この上ない晴れ模様に恵まれた今日、幻想郷は騒がしく活気に満ちていた。
バレンタインデー。
一体、何故に女性が意中の相手にチョコを送る日になったのやら、その風習はこちら幻想郷でも変わらず半ばお祭り騒ぎ。
それはそれは、店頭にはカカオが並び、ところによってはチョコレートが並びに並ぶ、年に一度のチョコの祭典状態だ。
さて、そんな世間の風習に流されがちな幻想郷ではあるが、ここ紅魔館でもバレンタインデーになるとお祭り騒ぎである。
レミリアは大手をふるってパーティーを開くらしく、妖精メイドたちはおろか、シフト外の暇な門番隊も借り出される始末。
さて、そんな中でもっとも忙しいのは彼女、十六夜咲夜だろう。
年のころは十代後半、シャギーの入った鮮やかな銀髪は肩口で切りそろえられ、サファイアのような瞳はやや大きなツリ目がち。
出るところは出て、引っ込むところは引っ込むとスタイルもよく、時々こぼれる天然ボケさえなければ欠点のない瀟洒なメイドである。
時を操る能力を持ち、それゆえに余り役に立たない妖精メイドの代わりに家事全般を一手に引き受ける多忙な少女だ。
だからこそ―――ちょうど門番として紅魔館の門にいた、紅美鈴にとっては彼女がここに来たことが予想外だった。
今頃忙しく走り回っているであろう少女の姿が目の前にあることに、美鈴はポカンとした様子で彼女を見つめるが、咲夜はシレッと涼しい顔だ。
「あぁ、丁度よかったわ。はい、コレ貴女の分ね」
そして、軽い口ぶりでぽんっと手渡されたのは、包装紙に包まれた長方形の小さな包み。
確認するまでもない、明らかにそれはバレンタインデーのためにと用意されたチョコレートだ。
毎年の恒例行事。この時期になるといつも決まって、彼女から手作りのチョコレートをもらうのは当たり前のことになっていた。
しかし、今日はただでさえ忙しいのだから自分にかまっている暇はないだろうと思っていたのだけれど、わざわざこうやって足を運んで私に来てくれたらしい。
それが嬉しくて苦笑していると、咲夜はムッとした様子で美鈴をにらみつける。
「何、いらないの?」
「いえいえ、そんなことありません。わざわざありがとうございます、咲夜さん」
「ありがたいと思うのなら、門番の仕事ももうチョット真面目にこなしてくれると嬉しいのですけどね」
「あはは、耳が痛いですねぇ」
チョコを受け取って、何処か苦い顔をして笑う美鈴を見て、咲夜は小さくため息をつく。
彼女は、昔からこうだ。自分が何度言っても門番としての態度は微妙なままだし、昼寝をしているところなんてしょっちゅうだ。
ここに引き取られて、レミリアに拾われて間もない頃からずっと一緒だったから、よく知っている。
「本当、本気を出せば私よりも強いくせに。どうして貴女はいつもそうなのかしらね」
「本当に必要だと判断すれば、私だって本気にもなりますよ。ただ、今の幻想郷が良くも悪くも平和なんですよ。
咲夜さんがここに住み始めてから、それはより顕著になりましたし。今はお嬢様の命を狙おうなんて不届き者はほとんどいませんからねぇ」
のほほんとした様子で語りながら、美鈴は「よっこいせ」と門構えに腰をおろした。
門番がそんなに気を緩めてどうするのよ、と思いはしたが、どうせ聞くまいと代わりにため息をひとつつく。
昔からそうだ。彼女は自分の言うことを何でも受け流して、へらへらと笑って。
その笑顔がたまらなく気に入らなくて、その笑顔を歪ませてやろうとバレンタインデーという行事を利用したのは、幼心ながら捻くれていたものだ。
何処とも知れぬ野良犬のような咲夜をレミリアが拾い、それから一年とたっていない彼女がまともな料理など作れるはずもなく。
そうして出来上がったのは、歪でぐちゃぐちゃの不出来なチョコレートだ。我ながら、あの時の出来は完全に黒歴史だと思う。
見た目からしてすでに不味いとわかる不揃いな形のチョコレート。それを満面の笑顔で、してやったりと笑いながら彼女に手渡したのを、今でも鮮明に覚えている。
とても食えたものじゃない。カカオ99%なんて表記されたモノを基に作った代物なんて、苦くて不味くてたまらなかっただろうに。
―――うん、おいしいよ咲夜。きっと咲夜は料理上手になれるわね。
そんな言葉を、彼女は笑顔で紡いでくれた。
嬉しかった。本当に、何物にも変えがたいくらいに、その時の喜びを覚えてる。
笑顔を崩せなかったと悔しくて、だけどそれ以上に嬉しくて。
けれど、素直に認めてやるのが悔しかったから、彼女はフイッと顔を背けたけれど、美鈴には気付かれたのかクスクスと苦笑された。
それが恥ずかしくて、「笑うな!!」なんてぽかぽか叩いて、「次は絶対悶絶させてやるんだから!!」なんて捨て台詞を残して去っていったのも、今ではいい思い出だ。
それからというもの、バレンタインデーは彼女にとっての戦争に取って代わった。
毎年この時期になれば闘志を燃やし、彼女のその笑顔を突き崩してやろうとあの手この手で様々なチョコレートを作ることになる。
それが、結果的に彼女の料理の腕の向上に繋がったのは、なんとも皮肉な話ではあるのだけれど。
「あら、それはいいことね。お嬢様に危害を加える奴が来たなら、その時は本気を出すのでしょう?」
「もちろんです。それにですね―――もし、咲夜さんの命を狙ってる輩が現れたりしたら、私はその時も本気になっちゃいますよ」
―――あぁ、本当はわかっていたんだ。
その笑顔が気に入らないなんて、そんなの建前だ。
へらへらして不真面目な態度が気に入らないなんて、そんなの自分すらも騙せない嘘。
本当は、彼女に―――心のそこからおいしいって言ってほしかったのだ。
あの時の笑顔が忘れられない。あの時、美味しいっていってくれた喜びを、忘れられない。
あんな不出来なチョコレートじゃなくて、ちゃんと作ったチョコレートで、本当のおいしいが聞きたかった。
だから毎年毎年、いつも躍起になってチョコレートを作ったのだ。
そして今年も、こうやってわざわざ忙しい時間の合間を縫って、直接彼女に手渡しに来ている自分がいい証拠だ。
「私、あなたに守られるほど弱くはないわよ」
「それでも、ですよ。私にとっては、咲夜さんはいつまでたっても子供なんですから」
アンタは親か。と咲夜は内心で愚痴のように思って、けれど、不思議と悪い気はしなかった。
それが嬉しいと感じながらも、でも決して口にしない。今も昔も、自分はあいも変わらず捻くれていると感じて、彼女は苦笑する。
「あー、子供といえば。この日になるといつも思い出しますよ」
「……何を?」
「咲夜さんが初めてチョコレートを作ってきてくれた日の事ですよ」
嫌な予感がして聞いてみれば、それは案の定だ。
美鈴は相変わらず笑顔のままで懐かしそうに言葉にするが、咲夜にとってはたまったものじゃない。
あの日あの時の出来事は、料理の腕、美鈴への態度共に忘れたいランキングベスト3に入る黒歴史だ。
「ちょ、あの時の話はしないでよ美鈴!!」
「あはは、素が出てますよ咲夜さん。いいじゃないですか、あの時は咲夜さんちっちゃくて可愛かったですし、あの時の態度もむしろ可愛らしかったですよ」
恥ずかしさの余りに、一瞬で顔が茹蛸みたいに真っ赤に染められる。
羞恥心が底からどんどんこみ上げてきて、うわー!! っと叫んで吐き出してしまいたい衝動に駆られた。
顔を真っ赤にして、途端におたおたと挙動不審になった彼女を見て、美鈴が楽しそうにくすくす笑っていたが、咲夜にとってはそれも気にならない。
穴があったら入りたい。あ、でも入ったら余計に恥ずかしい。なんて思考がぐるぐると回る。
「な、何笑ってるのよ美鈴っ!!」
「いえいえ、微笑ましいなぁと思いまして。最近、咲夜さんってなかなか素の自分って見せてくれないですし」
「っ!! あの時のことは忘れなさい美鈴! 今すぐに、早く!!」
「ありゃ、いつもの咲夜さんに戻っちゃいました。残念です」
「うるさいっ!!」
誤魔化すように怒鳴りつけてはみたが、赤くなってしまった顔はどうがんばっても誤魔化せなくて。
言葉こそ違うが、まるであの日の焼き直しのようだ。
ムーッと彼女をにらみつけて見るのだけれど、やっぱり美鈴は堪えた様子もなくニコニコと満面の笑顔。
「いいじゃないですか。子供の頃の思い出って大事ですよ?」
「モノにもよるでしょう! あの時の態度だって子供っぽかったし、それにあの時貴女に作ったチョコレートなんて、不味くて食べれたものじゃ―――」
「おいしかったですよ」
咲夜が皆まで言い切るよりも前に、美鈴は優しく言葉にした。
言いかけた言葉が、喉の奥に解けて消える。
一瞬、美鈴が言っていた言葉の意味が判らなくて、咲夜は少しの間だけ目を瞬かせた。
美鈴はただあの時のように満面の笑顔で、言葉を紡ぎだす。
「咲夜さんが初めて作ってくれた料理なんです。おいしいに決まってるじゃないですか」
あぁ、本当に。どうしてコイツはこんなにもいい笑顔で、そんなことを言えるのだろうか。
そんな笑顔で、そんなに嬉しそうに言われたら、これ以上何もいえないじゃないか。
顔が熱を持ったように熱くなって、一瞬だけ思考が真っ白になって何も考えられなくなる。
本当に、いつもいつも美鈴はずるいと、咲夜は思う。
そんなに嬉しそうに、おいしいなんていうから。
そんなに楽しそうに、笑っていてくれるから。
自分はこうやって、時間を無理に作ってでも彼女に手作りを渡したくなってしまうんだ。
いつから心の変化があったのかは、もう覚えていない。
けれど、そんなことどうでも良くなるくらい、彼女の笑顔と言葉が嬉しいから。
時間も手間も疲れも、何もかも忘れてしまえるくらいに―――幸せになれるから。
「―――ッ! 私はもう戻るから、門番の仕事しっかりね!」
「はいはーい」
「ハイは一回!!」
怒鳴りつけて、真っ赤になった顔を隠すように足早に咲夜は館に戻っていく。
その後ろ姿を眺めながら、美鈴は可笑しそうにクスクスと苦笑した。
包装紙を丁寧に解いていけば、丁寧に作られたチョコが姿を現す。
美鈴の名前が掘り込まれ、様々な絵柄が彫られて高級感漂うチョコレートは、間違いなく咲夜の手作りだ。
毎年毎年、どんどん手が凝っていってるなぁなんて苦笑しながら、美鈴はポツリと言葉を零す。
「どんなに瀟洒な仮面を被って取り繕っても、今だって可愛らしいですよ、咲夜さん」
くすくすと笑って、あーんとチョコを一口頬張る。
カリッと噛み砕いて、舌に独特な味わいが広がっていく。
あの時と同じビターチョコ。けれど、格段に進歩したそのチョコを味わいながら、美鈴は昔を思い出して懐かしそうに目を細める。
カリッと、もう一口。晴天快晴、今日も今日とて紅魔館は平和そのもの。
バレンタインデーパーティーが始まるのはまだまだ先。遠目にはちらほらと参加者が集まりだしているのが見て取れる。
幻想郷の連中も現金なものだ。お祭り騒ぎとあれば何処からでも集まってくるのだから、咲夜の仕事は今日も忙しかろう。
今日の「おいしい」はまだまだお預けかなぁなんて思って。
「楽しみは後にとっておきますか」と思い直した美鈴は、何処か満足そうに笑みを浮かべたのだった。
茹蛸咲夜さん可愛すぎる
どんどん来てください
全て消化してみせます
咲夜さんかわええ
ていうか、咲夜さんがマジで乙女ですね///
もう二人でずっといちゃいちゃしてればいいと思いますよwww