******
人骨踏みしめ怨念喰らい、
這いずり進み血を啜る。
悩ましきかな我が武道。
……これは今より遥か昔の物語。
魂魄妖夢が未熟だった頃の物語である。
******
三日目、朝の六時、晴天。窓から一枚の桜の花弁がはらり、と道場の床に落ちた。
妖夢は刀礼を済ませると、長刀を抜き、まずは八相を形作る。
袈裟、受け、正面、と打ち合いを想定した基本の流れを一つ。これを機として考えると、まず妖夢が先の先に袈裟に仕掛け、相手が受け太刀で流し、後の先を取らんとした所をこちらも受け、正面で先の機を狙う、と言った流れになる。
勿論、実戦でそのまま使える流れではない。かと言って、型には全く意味がないのかと言うと、そうではない。
型とは、即ち体の自然な操作法、つまり構造的に速い体の動かし方の一部なのである。
これを学べば、どのような時にも型を応用する事が出来る。実戦、或いはそれ以外の時でも、咄嗟に型を運用出来るようになって、初めて型と言う物が意味を持つようになってくるのだ。
実戦では、これに加えて機と言う物も絡んでくる。難しいどころの話ではない。完全に極めるのは、恐らく不可能に近い。
妖夢は自らの剣筋に乱れが無い事を確認し、静かに納刀した。
続けて妖夢は周囲に誰も居ない事を確認すると、左手だけで左の腰に据えられた長刀を抜き放ち、抜刀を一つ。
矢張り乱れは無い。見事な逆胴であった。
この技は特に難しい。短刀であれば左手でも悠々と抜刀をこなす事が出来るが、長刀ともなると、未だに実戦投入が危ぶまれるほどの難易度である。
元来、妖夢は右手で長刀、左手で短刀を扱うのだが、予想を裏切る隠し技としてこのような物が幾つか存在する。
基本的には矢張り右手と左手の役割を入れ替える、と言う物が多くなる。間合いを騙す為の技である。
長刀と短刀が入れ替われば、当然左右の間合いも変わる。実戦の最中、一度慣れた間合いを別の物に入れ替えるのは、対敵どころか妖夢自身にすら影響を及ぼす。だが、実戦の前に修練を重ねれば、妖夢の方が有利になるのも道理。
これは奇手、奇策の類であり、また、自身の全力よりは流石にどうあっても劣る為、素直な性格をした妖夢はこの技をあまり好いてはいなかった。
しかし好いてはいないと言っても、鈍らない程度には常の鍛錬は怠らない。これもまた素直な性格が成せる事である。
(……ここに答えはない、か)
技を始める前から朧気に感じていた事だが、予測は確信へと変わった。
――ここに答えはない。少なくとも、今手元にある材料で導き出せる答えは、ここにはない。
逆胴から呼吸を置かずに短刀を右手で抜き打ち、上段への受けの形を作る。答えがなくとも、一度始めた型は続ける。体の動かし方を確認する為である。
剣術に於ける型とは、囲碁に於ける定石のような物だ。一部を以てすれば最善手に見えるが、全体となるとまだよく分からない部分が多く、また、新たな定石が発見される事もある。絶対不変の物では、決してない。
強き剣士の修練とは、型の動きを確認しつつ、何かより良い方法はないかと模索する物である。
妖夢が扱っているのは二刀流であるが、二刀流と一口に言っても、同時にこなせる動作は一刀流のそれと変わりない。
極端な例えだが、右手で袈裟、左手で裏切り上げと言った正逆の動作を想定してみると分かりやすいだろう。恐らく、どちらも腕の力だけで振り回す剣か、或いはどちらか一方しか威力を持たない剣――それも一刀よりも威力が劣る剣――に成り果ててしまう筈だ。
後者であれば二刀を用いる意味がないし、前者であれば、腕の力だけでは人は斬れないと言った問題がある。
いや、一太刀一太刀に全力に近い力を注ぎ込めば、妖夢には斬れるかも知れぬ。人間であっても、鍛えられた筋力の持ち主が同じ事をすれば、矢張り斬れるかも知れぬ。
しかし、立ち合いが長引けばどうか。何度も続けばどうか。筋力を用いる剣は、これはどうあっても疲れは免れない。筋力に頼っている以上、疲れ、衰えが出れば即ち敗北に繋がる。
剣術は、斬り合うため、命のやり取りをするから術と言う名を冠しているのであり、わざわざ疲れる方法を選ぶようであれば、それはもう術と言う名を使ってはならない。
妖夢の師は言う。筋力ではなく、体の流れで斬るのだと。そうやって動いて初めて型や技と言えるほどの動きになるのであり、そうでなくばそれは棒振り芸でしかないと。
妖夢が教わった剣は、筋力で動かす剣に比べ、同じ速度辺りの筋力の負担が格段に少なく、また、実質的な最高速度もほとんど変わらなかった。
これだけを聞けば、妖夢の剣が如何に優れているかを語っているだけに思われるかも知れないが、妖夢の剣の強さにはそれに見合った代償がある。
動きが制限されるのである。
一度に一つの体の流れ。
これが妖夢の剣に課せられた宿命。これがつまり技と呼ばれるような質の動きの源泉であり、強さの源泉である。
では何故二刀を用いるのか、一刀であっては駄目なのか、と言う疑問が生じるやも知れぬが、妖夢の剣術には二刀には二刀の、一刀には一刀の理屈があった。
一つの体の流れを使った攻撃動作の直後、例えば今のように長刀を振り下ろした直後だが、この後の防御動作、つまり受けの形、これを作る事は腕の力だけを用いても構わない。
実際に受けに入る時には矢張り体全体の力を使わねばならないが、その準備として、形を作るだけならば何も問題は無いのだ。
受けた後は即座にもう一方を攻めに切り替える。こちらも矢張り腕だけで形だけは作っておく。この時は筋力の力に頼ってしまうが、本当に強い力が必要な部分には筋力をほとんど用いない為、疲れは最小限に抑えられる。
切り替えた後の攻めもほぼ一刀流と変わらぬ速さである。そして受けと攻め、攻めと受けの間を限りなく減らしてゆく事で、構造的な勝利が望める。
逆を言えば、切り替えが遅ければ確実に負ける剣でもある。一刀流よりも遥かに難易度が高く、また、それを補って余りあるほどのメリットがあるかと言えば、そうでもない。
むしろ、同レベルの一刀流の使い手が居たならば、二刀流では負けるのではないか、と妖夢は思う事がある。思えば、彼女の祖父もそれを否定はしなかった。
……だが、彼女の祖父は肯定もしなかった。答えは妖夢が見つける事だと言っただけである。
受け太刀の流れを終わらせ、長刀にて素早い刺突。型の名を春風と言う。春風に舞う桜の花弁の如き変幻ぶりにて相手を斬る事からの名だった。三手目が刺突ならば春風・撃、胴であれば春風・舞と、放つ攻撃によって幾つかの名前を持つ。
妖夢は血振るいを一つ。それから残心しつつ納刀し、虚空に対敵の姿を思い浮かべた。
******
……初めに。
月の光が、美しい曲線を描く鋼を照らし出していた。
白銀。宙に浮かぶ二振りの白銀が、太陽からの光を反射する月の如く、月の光を反射して、輝いている。
――おのれ。
それを見た彼女は、その輝きを呪う。憎悪を込めて、その美しき鋼を睨み付ける。
――おのれ。
一刀を手に携えた彼女は、今や憤怒の塊であった。
彼女をそうせしめたのは、白銀の二刀を持つ少女である。
二刀を緩く構えているのは魂魄妖夢。
殊剣術に置いては、幻想郷に比する者などほとんどない、生まれつきの剣士。
宙に悠然と浮かぶ妖夢に対して、地に膝をつく彼女は、刀を持つ事すらままならない様子であった。ならば両者の関係は瞭然として月明かりの下に照らし出されている。
勝者と、敗者。
彼女たちの違いは、その一点であった。
地に膝をつく彼女、奈良原南は、しかし敗北した事それ自体に怒りを覚えているのではない。
「貴様は……どこまでも刀刃を弄ぶか!魂魄妖夢ッ!」
怒りを込めて。呪いを込めて。憎悪を込めて。
奈良原は、臓腑の底から声を上げた。
******
――未だ、至らぬ。
彼女は渇いていた。飢(かつ)えていた。
――我が身は、未だ武の天頂に届かぬ。
斬った。ただひたすらに斬って、斬って、斬って……
幾戦、幾十戦を超えて、不敗。
弱い敵と戦った事があった。強い敵とまみえる事があった。
一刀の下に終わった仕合があった。紙一重の勝利があった。
全てはただ剣の術理を完成させる為。ただ強くなる為に。
彼女は知っている。彼女には分かっている。その先には、何もありはしないと言う事を。
何もかもを剣に捧げねば、その果てには届かぬと言う事を。
それでも、彼女は今日も敵を斬った。
彼女は、己が身が一振りの刀に近づきつつあると言う自覚の中にあった。
一人斬る毎に、一つ鎚が振るわれ、心が鍛造され、魂が整形され、それを繰り返し……やがて完成を迎えるその時まで、彼女は止まろうとは思っていなかった。
……そして、彼女は魂魄妖夢に出会う。
それは一種の一目惚れに近い衝動だった。
――許さぬ。
ただ一目。ただ一目で、奈良原は燃えるような瞋恚(こい)に落ちる。
――許せるものか。
妖夢が振るう剣に、少女が白馬に乗った王子に憧れるような必然性を以て、奈良原はその剣に憎悪を覚える。
――誰があのような『紛い物』を捨て置ける物か!
力量の差は歴然としていた。人間である奈良原が、人間を遥かに超えた高みに居る妖夢に敵う道理はなかった。
最初から奈良原はそれを理解していた。
妖夢の剣は、速く、強く、巧みであった。人間の持つ性能では、どうあっても太刀打ち出来ない程に。
妖夢の剣は、奈良原が一度、自身の最速の剣を振るう合間に、三度は余裕を持って振るわれるだろう。
その三度さえ、妖夢は長刀を片手で持って行える。
どうしようもない格差。奈良原がどれほど術理を極めたとしても。妖夢が例え棒振り芸の如き拙き技術の持ち主でも。
奈良原の剣が届く事はない。それほどの差。
だがそれでも……否、それ故に、妖夢の術理はどうしようもなく醜く、無残で、未熟であった。
彼女の立回りには、相手の行動を読もうとする意思はなかった。ただ、己が力の暴虐に頼り、相手を討ち果たそうとしていた。
そんなものを、戦いとして許容して良い筈がない。仕合として許容して良い筈がない。
――故に、
勝てぬ事は百も承知の上で、奈良原は妖夢へと剣を向ける。
……妖夢と相対する彼女は、自身が斬った人々の顔を思う。それは一種の走馬灯のような物だった。
男が居た。女が居た。老いたる者が居た。若き者が居た。愉悦に狂った魔人が居た。復讐に身を焦がす鬼人が居た。
誰も彼も、斬って、殺した。それでも奈良原は、彼らに憎しみを覚えた事は一度もない。否、むしろ愛してさえいた。
戦いの最中にあって、奈良原は相手の心に触れていた。相手が自分の心に触れるのを感じていた。どんな形であれ、そこには確かな、深い繋がりがあった。
だから彼女にとって、対敵とは愛すべき対象であったのだ。
故に、その人々の死に顔に誓って。
奈良原は今こそ、憎悪を以て、疾走しながら鍔に親指をかける。
居合いの構えである。
先の先……妖夢は間合いを正しく把握している。仕掛けるべきではない。仕掛けてはいけない。仕掛ければ、妖夢は正しく先の機を取るだろう。妖夢はこちらに対して先の機を取る腹積もりのようだ。ならば、と奈良原は自身が誇る最強の術理を以て、妖夢を打倒する決意を固めた。
先の機……妖夢の刀は虚空を斬った。『正しく間合いを把握し、完全に奈良原を捉えた筈』の妖夢の剣は、しかし何者をも斬る事はなかった。
――奈良原は、妖夢が刀を振り下ろす直前に跳躍していた。
疾走の勢いを殺さぬままの跳躍。だが果たして、その跳躍はヒトが為しうる物であるのか。
奈良原は、ヒトの身でありながら、妖夢の背を跳び越えていた。
そしてたった今、彼女は宙転し、妖夢の背を狙って刀を抜き放とうとしている。
鳥に例えるならば空翔る燕だろうか。いや、凶鳥(まがとり)の黒影(かげ)の化身、死を告げる大鴉であろうか。
技の華麗さを見るならば前者と称えるだろう。技の恐ろしさを理解した者ならば後者と畏れるだろう。
――魔剣・昼の月
後の先……妖夢の背に奈良原の刃が迫る。
奈良原が築き上げた、無敵に近い魔剣。幾十の戦いを経て、未だ完全に破った者は居ない魔剣。
だが、妖夢は、
圧倒的な反射速度と、身体能力で以て、転身、左手の小刀で必殺の一撃を弾き、
長刀で奈良原の右腕を戦闘続行が不可能な程度に刀背打ちした。
******
そして妖夢は宙に浮かび上がり、悠然と構えたまま、奈良原を見下ろしている。
「貴様は……どこまでも刀刃を弄ぶか!魂魄妖夢ッ!」
怒りを込めて。呪いを込めて。憎悪を込めて。
奈良原は、臓腑の底から声を上げた。
――届かぬ事は理解していた。それでも。
叫びを上げずに居られようか。
強き者こそ肯定されるべきであり、弱き者の叫びは否定されて然るべきである。そう奈良原は理解しているつもりで居た。
だが。
これほどの恥辱を与えられて、これほどの無残を晒して、それでも尚声無く地に伏す事など、誰にか出来よう。
「必ずや、報いを!」
奈良原は決してあの強さを認めない。あれは身体能力の果ての力に過ぎない。剣の術理を極めた先にある物などでは、決してない。
「いずれ貴様に報いを与えようぞ!魂魄妖夢!」
そのような事を成す術など今の奈良原には無い。いや、あの魔性の剣士に勝つ術など、人間である奈良原には無いのかも知れない。
妖夢は怨嗟の声を上げる奈良原を、興味が無いと言ったふうな素振りで一瞥すると、彼方へと去っていった。
その背を見送った奈良原は、仰向けになり、夜空を見上げた。
空。彼女が目指した武の天頂。霊力無き身をして、飛翔と見まがうまでの跳躍を用いる、彼女が築き上げた魔剣。その象徴。
魔剣を目にしたある者は燕と言った。飛燕の如き華麗さで対敵を斬り伏せるその姿を、憧憬(しょうけい)を持って見上げていた。
魔剣を目にしたある者は鴉と言った。凶鳥の黒影の如く人を屠る姿を、畏敬を持ってそう称した。
だが、人である奈良原は、跳ぶ事は出来ても、飛ぶ事は出来ない。
自身が空翔る燕の化身であったならば、妖夢に届いただろうか。
或いは、自身が凶兆を告げる大鴉の化身であったならば、妖夢に届いただろうか。
そのような詮無き事を思い浮かべるまでに、奈良原は深く絶望していた。
……そして、そこに突然『彼』は現れる。
――ああ、駄目だ。
それは最早諦観でしかなかった。
たとえ万全の状態であったとしても。
たとえ相手と互角の身体能力を持っていたとしても。
そこには確たる差があった。
――私は彼には勝てない。
何故ならば、奈良原は未だ武の天頂に至っていない。
彼は、至っている。彼をしても未だ天頂に至らないとしたならば、奈良原が目指す頂は無限の高みにあると、そう思わせるだけの威圧があった。
『力が欲しいか?』
彼――老人の姿をしている何者か――は穏やかな声で奈良原にそう告げる。
頭の中に直接響くような音だった。それは彼が空気の振動を介するコミュニケーションを必要としなくなって久しいが故であったが、魔術の知識がない奈良原にそれを判断するのは不可能だった。
そう、彼は何らかの手段で一個の存在と言う枠から逸脱した、神の権化の如き者だった。
奈良原が抱いたのは畏れと憧憬であった。
彼は恐らく、剣の術理を極めた先に、そこへ至ったのに違いないと、何故かそう思った。
否、と奈良原はその考えを振り払う。順序が違うのだ、と直観した。
彼は『何かを悟ったが故に』剣の術理を極めたのだ。
――『たとひ百錬千錬の精妙なりとも、虚実生死の境を出でざる剣は悟道一片の竹杖にも劣る』
そう説いたのは誰だったか。奈良原は一笑に付したものだが、果たして、その言葉は正しかったのだ。
『うむ……聞こえなかったやも知れぬ。何せ現世に現れるのは久しぶりじゃ。暫し待て小娘……否、これも聞こえておらぬのか?』
奈良原がそんな事を思いながら呆けていると、何やら彼は「これ『ならば』どう『じゃ』。『いや、これほどに』難しい物だっ『た』かのう」等と暫く必要の無い試行錯誤を続け、
「あー、あー、うむ。これならば大丈夫じゃろう。ではさらばじゃ」
と、当初の目的を忘れ、勝手に自己満足して消えた。
「……えっ」
後に残された奈良原は、酷く困惑した。
******
「すまなかったのう、何せこの歳にもなると物忘れが激しくなってな」
老人は数日後に再び現れた。奈良原の逗留している宿に忽然と現れ、今は奈良原が差し出した茶を啜っている。
「それで、どうじゃ?」
――……力が欲しいか?
そう老人は告げた。
「魂魄妖夢と対等に渡り合える力。魂魄妖夢と剣術で争う程度の能力。欲しくはないか、小娘」
……奈良原の答えは、最初から決まっていた。
「どんな条件でも構わない。あいつに匹敵する力を得る事が出来るなら……それで良い」
返答を告げると、老人は悪鬼の如き笑みを浮かべ、
「……よかろう。力が欲しいのならば、くれてやる」
と、言った。
******
次に。
冥界は春の真っ只中にあった。
妖夢は毎日のように行われる花見の為に、度々八雲紫の力を借りて、里へと降りて買い物をしていた。そんな折に出会ったのが、あの奈良原南だったのだ。
ちなみに、『紫の力を借りて』とは言っても、紫は花見の主催者の片割れであり、妖夢に使い走りをさせる張本人である。
もう一方の片割れは、桜の下で満足そうに寝ていた。今日も昼間からたっぷり食べ、たっぷり飲み、たっぷりはしゃぎ、はしゃぎ疲れて眠りに入ったのである。
時刻はまだ午後の三時を回ったところだった。これが時間を変えてほぼ毎日である。昼前から潰れる事もしばしばであった。
決してこうなってはいけないと、妖夢は自分に言い聞かせた。毎年この時期の西行寺幽々子は反面教師の見本である。
妖夢は溜息を吐くと、寝入っている幽々子を背負い、白玉楼へと向かう。
いや、此処も白玉楼の庭内であり、つまりは白玉楼の一部ではあるのだが、庭内と一口に言っても、何せ白玉楼は広大な敷地面積を有している。庭の一番遠い場所から白玉楼まで、ぼんやりと歩けば一時間はかかるだろうか。
故に、庭内から白玉楼へ向かう、と言った一種のトートロジー的な言葉が用いられる時があるのだ。
むにゃむにゃと寝言を言いながら首にしがみついてくる幽々子を抱えなおすと、妖夢は白玉楼へと目を向ける。幸い今日はそれほど離れてはいない。歩いて五分ほどの場所である。
庭内の移動でそれだけの時間がかかる事を、妖夢が異質と捉えている事はなかった。今日は近いな、等と世間離れした認識に気付く事なく、妖夢は一度桜の方を見やった。
此処には色が良く、雄大な印象を抱かせる紅枝垂桜が二、三本咲いている。幽々子はその内のどれもに、『殺戮幼稚園』だの『マイケルギョギョッペン』だのと訳の分からない名前を付けて親しんでいた。
此処の桜は紫にも覚えが良く、「南のシダレ、東のヨシノ」等と、妖夢が手をかけて育てた吉野桜と並べ立てて誉めそやしている。
紫が言うように、南ならば此処、東ならば此処、と花見をする際に大体の場所は決まっている。北や西にもヤマザクラやカバザクラの名所があるのだが、紫曰く「語呂が悪い」との事で、そちらが話題に上る事は少ない。
話題になるとしても、『南のシダレ』や『東のヨシノ』と言ったふうに方角と結び付けられて言われる事はなく、単にヤマザクラやカバザクラと言うだけである。紫の中には何か譲れない一線があるようだった。
(……正確にはあそこはベニシダレザクラなのですが)
今更告げても手遅れな気がして、妖夢は残酷な真実を紫に言う気にはならなかった。
「あら妖夢、お疲れ様。……何故かしら、哀れみを含んだ視線が向けられている気がしてならないわ」
哀れむべき無知なる者が隙間から現れた。
この人は枝垂桜と紅枝垂桜の違いが分からないのだ。ああ可哀想に。例えるならばブルータスの裏切りを知らぬカエサルであろうか。果たしてその残酷な裏切りを知った時、彼女は何と言って嘆くのだろうか。魂魄妖夢、お前もか!だろうか。別に妖夢が裏切った訳ではないのだが。ついでに言うと、語呂が悪い。
……等とは妖夢は考えない。考えないようにする。
「……まあいいわ。幽々子は私が寝かせておくから、貴方はお酒を買ってきて頂戴な」
そう言うと紫は幽々子を抱きかかえた。
「今日は『鬼哭街』が飲みたいわ。あ、それから『塵骸魔京』もね」
――私は南のシダレに居るから。
そう言って、哀れなる紫は隙間へと消えて、少し遅れて妖夢は現世へと放り出されたのであった。
******
――そして、彼女たちは再び出会う。
二人の間に導き手は居たかも知れない。しかしその導き手ですら、これほど早く二人が再会するとは、予測していなかった。
運命の糸が結ばれていた。言ってしまえば、ただそれだけの話なのかも知れない。
「魂魄……妖夢……ッ!」
「……また貴女ですか」
「抜け、魂魄妖夢」
「あれだけの差を見せてもまだ……」
「抜けと、言ったぞ」
6mもの距離が一瞬にして縮んだ。
少なくとも妖夢にはそう見えた。
――兵法綾瀬刈流・飢虎(きこ)。
先の先を突く為の奇襲技である。間合いの外から大胆に距離を詰める事によって、相手の虚を突く剣。
どの流派にも類似の技は存在する。妖夢が知っている限りでは現世斬がこれに相当する。
だが、
――速い!
数日前にまみえた時は、奈良原はただの人間の範疇に収まっていた。妖夢と奈良原の差は厳然として存在し、奈良原がどう手を尽くしてもその差が覆る事はない筈であった。
しかし、今の踏み込みの速さは、妖夢のそれに匹敵する。
恐らくは、奈良原は斬ろうと思えば今の一撃で妖夢を斬れた。そうしなかったのは、騙まし討ちを善しとしない剣士としての誇りであろうか。
だが奈良原が加減をしていたにも関わらず、妖夢は今の一撃を防ぐのが精一杯だった。
予期していなかった、と言うのも大きいが、それにも増して幸いであったのが、奈良原もまた、最初に刀を抜いていなかった事である。
抜刀術、と言えば一概に剣速が速いように思われるが、実の所、そうではない。抜刀術の恐ろしさは、そのような所にはない。
例えば、全く同等の技術を持つ者同士が、間合いの内で相対したとしよう。
この時、一方は剣を抜き放ち、上段に構え、もう一方は鍔に左手の親指を緩くかけ、右手は矢張り緩く構えていたとする。
この場合、同時に攻撃を仕掛けたならば、勝つのはほぼ剣を既に抜いていた方である。
と言うのも、既に刀を抜いている側は斬撃と言う一個の過程を経るだけで済むのに対し、抜刀術の構えを見せている方は、どうしても抜刀→斬撃と言った二つの過程をこなさなければならない。
例え抜刀が如何に速くとも、構造的な不利が存在するのだ。
――故に、
両者の刀は拮抗した。居合いと居合いが故に。
――もしも奈良原が既に剣を抜いていれば、
果たして、自身は今立っていられただろうか、そう妖夢に思わせるほどの速度であった。
見事に虚を突いた踏み込みから一転、じりじりとした鍔迫り合いになるかと思われたが、奈良原は大きく後退し、再び剣を鞘の内に収めた。
「身に染みたか、魂魄妖夢」
奈良原は笑う。
「今や私はお前と同等の位置に居る。最早身体能力のみで私を制しきれると思うな」
悪鬼の様な笑みで、妖夢を嘲笑う。
「そして……さあ、構えるが良い。我が魔剣、『昼の月』を受け、その身で弄んでいた剣の術理の何たるかを理解し、慙愧の中で死んでゆけ!」
妖夢は、直感的に二刀を抜き、構えた。
既に奈良原は侮って良い存在ではない。今や彼女は、妖夢にすら匹敵する魔性のソードダンサーに変貌しているのだ。
しかし、それとは別に、妖夢には少しばかりの余裕があった。
(魔剣、昼の月)
それは恐らく、数日前に見た、あの跳躍にて相手とその刀を跳び越えつつの、宙転しながらの抜刀術であろう。
確かに、初見であれば魔境の技である。よもや相手が自分の上を――文字通り、『上』を――行く等とは、誰も思うまい。
しかし、妖夢は既にその術理を見ている。
――間合いに入り次第一歩後退、相手の術の範囲外に出でて、宙転した無防備な背を斬る。
種を知ってしまえば、なんら恐るる事もない技、そう妖夢が思うのも無理からぬ事であった。
奈良原は笑みを浮かべながら、疾走を開始する。
その歩幅が一定しないのは、幻惑の為か。同じ時間軸の中にあって、妖夢は二度目にしてその歩法を認識する。
だが妖夢は気付かない。これこそが魔剣なのだと。今この時の疾走からが既に技の内なのだと。
(今だ……!)
冷静に、妖夢はその機に、一歩後退し、
奈良原は、距離を一歩大きく詰め、抜刀した。
再び虚を突かれた形の妖夢は、しかし今度はその太刀を見切る事はなかった。後退と言う無駄な過程が、反応する為の時間を大きく削っていたのである。
どさり、と地面の上に妖夢が横たわる。
「……どうだ」
奈良原は、いつか斬った人間の事を思い出していた。復讐に身を焦がした鬼人の事を。その人間は、復讐を成し遂げた後、このような気分になるのだろうか。
奈良原は、笑みを浮かべたままだった。悪鬼の如き笑みを。
「これが我が魔剣、昼の月よ。どうだ、魂魄妖夢。これが!これこそが!本来の貴様の姿よ!」
「か……はっ……」
返ったのは、喘鳴の音である。
妖夢は胸部、左側面に、肺にまで達する深手を負っていた。
「ひ……あ……子さま……師……匠……かふっ……」
「はは、あはははははは!良い答えぞ、妖夢!私はその声が聞きたかった。死を前に悶絶するその声が!」
奈良原は、いつか斬った人間の事を思い出していた。愉悦に狂った者の事を。その人間の愉悦が、今ならば心の底から理解できる。
「……だが私は優しい。感謝する事だ、魂魄妖夢」
――今、楽にしてやろう。
奈良原はそう言って、妖夢の前に立ち、剣を八相に構え、
「才なく心なく刀刃を弄んだ愚物。己に相応しい惨めさで死ね」
……既に意識を失った妖夢に、とどめの一撃を、
――キィン、と。
金属音が響き渡った。
妖夢の胴体と首は、未だ繋がったままである。妖夢は、死に瀕してはいたが、まだ生きていた。
「……これは何の真似か、ご老体」
奈良原の剣を防いだのは……奈良原に力を授けた老人だった。
「……一週間」
「何を、言っている」
「こやつに、一週間の時を与えよ」
「ふ……ふざけるなッ!私は勝利した!そいつは敗北した!それが全て、それが全てだ!」
――そいつの命は私の物だ!他の誰でもない、私だけの物だ!
それが剣の理であると、奈良原は信じていた。故に、圧倒的強者の前にあっても、怯む事なく、咆哮をあげた。
「ふむ……どんな条件でも飲むと、お主は確かにそう言った筈じゃが」
――それとも、儂と一手仕合うてみるか?
「貴様……ッ!」
力量の差など忘れ、憤怒の化身となった奈良原が、一直線に彼へと駆けてゆく。
憤怒に駆られていても、彼女の身に染み付いた魔剣は冷徹に勝利へと向かって進み続ける。
――魔剣・昼の月。
先を取ろうとした者には、跳躍からの宙転、抜刀による死を。
後を取ろうとした者には、そのまま疾走、抜刀による死を。
更に加えて、疾走時には特殊な歩法による幻惑を。
――無敵。それは無敵に近い魔剣であった。
彼は先を取ろうと画策し、そして奈良原はその『上』を行った。
しかし、
――何処だ。
奈良原は、奇妙な観念に囚われていた。
――何処だ。
あるべき筈の物が、ない。
宙を跳ぶ彼女には見える筈だった。遥か遠くに振り下ろされた筈の、
――……刀は何処だ。
彼の刀が、しかし奈良原には見えない。
――魔剣・鍔眼(ツバメ)返し
飛燕の如き華麗さで敵を屠る筈のその影は、しかし鈍い音と共に地に落ちた。
「……鍔眼返しと言う。外の世界のとある剣豪が生み出した魔剣じゃ。さて、力量もお主と同等程度まで落として戦ったのだが」
「……一週間、だな」
奈良原には、不思議と傷はなかった。
確かに斬られ、確かに深手を負ったと思ったその剣は、奈良原を傷つける事はなかった。
そして敗北した以上は、最早彼に従うしかない。もしくは死を選ぶかだが、奈良原にはまだやるべき事があった。
「きっかり、一週間後に。……そうそう、忘れておった。次の勝負の結果には、絶対に横槍を入れぬと誓っておこう」
「……当然だ」
一週間。たったそれだけの時間で、あの傷が治るとは考えにくいが、その事を奈良原が問うと、
「何、良い薬師が隠れ住んでいてな。蓬莱の者じゃ。この程度の怪我ならば、二日と経たずに完治するだろう」
と、返答した。
「……そうか」
蓬莱の者。言葉が持つ意味は、奈良原には分からないが、そのような事はどうでも良い。
――つまり、妖夢に残されたのは、五日。
五日で彼女は奈良原に勝ちうる剣を構築せねばならない。
成るであろうか。
可能性は、少なからずあると、奈良原には思えた。
そもそも魔剣を作り出す下地は十分な程に出来ているのである。あとはどのような剣を構築するか、それを考えるだけだ。
そしてそれは発想の力に拠る所が大きい。かと言って、発想が安直でも強い者は強いのだが。
(……かの兜割には些か苦労したものよ)
奈良原はかつての強敵に思いを馳せる。
――魔剣・兜割。
いくつかの介者剣術の秘伝は、この兜割と言う儀を以て完成する。
その名の通り、真剣にて兜を割ると言う技術であるが、しかしそれは成功を以て完成する物ではなかった。
失敗を重ね、『無理である事』を悟り、条理を弁えてこその完成であると、秘伝は記していた。
――しかし。
ただ一人、その伝統を打ち破った者が居たのだ。
名を、大鳥景明(おおとり かげあき)と言った。
彼は、実際に『兜を割った』のである。出来ぬ筈の事を、成してしまったのである。
かくして、魔剣は生まれる。条理を捻じ曲げる、魔性の技が、産声を上げる。
天頂を指し示すかの如く、ほぼ一直線に伸びきった腕と、その腕に支えられて聳える一振りの刀。
まるでチャンバラのようなその安直な構えは、しかし数多の剣豪を屠った魔剣の型である。
その剣は、ただ振り下ろされるのみであった。
しかし、受ける事は敵わない。彼の剣は、確りと構えた刀越しにすら、人を両断した。剛剣の極みであった。
ならばかわすか。彼の間合いに入って、離脱を試みようとした者は、皆屍を晒した。速剣の極みであった。
或いは、待つか。
彼はじりじりと前へ出た。極めて効率的に隙を演出した。
好機と見て前へ出た者は皆、先の機を取られて肉塊と成り果てた。若くして、老獪な剣の使い手であった。
兜割。奈良原が昼の月を編み出して以来、最も苦戦した、最も安直な魔剣。
しかし、それは奈良原が既に打ち破った剣である事の裏返しに過ぎない。
ならば、その魔剣は通じぬのだ。妖夢に今必要なのは、錬度の差を越えてすら、奈良原の魔剣を打ち破る、新しく、優れた術理であるのだ。
そう、奈良原は数多の魔剣を打ち破ってきたソードダンサーである。術理の差で負ける事は今までになかった。
先ほどの鍔眼返しにしても、それほどの差異は感じられなかった。彼の時間は奈良原と同じであったかも知れないが、錬度の差で彼が勝っていた、その差であると奈良原には思えてならなかった。
そもそもその相手からして、
「言っておくが先ほどのは単に錬度の差じゃ。安心せい、お主の術理は極めて優れておる」
と去り際に言い残していったのだ。彼が嘘をつく意味はないと思われたし、事実、これは本当の事であると奈良原は思っている。
奈良原は、仰向けに寝転がり、空を見上げた。
太陽はやや西に傾きつつあるが、まだ眩いばかりの輝きを放っている。所々白に塗りつぶされた青色が、視界一杯に広がっていた。
――私は、
奈良原は空を見上げて思う。
――私は、空に届くのだろうか。
彼女が目指した頂。その象徴。果たして彼女は、魂魄妖夢と言う壁を乗り越え、空へと一歩近づく事が出来るのだろうか。
答えは、一週間後に判明する。
――私は……。
******
――二日目。
(私は……)
妖夢がまどろみから目を覚ますと、すぐに見えたのは見慣れた天井だった。
(……此処は……私の部屋、か)
状況を確認しようと、妖夢は身を起こす。
(私は負けた……筈)
放っておけば致命傷であった筈である。何より、彼女が妖夢を見逃す筈はない。
ならば何故、と妖夢は自身に問いかける。
何故、自分はまだ生きているのか、と。
「……あら、起きたわね。気分はどう?」
答えが分からないまま、妖夢が意識を失う直前の詳細を思い起こそうとしていると、襖が開き、幽々子が現れた。
「気分は……平気です。あの、私は一体……?」
「貴女は二日前に白玉楼の庭先に転がっていたのよ。酷い傷を負ってね。そして、傍にはこの書置きがあったの」
――二日も眠れば治る。今より一週間後、四月十日の七時に、あの場所にて彼女と再戦せよ。
「……何処かで見た字ですね」
少しぼんやりとした頭でこの字の事を考えると、すぐに結論が出た。
(……ああ、私の字に似てるだけですか)
妖夢はその事が持つ意味に気づかない。完治しているとは言え、まだ少しばかり寝ぼけているのである。
「字の形なんて一々覚えてないわねぇ。まあそれでそろそろ二日経つ頃だから様子を見にきてみたら、貴女が起きていたと言う訳」
「はぁ……」
死んだと思った命が、何故か繋がっていた。
何故かを問う事に意義は無いと判断した妖夢は、そこについて考えるのをやめた。
「一週間……私は二日寝ていたから……今日を含めてあと五日、ですか?」
まだ日が高く上っているのを見て、妖夢は今日を勘定に入れた。既に体に異常がない事は分かっている。
「ああ、それなのだけれど」
――彼女って、誰なのかしら?
と、当然の疑問を幽々子は口にした。
******
「それで」
妖夢は酷く困惑していた。
「これは一体、どう言う事なのでしょうか?」
目の前、15mほど先には、模擬刀を構えた幽々子の姿がある。
奈良原との経緯を話した結果、幽々子は満面の笑みで何処からか模擬刀を引っ張り出し、妖夢を庭へと誘ったのだ。
「何って……決まっているでしょう?」
――特訓よ、特訓。
幽々子はとても楽しそうだった。
「……特訓?」
一応、妖夢は剣術のエキスパートであると自負している。庭師の他に、肩書き上は幽々子に剣術を指南する役割も持っている。
いくら相手が主とて、剣の腕で引けを取るとは……
「さあ、行くわよ、妖夢」
……思っていないのだが、幽々子は妖夢へ向かって疾走を始めた。
妖夢が持っているのはいつもと同様の楼観剣と白楼剣であるが、手加減をする余裕はある筈であると、彼女は考えていた。
「……ッ!?」
――しかし。
(この歩法は……!)
幽々子が用いたのは、奈良原の物と流儀は違えど、間合いを幻惑する足運びである。
(……まさか)
そして、二人の距離が狭まる。
7m、5m、3m……
妖夢は、剣を振り下ろし、
幽々子は、飛んだ。
(まさか、これは……!)
こつん。
幽々子の剣が妖夢の頭を軽く叩いた音である。
「まあ、こういう訳ね」
妖夢は呆気に取られていた。当然である。話を聞いただけで、妖夢をして全く歯が立たなかった技を真似するなどと、誰が予想出来ようか。
「私は……実は物凄く弱いのでしょうか……」
地に膝をつき、妖夢は分かりやすく落ち込んだ。
「いやいや妖夢」
その様子を見て、幽々子は呆れたような笑みを浮かべながら首を振る。
「単純に剣を振るうのであれば、貴女の方が遥かに上よ。速さ、強さ、巧みさ、どれを取っても私は敵わないわ。同時に同じ剣を繰り出せば、たとえ手加減していたとしても必ず貴女が勝つ、それほどの差はあると考えて良いの」
でもね、と幽々子は諭すような口調で続ける。
「……たとえば、敵が上段から一直線に刀を振り下ろす事が分かっているとしたら、貴女ならどうするかしら?」
「ええと……」
立ち上がって思案を始めた妖夢に、幽々子は突然、上段から剣を振り下ろす。
妖夢は半ば反射的に右方に抜けつつ、右手で刀を抜き打ち、振り切る直前で止めた。
妖夢が学んだ剣術には、居合いの技として、左手で左の腰に据えられた刀を抜きつつ斬りつける、と言う物もあるが、彼女の師はその技を悪戯に用いる事を禁じていた。
一つは、これはあくまで隠し技であり、無闇矢鱈に見せ付けて警戒されては元も子もないと言った意味から。
もう一つは、多くの人間の利き腕は右手であるからだ。
運体の理として、腕は外側に向かう時には力が乗り、内側に向かう時には力が乗りにくいと言う物がある。
これはあくまで腕だけの運動の理であり、体全体を用いた時には無視して構わない程度の問題であるが、もしも体全体の動きに反して、腕の筋力のみで刀の動きを捻じ曲げようとしたならば、そこには大きな差が生まれるのだ。
つまり、腕だけの力を用いて正面から胴への切り替え、或いは正面から逆胴への切り替えと言った場面を想定した場合、右利きの人間であれば逆胴への切り替えの方が圧倒的に剣速が遅くなるのである。
故に、胴であればそもそも当たらず、逆胴へと切り替えられても問題がない、右方へ抜けるのだ。
また、相手が左利きであったならばどうするのか、と言う疑問が生じるやも知れぬが、これはあくまで万が一を想定したケースであり、そもそも無理な切り替えをするような運体で人を斬る事は望めない。
それこそ、正道を逸した魔剣でさえなければ、無理な切り替えをした時点で負けが確定しているのである。片や完全な抜刀、片や腕だけで振るう胴、或いは逆胴。どちらが勝つかは目に見えている。
この場合に、上段に構えた側が剣術として正しい動きをするのであれば、振り下ろした後にもう一動作分の体の流れを作る事であるが、それは無理に腕だけで振るうよりも更に遅くなる。剣速は衰えないのだが、始動が遅くなるので、先に妖夢に斬られてしまうのだ。
よって、多数を占める右利きであれば万に一つを更に潰し、少数派の左利きであれば万に一つ。
妖夢が振るったのは、状況に適切に対応した、道理に適った剣であった。
「とまあ、こうなるわね」
「驚かせないでください。勢い余って斬る所でした」
「私と貴女の技量の差と、それから『読み』の大事さ、この二つがよく分かったでしょう?」
「……ええと」
「……あの人は何を教えていたのかしら……?」
「す、すみません幽々子様……私が至らぬばかりに」
「いいのよ妖夢。貴女は教えられた事はきちんと学んでいるの。問題は……」
――ああ、そう。そう言う事ね。
そう幽々子は呟き、
「さて、それじゃあ、まずは概念だけでも教えましょうか」
妖夢がその意を問いただすより早く、白玉楼へと戻っていった。
******
「先の先」
「……相手がまだ攻撃を仕掛けない内に仕掛ける事です」
「先の機」
「……相手が攻撃を仕掛ける瞬間を狙う事です」
「後の先」
「……相手が攻撃を仕掛けた後に攻撃する事です」
「はい、よく出来ました」
ぱちぱち、と幽々子は手を鳴らし、次に妖夢の頭を撫でた。
機と言う物は、流派によっては先の先、先の後、後の先、後の後と言ったように四つに分けられる事もある。
また、単に先、後の概念で語られる事もあるが、多くは三つから四つの機で語られている。先、後に加え、先の機に類する物が必ずと言って良いほど入ってくるのだ。
立ち合いに於いて、先の機に類する物がそれほど重要となってくる証である。
「あの……」
「何かしら、妖夢」
一応自分は貴女に剣術を指南する役割を持っているのですが、と妖夢は言いかけて、ついさっき負けた事を思い出し、やめた。
「いえ、何でもありません」
「そう?それじゃあ続けるわね」
幽々子の話を掻い摘んで書くと以下のようになる。
今の妖夢は『機』と言う物が持つ意味を理解していない。
冷やしたぬき蕎麦等と言う物は存在してはいけない。たぬきは暖かい物、特に、天カスが汁に浸される時、バチバチと音を立てるような揚げたての物の方が良い。
妖夢の剣は巧みだが、機を知らずして同レベルの相手に勝つ事は難しい。
オヤツは甘い物の方が良いが、しょっぱい物でも構わない。ただ、砂糖をまぶした煎餅、あれはダメだ。
故に、妖夢は機を知る事を始めなければならない。その上で、奈良原に匹敵する剣を編み出さねばならない。
あと、今日のオヤツはおはぎが食べたい。それから今晩はたぬき蕎麦が食べたい。
「以上、良いかしら?」
「ええと……つまりおはぎとたぬき蕎麦を作ればいいんですね」
「違うわよ、剣術の話をしてたのよ今のは」
「……はぁ」
妖夢は食べ物対剣術の比率が七対三であった事を胸の内に深く押し込める事にした。
「まあ妖夢がおはぎを作ってくれるならそれが先でいいわ。もう二日もオヤツ抜きなのよ?」
とりあえず妖夢はため息を吐きつつおはぎを作る事にした。
******
「さてと」
場所は再び白玉楼の庭である。おはぎを食べ終えた幽々子は、妖夢に二振りの模擬刀を渡すと、矢張り自分も模擬刀を携え、外へと出たのだ。
この模擬刀は幼い頃の妖夢が使っていた、楼観剣、白楼剣を模した物である。故に常に身に着けている二振りの刀とはほとんど差異は無い。
「これで貴女も全力を出せるわね?その刀なら私をどうこうする事は出来ないのだから。それじゃあ、とりあえず普通の斬り合いをしてみようかしら。多分、私が勝つと思うのだけど」
「……はい」
何故か幽々子の言葉が真実としか思えない妖夢は、少しげんなりしつつ返事をした。
「さて、妖夢」
幽々子は正眼に構え、じりじりとした歩き方で間合いを計るように妖夢へと近づく。
「貴女は機と言う物を正しく理解していない、私は確かにそう言ったわ」
間合いが狭まる。通常の歩き方であればあと半歩の踏み込みで幽々子の間合い、そしてその半分の先が妖夢の間合い。幽々子の方が身長が高いため、妖夢よりも僅かに間合いが広い。
妖夢も既に一刀を抜き、八相に構えている。
間合いの差を考慮し、受けの太刀を意識した構えである。相手が正面へと斬りつけてくるならば、僅かに体を動かすだけで綺麗な受けが成り立ち、その構えから更に流れるように攻撃を繰り出す事が出来る。
ならば突きならばどうか。妖夢が学んだ剣では、『突きでは人は止まらぬ』とある。
そう、腕ではなく体で刀を振るう人間は、たとえ急所を貫かれたとしても、止まらぬのである。
寝物語として『突かれた事に気づかず、相手を倒した後に数歩後じさり、残心しつつ自分が突かれていた事に気づいて、死んだ男』の話を祖父がよくしてくれたのを妖夢は覚えている。
斬られた事にはどんな馬鹿でも気づくが、突かれた事には達人でも気づかない事がある、と言う話であった。
今にして思うと、とても子供をあやす話とは思えないセンスだった。妖夢は今になって祖父に呆れつつも、対敵となっている主の隙を狙う。
突きが来ると仮定した場合、妖夢の祖父は、兎に角急所を避けるように身を動かし、同時に斬れと教えていた。
正眼からの突きは速い。速いが、殺傷力に劣る。故に、『もしも相手が同じレベルであれば』、肉を切らせて骨を断つ、と言った結論に達するのである。
……勿論、例外は存在する。過去に実例がある。
――その例外は、名を『三段突き』と言った。
ある剣豪が使ったとされる技であり、彼女の師をして、「先を取られたならば待つのは敗北しかないだろう」とまで言わしめたほどの魔剣である。
しかし既にその技の持ち主は絶えた。幽々子が用いる事もないだろう。
となれば、突きが来た場合の妖夢が行う対応としては、急所を外しつつの斬撃である。稽古では、妖夢は確かにその技を修めている。当然、幽々子もその技の事を知っている。ならば単なる突きが来る可能性は低いと見て良いだろう。
ならば、どうなる。
実のところ、妖夢としても攻め手が無いのは同様であった。
正眼。妖夢が迂闊に動けば、幽々子は即座にそこを突いてくるだろう。それほどまでにこの構えからの太刀は速い。
故に、妖夢は先に動くつもりはなかった。既に受けの構えは出来上がっている。わざわざ型を崩してまで先に動くと言うのは暴挙である。
幽々子が間合いの直前、ほんの一センチかそれ以下の所で静止する。
互いが動くに動けぬ状況。幽々子はこれをどう崩すのだろうか。
幽々子は、
正眼から、大きく踏み込みつつ『表切り上げ』をした。
「……ッ!?」
あり得ぬ行為、あり得ぬほどの隙、しかし受けの意識が強かった妖夢は、咄嗟に斬りつける事が出来ず、後じさってかろうじてその太刀をかわすが、
表切り上げ。本来ならば下段から繰り出すべき、下から体を斜めに斬る太刀である。ならば刀は上に伸びきっている筈だ。
妖夢の八相は崩れていない。たとえ咄嗟の運体でも、妖夢の体に染み付いた動きは決して彼女を裏切らない。
今度こそ受けが成り立つ。
(……いや、待て)
正眼からの切り上げ。大上段からの逆風には引けを取るだろうが、それにしても悪手である。しかし、その悪手ですら、妖夢はかわすのが精一杯だった。
(胴、或るいは逆胴ならばどうなる?いや、胴、逆胴ならば、どうなっていた?)
構造的に、上段からならば切り上げよりも胴や逆胴の方が速い。もしも今のが切り上げでさえなければ、妖夢は一本を取られていたかも知れない。
そして現在、正面、袈裟、逆袈裟、刺突に対しての受けは成立している。だがそれ以外ならば?
――受けを取るより攻めを取った方が確実である。
そう思うのも無理からぬ事である。
だがここで一つ問題が発生する。
幽々子が素直に上段からの太刀を放ったら、妖夢は負けるのだ。
受けるか、攻めるか。
(違う、これは……!)
先の機、後の先。
先の先は幽々子に取られたが、次の太刀が来るまでに、妖夢はこの二つから一つを選択せねばならない。
幽々子が斬る瞬間を狙うか。
幽々子が斬った後を狙うか。
どちらにしても、勝敗が揺れている。確たる勝を掴む手がない。妖夢にはそう思える。
そして、
妖夢は、兎に角奇手を封じるべく、先の機を取りに袈裟に斬りかかり、
幽々子は、正面から斬りつけた。
「……お見事です、幽々子様」
「はい、よく出来ました」
互いの刀は寸止めであるが、しかし、妖夢にも幽々子にも勝敗は分かっていた。
妖夢の敗北である。
「流石よ、妖夢。貴女は一合で機の意味を理解したわ」
「いえ、幽々子様ほどでは……」
妖夢は今の一幕の事を思い出していた。
「あの、幽々子様、一つお伺いしますが」
「ああ、それはね」
そもそも、受けが間に合わないのよ。と幽々子は笑った。
「間に合わない……?」
妖夢が問うべき事を先回りして幽々子は答えたが、そんな些細な事はどうでもよかった。
「貴女、咄嗟に構えを崩さずに後退したでしょう?」
「はぁ、まあ」
「勝を得たいのならば後退する時に斬るべきだったのよ。そして、構えを崩さずに後退した事で、かえって運体が狂ってしまったの。あとは構造的な速さでどうしても私の勝ち……なのだけど、実の所、貴女の剣が速すぎて少し危なかったわね」
「……成るほど」
「理解が早くて助かるわ」
そう、妖夢が確たる勝を掴む機があったとすれば、それは後退時に下がりつつの袈裟懸け、つまり後の先であった。勿論、隙だらけだった最初の切り上げに先の機を取る形でも良いのだが。
後者は慮外として、前者の考察である。
袈裟懸けは、踏み込みと同様、後退の時にも体の力が乗る斬り方である。しかし妖夢は八相を崩さずに――これはまだ妖夢に『受け』の意識が強かった、つまり幽々子をまだ少しばかり下に見ていた、と言う事なのだが――後退した。
運体の都合上、『後退のベクトルを背負った』、『上への持ち上げ』は非常に都合が悪い。八相からの正面に対する受けはまさにこれである。
また、突きを想定した受けであれば、こちらは速度的に競り負けをする。この上に『急所を外す』と言う運動を背負わなければならないからだ。
突きに対して相打ちを狙おうとするならば、同時に斬りかかる動作に入っていなければならない。今の仕合ならば、急所を避ける、と言う動作の為の動作中に突かれ、反撃を繰り出す暇もなく、矢張り敗北するだろう。
そして、妖夢が選んだ袈裟に斬りかかると言う行動は、無意識に狂った運体を修正した上での物であった。言うなれば、それだけ余分な動作が存在していた、と言う事である。故に、構造的な速さで幽々子の剣に敗北したのだ。
つまり妖夢は、十割の勝機を二度逃し、そして十割の敗北へと至ったのである。
これは妖夢が悪いとは一概には言えない。妖夢は与えられた状況下で、出来る限り危険を排除するように立ち回っていた。むしろ悪いと言えば、二度も悪手を放ち、その上に確たる勝を掴んだ幽々子である。性質が悪い、否、太刀が悪いと言うべきか。
稽古であったからまだいいが、これが実戦であれば二度も相手に隙を見せるなど論外である。一度ですら暴挙だと考えていた妖夢には到底思いつかない攻撃、故に通じた。それだけの剣。
実戦ではまず使えぬ流れ。しかし、妖夢に『機』と言う物を理解させるには最適の流れであった。
機、と言う物を絡め、妖夢は今の試合を最初から順を追って考え始める。
まず最初に幽々子の正眼、妖夢の八相があり、妖夢は受け、つまり後の先を強く意識した。
ここに一つの大きな間違いがあった。
機とは大抵はその時々によって揺蕩う物である。一つの機を意識する余りに、他の機を疎かにしてはいけない。
妖夢はこの時、先の先、先の機も意識しなければならなかった。
勿論、実戦の最中、三つの機を同時に意識する事は難しい。難しいが、完全に一つに機を定めてしまえば、慮外の攻撃への対処がより難しくなってしまう。
幽々子が行った最初の攻撃がまさにそれである。もしも僅かでも妖夢が先の機を意識していたならば、彼女の腕であれば先の機を取れたか、或いは先の機を取る事こそなくとも、後退時の袈裟懸けへと意識を移せていたかも知れない。
しかし妖夢にはそれが出来なかった。そしてその後に待っていたのは、確実な敗北である。
――機を制する者が勝負を制する。
単に受け、攻めでは足りない。この二つのみを想定していた妖夢が敗北するのは当然だったのだ。
こうして、妖夢は機の持つ意味を正しく理解した。
「さて、貴女は幸い一度の試合で機が持つ魔力を理解したようだけど」
そこから一歩進んだ所に、昼の月の恐ろしさがあるの。
幽々子は模擬刀を鞘の内に納めた。
十数歩、すいすいと普通に歩き、妖夢へと向き直る。
抜刀術の構え……いや、昼の月の構えだろう、と妖夢は推測する。
「そう、昼の月よ。……と言っても、私のこれは恐らく本物には到底及ばない紛い物に過ぎないけれど。それでも、今は負けても構わないわ。兎に角、この剣の恐ろしさを『理解』なさいな」
幽々子が再び疾走を始める。
間合いを幻惑する歩法……妖夢が学んだ剣術には無い技だが、恐らくは幽々子は舞踊のそれを応用しているのだろう。日本舞踊の一部には古武術の技と言い換えても差し支えない動きがある。今まさに幽々子が行っているのがそれである。
まず最初に。
妖夢は先の先を意識した。抜刀術は、既に構えた相手に対しては構造的に遅い。ならば先の先を取れば、勝つ見込みがあるのではないかと。
妖夢も疾走しながら八相を作り、正面。これは薩摩示現流の懸かり打ちと言う技によく似ている。素直な剣だが、相手がまだ剣を抜いていないならば、構造的に勝つ筈であった。
……しかし、
幽々子は、飛んだ。
妖夢を、妖夢の刀を飛び越え、そして、
こつり、と再び頭が軽く叩かれる音である。
「全然ダメよ。さっきと同じじゃない。ほら、もう一度」
適当な距離に戻った幽々子が、三度目の疾走を始める。
後の先では駄目な事は身に染みて分かっている。一度奈良原に斬られたからだ。
――抜刀術の真の恐ろしさは、速さではなくその変幻ぶりにある。
一般には一閃さながらの胴がお馴染みであるが、実の所、それとほぼ同等の速度で、裏切り上げ、正面、逆袈裟、小手、逆風、刺突等への変更が可能なのである。
これは鯉口の先を上げ下げする事で可能となる。もちろん、その上下運動は予備動作として相手に手の内を見せているようなものなのだが、熟練した者となると上げ下げからの抜刀が極めて速く、見てから反応する事は難しい。
また、多少速度は劣るが、鯉口の向きとは別の技を繰り出す事も可能である。特に、胴に関しては向きはそれほど速さに影響を及ぼさない。
更に言えば、妖夢が修めたような、左の腰に据えられた刀を左手で抜くと言った技まで存在する。こうなると、先ほど述べた物とは逆方向から刃が襲い来る事となる。
故に、剣筋が読めない。受け……後の先に回る事が、途方も無く難しい。
先の先は二度も後の先を取られたばかりである。後の先を取ろうとすれば変幻自在の抜刀術が襲い来る。ならば勝機は……
(先の機か……しかし……)
――先の機。
妖夢が先の先を取らんとした時、幽々子は飛翔する。そして後の先を取る。
妖夢が後の先を取らんとした時、幽々子は疾走する。そして先の先を取る。
ならば残るは先の機。疾走しながらの抜刀術で先の先を狙う幽々子に、妖夢が先の機を狙う形である。
――しかし。
(……あの歩法が)
見切れるか、と妖夢は己が胸に問いかける。
分からぬ、と即座に答えが返ってきた。
出来る、出来ない、ではなく、分からぬのである。
見切るまでに限りなく近い力量を妖夢は持っている。しかし、完全に見切るとなると分からぬのである。
出来る時があるかも知れないし、出来ない時があるかも知れない。
だが、最早その機を狙うしか妖夢に道はないも事実。
間合いに入ってから剣を振るっては遅い。間合いに入る前であってもいけない。間合いに入る瞬間に斬らなくてはならない。
(……まさに、魔剣)
妖夢は今こそ確かにその恐ろしさを理解した。
昼の月は、ほぼ全ての機を支配しているのだ。対敵に先の機しか勝機を持たせず、尚且つその先の機を取らせない為の技巧が凝らされている。
これを奈良原はヒトの身でありながら編み出したのである。幽々子がやっているような飛翔ではなく、あくまで人間として跳躍を用いて。
妖夢はこれと見定めた先の機を狙い、しかしその剣は空を斬った。
幽々子は、飛翔していた。
三度目の、こつり。
「どうやら分かったようね」
「……はい。ですが……」
――勝機が、見えない。
先ほどの試合であれば、妖夢には勝機が二度も訪れていた。機と言う物を絡めて少し考えれば、答えが自ずと判明した。
しかし今の昼の月を思い返せば、確たる勝機など一つも無い。確たる勝機どころか、どう足掻こうと斬られる光景しか思い浮かばない。
それほどの技。それほど異質な、『魔剣』なのである。
「……何度でも言うわよ。私のこれは『紛い物』なの。編み出した当人よりも遥かに劣っているわ」
「…………」
「五日後までに私に勝つ事。これが彼女に勝つ為の最低条件ね」
それから、と幽々子は続ける。
「実のところ、貴女が二度見せた、先の先を突くってやり方はそれで合ってるのよ。この魔剣は疾走から始まる。幻惑の為でもあるし、跳躍の為でもあるの。だけど」
――跳ばせなければ。
奈良原が絶対に跳躍出来ない速さでの突撃。助走する距離を与えない速攻。確かに、その方法ならばこの魔剣は防げる。だが……
「……恐らく、今の貴女には無理でしょうね」
「……そうです」
――最早身体能力のみで私を制しきれると思うな。
奈良原の言葉が妖夢の胸に蘇る。次いで、現世斬にも匹敵する踏み込みを思い出す。
現世斬を超える速さの剣……無いわけではない。以前に考え、頓挫した技が存在する。
――未来永劫斬。
術理だけは完成していた。机上の空論としてだが。
或いは未来永劫斬ならば、昼の月を制する事が出来るかも知れない。しかし……
妖夢は何度やってもこの技を体得する事は出来なかった。
今やっても恐らくは同じ結果だろう。そう妖夢は推測する。
何か別の術を探すべきだ、と妖夢はすぐに決断した。
(そう、それでいいのよ妖夢。もしもまだ成しえぬ技に固執し、剣を振るっていたら……勝利は望めなかったわ)
思案する妖夢を、幽々子は突然抱きしめた。
「ゆ、幽々子様…?」
「……なんでもないわ」
(そして……もし貴女の力が及ばなかった時は……)
一つの決意を込めて、幽々子は妖夢を一度強く抱きしめた。
******
――そして現在。三日目、道場にて。
妖夢は血振るいを一つ。それから残心しつつ納刀し、虚空に対敵の姿を思い浮かべた。
本来、魂魄妖夢が振るうのは二刀流の剣である。
受けの小太刀、攻めの大太刀。まずは受けの意識があり、次に攻めの意識が来る。これは一般に活人剣と言い習わされる部類の物である。
機で言えば、常に後の先を狙う形であった。幽々子との試合に於いて、受け手に回る事を意識したのも、本来の妖夢の剣がそうなっているからである。
この剣術は、ある一点においては一刀流よりも非常に安定した剣であった。相手が自分よりもある程度弱い時、妖夢の剣は決して敗れる事はないのだ。
一刀流ならば、余程の格下でなければ、安定しない部分がある。強き者が必ず勝つとは限らない。弱き者が自分より強き者を屠り続ける、と言った偶然も、万が一として起こりうる。
だが、弱き者が向かうその先には、異端者たちが存在する。
奈良原のような剣士達である。
彼女達はそういった輩に遅れを取る事は決してない。そこに至り、まず剣豪。
妖夢も既に剣豪に達している。そもそも、剣豪を目指して形作られた剣。ある程度修めてしまえばその領域に至る事は確実なのだ。頭で理解しているかどうかはともかくとして。
そして、更にその先。
――魔剣使い。
剣豪の中でも一部にしか許されない称号。異端の中の異端である証。
必勝へ向けて冷徹な過程を形作る魔境の技を修めた者達。
魔剣は、有名な物でいえば燕返しや三段突きと言った物がある。
魔剣。全ての剣士が構築を目指す、自身の剣の象徴。
妖夢の師匠が、『自身で編み出すべき物』と言って妖夢に教えなかったのも、当然であろう。『気に入ったなら盗み、我流に昇華せよ』とも言っていたが。
昼の月の恐ろしさ、そして術理としての美しさを痛感した今の妖夢にならば、確かにその心情が理解出来る。
(……なるほど)
唐突に妖夢は理解した。何故魔剣と呼ばれるほどの術理が生み出されたのかを。
剣を極めるのは極めて難しい。実戦の中で、相手の狙いに即応し、その機に対して自然に体を動かし相手を斬る、これが出来れば無敵だが、そんな事は不可能に近い。故に、魔剣は状況を限定するのである。
昼の月であれば、相手の機を限定する。話に聞いた三段突きも然り。この二つの違いは、どの機へと縛り付けるかである。昼の月から考えるに、恐らくは三段突きもまた、先の先を取らんとする相手に対する応手があった筈だ。
状況を限定してしまえば、擬似的な即応が可能となり、そこから自然に技を繰り出す事が出来る。
謂わば相手を自分の型に押し込めているような物だ。術者からしてみればそれは最早形稽古とほとんど変わりなく、ならばその状況が変わりさえしなければ趨勢もまた決まっている。
――異常なまでの汎用性を持った型。
それが魔剣・昼の月の正体である。
妖夢は得心しながら、自らの剣筋に乱れが無い事を確認し、静かに納刀した。
(……待て。状況を、限定する……?)
ああ、と更に一つ、妖夢は息を吐く。
そんな当たり前の事は誰でもやっているのだ。誰でも。そう、妖夢も今までに数え切れないほどやっている。
――それはつまり、構えの事ではないか。
相手の状況を限定し、自らの状況も限定する、その第一歩である。
(さて、どうする……?)
今更こんな事に気づいた自分を恥じつつ、妖夢は虚空に対敵の姿を思い浮かべる。
彼女の主が起きてくるまで、妖夢は一人で鍛錬を行うつもりだった。
(……まずは、後の先)
想像の中の奈良原が疾走を始めた。幻惑の歩法。だがしかし、後の先は相手の攻撃を防いだ後に狙う機である為、間合いはさほど重要ではなくなる。
奈良原の太刀を見切れるか。
妖夢はまず奈良原の抜刀術を自身と同じレベルと仮定した。第一の理由としては、イメージしやすいからである。第二の理由としては、『妖夢を』倒すにはそれで十分と思えるからでもある。
自身の抜刀術と相対する妖夢は、既に二刀を抜き放ち、共に受けの形を作っていた。
かの魔剣は疾走からの跳躍が肝心となってくる。ならば、兎に角一度攻撃を防ぎきってしまえば、次はない。
理論的には、確かに正しい。確実に勝を得るには、これが良いのではないかと、昨晩妖夢は考えたのだが……
(……ッ!)
――だが、
受けと言っても、そこには矢張り体の力を用いていかなければならない。
上段の受けと下段の受けは、同時には成り立たない。簡単に言えば上段の受けは相手の力を下方向に流す体を作っておかなければならないし、下段の受けはその逆になる。
そして攻撃動作と同様、防御動作も同時に一つまで。体の力が乗っていない刀では、体の力が乗った刀の一撃を防ぐ事は出来ない。
(……矢張り)
架空の敵が霧散する。見事に妖夢を裏切り上げで斬り捨てた奈良原南の姿が消えてゆく。
(これでは運否天賦……いや)
今のイメージトレーニングは、あくまで相手が妖夢と同じレベルの抜刀術の持ち主と仮定した物である。
妖夢とて抜刀術が下手な訳ではない。しかし、相手は抜刀術で生き残ってきた強者。妖夢よりも上手い可能性が高い。
否、可能性の範囲ではない。相手は、抜刀に関して言うならば妖夢よりも上手い。一度斬られた事で、妖夢は相手の力量をしかと捉えていた。
(敗北か)
運がよければ、受けが成り立つ可能性もある。運がよければ、それで勝つ可能性もある。
だが、そんな物に身を任せても本当の勝利は望めない。今のままであれば、本当の勝利どころか、偽りの勝利すら手に掴めない可能性が高い。
(……先の機)
本当の勝を得たいのであれば、先の機しか残らない。
しかし、ただ先の機を狙っても、失敗すれば矢張り敗北。先の先や後の先よりは可能性が高いとしても、まだ奈良原には及ばない。
(……それだけでは足りない。何か……こちらも)
――こちらも、魔剣を。
その考えは雷鳴のように妖夢の頭を駆け抜けた。
そう、魔剣は既に正道にあらず。故に、正道で打ち破る事が極めて難しい。
(……魔剣)
「おはよう、妖夢」
声をかけられてすぐに妖夢は幽々子の方へと向き直る。
時刻はまだ六時二十分に差し掛かろうかと言う頃であり、これほど早くに幽々子が起きる事は稀である。
「朝ご飯はしゃけおにぎりと、大根の入った味噌汁。昼ご飯は麻婆豆腐。夕飯は牛鍋。いいわね?」
見れば既に身支度が整っている。模擬刀へと鍔をかけ、幽々子は疾走を始めた。
「……貴女の答えを、見せてもらうわよ」
――もっと野菜を食べましょう。
等とは言う間もなく、妖夢は否応なしに模擬刀を構え……
******
こつん。
三十六度目の敗北であった。
「……まあ、確かにこの技は凄いわねぇ。これだけやってもまだまだ負ける気がしないもの」
「……」
妖夢は落ち込みを通り越して、自分の存在意義について考え出すようになった。
自分は剣士としては失格も良い所である。一体何故自分のような物があるのか。何か他の物であってはいけなかったのか。主の栄養になる分、麻婆豆腐とかの方が偉いのではないだろうか。野菜はきっともう少し偉い。
つまるところ、野菜>麻婆豆腐>自分なのだ。
ああ、死のう。野菜様の滋養となるべく畑の真ん中で腹を切って死のう。
そんな事を考えた妖夢が、ふらふらと野菜畑の方へ歩みだすのを、幽々子が止めたのはこれが三度目である。
「大丈夫、ちゃんと栄養バランスを考えて野菜も食べるから、それじゃあもう一度よ」
全く慰めになっていない励ましを受けて、妖夢は何とか野菜への供物としての自分を、剣士としての自分へと切り替える。
敗北の数は、昨日を含めれば四十に近いだろうか。
――矢張り野菜は偉いのだ。
(……ってそうではなくて)
妖夢に勝機があったのは、尋常な立ち合いだった最初の一合のみである。
それ以降は全く勝機を見出せない。後からその立ち合いを振り返っても、全く勝ち目がなかったように思える。
――矢張りこちらも魔剣を。
……とは言っても、
こつり。
「……今日は野菜祭りかしら?」
そう簡単に魔剣と呼ばれるほどの術理を編み出せる訳もなく、矢張り敗北。
魔剣は本来一朝一夕の間に編み出せる物ではないし、更に言えば、妖夢が『魔剣を以て事に当たらねば勝てぬ』と気づいてからまだ一朝一昼の時間しか経過していない。妖夢が負けるのは謂わば当然なのだが、
(…………)
野菜様>>>>>>>越えられない壁>>>>>>>妖夢(笑)の不等式が彼女の中では成り立とうとしていた。
******
奈良原南は、老人に連れられてやってきた異界にて、その修練の様子を見ていた。
まず最初に思ったのは、こうも簡単に昼の月を真似出切る者が居るのか、と言う驚きだった。聞けば、彼女は最低限の基礎こそ学んでいるものの、剣士ではないと言う。
もしも彼女が剣士として生きていたならば……
(……)
残念でならない、と奈良原は思う。何故彼女は剣士ではないのか。何故あれほどの才に恵まれた者が、全力で自分と殺し合いをしてくれぬのか、と。
待て、と奈良原は首を振る。
いつから自分はこれほどまでに好戦的になっていたのかと、彼女は思い起こそうとする。
(……力を与えられた……時か……)
奈良原が以前の自分の人格を思い起こそうとすると、ずきずきと頭が痛むのを感じた。
「……余計な事をしてくれる」
奈良原がその痛む頭を無視して、更に意識を過去へと走らせると、ようやく痛みが治まり、奈良原は確固とした自己を取り戻す。
「ふむ……精神感応から逃れるか。お主、魔術の才もあるようだな」
「魔術……?つくづく貴殿の才には恐れ入るが……余計な手出しをしないでもらいたい」
奈良原にとっては、このような事で剣が鈍くなっても鋭くなっても困るのである。
彼女が欲したのは、妖夢と同程度の身体能力のみ。それ以外の部分、特に剣に関係する部分については、以前の自分と何ら変わらぬ強さでなければ意味がない。
ちなみに以前の奈良原の性格ならば……
(……うん?何も変わってないような……)
矢張り幽々子が剣士でないのは残念だった。
「さて、あのような者が敵方についたが、お主はどうする?」
「少し仕合が面白くなっただけの事。それ以外は何も変わらぬ」
穏やかな笑みを浮かべ、奈良原は踵を返した。
「何処へ行く?」
「まずは宿場へ。昼飯がまだだ」
――それから。
「……剣が衰えぬように鍛錬だ」
奈良原の強さを支えていたのは、一重に剣に対する真摯な姿勢であった。
そして奈良原はそのまま、桜の森の中へと消えていった。
******
二時間後。
「そうそう、すっかり忘れていたが、此処から宿場へは儂が力を貸さねば帰れぬぞ」
「……」
奈良原はなんだかすごく好戦的な気分になっていた。
******
牛なべから野菜たっぷりの鶏鍋へとメニューが変更された日の夜である。ちなみに〆は雑炊である。妖夢は本来うどん派なのだが、鶏鍋にうどんを入れようとすると幽々子が激怒するのだ。
幽々子を寝所へと送った妖夢は、再び道場にて剣を振るう。
敗北の数は合計で七十を超えた。一度、幽々子が抜刀を失敗した以外に、妖夢が勝ったと言える立ち合いは皆無であり、つまるところ実質的には全敗であった。
矢張り今のままでは勝てぬ。と言って、新たな術を模索する時間は十分には無い。寝る間を惜しんででも、妖夢は稽古を続けるつもりだった。
何か活路は見出せぬかと、妖夢は自分が使える技を一つずつ試していく。
正面、袈裟、逆袈裟、表切り上げ、裏切り上げ、刺突、胴、逆胴、小手、脛、逆風と基本の太刀……
続けて代表的な技である現世斬等の技から、春風、凪風、桜花、息吹、紫重閃、月華、椿などを繰り出し……
また、懸かり打ち、星火燎原の太刀、発勝する神気也など、覚えている限りの他流の技までを組み込んでみるものの、結局、翌朝幽々子が起きてくるまで、活路は何一つ見出せなかった。
******
「駄目よ妖夢。休める時にはしっかり休んでおかないと」
四日目、夜を徹して稽古をしていた妖夢を、無理矢理寝所へ引き込んでの一言である。
「しかし……」
「しかしもかかしもないわ。貴女は何事についてももう少し考える必要がある。仮にも剣士として生きるのであれば、無理に体を疲弊させない事。疲れている所を狙われたらどうするの?」
「も、申し訳……ありません……」
いつになくきつい叱りに、妖夢は言葉を失った。
この言い様はかつての師を思い起こさせる。幼い頃、妖夢は同じような事を師にも注意されていた。「この愚か者がァッ!」と、木刀での一撃(による極めて速やかな眠りへの誘い)が注意と呼べるのなら、の話だが。
妖夢が学んでいるのは、剣術だ。敵に勝つための術だ。決して、敵がこちらの万全を待ってくれるとの覚え違いをしてはならない。
常に敵を意識せねばならない。初歩中の初歩である。
妖夢は奈良原の強さの前に、その程度の事すらも見失ってしまっていた。
「全く……兎に角、今日は体を休める事。それから明日なのだけれど、多分出かける事になると思うから、貴女と稽古出来るのは実戦の一日前だけね」
「……え?今日と明日は……稽古をつけてもらえないのですか……?」
それはとても困る、と妖夢は内心で焦りを覚えた。
「今日は貴女が悪いの。ちゃんと休んでいれば相手をしてあげたわ。明日は……そうね」
――そろそろかしら。
幽々子は妖夢に布団を掛けてぽんぽんと叩き、立ち上がった。
「ともかく、多分明日出かける約束がこれから出来るのよ」
「……?」
時折……と言うかほぼ常に、妖夢には幽々子の考えている事が分からなかった。
「今日は頭で考えるだけ、明日は一人で稽古、良いわね?」
「……はい」
それで奈良原に勝てるかどうかは兎も角として、予定としてはそうなる。妖夢は渋々自分を納得させ、体を横たえつつのイメージトレーニングに取り掛かった。
******
「……矢文、ね。バレバレなのだから直接言いに来てもいいのだけれど」
幽々子が白玉楼の縁側に立ち寄ると、すぐ目の前の庭に、地面に突き刺さった一本の矢と、それに結び付けられた紙があった。
「明日昼ごろ、東のヨシノにて待つ、か。……あの子が手入れした桜を指定する辺り、やっぱり孫が可愛いのね?」
くすくすと幽々子は笑うが、その笑いは何かに対する誤魔化しが多分に含まれていた。
何かに対する誤魔化し……
このままでは、妖夢は敗北する、と言う事への誤魔化しである。
「さて……どうした物かしら」
幽々子は――非常に珍しい事だが――揺らいでいた。
******
五日目、妖夢が目覚めた時、既に幽々子の姿は無かった。
朝の七時、いつもよりは遅い目覚めである。と言うのも、昨日は体を横たえつつ、普段寝る時間まで奈良原との仕合をどうした物か考えていたからだった。
謂わばあの後に更に無理を重ねた形になるが、奈良原との仕合は夜である。夜に戦えるような体のリズムを作っておかねばならない。その為には、あの後すぐに寝てしまうと言うのは問題がある。
それに、体を動かしさえしなければ妖夢の体力は少しずつだが自然と回復する。これは人間には無い特徴だったが、妖夢はこれを普通と考えていた。
目覚めた妖夢は、まず幽々子の姿を探し、邸内の何処にも姿が無い事を知ると、道場へ赴き、窓から入り込んでいた桜の花びらなどを掃除し、刀礼を済ませる。
奈良原に勝つ術は未だに見当たらない。糸口さえも掴めていない。
せめて今日こそは何らかの突破口を、と思いつつ、妖夢は一人、稽古を始めた。
まずは静かに抜刀。正眼に構えた剣にて、相手の鳩尾を突く形を一つ。
疲れによる乱れは見受けられない。これならば問題は無い、と妖夢は人心地つきそうになって、しかし実戦を控えた身である事を思い出し、心を引き締める。
引き戻した太刀を正眼よりもやや斜めに構えなおす。相手が突きをかわし、右方より袈裟に斬りかかって来た際、こちらも体を入れ替えつつの受けを作る形である。
(……やや遅い。同等のレベルならば斬られたか)
本来、間合いの内で剣をかわされる事は死に繋がる。これは少しでも死のリスクを抑える為の技だが、矢張り構造的な速さで負ける事が多い。
今の想定では、対敵は右足を引き、綺麗に突きをかわしつつの逆袈裟だった。恐らくは右肩に深い傷を負わされたか、首筋を斬られていただろう。
相手を想定する事は、稽古では重要である。いや、相手を想定しない稽古は、千度やってようやく、相手を想定した稽古一回の経験に届くか、と言ったところだろうか。
これは基礎が出来ている場合の話であり、剣の振り方すらもままならないような者であれば、まずは剣の振り方を覚えるのが先だが、昔ならばともかく今の妖夢はそのようなレベルではない。
少なくとも、剣の振り方程度は師に認められている。奈良原と比べても遜色は無いだろう。
妖夢が奈良原に比べ決定的に劣っているのは、実戦での経験値である。
妖夢は、少しばかり強すぎたのだ。
例えば妖夢が人間とジャンケンをするとした場合、妖夢はその気になれば百パーセントの割合で勝つ事が出来る。
相手が手の形を変えるのを見て、絶妙なタイミングで後出しが出来るからだ。
これと同じ事が剣にも言えた。妖夢は相手が出した手に、単純に反応して斬れば良かったのである。
これが通用しなかったのは、過去に一人だけ。その一人とは、彼女の師である。
その師も、妖夢よりも強すぎた為、読み合いなど発生しなかった。故に、妖夢はただ強く速く巧くを目指せば師に届くと勘違いしたのだ。
師があえてその間違いを正さなかったのは、何か理由があるのだろう。
強さで言えば、妖夢のやり方が間違っているとは言えない。剣質に余程差があるか、或いは同レベル以下の読み合いならば、一太刀の強さが勝負を決める。これは正しい。
しかしそんな事は基本中の基本であって、強い剣士であるならばそこを疎かにする者など居ない。疎かにすれば、死が待っている。妖夢が初めて出合った時の奈良原も、人間としては最高クラスの性能を持っていた。
一太刀の強さは、最終的には同じようなレベルに落ち着くのだ。いくら突き詰めようとしても、そこには必ず上限が存在するのだ。妖夢の師とて、今の妖夢の剣質を以てすればそれほどの差異は存在しない筈である。
ならばその後勝負を決するのは何か。運もあるだろう、条件の差もあるだろう、しかしそれよりも……
(読み合い……或いはそれを超越する魔剣)
勝利を引き寄せる何かが必要になってくる。これが強ければ、多少剣質で劣っていようとも勝利する事が出来る。妖夢の主が一度、昼の月を使わずして妖夢を破ったように。
その主の姿が屋敷に無かった事に関して、妖夢は少しばかり不安を覚えていた。
幽々子の力は、剣術を超越したところにある。たとえ今の奈良原が幽々子に勝負を挑んだとしても、幽々子は念じるだけで即座に奈良原を殺す事が出来る。
理不尽なまでの差が、妖夢や奈良原と、幽々子との間には存在していた。よって、妖夢が今心配すべきなのは自身の事の筈、だと言うのに、妖夢は何処からか湧き上がる不安を感じる。
しかし行く先や目的が分からぬ以上、案じても詮無き事には変わりない。
不安を振り払うように、妖夢は次の技を開始した。
******
薄紅に染まった森の中、白玉楼の屋敷から七分ほど離れた場所に、一本のソメイヨシノが立っている。
推定樹齢は百年を過ぎた頃だろうか、本来の外界の桜とは全く違う栄養を与えられているからか、とても樹齢に見合った大きさとは思えない。
通称・東のヨシノ。樹高は20m超。これは白玉楼に万古より存在したと伝わるエドヒガンに並ぼうかと言う大きさである。白玉楼の中では、西行妖、北東のエドヒガンに次いで、三番目の大きさであり、ソメイヨシノと言う種から考えるに、この樹が如何に規格外か推し量れよう。
この樹は妖夢が初めて植えたものだった。本人は全ての樹に分け隔てなく接しているつもりでいるらしいが、この桜にかける手入れの時間は他のそれを全て足しても尚圧倒しており、またこの近辺もその影響を受けてか大振りの桜が多くなっている。
葉桜の頃も生き生きとした木々の眺めに息を飲む者が少なからず居るが、矢張り美しさの真髄は今の頃である。
初見であれば、暖かく、柔らかく、優しい色に染まった視界に恍惚となって、我を忘れる者が多い。
言の葉を持ってこの美しさを持ち帰らんとする詩人も多く居るが、誰もこれを持ち帰ることに成功した者はいない。ただ、「あれが桜なのだ」と説明になっていない言葉を綴るのみである。
妖夢の庭師としての最高傑作が、ここにはあった。
美事な物だ、と彼女もまたこの桜の虜の一人になっていた。
美事、と。そう、この桜を成した者に捧げるべき言葉を、たった今の奈良原も捧げていた。たとえどれだけ憎き仇であろうと、これを成したと言われればそう言わざるを得ないのである。
また、奈良原は今やそれほど妖夢を憎んでは居なかった。
妖夢は剣の理を解しつつある。剣を、剣の理を穢していた妖夢は、既に消えている。そして奈良原は、剣に真摯に取り組む者には憎しみを抱けない。
故に、美しい物は美しいと、奈良原は素直に心を委ねる事が出来た。
どれだけの時間が経っただろうか。近づく気配を感じて奈良原は振り返る。
奈良原にはほんの五分程度の気がしたが、待ち合わせの時間を考えると、どうやら数十分は桜に見蕩れていた事になる。
奈良原の視線の先には、日本刀を携えた西行寺幽々子が居た。
「美事な桜ですね」
未だ抜けきらぬ恍惚感からくる、幸せそうな笑みを浮かべた奈良原は、まるで年相応の少女のようだった。
如何なる事情が、ただの人間でしかない彼女を、この若さでして、妖夢すら倒す剣鬼に仕立て上げたのだろうか。そんな疑問が幽々子の頭をよぎる。
「ありがとう。此処の桜は私の自慢の従者が育てたものなのよ」
少なくとも、幽々子から見て、今の奈良原は無害な人間の少女だった。本音交じりの言葉を返しつつ、幽々子も穏やかな笑みを浮かべる。
「……西行寺幽々子殿とお見受けしますが」
「ご名答。そして貴女は奈良原南ね」
「ええ。……そう、貴女の自慢の従者を斬り殺そうとしている者です」
妖夢を殺すと言う言葉にも、悪意や敵意は微塵も感じられない。しかし奈良原の穏やかな笑みは自嘲するかのようなそれに取って代わられ、少しだけ雰囲気が変わる。
(そう、貴女は自分が人の道から逸脱していると理解しているのね)
――剣鬼。
剣のためだけに生き、剣と共に死ぬ者たち。
悪意や敵意、害意すらなしに人を殺す者たち。純粋に研ぎ澄まされた、無邪気な殺意を持つ者たち。
幽々子も一人だけその手合いを知っている。……魂魄妖夢の祖父である。
奈良原も彼と同類なのだ。たとえ外見がどうであれ、彼と似たような存在として扱わねばならない。
無害と感じたのは誤りであった事に、幽々子は気づいた。
奈良原は、憎悪で人を殺すのではない。直前まで穏やかなやり取りをしていたとしても、彼女はその相手を微塵の躊躇もなく殺せる。笑顔は真の物だが、それは殺す殺さないとは全く関係しない。
それでも彼女が何処か誇りを漂わせているのは、彼女の殺人には芯があるからだろう。
「出来ればもう少し桜を見ていたかったのですが……」
「あら、別にもっと見てても構わないのだけれど。ここは夜桜も良い見物なの」
「ああ、そうですか。それは見てみたいものです」
ですが、と奈良原は、三度目の笑み。
だが最早その笑みは人が浮かべる笑みではない。
「それには先に用事を済ませなければ」
奈良原が左手を刀に添えた。鍔に緩く親指がかかっている。抜刀の姿勢である。
「残念ねぇ。貴女とはなんだか気が合いそうだと思うのだけれど」
幽々子が浮かべた笑みに、奈良原は歓喜する。
自分で気付いているかどうかは奈良原の知る所ではないが、幽々子もまた、奈良原と同じなのだ。
奈良原と同じように、笑顔で人を殺せる者なのだ。
幽々子もまた、左手を刀に添える。
――両者、昼の月の構えであった。
「偽物は本物より劣る……等と言うつもりはありません。そも言えば武とは模倣の歴史。私の魔剣もまた、既存の技術を改変した物。ですが私は、我が魔剣が元の技術に劣るとは思ってはおりませぬ」
「……ふふ」
「……何か」
「別に……その通りと言いたいだけよ?」
「そうですか」
方法こそ異なるが、同じ結末に向けて、二人が疾走を始める。
互いが互いに間合いを幻惑する歩法。こと足運びに関しては、どちらも譲らぬ巧さである。
となれば、互いに間合いを見失うのは必定。
そう考えた時に、二人が選ぶべき道は同じだった。
跳ぶか、或いは飛ぶか。
互いに疾走しているとなれば、抜刀術、抜刀術で勝負となった場合こそ引き分けがありうるが、片方が抜刀術、片方が跳躍(或いは飛翔)となった場合には、勝を得るのは上を取った方である。
相手が上を取る事がわかっているならば上方へ向けて斬りつければいいのではないか、と言う考えも幽々子には直前まであったが、その考えは二つの理由により即座に否定された。
一つは、幽々子は剣士ではないと言った理由。つまり剣質が奈良原よりも劣っているから。
もう一つは、当たらないからである。
幽々子にしても奈良原にしても、二人が同じように間合いを騙す歩法を用いている今、間合いを見切る技術はない。
また、そもそも剣術とは互いに地に足をつけて戦う場面を想定して作られた物。上方へ向けて斬るとなると、どうしても間合いが狭くなってしまう。
加えて自分と相手の運動のベクトルを考えた時、難易度は飛躍的に高まる。向かい合って走っているのだ。タイミングが狭まるのは当然。
これらは奈良原にも言える事であり、ならば二人に残された道は、跳躍、或いは飛翔しつつの抜刀。疾走する速さが、上への飛躍に変化し、すれ違う速度が遅くなる一瞬を狙う。
これさえも、一瞬。幽々子にとっても、そして奈良原にとっても未知数の難易度。しかし他を選択して勝つのは、これよりも難しい。
幽々子の姿が近づくにつれ、奈良原は自制する。まだだ、まだ跳んではならぬと。この距離では斬れぬ、と。
同じように幽々子も自制を効かせる。恐るべきはその才である。生み出した奈良原ならば兎も角、使い始めて数日の幽々子が、間合いを『ほぼ』正確に把握しているのは、奈良原から見れば脅威であった。
脅威、であらばこそ楽しみが出てくる。
これ以上踏み込んではならない、これよりも前に跳んではいけない、と言うところで奈良原は跳んだ。
同時に、幽々子も飛んだ。
共に魔剣。共に昼の月。
空中にて二人が交錯する、その直前……
幽々子は、自分が敗北する事に気が付いた。
******
錬度の違い、と一言で言えばそうなるだろう。
幽々子は、矢張り奈良原よりも一歩未熟だった。
と言うのも、奈良原は跳躍した時から宙転、抜刀のベクトルを用いた、いわゆる前宙運動を開始していたのに対し、幽々子は適時足から揚力を発生させることでベクトルを変化させていたからだ。
これを感性のみでやってのける幽々子の才も恐ろしき物だが、剣術と言うのは才だけでは勝てぬ物である。
奈良原は地面から跳びたったその瞬間から、綺麗で小さくまとまった円を描くように運動するのに対し、幽々子の方は歪な、大きな円を描くように運動していた。
これの何がいけないかと言えば、抜刀の開始までにかかる時間である。
空中とは言え、抜刀にも当然体の流れが関係してくる。上へと運動している真っ最中に何も工夫せず振り下ろしの剣を振るえば、そんな物は大道芸、棒振り芸の類でしかなく、全く威力が乗らない剣になる事が分かるだろう。
この問題を克服する為に、奈良原は前宙と言う体の流れを作っていた。
空中で体を前へ、前へと倒していくと、それに沿って、地上と同様に力の乗った剣が振るえるようになる。
この運動を跳ぶ瞬間から始めていたのが奈良原であり、飛んだ後に方向に修正をかけていたのが幽々子である。
幽々子も力の乗った剣を振るおうと体の流れを作るが、奈良原の技の速さ、速さの秘密を意識していないので、どうしても奈良原よりも遅くなってしまう。
もし幽々子がもう少し早くこの事に気づいていれば、相討ち程度は取れたかも知れない。或いは、もっと早く、昨日の内に気付いていれば、奈良原に勝つ事すら可能だったかも知れない。
しかし、幽々子が気付いた瞬間には、決定的な差が付いてしまっていた。
どん、と地面に幽々子が落下した。次いで、軽快な着地音と共に、奈良原が地面に降り立ち、収刀をする。
「……」
完全な勝利とは言い難い事は、奈良原にも分かっていた。
幽々子の才にはまだ先があった。剣士として……或いは一個の存在としては、幽々子は紛れもない天才だった。
今の立ち合いは、その才の極みではないと、奈良原は理解していた。
それでも、勝利は勝利である。
奈良原は倒れている幽々子を一瞥すると、近くの桜の木へと歩み寄り、根元に横たえられていた一振りの刀を持ち上げた。
「……さて」
奈良原は無造作に幽々子へと近づくと、
「……いつまで死んだフリをしているのですか?これが届け物の刀です」
「あら、ありがとう」
その刀を渡していた。
「うーん……やっぱり勝てなかったわねぇ」
幽々子は身を起こしつつ刀を受け取った。
つい先ほどまでの立ち合いの雰囲気が嘘のように消え失せていた。日常的に人を殺せる者は、殺意をぶつけ合うのも日常の一部なのである。禍根が残らないのも道理と言う物。
「ところで……何故この刀を使わなかったの?これを使えば私を殺す事が出来たのに」
――実のところ、最初から奈良原が持つ刀では幽々子は殺せなかった。
力を得たとは言え、幽霊の斬り方など奈良原には分からない。強力な剣の力がなければ……例えば今幽々子に手渡した刀のような、妖刀でもなければ、幽々子を殺す事は出来ない。先ほど空中で斬られた時も、幽々子は大した衝撃を感じていなかった。
「私は遊びで誰かを殺すほど狂っていませんよ」
そして逆に、幽々子はいつでも奈良原を殺せた。今この瞬間にでも、念じただけで幽々子は奈良原を殺す事が出来る。
つまり、奈良原が生きている以上、これはお遊びでしかない。お遊びでなくては、奈良原には勝ち目はない。
死を操る程度の能力。そういう物だと、奈良原は聞いていた。それほどの違いがあるのだと聞いていた。
「私の方は遊んでるつもりはなかったのだけど。ほら、真剣よ真剣」
「貴女が本当に真剣ならば私は既に死んでいるのでしょう?」
「いやまあ。あ、久しぶりね、初代村正」
『……』
「……失礼、刀と会話する感じの趣味をお持ちの方でしたか。では私はこれで」
奈良原は危ない人を見つけたので急いで退散する事にした。
「ま、待って、違うのよ?この刀は話せるの。ね、村正?」
『……』
「……」
「村正ー?……村正さん?…………村正ちゃん?」
「……それでは、いずれまた」
「ま、待ってー!?あ、やっぱり斬られたところがちょっと痛くて立てない!?」
立ち上がろうとして崩れ落ちた幽々子を置いて、奈良原は桜の森へと消えた。
******
「妖夢~……」
「……幽々子様!?」
普段ぐーたらしているように見えて常に姿勢だけは良い幽々子の体が、ぐにゃぐにゃと崩れているのを見て、妖夢は駆け寄った。
酒で飲つぶれた時ですら、何処か芯が通っているように感じていたので、こんな事は本当に初めての経験である。
「如何なされました!?お気を確かに!」
「妖夢、妖夢~」
ぐー。
なんか真面目に心配していた妖夢は、一瞬にして緊張が解かれた気がした。
お腹が鳴った音である。
「お腹すいた……そう言えばお昼ご飯を食べてなかったのよ」
時刻、午後五時。
一食を抜いただけで人はこんなにも倒れそうになれるものなのだろうか、そんな疑問が妖夢の頭をよぎった。
「今日こそ牛鍋がいい~」
「はいはい。それじゃあ今作りますから」
「何か投げやりねぇ……主が奈良原って子に斬られて来たって言うのに」
「はいは……え?」
「斬られた時はあんまり痛くなかったのだけれど。ちょっとしたら段々痛み出して、治療に専念してたらこんな時間になったの」
「だ、大丈夫ですか!?何処を斬られたんです!?」
「だからそれで、今はお腹が減ってるの」
「……あの、斬られた傷は?」
「治ったわ。だからお腹が空いてるって」
「ええと……無事、なんですよね?」
「お腹が空いてるし一人でお風呂も入れそうにないの。そうだわ、今日は一緒にお風呂に入りましょう。牛鍋の後で」
どうやら無事であると言う事がわかって、妖夢は安堵のため息を吐きつつ、
「……仰せのままに」
と言った。
******
「んふふ~」
ぎゅう、と抱きしめられた妖夢は、床の中で身の置き所をどうするべきか考えていた。まさか邪険に振り払う訳にもいくまい。
夕飯に牛鍋を食べた後、一緒に風呂に入る辺りから急にべたべたと引っ付いてくるようになった幽々子は、とうとう引っ付いたまま妖夢の布団の中に潜り込んだ。
「あの、幽々子様」
別にいやな訳ではない。むしろ心地よさすら感じているのだが、流石にこの歳にもなってこのような扱いをされるのは情けない、と言った考えから、妖夢は抗議の声をあげようとするが……
「たまにはいいでしょう?私は貴女のおしめだって取り替えてあげた事があるのよ?」
などと返されてしまった。
――なるほど、おしめを替えられた事があるのか。それならば仕方ない。
……とは妖夢は考えなかったが、何を言っても幽々子が離れる気がしなくて、幽々子を引き剥がす事を諦めた。
「……一体何があったんです?」
「……知りたい?」
「それは、まあ……」
「じゃあ妖夢からぎゅっとしてくれたら教えるわ」
「……」
明らかに様子がおかしい。いつものおふざけにしては度が過ぎているような気がする。
「してくれないなら私がするわよ」
再び強く抱きしめられる妖夢から、先ほどまでの心地よさは消えていた。代わりに不安が湧き上がって来る。
「幽々子様……もしや、お怪我がよろしくないのでしょうか?」
「怪我?怪我なんてしてないわよ?」
まるで本当に怪我などしていないかのような返事。
「ですが……」
――……斬られた事はなかった事になっているのでしょうか?
と言いかけた妖夢は、当人が忘れているならその方が良いような気もして、口ごもる。
「ほら、妖夢は明日に備えて寝なきゃ駄目よ」
「……はい」
何か釈然としない物を感じながら、妖夢は眠りに落ちた。
――……また明日……私の可愛い妖夢。
眠りに落ちる前に、幽々子の泣きそうな声が聞こえたような気がした。
******
妖夢は左足を前に、右肩に刀を担ぐようにして構えた。
一歩、かなり大きく踏み込むと同時に刀を振り下ろす。この時、腕の筋力は用いない。体の流れを作ってやれば、腕は自然に動く。
袈裟に素直に打ち込んだ形だが、半端な受けではこれを受ける事は出来ない。枝垂れと言う基本的な技だが、威力は強い。
同じ構えからの派生として、紅枝垂れと言う物がある。これは左足を引きながらの袈裟である。
枝垂れであれば先の先を狙えるし、紅枝垂れであれば後の先を狙える。これはつまり、次のような意図の下に形作られた剣である事を、妖夢は今にして理解した。
――この構えは、先の先と、後の先の両方に対応する。
この型は、桜花と言う名を与えられていた。何故このような基本的な技に師がそのような名を付けていたか、妖夢は不思議に思った物だが、この技の質を理解してしまえば、そのような事は思えなくなる。
桜花・枝垂れ。
桜花・紅枝垂れ。
見事な技ではあるが、しかし。
(……これでは勝てない、か)
尋常な立ち合いならば……この型が持つ意味を理解すれば、負けはほとんど無くなるだろう。
足りないとすれば、先の機。先の機に素早く仕掛ける方策を、この技は持たない。
そして、それこそが足りない物だった。
桜花とて、型としては、簡潔ながら非常に優秀な物である。
相手が仕掛ける機に対し、即応出来る限界は、常人であれば一つ、ほとんど当てずっぽうの領域になるが、妖夢や奈良原のように血の滲むような修練をすれば、その限界は二つに伸びる。
奈良原も同じなのだ。昼の月も桜花と同様、二つの機のいずれかに仕掛けるべきかを見定めながら技を繰り出しているのだ。
そして術理としては昼の月の方が優れている。
対敵に奈良原を想定し、もう一度。
奈良原の姿が迫る。
先の先……これでは狙えない。あの疾走を前に、先の先に仕掛ける事は不可能。
先の機……間合いに入る瞬間を狙わねばならないが、幻惑の歩法の前に、この型は相性が悪い。仕掛ければかわされる可能性が高い。
後の先……体を引きながらの袈裟懸け。
(……ッ!)
奈良原は、逆胴に薙いだ。
(矢張り、勝てない)
構えは状況を限定する物である。構えは、自身の状況をも限定する物である。
桜花について考えると、相手が妖夢から見て右方へ抜けた際に、威力が篭った剣を振るう事は出来ない。後の先、左足を引きながらの剣は、基本的に左方への体の流れを作ってしまう。
よくて、正面か刺突。それ以外は遅すぎる。甘く見積もっても、こちらの胴体と引き換えに、相手の腕を持っていくのがやっとの計算になる。
桜花は、疾走しながらの抜刀に対しては極度に相性が悪い上に、奈良原は『上を行く』ことも出来る。
(……何か、何か出来ないか)
妖夢はこの型をなんとか工夫しようとしたが、工夫すればするほど逆に構造的に弱くなっていくような感覚を覚えた。
この型も、謂わば定石。簡単に改良出来れば苦労は無い。
「んぐんぐ……苦労してるみたいねぇ妖夢。やっぱりあの子を殺しておけばよかったかしら?」
幽々子は餡団子を九本同時に頬張りながら――ちなみにこれは『魔食・六塵散魂無縫突き』と言う技である――妖夢の練習を見守っていた。
妖夢はすでに事のあらましを聞いていた。何故斬り合いをしてきたのかは、幽々子が話さなかったから分からない――と言うよりどうせ当人たちにしか分からない――から放って置くとして、大体何が起きたかは理解していた。
「……いえ、あの人は……」
――私が倒さねばならぬのです。
理由はないが、妖夢は心からそう言った。
「いい心がけね。それじゃあ、最後になるかも知れない食事も終わった事だし」
「……最後?どういう事です?」
その食事が二時間半ノンストップで続いた事には触れない事にした。
「さて妖夢、見て驚きなさい!」
じゃーん、とか言う緊張感の無い言葉と共に、幽々子が取り出したのは昨日奈良原に渡された刀である。ちなみに幽々子はこの刀を昨日渡されたと言う部分については伏せていた。
「それは……ッ!何故そんな物を……!?」
「そう、久しぶりでしょう?村正よ村正。勢洲右衛門尉村正ちゃん。懐かしいわねぇ」
「なりません幽々子様!其は災いを招く妖刀!すぐに封印を!」
「いやいやなるのよ妖夢。何せ私はこれからこの刀で貴女と斬り合いをするのだから」
「……幽々子様……!?何を……」
「今の私の剣はあの子よりも劣っている。私に打ち克てずしてあの子と斬り合おうなんて無謀も良い所、とまあ理屈はこうなのだけど」
もう半分は私の我侭ね、と幽々子は続ける。
「あの子の手にかかって死ぬのなら……妖夢、貴女は此処で私に殺されて頂戴。それが私の望み。貴女は誰にも渡さない、渡したくないの」
「……。ですが……それならばせめて別の刀を。その刀は……」
「勿論、この刀を使うのにも理由があるの。この刀でなければいけない理由がね」
「その……理由とは……?」
「だって、この刀じゃないと私を殺せないじゃない」
あっけらかんとした表情で幽々子は笑った。
「何を……何を言っているのですか、幽々子様」
「あら、貴女もこの刀の事はよく知っているでしょう?」
創気を操る程度の能力。
一振りの刀が通常持ちうる限界を超えた、異常なまでの能力を持った刀。それが初代勢洲右衛門尉村正である。
創気とは物質を形作る力。これを操ると言う事は、あらゆる物質を破壊し、再構築し、支配する能力を持っている事になる。これほどまでの力を持つ者は、幽々子の知る限り、紫しか居ない。
しかし過ぎた力には当然として代償が必要であった。大きな代償が。
――善悪相殺。
悪しきと思う者を殺さば、善しと思う者を殺さねばならない。今は沈黙している村正は、かつて幽々子に語った。これこそが武の絶対戒律なのだと。
幽々子にはその考えは理解出来ないが、しかし。
「善悪相殺。これを利用すれば……最も愛しい貴女を殺した、最も憎むべき者……つまりこの私を殺す事が出来るでしょう?」
善きと思う者を殺さば、悪しきと思う者を殺す。これも道理。
そしてそれを成しうる能力を、村正は持っている。幽々子の体を構成する霊子、これを分解し尽す事もこの刀にならば可能である。
「何も深刻になる事はないわ、妖夢。簡単な話、極々簡単な話なの」
貴女が勝てばいいのよ。手加減はしないけれど。
そう言って幽々子は、刀を装備し、左手を鯉口傍へと添えた。
妖夢は……
(……勝てる……のだろうか)
今までの勝負を思い返していた。勝利と言える勝利は無い。だがしかし、
(……私は……)
幽々子が疾走を始める。
(幽々子様を……)
どくり、と何かが爆ぜた感触と共に、妖夢の視界が変わって行く。
自分は今疾走しているのか、と妖夢は他人のように思った。
(……守る!)
二人の距離が縮まる。妖夢の剣が幽々子目掛けて振り下ろされ……
幽々子は、飛んだ。
(……さようなら、妖夢)
これで終わり?と幽々子は問いかける。
これで終わりね、と幽々子は答える。最早この状況を覆す術はないと、そう思って……
幽々子は、瞳を閉じた。
もう見なくても良い。最愛の者が死に向かう様など、見たくはない。
幽々子の剣は、狙い違わず妖夢へ向けて振り下ろされ……
そして……
どさり。
一瞬の後、地に伏していたのは幽々子であった。
「……え?」
「…………」
驚きに目を見開いた幽々子が見た物は、地面に突き立ち直立する長刀と、短刀を納めつつある妖夢の姿だった。
******
【Blade Arts Ⅱ】
天の光が全て見えるような、一点の曇りも無い夜空だった。
風はそよと吹き、優しく草原を撫でている。
肌身で感じる温度は暖かく、これで月が満月であれば月見でも出来そうなほど風情を感じさせる夜である。
月はやや地に近く、その七割ほどから赫っぽい光を地面に投げかけているが、しかしその不完全性がよりこの夜の空気を柔らかくしているような気さえする。
着地した妖夢を見て、奈良原南は不思議な想念に囚われていた。
自身の心の内に、まるで揺るぎと言う物を感じない。
何故だろう、と奈良原は思う。かつてはどの様な敵にも、高揚や熱意と言った物を感じた筈なのに、どうして、と。
答えはすぐに返ってきた。
完成するからだ。
この一晩。この勝負にて、自分は完成する。
もう昂ぶる必要はない。荒ぶる必要はない。ただ最後の一振りを、静かに、心を込めて入れてやる、その段階に達しているのだと。
対する妖夢も……
まるで気の知れた友と会うかのような感情を、奈良原に抱いていた。
ここに到着する寸前までは感じていた不安を、今は感じない。
空が、土が、風が、草が、自分を柔らかく迎えてくれているような気がして、妖夢は幼少のみぎりの、母親に抱かれていた頃のような朧な安心を思い出す。
互いにこれから何をするのかは分かっている。それでも。
二人の心に不安はなかった。
二人の心は、澄み渡り、安定して、この優しい夜空と同じ気色を帯びていた。
言葉は要らぬと悟って、奈良原と妖夢が互いに構える。
決着の時である。
妖夢は右肩に長刀を担いだ。桜花の構えである。
奈良原は左手を鍔に添えた。昼の月の構えである。
口火を切ったのは、同時。二人が同時に疾走を始める。
奈良原は間合いを幻惑する歩法。妖夢は修めた剣術に忠実な、無足の歩法を用いて、体重移動の力を使い、滑らかに移動する。
妖夢は奈良原を思う。人間にして剣を限りなく極めたその強さを想う。愛おしさすら感じながら、妖夢は走った。
奈良原も妖夢を思う。最初は怒りの対象でしかなかった対敵を想う。妖夢が剣術に目覚めてからのひたむきさに、愛情すら湧いてくるのを感じながら、奈良原は走った。
ここには彼女たちの全てがあった。彼女たちは互いの全てを感じていた。彼女たちは今この一瞬に、千の言葉を、百の睦み事を交わすよりも相手について理解を深めていく。
奈良原が妖夢の間合いに入る。妖夢はしかとその瞬間を捉える。その機を捉える。桜花の型から踏み出される右足、枝垂れの太刀。逃れえぬ剣閃。道理からすれば妖夢が勝ったと確実に言える、その瞬間。
だと言うのに。
奈良原は、道理を踏み越え……
跳んだ。
――魔剣・昼の月。
彼女が作り出した必勝の術。剣術に対する愛のみが可能とした、無敵の理法。
最早何をしても間に合わぬ、と奈良原は確信する。妖夢は大きく前に屈みこみ、たとえ筋力のみで無理に刀を伸ばそうと、奈良原に届く事はない距離。
――愛する者よ、死に候へ。
奈良原は、自信の最後の敵、愛する者へと太刀を向けた。愛で以て、妖夢を弑するために。
ふと、奈良原は気付く。
おかしい、と。
(何故)
今や明らかになりつつある、妖夢の異変。そう、その異変は奈良原が跳んだのと同時に起こっていた。
前傾姿勢。跳んだ瞬間には、そうとしか思わなかった。だが違う。
奈良原にも分かる。あれは常軌を逸した物だ。昼の月と同質にして異なる物だ。
――いかでわが 心の月を あらはして
(何故、こちらを向いている、魂魄妖夢……ッ!)
――やみにまどへる 人をてらさむ
――それは魔剣であった。
源流となったのは、桜花、そして……
昼の月である。
疾走しながらの袈裟懸け。これは他流の技にも類似が見て取れるが、妖夢が目指したのは、一太刀で相手を仕留めるような強さではなかった。
一太刀では、昼の月は決して破れない。かと言って、二つ目の太刀を放とうにも、奈良原がそんな時間を許してくれる筈が無い。身体能力がほぼ同じならば、通常はそんな時間は無い。
そしてこの技は、その道理を破っていた。
妖夢が疾走を始めたのは、それが必要だったからだ。奈良原の疾走と同じように。
――妖夢は、跳んでいた。
前に剣を振り下ろすその瞬間、体の流れは前に前にと向かう。通常、剣を振り下ろしきると同時に、体の流れは切り替わる。動く運動から止まる運動へと。
この時、普通は体は自然に止まる。前方へ踏み出した足が、地面の弾性の力により反発を受けて、体の流れを打ち消すのに加え、止まろうとする運動も自然に行われるからである。
二本の足で立つ者は全て自然にこの運動を行っている。赤子の頃に学ぶのだ。いつまでも体を前に前にと倒していけば、そのまま転倒してしまうのは当然と。しかし……
妖夢は、この体の動きを、意識してやめた。
するとどうなるか。体は前へ前へと倒れる。地に前足が着く。その寸前、妖夢はその足を思い切り引いた。
体を一本の棒と考えてみる。頭を前に倒せば、足が後ろに下がる。足が後ろに下がれば、頭が前に向かう。妖夢は右足を引く事でこの運動を加速させ、更にまだ地に足がついている左足で、地面を蹴った。
体重は前足の方に向かっているから、これは僅かな力しか生じない。しかし、僅かな力でも十分。体は地を離れ、ほんの僅か宙に浮く。元来の体の流れの速さを、桜花からの最速の剣の流れを維持したまま。
この時、問題となってくるのは振り下ろした刀である。刀を納めようと無理に体を縮こめれば、この流れは潰えてしまう。ならば……
妖夢は、長刀を地面へと突き刺していた。
この運動は、体の流れを阻害しない。いや、むしろ補助する役目をすら持っている。この刀は、前転に於ける手と同じ役割を持つ。地面に対して手を添えて、スムーズな円運動を行う為の役割を持つ。
そして……
短刀を左手にて抜刀。
この短刀は、鞘の内の間にある力を与えられている。魔術に近い力を与えられている。刀の間合いを伸ばす力。これ単体では奈良原にどうあっても打ち克つ事が出来なかった力。しかし今やそれは妖夢をこの時へと導く力となった。
長刀、短刀の組み合わせでは、どうあっても間合いが足りない。その間合いを埋めるため、妖夢は短刀を伸ばしたのだ。
かくして、ここに一つの魔剣が顕現する。一太刀分の体の流れを用いて、二つ目の太刀を放つ、魔境の技が産声を上げる。
妖夢の剣は、ここに結実した。
――魔剣・待宵反射衛星斬。
******
勝敗を分けたのは、何だったか。
奈良原にも、妖夢にも分からない。互いの技は拮抗していた。全く同質と言えるほど、両者の魔剣は拮抗していた。
では心身の力だろうか。これもまた、二人は同じ力、同じ気持ちで戦いに挑んでいた。
技術の多寡でもなく、心身の強さでもなく。
……ならばきっと二人の間には、差異などありはしなかった。ただ、結果が出ただけだ。どちらかが勝利し、どちらかが敗北すると言う結果だけが、勝敗を決めたのだ。
奈良原は、肩を深く斬られていた。
妖夢は静かに奈良原へと歩み寄り、奈良原の頭を膝に乗せた。眠りに就こうとしている子をあやすように、優しく髪を撫でる。
出血の量からして、最早手当ては無駄だと、二人には分かっていた。
「……魂魄……妖夢……」
「……なんでしょうか」
「頼みが……ある……」
――私を……空へ。
その言葉に、妖夢は黙って頷くと、奈良原を抱えて飛んだ。
「……綺麗……だな……」
空には星の火が。そして地には里の火が。二人はきらきらとした光に包まれて飛んでいるような気がした。
「私は……誇りを穢された気がしたんだ……」
「……誇り?」
「……私のではない……私が倒した者たちの……私が殺した……者たちの……剣の誇り……それを……初めて出会った時のお前は……」
「……はい、分かります」
今の妖夢になら理解出来る。蟻が技術を凝らして戦っているのを、人間が簡単に踏み潰せば、それは蟻に対するこの上ない侮辱だ。蟻には蟻の矜持がある。妖夢の剣は、知らず知らずの内にその誇りを穢していた。
「……そう……だな……だからこそ私は……こうして……」
血を吐く音。妖夢は優しく、奈良原の口元を拭った。
「魂魄……妖夢……誇りは……そこにあるか……」
霞がかった目で、妖夢の顔を見つめながら、奈良原は問いかけた。
「はい。貴女の誇りは……貴女たちの誇りは、確かに、此処に」
重い。こんなにも重い物を背負って、奈良原は戦っていたのか、と妖夢は思う。倒れていった者たちの誇り。それこそが、奈良原の、剣に対する愛の源だった。
今は、妖夢も心から剣を愛する事が出来る。
「……そう……か」
奈良原は目を閉じた。安堵しきって、体の力が抜けていくのが、妖夢には分かった。
「空は……綺麗だな……妖夢……次に生まれる時は……私も……空を……飛……」
言葉が最後まで続く事はなかった。
奈良原南は死んだ。
妖夢の胸に、忘れられない思いを残して。
******
冥界の桜は、ほどなく散華した。
妖夢は今日も奈良原を思って剣を振るう。いずれ次の敵とまみえるまで、決して彼女を忘れる事はないだろうと、そう強く思いながら。
気付くと、道場の扉の所に誰かが立っていた。逆行で姿かたちが判然としないが、女性のようである。
その女性は、鍔に左手を添えると、疾走を開始した。
「……ッ!?」
――まさか。
歩幅が見切れない。間合いが見切れないその動き。
そして道場に入ると判然としだす、黒き衣を身に纏った姿。
「まさか……!」
妖夢は剣を繰り出し、
彼女はその上を行った。
こつん、と軽く頭を叩かれる音である。
「どうした?弛んでいるな、魂魄妖夢」
「奈良原……さん?」
道場に現れたのは、奈良原南だった。
冥界もまた死人が行き着く所だ。彼女が来てもおかしくはないと、妖夢は少しだけ思っていたが、それより強く。
どうも何人も斬り殺しているらしいし、ならば地獄行きだろうから此処に来る事はないと思っていた。
「地獄行きは免れたのですか……よかった」
「いや、一度は地獄に落ちたのだが」
「……は?」
何か非常にまずい事を聞いた気がする。地獄から脱走したと言うのはこの上なくまずい事のような気がしてならないが、どうなのだろうか。
「あるお方に助けてもらったのだ。皆と一緒にな」
「た、助けてもらった?皆?」
通報した方が良いだろうか。何処に通報すればいいのだろうか。妖夢は段々怪しくなっていく雲行きに困惑していた。
「そう、皆だ。喜べ魂魄妖夢。私が殺した者や、過去の剣豪がよりどりみどりだぞ」
「あの……何を……?」
「いやなに。あの勝負の事を話したら、皆がお前と仕合をしたいと言ってな」
「えっ」
奈良原の後ろから、屈強な男や、危ない感じをした女や、なんか色々な人々が入ってきて騒ぎ始める。
「つまり、これからは毎日殺し合いが出来るぞ。よかったな」
「えっ」
なにそれこわい。
あまりの事の成り行きに言語脳が退化を起こしていた。
ゆっくりと言葉の意味を反芻した妖夢は、一つの決断をする。
――逃げよう。
こんな奴らと仕合なんかやってられませんこうなったら地の果てまで逃げよう付け髭とかつけて語尾ににょとかつけて人知れず静かに暮らそうそうだそうした方がいいああでも幽々子様のお世話や庭の手入れはどうしたら……
そんな事を考えつつ全力ダッシュで逃げ出した妖夢の視界の端に、何かが映っていた。
よく見ると、何処か余裕を漂わせている奈良原だった。どうやら妖夢よりも健脚らしい。
「どうした?何処か仕合にぴったりな場所に案内してくれるのか?」
「断じて違うッッッ!!」
「うん……?まさかとは思うが逃げるつもりではあるまいな……?」
左手が鍔にかかろうとしている。怖かった。勝った筈なのにもう二度と勝てない気がした。
「いえ違いますええとそうこれは篩いにかけているのです私についてこれない程度の能力であればそもそも相手をするに値しな……」
「うむ、そうであったか。しかし皆ついてきているぞ?もっと速度をあげなくてよいのか?」
「えっ」
妖夢が後ろを向くと、剣豪たちが後を追ってきていた。あれの一人一人が奈良原と同レベルかと思うと、妖夢は今にも卒倒しそうだった。
「はっはっは。いやいや、これは先が楽しみだな」
「こ……」
「……こ?」
「こんな生活はイヤだあああああああああああああああああ!!」
――かくして、
妖夢は数多の強敵と(仕方なく)刃を交え、数々の魔剣を(必死で)編み出していく事になる。
一念無量劫、未来永劫斬、天女返し、六根清浄斬等々……その全てが生と死の狭間に措いて生み出された魔剣である。
そうして妖夢は生粋のソードダンサーとして成長する事になるのだが……
それはまた別のお話、いつかまた、別の機会に話すとしよう。
******
この弾幕ごっこが当たり前のスペカの時代にどいつもコイツもなんて熱いんだ・・・!この熱さはnot熱血、でも静かな迫力を感じました。3人それぞれの仕合がたまらなくツボった!オリキャラもゆゆ様もみょんもそれぞれの持ち味が出まくってて格好良すぎ。
タグのトライガンというのはよく分からないんだけど丸ごとコピペとかそういうのじゃないんですよね?すごく魅せ方も上手かった。説明が冗長かなーと思ったとこもあったけど読み応えがありました。シリアスの中に混ざるコミカルさも個人的に好きだわ。
あとがき含めて150点入れたい!
待宵反射衛星斬の字を見た瞬間、不覚にも鳥肌がたった。
とにかく静けさの中にある迫力を含んだ雰囲気がとても素晴らしかった。
次回作も期待してます。
ただ、オマージュにしてもパロ部分がちょっとそのまま過ぎる気がします。
キャラクタや台詞、魔剣あたりはもっと元ネタから離れての独自性が欲しかった。
なまじ元ネタを良く知っていると、そのせいで逆に作品に入り込み辛かったです。
そもにして武術の理なぞ肉体の優劣を少しでも埋めるためのモノなのに絶対的な能力差に負けて憤慨とか
理云々の前にお前が弱かっただけだろって感じで共感できなかったです。
例えるならヘビー級ボクサーに負けたフライ級チャンプが『ヤツは理なんて全然解ってねえのに!』とか吠えてもね。
演出優先なんだろな、とは思ってもキャラだけ東方、の印象のままだったのが残念です。
……ん、上手いこと言えなかったね、しょうがないね。
ガッツリ読ませて頂きました。バトル物のセオリーをこれでもかと詰め込んだボリュームでした。もう満腹ですw
オリキャラもなかなか良い味出してますよ。時々挿むユーモアも緊張を解してくれます。
心情解説、状況解説、技の解説……一つの場面にどんだけ時間かけるんですか!? いや、好きですけどねww
決着は意外とあっけないものでしたが、まぁ真剣ならこんなもんでしょう。
愚で始まった妖夢でしたが、やはりキャラの成長というのはワクワクするものですな。
しかし奈良原節を踏襲しつつも書き上げた妖夢の魔剣、お見事でした。
村正関係のネタはこの作品にホントに必要だと思いました?蛇足だとは思いませんでした?
そんなにニトロの固有名詞使いたいのなら、虚淵さんが浄火の紋章出したみたいに「Nitro+キャラが幻想入り」でも書いて欲求を解消してはどうでしょう。
あと技で力に負けたのを侮辱と言われてもなあ。
それをご都合で埋めた上での勝負とか原作を馬鹿にしてませんか。
第一、肝心の刃鳴散らすでも「力だろうが技だろうが強いものは強い」と言ってるでしょうに。