2月15日 『涅槃会死体会』
今日は涅槃会である。涅槃会とは釈迦が入滅した(と思われる)日に合わせて仏涅槃図(涅槃図)を掲げ、『仏遺教経』というお経を読む法要らしい。らしいというのは最近新しく里に出来た命蓮寺という寺から涅槃会についての知らせが届いたからだ。ちなみに私は特に仏教を信仰しているというわけではない。だというのにこんな豆知識を紹介したのは、来たからである。依頼が。
何もお釈迦様と同じ日に死んでしまうなんて縁起がいいのか悪いのか。いや、悪いか。もしかすると故人は熱心な仏教徒だったのかもしれない。外の世界の信仰状況など知った事ではないが、こんなめでたいのかめでたくないのか部外者にはさっぱり分からないような日に死ななくてもよかろうに。
さて依頼の内容であるが、場所は里から魔法の森へ向かう途中、香霖堂の少し手前の道沿いで、依頼主は香霖堂店長。故人は男性、おそらくは20代後半ぐらいであろうか。黒い厚めの生地で出来た服(店主に聞いたところ『すーつ』という名前らしい)に身を包み、鞄を所持していた。服装や所持品から分かるようにどうみても外の人間だ。というかこのご時世、幻想郷で妖怪の類に襲われ命を落すのは外の人間ぐらいしかいない。我々ここにいる人間たちは皆妖怪に対する気構えができており生活の習慣として根づいている。形式として妖怪は人間を襲うが、あくまでそれは形式できちんとした規則なども定められている。
しかし外の人間についてはそうはいかない。彼らは何も知らず、同時に何もすることができない。運良く博麗の神社に辿り着けることができれば元の世界に帰ることも可能だろうが、そうでない場合は敢え無く妖怪たちの貴重な食料となってしまう。ただ食べてくれるだけなら私はめでたく廃業ということになるのだが、妖怪たちは基本自分勝手で気ままな存在だ。作法なぞそっちのけで食い荒らす、残す、打ち捨てる、何でもありだ。それが例えば妖怪の山奥深くだったり無縁塚だったりすれば何ら問題ない。やはり私はお役御免だ。だが道沿いだとか人の利用する場所でやられてはたまったものではない。
臭いのだ。とにかく。
死ねば当然その肉は腐敗し死臭を発するようになる。蛆も湧く。汚い。こんなものが放置されては迷惑だ、とそういうわけなのだ。そこで私の出番である。前置きが長くなったが私は清掃員をやっている。しかもこういった特殊な事例専門の。この狭い幻想郷で遺体清掃などという特殊な仕事に需要などあるのかと疑問に思うだろうが、確かに滅多に起こることではない。だがその滅多に起こらないことが定期的に起こるのが幻想郷というものだ。収入については心配はいらない。追々話すが副業も兼ねているので生活するには十分である。
依頼の内容に戻る。私が現場に着くと依頼主である香霖堂店主が出迎えてくれた。話を聞くと発覚したのは今日の朝。店を開けようと外に出ると何故か鉄臭い。臭いの元を辿ってみるとそこに故人がといった具合である。ただでさえ閑古鳥が鳴いているというのに死体があっては商売あがったりだということで私に依頼したのだ。
まずは故人のお顔を拝顔。見事にまあ恐怖に彩られている。妖怪というのは恐怖心も大好物でたっぷり恐がらせてからその肉を食らう、といった方法をとるものが多い。今回のお客も無念、後悔、疑問に満ち溢れた表情をなさっている。同情はするが、これも寿命の形の一つだと割りきってもらうしかない。
遺体は道の脇の田んぼに体を投げ出していた。取り敢えずこれを引き上げなければならない。死んだ体というのはその人の体型よりも重く感じる。力が入ってないからだ。今回もそうであろうと腰に力を入れ遺体を引き上げようとしたが、勢いがつきすぎて尻餅をついてしまった。予想以上に軽かったのである。不思議に思い改めて遺体をよく調べてみると原因がわかった。
服に隠れてよく見えなかったが腹が空っぽだったのだ。空腹だとかそういった意味ではなく言葉通り、内蔵という内臓がすっからかんだった。妖怪の嗜好というのも様々で、脳みそが好きなやつもいれば手足の指が好きなやつもいる。今回は腸が好きな妖怪だったのだろう。しかし見事なほど丁寧にくりぬかれている。なんせ骨格の周りの肉までこそぎ落としており骨の様子がよく分かるほどだ。中だけを食べているということは皮は好みでないということか?。几帳面な性格だったのだろうが、だったらこんなところに打ち捨てるのではなくどこか別の場所に埋葬してやるとかそういった心遣いはなかったのだろうか、全く。
幸い遺体の発見が早く腐敗が始まる前だったのでさっさと専用の袋(納体袋という)に入れて、荷台に積む。こうした撤去作業も仕事の内なのだが、最近火車による運搬サービスが始まったらしい。まさかこの業界で同業者が現れるとは思ってもみなかった。というか彼女に運ばれた死体は怨霊になってしまうはずなのだがいいのだろうか?まあいいか。
遺体の撤去が完了したところで血のこびりついた草原をざっと刈り、香料と線香の灰を混ぜたものを撒く。今回は妖怪の性格のおかげであちこちに血肉がばら撒かれている状態ではないので、取り敢えずこれで一仕事完了といったところである。これで後は雨でも降ってくれれば綺麗に洗い流されるだろう。ということを店主に伝えると店主は礼を言うと同時に遺品に何か面白そうなものがあれば持ってきてくれと言った。
恥ずかしながらこれが先程言った副業である。故人の遺品を売り払うなど泥棒そのものであるが、何せ外の人間の持ち物なので引き取り手がいない。私が持っていても使い道がない、というか分からない。なのでいつも香霖堂に引きとってもらっているのだ。この鞄の中身もおそらくは香霖堂に引きとってもらうことになるだろう。次の使い手が現れることを切に願う。
肝心の遺体であるが最近は命蓮寺に持って行き然るべき供養をしたのち共同墓地に埋葬している。以前はわざわざ博麗の巫女殿に頼んで供養してもらっていたのだが、何せあそこは立地条件が悪いためいろいろと不便なことがあったのだ。しかし里の中に命蓮寺ができてくれたおかげで助かっている。どうも博麗神社を見捨てたようで心苦しいが。
以上、本日の日記兼現状報告を兼ねた記録を終わる。誰に見せるわけでもないが何かしら記録を残しておかないと私自身も幻想となってしまうような気がするのだ。無縁死だけは勘弁願いたいものである。
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4月22日 『紅い館の赤い部屋』
こんな業種でもお得意様は存在するわけで、今日はそのお得意様の紅い館からのご依頼だった。ここの当主は吸血鬼、よって人間の血によって生きているわけだがその人間は外から供給される。館にはきちんと処理施設があり仕えるメイドも優秀、私が出る幕もないのではと思われるだろうが例外が一つだけある。
当主の妹様関連についてだ。妹様も当然吸血鬼なのだがいかんせん気が触れている部分がある。とはいえ私は実際にお目にかかったことがない。もし実際に対峙したのなら私は瞬時に肉塊になってしまうだろう。辺りに散らばった欠片を拾いつつそんなことを考える。
先程も述べたがここのメイドはすこぶる優秀だ。死体の撤去なんて眉一つ動かすことなくこなすだろうが、妹様の場合少々“派手すぎる”のだ。何かってそりゃあ拡散具合が。流石にこうもされてしまうと専門の業者に頼んだ方が安上がりというわけだ。
仕事は妹様の就寝時間である真昼間に行われる。いつものように門をくぐり地下の部屋へと案内され、作業開始。部屋の中はあちこちに血溜まりや欠片が飛び散り、館の名に恥じないほど紅く染まっている様子は、ある意味芸術ではないかとさえ思ってしまった。
まずはこの飛び散った欠片を集める作業から始める。もはやこれらは原型を留めておらずただの赤い物体である。時々脂身やら眼球やら白いものも混じり紅白ってこりゃめでたい……いや済まなかった。薄赤いのもあるがこれはおそらく脳漿だろう。
この仕事は妹様が壊してしまったおもちゃの片付けなので、当然食べられた部分など無く全てのパーツが散らばっている。こういうのが一番質が悪くそして面倒くさい。だからこそこうして私が呼ばれているわけだが。
さて回収が終わった後には拭き取り作業がある。ここで気をつけなければならないのが血に混じった脂だ。ある程度は吸引剤で処理することが可能だが最後はやはり手で拭き取らなければならない。これがなかなか落ちず尚且つとても滑る。ぬるぬるつるつる、一歩間違えば血の海へすってんころりんだ。最新の注意が必要である。
なんとか清掃を終え、除臭も済ませるといメイドが紅茶と洋菓子を振舞ってくれた。毎回こうしてご賞味にあずかっているのだが、稀少品と称して何だか分からないものが入ってることもあるので素直に喜べないのが残念だ。今度お呼ばれしたとき何が入ってるのか聞いてみようか。きっと教えてはくれないだろうが。
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6月9日 『達磨えもん』
里の近くを流れる川から水死体が上がったらしい。呼ばれて出てみればなるほど両手両足の無くなった立派などざえもんが川沿いに引っかかっていた。すっかり水を含んでいる様子を見るとおそらく妖怪の山のほうから流れついたのだろう。体積が増え四肢がもげている様はまさに達磨のようだ。
水死体自体はまぁ珍しくはないのだが手足が無いせいで引っ張る箇所が見当たらないのが困りものだ。ぶよぶよになった体は簡単に崩れてしまうだろうから下手な引き上げ方はできない。しょうがないので一旦川へ入り、数人がかりで下から持ち上げることにした。
で、この水死体も例に漏れず臭いの何の。体表にはガスと腐敗液の水泡がブツブツ浮かび、深緑色に染まった皮はズルズル剥け落ち視覚的にもかなりキツイものがある。しかも抱えて持ち上げる体勢をとっているので当然遺体と自分の体が密接状態になり、その腐敗液が私の服に染み込むことに。帰ったら念入りに洗濯しなければ。
ぶよぶよの達磨状態になってしまった今、故人がどのような姿だったのか想像することは難しい。妖怪の山に迷い込み、襲われ、四肢を食いちぎられ川へと捨てられたのだろう。せめて守矢の神社まで辿りつければ助かったろうに……ま、今更たらればを語っても仕方の無いことだ。今はこの力士並に重量感のある遺体をどうやって運ぼうか、それだけを考えることにしよう。
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10月30日 『フランケンシュタインはもういない』
ドンドン、とけたたましい音が外から聞こえる。何事かと玄関の扉を開けてみるとそこには人ではなく数匹の兎がいた。いつも薬売りに来る兎の仲間だろうか?用向きを尋ねてみると仕事の依頼だそうだ。永遠亭の噂は聞いているがまさか仕事の依頼が来るとは思わなかった。詳しい内容は着いてからということで兎の案内に従い竹林を進む。しばらくすると鬱蒼と茂った竹林の間に豪華な邸が見えてきた。言われるがまま中に入ると依頼主である八意殿が迎えてくれた。
今回の依頼について説明を求めると、何やら実験室のような部屋に案内された。そこには手術用であろう台に布が被され、その隙間からちらりと人間の足のようなものが見えた。嫌な予感が体を巡る。これは何ですかと聞いてみると「ちょっと失敗しちゃって」とのこと。要は失敗した実験の後始末をしてくれと。スキマによって連れられた人間は大抵食料になるのだが、こういった用途にも使われるのか。一つ勉強になったようなそうでないような。
布をとってもいいかどうか尋ねてみると「なかなか勇気がありますね」と感心された。いや、それはどういう意味ですか。訝しながらも布を取ると中には何ともおぞましい光景が広がっていた。足は何故か獣のような体毛が豪々と生え、胸からは肋骨が飛び出している。さらに左腕だけが異様なほど肥大化し紫の血管が浮いていた。眼球はこれでもかというほど見開いて、その表情は苦痛に歪んでいるのがありありと分かる。何をどう実験したらこんな妖怪が生まれるんだ。
「ハロウィンに間に合わせるつもりだったんだけどな」
何やらものすごい不吉な呟きが聞こえたような気がするがおそらく空耳だろう。きっと。
遺体こそ異様ではあったが作業自体はスムーズに進行。遺体を袋に入れたりで撤去した後の清掃作業はほとんどなく、軽く腐敗液を拭き取り除臭するだけで本日の作業は終了した。この程度業者に頼むまでのこともなかったらしいのだが兎たちが作業を拒んだため私を呼んだとのこと。当たり前だ。私だって客を選べるような立場であれば永遠亭からの依頼はなるべく断りたい。こんな人間か妖怪か分からないような物体の処理なんて二度とやりたくないというのが本音だ。
しかし報酬は怪しいほど高額になった。これを渡したときの八意殿の笑顔が暗に「これには口止め料も含まれているのよ♪」というメッセージに見えたのは決して私の思い違いではないだろう。こんな体験、おぞましすぎて酒の肴にもする気にもならない。
まあ、何より一番恐ろしかったのは帰りに一度だけ、荷台に乗せた遺体ががたん!と勢い良く物音をたてたことだ。もしかして死んでなかったんじゃないのか?
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11月24日 『死の濃度』
こういった死を直視しなければならない仕事を続けているとふと、思うことがある。それは幻想郷は死の概念が薄いということだ。幻想郷において生から死へ、そしてまた生へといった輪廻の道筋ははっきりとしている。死んだらこうなって地獄へ行ったり転生することができる、というのが分かりきっていることなのだ。つまり常識だ。妖怪なんかは我々より寿命が遥かに長いし、噂では不老不死の人間さえ存在している。よって死を恐れる必要はないし同時に生を恐れる必要もない。
別に私はそのことを否定するつもりはないのだが、ほとんどが老衰や病気で亡くなる幻想郷の人々と違い、妖怪に襲われ死んでしまった外の人間を比べると後者のほうが明らかに死に対する表情が濃く見える。どちらが正しいというわけではない。しかし「この人は死んだのだ」と実感させられるのはやはり濃い表情のほうだ。
何が言いたいのかというと、私はこの死後が定まっている幻想郷で人一倍臆病者だということだ。死は、怖い。この感情は外の世界ではごく当たり前のものだろう。外の常識はこちらの非常識である。
今日の依頼はなんと博麗の巫女殿から。どうやら久しぶりに里に向かう途中、道の真中に人が倒れているのを発見。近づいてみるとすでに事切れているどころかだいぶ腐敗が進んでいたので処理をお願いしたいとのこと。曰く「あんなのが道にあったら参拝客が減っちゃう」らしい。減るだけの参拝客もいないだろうに。
何はともあれ現場へ行ってみる。近づくにつれ死臭が鼻を刺してきて、これは確かに神社に行く気を失せさせるには十分だと感じた。遺体のそばまで来ると嗅ぎ慣れた臭いが漂っている。完璧に腐敗してしまっている。一ヶ月といったところだろうか?そこまでの期間放置されるほど人が通らなかったとなるとやはり参拝客なんていないんじゃないか。
故人は女性……だろう。長い髪や体型、服装からみるに間違いない。しかしその表情は伺い知れない。頭が凹型に吹っ飛んでしまっているからだ。うつ伏せに倒れていることを考えると後ろから何かに撃たれたといったところか?そういえば幻想郷の少女たちの間ではスペルカードルールによる弾幕ごっこが流行っている。あの弾幕の殺傷能力を高めるとこういうのも可能なのだろうか。ま、可能だろうな。彼女らの力を考えると人一人殺せないほうがおかしい。
むしろこの犯人は弾幕ごっこのつもりでちょっかい出したはいいが力加減を間違えてうっかり殺してしまったのではないだろうか。特に食われた形跡もないし食事目的ではなかったことは明らかである。そう考えるとこの女性が不憫でならないな……。
遺体のほうは損傷が進み蛆が湧いている状態だ。腐敗液と血液のせいで頭周辺の地面は赤黒く染まっている。髪も血液と共にこびりついてしまっている上一本一本剥がしていくわけにもいかないので、しょうがないから土と一緒に掘り起こした。体を持ち上げる際頭のほうに注意を払わないと首がぼろっと落ちてしまいそうになる。これだけ柔らかくなってしまうと落としたとき厄介だ。べちゃっと腐った果物のように潰れてしまうだろうから片付けるのが面倒になる。しかしそうやって頭のほうに気を遣っていると眼球を失った顔からあるはずのない視線を感じて非常に気分が悪い。
飛び散った破片を拾い地面を洗い流した後、除臭。これで本日の作業は完了。後は遺体を命蓮寺に運ぶのみである。だが先程の女性の顔は私に強い印象を与えた。しばらく夢に出てきそうだ。
表情の無い分、余計にこの女性の死は濃く見えた。やはり死ぬのは怖いものだ。
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12月31日 『逝く年来る年』
一年の終わりということで特に今日は仕事はなかったが(あってたまるか)記録に残すことにする。今年はどんな年だったろうか。思い返してみると血生臭い記憶しか浮かんでこないのは職業上仕方の無いことか。こののんびりとした幻想郷、一見平和なこの世界で私のような仕事をしている人もいるのだと皆様に認知していただければ幸いである。出来ればこのような仕事、必要なくなってくれるのが一番なのだが。そのためには妖怪たちのマナー向上を目指さなければならない。大賢者殿辺りに上申してみようかな。
もし私がお役御免になったのなら、そうだな。葬式関係の仕事でも始めてみるか。どうにも私という人間は人の生き死にから離れられないらしい。そうしなければならない理由なんてないのだが、それが私の使命に思えてならないのだ。これも今の仕事を長く続けすぎたせいだろうか。来年は転職できることを夢見て、今年を締めくくりたいと思う。
ただタグは「微グロ」じゃなくて「グロ」にすべきだと思うw
え、私? う~ん、嫌いじゃないね。
でも、タグは確かに微グロじゃなく、グロにしたほうがいいかもしれない。
表現が細かすぎてえぐすぎるw
残念なのはタイトルくらいか。
けどタグは変えたほうがいいよマジで。
微よりも、はっきりしたほうが読む人は読むと思う。
ただ、納得させられる内容ではありました。
幻想郷の日陰の日常みたいで私は好きです。
死体の描写がそれぞれとても細かく記されていて見入りました
ただこれはかなり人を選ぶ話でしょうね
とは思うけど、やっぱり誰得w
人間の命ってここ百年ぐらいでかなり値上がりしてる感ありますよね
ただ霖之助は無縁塚で仏の弔いもしてるんで自分でやっちゃいそうとは思った
死体の描写が丁寧なのがとても良かったのですが、個人的にはもう少し粘り気や湿り気が欲しかった気もします。
主人公や登場人物たちが死体処理や死体を見つめることそのものに慣れているせいもあるのでしょうけれど、
全体的に少し乾き過ぎなのが個人的には少し惜しいな、と感じました。
とは言えこういった形式で綴られる話ですし、水っぽい方向に描写を深くするのはテーマにそぐわないという気もしますので、
やっぱりこの話はこれでいいのでしょうね。
「死後にどうなるかが分かっている幻想郷では死への恐怖が薄い」というのは非常に納得できる設定でした。
物語における世界観というのはそこに住む人々の思想に色濃く反映されるべきものです。
その点、このSSに登場するキャラたちはいかにもこの幻想郷に住んでいる人々という感じがして、
いい意味で読んでいる自分との距離の隔たりを感じることができたように思います。
グダグダと書きましたが、ともかく非常に面白いSSでした。
次回も期待しております。
死んだ後の道筋が解ってるって、実際どんな気分なのかな?
楽園もリアルも、こういう仕事をする人がいるから上手いこと回っているんだなと、
再認識させられました。
1人の幸福は10人のうめき声で作られるなんてセリフを思い出しました。
やっぱり幻想郷は現代社会以上に理不尽が溢れかえってる世界だぁねえ……
そう考えると、命の安全がまだ保障されるこっちの世界の方が個人的に性に合う。
淡々とした語りが逆にリアルに情景が描写されて実に恐い。
面白い着眼点だと思う。
グロ耐性ある人は特殊清掃員か戦う男でググれ。
ZUNさんもこういうのはあるかもって言ってるし(実際はしらないけど)。
紅魔館以外では却ってリアリティを損なってるのが残念。
むしろ遭難者救助(回収)とかのが幻想郷にマッチするよーな。
出オチwwwってわけじゃないのに勝手に吹いたwwww
それにしてもこういう職業は幻想郷でもかなり重要な位置にありそうです。
確かに交通事故やらそういうのは少ないかもしれませんが、代わりにこういった妖怪によるそれはありそうですからね。
普段誰もが気にしないところにも、陰で働いている人がいる。
特殊な視点から見た幻想郷、面白かったです。
仕事で生体組織を見る者の、光景は際どいけれど本人にしてみれば日常の一コマである、
という感じが文章から伝わってきました。
楽園もこういう裏方さんのおかげで回っているのでしょう。