カリカリカリカリ……
金属に爪を立てて引っ掻くような、或いは振動によって響くような、聞き慣れぬ異音が耳をつく。
ガー、ガーと異音はさらなる未知のものへと切り替わり、失われた幻想の音よりも不鮮明な何かを発している。
響く異音に対し、僕は耳栓をすることもできずただただ不快な音を浴びせられていた。
自分がどこにいるのかわからない。
自宅である香霖堂でもない、周囲一面が黒に閉ざされた謎の世界。
光源らしいものはなく、自分の姿を確認することさえも不可能である。
己の感覚すら、本当に正しいのかも不安だった。
その証拠に、先程まで煩わしいほど鳴り響いていた異音の一切が失われているからだ。
無音、そして五感の掌握できない闇の中。
時間の感覚すら正しいのか今の僕にはわからない。
夢の中にしてはやけにリアルな情景。目に浮かぶ全てが黒の中、僕の意識は闇の中に同化しようとしていた。
だが。
意識すらも奪われる完全なる黒の中に、僕はあまりにも小さな、けれど確かな色を持つ白を見た――
目覚めた景色は、気を失う前とは完全に異なる風景だった。
僕を包んでいた闇は晴れ、冷たくも暖かくもない不思議な光が周囲を照らしている。
最初に、人里にある家屋に似た作りの建物が眼についた。
しかし瓦作りの屋根の家屋もあれば、石材で作られているような家まである。近くで炊き出しでも行っているのか、煙突のある家からはもくもくと煙が吹き出している。……いや、あれは食材の煙じゃないな。何らかの工場か……?
家屋の他の周囲には鉄づくりの巨大な建物が立ち並んでいるが、不思議なのは、それらが立ち並ぶ建造物を支える地面が、不可思議な素材で舗装されているということだ。
僕は腰を下ろし、その不思議な素材に手を添える。自然における土の上に立っているわけではない。硬い、けれど金属ではない。これは……石だろうか? 研磨された石とは言い難い粗さだし、砂のような砂利や砕石がそこに含まれている。
僕は己の目を凝らし、少し強引ではあるが能力を試してみようと腰を下ろした。
「おー早速NPC発見、景色もそうだけど拾い物の割にかなり作り混んでるわねー。リアルそのままよ。伊達にノーパソの容量の九割食ってるわけじゃないわね」
「そうね……ますます怪しいわ。でも蓮子、アバターを自分のままにする必要あったの?」
「わかってないわねメリー。これは秘封倶楽部の活動の一環なのよ。好きに弄れるからって自由に作るんじゃなく、己の分身を生み出してこそのアバターよ。って、そんなのはどうでもいいのよ。ゲームの基本、まずは情報収集ってね。おーい、そこの人ー」
そこで、僕は突然何者かに声をかけられた。
振り返って声の主を見てみれば、そこに居たのは霊夢や魔理沙よりやや年上に見える二人の少女。
僕に声をかけたのは白いブラウスにネクタイを通した、白黒のスカート姿の少女。黒い帽子の下にある表情はどこか魔理沙を彷彿とさせるが、彼女は黒髪であった。
もう一人は、紫色のワンピースをまとい黒い少女と対照的な白い帽子を被る金髪の少女。怪訝な顔で僕を見やるその表情に、先の既知感同様、今度は霊夢のことを漠然と思った。
「聞こえてる?」
「あ、ああ。すまない、聞こえている。ちょうどいい、君達ここがどこかわかるかい? 幻想郷でも見たことない景色なんだが……」
「え? 貴方も知らないの?」
「どうも、そういうタイプのNPCみたいね。最初に出会った人物だから重要そうだけど思ったけど、単なる変な人かな」
「……初対面で変人扱いとは、言ってくれるな」
少し気分を害すが、この状況の疑問に答えてくれるかもしれない貴重な話相手だ。ここで下手に反発する必要はないだろう。
「あ、すみません。ほら蓮子、謝らないと」
「だって、格好は元より座ったと思ったらじっと地面を眺めてるのよ? 変人以外の何者でもないわ」
「たとえそうだとしても、口にしちゃダメよ」
凄まじく声を大にして何か言いたいが、落ち着け僕。我慢だ、我慢。
まずは平静を取り戻す意味でも、自己紹介と現状の把握といこう。
「ちょっと調べ物をしていただけさ。僕は森近霖之助。香霖堂という古道具屋の店主を務めている」
「御丁寧にどうも。私はマエリベリー・ハーンと申します」
「私は宇佐美蓮子。姿形に声付き、ここまでリアルだと本物みたいね……うん、丁寧に対応されてるし、私も敬語で行かせていただきます」
黒髪の少女は蓮子。そして金髪の少女はマエリベリーというらしい。
互いに自己紹介を済ませたところで、次のステップといこうか。
「改めて宇佐見さんにハーンさ『呼び捨てで構いませんよ、貴方のほうがどう見ても年上だし。あとこの子はメリーって呼んであげてもらえますか? 長ったらしいから、愛称なんです』……じゃあお言葉に甘えて、ついでに敬語は結構だよ」
「あら、そう?」
「こら、蓮子……礼儀はしっかりしないと」
「いいじゃない。本人が構わないって言ってるんだし」
「もう……うちの蓮子がすみません」
ぺこりと頭を下げるメリーだが、僕はなぜか不思議な感情が沸き上がっていた。
まるで霊夢と魔理沙に敬語で話しかけられるような錯覚があったとは言えない。
それはまあ、別にいいだろう。
「気にしないから大丈夫さ。さて改めて聞くが、ここがどこだかわかるかい? 場所の名前とか……」
「名前? ううん、それは私達にも全くわかりません」
「一応の目的としては、あそこの城に用があるの。それで歩いていたら、貴方に出会ったのよ」
城? と言われ、僕は蓮子が指差す方向に顔を向ける。
そして愕然とした。
異質な建物だけでも驚きなのに、あれはその中でも一際目立つ。道なりにまっすぐ進んだ先、人里と山の境界を超え向こうにある頂上に巨大な城がそびえていた。
山を覆う雲のように、城には白い霧のようなものが立ち込めた外観は奇異の視線を集め、同時に人を寄せ付けぬ雰囲気に包まれている。だが、作りは違えど人里のようなこの場に鎮座するにはあまりに異質なものであった。
彼女たちはそこに用があると言う。あんなところに何の用があると言うんだ?
幻想郷の少女達のように、好奇心の赴くままということだろうか。
「何か遊びの途中だったのかい?」
「遊びと言えば遊びでしょうかね」
「違うわよ。れっきとしたサークル活動!」
首を傾げるメリーに、蓮子が吼えるように口を開く。やり取りの意図が掴めない僕は、もう少し情報を引き出すことにした。
「僕も同じだ、気づいたらここにいた。だが君達は明確な目的があるようだが、良ければ教えてもらえるかい?」
「ゲームにしては本当にリアルな反応ね。普通こういうのって、助けてください、とかそういうのから始まってあの城に関する情報が提示されるものでしょ?」
「会話の中で判明するのかもしれないわ。とにかく、ここは素直に言ったほうが良いと思う」
「まあゲームの住人にここはゲームだって言っても意味ないし、かいつまんで説明しましょ」
相変わらず彼女達の話の内容は理解できないが、それでも僕は幾つかの事項を把握することに成功する。
彼女たちが所属する、サークルという組織の名は秘封倶楽部。
境界を見ることが出来る能力を持つメリーの力を使い、張り巡らされた結界を暴くといった活動をしているらしい。境界の裏を覗くだけで、それ以上のことはしていないとのことだが……なるほど、霊夢に似ていると思い至った感覚はこれのせいか。
「その活動の最中、ここにたどり着いたという解釈で構わないか?」
「ええ、それで大丈夫。私達はそういう訳でここにいるのだけど、貴方は……わからないんだっけ」
「すまないね。しかし、今回はそれまでの活動とは一線を介しているとか?」
「あ、はい。えっと……今までは結界を暴く性質上、景色の境界ばかりだったのですけど、今回はその……物の中に境界が見えたんです」
「物の中の境界?」
「私には見えないからわからないけど、CD-ROMをインストールして起動……って言ってもわかんないか。ある道具の中に境界が見えたらしくて」
「とすると、今この場はその境界の中、ということかい?」
「あー、うーん。そういうことになるんでしょうかね……」
ここが現実でなく、境界の中ということなら不可思議な場所であることも納得がいく。
アスファルトなる地面、不可思議なデザインの家屋が並ぶ人里。暖かくも冷たくもない光……それら全てが別世界のものなのだろう。
しかしそうなると、僕はいつ幻想郷からこの世界へ迷い込んだのだろう。
いや、それ以前に幻想郷の中で境界を潜ったからといって、そこが幻想郷でない理由はなんだ?
天界や冥界、地獄など垣根を超えた世界といえどそこが幻想郷の中に変わりないはずだが……
「もう一度聞くが、幻想郷という単語に聞き覚えは?」
「うーん……すみません、ちょっとわからないです」
「顕界でも冥界でもない、データという名のネクロファンタジア。う~ん、ロマンね。盛り上がって来るわ」
「蓮子ー、戻ってきなさーい」
ブツブツと何かをつぶやく蓮子に軽く小突きながら突っ込むメリー。仲良きことかな。
しかし、幻想郷でもない異世界……果たしてここはどこなのだろう。
「とりあえず歩かないか? 情報の共有で何も得られなかったし、この場にいる意味はない」
「ん、そうね。そっちのほうが建設的で良いわ」
「とは言ってもアテはないから勘任せになるが……君達には何かあるかい?」
「メリー、パス」
「ぶん投げられても……とりあえず境界の結び目を地道に探す他ないかと思います」
とりあえずの目的は決まったが、もう少し聞いておくか。
試してみたいこともあるしな。
「そうだ、道具は近くにあるかい? 紹介した通り、僕は古道具屋でね。道具の名前と用途なら完全に理解できる」
「完全って、また随分な自信ね」
「そういう眼を持っているからね。名前と用途を理解できる」
「あら、貴方も?」
「も?」
「奇遇ね。メリーはさっき言った通り、境界の結び目を見る眼を持ってるし、私もそういった眼を持ってるのよ。メリーの薄気味悪さとは一線を介した真っ当な眼だけどね」
「貴方の眼のほうが、気持ち悪いってお返しするわ」
「何よ。私のに比べればメリーのほうが……」
「蓮子のほうが絶対に…………」
あーだこーだと、つかみ合いとは行かないが少々剣呑な雰囲気が二人から発せられる。
こんなところで喧嘩しても何の得にもならないというに。
霊夢と魔理沙なら弾幕ごっこで晴らすだろうが……彼女達もそういうのは出来るのだろうか?
いや、仮に出きたとしてもこんなところでされても困る。
僕が。非常に。
「偶然のひと言で済ませれば良いだろう。これでこの話はおしまいだ。それより、道具のほうは? 君達が入って来れたのなら、入り口から出れば道具を一瞥できるはずだ」
「えっと……」
口を濁す蓮子。
言いたくない、というわけではなさそうだが、憚られる形なのだろうか?
「ここに居るということは、入口から入ってきたのだろう? そこに案内してくれれば良いんだが」
「入口はないんですよ」
「何だって?」
突然のメリーの言葉に、僕は眉をひそめた。
入口がないというのなら、どうやってここに入ったと言うんだ?
「その、テレポートみたいなものでして。気づいたら、ここに居たんです」
「霊夢のような、零時間移動の類か。或いは」
「神隠し?」
「もう戻れないというなら、そうなるだろうね」
「戻れないわけじゃないんだけど……メリーと貴方は行けないと思う」
「……少しこんがらがって来たな。君は戻れるのに、僕がそこに行けない理由がないんじゃないか? まさか、君達は零時間移動を自在に操れるのかい? なら、入口がわからないという理由について説明できないぞ?」
僕の言葉に頭を抱える蓮子。メリーはメリーで同じように口を濁しているし……一体どういうことなんだ?
それでも、仮説を立てて検証しなくては先に進めない。
僕は諦めず、許される限りの質問を続けていった。
ノートパソコンの画面の中で、森近霖之助と名乗った男の突拍子もない質問にメリーが対応しているのを横目に、私は彼にどう説明しようか頭を悩ませていた。
彼はまるで本物の人間のようだ。質問し、一つ一つに一喜一憂して考え込む様はデータの集合体、0と1の羅列から生まれたプログラムとは到底思えない。
本物の人間をCDの中に閉じ込めた、と言われたほうがまだ納得が行く。
そうでなければ、理解が出来ない。こんな高度なAI、世界中探しても見つからないんじゃないかしら? ますます意味不明ね。
――事の起こりは、いつものように我らが秘封倶楽部の活動の一環で境界探しをしていた時のことだ。
明確な目的はなく、漠然とした探索だったので、適当に辺りをつけた場所を散策してみようと思い新幹線の「ヒロシゲ」に揺られてたどり着いた先で見つけた一つのノートパソコン。
正確には、境界の向こう側に行きかけたこれを強引に引き止めたことが全ての始まりだった。
今にも消えそうだったこのノートパソコンをメリーが拾った瞬間、それは薄れかけた実体を取り戻した。しかし、その代償のせいか何なのか、メリーはノートパソコンの中に入り込まれてしまったのだ。
まるで不思議の国のアリスのような迷い子の展開に驚く私だが、冷静さを取り戻し残されたノートパソコンの中身を調べるべく急いでバッテリーを購入し、すぐに起動させて中身を開いた。
ともかく圧縮されたそれを解凍し、中身をインストールさせた瞬間に中に入っていたCD-ROMは謎の破壊を遂げ、それ以降うんともすんとも言わなくなった。ファイルをコピーするのも不可能となってしまったそれはつまり、パソコンのデータの中に紛れたそれが、世界で唯一のファイルとなってしまったわけだ。
恐る恐る起動させてみると、中にあったのは一昔前に話題になったゲーム。自分の手で好きなゲームを作り出すことが出来るという、一種の創作ゲームだった。内容は、ダンジョンを攻略する謎解き要素を含めたアクションものらしい。
すでにゲーム自体はある程度完成していたらしく、すぐに始めることが出来た。
このゲームは作り込みが半端ないようで、プログラム技術を齧った人間からしてもまともに創ることが出来ないとされた、ある種のマイナーゲームだった。私もやったことがあるけど、秘封倶楽部の活動のほうが面白かったので結局それ以降はやっていない。一体誰が作ったのかわからないけど、起動出来たからあの瞬間だけ感謝しておく。
自分達に似たアバターを用意できるらしく、その辺は活動のことも忘れて己の作り込みに没頭していた。私は己の分身と言っても過言ではないキャラを製作し、改めてゲームを始めた。
運良く開始と同時にメリーと合流することが出来たので一安心だったが、ここで問題も発生する。
メリーがゲームの中に閉じ込められ、脱出する手段が見つからないからだ。
そもそも、どうしてメリーがあのノートパソコンの中に閉じ込められてしまったのか。何より、なぜ境界の隙間があったのか。
考えていても埒があかず、私はとりあえずの方針としてゲームを進めてみることにした。謎を解かない限り、メリーは脱出出来ないんじゃないか、と半ば希望を込めての判断だ。
やや話しあった後、とりあえず適当に画面の中の街を歩いて捜索し、ようやく目的のダンジョンの場所が判明しと初のNPCに出会ったのだけど……
(本当によく動くわね)
画面の中では、私のアバターがNPCだと思われる彼に対してアクションを続けている。
メリーがこのゲームの中にいる以上、ひょっとしたら彼も同じように閉じ込められた人間なのではないかとも思ってしまう。
基本的にゲームの登場人物はプログラムされた以上の動きを行うことは出来ない。打ち込まれた方程式によって行動を決められ、事前にパターンが決められているからだ。
つまりは、このゲームの製作者が打ち込んだプログラムに反する動きなど取れるはずもないのだ。しかし、画面の中のメリーはともかく霖之助は一喜一憂に悩み、正直なぜそんな発想が出るのかわからないくらい飛躍した理論を展開してメリーを困らせている。まともな製作者なら、こんな無駄なAIを入れるはずはないのだ。
いや、人間のようにきちんとした受け答えをしている時点でおかしい。返事のパターンをいくら数多く打ち込んだとしても、私はともかくメリーの言葉に返事が出来るはずがないからだ。
なぜならメリーはこのゲームにとってのイレギュラーであり、その会話パターンに対する返事のプログラムは組み込まれていないはずだから。
ひょっとしたら私には考えもつかない高度なプログラムが組まれているのかもしれないけど、ネットにも繋がっていない、いちCD-ROM、何より標準でしかないはずのノートパソコンのスペックでそんなことが可能なの……?
ま、悩んでいても仕方ない。メリーの言い訳もそろそろ限界みたいだし、そろそろ動きましょうか。
「とりあえず城に入るわよ。貴方はどうする?」
「……ここに居ても意味がないしね。君達さえ良ければ、一緒についていかせて欲しいんだけど……」
「私は構わないけど、メリーはどう?」
「ここで断ったら私一人だけ空気読めてないみたいじゃない」
頬を膨らませながら私を睨むメリー。でも本気で怒ってないのはわかってるので、私は軽く手を振って答え、改めて霖之助に向き直る。
「それじゃ行きましょう。鬼が出るか蛇が出るか、虎穴に入らずんば虎子を得ずってやつよ」
「どっちみち危険に変わりないじゃないか…………」
はあっ、とため息をつく霖之助をよそに、私達は山のてっぺんにある城の形をしたダンジョンへ向かうのだった。
「そこに綻びが見えるわ」
メリーがそんなことをつぶやいたのは、人里の区域を抜けて山道へ入ろうとしたその時だった。
蓮子曰くアスファルトなる素材で作られた道を進んでいた僕らは、舗装された道が途切れた場所――つまり、山の入口でのことだ。僕は怪訝そうな顔を自覚しつつ、メリーにその真意を尋ねてみる。
「綻びとは? 生憎、僕の眼には何も見えないのだが……」
「ああそっか。この部分に結界の穴があるんですよ」
言って、メリーは山の木の一つを指す。そう言われても僕にはまったく理解できないのだが、蓮子はそんなメリーのことを信頼しているのか、すぐ調べてもらえないかと頼んでいる。メリーもまた、それに快く頷いた。
「えーっとここに……裏に何か……うん?」
「!? メリー、今何したの?」
「?」
僕にはメリーが中空で手をさ迷わせていただけに見えたが、蓮子は眉根を寄せてメリーに詰め寄っている。一体何が何だかさっぱりだった僕は、蓮子に落ち着くよう声をかけてから改めて質問してみたのだが……
「…………このファイルが開いてる。起動は……可能ね。隠しファイルだった……? 解凍条件が……………………………………………………………………………」
「蓮子?」
「………………………………………………………………………………」
ぶつぶつと何か独り言をしたと思えば、その後メイドに時間を止められたかのように彼女はその場に静止した。
声をかけても、目の前で手を振っても彼女はぴくりとも動かない。
一体どうすれば、と悩む僕にさらなる混乱が訪れる。
「ここをこうすれば……、と」
何らかの作業をしていたらしいメリーが手を止めた瞬間、僕の視界に映る山の景色が一変する。
それまでは何の変哲もない山だったそれは、いつの間にか僕にとって「既知」の風景へと変わっていた。
その名は、妖怪の山。
幻想郷にあるはずのあの場所と同じ形をした山が、突然目の前に現れたのだ。
絶句する僕をよそに、静止していた蓮子が活動を再開する。何が何だかわからない……
「アバター放置して、何をしていたの蓮子?」
「今メリー、結界弄ったでしょ? その瞬間、画面の中に新しいファイルが展開されたのよ。それを調べてたってわけ」
「弄ったって言うか、境界を歪ませていた邪魔なものをどかしただけよ?」
「それが弄ったって言うのよ。やっぱり貴方、境界を見るだけの能力じゃなくなってきてるんじゃない?」
「そうかなぁ。まあ今はいいわ。それで、新しいファイルの中身は何なの?」
「ん。それが製作者の日記みたいなものだったわ。いわゆる更新履歴に類似したメモ。今出してみる」
相変わらず意味不明の会話を繰り広げる二人と妖怪の山を交互に眺めていた僕は、蓮子がどこからともなく取り出した本へと興味が変わる。わからないことは気にしない。理解できそうなことから始めてみよう。
「それは何だい?」
「この世界の創作者の日記みたいなものよ。なんでも、途中まで世界を作ってみたけど、現存する代物じゃ満足できない出来だったから完成を諦めた……って表現が悪いわね。一時的に創作を止めて、素材を探していたみたい。その人は常にノートパソコンを持ち歩いていたみたいで、色んなとこを巡って思いついてはすぐに続きを作ってたみたい。日記は途中で終わってるわ」
「そんなのがどうしてあんなところにあったのかしら。どう考えても――」
「パソコン? それは、ひょっとしてコンピュータのことかい?」
「随分妙な言い方するのね。まあ、正しいと思うけど…………」
この場所が、コンピュータの中の世界? ということは……彼女達は式神の一部なのだろうか?
八雲紫の式は式神を使う能力を持つと聞くし、そうなると二人はコンピュータの式神なのかもしれない。
その割には随分と人間味がある。一体何のパターンを作れば彼女達のような式神が生まれるのだろう。
いや、それよりも彼女達はここを完成途中の世界と評した。
つまりは今現在、パターンを構築して幻想を生み出している最中、ということなのだろうか。ひょっとしたら、外の世界の式神の製作過程を見ることが出来るかもしれないな。
しかし、そうなるとやはり外の世界の技術は恐ろしい。
僕達の世界の式神が幻想から実態を得ることに対し、外の世界の式神は実態から幻想を生み出す。彼女らの元になった道具とは、一体どのようなものなのか。
「――い」
それは後で考えよう。
今この世界が幻想を生み出している真っ最中ということなら、彼女達はそれを手伝う役割が与えられているのだろう。それがこの世界における彼女たちの立ち位置だ。
僕の知るコンピュータの用途は、情報の伝達ということであったが……情報を集めることで生まれる幻想がこの世界なのだろう。近しい記憶で言えば新聞のようなものなのだ。彼女達の手によって、このコンピュータなる式神は道具を心に変えているのだ。
しかしそうなるとあの複雑怪奇な作りの理由が説明できない。
河童のような高度な技術の組み合わせによって生まれていると思っていたが、蓮子曰くここはコンピュータの世界。つまりはコンピュータの中身だ。この世界は普通に建物もあれば人(と言っても彼女達だけだが)もいる。あんな機械の外見を模す意味が一体どこに……
まさか、僕が見ているパーツは全てが擬態なのか? いや、それなら僕の能力で理解できるはずだ。ならどうして……
「おーい、帰ってこーい」
いやそれ以前に、そうなると僕は一体何だ?
どうしてここにいるのだろう。道具の中の世界に入れたのは幸運以外の何者でもないが……
「ちょっと、聞こえてる!?」
蓮子の怒鳴り声でようやく気を取り戻す。
見れば、少々ご機嫌斜めの蓮子と困った顔をするメリーの姿が見て取れる。
どうやら自分から声をかけたのにいきなり考え込んでしまったので、ずっと無視してしまったのだろう。
僕はすぐさま二人に謝り、意識を整理する。
きっと僕は単なる迷い子なのだろう。彼女達がこの世界を完成させたら「多分」帰してもらえるはずだ。今はそう信じておこう。
「すまないね。思考に没頭してしまって……」
「ったく、気をつけてよね」
「まあまあ、反省してるようだからこれ以上は、ね? それより、これからどうするの? 山も形を変えて、城が見えなくなっちゃったみたいだし……」
「あ、そっか。それがあったわね。ファイル開いた途端、これだもの。まだまだ何か隠されていると思って良いと思う」
「道に迷っているのかい?」
「貴方見てなかったの? ほら、山がいきなり変化して道が……」
確かに景色が変貌したのは驚きだが……この道には覚えがある。
登頂にあの城があるのは変わらないだろうし、それなら変わらず頂上を目指せばいいだけだ。
「この道は僕が覚えがある。だから迷う必要はないはずだ」
「え、そうなんですか?」
「ああ。ここは幻想郷にある妖怪の山と瓜二つ……いや、同じだからね。きっと合っているはずだ」
「なんだ、それならそうと早く言いなさいよ! もう、やっぱり重要キャラだったのね!」
そう言うと、先程までの損ねていた機嫌はどこへやら、活発な笑みを浮かべて僕の背中を叩く蓮子。
痛みこそないものの、現金なものだ。
「蓮子。さっきの話をふまえると、多分私はこの世界では隠しプログラムを暴く解凍キーみたいな存在だと思うわ。だから境界を見つけたらすぐに元に戻してみるから、蓮子も画面に注目しててね」
「了解。アバターどうする? ここに置いていくことになるだろうけど……」
「いないと困るでしょ? 見つけたらそこですぐファイルを開いて調べればいいのよ」
「そうね。別に制限時間があるわけでもなさそうだし……よし、それじゃ早速行ってみましょうか!」
勇の言葉を発す蓮子に押されつつ、僕は二人の案内をするべく記憶の中の道筋を思い返しながら妖怪の山へと入っていった。
どうやら順序は間違っていなかったようで、僕達は頂上の城へたどり着くことに成功した。
途中、メリーが同じく綻びを見つけては蓮子が静止するという事態が何度か行われたが、それが世界を創る作業なのだと予測した僕は何も言わずにそれを眺めていた。
そんなことを繰り返しているうちにたどり着いた頂上は、距離感もあってか下界で見た景色よりも何倍も大きく見えた。
「ほえあー…………」
「すごい……大きい」
二人も呆然とその城を見据えている。
この世界の住人である二人が驚くということは、これはイレギュラーな事態なのだろうか。
驚いているところに悪いが、作業でもないのに待つのは面倒なので僕は二人に声をかけて進行することにする。
「とりあえず中に入ろうか。しかし、ここで何をするんだい?」
「んー、途中メリーが解凍してくれたファイルを開いてわかったんだけど……この城はまだ製作途中みたいだから、それを完成させれば何らかのリアクションがあると思う。とりあえずどこで途切れているかチェックしないといけないからまずは元の人が作ったダンジョンを堪能しましょ」
そう喜び勇んで最初の第一歩を踏み出す蓮子。
と――
プチ。
「プチ?」
蓮子が足を踏み入れた瞬間に聞こえた音に耳を潜め、音源を探してみる。
すると、蓮子の足元に線が引かれていた。それが今や、蓮子の足によって引き千切れている。
「えーっと……」
「こういうのって大抵」
「罠が仕掛けてあるものだね」
ひゅん、と言う風切り音。
次の瞬間、通常人間が出すとは思えない派手な音を立てながら蓮子が横殴りに吹き飛んだ。トゲ付き鉄球のワイヤートラップだ。
綺麗に作りこまれた床を盛大に転がり回る蓮子。やがて吹っ飛ばれた運動エネルギーも切れてようやく止まったものの、その後蓮子はぴくりとも動かなかった。
「れ、蓮子ぉぉぉぉぉ!」
「落ち着けメリー、まだトラップがあるかもしれない!」
咄嗟に蓮子に駆け寄ろうとするメリーを引き止めたものの、少女とは思えぬほど力強い動きによって危うく手を離してしまいそうになる。
だが僕も荒事は苦手といえ、妖怪の血が入った人間とのハーフだ。特別な力を持つといえ、少女一人の筋力を押えきれぬわけがない。
「離して、離して! 蓮子が……」
「だから君も二の舞になる可能性が…………」
錯乱するメリーをどうやって落ち着かせるか頭を悩ませる僕に、今度は奇声が届いてくる。
今度は何だ、と眼を向けたのも一瞬。だがすぐに視線は険しさから呆然へ切り替わる。何故なら、
「だらっしゃぁぁぁぁぁぁぁ!!」
っと、妙ちきりんな声を上げていたのは、他ならぬ蓮子だったからだ。
作動したトラップの大きさと威力を考えれば即死してもおかしくないはずだが、蓮子には傷ひとつついていない。
ああそうか、彼女は式神の式神だったな……おそらく、肉体的なダメージなら平気なのだろう。
「蓮子、無事だったの!?」
「無事なわけないでしょ!? めちゃくちゃHPゲージ削られたわよ! 開幕九割吹き飛ぶってどんなクソゲーよ! それともマゾゲー!? 危ないったらありゃしない、他の子が引っかかったらどうすんのよ、製作者出てこぉぉぉぉぉぉい!」
ぎゃおー、と怒りを撒き散らすものの、蓮子が無事なことに変わりはないようだ。
メリーの手を離すと、彼女は射出された弾幕のように一直線に蓮子へ向かっていった。
「そっか、今の蓮子はアバターだったわね。外見同じだから、体も同じかと誤認しちゃってた……」
「メリー、本気で行くわよ。秘封倶楽部の名誉にかけて攻略してやらないと気がすまないわ!」
「それじゃあ先頭は蓮子よろしくね。アバターなら痛みもないし、平気でしょ」
「ちょ、メリー!? さっきの私達の美しい友情は……」
「プライスレス」
「ひどすぎる!」
随分とやかましいが、それだけ元気な証拠だろう。メリーも調子を取り戻したようだし、蓮子には我慢してもらおう。
しかし、本当に傷一つないな。それだけ頑丈なのか?
「くっそー……ちょっと待ってて。回復しないと…………よし、これで満タン。気ぃ引き締めて行くわよ!」
怒りで頭に血が登っているのか、弾かれるように先へ走る蓮子。
僕とメリーは眼を合わせ――同じタイミングで苦笑する。
置いていかれぬよう、僕らも後を追いかけるとしようか。
~以下ダイジェストで送る秘封倶楽部プラスワンの楽しいダンジョン攻略~
一階編。
「この宇佐見蓮子、容赦せん! 秘封倶楽部、活動開始!」
「おー♪」
「なんで僕も数に含まれてるんだ…………?」
「気にしない! あ、二階発見! このまま走りぬけ…………きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ」
「あ、落とし穴」
「古典的にも程があるじゃない!」
「そうね。でもそんな初歩的トラップに引っかかる蓮子が言えることじゃないわね」
(…………思いっきり槍の山に貫かれてるのに平然としている。流石外の世界の式神はレベルが違うな)
二階編。
「スイッチが三つ。正しいのを押さないと進めそうにないわね。ならここを、っと カチ、カチャ」
「ん、何か連続して聞こえたような…………」
「見て! 天井が吊り下がってきてる!」
「だから古典的にも程がっ、あるわよ! メリーメリーメリー! ここは私が押さえてるからお願いぃぃぃぃぃ」
(彼女は早くという意味でハリーと言いたいのか、単にメリーを呼んでいるのか、判断に困るな…………)
「ここかしら…… カチ、ガチャ、ズズン」
「お、重くなったって表示されてるわよ」
「全部押したけど変化ないわね…………」
「なら三つ同時押ししてみるのはどうだい?」
「そうですね、試してみます」
「ちょ、なんかもっとヤバくな……んきゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
三階編。
「ロウソクの火が並んでる。付いてるのと付いてないのを見るに、こういうのは大抵全部消すか全部付けるかして先に進むものよ」
「本当だ。まっすぐ進んだ先に扉が見えるわね。肝心の火種がないけど……最初のロウソクを拝借すれば良いのかしら?」
「そうね。よーし、ちゃっちゃと全部点けるからちょっと待ってなさい!」
「量が多いし、僕も手伝おう」
「なー!? 付けると同時に反対側のロウソクの火が消える、ですって!? 一体どうすれば…………」
「ふむ。名称はロウソク。用途は四階へ進むための扉を燃やすもの………?」
「油性含んだ扉!? この立ち並ぶロウソクと消える仕掛け何の意味あったの!?」
「単なるミスリードだったってことね」
「うぐぐ……こうなればっ」
四階編。
「あれ、蓮子が止まってる」
「また何かの作業中なんじゃないか?」
「くくく……データを弄れる立場にいる私が本気を出せばこんなトラップ一群……あれ、ここ弄ったはずなのに正常に動作しない……」
「蓮子。殺風景な景色だった三階が、不可思議なオブジェの展覧会に変貌しているんだが……」
「バグの具現化なのかしら……」
「こ、ここをこうすれば……」
「……最早隙間を探すほうが面倒なくらい溢れてぎゅうぎゅう詰めなんだが……」
「蓮子……ズルするから……」
「わ、わかったわよ。私が悪かった、真っ当に進むから二人ともそんな眼で私を見るのやめてぇぇぇぇ…………」
五階編。
「直進の道しかないわね。他に仕掛けもなさそうだし、とりあえず進んでみましょう」
「ならまっすぐ突っ切るのみ! まっすぐ、まっすぐ!」
「ここは何もなさそうだね。よし、次の階に進も――」
「…………階段を進んだ先は、さっきと同じ光景でした、まる」
「ならもう一度進むだけよ!」
「……………………同じだな」
「無限ループって怖いわね。ああそうだ蓮子、途中で微妙に左右の配置が違う場所発見したわよ?」
「それどっちかが隠し扉じゃないの! それを先に言いなさい!」
そんな風に、僕達は様々な仕掛けをくぐり抜けて六階へたどり着いた。
傷ひとつないのに疲労困憊な様子の蓮子をメリーが慰めているが、六階を少し進んだところで僕達は全員行動を少し止めた。
「これは…………」
「道が、ないわね」
「つまり、ここまでが創作者の限界だったってことね」
先程まで作りこまれていた城の景観はそこになく、それより先は真っ白な空間が広がっている。
外側から見た面積と歩いてきた移動距離などの全てを無視するような、広大な空間。まるで地平線のようだった。
「ここから先はどうするの?」
「……メモによると、どうにか完成させようとした後がある。結局作られてないってことは、製作者は亡くなったと考えるのが妥当ね」
「作り手は消えたかもしれないが、今は君達がいる。……そういうことだろう?」
「何それ、つまり私達が引き継いで完成させろってこと?」
「違うのかい? コンピュータはパターンを創ることで道具を心に変えるものだろう? 実態が幻想を機能を備えているのなら、使わない手はないじゃないか」
「パターンを創ることで道具を心に……?」
「プログラムをいじることでゲームを創るってことよ。……貴方やっぱりゲームのキャラじゃないでしょ?」
「言っている意味がよくわからないのだが…………」
「まあいいわ。確かにこのパソコンは幻想を――ゲームを生み出すもの。なら、完成させれば何かわかるかもしれないわね」
「でもメモには、素材が足りなかったんでしょ? それはどう補うの?」
「ああそっか。攻略に夢中で話してなかったわね。実はメリーが境界を見つけるたびに、フォルダの中に新しい素材が追加されてたのよ」
「私、追加パッチみたいな役割も兼ねてたのかしら」
「かもね。……なら、それじゃあ作ってみますか。メリーは他にも境界の隙間がないか調べて見て。私と霖之助は作業に没頭」
「僕もかい?」
「道具屋ならプレゼンテーションはお手の物でしょ?」
「ふむ。式神の作業を直接見れないのは残念だが、好奇心を満たす意味でも手伝おう」
「っし! それじゃあ秘封倶楽部、活動再開よ!」
蓮子の号令の下、メリーは新たな境界探しに向かい、僕は蓮子の作業の手伝いをすることとなる。
さて、世界を堪能するためにも頑張ってみるか。
霖之助に協力を求めたのはなんとなくだったけど、それが大正解だと気づいたのは幻想郷と呼ばれる場所についての知識を披露されてからのことだった。
悪魔が住む館と呼ばれる場所をはじめ、亡霊と幽霊がひしめく冥界、合成でない、天然の筍が豊富に取れる竹林に住むおとぎ話のかぐや姫、途中でも登ってきた天狗や河童の住まう妖怪の山、怨霊や封印された妖怪が住まう地底の地獄、毘沙門天の弟子や聖人を乗せる空飛ぶ船……まさに幻想と称する他ない発想の数々が彼の口から飛び出してきたのだ。
いや、発想と呼ぶには些か大げさだろうけど、少なくとも私の知らぬ知識を紡ぐそれは、確かな幻想の語り手として機能している。
そして同時に、フォルダの中にある素材の数々が彼の口から語られる幻想郷を構成するものだと気づく。
……霖之助の発想の飛躍が映ったかもしれないけど、私は一つの仮説を思いついた。
この素材の数々は、ひょっとして霖之助が作っているのではないか、ということだ。
でなければ、メリーの見つけた素材の全てが彼の話に合致するなんて偶然ありえない。これらを組み合わせることで生まれる幻想(ゲーム)が、霖之助の住む幻想郷を創るのだとしたら……彼こそ、このゲームの製作者の分身とも呼べる存在なのではなかろうか? と、そんなふうに考えてしまう。
そうなると、霖之助が私達を……正確にはメリーを呼び込んだ理由は、やはりゲームを完成して欲しかったのかもしれない。死してなお、その想いが現実に残り引き継がれて行く……うん、ロマンね。悪くない考えかも。
夢のある話を無理に現実に引き戻す必要はない。
あるとすれば――それは、夢を現実に変えたその時だけだ。
そう考えると、胸の内が昂ぶっていくのが実感できる。今まさに、私の手で幻想が生まれようとしているのだ。これで興奮しない奴は秘封倶楽部を名乗る資格はない。メリーだって、そう感じてくれるはずだ。
私はその想いを操作に乗せ、ひたすた私「達」の幻想を紡いでいた。
そして――
「製作、完了」
虚無とも言い換えても良い広大な白い空間を埋めて行く幻想郷の名所を思い返しながら、僕達は城の頂上を踏破していた。
蓮子は感慨深い、と言わんばかりに重い台詞を紡ぎ、メリーは蓮子が生み出した幻想郷の数々を思い返しているのか、眉根を寄せて何かを考え込んでいる。僕の話から作り出された幻想郷を内包した城を攻略した余韻に浸っているのだろう。
僕は何か声をかけてやろうかと思った瞬間、メリーがあ、と声を挙げた。
「どうしたの、メリー?」
「あそこに境界が見えるのよ」
「……私にも見えるわ。あれは……白い、桜? 傍に建物も見えるみたいだけど……」
メリーが示す先。
それはなんと、僕の店である香霖堂の裏手に繋がっていた。白い桜は香霖堂の裏手にある植物で、傍にある建築物は香霖堂である。二十年ほど住んでいる我が家だ、見間違えるなんてありえない。
「古道具屋、香霖堂。僕の家だ」
「え、あれが森近さんの?」
「ああ。そうなると、今あそこに行けば僕は帰ることが出来るのかな?」
境界の向こうに手を伸ばしてみるものの、素通りするだけで決して触れることは出来なかった。
景色は確かにそこにあるのに、つかむことが出来ないのだ。
しかし、だとしたらなぜこの場に見えているんだ? 蓮子が作ったのだろうか……
「蓮子、これが君が作ったのかい?」
「う、ううん。いくら私でも聞かされてない場所を創るなんて出来ないわ」
それもそうか。
だとすれば、どういうことなんだろうか。
「……ひょっとして、お別れの時間、ってことなんでしょうか?」
「え?」
「……お別れ、か」
そうなると、あの空間は幻想郷からの帰還の合図ということだろうか。ひょっとしたら、彼女達以外の式神が出て行けと遠まわしに行っているのかもしれない。
……僕は少し悩んだ。
出来るならまだここにいて、今度は蓮子達に様々な話を聞きたいからだ。コンピュータのこと、式神のこと、他にも色々……外の世界の技術を、少しでも知るチャンスだからだ。
けれど、ここで機嫌を損ねてずっとここに封印されてしまう可能性だってあるかもしれない。それは流石に御免だ。
「まったく、過程や方法は違えど、僕自身が幻想から幻想入りするとは思いもよらなかった」
「幻想入り?」
「ああ。忘れられた存在や道具が行き着く先、それが幻想郷。そこに行くと言うことは、外の世界から忘れられた、或いは死のうとしている存在が入ることを意味するんだ」
息を呑み、唇を噛み締める蓮子とメリー。
そこにどんな感情が宿っているのかうかがい知れることはないが、僕のするべきことに変わりはない。
そう、帰ることだ。
どうしてここに居るのかは結局わからなかったが――帰れなくなるのは、正直勘弁である。
次のチャンスがあるかわからないのなら、不確定な希望を抱くべきではない。
「――どうやら、お別れの時間ということらしい。叶うなら、そんな風に操作してもらえると助かる」
「蓮子、そんなこと可能なの?」
「話の辻褄を合わせるのなら、ファイルをデリートすれば、多分出来るんだと思う。CD-ROMは壊れてインストールできないし、コピーもできないこの現状。なら、ファイルを消せばそれは死と同義なんだと思う」
「どうして? このゲームの製作者は、完成出来なかった無念があったのでしょ? 完成したなら、それを世間に好評するのが一番じゃない。なら、私達がこれをどこかに紹介すれば……」
「多分、作り手はそんなこと考えていなかったのだろう。ただ、作れなかった無念だけがそこにあり、ひけらかす真似など考えていなかったのかもしれない。推測でしかないけど、そういうことなんじゃないかな」
「そんな……そんなのって……」
頭に手をやって、悩める表情を見せるメリー。僕はなんとも言えず、沈黙を守る他なかった。
そして、そんなメリーに突如異変が起こる。
「っ、メリー!?」
「え……………?」
粒子化している、と言えば良いのかメリーの体が足元から徐々に消え始めているのだ。
突然の事態に対応できず、ただ内心の驚愕が言葉となって外へ漏れる。
蓮子と二人で思わずメリーに手を伸ばすが――触れる直前になって、メリーはその場から完全に消失していた。
「いったい、何が起きて……」
この現象は一体なんだ?
零時間移動、ではなさそうだ。それが使えるならメリーは常に使っていただろう。けれど、彼女は境界の結び目を見る能力しか持っていないはずだ。そうなるとこれは第三者の意図? そうなると誰だ? 僕はメリーを害する意思なんてないし、メリーの親友である蓮子も同じことだろう。
やはり事故のようなものかもしれない。そうなると何が原因で――
「霖之助。メリーは無事よ」
「何だって? どうして蓮子にそんなことがわかるんだ?」
「居るのよ、私の傍に。メリーが」
「はぁ?」
何を言っているのかわからない。
メリーが突然消えたことで頭がおかしくなってしまったのだろうか?
「何か突然イラっときたけど、今は気にしないでおくわ。うん、この道具の世界から外に出れた、ってことなのよ」
「外に? 君達、この世界から出れるのかい?」
「ええ、まあ」
何やら口を濁す蓮子。秘密だったのかもしれない。
しかし外の世界の式神の式神はなんとも高性能なことだ。まさか中だけでなく外に出現することが可能とは……情報を集めるというのも、今のように消えては現れてを繰り返してのことかもしれない。あのスキマ妖怪のような空間転移の真似事が可能なら、天狗を上回る早さで情報を集めるのも納得である。
「それで、こっちに戻ったメリーからの話なんだけど、逢魔ヶ刻って、知ってる?」
「ん? それはまあ知っているが」
逢魔ヶ刻とは、夕方の薄暗くなる、昼と夜の移り変わりの時刻を示した言葉である。
呼んで字のごとく、妖怪や幽霊といった怪しい存在と出会いそうになる時間のことだ。古くは暮れ六つや酉の刻ともいい、黄昏の時を迎える境界の時間と言い換えることも可能だ。
それが一体、どうしたと言うのだろう?
「なら話は早いわね。もう少しでその時間になるの。この時間、顕界と冥界が繋がるこのとき、私達はこの世でないどこかの景色を見ることが出来る……『あちら』が『こちら』を見ているのは、同時に『こちら』も『あちら』を見ることが可能になるということ……」
「つまり、再び幻想入りするならば、このチャンスを置いて他にない」
「……それが、貴方の意思なのね。メリーが外に出ることが出来たってことは――もう、お役御免ってことかしら」
「妙に刺のある言葉だね」
「…………………ごめん」
謝られてしまった。僕としては全く気にしない、単なる返しだったというのに。
幻想郷の少女を相手にした軽口が、知らず出ていたのかもしれない。まずいな、彼女は式神の式神なのだから、同じ扱いをするべきではなかったかもしれない。
「元々、住む世界が違うんだ。どんな理由で交じったかわからないけど、そこに永劫を求めてはいけない。無理をするなら、無理を生じたのなら、それに比例した反発が確実に起こる。――ただ、あるべき姿に帰るだけだ」
「……なら、私達はどうして出会ったのでしょう」
姿は蓮子だが、僕はなぜかメリーを想起した。おそらく、蓮子の口を借りて、メリーが喋っているのだろう。
「この世界を完成させること、だろう? それが終わったから、終わる。元に戻る。これは、ただそれだけの話さ」
「なんで、そんな冷静な言葉が言えるの? 死ぬ、ってことなんでしょ……?」
「違うよ。僕は死ぬんじゃない。ただ、ここで君達と別れるだけだ」
「それは……死と、どう違うの?」
「――終わりじゃない、ってことさ」
「え?」
呆然とつぶやく蓮子。僕はらしくないと思いながら、顔を微笑に変える。
「忘れるだけだ。死んでいるわけじゃない。思い出さなくても、胸の底に、頭の片隅にその存在の残滓があるはずさ。それを消すことなく留めておけるなら――また、会えるかもしれない」
「……それはまた、夢のある話ね」
「ロマンがあるだろう?」
「夢なら形にすればいい、か。蓮子の言葉を思い出すわね」
「そういった不思議なことを探すのも、サークル活動の一貫でしょ?」
「違いないわね」
僕はここでたまらず吹き出してしまう。
怪訝そうな顔で僕を見る蓮子。僕は、正直に理由を話した。
「随分と上手い一人漫才だと思ってね」
「こういうとき、もっと良い言葉言わない?」
「何、引きずるよりマシなんじゃないかと思ってね」
「……ま、それもそうね。ちょっと珍しい体験をしたから、センチメンタルな気分になってたのかも」
「良いんじゃないか? そういう情感は大事にするべきさ。それが、幻想を生み出す元になる」
「……人間と夢。ゲームと幻想、作ろうと思わなければ――望まなければ、生まれないってわけね」
「そういうことだ」
「…………………十八時」
城の頂上の窓から見える星を見ていた蓮子の口から、そんな台詞がつぶやかれたと同時。
僕は自分の体が薄れて行くのを実感する。メリーと同様、僕もまたこの世界から脱出する時間のようだ。
足元から消える自分の体を見下ろしながら、僕は最後にもう一度蓮子の顔を見る。
ふと、メリーの面影が浮かび何か言おうかと口を開こうとした寸前――
「秘封倶楽部臨時部員、森近霖之助。入部試験は終わったから――今度、合格通知を届けに行くわ」
「…………そいつは、楽しみだ」
蓮子の言葉に満更でもないように切り返し、僕は完全にその世界から消失した。
それは、宇佐見蓮子がデリートキーを押した瞬間であり――空間の裂け目から両者を見ていた「瞳」が閉じるのと同時であった。
「………………」
随分と頭の重い目覚めだった。
寝起きの視線はいつもの香霖堂の内観を映している。
どうやら、うたた寝をしてしまったらしい。客がいなかったのが幸いだろう。
「――残念ながら、客はずっといましたわ」
「――!?」
背後からかけられた声に、僕は内心の驚きを顔に出さずに振り向いた。
CD-ROMと呼ばれる外の世界の道具を手にした妖怪の賢者、八雲紫が胡乱な笑みを浮かべて僕を見やっている。一体いつの間に……
「随分と客を歓迎しない店ね。私でなければ怒って帰るところですわ」
「……それは、申し訳ないことをした」
言いたいことは色々あったが、実際に眠っていたのは僕なので何も言えない。
なんて言い訳をしようか悩んでいたが、それより先に紫が口を開いた。
「それより、貴方は式神についてどう思われます?」
「……いきなり何を?」
「式神を創るのは案外簡単でして。ある程度の情報を持っていれば独自に作り上げることが可能ですのよ。その気になれば、貴方の分身を創ることだって可能ですわ」
「いらないよ、そんなの」
「実はもう作って、打ち込んでありますのよ」
「なんだって?」
「ふふ、冗談ですよ。すでに式はないですので、ご安心を」
それは遠まわしに、作ったことがあると言っているのだろうか?
真意を確認するのが怖い。
「まあ、客を待たせた罰として、これをもらっていきますわ。先日のストーブの代金の追加徴収ということで」
「……………まあ、構わないが」
掲げたCD-ROMを僕に見せつける紫。追加徴収という言葉に顔をしかめたものの、手にしたのがあのCD-ROMだったので特に問題はなかった。
あのCD-ROM、用途が世界を創り出すというとんでもない代物だったのでどう処理しようか悩んでいたところだ。八雲紫が引き取るというなら、逆に安心だろう。
「先程の続きですが、式神は元になった人物の夢を見るか? という問い掛けに対し貴方はどう思われます?」
「……一概には言えないな。仮に出来たとしたら、どこかで両者が繋がっているということだろう? そんなことがあるのなら、反動が怖い。なら普通は切り離れていると考えるのが普通だろう」
「ええ。仮にオリジナルを元にした式神を作っても、それが本人に影響することはない……けれど、夢という形を取って式神の見ている光景をオリジナルが見ることが出来るのなら――どう思われます?」
「そんなの、使い魔の視覚共有を使えば問題ないだろう?」
「私が問いかけているのは夢ですわ。普段ありえないことを見ることが出来るのです、少しは何かを感じませんか?」
「……そうだな」
少し、考え込む。
式神の眼を通して夢を見る、か。それが一体どんな効果をもたらすか知らないが、紫の問い掛けは利益やそういったのを度外視した返事だろう。今日はちゃんと意思の疎通をする気があるようだ。
「貼り付けるもの如何、だろうな」
「その心は?」
「ふと思ったんだけどね。もしコンピュータに式神を貼りつけて、その式神が見るコンピュータの中身を見ることができれば、それはそれで面白くなりそうだ。まあ、漠然と思っただけだがね」
「なるほどなるほど。違う視点から物事を見ることができるから、ということかしら」
「かもしれないね。けどそうだな、僕は道具の名前と用途を知ることが出来るが――もし、道具が視てきた光景を夢の中で見ることが出来るなら、そいつは素敵なことかもしれない」
なぜなら、僕はそれを通して外の世界を旅することが出来ると思うからだ。
紫の前でそれを言うのは憚られたので、僕は内心でその言葉を紡ぐ。
もしそんなことが可能になるなら、僕は香霖堂にいながら道具を介して外の世界を見ることが出来る。
そんな夢想くらい、抱いても問題ないだろう。
ふと、扇子の閉じる音が耳をつく。
はっとして僕は気づく。いつの間にか、紫の姿が見えないことに。
「…………結局、なんだったんだ?」
まあいい。紫が何を考えているかを考えても無駄なことだ。
わからないことはわからない。その信条通り、深く考えないことにしよう。
――カランカラン。
おや、誰か来たようだ。今度はまともな客ならいいが……
僕は顔を上げ、入ってきた人物を向けて言い放つ。
「いらっしゃ…………おや、君達は――――」
<了>
金属に爪を立てて引っ掻くような、或いは振動によって響くような、聞き慣れぬ異音が耳をつく。
ガー、ガーと異音はさらなる未知のものへと切り替わり、失われた幻想の音よりも不鮮明な何かを発している。
響く異音に対し、僕は耳栓をすることもできずただただ不快な音を浴びせられていた。
自分がどこにいるのかわからない。
自宅である香霖堂でもない、周囲一面が黒に閉ざされた謎の世界。
光源らしいものはなく、自分の姿を確認することさえも不可能である。
己の感覚すら、本当に正しいのかも不安だった。
その証拠に、先程まで煩わしいほど鳴り響いていた異音の一切が失われているからだ。
無音、そして五感の掌握できない闇の中。
時間の感覚すら正しいのか今の僕にはわからない。
夢の中にしてはやけにリアルな情景。目に浮かぶ全てが黒の中、僕の意識は闇の中に同化しようとしていた。
だが。
意識すらも奪われる完全なる黒の中に、僕はあまりにも小さな、けれど確かな色を持つ白を見た――
目覚めた景色は、気を失う前とは完全に異なる風景だった。
僕を包んでいた闇は晴れ、冷たくも暖かくもない不思議な光が周囲を照らしている。
最初に、人里にある家屋に似た作りの建物が眼についた。
しかし瓦作りの屋根の家屋もあれば、石材で作られているような家まである。近くで炊き出しでも行っているのか、煙突のある家からはもくもくと煙が吹き出している。……いや、あれは食材の煙じゃないな。何らかの工場か……?
家屋の他の周囲には鉄づくりの巨大な建物が立ち並んでいるが、不思議なのは、それらが立ち並ぶ建造物を支える地面が、不可思議な素材で舗装されているということだ。
僕は腰を下ろし、その不思議な素材に手を添える。自然における土の上に立っているわけではない。硬い、けれど金属ではない。これは……石だろうか? 研磨された石とは言い難い粗さだし、砂のような砂利や砕石がそこに含まれている。
僕は己の目を凝らし、少し強引ではあるが能力を試してみようと腰を下ろした。
「おー早速NPC発見、景色もそうだけど拾い物の割にかなり作り混んでるわねー。リアルそのままよ。伊達にノーパソの容量の九割食ってるわけじゃないわね」
「そうね……ますます怪しいわ。でも蓮子、アバターを自分のままにする必要あったの?」
「わかってないわねメリー。これは秘封倶楽部の活動の一環なのよ。好きに弄れるからって自由に作るんじゃなく、己の分身を生み出してこそのアバターよ。って、そんなのはどうでもいいのよ。ゲームの基本、まずは情報収集ってね。おーい、そこの人ー」
そこで、僕は突然何者かに声をかけられた。
振り返って声の主を見てみれば、そこに居たのは霊夢や魔理沙よりやや年上に見える二人の少女。
僕に声をかけたのは白いブラウスにネクタイを通した、白黒のスカート姿の少女。黒い帽子の下にある表情はどこか魔理沙を彷彿とさせるが、彼女は黒髪であった。
もう一人は、紫色のワンピースをまとい黒い少女と対照的な白い帽子を被る金髪の少女。怪訝な顔で僕を見やるその表情に、先の既知感同様、今度は霊夢のことを漠然と思った。
「聞こえてる?」
「あ、ああ。すまない、聞こえている。ちょうどいい、君達ここがどこかわかるかい? 幻想郷でも見たことない景色なんだが……」
「え? 貴方も知らないの?」
「どうも、そういうタイプのNPCみたいね。最初に出会った人物だから重要そうだけど思ったけど、単なる変な人かな」
「……初対面で変人扱いとは、言ってくれるな」
少し気分を害すが、この状況の疑問に答えてくれるかもしれない貴重な話相手だ。ここで下手に反発する必要はないだろう。
「あ、すみません。ほら蓮子、謝らないと」
「だって、格好は元より座ったと思ったらじっと地面を眺めてるのよ? 変人以外の何者でもないわ」
「たとえそうだとしても、口にしちゃダメよ」
凄まじく声を大にして何か言いたいが、落ち着け僕。我慢だ、我慢。
まずは平静を取り戻す意味でも、自己紹介と現状の把握といこう。
「ちょっと調べ物をしていただけさ。僕は森近霖之助。香霖堂という古道具屋の店主を務めている」
「御丁寧にどうも。私はマエリベリー・ハーンと申します」
「私は宇佐美蓮子。姿形に声付き、ここまでリアルだと本物みたいね……うん、丁寧に対応されてるし、私も敬語で行かせていただきます」
黒髪の少女は蓮子。そして金髪の少女はマエリベリーというらしい。
互いに自己紹介を済ませたところで、次のステップといこうか。
「改めて宇佐見さんにハーンさ『呼び捨てで構いませんよ、貴方のほうがどう見ても年上だし。あとこの子はメリーって呼んであげてもらえますか? 長ったらしいから、愛称なんです』……じゃあお言葉に甘えて、ついでに敬語は結構だよ」
「あら、そう?」
「こら、蓮子……礼儀はしっかりしないと」
「いいじゃない。本人が構わないって言ってるんだし」
「もう……うちの蓮子がすみません」
ぺこりと頭を下げるメリーだが、僕はなぜか不思議な感情が沸き上がっていた。
まるで霊夢と魔理沙に敬語で話しかけられるような錯覚があったとは言えない。
それはまあ、別にいいだろう。
「気にしないから大丈夫さ。さて改めて聞くが、ここがどこだかわかるかい? 場所の名前とか……」
「名前? ううん、それは私達にも全くわかりません」
「一応の目的としては、あそこの城に用があるの。それで歩いていたら、貴方に出会ったのよ」
城? と言われ、僕は蓮子が指差す方向に顔を向ける。
そして愕然とした。
異質な建物だけでも驚きなのに、あれはその中でも一際目立つ。道なりにまっすぐ進んだ先、人里と山の境界を超え向こうにある頂上に巨大な城がそびえていた。
山を覆う雲のように、城には白い霧のようなものが立ち込めた外観は奇異の視線を集め、同時に人を寄せ付けぬ雰囲気に包まれている。だが、作りは違えど人里のようなこの場に鎮座するにはあまりに異質なものであった。
彼女たちはそこに用があると言う。あんなところに何の用があると言うんだ?
幻想郷の少女達のように、好奇心の赴くままということだろうか。
「何か遊びの途中だったのかい?」
「遊びと言えば遊びでしょうかね」
「違うわよ。れっきとしたサークル活動!」
首を傾げるメリーに、蓮子が吼えるように口を開く。やり取りの意図が掴めない僕は、もう少し情報を引き出すことにした。
「僕も同じだ、気づいたらここにいた。だが君達は明確な目的があるようだが、良ければ教えてもらえるかい?」
「ゲームにしては本当にリアルな反応ね。普通こういうのって、助けてください、とかそういうのから始まってあの城に関する情報が提示されるものでしょ?」
「会話の中で判明するのかもしれないわ。とにかく、ここは素直に言ったほうが良いと思う」
「まあゲームの住人にここはゲームだって言っても意味ないし、かいつまんで説明しましょ」
相変わらず彼女達の話の内容は理解できないが、それでも僕は幾つかの事項を把握することに成功する。
彼女たちが所属する、サークルという組織の名は秘封倶楽部。
境界を見ることが出来る能力を持つメリーの力を使い、張り巡らされた結界を暴くといった活動をしているらしい。境界の裏を覗くだけで、それ以上のことはしていないとのことだが……なるほど、霊夢に似ていると思い至った感覚はこれのせいか。
「その活動の最中、ここにたどり着いたという解釈で構わないか?」
「ええ、それで大丈夫。私達はそういう訳でここにいるのだけど、貴方は……わからないんだっけ」
「すまないね。しかし、今回はそれまでの活動とは一線を介しているとか?」
「あ、はい。えっと……今までは結界を暴く性質上、景色の境界ばかりだったのですけど、今回はその……物の中に境界が見えたんです」
「物の中の境界?」
「私には見えないからわからないけど、CD-ROMをインストールして起動……って言ってもわかんないか。ある道具の中に境界が見えたらしくて」
「とすると、今この場はその境界の中、ということかい?」
「あー、うーん。そういうことになるんでしょうかね……」
ここが現実でなく、境界の中ということなら不可思議な場所であることも納得がいく。
アスファルトなる地面、不可思議なデザインの家屋が並ぶ人里。暖かくも冷たくもない光……それら全てが別世界のものなのだろう。
しかしそうなると、僕はいつ幻想郷からこの世界へ迷い込んだのだろう。
いや、それ以前に幻想郷の中で境界を潜ったからといって、そこが幻想郷でない理由はなんだ?
天界や冥界、地獄など垣根を超えた世界といえどそこが幻想郷の中に変わりないはずだが……
「もう一度聞くが、幻想郷という単語に聞き覚えは?」
「うーん……すみません、ちょっとわからないです」
「顕界でも冥界でもない、データという名のネクロファンタジア。う~ん、ロマンね。盛り上がって来るわ」
「蓮子ー、戻ってきなさーい」
ブツブツと何かをつぶやく蓮子に軽く小突きながら突っ込むメリー。仲良きことかな。
しかし、幻想郷でもない異世界……果たしてここはどこなのだろう。
「とりあえず歩かないか? 情報の共有で何も得られなかったし、この場にいる意味はない」
「ん、そうね。そっちのほうが建設的で良いわ」
「とは言ってもアテはないから勘任せになるが……君達には何かあるかい?」
「メリー、パス」
「ぶん投げられても……とりあえず境界の結び目を地道に探す他ないかと思います」
とりあえずの目的は決まったが、もう少し聞いておくか。
試してみたいこともあるしな。
「そうだ、道具は近くにあるかい? 紹介した通り、僕は古道具屋でね。道具の名前と用途なら完全に理解できる」
「完全って、また随分な自信ね」
「そういう眼を持っているからね。名前と用途を理解できる」
「あら、貴方も?」
「も?」
「奇遇ね。メリーはさっき言った通り、境界の結び目を見る眼を持ってるし、私もそういった眼を持ってるのよ。メリーの薄気味悪さとは一線を介した真っ当な眼だけどね」
「貴方の眼のほうが、気持ち悪いってお返しするわ」
「何よ。私のに比べればメリーのほうが……」
「蓮子のほうが絶対に…………」
あーだこーだと、つかみ合いとは行かないが少々剣呑な雰囲気が二人から発せられる。
こんなところで喧嘩しても何の得にもならないというに。
霊夢と魔理沙なら弾幕ごっこで晴らすだろうが……彼女達もそういうのは出来るのだろうか?
いや、仮に出きたとしてもこんなところでされても困る。
僕が。非常に。
「偶然のひと言で済ませれば良いだろう。これでこの話はおしまいだ。それより、道具のほうは? 君達が入って来れたのなら、入り口から出れば道具を一瞥できるはずだ」
「えっと……」
口を濁す蓮子。
言いたくない、というわけではなさそうだが、憚られる形なのだろうか?
「ここに居るということは、入口から入ってきたのだろう? そこに案内してくれれば良いんだが」
「入口はないんですよ」
「何だって?」
突然のメリーの言葉に、僕は眉をひそめた。
入口がないというのなら、どうやってここに入ったと言うんだ?
「その、テレポートみたいなものでして。気づいたら、ここに居たんです」
「霊夢のような、零時間移動の類か。或いは」
「神隠し?」
「もう戻れないというなら、そうなるだろうね」
「戻れないわけじゃないんだけど……メリーと貴方は行けないと思う」
「……少しこんがらがって来たな。君は戻れるのに、僕がそこに行けない理由がないんじゃないか? まさか、君達は零時間移動を自在に操れるのかい? なら、入口がわからないという理由について説明できないぞ?」
僕の言葉に頭を抱える蓮子。メリーはメリーで同じように口を濁しているし……一体どういうことなんだ?
それでも、仮説を立てて検証しなくては先に進めない。
僕は諦めず、許される限りの質問を続けていった。
ノートパソコンの画面の中で、森近霖之助と名乗った男の突拍子もない質問にメリーが対応しているのを横目に、私は彼にどう説明しようか頭を悩ませていた。
彼はまるで本物の人間のようだ。質問し、一つ一つに一喜一憂して考え込む様はデータの集合体、0と1の羅列から生まれたプログラムとは到底思えない。
本物の人間をCDの中に閉じ込めた、と言われたほうがまだ納得が行く。
そうでなければ、理解が出来ない。こんな高度なAI、世界中探しても見つからないんじゃないかしら? ますます意味不明ね。
――事の起こりは、いつものように我らが秘封倶楽部の活動の一環で境界探しをしていた時のことだ。
明確な目的はなく、漠然とした探索だったので、適当に辺りをつけた場所を散策してみようと思い新幹線の「ヒロシゲ」に揺られてたどり着いた先で見つけた一つのノートパソコン。
正確には、境界の向こう側に行きかけたこれを強引に引き止めたことが全ての始まりだった。
今にも消えそうだったこのノートパソコンをメリーが拾った瞬間、それは薄れかけた実体を取り戻した。しかし、その代償のせいか何なのか、メリーはノートパソコンの中に入り込まれてしまったのだ。
まるで不思議の国のアリスのような迷い子の展開に驚く私だが、冷静さを取り戻し残されたノートパソコンの中身を調べるべく急いでバッテリーを購入し、すぐに起動させて中身を開いた。
ともかく圧縮されたそれを解凍し、中身をインストールさせた瞬間に中に入っていたCD-ROMは謎の破壊を遂げ、それ以降うんともすんとも言わなくなった。ファイルをコピーするのも不可能となってしまったそれはつまり、パソコンのデータの中に紛れたそれが、世界で唯一のファイルとなってしまったわけだ。
恐る恐る起動させてみると、中にあったのは一昔前に話題になったゲーム。自分の手で好きなゲームを作り出すことが出来るという、一種の創作ゲームだった。内容は、ダンジョンを攻略する謎解き要素を含めたアクションものらしい。
すでにゲーム自体はある程度完成していたらしく、すぐに始めることが出来た。
このゲームは作り込みが半端ないようで、プログラム技術を齧った人間からしてもまともに創ることが出来ないとされた、ある種のマイナーゲームだった。私もやったことがあるけど、秘封倶楽部の活動のほうが面白かったので結局それ以降はやっていない。一体誰が作ったのかわからないけど、起動出来たからあの瞬間だけ感謝しておく。
自分達に似たアバターを用意できるらしく、その辺は活動のことも忘れて己の作り込みに没頭していた。私は己の分身と言っても過言ではないキャラを製作し、改めてゲームを始めた。
運良く開始と同時にメリーと合流することが出来たので一安心だったが、ここで問題も発生する。
メリーがゲームの中に閉じ込められ、脱出する手段が見つからないからだ。
そもそも、どうしてメリーがあのノートパソコンの中に閉じ込められてしまったのか。何より、なぜ境界の隙間があったのか。
考えていても埒があかず、私はとりあえずの方針としてゲームを進めてみることにした。謎を解かない限り、メリーは脱出出来ないんじゃないか、と半ば希望を込めての判断だ。
やや話しあった後、とりあえず適当に画面の中の街を歩いて捜索し、ようやく目的のダンジョンの場所が判明しと初のNPCに出会ったのだけど……
(本当によく動くわね)
画面の中では、私のアバターがNPCだと思われる彼に対してアクションを続けている。
メリーがこのゲームの中にいる以上、ひょっとしたら彼も同じように閉じ込められた人間なのではないかとも思ってしまう。
基本的にゲームの登場人物はプログラムされた以上の動きを行うことは出来ない。打ち込まれた方程式によって行動を決められ、事前にパターンが決められているからだ。
つまりは、このゲームの製作者が打ち込んだプログラムに反する動きなど取れるはずもないのだ。しかし、画面の中のメリーはともかく霖之助は一喜一憂に悩み、正直なぜそんな発想が出るのかわからないくらい飛躍した理論を展開してメリーを困らせている。まともな製作者なら、こんな無駄なAIを入れるはずはないのだ。
いや、人間のようにきちんとした受け答えをしている時点でおかしい。返事のパターンをいくら数多く打ち込んだとしても、私はともかくメリーの言葉に返事が出来るはずがないからだ。
なぜならメリーはこのゲームにとってのイレギュラーであり、その会話パターンに対する返事のプログラムは組み込まれていないはずだから。
ひょっとしたら私には考えもつかない高度なプログラムが組まれているのかもしれないけど、ネットにも繋がっていない、いちCD-ROM、何より標準でしかないはずのノートパソコンのスペックでそんなことが可能なの……?
ま、悩んでいても仕方ない。メリーの言い訳もそろそろ限界みたいだし、そろそろ動きましょうか。
「とりあえず城に入るわよ。貴方はどうする?」
「……ここに居ても意味がないしね。君達さえ良ければ、一緒についていかせて欲しいんだけど……」
「私は構わないけど、メリーはどう?」
「ここで断ったら私一人だけ空気読めてないみたいじゃない」
頬を膨らませながら私を睨むメリー。でも本気で怒ってないのはわかってるので、私は軽く手を振って答え、改めて霖之助に向き直る。
「それじゃ行きましょう。鬼が出るか蛇が出るか、虎穴に入らずんば虎子を得ずってやつよ」
「どっちみち危険に変わりないじゃないか…………」
はあっ、とため息をつく霖之助をよそに、私達は山のてっぺんにある城の形をしたダンジョンへ向かうのだった。
「そこに綻びが見えるわ」
メリーがそんなことをつぶやいたのは、人里の区域を抜けて山道へ入ろうとしたその時だった。
蓮子曰くアスファルトなる素材で作られた道を進んでいた僕らは、舗装された道が途切れた場所――つまり、山の入口でのことだ。僕は怪訝そうな顔を自覚しつつ、メリーにその真意を尋ねてみる。
「綻びとは? 生憎、僕の眼には何も見えないのだが……」
「ああそっか。この部分に結界の穴があるんですよ」
言って、メリーは山の木の一つを指す。そう言われても僕にはまったく理解できないのだが、蓮子はそんなメリーのことを信頼しているのか、すぐ調べてもらえないかと頼んでいる。メリーもまた、それに快く頷いた。
「えーっとここに……裏に何か……うん?」
「!? メリー、今何したの?」
「?」
僕にはメリーが中空で手をさ迷わせていただけに見えたが、蓮子は眉根を寄せてメリーに詰め寄っている。一体何が何だかさっぱりだった僕は、蓮子に落ち着くよう声をかけてから改めて質問してみたのだが……
「…………このファイルが開いてる。起動は……可能ね。隠しファイルだった……? 解凍条件が……………………………………………………………………………」
「蓮子?」
「………………………………………………………………………………」
ぶつぶつと何か独り言をしたと思えば、その後メイドに時間を止められたかのように彼女はその場に静止した。
声をかけても、目の前で手を振っても彼女はぴくりとも動かない。
一体どうすれば、と悩む僕にさらなる混乱が訪れる。
「ここをこうすれば……、と」
何らかの作業をしていたらしいメリーが手を止めた瞬間、僕の視界に映る山の景色が一変する。
それまでは何の変哲もない山だったそれは、いつの間にか僕にとって「既知」の風景へと変わっていた。
その名は、妖怪の山。
幻想郷にあるはずのあの場所と同じ形をした山が、突然目の前に現れたのだ。
絶句する僕をよそに、静止していた蓮子が活動を再開する。何が何だかわからない……
「アバター放置して、何をしていたの蓮子?」
「今メリー、結界弄ったでしょ? その瞬間、画面の中に新しいファイルが展開されたのよ。それを調べてたってわけ」
「弄ったって言うか、境界を歪ませていた邪魔なものをどかしただけよ?」
「それが弄ったって言うのよ。やっぱり貴方、境界を見るだけの能力じゃなくなってきてるんじゃない?」
「そうかなぁ。まあ今はいいわ。それで、新しいファイルの中身は何なの?」
「ん。それが製作者の日記みたいなものだったわ。いわゆる更新履歴に類似したメモ。今出してみる」
相変わらず意味不明の会話を繰り広げる二人と妖怪の山を交互に眺めていた僕は、蓮子がどこからともなく取り出した本へと興味が変わる。わからないことは気にしない。理解できそうなことから始めてみよう。
「それは何だい?」
「この世界の創作者の日記みたいなものよ。なんでも、途中まで世界を作ってみたけど、現存する代物じゃ満足できない出来だったから完成を諦めた……って表現が悪いわね。一時的に創作を止めて、素材を探していたみたい。その人は常にノートパソコンを持ち歩いていたみたいで、色んなとこを巡って思いついてはすぐに続きを作ってたみたい。日記は途中で終わってるわ」
「そんなのがどうしてあんなところにあったのかしら。どう考えても――」
「パソコン? それは、ひょっとしてコンピュータのことかい?」
「随分妙な言い方するのね。まあ、正しいと思うけど…………」
この場所が、コンピュータの中の世界? ということは……彼女達は式神の一部なのだろうか?
八雲紫の式は式神を使う能力を持つと聞くし、そうなると二人はコンピュータの式神なのかもしれない。
その割には随分と人間味がある。一体何のパターンを作れば彼女達のような式神が生まれるのだろう。
いや、それよりも彼女達はここを完成途中の世界と評した。
つまりは今現在、パターンを構築して幻想を生み出している最中、ということなのだろうか。ひょっとしたら、外の世界の式神の製作過程を見ることが出来るかもしれないな。
しかし、そうなるとやはり外の世界の技術は恐ろしい。
僕達の世界の式神が幻想から実態を得ることに対し、外の世界の式神は実態から幻想を生み出す。彼女らの元になった道具とは、一体どのようなものなのか。
「――い」
それは後で考えよう。
今この世界が幻想を生み出している真っ最中ということなら、彼女達はそれを手伝う役割が与えられているのだろう。それがこの世界における彼女たちの立ち位置だ。
僕の知るコンピュータの用途は、情報の伝達ということであったが……情報を集めることで生まれる幻想がこの世界なのだろう。近しい記憶で言えば新聞のようなものなのだ。彼女達の手によって、このコンピュータなる式神は道具を心に変えているのだ。
しかしそうなるとあの複雑怪奇な作りの理由が説明できない。
河童のような高度な技術の組み合わせによって生まれていると思っていたが、蓮子曰くここはコンピュータの世界。つまりはコンピュータの中身だ。この世界は普通に建物もあれば人(と言っても彼女達だけだが)もいる。あんな機械の外見を模す意味が一体どこに……
まさか、僕が見ているパーツは全てが擬態なのか? いや、それなら僕の能力で理解できるはずだ。ならどうして……
「おーい、帰ってこーい」
いやそれ以前に、そうなると僕は一体何だ?
どうしてここにいるのだろう。道具の中の世界に入れたのは幸運以外の何者でもないが……
「ちょっと、聞こえてる!?」
蓮子の怒鳴り声でようやく気を取り戻す。
見れば、少々ご機嫌斜めの蓮子と困った顔をするメリーの姿が見て取れる。
どうやら自分から声をかけたのにいきなり考え込んでしまったので、ずっと無視してしまったのだろう。
僕はすぐさま二人に謝り、意識を整理する。
きっと僕は単なる迷い子なのだろう。彼女達がこの世界を完成させたら「多分」帰してもらえるはずだ。今はそう信じておこう。
「すまないね。思考に没頭してしまって……」
「ったく、気をつけてよね」
「まあまあ、反省してるようだからこれ以上は、ね? それより、これからどうするの? 山も形を変えて、城が見えなくなっちゃったみたいだし……」
「あ、そっか。それがあったわね。ファイル開いた途端、これだもの。まだまだ何か隠されていると思って良いと思う」
「道に迷っているのかい?」
「貴方見てなかったの? ほら、山がいきなり変化して道が……」
確かに景色が変貌したのは驚きだが……この道には覚えがある。
登頂にあの城があるのは変わらないだろうし、それなら変わらず頂上を目指せばいいだけだ。
「この道は僕が覚えがある。だから迷う必要はないはずだ」
「え、そうなんですか?」
「ああ。ここは幻想郷にある妖怪の山と瓜二つ……いや、同じだからね。きっと合っているはずだ」
「なんだ、それならそうと早く言いなさいよ! もう、やっぱり重要キャラだったのね!」
そう言うと、先程までの損ねていた機嫌はどこへやら、活発な笑みを浮かべて僕の背中を叩く蓮子。
痛みこそないものの、現金なものだ。
「蓮子。さっきの話をふまえると、多分私はこの世界では隠しプログラムを暴く解凍キーみたいな存在だと思うわ。だから境界を見つけたらすぐに元に戻してみるから、蓮子も画面に注目しててね」
「了解。アバターどうする? ここに置いていくことになるだろうけど……」
「いないと困るでしょ? 見つけたらそこですぐファイルを開いて調べればいいのよ」
「そうね。別に制限時間があるわけでもなさそうだし……よし、それじゃ早速行ってみましょうか!」
勇の言葉を発す蓮子に押されつつ、僕は二人の案内をするべく記憶の中の道筋を思い返しながら妖怪の山へと入っていった。
どうやら順序は間違っていなかったようで、僕達は頂上の城へたどり着くことに成功した。
途中、メリーが同じく綻びを見つけては蓮子が静止するという事態が何度か行われたが、それが世界を創る作業なのだと予測した僕は何も言わずにそれを眺めていた。
そんなことを繰り返しているうちにたどり着いた頂上は、距離感もあってか下界で見た景色よりも何倍も大きく見えた。
「ほえあー…………」
「すごい……大きい」
二人も呆然とその城を見据えている。
この世界の住人である二人が驚くということは、これはイレギュラーな事態なのだろうか。
驚いているところに悪いが、作業でもないのに待つのは面倒なので僕は二人に声をかけて進行することにする。
「とりあえず中に入ろうか。しかし、ここで何をするんだい?」
「んー、途中メリーが解凍してくれたファイルを開いてわかったんだけど……この城はまだ製作途中みたいだから、それを完成させれば何らかのリアクションがあると思う。とりあえずどこで途切れているかチェックしないといけないからまずは元の人が作ったダンジョンを堪能しましょ」
そう喜び勇んで最初の第一歩を踏み出す蓮子。
と――
プチ。
「プチ?」
蓮子が足を踏み入れた瞬間に聞こえた音に耳を潜め、音源を探してみる。
すると、蓮子の足元に線が引かれていた。それが今や、蓮子の足によって引き千切れている。
「えーっと……」
「こういうのって大抵」
「罠が仕掛けてあるものだね」
ひゅん、と言う風切り音。
次の瞬間、通常人間が出すとは思えない派手な音を立てながら蓮子が横殴りに吹き飛んだ。トゲ付き鉄球のワイヤートラップだ。
綺麗に作りこまれた床を盛大に転がり回る蓮子。やがて吹っ飛ばれた運動エネルギーも切れてようやく止まったものの、その後蓮子はぴくりとも動かなかった。
「れ、蓮子ぉぉぉぉぉ!」
「落ち着けメリー、まだトラップがあるかもしれない!」
咄嗟に蓮子に駆け寄ろうとするメリーを引き止めたものの、少女とは思えぬほど力強い動きによって危うく手を離してしまいそうになる。
だが僕も荒事は苦手といえ、妖怪の血が入った人間とのハーフだ。特別な力を持つといえ、少女一人の筋力を押えきれぬわけがない。
「離して、離して! 蓮子が……」
「だから君も二の舞になる可能性が…………」
錯乱するメリーをどうやって落ち着かせるか頭を悩ませる僕に、今度は奇声が届いてくる。
今度は何だ、と眼を向けたのも一瞬。だがすぐに視線は険しさから呆然へ切り替わる。何故なら、
「だらっしゃぁぁぁぁぁぁぁ!!」
っと、妙ちきりんな声を上げていたのは、他ならぬ蓮子だったからだ。
作動したトラップの大きさと威力を考えれば即死してもおかしくないはずだが、蓮子には傷ひとつついていない。
ああそうか、彼女は式神の式神だったな……おそらく、肉体的なダメージなら平気なのだろう。
「蓮子、無事だったの!?」
「無事なわけないでしょ!? めちゃくちゃHPゲージ削られたわよ! 開幕九割吹き飛ぶってどんなクソゲーよ! それともマゾゲー!? 危ないったらありゃしない、他の子が引っかかったらどうすんのよ、製作者出てこぉぉぉぉぉぉい!」
ぎゃおー、と怒りを撒き散らすものの、蓮子が無事なことに変わりはないようだ。
メリーの手を離すと、彼女は射出された弾幕のように一直線に蓮子へ向かっていった。
「そっか、今の蓮子はアバターだったわね。外見同じだから、体も同じかと誤認しちゃってた……」
「メリー、本気で行くわよ。秘封倶楽部の名誉にかけて攻略してやらないと気がすまないわ!」
「それじゃあ先頭は蓮子よろしくね。アバターなら痛みもないし、平気でしょ」
「ちょ、メリー!? さっきの私達の美しい友情は……」
「プライスレス」
「ひどすぎる!」
随分とやかましいが、それだけ元気な証拠だろう。メリーも調子を取り戻したようだし、蓮子には我慢してもらおう。
しかし、本当に傷一つないな。それだけ頑丈なのか?
「くっそー……ちょっと待ってて。回復しないと…………よし、これで満タン。気ぃ引き締めて行くわよ!」
怒りで頭に血が登っているのか、弾かれるように先へ走る蓮子。
僕とメリーは眼を合わせ――同じタイミングで苦笑する。
置いていかれぬよう、僕らも後を追いかけるとしようか。
~以下ダイジェストで送る秘封倶楽部プラスワンの楽しいダンジョン攻略~
一階編。
「この宇佐見蓮子、容赦せん! 秘封倶楽部、活動開始!」
「おー♪」
「なんで僕も数に含まれてるんだ…………?」
「気にしない! あ、二階発見! このまま走りぬけ…………きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ」
「あ、落とし穴」
「古典的にも程があるじゃない!」
「そうね。でもそんな初歩的トラップに引っかかる蓮子が言えることじゃないわね」
(…………思いっきり槍の山に貫かれてるのに平然としている。流石外の世界の式神はレベルが違うな)
二階編。
「スイッチが三つ。正しいのを押さないと進めそうにないわね。ならここを、っと カチ、カチャ」
「ん、何か連続して聞こえたような…………」
「見て! 天井が吊り下がってきてる!」
「だから古典的にも程がっ、あるわよ! メリーメリーメリー! ここは私が押さえてるからお願いぃぃぃぃぃ」
(彼女は早くという意味でハリーと言いたいのか、単にメリーを呼んでいるのか、判断に困るな…………)
「ここかしら…… カチ、ガチャ、ズズン」
「お、重くなったって表示されてるわよ」
「全部押したけど変化ないわね…………」
「なら三つ同時押ししてみるのはどうだい?」
「そうですね、試してみます」
「ちょ、なんかもっとヤバくな……んきゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
三階編。
「ロウソクの火が並んでる。付いてるのと付いてないのを見るに、こういうのは大抵全部消すか全部付けるかして先に進むものよ」
「本当だ。まっすぐ進んだ先に扉が見えるわね。肝心の火種がないけど……最初のロウソクを拝借すれば良いのかしら?」
「そうね。よーし、ちゃっちゃと全部点けるからちょっと待ってなさい!」
「量が多いし、僕も手伝おう」
「なー!? 付けると同時に反対側のロウソクの火が消える、ですって!? 一体どうすれば…………」
「ふむ。名称はロウソク。用途は四階へ進むための扉を燃やすもの………?」
「油性含んだ扉!? この立ち並ぶロウソクと消える仕掛け何の意味あったの!?」
「単なるミスリードだったってことね」
「うぐぐ……こうなればっ」
四階編。
「あれ、蓮子が止まってる」
「また何かの作業中なんじゃないか?」
「くくく……データを弄れる立場にいる私が本気を出せばこんなトラップ一群……あれ、ここ弄ったはずなのに正常に動作しない……」
「蓮子。殺風景な景色だった三階が、不可思議なオブジェの展覧会に変貌しているんだが……」
「バグの具現化なのかしら……」
「こ、ここをこうすれば……」
「……最早隙間を探すほうが面倒なくらい溢れてぎゅうぎゅう詰めなんだが……」
「蓮子……ズルするから……」
「わ、わかったわよ。私が悪かった、真っ当に進むから二人ともそんな眼で私を見るのやめてぇぇぇぇ…………」
五階編。
「直進の道しかないわね。他に仕掛けもなさそうだし、とりあえず進んでみましょう」
「ならまっすぐ突っ切るのみ! まっすぐ、まっすぐ!」
「ここは何もなさそうだね。よし、次の階に進も――」
「…………階段を進んだ先は、さっきと同じ光景でした、まる」
「ならもう一度進むだけよ!」
「……………………同じだな」
「無限ループって怖いわね。ああそうだ蓮子、途中で微妙に左右の配置が違う場所発見したわよ?」
「それどっちかが隠し扉じゃないの! それを先に言いなさい!」
そんな風に、僕達は様々な仕掛けをくぐり抜けて六階へたどり着いた。
傷ひとつないのに疲労困憊な様子の蓮子をメリーが慰めているが、六階を少し進んだところで僕達は全員行動を少し止めた。
「これは…………」
「道が、ないわね」
「つまり、ここまでが創作者の限界だったってことね」
先程まで作りこまれていた城の景観はそこになく、それより先は真っ白な空間が広がっている。
外側から見た面積と歩いてきた移動距離などの全てを無視するような、広大な空間。まるで地平線のようだった。
「ここから先はどうするの?」
「……メモによると、どうにか完成させようとした後がある。結局作られてないってことは、製作者は亡くなったと考えるのが妥当ね」
「作り手は消えたかもしれないが、今は君達がいる。……そういうことだろう?」
「何それ、つまり私達が引き継いで完成させろってこと?」
「違うのかい? コンピュータはパターンを創ることで道具を心に変えるものだろう? 実態が幻想を機能を備えているのなら、使わない手はないじゃないか」
「パターンを創ることで道具を心に……?」
「プログラムをいじることでゲームを創るってことよ。……貴方やっぱりゲームのキャラじゃないでしょ?」
「言っている意味がよくわからないのだが…………」
「まあいいわ。確かにこのパソコンは幻想を――ゲームを生み出すもの。なら、完成させれば何かわかるかもしれないわね」
「でもメモには、素材が足りなかったんでしょ? それはどう補うの?」
「ああそっか。攻略に夢中で話してなかったわね。実はメリーが境界を見つけるたびに、フォルダの中に新しい素材が追加されてたのよ」
「私、追加パッチみたいな役割も兼ねてたのかしら」
「かもね。……なら、それじゃあ作ってみますか。メリーは他にも境界の隙間がないか調べて見て。私と霖之助は作業に没頭」
「僕もかい?」
「道具屋ならプレゼンテーションはお手の物でしょ?」
「ふむ。式神の作業を直接見れないのは残念だが、好奇心を満たす意味でも手伝おう」
「っし! それじゃあ秘封倶楽部、活動再開よ!」
蓮子の号令の下、メリーは新たな境界探しに向かい、僕は蓮子の作業の手伝いをすることとなる。
さて、世界を堪能するためにも頑張ってみるか。
霖之助に協力を求めたのはなんとなくだったけど、それが大正解だと気づいたのは幻想郷と呼ばれる場所についての知識を披露されてからのことだった。
悪魔が住む館と呼ばれる場所をはじめ、亡霊と幽霊がひしめく冥界、合成でない、天然の筍が豊富に取れる竹林に住むおとぎ話のかぐや姫、途中でも登ってきた天狗や河童の住まう妖怪の山、怨霊や封印された妖怪が住まう地底の地獄、毘沙門天の弟子や聖人を乗せる空飛ぶ船……まさに幻想と称する他ない発想の数々が彼の口から飛び出してきたのだ。
いや、発想と呼ぶには些か大げさだろうけど、少なくとも私の知らぬ知識を紡ぐそれは、確かな幻想の語り手として機能している。
そして同時に、フォルダの中にある素材の数々が彼の口から語られる幻想郷を構成するものだと気づく。
……霖之助の発想の飛躍が映ったかもしれないけど、私は一つの仮説を思いついた。
この素材の数々は、ひょっとして霖之助が作っているのではないか、ということだ。
でなければ、メリーの見つけた素材の全てが彼の話に合致するなんて偶然ありえない。これらを組み合わせることで生まれる幻想(ゲーム)が、霖之助の住む幻想郷を創るのだとしたら……彼こそ、このゲームの製作者の分身とも呼べる存在なのではなかろうか? と、そんなふうに考えてしまう。
そうなると、霖之助が私達を……正確にはメリーを呼び込んだ理由は、やはりゲームを完成して欲しかったのかもしれない。死してなお、その想いが現実に残り引き継がれて行く……うん、ロマンね。悪くない考えかも。
夢のある話を無理に現実に引き戻す必要はない。
あるとすれば――それは、夢を現実に変えたその時だけだ。
そう考えると、胸の内が昂ぶっていくのが実感できる。今まさに、私の手で幻想が生まれようとしているのだ。これで興奮しない奴は秘封倶楽部を名乗る資格はない。メリーだって、そう感じてくれるはずだ。
私はその想いを操作に乗せ、ひたすた私「達」の幻想を紡いでいた。
そして――
「製作、完了」
虚無とも言い換えても良い広大な白い空間を埋めて行く幻想郷の名所を思い返しながら、僕達は城の頂上を踏破していた。
蓮子は感慨深い、と言わんばかりに重い台詞を紡ぎ、メリーは蓮子が生み出した幻想郷の数々を思い返しているのか、眉根を寄せて何かを考え込んでいる。僕の話から作り出された幻想郷を内包した城を攻略した余韻に浸っているのだろう。
僕は何か声をかけてやろうかと思った瞬間、メリーがあ、と声を挙げた。
「どうしたの、メリー?」
「あそこに境界が見えるのよ」
「……私にも見えるわ。あれは……白い、桜? 傍に建物も見えるみたいだけど……」
メリーが示す先。
それはなんと、僕の店である香霖堂の裏手に繋がっていた。白い桜は香霖堂の裏手にある植物で、傍にある建築物は香霖堂である。二十年ほど住んでいる我が家だ、見間違えるなんてありえない。
「古道具屋、香霖堂。僕の家だ」
「え、あれが森近さんの?」
「ああ。そうなると、今あそこに行けば僕は帰ることが出来るのかな?」
境界の向こうに手を伸ばしてみるものの、素通りするだけで決して触れることは出来なかった。
景色は確かにそこにあるのに、つかむことが出来ないのだ。
しかし、だとしたらなぜこの場に見えているんだ? 蓮子が作ったのだろうか……
「蓮子、これが君が作ったのかい?」
「う、ううん。いくら私でも聞かされてない場所を創るなんて出来ないわ」
それもそうか。
だとすれば、どういうことなんだろうか。
「……ひょっとして、お別れの時間、ってことなんでしょうか?」
「え?」
「……お別れ、か」
そうなると、あの空間は幻想郷からの帰還の合図ということだろうか。ひょっとしたら、彼女達以外の式神が出て行けと遠まわしに行っているのかもしれない。
……僕は少し悩んだ。
出来るならまだここにいて、今度は蓮子達に様々な話を聞きたいからだ。コンピュータのこと、式神のこと、他にも色々……外の世界の技術を、少しでも知るチャンスだからだ。
けれど、ここで機嫌を損ねてずっとここに封印されてしまう可能性だってあるかもしれない。それは流石に御免だ。
「まったく、過程や方法は違えど、僕自身が幻想から幻想入りするとは思いもよらなかった」
「幻想入り?」
「ああ。忘れられた存在や道具が行き着く先、それが幻想郷。そこに行くと言うことは、外の世界から忘れられた、或いは死のうとしている存在が入ることを意味するんだ」
息を呑み、唇を噛み締める蓮子とメリー。
そこにどんな感情が宿っているのかうかがい知れることはないが、僕のするべきことに変わりはない。
そう、帰ることだ。
どうしてここに居るのかは結局わからなかったが――帰れなくなるのは、正直勘弁である。
次のチャンスがあるかわからないのなら、不確定な希望を抱くべきではない。
「――どうやら、お別れの時間ということらしい。叶うなら、そんな風に操作してもらえると助かる」
「蓮子、そんなこと可能なの?」
「話の辻褄を合わせるのなら、ファイルをデリートすれば、多分出来るんだと思う。CD-ROMは壊れてインストールできないし、コピーもできないこの現状。なら、ファイルを消せばそれは死と同義なんだと思う」
「どうして? このゲームの製作者は、完成出来なかった無念があったのでしょ? 完成したなら、それを世間に好評するのが一番じゃない。なら、私達がこれをどこかに紹介すれば……」
「多分、作り手はそんなこと考えていなかったのだろう。ただ、作れなかった無念だけがそこにあり、ひけらかす真似など考えていなかったのかもしれない。推測でしかないけど、そういうことなんじゃないかな」
「そんな……そんなのって……」
頭に手をやって、悩める表情を見せるメリー。僕はなんとも言えず、沈黙を守る他なかった。
そして、そんなメリーに突如異変が起こる。
「っ、メリー!?」
「え……………?」
粒子化している、と言えば良いのかメリーの体が足元から徐々に消え始めているのだ。
突然の事態に対応できず、ただ内心の驚愕が言葉となって外へ漏れる。
蓮子と二人で思わずメリーに手を伸ばすが――触れる直前になって、メリーはその場から完全に消失していた。
「いったい、何が起きて……」
この現象は一体なんだ?
零時間移動、ではなさそうだ。それが使えるならメリーは常に使っていただろう。けれど、彼女は境界の結び目を見る能力しか持っていないはずだ。そうなるとこれは第三者の意図? そうなると誰だ? 僕はメリーを害する意思なんてないし、メリーの親友である蓮子も同じことだろう。
やはり事故のようなものかもしれない。そうなると何が原因で――
「霖之助。メリーは無事よ」
「何だって? どうして蓮子にそんなことがわかるんだ?」
「居るのよ、私の傍に。メリーが」
「はぁ?」
何を言っているのかわからない。
メリーが突然消えたことで頭がおかしくなってしまったのだろうか?
「何か突然イラっときたけど、今は気にしないでおくわ。うん、この道具の世界から外に出れた、ってことなのよ」
「外に? 君達、この世界から出れるのかい?」
「ええ、まあ」
何やら口を濁す蓮子。秘密だったのかもしれない。
しかし外の世界の式神の式神はなんとも高性能なことだ。まさか中だけでなく外に出現することが可能とは……情報を集めるというのも、今のように消えては現れてを繰り返してのことかもしれない。あのスキマ妖怪のような空間転移の真似事が可能なら、天狗を上回る早さで情報を集めるのも納得である。
「それで、こっちに戻ったメリーからの話なんだけど、逢魔ヶ刻って、知ってる?」
「ん? それはまあ知っているが」
逢魔ヶ刻とは、夕方の薄暗くなる、昼と夜の移り変わりの時刻を示した言葉である。
呼んで字のごとく、妖怪や幽霊といった怪しい存在と出会いそうになる時間のことだ。古くは暮れ六つや酉の刻ともいい、黄昏の時を迎える境界の時間と言い換えることも可能だ。
それが一体、どうしたと言うのだろう?
「なら話は早いわね。もう少しでその時間になるの。この時間、顕界と冥界が繋がるこのとき、私達はこの世でないどこかの景色を見ることが出来る……『あちら』が『こちら』を見ているのは、同時に『こちら』も『あちら』を見ることが可能になるということ……」
「つまり、再び幻想入りするならば、このチャンスを置いて他にない」
「……それが、貴方の意思なのね。メリーが外に出ることが出来たってことは――もう、お役御免ってことかしら」
「妙に刺のある言葉だね」
「…………………ごめん」
謝られてしまった。僕としては全く気にしない、単なる返しだったというのに。
幻想郷の少女を相手にした軽口が、知らず出ていたのかもしれない。まずいな、彼女は式神の式神なのだから、同じ扱いをするべきではなかったかもしれない。
「元々、住む世界が違うんだ。どんな理由で交じったかわからないけど、そこに永劫を求めてはいけない。無理をするなら、無理を生じたのなら、それに比例した反発が確実に起こる。――ただ、あるべき姿に帰るだけだ」
「……なら、私達はどうして出会ったのでしょう」
姿は蓮子だが、僕はなぜかメリーを想起した。おそらく、蓮子の口を借りて、メリーが喋っているのだろう。
「この世界を完成させること、だろう? それが終わったから、終わる。元に戻る。これは、ただそれだけの話さ」
「なんで、そんな冷静な言葉が言えるの? 死ぬ、ってことなんでしょ……?」
「違うよ。僕は死ぬんじゃない。ただ、ここで君達と別れるだけだ」
「それは……死と、どう違うの?」
「――終わりじゃない、ってことさ」
「え?」
呆然とつぶやく蓮子。僕はらしくないと思いながら、顔を微笑に変える。
「忘れるだけだ。死んでいるわけじゃない。思い出さなくても、胸の底に、頭の片隅にその存在の残滓があるはずさ。それを消すことなく留めておけるなら――また、会えるかもしれない」
「……それはまた、夢のある話ね」
「ロマンがあるだろう?」
「夢なら形にすればいい、か。蓮子の言葉を思い出すわね」
「そういった不思議なことを探すのも、サークル活動の一貫でしょ?」
「違いないわね」
僕はここでたまらず吹き出してしまう。
怪訝そうな顔で僕を見る蓮子。僕は、正直に理由を話した。
「随分と上手い一人漫才だと思ってね」
「こういうとき、もっと良い言葉言わない?」
「何、引きずるよりマシなんじゃないかと思ってね」
「……ま、それもそうね。ちょっと珍しい体験をしたから、センチメンタルな気分になってたのかも」
「良いんじゃないか? そういう情感は大事にするべきさ。それが、幻想を生み出す元になる」
「……人間と夢。ゲームと幻想、作ろうと思わなければ――望まなければ、生まれないってわけね」
「そういうことだ」
「…………………十八時」
城の頂上の窓から見える星を見ていた蓮子の口から、そんな台詞がつぶやかれたと同時。
僕は自分の体が薄れて行くのを実感する。メリーと同様、僕もまたこの世界から脱出する時間のようだ。
足元から消える自分の体を見下ろしながら、僕は最後にもう一度蓮子の顔を見る。
ふと、メリーの面影が浮かび何か言おうかと口を開こうとした寸前――
「秘封倶楽部臨時部員、森近霖之助。入部試験は終わったから――今度、合格通知を届けに行くわ」
「…………そいつは、楽しみだ」
蓮子の言葉に満更でもないように切り返し、僕は完全にその世界から消失した。
それは、宇佐見蓮子がデリートキーを押した瞬間であり――空間の裂け目から両者を見ていた「瞳」が閉じるのと同時であった。
「………………」
随分と頭の重い目覚めだった。
寝起きの視線はいつもの香霖堂の内観を映している。
どうやら、うたた寝をしてしまったらしい。客がいなかったのが幸いだろう。
「――残念ながら、客はずっといましたわ」
「――!?」
背後からかけられた声に、僕は内心の驚きを顔に出さずに振り向いた。
CD-ROMと呼ばれる外の世界の道具を手にした妖怪の賢者、八雲紫が胡乱な笑みを浮かべて僕を見やっている。一体いつの間に……
「随分と客を歓迎しない店ね。私でなければ怒って帰るところですわ」
「……それは、申し訳ないことをした」
言いたいことは色々あったが、実際に眠っていたのは僕なので何も言えない。
なんて言い訳をしようか悩んでいたが、それより先に紫が口を開いた。
「それより、貴方は式神についてどう思われます?」
「……いきなり何を?」
「式神を創るのは案外簡単でして。ある程度の情報を持っていれば独自に作り上げることが可能ですのよ。その気になれば、貴方の分身を創ることだって可能ですわ」
「いらないよ、そんなの」
「実はもう作って、打ち込んでありますのよ」
「なんだって?」
「ふふ、冗談ですよ。すでに式はないですので、ご安心を」
それは遠まわしに、作ったことがあると言っているのだろうか?
真意を確認するのが怖い。
「まあ、客を待たせた罰として、これをもらっていきますわ。先日のストーブの代金の追加徴収ということで」
「……………まあ、構わないが」
掲げたCD-ROMを僕に見せつける紫。追加徴収という言葉に顔をしかめたものの、手にしたのがあのCD-ROMだったので特に問題はなかった。
あのCD-ROM、用途が世界を創り出すというとんでもない代物だったのでどう処理しようか悩んでいたところだ。八雲紫が引き取るというなら、逆に安心だろう。
「先程の続きですが、式神は元になった人物の夢を見るか? という問い掛けに対し貴方はどう思われます?」
「……一概には言えないな。仮に出来たとしたら、どこかで両者が繋がっているということだろう? そんなことがあるのなら、反動が怖い。なら普通は切り離れていると考えるのが普通だろう」
「ええ。仮にオリジナルを元にした式神を作っても、それが本人に影響することはない……けれど、夢という形を取って式神の見ている光景をオリジナルが見ることが出来るのなら――どう思われます?」
「そんなの、使い魔の視覚共有を使えば問題ないだろう?」
「私が問いかけているのは夢ですわ。普段ありえないことを見ることが出来るのです、少しは何かを感じませんか?」
「……そうだな」
少し、考え込む。
式神の眼を通して夢を見る、か。それが一体どんな効果をもたらすか知らないが、紫の問い掛けは利益やそういったのを度外視した返事だろう。今日はちゃんと意思の疎通をする気があるようだ。
「貼り付けるもの如何、だろうな」
「その心は?」
「ふと思ったんだけどね。もしコンピュータに式神を貼りつけて、その式神が見るコンピュータの中身を見ることができれば、それはそれで面白くなりそうだ。まあ、漠然と思っただけだがね」
「なるほどなるほど。違う視点から物事を見ることができるから、ということかしら」
「かもしれないね。けどそうだな、僕は道具の名前と用途を知ることが出来るが――もし、道具が視てきた光景を夢の中で見ることが出来るなら、そいつは素敵なことかもしれない」
なぜなら、僕はそれを通して外の世界を旅することが出来ると思うからだ。
紫の前でそれを言うのは憚られたので、僕は内心でその言葉を紡ぐ。
もしそんなことが可能になるなら、僕は香霖堂にいながら道具を介して外の世界を見ることが出来る。
そんな夢想くらい、抱いても問題ないだろう。
ふと、扇子の閉じる音が耳をつく。
はっとして僕は気づく。いつの間にか、紫の姿が見えないことに。
「…………結局、なんだったんだ?」
まあいい。紫が何を考えているかを考えても無駄なことだ。
わからないことはわからない。その信条通り、深く考えないことにしよう。
――カランカラン。
おや、誰か来たようだ。今度はまともな客ならいいが……
僕は顔を上げ、入ってきた人物を向けて言い放つ。
「いらっしゃ…………おや、君達は――――」
<了>
アバターという単語を聞いて
霖之助さん目当てに最新の科学技術で幻想郷へ攻め入る秘宝倶楽部と
それを幻想の力で撃退する現地住民の姿が3Dで脳内に。
「アリスでしたーっ!www」
なかなか面白かったですよ。続きがみたいです。
しかし電脳空間での迎合とか、発想が素晴らしいです。
~誤字報告~
言いたいことは色々あったが、実際に眠ってしまっ『た』いたのは僕なので何も言えない。
そうやってもし再び出会うことがあれば、
また珍道中でもやらかすんですかねえ。
秘封倶楽部の二人が霖之助に合格通知を届けに行く夢を私も見る事にします。
面白かったです。
面白かったです
……読んでみたいな。
ともあれ素晴らしかった、いつもあざっす!
あんまり自分は東方ではみたことのないタイプの世界観だが良かった
数年後また読みに来よう
色々解釈の幅がありそうなので、何度か読み返してみる事にします。
その妙が実に面白い
こういうのっていいよなあ・・・その発想力に嫉妬!
秘封とこーりんの面白いコラボでした!
でもちょっと理解が追いつかないところもあり……。
もう10回くらい読み直そうかしら。んなぅ。
その発想を表現できるのがすごい
素晴らしかったです
ところでさと霖シリーズマダー?
これだあら東方はやめられない
あのスキマ妖怪のような空間転移の真似事が可能なら、 ?
AC3やSO3のような落ちは嫌いですが、この物語はとても好きです。
似た落ちなはずなのに何故だろう…そこに関わる想いの違いのせいでしょうか。
ごちそうさまでした。
秘封倶楽部と霖之介のコラボ、面白かったです。