注意書き
この話は作者の過去作品("理不尽なのはいつもの事ですが"等)の設定を引き継いでいます。
ざあざあと風が吹き過ぎる音が耳に響いた。
雲ひとつない晴天に、墨色の花が舞っている。
淡く儚く、それでも確かに存在する黒染め桜吹雪の中、幽々子はただ立ち尽くしていた。
目の前で悠然と佇む西行妖が満開に咲き乱れていた。
言葉が、出ない。
あれほどの春を集めてなお、咲かす事の叶わなかった其れが今まさに堂々と咲き誇っている。
だが近寄るだけで死に誘われる禍々しい化物桜の雰囲気は無く、ただそれは優しい。
優しくて、暖かくて、どこかとても甘い匂いがして……
その匂いに誘われるように幽々子は手を伸ばす。
その掌に舞い散る花びらを引き寄せ、そっと口に含んだ。
その瞳が驚いたように見開かれる。
「これは……」
そしてただ口から呆然と言葉が漏れた。
「チョコレートだわ……」
「……と言う夢を見たのよ」
縁側に座りながら幽々子は妖夢に声をかけた。
「幽々子様らしいですね~」
妖夢は箒を片手に庭を掃きながら言葉を返した。
なんとも食欲旺盛な主らしい夢だとみょんに納得する。
ただそれであれば枯れるまではチョコレート食べ放題だなとふと思う。
「それで、異変を起こそうと思うの」
ずびずびとお茶をすすりながら幽々子。
妖夢は箒を止めて主人に視線を送る。
「異変ですか?」
異変。
幻想郷に措いてもはや恒例となりつつある出来事だ。
幻想郷が赤い霧に覆われた紅魔異変。
明けない夜が世界を覆った永夜異変など。
何かしらの出来事がここ幻想郷で起きて、それらは全て博麗の巫女によって解決されてきた。
いわゆるお祭り騒ぎのようなものである。
「それで今回も春を集めるとか言いませんよね?」
かつて白玉楼でも一度、異変を起こしたことがある。
幻想郷中の春を集めて西行妖を満開に咲かせてみようと企んだことがあった。
西行妖の根元に何者かが封印されていて、満開と同時に目覚めると古い書物に書いてあった故に
幽々子は好奇心からその異変を起こした。
まあ、見事に博麗の巫女達に防がれてしまったわけなのだが。
「違うわ、今回集めるのは……」
幽々子がのほほんとした笑みを浮かべる。
また集めるのかと妖夢が顔を顰めた。
「チョコ度よ」
「え?」
耳慣れない言葉に妖夢がぽかんと口を開いた。
「そう、チョコ度よ。
この時期のチョコレートはそれこそ人の情念が多く詰まっているの」
確かにそうだ、明日はバレンタインデー。
大好きな人に渡されるべきチョコレートには様々な思いが強く籠っているはずである。
「其れを取り出して西行妖に与えるのよ。
きっと春という不確かなものよりも、ずっと強くて確かなそれは必ずや満開に咲き誇る力に足ると思うわ」
「無理です」
だがまあ、常識で考えて咲く訳ないと妖夢は即座に否定する。
「全く……やる前から諦めるなんて。そんなことではいつまでも未熟のままよ」
答えに幽々子は、袖口で口元を隠し溜息。
「諦めたらそこで試合終了だと、妖忌も言っていたじゃないの」
「言っていません、それ別の人ですから。
……そもそもそのチョコ度というのはどうやって取り出すのですか?」
「其れは後で考えるわ」
「後で!?」
一番重要なものではないだろうか?
そう考える妖夢を尻目に幽々子は言葉を続けていく。
「そう、私には見えるわ。
人の情念のチョコレートで見事に満開になる西行妖が……」
「んな満開嫌ですよ!」
「そうしたらきっと、花びらのチョコレートが食べ放題だわ!」
「それが目的ですか……」
最後の言葉に妖夢は呆れた様に息を吐く。
みょんに熱心だったのはそういう理由だったのかと。
「違うわ、それは副産物なの。
あくまで目的は西行妖の下に眠る何者かの復活なのだから」
いやそもそも、前提が間違っている。
まずチョコ度ってなんだろう、それ以前にチョコの花が咲くとかあり得ないと。
「さあ、行きなさい妖夢!見事にチョコ度を集めてくるのよ」
「お断りします」
即座の否定に幽々子は呆然とし、やがて徐々にその顔に理解の色が広がっていく。
零さない様に湯呑みを置いてから着物の袖で口元を隠して悲しげにゆゆゆっと啜り泣き始める。
「うう、妖忌ぃ……妖夢が反抗期に入ってしまったみたい。私どうすればよいのかしら~」
みょんにテンションが高い幽々子に妖夢は扱いに困ったように頭を掻く。
「ええとですね。この時期の皆のチョコに手を出すと……」
チョコ度がよくわからないがきっとチョコレートをどうにかするに違いないと推測し言葉を紡ぐ。
「幻想郷の乙女たちすべてを敵に回すことになりますよ?」
「妖夢が倒してくれるのでしょう?」
「無理です」
「諦めたらそこで試合終了で……」
「それはもういいです」
言葉が途切れしばらく幽々子の啜り泣く声が響くが、構わずに妖夢が掃除を再開すると声がやんだ。
相手にしてくれないと悟り、幽々子が居住まいを正しつまらなそうに再びお茶を手に取る。
「妖夢のいけず」
「え?」
「なんでもないわ」
しばらくの静寂。
掃除を終えた妖夢が道具を片付けて一息入れようと縁側に座る。
「あ~あ、チョコレート食べたかったわ~」
ぼんやりとそんなことを幽々子が呟き……
「やっぱりそれですか……」
と妖夢は溜息をついた。
呆けたように空を仰ぎ見る幽々子の傍で妖夢が新しく茶を注ぐ。
妖夢自身も茶を一口。それからこっそりと幽々子へと視線を送る。
幽々子はぼんやりとしながら空を見ている。
その口からは小さくチョコレートぉと未練がましく言葉が漏れている。
「どうぞ」
不意に妖夢が幽々子の傍へと何かを差し出した。
幽々子は首を巡らしてその目をやや細める。
「これは……」
「その……一日早いですが」
銀のリボンで飾りつけられた緑の箱が置いてあった。
「バレンタインのチョコかしら?」
「はい、今回は異変を起こす代わりにこれで我慢してくれませんか?」
幽々子はその箱を手に取ると少しだけ笑みを浮かべる。
「仕方ないわね」
穏やかに、嬉しそうに幽々子がそう告げた。
しばしそのまま箱を眺める。何のの変哲もないただの箱。
だが、その中身は……
「ところで……」
「はい」
幽々子は少しだけ悪戯っぽい表情で問うた。
「本命かしら、それとも義理?」
「そうですね……」
ん、と妖夢が咳払いを一つ。
「一応、本命ですがその、これは恋愛とかではなくですね
主従においての親愛の証といいますかその……」
「ひょのひょこおいひゅいあふぇ」
「もう食べてる!? と言うか飲み込んでから喋ってください!」
言葉に、幽々子はしばらく口をもごもごと動かしてから口の中のものを嚥下。
見やると緑の箱はすでにリボンを外され中身が取り出されていた。
「ありがとう、おいしかったわ」
「どういたしまして」
幽々子の言葉に、ため息交じりに妖夢が答える。
今のチョコは勿論、妖夢の手作りであった。
材料から選定して、手間をかけて作ったものであるから、もう少し味わってほしかったというのが妖夢の本音で……
「じゃあ、私からもチョコをあげないとね……」
「え?」
そのまま、幽々子の手が伸びた。
妖夢の頬に添えられて……遅れて柔らかくて甘い感触が妖夢の唇に重なる。
「……ん」
「………む…」
時間にして数秒。
主人の顔が離れていくのを妖夢はただ呆然と見ていた。
「どう、おいしかったかしら?」
言葉に無意識に妖夢は唇を噛んで、そこから甘い味覚が広がって。
あまいあまい…痺れてしまうほどにあまい……
「こ、このような……」
そこで不意に我に返ったのか妖夢が慌てたように声を荒げた。
「お戯れは……」
その口を幽々子は人差し指を当てて塞いだ。
「戯れではないわ。私の本命のチョコよ」
すぅっと幽々子が目を細める。
笑っていた。穏やかに、冷たい蟲惑を滲ませて。
妖夢の口にあてた人差し指をそのまま、なぞる様に動かす。
「返事は?」
静かな声。
妖夢の顔に浮かぶのは混乱。
それと焦燥、羞恥、さまざまなものがごっちゃになった表情。
「~~~!」
やがて耐えきれなくなったのか彼女はそのまま倒れこむように背後へと下がる。
「まだやることが残っているので失礼します!」
そのまま背を向けて逃げるように去ろうとする。
「妖夢」
呼びかけに一度だけ止まって。
そのまま振り向かずに奥へと消えていく。
それを見届けて、幽々子は深く、深く溜息を吐いた。
「仕方のない子ね」
お茶を一口。
酷く苦いと幽々子は思った。
「いえ、仕方のないのは私ね」
自嘲気味にそう呟く。
魂魄妖夢。
幼いころから知っている自分の従者。
泣いたり、笑ったり、怒ったり、照れたり。
見た事の無い表情はもはやほとんど無い程だ。
初めは子を見守るような親のつもりだった。
まだ自分の膝くらいしかなかった小さな妖夢が笑顔で自分を呼ぶ様を見て、自然と笑みを浮かべることができた。
いつから、それが変わってしまったのか。
幼子は成長し、やがて妖忌は居なくなり、それでも幽々子を慕いその為に剣を振り続けて、だがいつまでも目が離せぬ未熟で……
ほんの六十年。千年の中の六十年にすぎない。
されど、何よりも充実した六十年だった。
「妖夢……」
幽々子は溜息のようにその名を呼んだ。
ずっと抑えてきた。
だけど、いつぞやの気まぐれで恋がしたいと妖夢をからかった時。
ぼろぼろになって、それでも幽々子の為に笑う妖夢を見て何かが外れてしまった。
外れてしまったらもう駄目だった。我慢もできなかった。
事あるごとにもたげてくる欲求を抑えられなくなってしまっていた。
「駄目なのにね」
妖忌の様にいずれ彼女は居なくなる。
それはわかっているのだ。
妖夢は転生を拒んで残るつもりらしいが無理だろう。
輪廻の流れは意志や強さでどうにかできるほどにそんなに甘いものではない。
辛いのは、いつも残して逝く方。
相手を憂い、心の涙を流し、魂が掻き消えるその瞬間まで縛られ続ける。
自分は忘れていく。
どれほど共に居ても、どれほど好いあっても。
存在は永遠だとしても記憶は色褪せて、深淵に溶けて無くなって。
そして何事もなかったかのように笑みを浮かべられる様になるのだ。
千年の人生の中で嫌というほどにそれを見て、感じてきた。
……故にこのままでは、その辛さを増やすだけだと分かっていても……
「妖夢……」
千年を生きた亡霊とて、その疼きを止める方法は終ぞ知りえぬものなのだ。
-終-
理想的な白玉楼です
妖夢は天人になるしかないですねこれはもう
もう、勘弁して下さいorz
ほんの僅かにほろ苦いという・・・