夕食のおかずが沢庵からパンの耳に変わったあたりで、いよいよお燐達も腕を組んで考え込むようになった。
経済状況は楽観視できない領域に達し、さとりの頬もどことなくやつれている。ちなみにこいしは何故か普段と変わらず、そこらかしこでつまみ食いの旅を慣行でもしているのだろう。
お空は元から食事などオマケのようなもので、基本的に全てのエネルギーを体内でまかなっていた。だから食事が減って困る者がいるとすれば、それはさとりとお燐の二人だけ。
「閻魔にかけあって給料の値上げを要求しているんだけど、あちらも一筋縄ではいかないようね。まったく、煩わしい」
不景気の影響は閻魔の世界にも及び、渡し賃の減額により収入も大幅に減り、運営にも赤信号が灯っているんだとか。是非曲直庁が解体されれば地霊殿もままならない。是非とも頑張って貰いたいところだと、お燐は影ながら応援だけしている。
「あなたにも苦労かけるわね」
「いえいえ、元から怨霊の管理だけじゃ暇してたところなんで。これぐらいは楽勝ですよ!」
頼もしい言葉です、とさとりはお燐の頭を撫でてくれた。それだけで頑張る気になれるのだから、なんとも安上がりだと我ながら思う。それとも、さとりの手には不思議な力が宿っているのだろうか。
なんにせよ、大金を稼いだらまたさとりは頭を撫でてくれるだろう。その為にも、もう一つの副職を頑張らないといけない。
地霊殿の外れ、旧都にほど近いところで、お燐は猫車の側に看板を突き立てた。
『おりんりんタクシー』
世にも不気味な、世界でただ一つのタクシーが誕生した瞬間でもあった。
昼食のおにぎりを頬張り、さとりが用意してくれていたお茶で流し込む。魔法瓶という便利なアイテムに飲み物を入れたら熱が冷めず、お燐はとても重宝していた。
首もとの鈴が軽やかに音を鳴らし、二本の尻尾が地面を叩く。仕事の時はいつも持ち歩いている風呂敷包み。魔法瓶とおにぎりを包んでいた竹の皮を仕舞い込み、代わりに煙草を取り出した。
「ありゃ?」
今朝はうっかり寝坊をしたせいで、慌てて身なりを整えるしかなかった。おかげで自慢のおさげも、どこか適当に見える。
しかもマッチを忘れてきたらしい。これでは煙草がただの包み紙だ。
取りに戻るわけにもいかず、仕方なく仕舞い込む。食後の一服がお預けだなんて、我ながら酷い仕打ちだと思った。
やはり人間も妖怪も、それなりに慣れてくると油断するもの。おりんりんタクシーも結構な月日を過ごしてきたわけだから、そろそろ心機一転を図るべきなのかもしれない。
それにしても煙草が吸いたい。駄目もとで、隣の橋姫にも訊いてみる。
「なあ、マッチ持ってるかい?」
「煙草は吸わない」
「だろうねえ。いやはや、まいったよ」
口が寂しい。せめてガムでもあれば、多少は気も紛れるだろうに。
だがガムを用意するくらいなら、最初からマッチを持ってきている。
しばらくは我慢するしかなかった。
「昼休憩が終わったんなら、そろそろ仕事を再開して貰いたいもんね。まったく……人の目の前で美味しそうに食事するなんて、妬ましい」
「だから一個ぐらいなら分けてあげるって言ったのに。貰い物なんかいらないわよって、言ってたの誰だっけか」
「随分と捻くれた奴もいたもんね」
惚けた橋姫はさておき、仕事は仕事だ。休憩の時間が終わったのだから、後は労働に汗してお金を稼ぐ時間である。
「それじゃあお客さん、どちらまで?」
「ん、そうね……」
おりんりんタクシー、通称猫車タクシー。これを利用する客には二種類のパターンがあった。
まず一つは言うまでもない。とにかく目的地まで行きたい者。面倒くさがりな鬼とか、飛ぶのが苦手な妖怪は主にこちらを利用している。
そしてもう一つはアトラクションとして。猫車というのは案外憧れの目で見られていたらしく、どんな乗り心地なのかと試す者が後を絶たなかった。お燐としては別にどちらでも良いのだけれど、そんなに乗りたいものなのかと首を捻っている。
察するに、パルスィは後者のようだ。大方、どこぞの蜘蛛あたりが面白い面白いと力説していたのを聞いて興味を持ったのだろう。言ったら拗ねるので何も言わないけど。
「旧都を抜けて、妖怪の山。ついでに紅魔館まで行って貰おうかしら」
典型的な観光コースだ。地下の者達にとって地上は大人気のスポットであり、中でも妖怪の山と紅魔館は常に一番人気を争っている。
「了解。御代は一千万で」
「本当に請求したら踏み倒すわよ」
「冗談、冗談。千円、千円」
これが適正価格なのかどうか、それはお燐にも分からない。なにせ前例のない商売なのだ。安すぎるとも高すぎるとも言いづらい。
準備運動がてらに腕を回す。ネコ耳もピンと張りつめ、尻尾も忙しなく揺れ動いていた。
風呂敷包みはゾンビフェアリー達が回収し、地霊殿まで運んでくれる。
「さあて、それじゃお仕事開始といきますか」
人を運ぶようになってから、猫車にはちょっとした改造が施されていた。
荷台の強度を大幅にあげ、鬼でも座れるような広さを兼ね備えている。一時はリヤカーのような立方体の形も視野に入れていたのだが、それでは猫車の良さが半減してしまう。客はリヤカーではなく、猫車に乗りたいと言っているのだし。
そういった意見(主に脳内)もあり、形状だけは以前使っていたものと大差ない。お燐からしてみても、あまりに外見が違うようなら苦労することは目に見えていたし。
加えてタイヤも特殊なものを使用しており、ノーパンクタイヤではなくニューマチックタイヤ(空気を入れて使うタイヤ)の強化版だ。五寸釘でも破れないと聞いたが、どういう技術が施されているのかは謎である。
河城にとり製だけあって、強度と性能を見れば右に並ぶものはいないだろう。ただあまりにハイスペックな為、使う人を選ぶという欠点もある。長年猫車と慣れ親しんできたお燐ならば操れるものの、腕力には自信がある鬼でさえ使いこなすことは出来なかったのだ。
だからこそ流行っているのかもしれない。子供でも運転できるのなら、わざわざ金を払ってまで乗る必要はないだろうし。もっともそれは、純粋に猫車へ乗りたい奴らに限っての話だが。
飛ぶことができない妖怪からしてみれば、どんな形状でも有り難いことに変わりはないのだろう。
そんなことを考えているうちに、いつのまにか地上と地下と結ぶ縦穴まで到着していた。本来なら旧都の案内もするところだが、相手は橋姫。生憎と自分よりも詳しいので、説明はいらないと言われたばかりだ。
「むむむ」
「おや、どうかしたのかい?」
いきなり唸りだした橋姫。お尻でも痛くなったのだろうか。
「いやね、自分の働いている橋をこういう形で渡ることになるとは思わなくて。なんだか不思議な気分」
「たまにはこういうのも悪くはないだろう?」
「たまにはね」
橋を抜ければ、あとは縦穴を上るだけ。一見の客なら、ここで必ず同じ質問を寄越してくる。
「ところで、これどうやって上るの?」
お燐の質問もいつも同じだ。
「決まってるさ。走って上るんだよ」
「えっ?」
重力引力なんのその。そのまま壁に向かって突撃したお燐は、哀れ玉砕することなく、壁をそのまま走って上り始めた。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
そういえば、あの蜘蛛もここで悲鳴をあげたっけ。どれだけ客が騒ごうと、降ろしてくれと嘆いたところで車は急に止まれない。それに止まったところで、地面へダイブする未来が待っているだけだ。
一気に駆け上がるのが一番安全なのだけれど、パニックになった客にそんな道理が通用するはずもなかった。
結局地上につくまでに、パルスィは三回ほど気絶したという。
思う存分意識を失ったパルスィだったが、そのことが逆にプライドへ火をつけたらしい。渋るお燐を強引に急かし、妖怪の山へと向かわせた。
はっきり言って、妖怪の山はあの縦穴以上に激しい衝撃が待ち受けているのだ。あそこで気絶しているようでは、行ったところで意識を失いっぱなしになるだけだろう。
「ここで逃げたら橋姫の名が廃る! ゆけい!」
「あたいは知らないよ」
妖怪の山で恐ろしい点は三つ。
厳しい路面状況。
変わりやすい天気。
そして何よりも、天狗達に無許可で侵入するところだ。
幸いにも天気は快晴だったが、これだっていつ変わるのか分かったものではない。岩と切り株を避けながら、ガタガタと揺れる猫車は守矢神社を目指していた。最近はあそこでお参りをするのが密かなブームになっているらしく、パルスィもそこまで行って欲しいとのこと。
もう一個の神社はますます寂れていくのではないかと危惧したが、元々あまり参拝客が来ていないのでさしたる影響は無いんだとか。悲しい話だ。
「おりんりんタクシーが来ました! 全員、非常警戒態勢に移行してください! 繰り返す、おりんりんタクシーが来ました!」
鳴子の音に混じり、哨戒天狗の怒声が響き渡る。対応の早さはさすがの一言に尽き、十秒もしないうちに椛が後ろを追ってきた。
「なんか来てるんだけど!」
「喋ってると舌噛むよ! とにかく頭を低くして、絶対に動かないこと!」
哨戒天狗に警告の二文字は存在していない。不審者を見たらとりあえず攻撃してくるのが奴らだ。例に漏れず、椛もいきなり弾幕を飛ばしてきた。
右へ左へ避けながらも、このままでは確実に追い込まれてしまうだろう。ここは彼らの縄張り。どうすれば獲物を追いつめられるかも熟知しているはずだ。
しかし、こっちだって商売。ここで捕まるわけにはいかない。
「甘い! 甘いよお姉さん達!」
空飛ぶ哨戒天狗とは違い、こちらは地を這う猫車。森の中へ入ってしまえば、あちらとてこちらを補足するのは難しくなる。空に慣れ親しんだ天狗であるなら、それは尚更だ。
予定通り、深く生い茂る森の中へと突入していく。猫車の操作には慣れており、ぶつからないよう走り回るのは目を瞑りながらでも出来ること。天狗にはこんな真似、絶対にできまいて。
「甘いのはあなたです」
「ぎゃー!」
傲慢を打ち砕くように、併走する犬走椛。その速度たるや、お燐と比べても遜色がない。いやむしろ、あちらの方が速いようにも思える。
「私は他の天狗と違って、走る方が得意なんですよ。あなたが調子にのって同じ作戦ばっかり使ってるから、こうして私が呼ばれたのです!」
「うぐぐ……」
考えてみれば、こうして椛に追われるのは初めてのことではない。だが、いつも他の天狗が引き継ぎ、彼女は後方で待機しているばかりだった。
まさか、こんなところに伏兵がいようとは。
まずい。このままでは捕まってしまう。
案の定気絶しているパルスィとは違い、お燐の頬からは汗が垂れ落ち、後方へと流れて消えた。
「大人しく止まりなさい。今だったら、まぁ、そんなに手荒な真似はしないと思います。多分」
素直すぎるゆえに、説得は苦手らしい。そんな忠告では止まる気だった者とて足を緩めることはないだろう。
しかし、このままでは捕まるのも時間の問題。どうにかしなければ、おりんりんタクシーの評判はがた落ちだ。
「さて……」
猫車の震動が肩を振るわせ、取っ手の重さはこちらを試している。枯れ落ちた枝木を踏み荒らす音が、まるで唸りをあげているように思えた。どうやら相方は、まだまだ走り足りないらしい。
「奇遇だね。あたいもまだまだ、これぐらいじゃへこたれないよ!」
「抵抗の意志ありと。分かりました、強引な手段を使っても止めてみせます!」
「そいつはっ!」
ありったけの力を込めて、タイヤと両足で地面を削る。速度は死に、加速しようとしていた椛はあっという間に先の方まで走り去っていった。
「無理な相談だよ!」
そして90度の方向転換。お燐が何よりも得意にしていたのは速度ではなく、急停止、急転回による進路変更。客を乗せている時は滅多に使わないのだけれど、気絶しているし大丈夫だろう。
あの速度で飛んでいったなら、引き返してくるのに時間が掛かるはずだ。その間に大人しく待っている義理もなく、椛から遠ざかるようにお燐は再び走り出す。
「いやしかし、末恐ろしいお姉さんだったよ。あれで経験を積んでいたら、負けていたのはあたいの方だったかもしれないねえ」
ちょっと余裕が出てきたせいか、独り言の声も大きい。先程それで油断したばかりだというのに、懲りるという事を知らない。
当然の如く、天はそんな傲慢さを許さなかった。
「ではそろそろ、第二ラウンドといきましょうか」
「っ!」
まさかもう追ってきたのか。ちらりと振り返ったところで、椛の姿はなかった。左右にも前後にも、彼女の姿はどこにも見えない。
だとしたら、声はどこから聞こえてきたのだろう。いやそもそも、あれは椛とは違う奴の声ではなかったか。
答えはお燐の頭上にあった。
「生憎と、私は椛のように優しくも甘くもありませんよ」
木々の隙間から見えるはずもないのに、何故かこちらを補足している天狗がいた。障害物もないのだから、空を飛ぶ方が速いのは当たり前。だけどそれでは、こちらが見えないから誰もが森の中に入ってくる。
そんな常識を打ち破り、平行するように飛ぶのは射命丸文。幻想郷最速を謳い、妖怪の山で最もずる賢いと恐れられている天狗である。
この山で彼女に狙われたのなら倒すしかない。巫女や魔法使いとて、逃げ切ることはできないのだから。
お燐も何度か勝負をしたことがあり、その度に実感させられていた。彼女と競争すれば、絶対に勝つことはできないと。
「それでも、今日のあたいは諦めるわけにはいかないのさっ!」
荷台には客がいる。気絶した客が。
彼女を無事に送り届けることが、お燐に科せられた至上命題。これを達成できないというのなら、おりんりんタクシーは廃業の危機に追い込まれてしまうだろう。
負けられない。何としても、彼女から逃げ切ってみせる。
「私としては、出来ればインタビューでもしたいところなんですが。これも仕事なんで、こちらも諦めるわけにはいかないのよねえ。いやはや」
「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
「熱いですな、若いことで」
圧倒的な実力差が、彼女の余裕を生んでいる。ただでさえ自由度の高い空を飛び、なおかつ地上の動きを逐一把握しているのだ。余裕ぶるのも無理からぬ話。
だが彼女とて、何も心眼や魔法でこちらの動きを捉えているわけではないのだろう。新聞記者として優れた目が、木々の僅かな隙間を縫ってお燐を見ているのだとしたら。あれだけの速さを誇っているのだし、動体視力に関しても問題はないだろう。
だとすれば、要は視界を遮ってやればいいだけの話。ちょっと走り方を工夫してやれば、土煙ぐらい簡単に巻き上がる。勿論、それを出しっぱなしで走れば自分の位置を教えているようなもの。
煙幕を張ると同時に急停止、急転回、そして再び走り出せば彼女とて追ってくることはできない。
事実、煙幕を張った瞬間に文のお喋りは止まった。後は急停止してなどと悠長なことを考えていたのが、結果として功を奏したのだろう。
突如として降り注いだ突風が、一瞬で煙幕を薙ぎ払っていった。
「残念ですが、その手は通じませんよ」
危ないところだ。急停止していたら、確実にそのまま捕まっていただろう。今だってちょっと速度を緩めれば、すぐさま獲物を狙う鷹のように急降下してきそうな迫力を感じていた。
止まれない。だが止まらなくても止められる。
八方塞がり、四面楚歌。いよいよ追いつめられていることを悟り、風ではない冷たい何かが身体中を這い回っているような錯覚を覚えた。
「ちょっと、お燐」
この状況で名前を呼ぶ者がいるはずもない。最初は幻聴かと思った。
「聞きなさいよ、お燐。でも絶対に顔をこっちに向けないで」
荷台のパルスィが気絶から復活したらしい。言われるがままに顔は前を向き、しかし意識だけは彼女へと集中する。
「さっきの砂煙、もう一度出せる?」
小声で囁いているのは、文に聞こえない為の配慮。だとすれば、何か策があるのだろうか。
同じぐらいの音量でお燐は答える。
「出来るけど、意味はないよ」
「いいから、もう一回やりなさい。そんで今度はすぐに急停止をすること」
「……わかった。何か作戦があるんだね」
パルスィとて、ここで終わるつもりはないはずだ。
どうせ王手寸前の盤面。ここはパルスィに託すとしよう。
砂煙を巻き上がらせ、言われたとおりに急停止をかける。その瞬間、パルスィがスペルカードを発動させた。
舌切雀「大きな葛籠と小さな葛籠」
いくら文が最速とはいえ、煙幕を吹き払うまでに若干の時間を有する。その間にダミーのお燐達が走り抜ければ、文とて見過ごすわけにはいくまい。そちらを追うのは自明の理だ。
問題はそれよりも先に煙幕が消えること。そうなれば企みは見破られ、二人の命運は尽き果てるだろう。
スペルカードが発動した以上、後は祈ることしかできない。
幸いにも、二人は賭けに勝ったらしい。煙幕が吹き払われることもなく、頭上からは文の姿も消えていた。
「……まったく、命拾いしたわね」
冷や汗を拭うパルスィ。
さて、果たしてあの狡猾な天狗がダミー如きを見破れないものか。若干の疑問はあったものの、どちらにせよ結果は変わらないのだから問題はなかった。
捕り物にも興味がなさそうだったし、案外見逃してくれたのかもしれない。それで恩を売っておけば、後々になってインタビューも楽になるだろうし。
そんな魂胆があるのではないかと思うのだが、答えてくれる人はいなかった。
標高の高さゆえ、守矢の神社は肌寒い。夏であれば涼しい風が吹き下ろし、風鈴の雅な音を響かせているのだが、冬ともなれば敵でしかない。
特にこの時期は雨も多く、山での雨とは即ち雪である。ここ最近は晴れ間も広がり、積もっていた雪もすっかり跡形なく溶けてしまった。巫女の早苗は残念そうに唇を尖らせていたけれど、神様の方は拍手喝采で太陽を出迎えている。蛙も蛇も寒いのは苦手らしい。
「出来ればまた降って貰いたいんですけどね。今度は雪祭りのように、でっかい雪像を作ろうと思うんです」
「ああ、そりゃあいい。その時は呼んでおくれよ。あたいも及ばずながら手伝わせて貰うから」
「勿論。お燐さんにはかまくら作りでもお世話になりましたし、絶対に声を掛けますよ」
遠くの方では神様達が、「くんなー!」「帰れー!」と抗議の声をあげている。文句を言っているわりに、かまくらの中で餅を焼きながら満喫していたように思えるのだが。神様も複雑なお年頃なのだろうか。
ちなみに雪が降ればおりんりんタクシーもさすがに営業が難しく、そういう時は地上で雪かきのお手伝いをしている。かまくら作りもその一環だった。
「はい、49番」
「演技の悪い数字だねえ」
「うっさい!」
早苗と世間話をする傍らでは、パルスィが必死の形相で御神籤の箱を振っていた。中で詰まっているわけではなく、単に大吉を狙おうと頑張っていただけだ。努力してどうこうなるものではないのに。
「はい、どうぞ」
手渡されたおみくじを紐解く。大凶だった。さすがと言わざるを得ない。
守矢の御神籤は当たると評判で、大吉が滅多にでない事でも有名であった。何でも神様特製の紙を使っているそうで、その時の運勢が紙に映し出されるんだとか。だから数字は何でもよく、仮に7番を選んだとしてもパルスィの運は大凶である。
企業秘密だとのことで、客には告げていないのだけど。
「うがぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「災難だねえ、いや本当」
「大凶でしたら、あちらの木に結びつけて頂けると多生は運気があがりますよ」
沢山の御神籤が結ばれている木の横には、『鍵山雛寄贈』と書かれた看板が差し込まれている。なるほど、御利益がありそうだ。
「ワンモア!」
「御神籤ってそういうものじゃないと思うんですが、まぁ良いです。どうぞ」
当然のごとく、何度ひいても大凶だった。最終的に静かになったパルスィは、五つの御神籤を木に結びつけて何度も何度も柏手を打っていた。だから、そういうシステムじゃないって。
肝心の本殿にもお参りをしたのだが、いかんせん神様が近くで見守っている現状。お賽銭の額はリアルタイムで観察され、迂闊な金額は入れられない。もっとも、それで口やかましく介入している神様ではないのだけれど。当人達に観られているというのは、案外プレッシャーがかかるものだ。
悩んだ末に、パルスィは五円を放り投げていた。誰かいい人でもいるんだろうか。いや、いないから願うのか。
「それにしても大変でしたね。天狗の方々も今度こそと意気込んでいたので、もう来られないかと思ってましたよ」
「いやあ、さすがにそろそろ堪えてきたから上層部あたりと話をつけとくかね。手土産にお酒でも持っていけば、悪いようにはしないだろうし」
人間の侵入には敏感だが、基本的に妖怪は通行自由だ。天狗達の群れに近づかなければ、の話だが。
ただお燐は地下の妖怪。警戒する者も多く、何より高速で横切っているのだ。天狗達が過敏になるのも無理はない。
「私の方からもそれとなく話をしておきますよ。八坂様達の口添えもあれば、天魔様も文句は言えないでしょう」
「悪いね、そこまでしてもらって」
「いえいえ、こちらも参拝客の方々が増えられたので助かってるところです。なにぶん参拝しづらい所にありますから」
人間の参拝客は皆無だと聞くが、それでも特には困っていないらしい。妖怪でも構わないという方針は、お燐としても有り難かった。神社というのは神聖なもので、自分のような妖怪は近づきがたい印象を持っていたからだ。
まぁ、神様達はあまり歓迎していないようだけど。主に雪像的な意味で。
「お待たせ」
「おっ、終わったかい。ちなみに何をお願いしたのかね?」
笑うでもなく怒るでもなく、普通の顔でパルスィは言った。
「私以外の奴の願いが叶いませんようにって」
「……さすがは橋姫だよ」
紅魔館への道すがら、ちょっとだけ寄り道をしていく。さして時間も掛からない所に、お燐お勧めのスポットがあるのだ。
「いらっしゃい」
夜雀ミスティアの屋台。地上では知らない者がいないと言われるほど、今や一大人気となった焼き鰻屋である。最近は夜だけではなく昼も営業しており、昼間活動している妖怪達が早速集まっては飲んでいた。
お燐はミスティアと業務提携を組んでおり、初めて乗った客には必ずここの鰻串を食べてもらうことにしている。勿論、無料だ。一つ食べれば必ずリピーターになるという店主の強い自信の表れである。
「ここは?」
「まぁまぁ、とりあえず食べていこうじゃないか」
猫車を降りて、専用のテーブルへと足を運ぶ。小さなテーブルで待っていると、お手伝いのルーミアが良い香りの串を運んできた。
「おまちどおさまー」
白塗りの器に盛られた串からは、濛々と湯気が立ちこめている。香ばしいタレの香りは、先程お昼を食べ終えたばかりのお燐ですら腹を鳴らすほどだ。鰻の汁もじわりと染み出し、器の上に広がっていく。
「いいの?」
「ああ、初乗車のサービスみたいなもんだよ。気に入ったら、また此処へ食べにくるといいさ。勿論、お金を持ってね」
「ああ、そういうサービスね」
こちらの意図を酌んでくれたらしい。非常に助かる。
だったら遠慮なく、とパルスィは串にかぶりついた。仕事終わりには大抵ここで飲み食いしているお燐だからこそ、あの串の柔らかさをよく知っていた。唇だけで噛み切れそうなほど柔らかい身が、あっさりと喉の奥まで入っていく。
鼻の奥から突き抜ける店主オリジナルのタレの香りは、もう一口を誘う魔性の香りだ。はしたないのは分かっていても、器まで舐めたくなるほど絶品のタレ。醤油をベースにしているらしいのだが、詳しいことは全く知らない。
それでいい。お燐は料理人ではないのだから、とにかく美味しいの一言で済ませればいいのだ。
「なにこれ……凄く美味しい」
「だろう。あたいのお勧めスポットだよ」
「こんな美味しい物が作れるなんて妬ましい……」
妬みながらも串を頬張り、あっという間になくなった。これで麦酒か熱燗でもあれば最適なのだけど、生憎とまだまだ仕事は続く。
「今度は此処まで運んで貰うことにしようかしら」
どうやら、ミスティアの屋台にまた一人常連客が増えたらしい。
守矢を雅と称するならば、紅魔館はさしずめ優雅と言ったところだろう。館内見学ツアーは連日のように予約が一杯で、妹様と行く地下室ツアーでは失神者が出るほど過激だという。
生憎と今日はツアーもなく、館内も開放されていない。ただ庭ではオープンカフェが開かれており、メイド長のいれた紅茶を誰でも楽しめるようになっている。
鰻の後に紅茶かよとツッコミを入れる客も多いが、彼女の作ったお菓子を食べた辺りで不平不満は霧散してしまうのだ。先程の鰻の柔らかさとは違う、しっとりとした口触り。一度はまってしまったら、病みつきになることは請け合いだ。
なんでも当主のレミリアが、ミスティアの屋台に対抗して始めたらしい。見学ツアーも守矢に勝つためだと豪語していたし、案外勝負事が好きなのか。
「ところで、何でお姉さんがここに?」
白亜のテーブル。座るのは勿論、お燐とパルスィ。他にも客はいるのだが、空席も目立つ。相席するほど混んでもいないのに、しかも対面に座っているのは十六夜咲夜。このカフェで一番人気のウェイトレスである。
澄ました顔で本を読む姿も絵になるのだが、てっきり今日もメイド服姿でトレイ片手に走り回っているものだと思っていた。
「今日は非番なのよ。美鈴のアレもないから、お客の入りも期待できないしね。今は」
それでも結構な人数が訪れているのだから、紅魔館の集客能力の高さがうかがえる。
「ねえ、美鈴のアレって何?」
「ああ、ここの門番のことだよ。彼女が太極拳という武術を齧ってるそうで、その型か何かを披露してくれることがあるんだよね」
「へえ」
それを目当てにした客も多いと聞く。ちなみに彼女もまた此処で働く従業員であり、二番目に人気のウェイトレスだった。もっとも、着ている服はメイド服ではなくチャイナドレスだったけれど。
「それに、今日はどうしても見ておきたいものがあるの。あなた達、運が良かったわね。もうちょっとしたら、忙しくなって私の非番も終わりよ」
意味ありげな言葉は、すぐに現実となって理解を促してくれる。客達のどよめきが聞こえたかと思えば、厨房の方から見慣れないウェイトレスが紅茶の一式を運んでくるところだった。
紅い帽子に紅いドレスは見る影もなく、代わりに身を包むのは白いヘッドドレスに白いエプロン。当主の衣装を脱ぎ捨てて、メイド服を纏ったレミリアが恥ずかしそうな顔でこちらへと近づいてきた。
「ご注文の紅茶セットです。お、お、お嬢様……」
「はい、よくできました。さすがはお嬢様です」
子供でも褒めるような咲夜の言葉は、レミリアの目を鋭くさせる。
お燐とパルスィはいまだ混乱状態にあった。何故にメイド服。そして何故にウェイトレス。更にはお嬢様がお嬢様ってどういうことなの。
全ての疑問を晴らすように、咲夜は丁寧な口調で語り出す。
「ちょっとしたゲームをしておりまして、お嬢様はそこで大敗したのです。よせばいいのに罰ゲームも決めていて、それで一位になった私の命令に何でも従うことに」
「あそこでショートカットに失敗しなかったら、私が優勝していたわ」
「さすがはお嬢様。羽もないのにジャンプしようとして失敗しただけのことはあります」
「………………」
皮肉に負けまいと、背中の羽は小刻みに震えていた。
「思ったより愉快なところなのね、紅魔館って」
パルスィの感想ももっともだ。当主が罰ゲームで従者の服装をするなど、他の所では……考えられるか。
「とにかく、これでもう良いでしょう。罰ゲームは終わり」
「はて、私の記憶が正しければ効果は一日だったような気もしますが」
「うっ……」
「紅魔館の当主ともあろう御方が、まさか契約を反故にしたりはしませんよね?」
優しく責め立てる咲夜の口調に、レミリアは返す言葉もない。唇を真一文字に結び、ただひたすらに睨み付けていた。強いメイドだ。お燐だったら、今頃は逆に泣いて謝っている。
「分かったわよ! 今日だけ我慢すればいいんでしょ!」
「それでこそお嬢様です。混むようでしたら私もお手伝いしますので、それまで頑張ってください」
「ふん!」
接客態度はマイナスだけど、怒りながら下がっていく姿はどことなく可愛い。子供が親の手伝いをしているようだと言ったなら、確実に怒るだろう。
「さて、それでは私も引っ込むとしますか」
「おや、もうかい?」
「ええ。先程、男性の方が里の方へ走って行かれましたから。あと数分で此処も混雑するでしょう。騒がしいのが苦手であるなら、そろそろお勘定を済ませた方が適切だと思いますよ」
パルスィを見れば、賛同するように頷いていた。ここは御言葉に甘えて、素直に退散するとしよう。
「次にいらしたら、今度こそ私が紅茶を運んであげますわ」
「楽しみに待ってるわよ。その時は必ず妬んであげる」
「最高の褒め言葉ですね」
人間とは思えないほど精神力の強いメイドが引っ込み、お燐とパルスィは紅魔館を後にした。パルスィは咲夜の態度で何か対抗意識を燃やしているようだが、まさかあそこで働くつもりではなかろうか。
それはそれでお客も増えそうだが、なにやらドロドロした展開も待っていそうで怖い。杞憂であるなら良いのだが。
猫車を押していく帰り道、血気盛んな若者達が紅魔館へと走っていく姿を見かけたのは言うまでもない。
妖怪の山を抜け、守矢神社でお参りを済ませ、ミスティアの屋台で鰻に舌鼓を打ち、紅魔館で良いものを見て、ようやく地下まで戻ってきた。
パルスィはすっかり疲れているようで、帰りの道は猫車の中でずっと寝ていたぐらいだ。縦穴を走って降りた時も、ぐっすり熟睡しているぐらいに慣れてしまったらしい。乗せているこちらとしては、それが何よりの賞賛でもあった。
「お客さん、着きましたよ」
「んあ?」
涎を垂らしながら顔をあげてみれば、そこにはおりんりんタクシーの看板。戻ってこられたのだと、寝ぼけた頭も判断してたらしい。目を擦りながら、それでもゆっくりと猫車を降りてくれる。
転けそうになったパルスィを支えたところで、ようやく意識が戻ってきたようだ。
「うーん、慣れてみるとなかなか乗り心地も悪くなかったわね」
「そりゃ、なにより」
「えっと、千円だったかしら。こうしてみると、案外安いわね」
「良心価格がモットーだからね」
単に価格設定が分からなかっただけということもある。今更、値上げなんて出来るはずもないし。
千円札を受け取り、ゾンビフェアリーに渡しておく。自分で保管しておいたなら、どこで落とすか分かったもんじゃない。このまま地霊殿まで運んで貰った方が、よっぽど安心できるというものだ。
「しかし、あなたも疲れたでしょう?」
「いやいや、これぐらいじゃまだまだだよ。ほら、新しいお客さんも来てるみたいだし」
旧都の方から、見慣れた桶がやってくる。常連客のキスメだ。今日もまた、お燐の猫車で揺られにきたのだろう。
「妬ましいことね。その体力」
「お褒めの言葉だと思っておくよ」
パルスィは顔をそらし、そのまま消えていった。あの様子からすると、本当にお褒めの言葉だったのかもしれない。それを素直に言うようなパルスィでもないだろうし。
だとすれば、本当にこのツアーを気に入ってくれたのだろう。紅魔館見学ツアーじゃないけれど、人を案内するというのはやはり面白いものがある。
それに何よりも、
「あたいはまだまだ、運び足りないからね!」
死体だけじゃなく、生きた妖怪を運ぶというのも案外楽しいのだ。
経営難とは関係のないところで、お燐はすっかりはまってしまった。
おりんりんタクシーに。
いや、10000出してもいいな。
ちょいと紅魔館まで頼む
みすちーの屋台まで。景色を見ながら疾走しつつ気絶しつつ絶品のウナギか。いいなあ。
命蓮寺までお願いします
しかしおりんりんはホントに良い子だ
縦穴は下手したら富○Qよりすごいかも
大至急紅魔館まで頼む
これで1000円ポッキリは安いなぁ
つ1000
幽香様のところまで
もっと伸びるべき
博麗神社を経由して有頂天まで頼む
守矢神社まで
最近八重結界さんのペースが速くて嬉しいかぎり
太陽の畑まで
地霊殿まで頼む
博麗神社→紅魔館で頼む
えーき様の所まで
魔界までお願い
タイトル的にギャグかと思ったがこれはいい幻想郷観光。
マヨヒガまで
守矢神社まで。
妖怪の山まで
至急紅魔館まで頼む!
メイド姿のおぜう……ぐへへ
守矢神社まで
お空と相乗りで
妹様の地下ツアー行ってくれ
太田さん家まで
紅魔館までお願いします
博麗神社まで
一日貸切で
旧都→博霊神社→人里→命蓮寺→紅魔館→魔法の森→妖怪の山&守矢神社→太陽の畑→迷いの竹林&永遠亭
って、幻想郷一周ツアーをお願いします。
ここはあえて、地霊殿探検ツアーをお願いしたい
近未来の京都までお願いします
紅魔館経由で地霊殿まで
幻想郷まで
この話に出てくるパルスィのノリはかなり好きです。
寺子屋まで
これで千円は安いっ……!
良いなぁ、こういう商売もののお話。
永遠亭→紅魔館→博麗神社
でお願いします
幻想郷を適当に回ってくれ
ライブ会場まで
釣りはいらない
むしろフリーパスをくれ
いや、本当にパルスィを客にするというチョイスもさることながら、行き先に守矢を入れてくれたのも個人的にかなり嬉しいところ。
好きなキャラをもっと好きになれるような話でした。
太陽の畑→夢幻館で頼む
楽しそうだなあ、本当に。
読み手をすんなり作品世界に持っていくためのギミックが第一段落
から全開で仕込まれてます。
何も言うまい。見事の一言です。
面白かったですよー
ミスチーの屋台までお願いします
てかお嬢様マリカーやってたんかいw
人里経由で永遠亭に行けるならもう何もいらぬ!
おりんりん健気だよおりんりん
人里経由して命蓮寺まで頼む。
それなりのおかずを買って地霊殿にプレゼントするかな。
鰻オイシソウ!
魔法の森 魔女の家まで
旧都・地霊殿観光後、地霊殿のメンツと一緒にミスチーの屋台に頼む
奢りで良いから飲みに行こうぜ(^^)b
良心価格とかいうレベルじゃねーぞ!(歓喜)
知らない内にそんなにも素晴らしいタクシーとすれ違っていたなんて!
みすちーの屋台まで。
いやぁ面白かった。お腹が空きました。
妹様と行く地下室ツアーが気になるじゃないか。