ひらひらと眩い粒が降り積もる地底の都。都の光が粉雪に触れ、肌寒い地底を強く暖かい色で染めた。
今日はバレンタイン。ここの住民もチョコを求めいつにも増して燃えている。という事はなかった。所詮はただの行事。バレンタインの存在を楽しみながらも、いつも通り皆で雪見酒を楽しみ、皆で笑い、皆でおつまみ代わりにチョコを頬張るだけであった。ヤマメは地底の人気アイドルなので、山のようなチョコを貰う事が出来た。勇儀もその豊満な体と鬼としての圧倒的強さに惚れる者は男女を問わず多かった。だから、彼女ですら片手でもてないくらいの大量のチョコを所有していた。そんな二人を見たパルスィ、彼女の性格なら当然の光景を見たら妬まがるだろう。しかし、今回は自分の頬をピンクに染めただ照れているだけだった。橋姫として橋を守る彼女は、多々として人目に付く事が多い。彼女は自分が想っているよりも、その容姿と仕事ぶりで周りの妖怪から人気があった。パルスィは自分の前にどっさりと積もったチョコを見て、勇儀とヤマメにからかわれながら「恥ずかしい……」と小さく呟くのであった。
都から外れた地霊殿。騒がしく、眩しい光を放つ都とは対照的だった。ここは侘しい静寂が似合い、優しい色で辺りを照らしてる。動物達の鳴き声が、静寂な地霊殿に響き渡る。その音色は心地よく、心を休ませるには丁度よい場所であった。ただ、その地霊殿の中では、その静けさに似合わない、明るく騒がしい三人の娘の姿があった。
「さて、確かお姉様は情熱の真っ赤が好きだったわね。ふふっ」
「正体不明の材料で作るチョコって斬新だよね!」
「お姉ちゃん、私のハートが詰まった心躍るようなチョコ、楽しみにしててね♪」
それはフラン、ぬえ、こいしの三人の娘であった。紅魔館の皆や、命蓮寺の皆に内緒で作るために、わざわざ地霊殿にまでチョコを作りに来たんだ。いつもの服の上に、それぞれに似合ったピンクのエプロンを付け、肘の上まで腕まくりをしている。表情はヤル気に満ち溢れており、とても楽しそうであった。さとりはそんな三人を見て嬉しそうに、楽しそうに、だけど笑いが隠せないように口を手で隠し話し出す。
「フランさんもぬえさんも、身内の人にはもう少し優しくしてあげなきゃ駄目ですよ」
楽しそうにする三人を見てもそうだが、さとりはフランとぬえが心の中で密かに、チョコに細工をしイタズラをする計画を練っていた事がおかしくて仕方が無かった。バレてしまった二人も照れ隠しをするように可愛く舌を出し、子供のように無邪気に笑う。
さとりは、二人がさらに心の奥に隠していた本音も読み取れたが、あえて言うのをやめた。照れ隠しのためにイタズラをする、不器用な二人の心を、馬鹿にするつもりは無かったから。
「じゃあお姉ちゃん、キッチンを借りるわね」
さとりは意気揚々と部屋を出て行く三人を見送ると、小さなイスに腰をかけ一息つく。外ではまだ、雪はやむことを知らずひらひらと舞っていたが、部屋の中は暖房が効いていてとても暖かかった。
二人の心を見たとき、さとりは言おうかどうか迷った事がもう一つあった。それは、こいしも自分に対してイタズラをする気があったかどうかだ。意識を支配するさとりも、無意識を支配したこいしの心は読めなかった。だから昔なら、不安から迷わずさとりはこいしに聞いただろう、自分に何かするつもりなのかどうか。しかし、今は迷った、こいしの変化を感じたから。意識しか感じる事の出来ないさとりが、こいしを感じる事が出来たから。
さとりはこいしも同じく不器用だという事を知っていた。不器用だったから、こいしは第三の眼を閉じた。「サトリ」として皆から恐れられる義務感と、「こいし」として皆から好かれたい想いが衝突し、その結果心を閉じてしまった。不器用だから、他の解決策が浮かばなかった。
嫌われる事を恐れたこいしに対して、さとりは昔は口やかましく「妖怪としての勤めを果たしなさい、「サトリ」としての自覚を持ちなさい」と言ってきた。妖怪は、「サトリ」は嫌われて当然だと、さとりはずっと想ってた。だから嫌われる事から逃げるこいしを、落第生だと想ってた。誰からも味方が居なくなったこいしが、心を閉じるのは、当然時間の問題だった。それをさとりは、相変わらず逃げだと、心が弱いと哀れに想う事しか出来なかった。
さとりは他人の心を支配してると自負していた、だから心の読めないこいしは、もう心が無いと断定した。そして、こいしの第三の眼がまた開けば、こいしの心も開くだろうとさとりは想った。だから、さとりはいろいろな事をやった。ペットを与えたり、励ましたり、愛情を与えたりして、こいしと接しようとした。さとりは頑張ったつもりでいた。努力していたつもりでいた。こいしの心を理解しないで、第三者を気取っていたのに。唯一味方になってあげなきゃいけない、姉なのに。
結局、こいしの心を開いてくれたのは、心を支配するさとりではなく、こいしと一度会っただけの地上の人間であった。こいしと真正面からぶつかってくれた、あの人間達であった。こいしの心が開きかけたのを悟ったさとりは、今しかないと想い、さらにこいしと接して第三の目を開こうと頑張った。それでもこいしの第三の目は開かない、まだ足りないとさとりは落胆した。そしてその後、こいしの事を想ってくれる友達も出来、さっき見たこいしは本当に楽しそうであった。それでもまだ第三の目は開かない。だから、さとりはもう、落胆するのをやめた。こいしの第三の眼を開こうとするのをやめた。つまり、そういう事なんだ。最近、真正面から他人をぶつかる事を教わったさとりは、意識だけが心じゃない事を知った。こいしとちゃんと触れ合って、自分が心の事を全然理解してない事を、支配していない事を知った。だから、今ならこいしが第三の目を開ない理由がわかる。それは……、
「さとり様? 大丈夫ですか? コーヒーを持ってきましたよ」
お燐の声にさとりはハッと顔を上げる。物思いに耽っていたせいで、お燐が目の前に来るまで気が付かなかったようだ。俯いていたさとりを、お燐が心配そうな顔をしてみる。さとりの体調が悪い、そうお燐は思ったのだろう。
「大丈夫よお燐、ありがとう」
さとり心配をさせないよう無理に作り笑いをし、お燐が持ってきたコーヒーを受け取る。ほのかにコーヒー豆独特のほどよい香りが辺りを漂う。そのコーヒーの隣には、角砂糖が4つ置いてあった。しかし、さとりの持っているコーヒーの量を見ると明らかにその角砂糖は明らかに多かった。だが、お燐が分量を間違えたわけではない。さとりは、苦い味が嫌いだった。だから、長年さとりはそのコーヒーに角砂糖を多く入れ、まったりとした甘い味を楽しんでいた。しかし、今日はなぜか角砂糖を入れないで、そのままブラックでコーヒーの味を堪能しだした。
それを見たお燐は当然不思議に想う。さとりが苦いのが苦手な事は長年付き添ってきて知っていたから。だからこそ、角砂糖を4つも持ってきたのに、ひとつも入れずに飲んだことに、驚いた。
「ブラックも、これはこれで苦くておいしいわね」
疑問に想うお燐を横目に、さとりはおいしそうにコーヒーの味を楽しむ。苦味も甘みもどっちも同じ味覚の中のひとつだ。だから、甘みを完全に理解したからと言って、味覚を理解したことにはならない。苦手だからと、苦味から逃げ続けていたら、一生味覚を理解する事は出来ない。ちゃんと接しなければ、その味を理解する事が出来ない。さとりが長年飲んでいるそのコーヒーだって、無理に甘みを足した所為で、今までさとりは本当にその味を理解することが出来なかった。苦味の中にある旨みを、さとりは知ることが出来なかった。苦味は味なんだ、甘みも味なんだ。甘みが無いからって味が無いわけじゃない。苦味しかないからって、味が無いわけじゃない。どっちも、その物の良さがちゃんとある。それをさとりは、長い年月をかけて、やっと知る事が出来た。
「それと、さとり様……。これも……」
モジモジと恥ずかしそうにチョコを持つお燐を見て、さとりは嬉しそうに微笑み、それを受け取る。さとりは、心が読めるからお燐がチョコを渡そうとしてた事なんて初めからわかっていた。だけど、さとりはあえてそれを言う事は無かった。お燐が自分で渡してくれるまで、待っていた。そのほうが、嬉しかったから。なんとなく、その行為に恥ずかしくなるさとりだったが、これも無意識から来る気持ちなんだよね、となんだか嬉しくもなった。
「ありがとうお燐、私からもこれ」
さとりはお燐からチョコを受け取ると同時に、予め作っておいたチョコを手渡す。さとりはお燐、お空、こいしの三人分だけのチョコは作っていた。それより多くはいらないだろうとさとりは想っていた。嫌われているのは自覚しているから、それより多く作っても余ってしまうだろうと、さとりはわかっていた。
お燐のチョコは形は不器用ながらも、頑張って作ったという事は一目見てわかる出来であった。さとりはそれを一口食べると、甘くとろけるような香りが口の中に広がった。そしてさとりは、コーヒーを口に入れる。チョコの優しい甘さと、コーヒーの強い苦さが丁度良くあって、とても美味しかった。
「本当においしいわ、ありがとうお燐」
さとりが微笑むと、お燐はさらに照れくさそうに尻尾を揺らす。
さとりは甘味も苦味も理解して、愛する事にした。本来の味覚を、楽しむ事にした。もう無理に、味を足して壊すのを、やめる事にした。
「お姉ちゃん、私のチョコ出来たよ。食べてみて♪」
しばらくして、こいしが一番乗りで嬉しそうにキッチンから飛び出してくる。後の二人はまだ苦戦しているようだ。出てくる気配が無い。こいしはさとりの前までくるくると楽しそうに回りながら近づき、そして目を回してさとりの膝へ倒れ掛かる。
「うー、世界がぐるぐると回るよー」
目をぐるぐると回すこいしを見て、さとりはこいしらしい、と楽しそうに笑う。こいしの手には、大事そうに持ったハート型のチョコがあった。それをさとりは受け取る。最初の頃さとりは、こいしが自分にイタズラをするのでは無いかと聞こうと思ったが、もうそれはやめた。そしてさとりは、こいしのチョコを頬張った。
「うん、苦いわね」
こいしのチョコを食べたさとりの感想はそれだった。それを聞いたこいしは、嬉しそうにさとりの方を見る。やはりイタズラだったのだろうか、こいしは、さとりに苦いものを食べさせて不味い顔をするのが見たかったのだろうか。しかし、さとりは、
「苦くておいしいわよ、ありがとうこいし」
と、そのチョコを美味しそうに食べながら、膝の上で猫のように乗っかるこいしの頭を撫でる。こいしは、イタズラが失敗して残念がるわけでもなく、さとりが美味しそうにチョコを食べるのを、本当に嬉しそうな顔で見る。さとりは、嫌がらせでチョコを苦くしたんじゃない事を、こいしの表情を見て改めて理解した。苦味も美味しいんだと、理解した。
こいしの心の声は相変わらず聞こえなかったが、嬉しそうにするこいしを見て、さとりはこいしの心を理解した。もうとっくに、こいしの心は開いてたんだという事を、理解した。
無意識を選んだこいしは、心を捨てたんじゃなくて、心を取り戻そうとした事を理解した。第三の眼を捨てたこいしは、妖怪としての義務感を捨て、皆から愛してもらう事を選択した事を理解した。無意識を愛することで、心を理解しようとした事を理解した。無意識だって、心なんだと、本当に理解した。だからさとりは、無意識を愛した、こいしの心を、愛する事にした。だから私は、第三の目を捨てたこいしを、愛する事にした……。
さとりとこいしがお互いのチョコを堪能してしばらく経つと、ドンドンとドアを叩く音がしてきた。さとりは膝に乗っかっているこいしを一旦降ろし、その訪問者のためにドアを開けに行った。もう外は暗く、雪はさらに勢いを増して舞っていた。今更地霊殿に来るのなんてお空しか居ないだろうと、さとりは想った。
「さとり様―、ただいま帰りましたー!」
頭に羽に雪をいっぱい溜めながら、元気よくドアを開けて地霊殿に帰って来たのは案の定お空であった。雪くらい払えばいいのに、そう想ったさとりであったが、すぐに出来ない理由に気が付く。お空の手が塞がっているから。手にいっぱいのチョコを持っていたから。ドアも多分、足でドンドンと叩いたのだろう。
「お帰りなさいお空。いっぱいチョコを貰えてよかったわね」
寒そうにするお空を部屋の中に入れる。頭に雪を溜めながら、相変わらずお空は寒そうにする。その雪を、さとりが丁寧に払ってあげる。暖かい室内で大量の雪を落とした所為で、高そうな絨毯を濡らしてしまったが、さとりは特に気にはしなかった。
「うにゅ、ありがとうございますさとり様!」
雪を払ってもらったお空が嬉しそうにする。そして、さとりが聞いてもいないのに、自分の貰ったチョコの事を楽しそうに話し出す。どうやらそのチョコは、お空が最近出稼ぎに行ってる地上の皆から貰ったようだ。本当に嬉しそうに話すお空を見て、さとりも胸を下ろすような顔で見る。正直な所、さとりはお空を始めとする地霊殿の者が皆に受け入れられるとは想っていなかった。自分達が嫌われ者の自覚はあったから。だけどこの子はもう受け入れられてるとわかって、さとりはほっとした。
こいしも、お空も、お燐もみんな幸せそうで本当によかった。嫌われ者は、私だけでもう十分だから。さとりは心の底から思った。
「あっそうださとり様、私の他にもお客さんが来ますよ」
「え?」
お空は、雪が強く舞い上がる外を指差した。さとりは驚いたような顔で、もう暗くなった外を凝視した。そこには、お空と同じくらい大量に雪を頭に被り、寒そうにしながらも暖かく笑う数人の妖怪達が居た。大量のチョコとお酒を手に持つヤマメ、パルスィ、勇儀達の姿がそこにあった。さとりはその三人の意識を読み、やれやれ来年はチョコを多めに作らなきゃと苦笑いをし、無意識に涙を頬に垂らした。酸味も悪くない、そうさとりは笑った。
仕掛けたくて仕方ないんですね。
どっちに転んでも不思議じゃないなw
ブラックコーヒーの『苦味をごまかしていては本当の良さを知ることはできない』のくだりが物凄い好きです。
さとりんが苦味を我慢して嚥下する光景を想像したらなんだか心臓バクバクしてきたww
妬まないパルスィなんて…、ありだな。
出だしのパルスィの恥ずかしがる姿を見て見たい。
幸せを感じられるなら第三の眼なんてどうでもいいことなんですね。
さっさとチョコを作るが良いわ!忙しくって泣いちゃえば良いわ!
二人の心を見抜いて優しく諭すさとりのお姉様っぷりにぞくぞく。