「――――咲夜、咲夜。
何処に居るの。咲夜」
「此処に居りますわ、お嬢様」
「月が眩しくて眠れないよ。何か話をしておくれ」
「かしこまりました」
「うんと暗くて寂しい話を頼むわよ」
「まぁお嬢様ったら、かしこまりました。
だけど、これを聞いたら眠ってくださいね」
「ええ、約束するわ。
さあ、お願い」
――――昔話を始めましょう。
昔々ある所に、辺りを湖に囲まれたお屋敷がありました。
真っ赤な色をしたそのお屋敷には小さな吸血鬼が住んでおり、毎日紅茶を飲んで散歩をして、それはそれは楽しく暮らしておりました。
そして彼女の傍にはいつも、銀色の綺麗な髪をした人間の少女が居たのです。
美味しい紅茶を入れてくれるし、面白い話を聞かせてくれる。それに、困った時には必ず助けてくれます。
吸血鬼はそんな少女の事が大好きでした。
だけど彼女は人間です。人間と妖怪がずっと一緒に居られる筈もありません。
「そう、咲夜も不老不死になってみない?
そうすればずっと一緒に居られるよ」
だから、吸血鬼は何度も彼女を誘いました。
自分と同じ、不老不死にならないかと。
だけど、彼女の返事はいつも同じ、否定の言葉でした。
「私は一生死ぬ人間ですよ。
大丈夫、生きている間は一緒に居ますから」
彼女の言葉に、吸血鬼も最初の頃はそれが運命だと諦めていましたが、そうしている間にも彼女はどんどん成長していきました。
吸血鬼には分かりませんでした。死なないことも年を取らないことも、それはそれは幸せなことのはずなのに、どうして少女はそうしないのだろうと。
だけど、考えてもやっぱり答えは出ませんでした。
それでも吸血鬼は、どうやったら彼女と一緒の時間を過ごせるのか、どうしたら彼女のことが分かるのか、一生懸命考えました。
考えて考えて、そして吸血鬼は一つの答えに辿り着きました。
そうだ、自分の時間を彼女に合わせればいいんだ!
誰にも内緒に、彼女の一番の親友にも内緒にしながら、吸血鬼はひっそりと自分の止まった時間を動かし始めました。
「咲夜……咲夜、何処に居るの?」
「此処に……お嬢、様?」
それから一年くらい経ったころでしょうか。
少女はようやく自分のご主人様に起きた変化に気が付きました。
胸を張って立っている吸血鬼の身長は、それまでは少女の胸元ほどの大きさだったのに、今では彼女の首の辺りまで成長していました。
少女は驚いて吸血鬼に聞きました。
「お嬢様、いったい何をなされたのですか?」
少女の問いに、吸血鬼は胸を張って自信満々に答えます。
「歩幅を合わせてるのよ。私に付いてくるのが辛そうだったからね」
吸血鬼は満面の笑みを少女に向けて見せました。
しかし、少女はそれとは反対に、とても哀しそうな顔になってしまいました。
吸血鬼には、少女がどうしてそんな顔をするのか全く分かりませんでした。
だけど吸血鬼が悩んだのも少しの間だけ。何故なら吸血鬼はそんな小さなことよりもずっと素晴らしいものを手に入れたからです。
吸血鬼は夜中に飛び起きると、毎日身長を測りました。
何百年も同じ姿だった彼女は、どんどん大きくなっていく事が楽しくてしょうがありません。
それまではずっと同じ長さだった髪も伸び始め、今では腰の下くらいまでありました。
そんな変化があるたびに、吸血鬼は少女に、それはそれは楽しそうに話しかけました。
だけど、その度に少女が作る表情はいつもと同じ、悲しそうな表情でした。
それからどのくらい経ったでしょうか。
何度も春が訪れ、冬が訪れ、博麗神社の巫女がいくつもの異変を解決するほどの時間が流れました。
ある日、吸血鬼はいつもの様に身長を測りました。
そして、とびっきりの笑顔を浮かべました。
その身長は、吸血鬼が誰にも内緒にしながら、ずっと目指していた少女と同じ身長だったのです。
吸血鬼は喜び勇んで、すぐに少女を呼びつけました。
現れた少女に、吸血鬼は胸を張って叫びます。
「咲夜、見てご覧なさい。やっと貴女に追いついたわよ」
だけど、吸血鬼は何かがおかしいことに気が付きました。
それもそのはず、目の前に立っている少女の身長は、昔と同じままだったのです。人間はどんどん大きくなっていくはずなのに。
少しだけ吸血鬼は考えましたが、すぐに答えが出たのか、ジッと少女を見詰め替えしました。
そして、吸血鬼は恐る恐る少女に問いかけます。
「咲夜、もしかして貴女……」
「――――お待ちしておりました、お嬢様」
吸血鬼の問いに、少女はこくりと頷きました。
そうです。少女は吸血鬼が大きくなるまで、自分の時間を止めていたのです。
吸血鬼はとても喜び、少女を抱き締めました。
これで彼女と同じ時間の中を歩ける。これでずっと一緒に居られる。
吸血鬼は幸せでした。
だから、少女がいつか見せた悲しそうな表情の事なんていつの間にか忘れてしまいました。
だけど、吸血鬼は知りませんでした。
少女がその朝、自分の部屋でひっそりと泣いていた事を。
それから吸血鬼は、長い時間を少女と過ごしました。
もちろん、大きくなった吸血鬼の姿に、周りの人達はとても驚いておりました。
そんなこと吸血鬼には関係ありません。
大好きな少女と肩を並べて歩ける。
それだけで吸血鬼は幸せだったのですから。
だけど、それを見た神様はきっと凄くカンカンだったのでしょう。
二人には罰が当たりました――――
ある日の事です。
吸血鬼がいつものように散歩に出掛けようとしました。
いつもと同じ、綺麗なドレスを着て、可愛らしいリボンを巻いて、豪華な靴を履いて、自分の隣には大好きな少女に日傘を持たせて、吸血鬼は屋敷の扉を開きました。
扉を開いてすぐに差し込んでくる太陽の光を睨むと、吸血鬼と少女は空へと飛び立ちます。
「はぁ、今日も腹立つくらい良い天気ね――――?」
吸血鬼はすぐに、自分の体に起こった変化に気が付きました。
日傘からはみ出た翼が、太陽の光に当たって灰になっていたのです。
だけど、そんな事は吸血鬼にとってはいつものことです。
日傘がどんなに大きくても、必ず体のどこかは日光に当たってしまいますし、少しくらいならすぐに元に戻ります。
吸血鬼は気にせずに飛び続けようとしました。
「――――!?」
「お、お嬢様!」
しかし、太陽はよっぽど吸血鬼のことが嫌いだったのでしょう。
灰になった羽は、いつもの様に元に戻ることはありませんでした。
それどころか、いつもなら平気な傘の中に居ても、次々と煙が立ち始めているではありませんか。
二人は慌ててお屋敷へと戻りました。
結局、灰になった部分は、それからどれだけ時間が経っても元には戻りませんでした。
羽の無くなった吸血鬼は、見た目はすっかり普通の少女となってしまいました。
だけど、吸血鬼はとても嬉しそうでした。
少女には、吸血鬼がどうしてそんなに喜んでいるのか分かりません。
毎日毎日笑顔を向けてくる吸血鬼に、とうとう少女は我慢が出来なくなり、どうしてそんな顔をするのか聞いてみる事にしました。
すると、吸血鬼はそれまで以上の、とびきりの笑顔を浮かべながら答えました。
「だって、これで貴方とお揃いじゃない」
その言葉に、少女はとうとうご主人様の前で泣き出してしまいました。
吸血鬼には、どうして彼女が泣いているのか分かりません。
同じ大きさで、姿形もやっと彼女と一緒になったって言うのに、どうして彼女は悲しむのでしょう?
今度は吸血鬼が少女に尋ねました。
「咲夜……どうして、泣いているの?
私、何か変なこと言った?」
吸血鬼の問い掛けに、少女は首を横に振りました。
「今泣いているのは、私のせい?」
今度も、少女は首を横に振りました。
「じゃあ、貴女はいったいどうして泣いているのよ?」
「お気付き下さいませ、お嬢様……」
少女は鼻を啜りながら言いました。
吸血鬼は静かに、彼女の言葉を待ちました。
「お嬢様はもう”普通”の少女なのです。
”不死”では無くなられたのです」
少女は涙混じりにそう言いました。
そうなのです。
吸血鬼は、生まれた時から持っていた、寿命という誰にでもある運命を、成長と一緒に捨ててしまいました。
しかし、吸血鬼はその運命を拾い直してしまったのです。
今の吸血鬼は、もしかしたら、少女と同じくらい生きれば死んでしまうことでしょう。
太陽が昇っている時に外に出れば、やっぱり死んでしまうでしょう。
ひょっとしたら、今まで500年以上を生きてきた代償が、明日にでもやってくるかもしれません。
それでも、吸血鬼は首を傾げます。
「そんなこと知ってるわ。
でもさ、咲夜。こうすれば、貴女と私はずっと一緒よ?
病める時も、健やかなる時も……なんちゃって」
我慢の限界だったのでしょう。
少女は吸血鬼を思いきり抱き締めると、ついに大声で泣き出してしまいました。
吸血鬼はよくわからないけれど、彼女が自分を心配してくれているのはわかりました。
それに、誰にも言ってはいませんが、吸血鬼は自分でも自分を待っている運命はわかっていたのです。
何故なら、彼女自身が運命を手にしているのですから。
「なんで……」
少女はそういいながら、吸血鬼の成長を止めようとしました。
だけど、少女にはどうやっても、吸血鬼の時間を止めることができませんでした。
吸血鬼が、それを否定しているからです。
吸血鬼は、どうやっても、運命を彼女と共にするつもりだったのです。
「なんで……なんで……ッ」
吸血鬼をぎゅっと抱き締めたまま繰り返す少女の問いが、広い部屋の中に響き渡ります。
そんな少女の背中を、吸血鬼は一度だけ強く抱き締めると、少女の体を引き離して、満面の子供っぽい笑顔で彼女に言いました。
「だって、このままならずっといられるでしょう?」
そう。吸血鬼が求めていたのは、たった一つの単純なことだったのです。
少女と一緒に一生を過ごすこと。
それさえ叶えられれば、吸血鬼が人間の少女に寿命を合わせることになんのためらいもありませんでした。
だけど、吸血鬼がたった一つ、分かっていなかった事があるとすれば、それは少女のことでしょう。
少女は主人である吸血鬼のことが大好きでした。
勿論、口には出しませんでしたし、伝えるとしても、とても遠回しな言い方ばかりでした。
そして、この時も。
「――この命ある限り、貴女に尽くすことを誓います」
「――え? 何? 咲――」
涙で顔をくしゃくしゃにして呟く少女の姿が、吸血鬼の見た最後の光景になりました。
少女は吸血鬼をぎゅっと抱き締めると、辺りがしんと静まり返りました。
部屋には大きな壁掛け時計が備え付けてありましたが、針の音は一切聞こえません。
物音一つしない吸血鬼の部屋で、少女はきっと一生分、泣いたのでしょう。
少女は、これ以上主人が年を取らないように――――死なないように、彼女の時間を止めました。
その日から、紅いお屋敷でその吸血鬼を見掛けることは無くなりました。
もともと人も来ないお屋敷だったので、変化に気が付いたのは勘の鋭い巫女やしょっちゅう泥棒に来る魔法使い達くらいでした。
屋敷の皆も、最初は少し寂しそうでしたが、今では昔と同じように、ひっそりと華々しい生活を取り戻しました。
そしてその館では、今も銀髪の少女が働いています。
いつか、愛する主人と共に、別々の時間を歩める日々が戻ることを夢に見ながら――――
――――
「――ふぅん、そんな話で私が感傷に浸るとでも思ってるのかしら? 咲夜は」
「いえいえ滅相も無い。お嬢様は決してそんなお方でないことは私が保証致しますわ」
「きっと貶されてるのよねそれは……」
「そんなことはありませんよ。あら、もうこんな時間ですわお嬢様。さあ、お休みくださいませ」
「ええ、教訓や暗喩を織り交ぜた御伽話なんてもうお腹いっぱいだもの
早く眠って甘いあま~い夢にでも浸らせて頂くとするわ」
「あらお嬢様。教養は現の世界でこそ身に付けるものですよ。
それでは、失礼致します」
メイドは眠たげな眼差しを向ける主人に恭しく礼をすると、静かに扉を閉めた。
そして、暗く長い廊下にヒールの音を響き渡らせながら、階段を静かに上っていく。
やがて、彼女はとある部屋の前で足を止める。
先程のお嬢様の物よりもいっそう豪奢な扉の前に立ち、メイドは二度、ドアをノックした。
返事は無い。形式的な物なのだろう。
メイドは静かに扉を開き、愛しい愛しい、物言わぬ主に、最高の笑顔で挨拶した。
少女の時間は、未だ動かない――――
そんな雰囲気のある、咲夜さんの「おはなし」ですね。
ですね
何ゆえ同じ時間を歩むことを拒むのだろう。先に逝かれることを嫌って、ということであれば、咲夜さんの独善ではないか。
咲夜さんは、物言わぬ主に何を思っているのだろう。
お話自身は面白かったです。
よかったです。
後、童話らしいといえば童話らしいですが、唐突な神様の罰で噴きました。
それが悪いわけでは無いですし、「お話」にすることでコンパクトにまとめられたのも確かでしょうけど、まぁそこは自分の好みで。
ていうか、胸が痛い。
これタグにレミリアって書いてあるけど、本編にレミリアって名前出てこないですよね。
ということはお嬢様って……。
解釈の余地があってウマー
おもしろかったです。
しかし、寿命があるからこそその生きている間に一生懸命お互いを愛することが出来るのではないか、とも思いますね。
思いの疎通とはかくも難しい……。