コンコン、と小さく戸が叩かれる。
その響きは聞き覚えのあるもので、両手を前に組み下げている少女が私を待っているのが容易に想像できた。
「こ、こんにちは」
鈴仙・優曇華院・イナバ。里で薬売りをしている竹林に住んでいる謎の兎少女。
彼女がちょっとした病を患っている私の所へ薬を届けに来るようになって久しい。だが人見知りなのか、目を合わす事もなく、使用上の注意などお決まりの台詞を言い終えれば、さっさと逃げるように立ち去ってしまう。
だが今日この時、見下ろす私の視線は彼女の見上げる視線と初めて重なり、その事実に驚く暇もなく、私は彼女の紅い瞳に魅入られていた。
夜風が冷たいと感じ、漸く私達の時間は解けた。
しかし、言葉も動きも見られない。彼女の瞬きと私の吐く息の白さが、かろうじて時が流れているのを教えてくれる。
ひゅうと鳴る風の後で最初に口を動かしたのは、彼女だった。
「あ……あの」
「綺麗だ」
古典的な表現だが、ボンッと音がして彼女の白い耳、そして肌が真っ赤に染まった。
堪えきれずにとんでもなく恥ずかしい事を言ってしまったのだと、声が出てから自覚した私も、きっと彼女と同じだろう。風呂上がりでも無いのに嫌に顔が火照っている。
何事かを言い訳しようとして、
「い、いやその、そんなに深い意味があるとかじゃなくてだ。……その、女の子を褒める時の常套句とでも言おうかっていや別に世辞などではなく本当に純粋にそう思っただけで!」
「…………ふふ」
シドロモドロになる私を見て、彼女は口を軽く押さえて、少しだけ笑った。私が聞いた、最初の彼女の、感情の声だった。
その一秒にも満たない音には魔法でも宿っていたのか、私の奇妙な緊張感は無くなっていた。それは彼女も同じようで、
「ごめんなさい、つい」
「今のは笑っても仕方が無いさ。……それで、こんな時間に何か用ですか?」
「ええ。今日中に渡さないといけないものがありまして」
自分の記憶を探ってみるが、薬はまだ十分ある。特別症状が悪くなったわけでも、そもそも彼女に会うのすら、二週間は前の話だ。
なんなのだろうかと、次の彼女の言葉を待つ。
「よっと。……これを」
彼女が紺のブレザーの内側から取り出したのは、外の世界で見たような包装紙と、それに包まれた手の平大の四角く薄い箱だ。
赤いリボンがハート型に組まれているのを見て、脈拍が上がったような気がする。
「これは?」
その意味を勘違いしてはならないと言い聞かせながらも、期待に上擦る声でそう尋ねた。
鈴仙は両手で箱を持ち、私の胸に差し出して、
「えと、今日は確か――2月14日、ですよね」
「ああ。私のいたところでは、バレンタインデーの日だったよ」
「女の子が、男の人にプレゼントを渡す日だって、お師匠様が」
「……その先は、どういう相手にプレゼントをあげるのか……」
彼女は黙って、こくりと頷いた。
それきり彼女は俯いて顔を見せようとしない。だけどいつもは、へにょりと下がる兎耳は少女の頬のように真っ赤に染まり、強張っていた。
それだけで十分だ。
「…………」
漫画で見たような姿。学校の先輩に向かって、おじぎと言うには急角度すぎる上半身と、突き倒しかねないほど真っ直ぐ前に伸ばされた腕、その先には両手でしっかりと、プレゼントの入った箱やラブレターが握られている。
学生時代に一度も体験した事のない光景が、手を伸ばせばそこにある。
触れれば幻になってしまうかもしれないと一瞬躊躇して、
「――」
手にある重みは、チョコレートの香りを私の鼻の中に想起させた。
安堵する長い息が下から聞こえる。私は彼女が顔を上げる前にと、セロテープを剥がし、包み紙を破らないよう優しく開いていく。
中の箱は紙箱で、ロゴや装飾は無い。蓋を開けた中にハートの形を想像しつつ、右手で持ち上げた。
「…………? チョコ、ですよね?」
チョコレート色の座薬だった。いや、座薬型のチョコレートの方が正しいのか?
座薬兎呼ばわり反対派である私は、思わず彼女を見た。
「ええ、外の世界ではこうするんですよね?」
言うなりSUP(スーパーうどんパンチ)で壁際に吹っ飛ばされる。空中で三回転ほどして倒れた私は、何故か下半身で『お熱計りましょうねー』状態。つまり尻上がり。理解したくないが、この時点で大方展開は想像できた。
当然、彼女の声は尻の間近から聞こえる。
「じゃあ、入れますねー」
どうしてこうなった! 心の中でレスリングされる光景を思い浮かべながら、でも変な袋被った連中と同じにされるのは5面いや御免だと、いや、でも鈴仙にされるのならそれはそれで……。
その響きは聞き覚えのあるもので、両手を前に組み下げている少女が私を待っているのが容易に想像できた。
「こ、こんにちは」
鈴仙・優曇華院・イナバ。里で薬売りをしている竹林に住んでいる謎の兎少女。
彼女がちょっとした病を患っている私の所へ薬を届けに来るようになって久しい。だが人見知りなのか、目を合わす事もなく、使用上の注意などお決まりの台詞を言い終えれば、さっさと逃げるように立ち去ってしまう。
だが今日この時、見下ろす私の視線は彼女の見上げる視線と初めて重なり、その事実に驚く暇もなく、私は彼女の紅い瞳に魅入られていた。
夜風が冷たいと感じ、漸く私達の時間は解けた。
しかし、言葉も動きも見られない。彼女の瞬きと私の吐く息の白さが、かろうじて時が流れているのを教えてくれる。
ひゅうと鳴る風の後で最初に口を動かしたのは、彼女だった。
「あ……あの」
「綺麗だ」
古典的な表現だが、ボンッと音がして彼女の白い耳、そして肌が真っ赤に染まった。
堪えきれずにとんでもなく恥ずかしい事を言ってしまったのだと、声が出てから自覚した私も、きっと彼女と同じだろう。風呂上がりでも無いのに嫌に顔が火照っている。
何事かを言い訳しようとして、
「い、いやその、そんなに深い意味があるとかじゃなくてだ。……その、女の子を褒める時の常套句とでも言おうかっていや別に世辞などではなく本当に純粋にそう思っただけで!」
「…………ふふ」
シドロモドロになる私を見て、彼女は口を軽く押さえて、少しだけ笑った。私が聞いた、最初の彼女の、感情の声だった。
その一秒にも満たない音には魔法でも宿っていたのか、私の奇妙な緊張感は無くなっていた。それは彼女も同じようで、
「ごめんなさい、つい」
「今のは笑っても仕方が無いさ。……それで、こんな時間に何か用ですか?」
「ええ。今日中に渡さないといけないものがありまして」
自分の記憶を探ってみるが、薬はまだ十分ある。特別症状が悪くなったわけでも、そもそも彼女に会うのすら、二週間は前の話だ。
なんなのだろうかと、次の彼女の言葉を待つ。
「よっと。……これを」
彼女が紺のブレザーの内側から取り出したのは、外の世界で見たような包装紙と、それに包まれた手の平大の四角く薄い箱だ。
赤いリボンがハート型に組まれているのを見て、脈拍が上がったような気がする。
「これは?」
その意味を勘違いしてはならないと言い聞かせながらも、期待に上擦る声でそう尋ねた。
鈴仙は両手で箱を持ち、私の胸に差し出して、
「えと、今日は確か――2月14日、ですよね」
「ああ。私のいたところでは、バレンタインデーの日だったよ」
「女の子が、男の人にプレゼントを渡す日だって、お師匠様が」
「……その先は、どういう相手にプレゼントをあげるのか……」
彼女は黙って、こくりと頷いた。
それきり彼女は俯いて顔を見せようとしない。だけどいつもは、へにょりと下がる兎耳は少女の頬のように真っ赤に染まり、強張っていた。
それだけで十分だ。
「…………」
漫画で見たような姿。学校の先輩に向かって、おじぎと言うには急角度すぎる上半身と、突き倒しかねないほど真っ直ぐ前に伸ばされた腕、その先には両手でしっかりと、プレゼントの入った箱やラブレターが握られている。
学生時代に一度も体験した事のない光景が、手を伸ばせばそこにある。
触れれば幻になってしまうかもしれないと一瞬躊躇して、
「――」
手にある重みは、チョコレートの香りを私の鼻の中に想起させた。
安堵する長い息が下から聞こえる。私は彼女が顔を上げる前にと、セロテープを剥がし、包み紙を破らないよう優しく開いていく。
中の箱は紙箱で、ロゴや装飾は無い。蓋を開けた中にハートの形を想像しつつ、右手で持ち上げた。
「…………? チョコ、ですよね?」
チョコレート色の座薬だった。いや、座薬型のチョコレートの方が正しいのか?
座薬兎呼ばわり反対派である私は、思わず彼女を見た。
「ええ、外の世界ではこうするんですよね?」
言うなりSUP(スーパーうどんパンチ)で壁際に吹っ飛ばされる。空中で三回転ほどして倒れた私は、何故か下半身で『お熱計りましょうねー』状態。つまり尻上がり。理解したくないが、この時点で大方展開は想像できた。
当然、彼女の声は尻の間近から聞こえる。
「じゃあ、入れますねー」
どうしてこうなった! 心の中でレスリングされる光景を思い浮かべながら、でも変な袋被った連中と同じにされるのは5面いや御免だと、いや、でも鈴仙にされるのならそれはそれで……。
前半の状況も見ないし、後半の状況も見ねーよwww
……え?いや、俺はいいよ別に。いいって、遠慮するって!