「太陽の力は本来妖怪には優しくない。しかし、貴方の力は十分すぎるほど禍々しい。」
「そう…だろうな。」
声の主は頭を垂れたまま唸るように呟く。
「今何か言ったかしら?」
「いいえ。私は何も言ってないわ。」
「(そう、『私』はね。)」
目を開けると眼下に荒涼とした大地が広がっている。
ここは大きな火山の頂上で、明星の都の全貌を見渡せる位置にある。
だが、私はそんな景色を眺めに来たわけではない。
その都の主に用事があって来たのだ。とにかく山を降りねばならない。
ここへは妖怪の山の頂を通してやってくることができる。
地上の生き物が稀に月に紛れ込んでしまう事を考えれば、
岩だらけの火口からこちらに紛れ込むなど至極等容易なことだ。
なぜならば元来記憶の層の存在である神は、その繋がりだけを辿って身を移すことができるからだ。
因みに明星の主は、山上に居を構えようとしたことがあるらしいのだが、
訳有って山を降りることになったらしい。
その山の名前はサフォンの山と言い、ここにも同じ名前が付けられている。
空を駆ってようよう街に辿り着く。
この都の主は同時に明星の主であり、諸々の魔神や魔物たちの王でもある。
魔神とは、私たちの国では鬼神や邪神などと呼ばれる者たちのことだ。
ただ、邪神と言ってもそれが即ち人々に害をなす物と言うわけではない。
例えば都の主は灌漑の神という側面も持っている。
私は今石造りの建物を横目に見ながら石畳の上を歩いているが、
この都の外を出ると岩石や砂地に、草木もまばらな荒地があるのみで水源に乏しい土地である。
どうも彼の神力は、このような土地ではあまり有効なものではなかったらしく、
それが山を降りた一因であるらしい。
山を降りた彼は広大な地底を手に入れ、そこにいた者共を従えることになったと言う。
実を言うと彼の物語はそこで終らず、それゆえに彼は様々な名を持つに至ったのだが、今は関係ない話である。
とにかく今日私はその内の一柱の力を借りるためにやって来たのだ。
「『黒い太陽』の力をお借りしたいと存じます。」
私は今回の用件を明星の主に言上した。
彼こそがこの都の主であるとともにこの星の化身、天香香背男その人である。
「黒い太陽とは八咫烏のことですか?」
「はて、太陽ことであれば天神に頼むのが筋ではありませんか?」
「ですから黒い太陽と申し上げました。
彼には地底にあって、存分に神威を振るって貰いたいと考えております。
灼熱地獄の跡地に君臨する者は即ち奈落の主です。
それは黒い太陽を置いて他に無く、天照大神の使いなどではないということです。」
「成程、そういうことでしたら私も力添えしましょう。」
香香背男は顔に笑みをたたえながら、私の頼みを承諾した。
「お分かりとは思いますが、歴史の中で糊塗され、幾重にも上書きされてしまった神性を掘り出すことは、
忘れられた神を呼びさます事よりもずっと骨がが折れる作業です。」
「いきなり奈落の底に行ったとしても会える訳ではありませんからねえ。
まず表層から順に積み重ねられた歴史を注意深く剥がしていく必要があります。
まず街の外の谷に向かいましょう。今の彼に会わないことには始まりませんから。」
深く狭い谷の中に入っていく。ここは、廃棄物と、稀に引き取り手の居なかった死体を燃やすための場所である。
八咫烏の吐き出す火球に処理を任せているのだ。
過ぎたるは及ばざるが如しという言葉が浮かばないでもないが、全てを余さず焼き尽くすためにはこれが一番良いのだろう。
しかし、このような場所と重ね合わせて人々に創り出された地獄もあるのだ。
イェルサレム南端のゴミ捨て場となっていた谷がそれである。
そう考えれば、八咫烏にとって不相応な場所ではないかもしれない。
烏は主の姿を認めると作業を止めてその前に降り立った。
「黄泉までの道を案内せよ。」
烏はすぐにそう命じられ、私たちはその後を付いていく事となった。
後に従う事一刻程して、巨大な岩に道を阻まれる。動かすのに人の手千人ほどが必要な大きさだ。
これで道が閉ざされたかというとそういうことではない。
それなりに力のあるものであればこれを動かす事ができるのは、先人たちが証明済みである。
私はそれを一気に持ち上げると片手で頭上に掲げ
「建御名方神、千引の石をたなすえにささげて来て、
『誰ぞ我が国に来て、忍び忍びにかく物言ふ。然らば力競べせん。』と言いき。」※
「建御名方が持ち出したのが千引の石ならばどうしてここにあるのでしょうね?
あれでは黄泉津大神が夫を取り殺すために地上に出てしまいましょう。
稗田阿礼も言葉の重みに案外無頓着だった様ですわ。」
と岩を道の脇に置きつつ軽口を叩く。だが、彼に
「さあて、私には何のことやらさっぱり。」
と笑みを含ませながら返される。
確かに本来ならば知らなくて当然である。彼の物語に建御名方は居なかったはずなのだから。
道なりに歩いて冥府まで辿り着くが、八咫烏は少々前に数多の死霊たちの中に分け入ってしまい、
姿が見えなくなっている。
「案内が居なくなってしまいましたが、ここまででいいのですか?」
「ええ、もう案内は必要ありません。道のりはまだまだありますが。
ここでは、天鹿児弓と天羽羽矢を手に入れる必要があります。」
「天鹿児弓と天羽羽矢ですか…
葦原中国の平定に派遣されたものの逆に大国主に心服し、天神の怒りに触れて殺された天稚彦の武器。
確かにこちらにあっても不思議ではありませんね。
しかし、彼がどこに居るのかご存知で?」
「あの御仁のことですから今度は黄泉津大神にでも仕えていることでしょう。
ああそうだ、その茅の輪をこちらに預けて頂いてもよろしいですかな?」
「えっ、しかしこれは私の軍用のものでして。」
「もう滅多に使うものでもないでしょう。これで本来の八咫烏の姿を取り戻せるなら安いものですよ。」
「仕方ありませんね…」
果たして香香背男の言ったとおりであったが、交渉のことはまた別である。
「これは黄泉の国を治めるのに必要なものですので、おいそれとお譲りするわけには参りません。」
「困りましたなぁ。この弓矢を持ち帰るために、私とあわせて天津神の一柱まで遣わされましたのに。
こちらも手ぶらで帰るわけにはいかんのです。」
私は事前に余計なことを言わない様、言い含められていた。この話は勿論大嘘である。
「この地に居るのは、おおよそ祟りが過ぎて地上から落とされた荒ぶる神ばかりです。
そういう者共を押さえ込むには力が必要でして、あの神弓は非常に有効な武器なのです。」
「役目を終えた将軍は、与えられていた節刀を返上するもの。本来ならば既に天神の手にあって然るべきものなのです。」
「私は天神に背いた身の上であります。いまさら筋を通しても詮の無いことです。」
「そう言われますな。貴方が背いたのも元はといえば地上の安寧を思っての事でしょう。
十分に己の義は通されていると思います。神弓を返上するのは意味の有る事ですよ。」
「そうですか。しかし…」
「代わりの力として、この茅の輪をお使いなさい。
フェムトファイバーの縄は穢れ多き黄泉の者共に大いなる畏れをもたらすことができるでしょう。」
「…分かりました。天鹿児弓と天羽羽矢はお持ちください。
さて、折角ですから夕餉でもお召しになりますか。」
「とんでもない!」
ここで驚いて声を上げてしまう。
「私たちも黄泉の住人にするお積りですか!」
冥府の食物を口にしたものは二度と帰ってくることが出来なくなってしまうのである。
「冗談ですよ、冗談。まあ貴女のような美しい方でしたらいつまで居てもらっても構いませんよ。」
天稚彦がそう言うと、二柱は大いに笑うのであった。
当然ながら何の饗応も受ける事無く黄泉を後にする。
「彼は根が悪人な訳ではありませんから、まあこんなものですよ。」
言っていることが間違っている訳ではないが、これではこちらの方が悪人である。
「用が済めば天神のもとにお返しになると良い。それで丸く収まります。」
その積りである。持っていても仕方が無い。
「それで、この後はどちらへ?」
「彼の記憶と地底の層を、もう一段下ります。」
「もう一段ですか。一体全部で何層あるのです?」
「七層です。」
私は絶句した。
「まあそんな顔をしなさるな。後は大体下るだけですから。」
二層目につくとにわかに明るく熱気が溢れる空間が現れる。
端が見えないほどの高く広い空間に、天を突かんばかりの炎を纏った三足烏が十羽飛び交っており、
十の太陽が出現したかと見紛うばかりである。
香香背男がたちまちの内に一羽の烏を射落とす。
そしていまだ煌々と燃える炎を松明に移し、これを私に持たせる。
他の八羽も次々に射落としてしまったがこれには手を付けず、先に進みましょうと言う。
「何故一羽残して全て射落とされたのですか?」
「彼の足跡を辿るためにはそうする必要があったのです。」
と言って、ふたたび松明を手にする。
いよいよ要領を得ないが、彼は再び問いを発する間を与えないまま歩き出してしまった。
長い道のりを経てやっと地底の第七層まで到着する。
彼の言ったとおりあの後は特に何も無かった。
流石に最下層だけあって、松明の炎が無ければ真っ暗闇である。
今八咫烏は炎の姿で神使の役目を果たしていると言ったところか。
うず高く積み上げられた、半ば骨になりかけた死体の山がある。
輪廻から逃れた身の上は、実を言うと死後のことはあまり知らない。
どこにも行き場の無い死者はこのようなところに辿り着くのであろうか。
香香背男が松明の火を屍に近づけると、死体の山から暗い色の炎が大きくあがる。
「いよいよ『黒い太陽』と対面できますよ。」
しかして炎の中から何者かが姿を現した。
浅黒く頑強な体躯に、三対の黒い翼。
正しく奈落の王、黒い太陽と呼ばれるにふさわしい姿である。
彼は開口一番こう言った。
「何故今になって私を起こしに来た。」
「ここに居る女神がお前の力を借りたいと言ったからだ。」
「そうか、明けの明星も随分と丸くなった物だな。そこにいるのは天神の手下ではないか。」
「そういうお前は随分と大仰な物言いをするようになったな。」
「当然だ、魔神の王がそれでは務まらぬ。」
彼は寝起きが悪いようだ。
「わざわざ叩き起こしておいて、天神の配下に手を貸せなどと― 戦いでも挑みに来たのか!」
そう言うや否や、黒い光線が頭上から降り注ぐ。
最後の最後で一番の難題が待ち受けていたようだ。
黒い光線などと言うと奇妙に聞こえるかも知れないが、実際それ以外に形容の仕様がない。
御柱を周囲に突き立て急遽簡易な結界を張るが、留め切れずに光線を身に受けてしまう。
実はフェムトファイバーを同時に張り巡らせないと効果が薄いのだ。
体のあちこちに鈍痛が走る。
体勢を立て直して今度は相手の周囲に御柱を叩き込み、五芒星の結界を作り出す。
やはりフェムトファイバーが無いために効果があまり期待できないので、同時に四方八方から弾幕を浴びせかけた。
ほぼ隙間無く空間を埋め尽くすほどの弾を放ったが、その中から飛び出してくる黒い影があった。
天の頂に座す神々と相対する存在。暗黒の神と正面から対峙する。
「奈落の闇に呑まれて、天神地祇の別無く無に還るがいい!」
彼が片手を上に掲げた瞬間、禍々しい魔力の迸りを目の当たりにする。
が、しかし一面は膨大な光に包まれ何も見えなくなってしまった。
目を覆いながら注意深く地面に降りると、あたりは暗さを取り戻していた。
ただ、存在しないはずの天蓋に星が瞬き、わずかな明かり灯している。
黒い太陽は力なく座り込み、香香背男がその横に立つ。
先程の光は、星の光であったのだろう。ただし、一つ一つが太陽ほどの輝きを放ったに違いない。
圧倒的な力を見せつけられたのだ。
「お前も人の話を聞かない奴だ。」
「なに、少々暴れたい気分だっただけだ。一応は気に食わなかった事もあるがな。」
本当に寝起きが悪いだけだったのかは知るべくもないが、そう言う気持ちは分からないでもない。
「そうですか、それは上々です。実を言うと今のように力を振るって頂きたいのですよ。」
受けてもらえるかどうか半信半疑であったが、一応話を持ち掛けてみる。
「ほう。」
以外に食い付きが良い。
「ただ、あまりに強力すぎても今度は相手が消し飛んでしまいますから、制限を掛けさせては頂きますが。いかがです?」
「面白そうだな、そんな話を持ってくる者が居るとは思わなかった。しかもそれが天津神とはな。」
言ってみるものである。
香香背男が珠を取り出し、黒い太陽に手渡す。
彼がそれを手にすると、透明な珠の中に暗色の炎が揺らめいた。
それを私に手渡してこう言う。
「その炎を宿すものが私の力を使う事ができる。ただし、それが出来るのは奈落の闇の中に住まうものだけ。
私はその者と一体となり、その者もまた私となる。」
「感謝します。」
私がそう言うと彼は再び闇の中に姿を消した。
辺りの空間が鏡のように割れ、先程の谷間の景色が蘇る。
彼の足跡をたどる旅はここで終わりなのである。
「地獄鴉に力を授けたは良いけど、本当に上手くいくかな?」
そう言ったのは諏訪子。今しがた旧灼熱地獄から戻ってきたばかりである。
「ええ、きっと上手く行くわよ。」
「そうかなあ。あの鴉、頭もあまり良さそうじゃないし…
大体、ポンと突っ込んで、やれエネルギー革命だ産業革命だのと言ってもね。」
「私が何故彼の力を借りに行ったかわかるかしら?」
「新たなエネルギーを神に依存させることで、野放図な技術開発を防ぐため?」
「いいえ、それならばあんな面倒をする事は無いわ。」
「諏訪子、太陽の化身が奈落の王となれる理由を知っている?」
「?」
「遥か地平から昇り、天高くに至る太陽は夜の間どこに在ると考えられたでしょうね?」
「さあ」
「古代の民は太陽が高く昇るのと同じくらいに、地底に沈むと考えたのよ。だから太陽は奈落の主でもある。
しかし、奈落の底は光に溢れた世界ではない。漆黒の闇が支配する世界でなくてはならなかった。
そこで、地底の太陽は『黒い太陽』と言う特異な姿をとるの。」
「私はその黒い太陽に本来の姿を取り戻して貰いたかっただけ。
奈落の王、黒い太陽は地底の最奥でこそ本当の輝きを放つことが出来るのよ。」
「ふふっ。あはははは!」
「やっぱりあなたと居ると退屈しないわ、神奈子。」
「本当はあなたの方が祟り神に向いてるんじゃない?」
貴方のその名前、覚えておきます
東方の知識しか……いや、それすら怪しい自分には厳しいです;