようとする。
しかし、幽香はススッと手を引っ込めた。
「違うわ星。今日からはここになさい」
言いながら幽香はスカートを巻くりあげ、その脚を露出させた。今まで数多くの敵を粉砕してきたとは思えないほどの清らかな脚を。
その奇跡の芸術品を前にした星は、熱に浮かされたような恍惚とした表情でその脚を恭しく両手で包み、つま先へ口付けをする。
つま先の暖かくこそばゆい感触に幽香は満足そうに微笑むのだった。
■
更に数日後。
幽香と星は、太陽の畑へピクニックに来ていた。
いつもは騒霊のコンサートや妖精達のおかげで騒がしいが、今日はいたって静かである。
星を呼び出した幽香であったが、暖かい日に当たっていると調教する気満々だったのがなんだかどうでもよくなってしまってきた。
(たまには、こんな風に過ごすのも悪くないかもね)
どことなく穏やかな気持ちで、河童特性保温箱から幻想郷では珍しいアイスクリームを取り出し舌鼓を打つ。
ふと、星が物欲しそうな目で見ているのに気がついた幽香は思わず苦笑してしまった。
お寺のお菓子といえば和菓子だろうから、アイスクリームを食べたことがなくても不思議ではないが、それにしたってウルウル光線とは分かりやすい反応だ。
(指くわえて見つめなくてもいいじゃない。かわいいんだから、もう!)
あなたの分もあるわよと言おうとした幽香はふと思いとどまった。
星の子供のような目に、収まっていたイジメっ子精神が復活してきたのだ。
「あら、星はこのお菓子が欲しいの? でも残念ね。これは私の分しか用意してないの。あなたは黙って見ていなさい」
「そ、そんな……」
しゅん……
(オオゥ……ショォウ)
目に見えてしょんぼりした星がかわいくて、思わず幽香は星から身体を背けると、溶けそうな程身悶えた。
思う存分悶えた幽香が、アイスクリームを一口頬張りながら星のぶんを用意しようとしたその時だった。
突然、星は幽香の両肩を持つと唇を重ね合わせた。
「ん゛っ!? う゛う゛~」
「はぁ……ふぅ、ん゛」
星は不意打ちのキスに目を白黒させる幽香などお構い無しに、己の舌を幽香の口内へ挿れると生き物のように幽香の舌に絡みつかせ、まだ残っていたアイスを残らず一心不乱に吸い尽くす。
幽香はざらざらしながらもなめらかな温もりが舌をもて遊ぶ感覚に呼吸すら忘れ、頭の中は真っ白に塗りつぶされてしまった。
そのネチョネチョした光景はあっという間に終わり、唾液の糸を輝かせながら唇を開放した星は、どこか焦点のあっていない目で「アイス、おいしいです」と満足そうにしている。
一方の幽香は、唇と口の中の温もりにしばらく呆然としていたが、我に帰った瞬間、顔をトマトのように真っ赤に染めて星の頬を思い切り引っ叩いた。
濡れた布が叩かれたような音が響き、星は殴られた頬をおさえながらその時になってようやく自分がやったことを理解したらしく
「えっ!? ああっと、その……ごめんなさい!!」
と叫ぶや否や飛んで逃げてしまった。
「こ、この! 待ちなさい……よ!」
追いかけてボテくり回そうとした幽香だったが身体の火照りが収まらず、しばらくその場から動くことができなかった。
■
更に更に数日後。
あの出来事が忘れられない幽香は、数日間悶々とした気持ちで寝込んでいたが、何とか気を持ち直すと今度は自分に恥をかかせた星に対して怒りが湧いてきた。
とはいっても、まだまだ気恥ずかしさが残っている幽香の怒りはぬるま湯ほどしか煮えてなく、いつもの溶岩が燃え滾るような怒りには程遠いものだが。
そんなこんなで、命蓮寺へ向かった幽香だったが、命蓮寺が数日間閉まっているという噂を聞くと急に心細くなってきてしまった。
なんでも毘沙門天様が病に伏せてしまったとのことで、その病に伏せた時期も引っ叩いた次の日らしい。
(まさか、叩きどころが悪かったとか? でも、そんなに強くは叩いてないはずだし、でもでも、あの時は気が動転していたから……)
幽香は悶々とした不安を抱いたまま、とうとう妙蓮寺まで来てしまった。
門が閉じられている寺はいつもの騒がしさが嘘のように静かで、それが寂しさを際立たせる。
「ごめんくださ~い」
幽香が声をかけると門が開き、ナズーリンが顔を覗かせ中へ入るように促した。
寺の中には白蓮達の姿も見当たらない。
いったいどういうことか尋ねるとナズーリンは口笛でも吹きそうなすまし顔で教えてくれた。
「ああ、ご主人と私以外には出かけてもらっているんだ。ご主人の希望で療養中の間は静かにしていたいとのことでね」
「そうなの。それで……星の様子はどうなのかしら?」
「ああ、割と元気だよ。ご主人は何でもかんでも大げさだからね」
「そう」
ナズーリンの言葉に幽香はホッと胸を撫で下ろす、と同時に今までなりを潜めていた怒りが沸沸と復活してきた。
「まったく、あの駄猫! この私に心配かけるなんて千年早いわ!」
何かを捻ったり千切ったりする動作をする幽香に、ナズーリンは分かる分かると頷き同意を示す。
そんなことをしている内に二人は星の部屋の前に着き、さっそく部屋へ入ろうとする幽香にナズーリンは声をかけた。
「ねえ、もしや君はご主人を調教しようとでもしてるのかい」
「そうだとしたら?」
「これ以上おふざけはよしたほうがいいよ」
「あらやだ、嫉妬してるの? あなたも結構かわいいところあるじゃない」
「いやまあ、君の為を思って言ってるんだけどね」
「大丈夫よ。星の次はあなたとも遊んであげるから」
ナズーリンはやれやれといった表情になると、部屋の襖を開けてくれた。
ありがとうと部屋に入っていく幽香の背中にナズーリンは言う。
「やれやれ、こういう場合はごゆるりと。とでも言えばいいのかな」
そしてため息をつくと静かに襖を閉めるのだった。
部屋の中には丸くなった布団がひとつ。
幽香はその布団の近くに座り込むと、よくこねた水飴のようなねっとりとしたオーラで布団を包み込んだ。
「ねえ、毘沙門天様。お体の調子はいかがかでしょうか?」
「ゆ、幽香さん!?」
丸くなった布団はぴょんと蛙のように飛び跳ねるとますます丸くなる。
「お、お久しぶりです……」
「あなた、私にあんなことしておいて自分は寝てるなんていいご身分ね」
「いや、あの、その」
「いいのよ別に、あんなことぜ~んぜん、ミジンコも気にしてないから!」
口ではそう言いながらも、青筋を浮かべている幽香は力任せに布団を引っぺがそうとした。
だが、それよりも早く布団が跳ね上がり、不意をつかれた幽香は飛び出してきた星に組み伏せられてしまった。
虎柄のパジャマのがかわいい星からほんのり漂う汗の香りに、幽香は顔を赤くしながらもなんとか抵抗を試みた。しかし、星の力は思いのほか強く、幽香の力を持ってしても振りほどくことが出来ない。
「ちょっと、何のつも……り?」
最初は勢いのあった語気も最後までは保たれなかった。
幽香は気がついてしまったのだ。星の眼が黄金に輝き、まるで飢えた獣を思わせるものになっていることに。
虎柄パジャマも合わさって今の星は本物の虎に見えた。
星の劇的な変化に言葉を失う幽香をよそに、星は興奮した様子で話しかけてくる。
「もう、我慢の限界です。幽香さんがあまりにも綺麗で……美味しそうだから」
言うが早いが、星は鋭く光る牙を幽香の喉元に突きつけた。
「えっ、ちょっと、星ったら嘘、でしょ? ねぇ、ねぇったら!」
幽香はなんとか星から逃れようともがいたが全く動きがとれず、暴れれば暴れる程、星は牙を食い込ませる。
「ひぃあ!?」
牙が頚動脈を捉えるのを実感した幽香は、おそらく数百年ぶりかもしれない情けない声を上げてしまった。
妖怪である幽香は頚動脈を切られても死なないかもしれない。だが、星の牙には圧倒的な死の気配が存在している。
その死の気配を感じた幽香の身体は震えだし、心は叩き潰されていった。
「ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! う゛、う゛ぇぇぇ~」
もはや獲物と化した幽香に出来ることは、泣きじゃくって懇願し、虎が気まぐれで助けてくれるのを祈ることだけである。
涙や鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして泣きじゃくる幽香の喉元から星は牙を外すと、獲物を味見するように幽香の涙を舌で拭っていった。
「ああ、やっぱり幽香さんは美味しいなぁ」
「いや、いやいやいや、ヤダヤダヤダヤダ」
幽香の哀れな声に星は心地よさそうに耳を済ませ、優雅に、無慈悲に、残酷に獲物を見つめる。
そして、恐怖に震える幽香の顔を愛おしそうに頬ずりした。
「それでは、頂きます」
ナズーリンが星の隠していたお饅頭を頬張っていると、星の部屋から襖が吹っ飛ぶ音がして、服がボロボロで妙に露出度の高い格好になった幽香が泣きながら飛んでいった。
ナズーリンが星の部屋へ行ってみると、妙に血色のいい星が満足そうにしているところだった。
「やあ、ご主人。調子よさそうだね」
「ええ、我慢していたものを開放してすっきりしました」
「最初はどうなるかと思ったけど、結局こうなるわけだね。まあ、ある意味安心したよ」
虎の妖怪である星は、妖怪としてはかなりまともである。
しかしながら、妖怪としての本能もしっかり残っている為、毘沙門天の代理として妖怪の本能を抑えて過ごしてきたのだった。
修行の結果、普通に暮らすならば特に我慢することなく本能を抑えられるようになった星だったが、今回のように本能を呼び起こされるような事をされてしまってはさすがに押さえが利かなくなってしまう。
そして、凛々しい美少年のような外見とは裏腹におとなしい性格の星は、サドなお姉さん方に大人気で、たまに今回のようなことが起こってきたのだ。
星の本能が食欲ではなく別の欲が強かったのは不幸中の幸いである。
まあ、ナズーリンとしては、星が我慢している本能を爆発させてあげられるチャンスはありがたいので、正直なところ幽香には感謝していた。
こんなことをしても星が毘沙門天の代理を務められるのは本人の徳の高さであるは間違いないし、むしろ今回のようなことの後には星の信者が増える。
きっと今頃は幽香も、星の(神業の)信者になっているだろう。
ただ、ナズーリンの悩みは、星の溜まりに溜まった本能の欲求が一回発散しただけでは収まらないことで、その矛先は……
「ナズーリンや、おいで」
笑顔で手招きしてくる星を見たナズーリンは、「まったく、しょうがないな」と呟きながら、用意していたマムシドリンクを飲み干した。
■
そのまた数日後。
あれから毎日、幽香が命蓮寺へ訪れては毘沙門天を拝みにきていることが話題となり
『あの幽香でさえ信仰させる』
と命蓮寺はますます評判をあげ、栄えていった。
幽香がボロボロになって命蓮寺から出てきたという噂もあったが、毘沙門天様に喧嘩を売ってコテンパンにされたんだろうということになり、星の評判も益々あがることになったのだった。
後に幽香は語る。
「ええ、そりゃもう、星様の舌で極楽浄土余裕でした」
風見幽香は下着にシャツ一枚というあられもない格好で、優雅に椅子へ座りコーヒーを啜っていた。
朝日に照らされた肢体は輝く真珠の様に美しく、組んだ脚も流れるようなラインが艶やかだ。
(今日も私は、び・じ・ん)
大きな鏡に映った自分の姿に欲情しながら、幽香は文々゜新聞を見る。
やたらと少女のパンチラや着替え現場の写真が多い新聞の記事で、幽香が注目したのは最近話題となっている命蓮寺の記事。そこでは命蓮寺の住人について紹介されていた。
白蓮という魔女の優しそうな笑顔に静かな強者の影を見つけて胸を躍らせ、ナズーリンという生意気そうな鼠娘の泣き顔を想像してほくそ笑み、ムラサというセーラー服の少女をズタボロにしたい欲望に頬を染め、雲山の顔に思わず笑ったりし、一輪という少女には気がつかなかったりした。
そんな中で幽香が一番気に入ったのは、真面目な顔で寝癖が跳ねている、毘沙門天の代理という虎の妖怪、寅丸星。
「この娘は、面白そうね」
桜色の唇から宝石のような歯を覗かせ微笑む幽香の眼は、血のような赤に彩られていた。
命蓮寺には記事の通りたくさんの妖怪や人間が訪れていた。
幽香は、挨拶をしてくる人間にはにこやかに挨拶を返し、そそくさと逃げ出す妖怪の背に殺気をぶつけながら本堂へ向かった。
本堂の中へ入ると、たくさんの人間と妖怪が何かに向かって熱心に拝んでいる。
その拝まれている対象の星は、寝癖の写真が嘘のように神々しく静かに鎮座していた。
毘沙門天の代理とはさすがなもので、幽香も思わず嘆息してしまう程の威厳に満ちている。
もっとじっくり星と接触したい幽香は、星が自由になるまで時間を潰すことにした。
「それでですね幽香さん。ぬえちゃんが、ムラサが、一輪がペラペラペラ……」
星が自由になるまで白蓮に挨拶でもと思った幽香だったが、軽く後悔していた。
歳をとった人間はお喋りになるとは聞いていたが、白蓮もその例に漏れないようだ。
彼女の長い永い説教や思い出話を内心うんざりしながらも笑顔で聞き流しながら、星が来るのを今か今かと待ち続けた。
幽香が白蓮に付き合ってから、体感時間で季節が三回ほど巡ったところで救いの声が聞こえてきた。
「白蓮、ただいま戻りました」
「そこで、私が必殺光線を! ってあらあら星、本日もお疲れ様でした」
「いえいえ、ところでそちらの御方は?」
「こちら、妖怪の」
「初めまして風見幽香よ。よろしくね」
挨拶ついでに、白蓮の長話から開放してくれた星に感謝の印としてウインクをしてみると、星もこちらの意図が理解出来たらしく、いえいえと小さく手を振って答えてくれた。
あらためて星を観察してみると、穏やかそうな表情は見る者に安心感を与えつつ、長い時間動かなかったはずなのに微塵も疲れを見せない姿からは力強さを感じさせる。そして、特に星の優れているところは殺気も出ていないのに隙が見当たらない所。
白蓮から聞いた話では、うっかりぽけぽけすっとこ星ちゃんとあだ名がついている星であるが、武神の代理を務められる事実からして、幽香から見ても文句無しの実力者だ。
(だからこそ、楽しめるわ。)
幽香は、胸中のヘドロが発酵するようなドス黒いワクワクなどは微塵も感じさせないように星に命蓮寺の案内をお願いした。
「へぇ、このお寺、元々宝船って割には案外普通なのね」
「……えっ、あっ、はい! 白蓮は親しみやすいほうがいいとのことだったので、あんまり派手なものは置いてないんですよ」
「ふ~ん。あら、庭は結構綺麗じゃない」
「そ、そうですか? あ、ありがとうございます」
「……」
「……」
「あの、幽香さん」
「なにかしら?」
「え~とですね、ちょっと近すぎではないですか?」
「あら、そんなことないと思うけど」
否定する幽香だが、実際の距離はお互いピッタリとくっつく程の近さであり、更に幽香が軽くしな垂れかかっているので星は若干歩きづらそうにしている。
星の頬が薄く桃色に染まり、少々落ち着かないのは、疲労からだろうか?
いや、違う。幽香にはその理由が分かっていた。
(虎に効くかは知らなかったけど、どうやら当たりらしいわね“マタタビ”)
今の幽香は猫を興奮させるというマタタビの香りを身体に纏っているのだ。
幽香は思い込みで 『虎は猫が大きくなったものでしょ? だったら、猫に効果あるなら虎にも効果があるわよね』 ということで試してみたのだが思いのほか成功だったようで、星は幽香の事が気になってしょうがないらしくチラチラと落ち着き無く視線を向けてくる。
フーフーと息も荒く、もじもじそわそわしている星からは、もはや凛々しさの欠片も無い。
そんなキュンキュンな星の姿を見て幽香のウキウキは最高潮に達していた。
(ここまできたなら、あともう一押しってところかしら)
虎が罠に掛かるまであともう一歩。
幽香は期待に胸躍らせながら最後の仕上げに取り掛かることにした。
「あら? ねえ、ちょっとついてきてくれるかしら」
突然、幽香は星の手を取って庭に走り出すと、とっさの事に反応できない星を茂みにつれこみ、自然な動作で胸元を少しあけた。
一層強くなった、マタタビと幽香の理性を溶かすような甘くとろける体臭がブレンドした香りに、背後の星が身を強張らせたのを幽香は気配で感じた。
しかし、幽香はまるで気がついていないかのように振舞い続ける。
「かわいいお花ね。ここの庭が……!」
幽香は最後まで言い切ることが出来なかった。
マタタビの香りに本能を刺激され続け、理性が大気圏外までぶっ飛んだ星に押し倒されたからだ。
ハァーハァーと息も荒く、もはや獣と化した星に対して、幽香はか弱い少女(笑)のような脅えた表情をしながらも内心ではガッツポーズを取っていた。
「ああ、星さん。どうしたのッ! ヤンッ!」
興奮した星は幽香を押さえつけると、その白い肌に赤い熱を帯びた舌を這わせる。
「アッ、……ちょっ! くすぐ!! ふあぁ」
幽香は猫科特有のざらざらした舌の感触に身悶えながら、星にされるがままとなっていた。
しばらく幽香を嘗め回した星だったが、正気に戻ると自分がしたことを自覚し、顔面蒼白になりそのまま膝を抱えて震え出してしまった。
幽香はというと、赤くなった肌など気にしていないかのようにはだけた服を着直し、尚も震える星の肩に優しく手を置いた。
「わ、私はなんてことを……」
「ええっと星さん、どうか気に病まないでね。私にも非はあるんだから」
励ましの言葉に表情が明るくなった星だったが、幽香の手にあるものを見た瞬間、針に刺されたかのように身体が跳ねる。
再び顔を青くし震える星に、幽香は後光でも差しそうな笑顔で語りかけた。
「ああ、このカメラ? せっかくだから星さんの野生的な姿を撮ったの。せっかくだから私のお友達にも見せてあげようかしら?」
星はたまらず目に涙を浮かべ、ウフフオホホと楽しそうな幽香の脚にすがりつくと捨てられそうな子犬のような儚さで懇願をした。
「お、お願いです! どうか、どうかこのことは、このことは!」
震える星の感触に心満たされた幽香は思わず垂れたよだれを拭いながら、お願いします、お願いしますと繰り返す星の眼前に手の甲を差し出す。
ふぇ? と事態が飲め込めない星に幽香は笑顔のままで言った。
「忠誠を誓いなさい。最初から靴はつらいだろうから手で勘弁してあげる」
「そ、そんな……」
「そ・れ・か・ら、私のことは幽香様とお呼び」
「わ、私は毘沙門天に仕える身です、そんなことは」
震えながらも抵抗しようとする星に幽香は黙ってカメラをチラつかせた。
星はカメラと幽香を力なく睨みつけると、観念したように幽香の手の甲に短く口付けをする。
その光景に幽香は満足そうに微笑んだ。
「ふふっ、これからよろしくね。仔猫ちゃん」
「よ、よろしくお願いします。幽香……様」
■
幽香が星を脅迫して数日後。
星が幽香と行動を共にすることが多くなったのを、白蓮一同は「星に仲のいいお友達ができたのね」と喜んだ。
しかし、そう思わないのが一人、星の部下であるナズーリンだけは幽香が星の友人とは思っていなかった。
集めた幽香の噂は、男のナニをもぐのが日課だとか、洋菓子屋のお菓子を一人で代金を払わずに食いつぶしたとか、変な薬の実験体を日々求めて徘徊しているとか碌なものが無い。
それに幽香が来たことを星に伝えたときに、星の身体が微かに強張るのを長年一緒に居たナズーリンには分かる。
(あの幽香って妖怪は信用できない。お人よしのご主人のことだからどうせ弱みでも握られてイジメられてるんだろう)
もしそうだとしたらナズーリンは黙っていられなかった。
かわいいご主人をいじるのは優秀な部下の特権なのだから。
何をするにもまずは情報収集が心情のナズーリンは、幽香が来ている間は近づいてはいけないと言われた星の部屋まで来ていた。
襖の奥には星と幽香が居るハズだが、音はよく聞こえない。
「まずは、襖に耳ありってところかな」
ナズーリンが大きく丸い耳を襖に密着させ神経を研ぎ澄ますと、中に居る二人の声が聞こえてきた。
「ココがいいのかしら?」
「ああん! そ、そんなこと……」
「口とは違って身体は正直ね」
「いっ、いやぁ、言わないでください! ッツ!!」
「? あら、星ったら我慢できなくて隠れてたのが顔出してるわよ」
「うぁぁ……あ、あまり擦らな…いで」
「! ふふっ、見つけたわ。あなたの弱いところ」
「あっ……あっ……」
「ほらほら、我慢なんてしなくていいのよ」
「アッー!!」
ナズーリンは全身が雪に埋まったかのように寒いのに、耳だけ暑いという奇妙な感じに襲われていた。
「そ、そこまで進んでいたのか!?」
予想外の展開に身体が湯たんぽのように火照ったナズーリンは、震える手で襖を少しだけ開けたが、そこから中を覗く勇気が出せずにその場から走り去ってしまった。
「まったく星ったら、耳かきというベタなネタでベタな反応ね」
「ふにゃ~」
幽香の耳かきテクニックによって、普段は隠している虎耳までさらしてしまう程骨抜きになった星に虎の威厳はなく、もはや飼い主に弄ばれる飼い猫そのものとなっている。
幽香は、膝の上で恍惚とした表情の星を優しくなでながら話しかけた。
「ねえ、星ちゃん。私に飼われる気になった?」
「! そっそれは、にゃふ~ん」
一瞬我に返りそうになった星の耳をこねて黙らせると幽香は少し開いている襖に目を向ける。
(あらら、見られちゃったかしら。全然問題ないけど)
すっかり星が気に入った幽香は、最初からかうだけのつもりだったのが今では半ば本気で星を欲しいと思い始めていた。
なんといっても星は黙っている時の凛々しさと、今のように気を緩めている時の無防備さのギャップが最高にかわいい。
もう、今すぐにでも力づくでお持ち帰りしたい! という欲望を幽香はなんとか抑えた。
(我慢よ我慢。それに、きっと焦らずともあともう少し……)
熱く萌える胸の内とは裏腹に幽香は冷静な表情を繕うと、まだふにゃふにゃ言っている星をペイッと放り捨てる。そして、星に女王様の様に言い放った。
「さあ、星。忠誠の口付けをしなさい」
言われた星は、特に抵抗の様子も見せずに幽香の手を取ると、その甲に口付けをしようとする。
しかし、幽香はススッと手を引っ込めた。
「違うわ星。今日からはここになさい」
言いながら幽香はスカートを巻くりあげ、その脚を露出させた。今まで数多くの敵を粉砕してきたとは思えないほどの清らかな脚を。
その奇跡の芸術品を前にした星は、熱に浮かされたような恍惚とした表情でその脚を恭しく両手で包み、つま先へ口付けをする。
つま先の暖かくこそばゆい感触に幽香は満足そうに微笑むのだった。
■
更に数日後。
幽香と星は、太陽の畑へピクニックに来ていた。
いつもは騒霊のコンサートや妖精達のおかげで騒がしいが、今日はいたって静かである。
星を呼び出した幽香であったが、暖かい日に当たっていると調教する気満々だったのがなんだかどうでもよくなってしまってきた。
(たまには、こんな風に過ごすのも悪くないかもね)
どことなく穏やかな気持ちで、河童特性保温箱から幻想郷では珍しいアイスクリームを取り出し舌鼓を打つ。
ふと、星が物欲しそうな目で見ているのに気がついた幽香は思わず苦笑してしまった。
お寺のお菓子といえば和菓子だろうから、アイスクリームを食べたことがなくても不思議ではないが、それにしたってウルウル光線とは分かりやすい反応だ。
(指くわえて見つめなくてもいいじゃない。かわいいんだから、もう!)
あなたの分もあるわよと言おうとした幽香はふと思いとどまった。
星の子供のような目に、収まっていたイジメっ子精神が復活してきたのだ。
「あら、星はこのお菓子が欲しいの? でも残念ね。これは私の分しか用意してないの。あなたは黙って見ていなさい」
「そ、そんな……」
しゅん……
(オオゥ……ショォウ)
目に見えてしょんぼりした星がかわいくて、思わず幽香は星から身体を背けると、溶けそうな程身悶えた。
思う存分悶えた幽香が、アイスクリームを一口頬張りながら星のぶんを用意しようとしたその時だった。
突然、星は幽香の両肩を持つと唇を重ね合わせた。
「ん゛っ!? う゛う゛~」
「はぁ……ふぅ、ん゛」
星は不意打ちのキスに目を白黒させる幽香などお構い無しに、己の舌を幽香の口内へ挿れると生き物のように幽香の舌に絡みつかせ、まだ残っていたアイスを残らず一心不乱に吸い尽くす。
幽香はざらざらしながらもなめらかな温もりが舌をもて遊ぶ感覚に呼吸すら忘れ、頭の中は真っ白に塗りつぶされてしまった。
そのネチョネチョした光景はあっという間に終わり、唾液の糸を輝かせながら唇を開放した星は、どこか焦点のあっていない目で「アイス、おいしいです」と満足そうにしている。
一方の幽香は、唇と口の中の温もりにしばらく呆然としていたが、我に帰った瞬間、顔をトマトのように真っ赤に染めて星の頬を思い切り引っ叩いた。
濡れた布が叩かれたような音が響き、星は殴られた頬をおさえながらその時になってようやく自分がやったことを理解したらしく
「えっ!? ああっと、その……ごめんなさい!!」
と叫ぶや否や飛んで逃げてしまった。
「こ、この! 待ちなさい……よ!」
追いかけてボテくり回そうとした幽香だったが身体の火照りが収まらず、しばらくその場から動くことができなかった。
■
更に更に数日後。
あの出来事が忘れられない幽香は、数日間悶々とした気持ちで寝込んでいたが、何とか気を持ち直すと今度は自分に恥をかかせた星に対して怒りが湧いてきた。
とはいっても、まだまだ気恥ずかしさが残っている幽香の怒りはぬるま湯ほどしか煮えてなく、いつもの溶岩が燃え滾るような怒りには程遠いものだが。
そんなこんなで、命蓮寺へ向かった幽香だったが、命蓮寺が数日間閉まっているという噂を聞くと急に心細くなってきてしまった。
なんでも毘沙門天様が病に伏せてしまったとのことで、その病に伏せた時期も引っ叩いた次の日らしい。
(まさか、叩きどころが悪かったとか? でも、そんなに強くは叩いてないはずだし、でもでも、あの時は気が動転していたから……)
幽香は悶々とした不安を抱いたまま、とうとう妙蓮寺まで来てしまった。
門が閉じられている寺はいつもの騒がしさが嘘のように静かで、それが寂しさを際立たせる。
「ごめんくださ~い」
幽香が声をかけると門が開き、ナズーリンが顔を覗かせ中へ入るように促した。
寺の中には白蓮達の姿も見当たらない。
いったいどういうことか尋ねるとナズーリンは口笛でも吹きそうなすまし顔で教えてくれた。
「ああ、ご主人と私以外には出かけてもらっているんだ。ご主人の希望で療養中の間は静かにしていたいとのことでね」
「そうなの。それで……星の様子はどうなのかしら?」
「ああ、割と元気だよ。ご主人は何でもかんでも大げさだからね」
「そう」
ナズーリンの言葉に幽香はホッと胸を撫で下ろす、と同時に今までなりを潜めていた怒りが沸沸と復活してきた。
「まったく、あの駄猫! この私に心配かけるなんて千年早いわ!」
何かを捻ったり千切ったりする動作をする幽香に、ナズーリンは分かる分かると頷き同意を示す。
そんなことをしている内に二人は星の部屋の前に着き、さっそく部屋へ入ろうとする幽香にナズーリンは声をかけた。
「ねえ、もしや君はご主人を調教しようとでもしてるのかい」
「そうだとしたら?」
「これ以上おふざけはよしたほうがいいよ」
「あらやだ、嫉妬してるの? あなたも結構かわいいところあるじゃない」
「いやまあ、君の為を思って言ってるんだけどね」
「大丈夫よ。星の次はあなたとも遊んであげるから」
ナズーリンはやれやれといった表情になると、部屋の襖を開けてくれた。
ありがとうと部屋に入っていく幽香の背中にナズーリンは言う。
「やれやれ、こういう場合はごゆるりと。とでも言えばいいのかな」
そしてため息をつくと静かに襖を閉めるのだった。
部屋の中には丸くなった布団がひとつ。
幽香はその布団の近くに座り込むと、よくこねた水飴のようなねっとりとしたオーラで布団を包み込んだ。
「ねえ、毘沙門天様。お体の調子はいかがかでしょうか?」
「ゆ、幽香さん!?」
丸くなった布団はぴょんと蛙のように飛び跳ねるとますます丸くなる。
「お、お久しぶりです……」
「あなた、私にあんなことしておいて自分は寝てるなんていいご身分ね」
「いや、あの、その」
「いいのよ別に、あんなことぜ~んぜん、ミジンコも気にしてないから!」
口ではそう言いながらも、青筋を浮かべている幽香は力任せに布団を引っぺがそうとした。
だが、それよりも早く布団が跳ね上がり、不意をつかれた幽香は飛び出してきた星に組み伏せられてしまった。
虎柄のパジャマのがかわいい星からほんのり漂う汗の香りに、幽香は顔を赤くしながらもなんとか抵抗を試みた。しかし、星の力は思いのほか強く、幽香の力を持ってしても振りほどくことが出来ない。
「ちょっと、何のつも……り?」
最初は勢いのあった語気も最後までは保たれなかった。
幽香は気がついてしまったのだ。星の眼が黄金に輝き、まるで飢えた獣を思わせるものになっていることに。
虎柄パジャマも合わさって今の星は本物の虎に見えた。
星の劇的な変化に言葉を失う幽香をよそに、星は興奮した様子で話しかけてくる。
「もう、我慢の限界です。幽香さんがあまりにも綺麗で……美味しそうだから」
言うが早いが、星は鋭く光る牙を幽香の喉元に突きつけた。
「えっ、ちょっと、星ったら嘘、でしょ? ねぇ、ねぇったら!」
幽香はなんとか星から逃れようともがいたが全く動きがとれず、暴れれば暴れる程、星は牙を食い込ませる。
「ひぃあ!?」
牙が頚動脈を捉えるのを実感した幽香は、おそらく数百年ぶりかもしれない情けない声を上げてしまった。
妖怪である幽香は頚動脈を切られても死なないかもしれない。だが、星の牙には圧倒的な死の気配が存在している。
その死の気配を感じた幽香の身体は震えだし、心は叩き潰されていった。
「ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! う゛、う゛ぇぇぇ~」
もはや獲物と化した幽香に出来ることは、泣きじゃくって懇願し、虎が気まぐれで助けてくれるのを祈ることだけである。
涙や鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして泣きじゃくる幽香の喉元から星は牙を外すと、獲物を味見するように幽香の涙を舌で拭っていった。
「ああ、やっぱり幽香さんは美味しいなぁ」
「いや、いやいやいや、ヤダヤダヤダヤダ」
幽香の哀れな声に星は心地よさそうに耳を済ませ、優雅に、無慈悲に、残酷に獲物を見つめる。
そして、恐怖に震える幽香の顔を愛おしそうに頬ずりした。
「それでは、頂きます」
ナズーリンが星の隠していたお饅頭を頬張っていると、星の部屋から襖が吹っ飛ぶ音がして、服がボロボロで妙に露出度の高い格好になった幽香が泣きながら飛んでいった。
ナズーリンが星の部屋へ行ってみると、妙に血色のいい星が満足そうにしているところだった。
「やあ、ご主人。調子よさそうだね」
「ええ、我慢していたものを開放してすっきりしました」
「最初はどうなるかと思ったけど、結局こうなるわけだね。まあ、ある意味安心したよ」
虎の妖怪である星は、妖怪としてはかなりまともである。
しかしながら、妖怪としての本能もしっかり残っている為、毘沙門天の代理として妖怪の本能を抑えて過ごしてきたのだった。
修行の結果、普通に暮らすならば特に我慢することなく本能を抑えられるようになった星だったが、今回のように本能を呼び起こされるような事をされてしまってはさすがに押さえが利かなくなってしまう。
そして、凛々しい美少年のような外見とは裏腹におとなしい性格の星は、サドなお姉さん方に大人気で、たまに今回のようなことが起こってきたのだ。
星の本能が食欲ではなく別の欲が強かったのは不幸中の幸いである。
まあ、ナズーリンとしては、星が我慢している本能を爆発させてあげられるチャンスはありがたいので、正直なところ幽香には感謝していた。
こんなことをしても星が毘沙門天の代理を務められるのは本人の徳の高さであるは間違いないし、むしろ今回のようなことの後には星の信者が増える。
きっと今頃は幽香も、星の(神業の)信者になっているだろう。
ただ、ナズーリンの悩みは、星の溜まりに溜まった本能の欲求が一回発散しただけでは収まらないことで、その矛先は……
「ナズーリンや、おいで」
笑顔で手招きしてくる星を見たナズーリンは、「まったく、しょうがないな」と呟きながら、用意していたマムシドリンクを飲み干した。
■
そのまた数日後。
あれから毎日、幽香が命蓮寺へ訪れては毘沙門天を拝みにきていることが話題となり
『あの幽香でさえ信仰させる』
と命蓮寺はますます評判をあげ、栄えていった。
幽香がボロボロになって命蓮寺から出てきたという噂もあったが、毘沙門天様に喧嘩を売ってコテンパンにされたんだろうということになり、星の評判も益々あがることになったのだった。
後に幽香は語る。
「ええ、そりゃもう、星様の舌で極楽浄土余裕でした」
それに対してマムシドリンク常備のナズさんパネェ
幽香様の仇とってくる
これでは抽象的すぎて意味がわかりません。
もっと詳しく判るように具体的な内容をしっかり記述してください。
>今日も私は、び・じ・ん
>か弱い少女(笑)
出だしからコーヒーが机上に拡散しました
げふんげふ(ry