※タイトルに書いてある通りです。意外性や過度な期待は禁物。
地底の宴会には、はっきりとした終わりというものが存在しない。
幻想郷の宴会自体その気になればいくらでも続けられるものである事に加えて、地底には昼と夜の区別が無いことが主な原因で。
確かに形式的には時刻が存在しているが、あくまで形式的なもの。せいぜい待ち合わせに使われる程度だ。
故に地底で一度宴会が始まれば、そうそう終わる事は無い。
誰かが酔いつぶれている間に他の者が加勢し、加勢した者が酔いつぶれる頃に最初につぶれた者が目を覚ます…そうして宴会は際限なく続けられる。
そんな面子の入れ替わりが激しい宴会なのだけど、そこに一貫して、酔いつぶれる事無く居続けられる種族が一種だけ存在する。
それは鬼だ。
決して酔いつぶれる事の無い鬼。だからこそ地底の宴会を取り仕切り、盛り上げる事ができる。
そしてこの日も、その鬼は数多の妖怪に飲み勝負を持ちかけられ、ことごとく全員を前後不覚にまで追いやり、妬ましいまでの歓声の中さらに酒を飲み続ける…はずだった。
そのはずだったのだが。
何の因果か冗談か、その日の地底には見事に酔っぱらった鬼がいた。
ちなみにその鬼、名前を星熊勇儀という。一応……私の恋人。
◇ ◇ ◇ ◇
地底のどんちゃん騒ぎが行われている場所からいくらか遠ざかったあたりの少しだけ細い道。
両脇には民家が並んでいて、少しだけ閉塞感を感じる。
今は皆宴会の騒ぎの中にいるため、普段はそれなりに人通りのあるこの道も今は静かだ。
遠くに響く妖怪の騒ぎ声を背に、私と勇儀はそこを歩いていた。
私はしっかりとした足取りで。
しかし、勇儀は誰がどう見ても立派な千鳥足だった。
「ふはは、すっかり酔っちまった。」
勇儀がまるで他人事のように大欠伸を一つ。そこから酒臭い息が漏れだした。
ちなみに私も呑んではいたが、しっかり意識は保っている。
酔っぱらった勇儀を自宅へ送るために一緒に宴を抜けたが、今はその酔っぱらいがからころと下駄の音を響かせて先を進んでいる。
ザルを通り越してまるで筒抜けているかの様に大酒を飲む鬼が、何故こんなにも酔っぱらってしまったのか。
と、一生に一度でも見れそうにない光景を目の当たりにしながらも、私は呆れてため息をつく。
「はぁ…こんなにもなっちゃ、『力の勇儀』なんて名前もあったもんじゃないわね。」
「んー?何か言ったかい?」
勇儀が赤ら顔のまま振り向く。
「鬼のくせに、こんなになるまで酔っぱらってだらしないわねって言ったのよ。」
あえて先ほどよりも棘のある言い方に変えて、私は勇儀を睨みつける。
「ははっ、ごもっともだ。」
悪びれもせず、勇儀は苦笑する。
「でも、だからこそかねぇ。」
突然、真っ赤な顔を近づけて、勇儀が私の顔を覗き込む。
「な、なによ。」
吐いてくる息が酒臭い。こっちまで酔ってしまいそうだ。
「酒のせいかな。なんだかパルスィが……」
目を細めて勇儀がじっと見つめてくる。その表情につい鼓動が大きくなってしまう。
ま、まさか『いつもより可愛く見える』だとか恥ずかしい事言う気じゃないでしょうね。
ああもう、誰が見てるかも分からないところでそんな台詞が言えるあんたが妬まし…
「三人に見える。」
「酒のせいね。」
表情を消して額に青筋を浮かび上がらせる。期待した私が馬鹿だった。いやまず期待してないし。
怒りで歩調を速めて勇儀の先を歩く。
「おー?パルスィー?どしたのー?」
いつも以上に間延びした、すこしおどけた声で呼びかけながら勇儀が後を追ってきた。
「どうもしてない!さっさと帰るわよ!」
「おやおや…怒らせちゃったか。」
勇儀が私の肩を抱き、笑いかける。
「怒ってたって楽しくないだろう?機嫌直しておくれ。」
「誰のせいよ……。」
俯いて静かに怒る。俯いているから勇儀の顔は分からないが、きっと困ったような顔なのだろう。
「じゃあどうして怒ったか教えてくれないかい?」
「……やだ。」
そっぽを向いて拒否してやる。『殺し文句を期待してました。』なんて言えるほどバカ正直でもないのだ。
……だから期待自体してなかったっての。
きっと実際に言われていればそれはそれで怒っていただろう。つくづく私も我が儘だと思う。
「素直じゃないねぇ……」
参ったなぁとため息をこぼす勇儀。さっきまで上機嫌だったというのにもうしょげてしまっている。
酒で感情の起伏が大きくなっているのだろうか。
「もっと素直になってくれたら良いのに。」
「素直な私……ねぇ。一体どんな水橋パルスィなのかしら。」
自分でも想像出来ない。というか、妬ましいときは素直に妬ましいと言っているし、私は私でそこそこ素直にしていると思うのだが。
「そりゃあ、素直な水橋パルスィだろう。素直ってのは素直って言葉以外に言いようがないさ。」
「じゃあ、例えばどんな行動をとれば素直だと言えるのかしら?」
この私の問いに、にっこりと笑って勇儀が答える。
「んー、抱きついて甘えてきてくれたりしたら文句ないねぇ。」
「何よ、結局自分の願望じゃない。ばかばかしい。」
……こんな他愛もない会話をしながら一緒に暮らせることが幸せだ、とは口が裂けても言えないあたり、それほど私は素直じゃないみたいだ。
◇ ◇ ◇ ◇
そして、
「腹減った。」
無事に勇儀の自宅について、開口一番がそれだった。
酔うと人妖問わず我が儘になるものだ。パルスィの手料理が食べたい、食えないならパルスィを喰う、とまで駄々をこねられ、流石に酔っぱらいに喰われるのは嫌なので渋々私は台所に立った。
作るのはお粥だ。
もっとボリュームのあるものが良い、と文句を言われそうだが、どうせ宴会ではつまみもろくに食べずに酒ばかり飲んでいたに違いない。
ならば消化に良いものにしないとすぐに胃が音を上げてしまう。
くつくつと小気味良い音が鍋からしてきたので、器によそう。漬け物と一緒にお盆に載せて、勇儀のいる居間へと持っていく。
そして居間には私の料理を待ちに待っていた勇儀が目を輝かせて……いなかった。
「あらら……。」
そこにはあられもなくお腹を出して仰向けになって、大きないびきをかいている勇儀がいた。
まったく、人に食べ物を注文しておいて待ってる間に夢の中だなんてその傍若無人さが妬ましい。
一度卓袱台にお盆を置いて、勇儀を揺すり起こす。
「ほら、勇儀。料理出来たわよ。」
んむぅ、と、一度唸って身じろぎするも、目は覚まさなかった。
少々強めに揺すっても、起きる気配は微塵もない。
「困ったわね……。」
勇儀の脇にしゃがみ込んでその寝顔を眺める。
「本当に寝てるのかしら……。」
試しに頬を突っついてみた。
ぷにっ。
ぷにっ。ぷにぷにっ。
……起きない。いや、それよりも。
柔らかい。予想以上に良い感触で手が止まらなくなる。
まるで子供の頬のように勇儀のそれは張りと弾力に満ちていた。
体躯は大きく、それでいて女性らしい起伏に溢れている上にこんな肌をしているなんて、本当に妬ましい。
でも今はその嫉妬心が霞んでしまうほどにこの感触の虜だ。実に気持ちいい。
飽きもせずにぷにぷにと頬を突っつき続ける。
「きっと子供が悪戯をしてる時ってこんな気分なのね……。」
もっといろんな事をしてみたいという好奇心、もし見つかったら、という不安と焦り。
その焦りが好奇心と混ざり合って、「早く何かしなければ」と私を追い立てる。
でもその追い立てられている緊張感がとても楽しくて、私は口元が勝手に歪むのを感じながら頭をフル回転させていた。
「何か……何か……。」
勇儀のこの感触をより楽しめる方法はないだろうか。片っ端から思いついては却下する。
頬以外の場所を突っついてみたい。しかし勇儀は意外とくすぐりに弱い。下手をすればすぐに起きてしまうので却下だ。
突っつけないならどうする?蹴るか?そんな馬鹿な。
蹴れないなら当然だが足も使えない。どうしたら良い?
ならずっとこのまま突っついていようか。いやいや、それも面白くない。
何かもっとこう……全身でこの感触を楽しめるような……。
「ん?」
全身で?何かそれっぽい言葉があったような気がする。
必死に思い出そうとしている所で、突然勇儀が身震いした。
「んっ……。」
「……!」
起きたか、と一瞬身構えたがまたすぐに勇儀は寝息をたて始める。
思えば布団の一枚も勇儀は掛けていない。鬼が風邪を引く事など滅多にないが、寒いままというのも気の毒だ。
悪戯については一旦保留にしておいて、押し入れから掛け布団を探し出し、勇儀の寝ている所まで抱えて行く。
そして布団を掛けようとして、勇儀の顔を見たその時だった。
私の頭の中に帰り道での会話がフラッシュバックする。
『もっと素直になってくれたら良いのに。』
『素直な私……ねぇ。一体どんな水橋パルスィなのかしら。』
『そりゃあ、素直な水橋パルスィだろう。素直ってのは素直って言葉以外に言いようがないさ。』
『じゃあ、例えばどんな行動をとれば素直だと言えるのかしら?』
『んー、抱きついて甘えてきてくれたりしたら文句ないねぇ。』
…………いや、いやいやいや。それは無い。
頭では否定しつつも、その一方でこの案には抗い難い魅力があった。
あまり強くしなければ抱きついても起きる事はない。それに指先だけでさえあんなに気持ちよかった勇儀の肌。
全身で抱き締めたらどれほど心地いいだろうか。
ばれにくい上に最高の結果。こどもの悪戯に比べれば素晴らしいものではないか。
しかし、これをするにあたって一抹の不安がある。
ばれた時に非常に恥ずかしいのだ。
いやいや、落ち着いて考えよう。ばれないなら良いじゃないか。ばれないなら恥ずかしい思いをする事もない。
そっと勇儀に抱きついて、勇儀が起きないうちにさっさと離れてしまおう。
そう。全ては勇儀の眠っているうちに。
よし、と意を決して勇儀に近づく。もはやお粥の事など頭にない。
だんだんと勇儀と私の距離が狭まる。そして、
ぎゅ。
「――――っ。」
勇儀の背中に手を回して、体を密着させる。
まさかこれほどとは。幸福感で胸がいっぱいになる。
どこぞの式の九尾の狐の尻尾は素晴らしい触り心地だと聞くが、きっと勇儀には敵わない。
普段勇儀の方からくっついてくる時は、思いっきり抱き締めてくるものだから、勇儀の体に力がが入っていて固い感触しかしないのだ。
だから今みたいに緩みきっている勇儀の体の感触は初めて知るもので、とても新鮮で心地良かった。
勇儀の背中に手を回して、しっかりと抱き締める。
「癖になりそうね……。」
もうちょっとだけ、もうちょっとだけ。
そう思っている内に、私の意識はだんだんと夢の中へ向かって行った。
ふと目が覚める。まだ覚醒しきっていない頭で時計を見ると、寝てしまう前から半刻ほど経っていた。
勇儀は相変わらず寝息をたてていて、もし起きていたらと思った私は心底ほっとした。
もうちょっとだけくっついていたい気分になる。
しかし、この状態で勇儀が起きてしまえばこの水橋パルスィ一生の恥。
勇儀が目を覚ます前に離れて、勇儀を起こさなければ。
先ほど揺すっても起きなかった勇儀をどうやって起こすのかはとりあえず置いといて、抱き締めている手を離す。
そのまま体をずらして勇儀から離れ……?
少し私の体に違和感が生じる。
体をずらそうとすると背中に抵抗を感じて動けない。
気付けば背中には勇儀の腕。
もう、嫌な予感しかしない。
「……勇儀?」
返事はない。代わりに勇儀の口元が少しだけ歪んでいる。
「寝てるの?」
やはり返事はない。鬼は嘘をつけないはずだが、黙秘は許されるのだろうか。
「……寝てるのね?」
最終確認。やっぱり勇儀は返事をしない。
私は分かりやすくため息をついて、観念したように声を出す。
「……寝てるなら、もう少しくっついてても良いかしらね。」
途端に背中の違和感が大きくなる。調子のいい鬼だ。
いやいや、相手は寝ているのだ。調子の良い悪いも関係ない。
そう、なにしろ相手は寝ているのだ。
「……勇儀。」
勇儀の腕がピクリと動く。しかし勇儀はまだ目を閉じている。
「私ね、」
少し強めに勇儀にくっつく。それでも勇儀は目を覚まさない。
寝ている相手になら何を言っても聞こえないはず。
何を言ってもそれらは全て、独り言。
「こんな風に一緒に暮らせることが、すごく幸せなの。」
起きている相手にはこんなこと口が裂けても言えないあたり、それほど私は素直じゃないみたいだ。
地底の宴会には、はっきりとした終わりというものが存在しない。
幻想郷の宴会自体その気になればいくらでも続けられるものである事に加えて、地底には昼と夜の区別が無いことが主な原因で。
確かに形式的には時刻が存在しているが、あくまで形式的なもの。せいぜい待ち合わせに使われる程度だ。
故に地底で一度宴会が始まれば、そうそう終わる事は無い。
誰かが酔いつぶれている間に他の者が加勢し、加勢した者が酔いつぶれる頃に最初につぶれた者が目を覚ます…そうして宴会は際限なく続けられる。
そんな面子の入れ替わりが激しい宴会なのだけど、そこに一貫して、酔いつぶれる事無く居続けられる種族が一種だけ存在する。
それは鬼だ。
決して酔いつぶれる事の無い鬼。だからこそ地底の宴会を取り仕切り、盛り上げる事ができる。
そしてこの日も、その鬼は数多の妖怪に飲み勝負を持ちかけられ、ことごとく全員を前後不覚にまで追いやり、妬ましいまでの歓声の中さらに酒を飲み続ける…はずだった。
そのはずだったのだが。
何の因果か冗談か、その日の地底には見事に酔っぱらった鬼がいた。
ちなみにその鬼、名前を星熊勇儀という。一応……私の恋人。
◇ ◇ ◇ ◇
地底のどんちゃん騒ぎが行われている場所からいくらか遠ざかったあたりの少しだけ細い道。
両脇には民家が並んでいて、少しだけ閉塞感を感じる。
今は皆宴会の騒ぎの中にいるため、普段はそれなりに人通りのあるこの道も今は静かだ。
遠くに響く妖怪の騒ぎ声を背に、私と勇儀はそこを歩いていた。
私はしっかりとした足取りで。
しかし、勇儀は誰がどう見ても立派な千鳥足だった。
「ふはは、すっかり酔っちまった。」
勇儀がまるで他人事のように大欠伸を一つ。そこから酒臭い息が漏れだした。
ちなみに私も呑んではいたが、しっかり意識は保っている。
酔っぱらった勇儀を自宅へ送るために一緒に宴を抜けたが、今はその酔っぱらいがからころと下駄の音を響かせて先を進んでいる。
ザルを通り越してまるで筒抜けているかの様に大酒を飲む鬼が、何故こんなにも酔っぱらってしまったのか。
と、一生に一度でも見れそうにない光景を目の当たりにしながらも、私は呆れてため息をつく。
「はぁ…こんなにもなっちゃ、『力の勇儀』なんて名前もあったもんじゃないわね。」
「んー?何か言ったかい?」
勇儀が赤ら顔のまま振り向く。
「鬼のくせに、こんなになるまで酔っぱらってだらしないわねって言ったのよ。」
あえて先ほどよりも棘のある言い方に変えて、私は勇儀を睨みつける。
「ははっ、ごもっともだ。」
悪びれもせず、勇儀は苦笑する。
「でも、だからこそかねぇ。」
突然、真っ赤な顔を近づけて、勇儀が私の顔を覗き込む。
「な、なによ。」
吐いてくる息が酒臭い。こっちまで酔ってしまいそうだ。
「酒のせいかな。なんだかパルスィが……」
目を細めて勇儀がじっと見つめてくる。その表情につい鼓動が大きくなってしまう。
ま、まさか『いつもより可愛く見える』だとか恥ずかしい事言う気じゃないでしょうね。
ああもう、誰が見てるかも分からないところでそんな台詞が言えるあんたが妬まし…
「三人に見える。」
「酒のせいね。」
表情を消して額に青筋を浮かび上がらせる。期待した私が馬鹿だった。いやまず期待してないし。
怒りで歩調を速めて勇儀の先を歩く。
「おー?パルスィー?どしたのー?」
いつも以上に間延びした、すこしおどけた声で呼びかけながら勇儀が後を追ってきた。
「どうもしてない!さっさと帰るわよ!」
「おやおや…怒らせちゃったか。」
勇儀が私の肩を抱き、笑いかける。
「怒ってたって楽しくないだろう?機嫌直しておくれ。」
「誰のせいよ……。」
俯いて静かに怒る。俯いているから勇儀の顔は分からないが、きっと困ったような顔なのだろう。
「じゃあどうして怒ったか教えてくれないかい?」
「……やだ。」
そっぽを向いて拒否してやる。『殺し文句を期待してました。』なんて言えるほどバカ正直でもないのだ。
……だから期待自体してなかったっての。
きっと実際に言われていればそれはそれで怒っていただろう。つくづく私も我が儘だと思う。
「素直じゃないねぇ……」
参ったなぁとため息をこぼす勇儀。さっきまで上機嫌だったというのにもうしょげてしまっている。
酒で感情の起伏が大きくなっているのだろうか。
「もっと素直になってくれたら良いのに。」
「素直な私……ねぇ。一体どんな水橋パルスィなのかしら。」
自分でも想像出来ない。というか、妬ましいときは素直に妬ましいと言っているし、私は私でそこそこ素直にしていると思うのだが。
「そりゃあ、素直な水橋パルスィだろう。素直ってのは素直って言葉以外に言いようがないさ。」
「じゃあ、例えばどんな行動をとれば素直だと言えるのかしら?」
この私の問いに、にっこりと笑って勇儀が答える。
「んー、抱きついて甘えてきてくれたりしたら文句ないねぇ。」
「何よ、結局自分の願望じゃない。ばかばかしい。」
……こんな他愛もない会話をしながら一緒に暮らせることが幸せだ、とは口が裂けても言えないあたり、それほど私は素直じゃないみたいだ。
◇ ◇ ◇ ◇
そして、
「腹減った。」
無事に勇儀の自宅について、開口一番がそれだった。
酔うと人妖問わず我が儘になるものだ。パルスィの手料理が食べたい、食えないならパルスィを喰う、とまで駄々をこねられ、流石に酔っぱらいに喰われるのは嫌なので渋々私は台所に立った。
作るのはお粥だ。
もっとボリュームのあるものが良い、と文句を言われそうだが、どうせ宴会ではつまみもろくに食べずに酒ばかり飲んでいたに違いない。
ならば消化に良いものにしないとすぐに胃が音を上げてしまう。
くつくつと小気味良い音が鍋からしてきたので、器によそう。漬け物と一緒にお盆に載せて、勇儀のいる居間へと持っていく。
そして居間には私の料理を待ちに待っていた勇儀が目を輝かせて……いなかった。
「あらら……。」
そこにはあられもなくお腹を出して仰向けになって、大きないびきをかいている勇儀がいた。
まったく、人に食べ物を注文しておいて待ってる間に夢の中だなんてその傍若無人さが妬ましい。
一度卓袱台にお盆を置いて、勇儀を揺すり起こす。
「ほら、勇儀。料理出来たわよ。」
んむぅ、と、一度唸って身じろぎするも、目は覚まさなかった。
少々強めに揺すっても、起きる気配は微塵もない。
「困ったわね……。」
勇儀の脇にしゃがみ込んでその寝顔を眺める。
「本当に寝てるのかしら……。」
試しに頬を突っついてみた。
ぷにっ。
ぷにっ。ぷにぷにっ。
……起きない。いや、それよりも。
柔らかい。予想以上に良い感触で手が止まらなくなる。
まるで子供の頬のように勇儀のそれは張りと弾力に満ちていた。
体躯は大きく、それでいて女性らしい起伏に溢れている上にこんな肌をしているなんて、本当に妬ましい。
でも今はその嫉妬心が霞んでしまうほどにこの感触の虜だ。実に気持ちいい。
飽きもせずにぷにぷにと頬を突っつき続ける。
「きっと子供が悪戯をしてる時ってこんな気分なのね……。」
もっといろんな事をしてみたいという好奇心、もし見つかったら、という不安と焦り。
その焦りが好奇心と混ざり合って、「早く何かしなければ」と私を追い立てる。
でもその追い立てられている緊張感がとても楽しくて、私は口元が勝手に歪むのを感じながら頭をフル回転させていた。
「何か……何か……。」
勇儀のこの感触をより楽しめる方法はないだろうか。片っ端から思いついては却下する。
頬以外の場所を突っついてみたい。しかし勇儀は意外とくすぐりに弱い。下手をすればすぐに起きてしまうので却下だ。
突っつけないならどうする?蹴るか?そんな馬鹿な。
蹴れないなら当然だが足も使えない。どうしたら良い?
ならずっとこのまま突っついていようか。いやいや、それも面白くない。
何かもっとこう……全身でこの感触を楽しめるような……。
「ん?」
全身で?何かそれっぽい言葉があったような気がする。
必死に思い出そうとしている所で、突然勇儀が身震いした。
「んっ……。」
「……!」
起きたか、と一瞬身構えたがまたすぐに勇儀は寝息をたて始める。
思えば布団の一枚も勇儀は掛けていない。鬼が風邪を引く事など滅多にないが、寒いままというのも気の毒だ。
悪戯については一旦保留にしておいて、押し入れから掛け布団を探し出し、勇儀の寝ている所まで抱えて行く。
そして布団を掛けようとして、勇儀の顔を見たその時だった。
私の頭の中に帰り道での会話がフラッシュバックする。
『もっと素直になってくれたら良いのに。』
『素直な私……ねぇ。一体どんな水橋パルスィなのかしら。』
『そりゃあ、素直な水橋パルスィだろう。素直ってのは素直って言葉以外に言いようがないさ。』
『じゃあ、例えばどんな行動をとれば素直だと言えるのかしら?』
『んー、抱きついて甘えてきてくれたりしたら文句ないねぇ。』
…………いや、いやいやいや。それは無い。
頭では否定しつつも、その一方でこの案には抗い難い魅力があった。
あまり強くしなければ抱きついても起きる事はない。それに指先だけでさえあんなに気持ちよかった勇儀の肌。
全身で抱き締めたらどれほど心地いいだろうか。
ばれにくい上に最高の結果。こどもの悪戯に比べれば素晴らしいものではないか。
しかし、これをするにあたって一抹の不安がある。
ばれた時に非常に恥ずかしいのだ。
いやいや、落ち着いて考えよう。ばれないなら良いじゃないか。ばれないなら恥ずかしい思いをする事もない。
そっと勇儀に抱きついて、勇儀が起きないうちにさっさと離れてしまおう。
そう。全ては勇儀の眠っているうちに。
よし、と意を決して勇儀に近づく。もはやお粥の事など頭にない。
だんだんと勇儀と私の距離が狭まる。そして、
ぎゅ。
「――――っ。」
勇儀の背中に手を回して、体を密着させる。
まさかこれほどとは。幸福感で胸がいっぱいになる。
どこぞの式の九尾の狐の尻尾は素晴らしい触り心地だと聞くが、きっと勇儀には敵わない。
普段勇儀の方からくっついてくる時は、思いっきり抱き締めてくるものだから、勇儀の体に力がが入っていて固い感触しかしないのだ。
だから今みたいに緩みきっている勇儀の体の感触は初めて知るもので、とても新鮮で心地良かった。
勇儀の背中に手を回して、しっかりと抱き締める。
「癖になりそうね……。」
もうちょっとだけ、もうちょっとだけ。
そう思っている内に、私の意識はだんだんと夢の中へ向かって行った。
ふと目が覚める。まだ覚醒しきっていない頭で時計を見ると、寝てしまう前から半刻ほど経っていた。
勇儀は相変わらず寝息をたてていて、もし起きていたらと思った私は心底ほっとした。
もうちょっとだけくっついていたい気分になる。
しかし、この状態で勇儀が起きてしまえばこの水橋パルスィ一生の恥。
勇儀が目を覚ます前に離れて、勇儀を起こさなければ。
先ほど揺すっても起きなかった勇儀をどうやって起こすのかはとりあえず置いといて、抱き締めている手を離す。
そのまま体をずらして勇儀から離れ……?
少し私の体に違和感が生じる。
体をずらそうとすると背中に抵抗を感じて動けない。
気付けば背中には勇儀の腕。
もう、嫌な予感しかしない。
「……勇儀?」
返事はない。代わりに勇儀の口元が少しだけ歪んでいる。
「寝てるの?」
やはり返事はない。鬼は嘘をつけないはずだが、黙秘は許されるのだろうか。
「……寝てるのね?」
最終確認。やっぱり勇儀は返事をしない。
私は分かりやすくため息をついて、観念したように声を出す。
「……寝てるなら、もう少しくっついてても良いかしらね。」
途端に背中の違和感が大きくなる。調子のいい鬼だ。
いやいや、相手は寝ているのだ。調子の良い悪いも関係ない。
そう、なにしろ相手は寝ているのだ。
「……勇儀。」
勇儀の腕がピクリと動く。しかし勇儀はまだ目を閉じている。
「私ね、」
少し強めに勇儀にくっつく。それでも勇儀は目を覚まさない。
寝ている相手になら何を言っても聞こえないはず。
何を言ってもそれらは全て、独り言。
「こんな風に一緒に暮らせることが、すごく幸せなの。」
起きている相手にはこんなこと口が裂けても言えないあたり、それほど私は素直じゃないみたいだ。
妬ましい
パルスィの期待を裏切るようで裏切らない勇儀に乾杯!
いや、素晴らしかった。