――――――――覚えておきましょう
【古椅子ぶれっくふぁーすと】
椅子が古くなるのは仕方がないことだった。
壊れたって言うよりは、悪くなったのだ。たぶん、四本足の長さが変わっちゃったんだろう。座るとがたがたぐらぐらして、体重をかけ直す度にぎぃぎぃ言ってうるさい。この椅子はきっと、お姉ちゃんはそんなに重くない方だって知らないんだね。世間知らずなんだ。そういう意味ではお姉ちゃんと同じだね。
どんな物にも寿命があって、私の椅子はまだ大丈夫だった。でもそれは、私の椅子が新しいからでも、私が硝子細工みたいに気を遣って扱っていあげているからでもない。単に使う回数が違うんだ。そのことを考えているから、きっと目の前のこの人は難しい顔をしているんじゃないかと思う。なんとなくだけど。本当はそれすら気のせいかも知れないけど。
新調すべきじゃないかな。私は言う。お姉ちゃんがケガしたくなければの話だけど。そうですね、というようにお姉ちゃんは頷いた。器にさらさらとシリアルを入れて、私はスプーンを探す。見つかった。そのまま食べようとしたら、駄目ですよ、と冷たいミルクを勝手に注ぎ込まれてしまった。ざんねん。でも許してあげるんだ。当然でしょう?
「新しいのを買ってきてくれませんか。次に遊びに出掛けるときでかまいませんから」
「この後すぐでもいいよ」
「駄目です。今日は私に付き合ってくれるという約束でした」
お姉ちゃんの手が何かを摘んで、ひょいひょいと動かす仕草をした。
真っ直ぐと、斜めと、横。
チェス駒の動きだ。
「帰ってくる度にゲームに誘うの止めて欲しいな」
「冷たいですね。貴女がしてくれないなら、私は誰とチェスをすればよいのですか」
「あれ?今、口に出してた?」
「しっかりと」
ミルクを吸ったシリアルがどんどんふやけて形を無くしていく。カリカリしていた方が好きだけど、急がされるのって嫌いだな。冷たそうだね。お腹強くないのに、食べても大丈夫かな。私じゃなくてお姉ちゃんがさ。
「賭をしようよ。私が勝ったらお使いしてあげる。その場合は私の好きな椅子にするわ。お姉ちゃんが勝ったら一緒に行く。二人で気に入ったやつを買おう。楽しいな。とっても素敵ね」
「それは、なんだか貴女にばかり利がある気がします」
「気のせい気のせい」
わからないかな。どっちにしても得するのはそっちだよ。
わかってるのかな。どっちにしても得するのはそっちだよ。
【檸檬ドロップてっぺんマイマイ】
今朝はシリアルだったのよ、ミルクが冷たかったのよ。
出会い頭にそんな話をしてきた妖怪は、自分が何故ここにいるのか、その顛末を語ってきかせた。おそらく相当暇なのだろう。きっと話題なんてなんでもよかったに決まっている。
「それで、お前は負けたんだな」
「どうして?」
「だってこうして一人で遊びに出てるじゃないか。それはつまり、負けたのはお前って事だろう?」
問われると、その妖怪はちがうよ、と呑気な声で答えた。
「負けそうな気がしたから先回りして出掛けたの。地上まで来たのはついで。あれ?椅子の方がついでなんだっけ?」
「話を聞く限り、椅子の方がついでだったな。そんなにチェスが嫌だったのか?」
「普段は別に。お姉ちゃん、負けるの好きだもん」
「そうなのか?」
「運試しじゃないゲームでは、滅多に負けることが出来ないからね」
「ふーむ。いや、よくわからん」
それは幸せなことね、人間さん。
「負けると嬉しいなんてやっぱり地底の奴は変なんだな」
「誰もがそういうわけじゃないわ。おねえちゃんてさ、旋毛が三つもあるじゃない?だから色々と気むずかしいんだ。きっとね」
「いや、知らんよ。そんなこと」
旋毛か三つ?それはちょっと信じがたい話じゃないか。
「ところでドロップはいるか?」
「ドロップ?」
「貰ったんだ。全部で九色、十種類の占い付き」
「九色なのに十種ってヘンテコね」
「薄荷と林檎味が同じなんだよ。どっちも白いんだ」
薄荷が中吉。悩み解決の兆しアリ。
林檎が末吉。時を待つべし。
缶に書かれた文字を読み上げる。
「薄荷の方が良いのね。私は林檎の方が好きだけど」
「それじゃ運試しだ。お手を拝借」
からん、と缶は冷たく鳴って、転がり出たのは淡い黄色。
「おめでとう檸檬味。末小吉、ウセモノ、カエル!」
「わぁ嬉しい。なくし物なんてないけれど。美味しいなら何でもいいね」
気前いいね、と声がして。
金平糖の方が好きなだけだと答えが返る。
魔法使いは葡萄味。
占いの結果は秘密らしく、缶を隠してそっぽを向いた。
そうして飴を舐め終わる頃、お別れには丁度良い時間になった。
それじゃ、さよなら。
さよなら、それじゃ。
「今度確かめておくよ」
「なにを?」
もう忘れているらしかった。
頭の天辺を指して、
「つむじ」
あー、と彼女は頷く。
「いいよ。また家に来ればいいわ。でも、盗みは駄目だよ?盗っちゃ嫌よ?」
またね、シーフさん。
【逃げ水レモネード】
ただいまの言葉は軽かった。
だから私は茶缶を戸棚の奥にしまう。
ささやかなささやかな悪意だ。
「椅子はどうしました」
「忘れちゃった」
「そうですか。お腹は減っていませんか?」
「お腹は大丈夫。それより喉が渇いてて。お茶が飲みたいな」
「それが生憎、葉を切らしていまして」
「そうなんだ」
「レモネードを用意しましょう。好きでしたよね」
「それっていつのこと?今はもう好きじゃないわ。それよりココアが飲みたいな」
「生憎それも切れていまして」
「ふうん?どうしても飲ましたいんだ、レモネード」
「別に水でもいいですよ」
「飲むわ、レモネード。私は冷たいのね」
お盆と一緒に持ってこられたのはチェス盤だった。そうだった。約束だった。少し安っぽいけど、軽くて便利で、畳んでしまえるコンパクトなチェス盤。脇に抱えるくらいなんてことないね。お姉ちゃんはまずグラスを私の前に、その後に湯気をたてているのを自分の前に置いた。それからとっておいた机の真ん中の空間に盤を広げて、私の前に白い駒一式を置いた。殊勝だね。私が先手だ。
「何ルール?」
「ひたすらシンプルに。取っ替え入れ替え無しで」
「いい加減だね」
「そのかわり悩む時間は短めでお願いします。そうですね。そちらの氷が溶けきるまで、というのはどうでしょう」
「お姉ちゃんのレモネードが冷め切る前でいいよ」
並べ終わり、さぁ最初の一歩だ。一歩一歩前進する兵士さん、どの子からにしようか。真ん中の右の子にしようか。それがいいね、左右対称、これにて終わり。特に考えず、レモネードを飲みながら指す。どうせ最初の方は決まった動きだもの。何も考えなくていい。お姉ちゃんもきっとそんなに考えていない。
「それにしても、貴女がレモネードを好きじゃなくなったとは知りませんでした」
ポーンを私は二歩動かし、お姉ちゃんは一歩動かした。
「いつだったか一日に何杯も作らされたことがありましたね。何が原因だったのか、あの日は暑かった。地上の真夏みたいに。覚えていますか」
私は覚えていなかった。お姉ちゃんの生活には変化が乏しいから、こういう事件とも呼べないささやかなことは、いつも大抵お姉ちゃんの方が覚えているんだ。レモネードを飲む。一口を小さめにしておいた。あんまり一気に飲むと、氷が溶けるより前に無くなっちゃうかもしれないから。チェスはようやっとお決まりの動きをし終えて、お姉ちゃんは少しだけ指を躊躇わせた。私も少しだけ悩んでみる。半分以上ポーズだけどね。
「私は何度も炭酸のビンを開けました。あの日だけで王冠が七つも出て、困っていたらお空欲しがったのでみんなあげて」
ナイトにポーンが駆られ、私の護りは薄くなった。その分動ける範囲も広がったと言うことにしておこうか。ちょっと無理矢理かな。でも本当はどうでもいいんだ。最初にお姉ちゃんはシンプルに、と言った。シンプルに。考えることすらシンプルに。考えないくらいシンプルに。後先なんて何もない、反射に近い一手を指していく。
「こんなに暑いなら、きっと逃げ水が見られると貴女は言いました。観に行こうよ、とも。でも私は乗り気じゃなかった。前の晩に弱り切った子犬を拾ってしまったから。その子の容体が落ち着くまで徹夜していたから」
狙っていたビショップに避けられた。半分は予想通り。お姉ちゃんは駒を犠牲にするのを嫌うんだ。そして私は、キングを狙うより相手の駒数を減らす方が好きだ。レモネードはもう普通だけど、こういうところはあまり変わらないね。そういえば、お姉ちゃんも温かい飲み物が好きなところは変わらないね。
「お昼寝をした後ならと私は提案しました。確かに珍しいことでしたから、ちょっと表まで行くぐらいは悪くないような気がしたのです。貴女は待っていると言いました。それはお昼より前の事でした。そうして私は一度寝ました」
私のルークがいなくなった。どうしようかな。この段階ではいつものように駒数はお姉ちゃんの方が多い。でも、どっちが有利かというと、どっちもどっちといったところだ。
「目を覚ましたら貴女はいませんでした。あの時の事を妙に思い出します」
冷えたレモネードを飲む。残り半分。あんまり時間はない。向こうの湯気はもう見えない。さすがに冷たいって事はまだないだろうけど。
「こんな話をするのだから、貴女は私が責めていると思うでしょうね。いいえ、私はなにも怒ってなどいないのです。結局の所、貴女は私ではないのですから。ただそれがどういう意味なのか、ともすれば忘れてしまうので、折に触れこうして言葉にして置こうと思ったのです。そんなことで貴女を気まずくさせて悪いですが」
昇格とお姉ちゃんは宣言する。私はチェス盤から視線を外し、お姉ちゃんの方を見た。
「でも、それぐらい許してくださいね。なにしろ貴女は自由なのですから。そして私の妹なのですから」
お姉ちゃんも私を見ていた。もしかして、ずっと見ていたのかもしれない。
「貴女も少しくらい、私に関して傷つくべきですよ。傷つくなんて大仰でしょうけど」
私は掴んでいた駒から手を放し、代わりに別の駒を取った。序破急のバランス悪い展開だな。ほとんど初めと終わりしか無いよ。私の手を見て少し考えるような素振りを見せた後、お姉ちゃんは結局訝しげにチェックと小さく宣言をした。言葉に応え、私もその子をスライドさせる。わからないという溜息。
「貴女は、私にとっての逃げ水です」
ちぇっくめいと。
見殺しにされた王様は、成り上がりの女王に息を止められた。
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「貴女も少しくらい、私に関して傷つくべきですよ。傷つくなんて大仰でしょうけど」
「貴女は、私にとっての逃げ水です」
この言葉が心に残りました。さとりとこいしこの姉妹の話しを歪さんの物語で読めるとは、また何度も読み返せる話しが増えました。
さて、月末を楽しみに待つかな
ぶれっくふぁーすと?
誤字報告です。
「新調すべきだじゃないかな」すべきじゃない、すべきなんじゃ?
「旋毛か三つ?」旋毛が三つ?
「チェスはようやっとお決まりの動きをし終えて」ようやく?やっと?
でも実際の文章量より長い物語を読んだ気分です。
さとり嬢。年上は年下の心に変化が無いことを望むものなのでしょうか。
親子ならそういうこともあるかな、と。
姉妹でもそういうものなのかな、と。
>うっそりころろと笑った。
許呂呂?…少し濁音交じりの笑い声を連想し、こいし嬢には合う表現だと思いました。
そして歪さんのさとりこいしというだけで、10の二乗点くらいは余裕でつける。
しかしそうすると105点になってしまう。ああどうしよう。
歪さんの古明地姉妹が見られるとか……もうお迎えがきたのか……
そして、まさか貴方の姉妹を読むことができるとは。
さとりのいじらしさ、こいしの愛らしさと。
ハチミツ入りのレモネードはこちらが先にいただいたようなもの。
ハチミツのことは、さとりはきっとずっと覚えていて、けれどこいしはきっとすぐに忘れてしまうのでしょうね。
この二人は、例えそうであったとしても、このお話のように、きっともっと、可愛らしい時間を共有するんでしょう。
甘くして甘くして、けれどちょっぴりの苦味が消えることのない、まさに"レモネードのような"姉妹の関係を見た気がしました。
月末を楽しみに、そして旅の続きに幸あらんことを祈って。
素敵なお話をありがとうございました。
ずいぶんと音沙汰がないものですから、私はまたてっきり貴方がうっかり境界の向こうに迷い込んだんじゃなかろうかと
自分の受験もそっちのけで(オイ)心配したり羨んだりしていたのですが
古明寺姉妹は初でしたっけ?
貴方の作品にピタリと嵌まるキャラクタなんじゃないかと前々から思ってはいましたが
そう的外れな予想ではなかったようです
月末には落ち着けそうなので例のものの配布(ってかくと何か犯罪っぽい・・)楽しみにしております
>10氏
コメにレスは違反ですが、誤字報告のうち下の二つは誤字ではないように思います
や、ホントのところは星空氏にしか分からないわけですが
【Ending No.31:Sabbath】完全版よろしくお願いします。
過去作より短いせいか、すらすら読めたような気がしました。
お菓子感覚。
ふたりも、ふたりの会話もらしくて、日常をこっそり垣間見ているような気分に。
ごちそうさまでした。
それと【Ending No.31:Sabbath】の公開が三月までと見ましたので、今はお忙しいようですが、よかったら暇ができたときにでもお願いします。
会話に無駄が無いというかなんというか。
また、作品全体の雰囲気にとても引き込まれました。
後、今は忙しいようなので、いくらでも待ちますので、
【Ending No.31:Sabbath】完全版よろしくお願いします。
仮に負担になってしまったら申し訳ございません。
訂正にコメント欄を取り、申し訳ありません。
天候の不安定な日が続きますが、お体には気をつけてくださいね。
タイトルは忘れてたけど、素晴らしいお話。今回は本当に偶然見つけまして読ませていただきました
Ending No.31:Sabbath の 完全版 ほしーです。いや無理だとわかっていつつも希望せずにはいられない(泣)
Ending No.31:Sabbath の完全版がに欲しいです、ええ。いただけたら飛び上がってそのままジャンピング土下座に移行してもいいくらいに。 お暇ができたらよろしくお願いします。