早朝。
冬の空はどこまでも青く透き通っていた。
千切れた雲があちこちに浮かび東の方へと流れていく。
一輪はその雲の群れに向かって大きく声を張り上げた。
「おーい!」
すると雲の一つがピクリと反応し地上へ降りてきた。
上空ではかなりの大きさのはずだったが地上に着いたときには大分その体積を減らしている。
「どうだった?上の様子は」
雲山はその体を小さく震わせ何かを訴えた。
「ふ~ん南のほうから湿った風ねえ。一雨来るかなこりゃ」
一輪は毎朝雲山を上空に飛ばしこうして天気の情報を得ていた。ちなみに的中率は龍神の石像を上回るらしい。
「ご苦労さん。じゃ、里の見回り頼んだよ」
一輪が手元の輪っかをくるっと回すと雲山はその体を極限にまで広げ、地表を勢い良く広がった。
水蒸気の域まで薄まった雲山は里全体をカバーすることが可能である。これにより一輪は命蓮寺を中心とした監視及び警護を行っていた。
滅多に事件が起こるわけではないし必要かと問われれば微妙なとこだが、根が真面目な一輪は自主的にこの活動をしている。
得られる情報といえば「最近鼠の被害が多い」みたいな世間話程度のものだが。
寺へと戻ると丁度ムラサが自身のセーラー服を含めたみんなの洗濯物を干しているところだった。
一輪に気づいたらしくムラサは作業の手を止め声をかけた。
「あ、いっちゃんお帰りー」
「ただいま、みつ。そうだ今日雨降るってよ」
「マジで?こんなに晴れてるのに?」
「お昼過ぎくらいからになるんじゃないかな。ま、覚えといて」
「あいさー」
ムラサは敬礼のポーズをとりながら答えると作業に戻った。
一輪が中に入ると御堂の方から声が聞こえる。どうやら白蓮と星がまだ読経を続けているようだ。
邪魔しないよう静かに台所に向かうとナズーリンが朝食の支度をしていた。
「おはよ、ナズ」
「やあおはよう一輪。ご飯ならもうすぐ出来るから掛けて待っていてくれ」
「何か手伝うことはあるかい?」
「そうだな、お箸と皿の用意を頼もうか」
「合点承知」
手際よく箸と皿を並べていく。そうして食事の支度が終わる頃、ぞろぞろと面子が集まってきた。
「皆さんおはようございます」
「おはようございます。おや、今日はナズーリンが当番なんですね」
「おっはー。今日はなずなずが当番かー、じゃあ明日は私の番だあね」
「丁度みんな集まったようだね。ちゃちゃっと食べようか」
「一輪、ご飯をよそってくれないか?私は味噌汁を持ってくから」
わいわいがやがや、少々寺には似つかわしくない賑やかさだが白蓮がそちらの方がいいということでこれが命蓮寺の日常風景となっている。
ここで白蓮と星は今日のスケジュールの確認や打ち合わせ、他三人は買出しやら掃除当番の話をするのが常だ。
それぞれ朝食を食べ終えると白蓮と星は御堂の方へ戻っていった。それを見送り一輪たちは朝食の片付けに入った。
その時一輪は何かに足を引っ張られるのを感じた。足元に目をやると白い靄が一輪の足に付きまとっている。
「いっちゃんどした?」
隣のムラサが不思議そうに一輪に尋ねた。
「雲山だ。何があったんだろ」
一輪が右腕を一振りすると部屋に風が漂い白い靄が集まり始め、やがて雲山の顔が浮かび上がってきた。
「どうしたの?雲山」
雲山が用向きを伝える。傍目には収縮を繰り返しながら表情を変えてるようにしか見えないが一輪にはその内容がしっかりと伝わっていた。
「何だったんだい?」
「黒い帽子を被った緑髪の紅白の巫女服を着た何かが家に侵入した……らしいよ」
「3人くらい心当たりがあるねー」
「いや、恐らくその3人の内のどれでもないな」
「だろうね」
またか、といった感じで三人は顔を見合わせた。
「今度は何だろうな。前は私のダウジングロッドがうまい棒になっていたよ」
「私は頭巾が防災頭巾(名前入り)になってた」
「私はねー、マイ錨が>>になってたよー」
なんてことを言っていると襖が大きな音を立てて開き星が部屋に入ってきた。
「た、た、大変だナズーリン!!」
「宝塔が東京タワーになっていた」←ナズーリン
「宝塔がエッフェル塔になっていた」←一輪
「宝塔がほうとう(郷土料理)になっていた」←ムラサ
「一輪正解!」
「よっしゃ」
小さくガッツポーズを取る一輪。ついでに雲山とハイタッチ。見ると確かに星の手にはパリの建造物が収まっていた。
これはこれで威厳はあるがこの和風の空間ではやはり浮いてしまっている。
「どうしようどうしよう毘沙門天様からもらった大切なものなのに」
「落ち着きたまえご主人。聖がいなくなった後も寺を守り続けてきたあなたがこの程度で取り乱すな」
「犯人分かりきってるしね」
「あいつしかいないよねー」
一人でおたおたする星を尻目に、三人は落ち着いてるのか呆れているのかずいぶん冷めた反応を示していた。
「部下たちに探させようか?多分まだ中にいるだろ」
「いや、こういう場合は雲山に任せたほうが早い」
朝と同じように右腕の輪っかを回転させると雲山は寺中に広がった。若干濃度も濃くなっている。
一瞬で寺が白い靄に包まれたかと思うと隣の部屋からがたっ、と物音が聞こえた。
急いでそちらに向かうと中には雲山の手に掴まれたぬえが転がっていた。
「ちょっと!何よこれ!」
「ナイス雲山。そのまま離すなよ」
「懲りないねーぬえっちも」
「流石一輪殿!こんな複雑な操作ができるのはあなただけだな!」
「感心してないでさっさと元に戻してもらえご主人」
なおも雲山の手から離れようとじたばた藻掻くぬえの前にずい、と星が迫る。
改めて威厳を示そうと仰々しく咳払いをしその口を開いた。
「我が宝塔にこのような悪戯をするとは言語道「あらあらこの騒ぎはなあに?」
だん、と星が弱々しく振り向くと白蓮が騒ぎを聞きつけ部屋に入ってきたところだった。
白蓮に見つかり星とぬえを除いた三人がしまった、という顔を浮かべる。
「あー、姐さん。ここは大丈夫だから姐さんは戻ってくれ」
「そうそう、聖に迷惑かける訳にはいかないからさ」
「聖!こいつが私の宝塔を!」
「黙ってろご主人」
でも、と戸惑いの表情を見せる聖を説得する三人。最終的には講演が控えてるということで星共々戻らせた。
「危なかったねーぬえっち」
「ああ、あのままだと摂心コースまっしぐらだったからね」
「な、なによ」
「流石にこんな悪戯程度であれをさせるのは忍びないしな。ご主人には悪いが」
聖は誰かを叱る際、決して怒らず怒鳴らずただ修行を行わせる。
その内容は一週間ずっと座禅を組ませるというもので、部屋中に結界を張られ逃げることもできず妖力を強制的に抑えられた状態での座禅はかなりきついものがあった。
しかもそれが善意からくるものだから一層たちが悪い。
「どうする?もううちにちょっかい出さないって約束するなら解放してやるけど」
「ぬえっちも素直に従った方がいいと思うよー?」
「それが賢明な判断だな、うん」
しかしぬえは
「べー!!!!」
と出来る限り大きく舌を突き出した。全く反省する気は見えない。
最早意地の領域である。
三人はそれを見てそれぞれ深い溜息をついた。
「取り敢えず痛い目あっとくか?姐さんのあれよりはマシだろ」
「しょうがないねー」
「反省の意が見られないからな。致し方あるまい」
「んじゃさっそく……15回ってところかな?」
やれやれ、といった感じで一輪が大きく右腕を回し始めた。一回転、二回転と回数を重ねる度にその腕に雲山が収束していく。
圧縮に圧縮を重ねたそれはとてつもない強度となり、一輪の腕に拳骨となって装着された。
まるで右腕だけが異様に巨大化したような光景に思わずぬえは身をすくめた。
「ひっ……!」
「15回っと。ま、悪い子には拳骨だって相場が決まってるからな」
「歯ぁ食いしばっといたほうがいいぞ。優しい鼠さんからの忠告だ」
「痛くても泣かないでねー」
一輪が腕を大きく振りかぶったと思うと──次の瞬間、ものすごく鈍い音が寺中に響いた。
大気の震えが全体に伝わり、木々を揺らし、庭の鳥たちが慌てて飛び立っていく。
「──!!いたいいたいいたいいたい!!」
雲山に掴まれたまま床をゴロゴロするぬえ。たんこぶこそ出来てないが頭を押さえ身を捩らせている。
「ふぅ、これに懲りたらもう悪さすんなよ。あと術も解け」
「効いてるねー、流石いっちゃんの拳骨」
「あれは純粋に“痛い”からね。同情するよ」
くるん、と先程とは逆方向に腕を回転させるとぬえを拘束していた手と装着されていた拳骨の両方が解除された。
解放されたにも関わらずぬえは痛みで立ち上がることもできなくなっているようだ。
「いぅぅ……」
「さっさと宝塔を元に戻して帰んな正体不明」
「今度またご飯食べにおいでよー」
「悪戯抜きなら歓迎しよう」
三人の目は決して非難するようなものではなく温かく優しさが含まれていた。
何だかんだでこの悪戯妖怪を嫌っているわけではないようだ。
だがぬえのほうはといえば
「ふーんだ!平安の都を恐怖に陥れたこの私が拳骨程度で怯むもんか!」
どこまでいってもこの通りである。ダメージからも回復したようで背中の羽を広げすぐさま外へと飛び出した。
「やーいお前の姐ちゃん若作りー!!」
捨て台詞も忘れない。ここまで来ると立派ともいえる。
一輪は呆れるような感心するような複雑な表情を浮かべ、ムラサに指示を出した。
「みつ、トドメ」
「あいさー」
ごりごり、という音と共にどこから出したのか巨大な錨がムラサの手に収まっていた。
ムラサはその鎖部分に手をかけ投げ縄の要領でぶんぶんと振り回し──
「そおれっ」
──上空の黒い粒に向かって投げた。
錨はまるで吸い込まれるように対象へ向かい、今まさに姿を消そうとしていたぬえに容赦なく命中した。
素早く錨を引き戻すムラサ。一方ぬえはまるで殺虫剤をかけられた蚊のように
「落ちた」
「落ちたねー」
「落ちたな」
術者が気絶したのでおそらく星の宝塔も元の姿に戻っていることだろう。取り敢えず一件落着といったところである。
「様子、見に行かせようか?」
「ほっとけ。それよりナズ、最近里で鼠の被害が多いらしいぞ。ちゃんと管理してんのか?」
「失敬な。私の部下にはきちんと自給自足を命じてある」
「だからそれがさ……」
「そんなことより先に掃除すませちゃおうよー」
それぞれの持場へ戻っていく三人。それを眺め今日もまたいつものように平和な一日になるだろうと、雲山は思うのであった。
***
雨の降る幻想郷。そんな中傘を持った少女と地面に突っ伏した少女が二人。
「……大丈夫?」
「全然……」
以来、命蓮寺に悪戯に来る妖怪が一人増えたとか。
ウーンパーンtry
貴方の暮らしに大入道
雲山オールマイティすぎるだろwww
こういう作品大好きです。もっとやれ!!
会話のテンポがよくて楽しいお話でした。雲山欲しい
流れがいいのにきちんと繋がってますね。
確かに一輪は寺の細々とした仕事をやってる縁の下のイメージです
キュンキュンするぜ……
命蓮寺のアットホームな雰囲気にやられた!ほんとに何気ない一日だ・・・ほのぼのする。
それと雲山まさかの万能説wこれだけ自在に扱えるなら一輪も結構凄くね?w
雲山はその体小さくを
頭を抑え→物理的な事なので一般的には「押さえる」だと思います。