小町からの辞職届。
何度見返してもそれは辞職届であって、辞職届でしかなかった。
その文書に書かれた文章はとても儀礼的で、温もりがなかった。
短い文章であったが、その文章を読み終えたとき私は涙が流れるのを止めることができなかった。
もちろん信じたくなかった。
しかしこうも形に残るもので突き付けられるとどうしようもなかった。
「どうして……」
この言葉しか出すことができなかった。
「四季映姫様、もうすぐ裁判の方が始まりますので法廷の方に移動願います……と、どうかなさいましたか?」
ちょうど死神の小間使いである餓鬼が入ってきた。
「いえ、大丈夫です。ちょっと眼にゴミが入ったので。すぐにそちらに向かいますのでちょっと待っていてください」
流れていた涙を拭って、仕事に向かう準備をした。
しかし私の頭の中は小町のことでいっぱいだった。
「……ふぅ」
午前中の職務を終え、昼休みになっても頭の中を占めるものは変わらなかった。
一体小町はどうしたのか?
昨日会った時は少しいつもとは違うとはいえそんな素振りは見当たらなかった。
本当にどうして?
考えれば考えるほど解らない。
私が嫌いだったのだろうか?
待遇が気に入らなかったのだろうか?
私の説教が嫌だったのか?
そういう悪い憶測が脳裏をよぎる。
そんなことを考えていると、もう午後の始業時間になった。
もやもやした気持ちは晴れないまま仕事へ向かっていった。
しかし、自身の中が晴れやかではないと、判断にもそれは出るようだ。
少なくとも私はこれまで全ての事に白黒をつけてきた。
そういった精神状況だったからこそ的確な判決をこなしてきたのかもしれない。
そう考えると今の状態は非常にまずい。
今までは大した思考を必要としなかった瑣末な事を決めるのにでも必要以上の時間を要する。
私らしくないとは思いつつも、どうすることもできなかった。
まだ、午後2時。
正規の就業時間まではあと3時間ある。
私の場合はそれからさらに書類整理などの為に3時間ほど要する。
完璧主義である故に仕様がない。
もちろん財政難の庁はその労働時間に給与などは出さない。サービス残業というやつだ。
見たところ今日裁かなければいけない数はあと7件ほどあるようだ。
どう考えても3時間で捌けるような数ではないはずなのだが、どうやら普段の私ならこなせるようだ。
やっぱり、どうもいつもとは調子が違う。
それは何故か?
理由は明確、小町の件だ。
事あるごとに脳裏をよぎる。
何故、彼女は今日のような行動に出たのか?
それが分からないことにはこのモヤモヤとした気持ちは晴れそうにない。
これを白黒つけたい。
性という奴だろう。
職業柄他人を白か黒で判定することで自分自身を白黒はっきりさせないと気が済まない。
あとの仕事はどうしようか?
そんなのはもう答えは出ている。
ましてや彼女は私にとって大事な部下。
理由も解らず去られるのは私にとって黒だ。
そうあってはいけない。
とにかく理由を聞いて白にしよう。
ならば善は急げだ。
立場よりも大事なものがある。
映姫は法廷から抜け出し、走り出した。
駆ける、翔ける、賭ける。
身命を賭して彼女は走った。
もちろん目指すは小町の自宅へ。
「小町!!」
昨日のような丁寧にノックなどせず、扉を破らんばかりの勢いで扉を開けた。
「ど、どうしたんですよ!?」
非常に驚いた様子で小町は部屋に籠っていた。側には様々な寺社の入信案内があった。
「正直に答えなさい!!なぜあのようなものを提出したのですか?」
映姫にしては珍しく声を荒げて小町に訊ねた。
「それは……。映姫様には関係ないじゃないですか!放っておいてくださいよ!あたいにはあたいの生き方があるんです!」
「……それもそうですね。では、いくつか質問させてください、何故やめようと思ったのですか?今後の人事の参考資料として提出させていただきます」
一転して映姫は涼しげな口調でまた訊ねた。
「そりゃあもちろん、何よりも待遇ですよ!あんなくそ寒いところで大量の死霊運べっていうんだから無理もない話です!よくここまでもったものですよ!」
堰を切ったかのように小町はしゃべりだした。
「それに庁のデスクワークよりも重労働だってのに給金も安いし、経費削減だとかで少ない給金から防寒具も揃えなくちゃいけないし、根本的に待遇がおかしいんですよ!こんなんに嫌気がさしたからあたいは辞めたんです!清々しましたよ!」
それは嘘だ。
「ふむ……、他にはありますか?」
「映姫様だってそうですよ!毎日毎日重労働して遅くまで働いてるんだから昼寝ぐらいしたっていいじゃないですか。それなのにあなたは毎度毎度やれ、寝るなだの、サボりすぎだの、やる気を疑うだの、いろいろと五月蠅いんですよ!官僚職は良いですよね、あたいみたいな下っ端死神の気苦労は分からないんですよ!」
そんなことはない。
「私にも責任があるようですね、他にはございませんか?」
「そうやって質問ばかりしてなんなんですか!?そういうところも気に入らないんですよ!お高くとまって官僚だからって偉いと思ってるんですか!?」
そんなことは思ってない。
「その様に思っていたのですね、わかりました」
違う違う違う違う違う違う違う
そんな顔をしないで。
あたいの為に悲しまないで。
傷つけたくないのに。
言葉が勝手に彼女を傷つけてしまう。
あたいの意思とは反して。
「それでは小町、最後にこれだけは問いましょう」
映姫は静かにそして少し悲しげに言った。
「あなたは何故泣いているんですか?」
喋りながら小町は泣いていた。
「え……なんで?なんであたい泣いてるんだろう……」
すると映姫は小町の後ろに回り、そっと抱きしめた。
「小町……素直になりなさい。そんなのは貴女らしくありませんよ」
「素直にって……これがあたいの本心ですよ?」
「そうでしょうか?私には貴女が無理しているようにしか見えないのですが。本当に本心なのですか」
「……うわあああああああああああああああああああああああああ」
堤防が決壊したかのように小町の両の眼から涙があふれ出した。
まるで赤子のように映姫の腕に抱かれながら小町は泣いた。
それから数分間お互い何もしゃべらなかった。
その間映姫はずっと小町のことを後ろから抱きしめていた。
するとようやく泣くのもおさまって来た小町が鼻をすすりながら口を開いた。
「ぐすっ……ずるいですよ」
眼を赤らめながら小町は言った。
「落ち着きましたか?だめならもうしばらくこうして居てもいいのですよ?」
「……もう良いです、とても恥ずかしいので」
映姫は小町を抱いていた腕を緩めてまた小町と顔を合わせた。
「どうしたらいいのか分からなくなったんです」
小町は静かに淡々と話を始めた。
「ある死霊に言われた言葉が頭から離れないんです。それからあたいは渡し守としての自信がなくなってしまって……」
「そうだったのですか……、詳しい会話の内容は聞きませんがそういう死霊がいたことは知りませんでした」
「それからあたいは霊を渡すたびにそいつの言葉を思い出しておかしくなってしまいそうになってしまいました」
「ほう……」
「一種の心の病みたいなもんだと思うんですが、それからいろいろとおかしくなって。何というかジレンマみたいなものに苛まれて、あたいには渡し守をやる資格がないんじゃないかって思ってしまったんです」
やっと本心を言い始めた小町を見て、映姫は少し厳しい口調で言った。
「解りました。でも小町、貴女は何か勘違いしていませんか?資格があるかないかなんてあなたが決められるものなんですか?思いあがるのも甚だしいです」
「……すいません」
「そう、貴女にはそのような資格はありません。もちろん貴女にはそのことを考える権利はありますが、決める権利はありません」
「……じゃあ、あたいはどうすればいいんですか?」
「貴女の人事決定権は直属の上司である私に属します。つまり誰が貴女を三途の川の渡し守に任命しているのかわかりますね?」
「……映姫様?」
「そうです。では何故貴女をその様な役職に任命しているかわかりますか?」
「……?いや、わかりません。どうしてなんですか?」
「いろいろと理由はありますが、やはりあなただからです。貴女ほど安心してあのような場所を任せられる人がいないからです」
「あたいだから……?」
「そうです、貴女だからです。あれは秦広王に誰か三途の川に配属できるような者はいないかと尋ねられた時です。貴女はそう感じないかもしれませんが、三途の川というのは地獄にとって非常に重要な場所なのです。最近は人件費削減のために裁判を縮小化してはいますが、本来は十王が皆審理を行っていたのです。その中でも最初の審理である秦広王の審理を受けた後渡る場所、それが三途の川なのです。そこまでは貴女も知っていますね?」
「はい」
「また、まだ死んで間もない霊達ばかりなので中には心無いものもいるし、生前の意思がまだ強く残っている者もいます。それゆえある程度そういったものに惑わされない強い精神を持つ者ではなくてはならないのです。」
「それなのにあたい?現に今こうなんですよ?」
「最後まで話は聞きなさい、小町。これまで三途の川の管理を任されてきた者の中にも貴女のようなものは数多いました。それは職業柄仕様がないことなのです。我々も罪深いことをしているものだと思います、こういった苦行を死神に押し付けてね。実際に辞めていったものも多くいます、今のあなたのように。でもね、小町。」
「なんですか?」
「私が貴女を推したのは精神の強さだけではありません。それよりも私はあなたの持つ正しい純白な心、故に推したのです。さっき要所と言いましたよね。それ故にかつては汚職も横行していました。死者を渡さずに戻したりといったようなのが一例です。もちろんそんなことあってはいけません。死は誰にでも等しく訪れなくてはいけません。しかし大きな組織に属する人間というものは得てしてそういった汚職行為に走りやすい体質なのですよ。もちろん私はそんなことしていませんよ。だから私はそんなことを決してしない貴女を推したのです。」
「……そんなにあたいのことを?」
「そうです、私は決して買いかぶりで過ぎはないと思います。現にあなたはこれまでそういったことをしてこなかった。だから私は貴女を推してとてもよかったなと思っています」
「本当ですか?」
「本当です。確かに今のあなたは情緒不安定です。それではこの職は務まりません。しかし貴女ならば必ず乗り越えられると私は思います。思う存分迷いなさい。幾らでも迷って結構。貴女も死神とはいえ生きているのです。迷って当然です。私だって毎回の審判で迷うのですから」
「映姫様も……ですか?」
「もちろんです。迷わずして審判はできません。初めから白黒決まっていることなんて審判する必要がないではないですか。それに迷いのない人生なんてつまらないですよ。私の能力も意味無くなっちゃいますしね 笑」
クスリと映姫は笑った。
「……この際だからはっきり言ってしまいましょう。私は貴女を部下として持っていることを誇りに持っています。なんといってもあの三途の川を管理しているのですから」
「あたいが……誇り?」
「そうです。だから正直に言いますと貴女には辞めてほしくないのです。私の誇りを失くさないでください。というわけで、ここに貴女が提出した辞職願があるわけですがどうしますか?私がここに認印を推した段階で貴女は免職となりますが」
映姫はおもむろに胸ポケットから例の文書をとりだした。
「あ……」
「どうするんです?印を押してもいいんですか?私はそれほど苦労しないんですが」
「……てください」
「なんて言ったんですか?押してもいいんですか?」
「棄ててください!!」
力の限り小町は叫んだ。
「解りました。でもこれ棄てる必要がないんですよ。だってこれ私の給与明細の紙ですもの。むしろ棄てると私が困ります」
「!!」
「まぁ、私の部屋にあるあの紙は棄てておくので安心してください」
「あたいを騙したんですか!?」
「そうとってもらっても結構です。私はあなたが元気を取り戻してくれれば何でもしますよ。まぁ、閻魔としては若干問題がありますがね」
「……本当にずるいです」
気まずそうに、そしてどこか照れくさそうに言った。
「あ、そうだ言い忘れていたことがありました」
「なんですか?映姫様」
「私の誇りであり続けること、それが今のあなたに積める善行です。できますか?」
「……」
小町は下を向いてしまった。
「あれ……?できないんですか?でしたら前言撤回しますが……」
心配になって映姫は小町の顔を覗き込んだ。
その時
突然小町は顔を上げ、涙で顔をぐしゃぐしゃにして映姫に抱きついた。
「もちろんですよ!映姫様、大好きです!!」
~~~~~~三日後~~~~~~
「その後どうですか、お仕事の具合は?」
いつものように映姫は小町に訊ねた。
「もう大丈夫ですよ! ここはあたいに任せといてください! 立派に務めてみせますよ!」
今まで通り天真爛漫な笑顔で小町は答えた。
「そうですか、それは何よりです」
「あの死霊に言われたことにはまだ答えがでていませんがこれからこの仕事をやっていく中で見つかればいいなーと思ってます」
「そうですね、それが一番いいと思います。それに小町ならきっと見つけることができますよ。でも、そういったからにはサボらずしっかりと仕事に励んでいただかなくてはなりませんね」
「いやぁ、それとこれとは話が別でして……」
「まぁ、いいでしょう。ところで話は変わりますが小町、あの時言ったことはあなたの本音ですか?」
映姫は顔は笑っているが背中からはなんとも形容しがたいオーラを放っていた。
「あの時と言いますと?」
「私に対して数々の暴言を吐いた時です。あれは貴女の本音なのでしょうか?」
背中からゴゴゴゴゴという擬音が聞こえそうな勢いで映姫は小町に詰問した。
「あー……、えーっと……、あれはですねぇ……、言葉の綾というか、その場でポッと思いついたことを言ってしまったというか、本能的に言ってしまったというか……、そんなところですよ。決してそんなこと思ってませんよ!?」
「そうですか。しかし貴女の言い方から鑑みるにおそらく本能的にあの言葉が出たということは、本能的に私のことをそう思っているということですよね?」
変わらず顔は笑っていたが、後ろから出す怒のオーラも大きくなっている。
「えーっと、その―、なんと言いますか、映姫様落ち着いて聞いてくださいね?」
「なんですか、小町? 私はこれ以上ないほど落ち着いていますよ? それで何を言うつもりですか?」
「少なからず、そういった感情を持ったことは無いこともないというか……。あの……映姫様? 何をそんなに怒っていらっしゃるのでしょうか……?」
「怒ってなどはいませんよ、小町。私は道を誤って阿修羅になってしまいそうですよ、まさか小町にそんな風に思われていたなんて」
「阿修羅って……。も、もちろん哀の顔ですよね!? さすが映姫様、閻魔の鏡ですねー。部下の悪口にも寛大な心で許してくださる。よっ、幻想郷一!」
「そうですか……、お褒めの言葉をいただきありがとうございます。しかし小町、残念です。念仏を唱えなさい」
そういうと映姫は持っている卒塔婆を真上に振りかぶり最高点に達したところで止めた。
「貴女は少し口が悪すぎる。今この場で罰を受け、悔い改めることそれが今の貴女にできる善行です。わかりましたか?」
観念したのか小町は何も抵抗することなく迫りくる痛みに備えて眼を閉じた。
すると映姫は小町の頭上めがけてまっすぐ卒塔婆を振りおろした。
「南無三ーーーーーー。きゃんッ……、あれ?」
小町が感じたのは頭になにかが優しく接触した感覚だけ。
どうしたのだろうと思っていると頭の上に何かが乗っていた。
「これは……?」
小町の頭の上には彼岸花で作った花冠が乗っていた。おそらく映姫の手作りだろう。
「しばらくそれを頭の上に載せて職務に励むこと。それが罰です。その様な幼稚なものを乗せていれば少々恥ずかしいでしょう?」
少しほほを赤らめながら映姫は小町へ罰を言い渡した。
それをうけて小町はまた映姫へ抱きついた。
「(これだからこの人は……)大好きですよっ、映姫様。これからもよろしくお願いします!!」
「ちょっと、小町苦しいです! 離してください! 貴女は罰を受けている身なのですから自粛なさい! それにこちらからも改めてお願いします」
そういって二人は三途の川の川岸でお互いに再度主従の契りを交わした。
小町の悩みや映姫さまとの会話など面白かったです。
誤字の報告です。
>最近は人件費削減とために裁判を縮小化してはいますが~
『のために』かと。
コメントありがとうございます。
確かに台詞が多いですね、次回は気にしてみようと思います。
面白いと言っていただけるだけで嬉しいです。
誤字は直しました
えっとたぶんこれ誤字ですよね?
「ですか」だと思います
コメントありがとうございます
それはわざとです^^
もう少し会話が長くても良かったかなと思います。
技術的なご指摘ありがとうございます。当方SSを書き始めたばかりなのでそういった事前知識に不備があります。次回は気をつけたいと思います。
>16の方
言われてみればそうですね。
だらだらと続くのが嫌だったのであまり長くならないようにしたんですが、逆効果だったみたいです。
ご指摘ありがとうございました。
合わせても30KB無いぐらいですしね。
いやぁ、それにしても良かったですよ、辞めなくて。やっぱり小町は必要な人材ですよね。
それは仕事だけでなく、映姫個人にとっても、ねぇ。