『○月□日
今日も大結界の準備のため、あちこちを回る一日でしたが、一つ書き留めておく事があります。
猫を拾いました。 拾ったというと語弊はあるのですが。
以前も書いたように妖怪の山は最も反対派の勢いが強い場所です。
力の弱い化猫ですら爪を向けてくるのですから。
しかし、その化猫はずいぶんと聞き分けがよく、私を手伝うとまで言うのです。
そこで彼女を助手として連れて行く事にしました。
まぁ、正直能力はあまり期待できないのですが……しばらく、面倒を見てあげようと思います。 』
筆を置き、布団に寝転ぶ子猫を見る。
体は綺麗にしてやったが、その姿はお世辞にも上品ではない。
それでも愛らしい寝顔に、思わず藍の顔が緩む。
軽く小さな頭を撫でて彼女も床に着く。
彼女は今日、猫を拾った。
『×月■日
今日も大結界の準備で一日が終わりました。
方々からの協力もあり、これからは私の仕事も幾分楽になるかも知れません。
このまま順調に行くといいのですが、主人はそうは行かないと思っているようです。
さて、今日は橙を拾って1ヶ月になります。
護符の用意や土地に施す準備、色々な仕事を少しずつですが手伝ってくれています。
彼女を見ていると式になった頃の自分を思い出すようで不思議な気持ちになります。
なんとなく、主人の気持ちが少しわかったような気がします。
この子が私のために頑張ってくれるように、私もこの子のために努力を怠らずに日々を過ごそうと改めて思います。 』
筆を置き、寝床で静かに目を閉じる子猫を見る。ついつい頬が緩む。
まだ一ヶ月、しかしもう一ヶ月も一緒に過ごしてきた二人。藍にとってはもう日常の一部になっていた。
式には組み込まれていない、橙の世話も積極的に行っている事がその証拠。
とはいえ、日々の仕事もある。付きっ切りでいられないのが近頃の悩みだ。
だが主人は今のところ何も言ってこない。藍にとっては不安でもあるが安心もできる。
少なくとも、この子を一人にしないでいいのだから。
『△月◇日
ここ最近は大結界反対派との話し合いが続いています。
人里は御阿礼の子の協力もあってものの一ヶ月程度で終わったのですが。
いつ強硬派が出るとも判らない中、準備だけは進んでおります。
何事も無いよう祈り、ただ準備をするしか出来ない自分を不甲斐なく思います。
ところで、そろそろ橙を拾って半年ほど経ちます。
まだまだ不安は残りますが、手伝いのやり方も覚えてきているようです。
日々の疲れも、この子の笑顔で乗り切れます。
きっと親というのはこんな気持ちなのでしょうね。
私も主人のために頑張らなくては、橙に抜かれてしまうかも知れません。 』
筆を置いて小さく笑う。橙のことを書くとまるで育児日記みたいになってしまう、と。
だがそれも日々の逃避なのかも知れない、そんな考えもないといえば嘘になる。
幻想郷のため、人と妖怪のための大結界、本当に上手くいくのだろうか。
彼女は主人の事を信頼している、しているがやはり不安なものは不安である。
今はただ、その気持ちが橙に伝わらないように、藍はそっと横で眠る子猫を撫でた。
『○月◆日
』
大結界の完成は間近であった。
その期を狙って反対派が何らかの行動を起こす事も予想していた。
だから予定していた日時を早め、少人数で内密に結界の仮成立を行うはずだった。
しかし人の口に戸は立たず、どこからか漏れた情報を聞きつけた強硬派によるテロ紛いの行為が行われてしまう。
その場にいた巫女や妖怪の賢者たち、冥界の住人等が鎮圧するが、一部の人間や妖怪たちに被害を出す事になった。
だが賢者はこれを逆手に取り、この関係を保つために結界が必要だと半ば強引に納得させる。
反対派の妖怪たちも必要以上の被害を出す事を臨まず、ようやく合意が完成した。
周りを見渡す。異議を申し立てる者はいない。居るはずが無い。
ここに残っているのは、本当にここに惹かれた者ばかりなのだから。
もし居てもそんなものは認められないだろう。
幻想郷のためだと、例え表向きでもこれだけ知れ渡ってしまったのだから。
「これで、ようやくすべての準備が終わったわね」
目を細めて嬉しそうに呟く。不気味なまでに綺麗な笑顔に藍は驚く。
目の前に広がる凄惨な光景との差が、あまりに大きすぎるから。
「紫様……? それは、つまり」
「そういう事よ。 それより、貴方はその子をなんとかしなきゃいけないんじゃない?」
藍の腕の中で、小さな黒猫が苦しそうな声を上げる。
混乱する頭を必死に働かせ、なんとかしてこの子を助けようと考えていた。
傷の手当だけでは足りない、生物としてではなく妖怪として死に掛かっている橙にはそれだけでは。
主人のように無茶をしてでも、犠牲を払ってでも救いたい。
「じゃあ藍、今日はもうお開きよ。 私は後片付けをしてくるわね」
そう思っている時に、突然こんな事を言われたものだからまた驚くのも当然だ。
「待ってください! この子は、私はどうすれば!」
「言ったでしょ、今日はお開き。 私が与えた貴方の仕事は終わり。
その子は貴方が連れてきた貴方が面倒を見る子よ。 私が口を出す事じゃないわ」
間違っていない、そんな事は判るのだが、それを受け止める余裕が今はなかった。
大きなスキマの奥に消えてゆく主人を止める事が出来なかった。
必死に考えて、まずは傷の手当をする。見た目の傷はたいしたことは無い。
深刻なのは、妖怪として存在するために必要な見えないものに受けた傷。
それに対する対処法を彼女は知らなかった。だから、ただ励ますしか出来なかった。
「貴方のご主人は本当に酷いわね」
茶化すように、背中から声をかけられる。振り返れば、消え入りそうに佇む、幽雅な少女。
主人と同じように、彼女でも真意の掴めない不思議な人。
その桜のような唇を開いて、茶化すように、慰めるように、
「その子を私のところに送りたくないなら、紫が貴方にしたようにしてあげればいいのよ」
とだけ告げて、庭師の後に続いてその場を去っていった。
彼女の言葉で、自分の中の式が答えとやり方をすぐさま弾き出す。
確かに、やった事は無い。
でも、知っている。
何より自分自身が答えなのだから。
妖怪として生きるための知恵を、強くあるための力を、ともに居て欲しいと願う思いを式に変えて打ち込む。
式神というものが何なのか、何かを守りたいと思う気持ちが、少し判った気がした。
『第零期 ○月□日
とうとう博麗大結界が完成しました。
そして、幻想郷の新しい暦が今日から始まったわけです。
今日はお祝いムードであちこちで宴会が行われる予定だったのですが……
予期せぬ龍神の登場、このおかげで宴会が神社での大宴会になってしまいました。
どうやら幸先は良いみたいです。
まだしばらくは混乱もあると思いますが、きっとどうにかなるでしょう。
紫様がどうにかなるとおっしゃっていたのですから。
それと、橙と出会って一年が経ちました。
もう一つ、橙が私の式になって一週間でもあります。
最初は自分でも戸惑いましたが、なんてことはありません。
私と橙はお互いが大事な存在である事に変わりませんから。
これからもずっと一緒に居てあげるつもりです。
もちろん、紫様の側にも居るつもりです。
私の不安定な式の直し方を教えてくれたんですからね。
ひねくれものですが、橙と同じように大事な存在なのは変わりません。
ああ、もう一つ書き留めておかなくてはなりません。
橙が、猫を拾いました。 』
今日も大結界の準備のため、あちこちを回る一日でしたが、一つ書き留めておく事があります。
猫を拾いました。 拾ったというと語弊はあるのですが。
以前も書いたように妖怪の山は最も反対派の勢いが強い場所です。
力の弱い化猫ですら爪を向けてくるのですから。
しかし、その化猫はずいぶんと聞き分けがよく、私を手伝うとまで言うのです。
そこで彼女を助手として連れて行く事にしました。
まぁ、正直能力はあまり期待できないのですが……しばらく、面倒を見てあげようと思います。 』
筆を置き、布団に寝転ぶ子猫を見る。
体は綺麗にしてやったが、その姿はお世辞にも上品ではない。
それでも愛らしい寝顔に、思わず藍の顔が緩む。
軽く小さな頭を撫でて彼女も床に着く。
彼女は今日、猫を拾った。
『×月■日
今日も大結界の準備で一日が終わりました。
方々からの協力もあり、これからは私の仕事も幾分楽になるかも知れません。
このまま順調に行くといいのですが、主人はそうは行かないと思っているようです。
さて、今日は橙を拾って1ヶ月になります。
護符の用意や土地に施す準備、色々な仕事を少しずつですが手伝ってくれています。
彼女を見ていると式になった頃の自分を思い出すようで不思議な気持ちになります。
なんとなく、主人の気持ちが少しわかったような気がします。
この子が私のために頑張ってくれるように、私もこの子のために努力を怠らずに日々を過ごそうと改めて思います。 』
筆を置き、寝床で静かに目を閉じる子猫を見る。ついつい頬が緩む。
まだ一ヶ月、しかしもう一ヶ月も一緒に過ごしてきた二人。藍にとってはもう日常の一部になっていた。
式には組み込まれていない、橙の世話も積極的に行っている事がその証拠。
とはいえ、日々の仕事もある。付きっ切りでいられないのが近頃の悩みだ。
だが主人は今のところ何も言ってこない。藍にとっては不安でもあるが安心もできる。
少なくとも、この子を一人にしないでいいのだから。
『△月◇日
ここ最近は大結界反対派との話し合いが続いています。
人里は御阿礼の子の協力もあってものの一ヶ月程度で終わったのですが。
いつ強硬派が出るとも判らない中、準備だけは進んでおります。
何事も無いよう祈り、ただ準備をするしか出来ない自分を不甲斐なく思います。
ところで、そろそろ橙を拾って半年ほど経ちます。
まだまだ不安は残りますが、手伝いのやり方も覚えてきているようです。
日々の疲れも、この子の笑顔で乗り切れます。
きっと親というのはこんな気持ちなのでしょうね。
私も主人のために頑張らなくては、橙に抜かれてしまうかも知れません。 』
筆を置いて小さく笑う。橙のことを書くとまるで育児日記みたいになってしまう、と。
だがそれも日々の逃避なのかも知れない、そんな考えもないといえば嘘になる。
幻想郷のため、人と妖怪のための大結界、本当に上手くいくのだろうか。
彼女は主人の事を信頼している、しているがやはり不安なものは不安である。
今はただ、その気持ちが橙に伝わらないように、藍はそっと横で眠る子猫を撫でた。
『○月◆日
』
大結界の完成は間近であった。
その期を狙って反対派が何らかの行動を起こす事も予想していた。
だから予定していた日時を早め、少人数で内密に結界の仮成立を行うはずだった。
しかし人の口に戸は立たず、どこからか漏れた情報を聞きつけた強硬派によるテロ紛いの行為が行われてしまう。
その場にいた巫女や妖怪の賢者たち、冥界の住人等が鎮圧するが、一部の人間や妖怪たちに被害を出す事になった。
だが賢者はこれを逆手に取り、この関係を保つために結界が必要だと半ば強引に納得させる。
反対派の妖怪たちも必要以上の被害を出す事を臨まず、ようやく合意が完成した。
周りを見渡す。異議を申し立てる者はいない。居るはずが無い。
ここに残っているのは、本当にここに惹かれた者ばかりなのだから。
もし居てもそんなものは認められないだろう。
幻想郷のためだと、例え表向きでもこれだけ知れ渡ってしまったのだから。
「これで、ようやくすべての準備が終わったわね」
目を細めて嬉しそうに呟く。不気味なまでに綺麗な笑顔に藍は驚く。
目の前に広がる凄惨な光景との差が、あまりに大きすぎるから。
「紫様……? それは、つまり」
「そういう事よ。 それより、貴方はその子をなんとかしなきゃいけないんじゃない?」
藍の腕の中で、小さな黒猫が苦しそうな声を上げる。
混乱する頭を必死に働かせ、なんとかしてこの子を助けようと考えていた。
傷の手当だけでは足りない、生物としてではなく妖怪として死に掛かっている橙にはそれだけでは。
主人のように無茶をしてでも、犠牲を払ってでも救いたい。
「じゃあ藍、今日はもうお開きよ。 私は後片付けをしてくるわね」
そう思っている時に、突然こんな事を言われたものだからまた驚くのも当然だ。
「待ってください! この子は、私はどうすれば!」
「言ったでしょ、今日はお開き。 私が与えた貴方の仕事は終わり。
その子は貴方が連れてきた貴方が面倒を見る子よ。 私が口を出す事じゃないわ」
間違っていない、そんな事は判るのだが、それを受け止める余裕が今はなかった。
大きなスキマの奥に消えてゆく主人を止める事が出来なかった。
必死に考えて、まずは傷の手当をする。見た目の傷はたいしたことは無い。
深刻なのは、妖怪として存在するために必要な見えないものに受けた傷。
それに対する対処法を彼女は知らなかった。だから、ただ励ますしか出来なかった。
「貴方のご主人は本当に酷いわね」
茶化すように、背中から声をかけられる。振り返れば、消え入りそうに佇む、幽雅な少女。
主人と同じように、彼女でも真意の掴めない不思議な人。
その桜のような唇を開いて、茶化すように、慰めるように、
「その子を私のところに送りたくないなら、紫が貴方にしたようにしてあげればいいのよ」
とだけ告げて、庭師の後に続いてその場を去っていった。
彼女の言葉で、自分の中の式が答えとやり方をすぐさま弾き出す。
確かに、やった事は無い。
でも、知っている。
何より自分自身が答えなのだから。
妖怪として生きるための知恵を、強くあるための力を、ともに居て欲しいと願う思いを式に変えて打ち込む。
式神というものが何なのか、何かを守りたいと思う気持ちが、少し判った気がした。
『第零期 ○月□日
とうとう博麗大結界が完成しました。
そして、幻想郷の新しい暦が今日から始まったわけです。
今日はお祝いムードであちこちで宴会が行われる予定だったのですが……
予期せぬ龍神の登場、このおかげで宴会が神社での大宴会になってしまいました。
どうやら幸先は良いみたいです。
まだしばらくは混乱もあると思いますが、きっとどうにかなるでしょう。
紫様がどうにかなるとおっしゃっていたのですから。
それと、橙と出会って一年が経ちました。
もう一つ、橙が私の式になって一週間でもあります。
最初は自分でも戸惑いましたが、なんてことはありません。
私と橙はお互いが大事な存在である事に変わりませんから。
これからもずっと一緒に居てあげるつもりです。
もちろん、紫様の側にも居るつもりです。
私の不安定な式の直し方を教えてくれたんですからね。
ひねくれものですが、橙と同じように大事な存在なのは変わりません。
ああ、もう一つ書き留めておかなくてはなりません。
橙が、猫を拾いました。 』
ひしひしと、その温もりが感じられます。
主と式の両方を持つ藍は、とても恵まれてると思う