「――んあ?」
美鈴が目覚めると、すでに太陽は折り返し地点まで来ていた。眠気でぼやけた頭を振ると、湖が照り返す光が広がる。目を擦りながら、美鈴はゆっくりと光に目を慣らしていく。
「あー、また寝ちゃったみたい――――はっ!?」
すぐさま背後をうかがう美鈴。門番をサボっていたことがばれればあのメイド長にどんなお仕置きをされるかわかったものではない。身体をぺたぺたさわり、ナイフが刺さっていないこと、まだ足がついていることを確認して、ようやく美鈴は肩を撫で下ろした。
「ふう。どうやら咲夜さんには見つかっていないみたいです。良かった。さすがにリアル黒ヒゲ危機一髪は勘弁です」
肩を撫で下ろし、美鈴は仕事へと戻った。だがその時、お腹がぐぅ~と鳴った。そういえばまだ昼食を取っていないなあ、と思い出す美鈴。自覚すると途端にお腹が空いてきた。その上、今日はいつもよりもお腹が減っている気がする。いつもなら咲夜が運んできてくれて『め~りん』と書かれた専用おかもちの中に置いていってくれるはずなのに、中に入っていたのは枯葉が三枚ほど。
「あー。もしかして、お昼抜きですか咲夜さん? お昼寝の罰ですか? 私に対する遠回りな抗議ですか? しくしくしく……」
涙を流し、美鈴は己が境遇を享受することを決意した。これもまた春の陽気に惑わされた己の精神の弱さ故だ。唸るお腹を抑えて、美鈴は仕事に戻った。しかし、それから数時間経過し夕方になっても咲夜は現れなかった。それどころか紅魔館から物音一つしない。訪問者がいないのは良いとして、中からレミリアやメイドたちの声すらしないというのは異常だった。
「……夕方の買出しすらないなんて」
不審に思った美鈴は恐る恐る紅魔館を振り返る。紅魔館は静まり返り、まるで廃屋のような不気味な雰囲気をかもし出していた。命の鼓動は聞こえない。いくらレミリアが光を嫌うとはいえ、陽が落ちてきているというのに電気すら灯っていないというのは普通ではない。
「……なんか、おかしいですよ。おかしい……」
美鈴の背に冷たい汗が流れる。ツバを飲み込み、ゆっくりと門を開けた。聞きなれた金属が擦れる重苦しい音も、今は全く別物のように腹の底に深く響く。そのまま館の扉に手をかけノブを回す。
「あれ?」
鍵がかかっている。そんなはずはないと、ニ三度扉を引くがビクともしない。
「そんな!? どうして!?」
いよいよ不安にかられた美鈴。とにかく館の中に入ろうと庭へと回る。もしかしたら開いている窓があるかもしれない。花壇を飛び越え芝生を駆ける。だが、紅魔館の側面に来たとき、その足は動きとめ、目は大きく見開かれた。
「こ、これは!?」
紅魔館の窓の一つが大きく割れていた。その大きさは人間一人くらいなら楽に通れるサイズだ。ここに来て、漠然とした不安はどろりとした確信へと変わりつつあった。美鈴は割れた窓ガラスをくぐり、紅魔館の中へと入った。周囲を見回しながら、ゆっくりと床へと着地する。その瞬間――
パンッ!
「ひ――ッ!」
突然の甲高い音に美鈴は身体を強張らせた。右足に異物感。どうやら、床に散乱していたガラスを踏んでしまったようだ。ほっと息をつく美鈴。それに反して心臓は自分でもびっくりするほど早く脈打っていた。まるで自分をせかすようだ、と取りとめもないことを思う。紅魔館の中はしんと静まり返り、薄暗い大広間はいつも以上に影が濃く見えた。
「怖いと思うから怖いんです。怖いと思わなければ怖くないんです。そうです、そう。よし。おばけなんてなーいさー、おばけなんてうーそさー」
幽々子たちの存在を一切に否定する歌を歌いながら、大きく深呼吸を三回。心臓はばくばくと脈打っていたが、頭の方がいくばくかは冷静になった。美鈴は目を閉じ、自身の能力を開放する。〈気を使う程度の能力〉。これは自身の肉体を強化する他に、周囲の気を探り誰かいれば探知することが可能だ。
「……だれも、いない? お嬢様も咲夜さんもメイドたちも?」
少なくとも美鈴が確認できる範囲では何者の〈気〉を感知することができなかった。それはレミリアたち紅魔館の住人も近くにはいないということとイコールだ。割れた窓、鍵のかかった扉、消えた住人たち。これらが導き出す答えは何か。考えは尽きないがとにかく行動だ。誰もいないとわかっていたがその理由を探すことはできるはずだ。
「そうだ。パチュリー様は?」
紅魔館の地下にある大図書館。そこに住まう魔法使いパチュリー・ノーレッジはほとんど地下から出てこない。そのことから“動かない大図書館”という異名すら持つほどだ。彼女ならばあるいは。美鈴は地下へと続く階段へと急いだ。ぐるぐると続く螺旋階段はひどく視野を狭くし、終わりのないトンネルを進んでいるようだった。
「落ち着け。落ち着け。ににんがし、にさんがろく、にしがはち、にごじゅうご……」
九九を計算しながら、図書館の扉を目指す美鈴。落ち着いたトーンの茶色の扉はいかにもパチュリーらしい趣味だと場違いなことを考えて自分を誤魔化した。そこで気付く。扉が開いている。5センチほどだが、確かに。
「閉め忘れ、じゃないですよね?」
扉の横へと張り付いた美鈴。注意深く中の〈気〉を探ってみても、人がいるようには思えなかった。この部屋にいないのか、この館全体にいないのか。そして同時に持ち上がる漠然とした恐怖。全てのつじつまを合わせる恐ろしい計算。
もしも〈気〉で探れない存在がいたとしたら?
それはレミリアたちを証拠も残さず消せる存在だとしたら?
この吸血の館、紅魔館を昼寝の間に滅ぼせるような者がいるとしたら?
「……………」
美鈴の指先が震える。その脳裏にあるのはかつて繰り広げた太歳星君の影との死闘だ。彼奴は人の姿をそっくり真似ることができた。幻想郷はありとあらゆる妖怪が集う場所だ。何が起こっても不思議ではない。ツバを飲み込み、美鈴は意を決して扉を開けた。同時に前転をしつつ中へと突入。すぐに体勢を立て直し、周囲を探る。左腕を前に右腕を顔横につけ、足を開いた姿勢は美鈴が戦闘態勢であるという現われだ。
「ふん! は! か、かかってきなさ――――い!!」
首が折れんばかりのスピードで美鈴は周囲を探った。だが図書館には誰もおらず、美鈴が開けた扉の音が虚しく反響してくるだけだった。たっぷり三十秒の時間を数え、ようやく構えを解いた。地下図書館には誰もいない。パチュリーの司書である小悪魔の姿も同じようになく、ただいつも通り無数の本が無機質な背表紙を美鈴へと向けるだけだ。
そのとき――
かたん。
「――――ッ!!」
突然の音に美鈴は振り返り、構えを取った。呼吸は乱れ心音は爆発し、視界は望遠鏡をのぞいているみたいに狭い。
「誰です! 姿を現しなさい!!」
精一杯の声を張り上げた。それが大きい声なのか小さい声なのか美鈴には判断できない。鼓膜にフィルターが張られたように現実が遠い。ガチガチに固まった関節をなんとか意志の力でほぐしながら、美鈴は音のした方を睨みつけた。日の入りはもう目前で影は薄く儚くなっていて、闇と同化してしまいそうだ。だが、確かにそこにあるのだ。何者かの影が。
「っそこ! 華符『芳華絢爛』!!」
先手必勝。美鈴はバネのように跳ね影へ飛び掛った。右腕に気を溜めれば、七色の輝きが図書館の壁を照らす。妖怪としての本質。破壊の光。人間数人分を壊す力が美鈴の腕へと集まっていた。それに呼応するように影も動き出した。一瞬で扉を抜け、その小さな身体を宙へと躍らせた。突如目の前に飛び込んで来た影に驚いた美鈴は、拳をあらぬ方向へと叩きつけてしまった。無惨に四散する本棚。分厚い魔道書が千切れ飛び、床へと散らばった。
「あたた……」
「にゃ――ん」
「え? にゃんさん!?」
美鈴を襲った影。それは白い猫だった。この猫は妖怪の跋扈する幻想郷で逞しく生きている野良猫で、美鈴も門番をしつつときどきエサをあげていたので印象に残っていた。乾いた笑いを浮かべる美鈴をよそに、白猫は本棚の上に座って、わき腹の辺りを舐め始めた。
「ああもう、びっくりさせないでくださいよ、にゃんさん。割れた窓から入っちゃったんですか。仕方がないですねえ。ち、ち、ち。ほら、おいでー。外まで――」
気付いた。気付いてしまった。白い猫に備え付けられた四本の足。その全てが赤く染まっていた。だが、当の白猫はいたって普通。痛がっている様子はまったく見受けられない。ならばそれは誰の血だろうか。一体誰の血で染まったのだろうか。
「あ」
美鈴が思考の渦に入っているうちに白猫は図書館を出て行ってしまった。扉の前で一度だけ振り返り、美鈴の顔を見つめた。
「にゃ――ん」
「……………」
一度だけ鳴いた。高い声がなぜだか酷く不気味に感じる。美鈴は白猫の飛び出してきた扉を見つめた。あの扉はどこにつながっていた?
「……まさか」
一つの可能性が美鈴の頭に浮かび上がる。この紅魔館における最強の存在。全てを破壊する力を持った生粋の破壊者。同時に精神を蝕まれた理外の思考を持つ者。
「妹様が?」
フランドール・スカーレット。〈ありとあらゆるものを破壊する程度の能力〉を持つ“悪魔の妹”。彼女ならばレミリアたちを殺すことも可能だろう。しかし、美鈴はその可能性を除外した。いや、無理矢理否定したという方が妥当だろう。フランの気がふれていることは知っている。だが、実の姉を手にかける程ではないはずだ。美鈴は何度かフランと会ったことがあるが、普段は天真爛漫な無邪気な女の子そのものだった。弾幕ゲームでは少々乱暴だったが、ちっちゃなスプーンを使って一生懸命ご飯を食べる様子は傍目から見ても微笑ましい。そのフランが、レミリアや咲夜を殺すとは信じられなかったのだ。
だが、想像してしまった。フランに『目』を握られ、内側から爆ぜるレミリアたち。その顔は苦悶に染められ、無能な門番の後姿を呪いながら息絶えたのだ。フランはその肉片をかき集め、そして――
「そ、そんなことありません! 第一、血の跡すらどこにもありませんでしたし!」
必死に頭を振り、自分の脳裏に映った残酷な情景をかき消す。だが一度浮かんだ懸念は油汚れのように美鈴の頭にこびり付き、離れようとしない。もしも、だけど、でも。仮定と否定がせめぎ合い、頭の中をぐちゃぐちゃにかき混ぜていく。もう、何が真実なのかまるでわからない。確かめる方法はただ一つ。
「……行くしか、ありませんね」
その目で確認すること。目というカメラを通して現実を評価すること。それ以外に真実を知る方法などありはしなかった。美鈴は迷わなかった。地下の道をかけ、罪人を閉じ込める牢屋を過ぎ、その奥にある扉を目指す。実にファンシーな字体で『フランドール』と書かれた部屋の表札は、地下にあってあまりに異様だった。
今度は警戒などしなかった。ただ駆け抜け、確かめる為に歩を進める。そして、扉に手をかけ、一気に開け放った。
フランの部屋にはぬいぐるみや絵本などの娯楽用品が散乱していた。
窓は無いが天井には豪華な照明がついている。
部屋の端にはコテコテの棺桶がある。フランは寝るときは棺桶に入るとレミリアが言っていたのを思い出した。
歪な部屋。
子どもと大人と狂気を混ぜ合わせたような部屋。
そして、
その床は
一面の赤で染まっていた。
「――――――――――ッッッッ!! いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
地下から戻った美鈴は貯蔵してあった食料を狂ったように食べ漁った。恐怖に打ち勝つには食え。馬が怖いなら馬を食え。犬が怖いなら犬を食え。鮫が怖いなら鮫を食え。昔誰かが言っていた言葉だ。食い、消化し、自分のものとする。それは美鈴の中にある自己研鑽の方法の一つだった。同時にそれは儀礼だった。もう、何も口にすることのできなくなった咲夜たちへの。
「絶対に、絶対に生き残ってやる! 咲夜さんたちの為にも!!」
滅多に口にできない高級な肉を口の中に押し込む。レミリアが大切にしていた高級ワインもラッパ飲みした。恐らくは美味とされる食料の数々を湯水のように腹へと収めて行く。味も匂いもわからない。ただただ栄養を補給し、自分を満たす行為。腹が減っては戦はできぬとばかりに食べまくる美鈴。その両眼からは涙が止め処なく溢れ出ていた。
「お嬢様! 咲夜さん! パチュリー様! 小悪魔さん! メイド妖精の皆さん! 私は、紅美鈴は一人でも生きていきます! 貴方がたの犠牲は忘れません! 必ず生き残って、みんなのことを後の世界に伝えていきます!!」
美鈴は食べて、食べて、食べ続けた。紅魔館に備蓄していた全ての食糧を食い尽くさんとばかりに。生きるために。生きて、この惨劇を皆に伝えるために。
◆ ◆ ◆
「ふう。温泉というのも悪くないわね、咲夜?」
「そうですね。お嬢様の肌もさらに滑らかでまるでシルクのようです」
「ふふっ、私と比べたらシルクがかわいそうよ」
「失礼、そうでした」
「咲夜――! 私は――!?」
「妹様もお綺麗になりましたよ」
ほくほく顔で道を進むレミリアとフラン。そしてそれに続く咲夜。一泊二日に及ぶ地底温泉旅行ですっかりと肌の艶を増していた。それに続くのはパチュリーと小悪魔。二人もまた朗らかに笑い合っている。温泉のおかげでパチュリーの喘息はだいぶ改善されたようで、非常にご機嫌の様子だ。さらにその後ろには荷物を持つメイド妖精たち。こちらも温泉で普段の疲れをすっかり洗い落としたためか、荷物を持ちながらもなかなかに楽しそうである。
「しかし、美鈴は残念だったわね。せっかくの旅行だというのに」
「あの子にはいい薬です。せっかくお嬢様が旅行を企画してくださったというのに、昼寝ばかりして。大方今は人間の里か博麗神社にでも転がり込んでいますよ。もう、人間の子になっちゃえばいいんです」
「ふふ。咲夜は美鈴に厳しいわね」
「当たり前です。どこの世界に昼寝が常態になっている門番がいますか」
「あらあら。ま、これであの子も懲りたでしょう。明日からは真面目になるわよ」
「そうですかねえ」
「次はみんなでいきましょう。やっぱり何だかんだ言ってもあの子がいないと静かで落ち着かないわ」
「……はい。お嬢様」
レミリアに言われてはしょうがないと咲夜も頷いた。しかし、その顔がどことなく嬉しそうなのをレミリアはしっかりと見ていた。素直になれない従者を見ながら、レミリアは伸びた八重歯がぎりぎり見えないくらいに笑みを作った。
しかし、レミリアたちは知らなかった。美鈴が昼寝と称して、丸26時間寝てしまうような娘であることを。程なくして彼女らは紅魔館へと帰り着き、館の中の惨状を目にした。
高級な食材を食い散らかし、
貴重なワインを飲まれ、
窓ガラスを割られ、
大切な魔道書を破られ、
部屋を汚された紅魔館。
そして肝心の門番は酔っ払ったあげく、床に大の字になっていた。幸せそうに眠り「みなさん、仇は討ちましたよ~」と寝言まで言っている。そんな彼女に迫るのは、実害を受けた四人分の影だった。
一方その頃、魔法の森の中。
「楽しかったね! トマト祭り!」
「紅魔館の人たちに悪いことしちゃたね。窓も割っちゃったし」
「あれ? ルーミア、それなに?」
「えーっと『地底界まで旅行に出かけます。貴方は少し反省してなさい』って書いてるね」
「門に貼ってあったのだー」
「そんなのどうでもいいよ! 身体が汚れちゃったから、みんなで泳ごうよ!」
紅魔館に不法侵入して散々遊び倒したチルノ、リグル、大妖精、ルーミアは全身をトマトまみれにしながらもとても楽しそうだった。彼女らはトマトの付いた身体を湖で洗い流し、それぞれの家に戻り、ぐっすりと眠りについた。目を覚ませばまた平和な日々を迎え、新しい遊びに興じることだろう。
「「「「美鈴――――――――――――――――――――――――――――――――――っ!!!!」」」」
「ひぃ――――――っ!! なんでこうなるんですか――――――――――――――――――――っ!?」
おしまい
負けた
まあ今後はあんたの作品は読まないようにするよ。
ありきたりのネタだが 美鈴らしさがでてたお
話としては面白そうだから、いろんな作品見て、自分のと見比べて書いてみては?
最近減った美鈴イジリを久々に見た気分
で、美鈴好きからして見ると不愉快
以上
普段いかに中国が役に立っていないのかを、よく表現で来ていてよいと思います。
中国は本来こういう扱いであるべきなのに、
最近はやたらと中国を持ち上げるネタばかりで、うんざりしてたので、
良くぞやってくれたと言う気分。次回も楽しい中国いじめを期待しています。
会話を見る限り旅行についての認識はなかったようですし、レミリアたちが居るかもしれない紅魔館にそこまでして入るものでしょうか?
整合性をあわせるために無理やり取ってつけた感がぬぐい切れず、その一要素だけで読後感が悪くなりました。
そもそもそこまで門番が役に立たないなら、留守中の対策をなにかしらしてるかと思います。
メジャーな形式ですし、ある意味公式設定かもですけど、
それを主題に作品を作ると、どれだけ作品として良くても
読んだ後に結局何かすっきりしないものが残るんですよねぇ……
そうすると、坊主憎けりゃなんとやらで、正直な話マイナスイメージが拭えません。
用法用量を守って正しくお使いください。
なお禁忌にご注意ください。
あなたの次の作品に期待しておきます
やっぱり美鈴好きからするといい気分はしないです。
あとトマト祭りは違和感ありまくりな気が…
なんか食い始めた辺りからわかってやってそうだなこの門番・・・
急に皆が消えてしまった美鈴の動揺はなかなかリアルでしたよ。
でもトマトは流石に気づけwww