紅の館。
まだ幼い少女たちが住んでいる、窓の少ない不気味な館は周囲の人間からそう呼ばれていた。
もっとも、幼いとは言ってもそれは見かけだけなのだがそんな事を知る人間はほとんどいない。
知ってしまった人間は、鎖に繋がれているか、餌になったかどちらかしかないのだから。
そんな怖ろしい館のおぞましい主は、目の前にいる友人に向かって語りかける。
「それは一体どうしたの?」
今にも真ん中から折れてしまいそうな華奢な少女、その腕に抱かれた汚らしい猫。
不思議な組み合わせを見て、どうしたのかと聞かない方が不思議だろう。
だが返答は不思議でも何でもないただの一言。
「猫を拾ったのよ」
「見れば判る。 私はどんな理由が、目的があるのかと聞いているの」
茶化された答えは聞きたくないと語調を強めてもう一度答えを求める。
だが少女は意に介さず、表情を変えずに答える。
「何となくよ。 レミィが私を拾ったのと大して違いはないでしょう」
「大違いよ、貴方は私の力になってくれるし、役に立つわ。 そいつは違う。
爪で柱を傷つける、物を散らかす、世話で手間とお金がかかる。 大違いよ」
「案外詳しいのね」
館の主、レミリア・スカーレットはまぁね、とだけ返すがその目は少女を睨んだままだ。
ただでさえ厄介者がいるのにこれ以上増やされては困る、それが正直な気持ちだった。
「まぁ待ちなさい、猫は猫で役に立つわ。 訓練すればネズミを追い払ってくれる」
猫が鼠を追い払う。これはどんな猫の本にも載っている、もはや真理である。
しかしそんな真理も神に背く吸血鬼には通じないらしい。
「そんなもの私が一睨みすれば恐れ慄き消え失せるわ」
「私一人怖がらせられない睨みでネズミがいなくなるかしら」
その吸血鬼渾身の脅しも魔女には通じないらしい。
ほんの少し顔の筋肉を動かし、笑顔を作って少女は告げる。
「貴方に迷惑はかけないわ、少し後学のためにちょうどいいと思っただけだから」
細い輪郭の彼女だが、芯は強く意外と頑固なのはレミリアも判っていた。
判ってはいても、レミリアは彼女が猫を飼うなんて事に賛同はできない。
「猫なんて飼ったら余計に喘息が悪くなるわよ、パチェ」
「案外詳しいのね」
頑固な魔女、パチュリー・ノーレッジは自然に笑って見せ、その場を後にした。
彼女の笑顔は、睨みを利かせた吸血鬼の顔より数段脅迫じみている。
魔法書以外の本をじっくりと読むのは彼女にとって久しぶりの体験だった。
猫の飼い方、猫のいる暮らし、猫の友、キャットが俺にもっと餌をよこせと囁いている、etc...
似たような表紙の本をすべて読み終えるのにそれほど時間はかからなかった。
簡易な寝床で眠る猫を見つめ、本の内容を思い出しながら早速実践に移る。
「お湯の温度は40度くらい。 あとは清潔なタオルが必要、と」
ぬるま湯とタオルを用意して汚れた体を洗う、それだけの事だがインドア派の彼女には結構な事だ。
タオルで軽く撫でるだけでびくんと驚き、猫は金切り声を上げて逃げようとする。
それを追いかけ、逃げないように捕まえて綺麗に拭いていく。
たったそれだけなのになんという重労働だろうか、彼女にとってはまた新たな経験と知識だった。
ドアの隙間からそれを見ている友人は気が気ではない。
普段からいつぽっくりと倒れてもおかしくない少女、死因:子猫、十分有り得る。
今のところは悪戦苦闘しつつも何とかなっているようだ。
ほっと胸を撫で下ろしつつも眼が離せない。
「ああ、そんなに無理矢理やったら……」
案の定、猫は嫌がって腕の中を飛び出してしまう。
すると、運の悪い事にこちらへ向かって猫は走ってくる。
外へ出ようとするなら当然の事ではあるが。
「ちょ、ちょっと、駄目だって、戻りなさい」
慌ててドアに顔を突っ込んできた猫を押し戻すと、宝石のような紫色の瞳と眼が合う。
「いつからいたの?」
「……偶然よ」
別に嘘を言う必要は無いが、なんとなく本音を言う気持ちにはなれなかった。
「まぁいいわ。 暇なら手伝ってちょうだい、開けてたら出て行っちゃうから」
「本当にどういう風の吹き回し? 珍しすぎるわよ」
普段は自分の事に手を出されるのを嫌うのに、と続けるつもりだったがそれは口にしない。
疑問を投げかける代わりに、レミリアはそばでそれを確かめる事にした。
魔法で温めた牛乳を魔法で冷ます、最初からぬるい温度に温めればいいのに。
そう思うが余計な口出しはしない、彼女は本の通りにする、そういう流儀でやっているのは知っているから。
「子猫にはこれでよかったのよね」
「本にはそう書いてあったんでしょ」
これまた珍しくパチュリーが同意を求めたので、レミリアは思ったままに答える。
一緒に世話を始めてかれこれ一時間、自分の友人が一体何を考えているのか、まだわからずにいた。
「確かに本にはそう書いてある。 だけどそれに優るのは体験に基づく経験。
レミィはそれを持ってるんでしょう? ならそれに伺いを立てるのは当然よ」
「まぁ……あれ? 猫飼った事あるなんて言ったっけ」
「言ったわよ」
「そっか」
やはり判らないが、レミリアはこう思う。
こんな風にパチェが笑うなら少し柱が傷つくくらいは構わないか、と。
紅の館。
いつまでも幼い少女たちが住んでいる、窓の少ない不気味な館。
最近は不吉な猫の鳴き声も聞こえ、ますます不気味さに拍車がかかっていると評判である。
パチュリーが猫を拾って季節は巡り、何度目かの冬を迎えていた。
「パチェ、猫はどうしたの?」
「まだ寝てるわ、あの子も猫としてはもういい年だから」
「そうね、ペットなんて私たちどころか、人間より遥かに寿命が短いもの」
結局、あの猫は何をするでもなく、ただペットとして館で過ごしている。
ネズミ捕りとして優れた能力を持つわけでもなく、妖怪変化するわけでもなく、ただ猫として生きている。
少し変な主人に拾われただけのただの猫として。
「そう言えば名前もつけてあげなかったわね」
パチュリーが拾ってきた猫とは言え、レミリアも一緒に面倒を見てきた。
愛着がないと言えば嘘になる。
「つけたじゃない、『猫』って」
一方のパチュリーは飼い主だが、友人よりも素っ気無く見える。
だが友人はちゃんと知っている、どれだけ彼女があの子を大事にしているか。
それにしても猫に猫と名付ける感性は彼女には理解できないが。
「パチェが反対しなければもっと相応しい名前をやったのに」
「猫に猫以上に相応しい名前なんてないわ」
キャットレディスクランブルなんて名前よりは遥かにいい、という言葉を飲み込んで少女は笑う。
未だに、その笑顔の真意はわからない。
長い長い廊下に少女の靴音が響く。
「いないわね、せっかく構ってあげようと思ったのに」
レミリアは溜め息を吐く。
この私が相手をしてあげようというのに何故いつものところにいないのだろうか。
だいたい、呼んだらすぐ駆けつけるのがペットという物ではないのか。
やはり自分が飼うなら猫より優秀な犬、もしくは犬より優秀な何かだと決意する。
しかし、あまりに姿が見えない、不思議に思ってパチュリーを探す事にした。
魔女は猫と違ってすぐに見つかった。
「パチェ、猫が見当たらないのだけど」
魔女はいつものところでいつものように本を読んでいた。
探す時にこれほど楽な人物もそうそういるもんでもない。
「いつものところで寝ているんじゃない」
「いなかったわよ。 いつもの窓辺にも庭にもね。
まったく、ひなたを探すのは楽じゃないっていうのに」
「そう、じゃあ出かけたんでしょう」
やはり彼女の答えは素っ気無い。
自分で拾ってきて面倒まで見ているのだから愛着はあるはずなのに。
「仕方ない、見かけたら教えてちょうだい」
「そうね、見かけたら」
パチュリーはいつもと同じ抑揚の無い声で答えた。
今夜は少し月が欠けていた。
闇のように黒い空を血のように黒い羽が切り裂く。
その空飛ぶ黒に向かって少女が話しかける。
「ずいぶんと元気ね」
「そりゃ夜の王だもの」
レミリアは羽を大きくはためかせ、空中に留まる。
欠けた月が重なったような不思議な羽を背負った姿は、まさに夜の王という名前が相応しい。
「猫を探す夜の王なんて微笑ましいわね」
少女は手元の本をめくりながら、表情は変えずに嘲笑交じりに言ってみせる。
レミリアは若干の苛立ちを感じて語気を強めて返す。
「あのねぇ、パチェは気にならないの? もういなくなって三日よ」
この程度の言葉遊びに本気になるわけはないが、あまりの素っ気無さに黙ってはいられない。
自分が大事にしているものがいなくなった、レミリアにとっては一大事だ。
それになのに目の前の友人と来たら、夕食のパンを取られた時よりも平然と振舞っている。
「貴方ならどこへ行ったか見当がつくんじゃないの?」
「だいたい予想はついているわ」
静かに、眉一つ動かさずに答える。
「だったらすぐに迎えに行きましょうよ。 きっとお腹を空かせて……」
「そうかも知れないわね」
風一つない夜空にそっと、本をめくる音。
「でも迎えにはいけないのよ」
本を閉じる音が、続く言葉をさえぎった。
紅魔館。
幼い少女の仮面をつけた悪魔が住む、窓の少ない館は幻想郷でそう呼ばれている。
幻想郷に現れたばかりの新興勢力だが、館の主人たちについてはあまり知られていない。
そんな館の主は、目の前にいる友人に向かって語りかける。
「それは一体どうしたの?」
今にも真ん中から折れてしまいそうな華奢な少女、その腕に抱かれた愛らしい悪魔。
不思議としっくりくる組み合わせを見て、どうしたのかと聞かない方が不思議だろう。
だが返答は不思議でも何でもないただの一言。
「猫を拾ったのよ」
「見ても判らなかったわね、それは」
楽しそうに笑ってみせる。魔女の腕に抱かれた小さな悪魔はそれを見て同じように笑う。
魔女は表情を変えずにただ静かに立っている。
「パチェ、貴方はもう立ち直ったのかしら?」
「何の事か判らないわ、レミィ」
本当に頑固だ、という言葉を胸にしまって、ゆっくりと記憶を手繰りながら質問をする。
「私はどんな理由が、目的があるのかと聞いているの」
「何となくよ」
一言、優しげな口調で答えた。
レミリアは気遣いと疑問の混じったような気持ちで、もう一度口を開く。
「あの子とは大違いよ」
「駄目なのかしら」
少女にしては珍しくはっきりとした声で答えた。
腕に抱かれた悪魔は退屈になったのか、あちこちに視線を動かしている。
それを見て、なんとなく思い出す。
きっとこの親友も、同じように思い出したのだろう。
確かに、拾ってきたのは猫かも知れない。
「いいんじゃない? でも今度は私は面倒を見ないわよ」
「別に前も頼んだわけじゃないわ」
「ふん。 そうね、なら私も犬でも飼おうかしら」
「いいんじゃない? 私は面倒を見ないけど」
二人は顔を合わせて笑う。
彼女達が過ごす時間はあまりに長い。
小さな出会いと別れを繰り返してゆっくりと進んでいく。
辿る運命が一つだけならば、せめて魔法のような不思議に溢れていますように。
居なくなったのは寿命を感じて出て行ったのでしょうか?
日溜まりには出れないけれど、気ままに暮らす少女達。
出会いがあって、別れがあって、そんな日々を。
そよ風になびくねこじゃらしのように、自由気ままにのんびりと。
あなたの猫度は何点?
P.S.色が少々主張し過ぎている気がします。
人からみると、猫の寿命は短い。
それが魔女や吸血鬼になると、本当に一瞬でしかない。
しかし、その時間の中で得られる何かがあるなら、そういう時間をすごすのもいいかもしれない。
いい雰囲気のお話でした。
目に痛い中、最後まで読んでくださったみなさんすみません、ありがとうございます。
なんだかんだ言って気にかけている二人が好きです。
美鈴は何だろう
紅魔館らしくていい雰囲気でした。
レミリアとパチュリーはこんな風な友達関係だといいなあ
でも……なんとなくだから、ね