※これは前作「我が顔は殺し人の」の続編です。意味不明すぎて読む気の無くなった方は「あとがき」だけでも見ていただくと若干判りやすくなる可能性があります。
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制御、規模。海洋を巡る航海の形の進化は、近年実に著しいものであった。
岩礁、暗礁対策に仕込まれた船底の粗がね、それ筆頭に顕著になる船舶装甲化の躍進は舟幽霊である村紗にとって始末の悪いものでしかなかった。
海流の乱れ、指針の異常を引き起こす意図的な海難事故の誘発。その折に発生する座礁や、失踪。その悪意に満ちた何某かの存在への抵抗。
妖怪村紗として確立した一歩を踏み出してより早五十余年、人と妖怪の争いは水面下より立ち上り、見聞の域にまでに台頭した。この技術躍進は言わばその産物であった。
偶発にあらず、故意なり。災害を隠れ蓑に暴虐を尽した村紗の所業は瞬く間に伝播し、現象としてでなく個としての知名度を日増しにかち上げていた。
事実、やり難くなった、とは村紗は思う。が、同時に抑えきれない愉悦が浮かぶのも事実。
縄張りの海域における迅速な移動、海流の撹乱。原初に有した村紗の力は今尚その敷居を大きく拡充させていた。腕力一つに始まり、御する能力の規模がこの体を満足させる域に達していることは明々白々。
人々の技術躍進。その抵抗を、「難しくなった」程度の感想まで引き下げられる自身は言うまでも無く堅強。村紗にしてみれば、その落としづらささえ光明への航路にしか見えなかった。
とはいえ、
――今の手法では長く続くまい。
船舶を主点して見れば厄介なのは当然ながら外殻の装甲化であった。船旅における最大の危惧として恐れられた座礁は既に過去の遺物と化してしまったのである。
やおら妖怪の腕力で強引に破ろうとも、砕くにも貫くにも多大な労力が必要で、名を挙げてより、ご尊顔を見せに現われる僧侶どもの襲来を思えば、この方法は自重すべきであった。
また一つ、船内の人間を直接襲うという方法もある。しかしこれにも問題は付き纏う。
かつて襲った一隻で得た情報。とある名高き僧侶の配慮により、海域に潜む「悪しき妖怪」への対処として必ず一名以上の僧兵を同伴する義務を設けたというのだ。
人の道を外れた身なれば、相対するのに人の数はモノではなかった。無論、それはどれほど堅甲な鎧、鋭利な剣を用意しようとも微塵も揺るがぬほどに。
とはいえ妖怪、云わば想念を根底に成り立つ私たちは何よりも「呪い(まじない)」に弱い。霧に剣は刺さらずとも風で吹き飛ばすことが出来るよう、同類には同類の駆逐の理が出来上がっているのである。
特に念縛霊、簡単に言ってしまえば亡霊に当たる村紗にはその効果が特に顕著で、下手な一撃がそのまま致命傷になりかねない。
――まぁ、隠し種がないこともないけど。
他の妖怪はいざ知らず、村紗にとって僧侶と対峙してしまう状況は一に避けるべき事態であった。
そのために私は――、
「要は、安全な海中で、出来れば一発で装甲をぶち抜ける都合のいい方法は無いか、と?」
「・・・・・・まぁ、一言で言えば・・・」
長い能書きにうんざりした表情で、最近見かけるようになった同族、つまり妖怪である雲居一輪は海中にそそり立った船の残骸に細い腰を下ろした。
「聞きたいことがある、なんて言っておったくせに、貴方結局話し相手が欲しかったわけか。まぁいいけどさ、ワタシも暇だし」
長い鈍色の髪の根元をグリグリと押さえながら、自分と同じ幼い顔立ちをした妖怪はカラカラ笑う。その小ばかにした様子にこの場で一撃見舞ってやろうか、とは思うものの事実長く聞き役になってもらっている点で説得力が乏しい。
「寂しいのはわかるけど、まずはこっちの本題が先ね」
「寂しっ・・・!?」
思わず憮然となるこちらにあえて一輪は水を差さず、話を少し巻き戻させてもらうよ、と前口上を述べた。
「気になったのは大陸の僧侶の話、あ、さっきムラサの話に出てきた稀代の大僧侶様ね。そいつに関する、まさに風の噂って奴でワタシもいろいろと聞いておる。良い噂とずば抜けて胡散臭い話」
「胡散臭い?」
こちらの求めた話題は逸らされたものの、結局情報交換は必要であったし、件の僧侶について気になることが村紗にも一つあった。
「大陸――、あー、ここいら一帯に限定した大陸ね。
ほら、私「職業柄」結構いろんな人間と会ってるからその僧侶の話はよく聞くよ。でもそれは、どこぞの妖怪を退治してくださっただの、戦の仲介をしただの、自治に乗り出しただの、見目麗しいだの」
「最後の一個以外、ワタシ達には景気の悪い話だねぇ」
だが言ってしまえば、それだけのことであった。
村紗と同格(まぁ私の方が上だが)の力を持つ一輪が特段気にするとも思えない小さな事柄。村紗とは違って純粋な妖怪の一輪にとって、高名であろうが只の僧侶如き、動向に注意を払うとも思えなかった。
「まぁ、ただの僧侶ならね」
思案顔で顎を撫でる一輪の顔は、太陽の下にあって少し暗い。
「胡散臭い話、っていうのは単純でね。どうにもその僧侶、ここ二十年近く「姿が変わってない」らしい。まっさきに考えられるのが、――」
「同類?」
「理屈の上じゃそうだろう。二十年、短い時間じゃない、ただの若作りにも限界ってもんがあるだろう。
問題はさっきムラサの話してくれた近況だ。ここいら一帯、まぁ貴方は知らないだろうけど随分前から「悪霊の縄張り」、なんて呼ばれておってな。まぁ、言ってしまえば妖怪に対して非常に悪意を持ちやすい環境な訳だ。
が、そこで妖怪と疑われてしかるべき人間が、見目麗しい女僧侶とはいえ賛美する話ばかりが次から次へと降って沸く。・・・不自然だと思わないか?」
「ここに来て日が浅いだけでしょう。あと十年もすれば一輪が聞いた胡散臭い話は出てくるに決まってる」
しかしその反論に、一輪は予想済みとばかりに口を開く。
「そんなことはとっくに調べておる。間違いなくここが奴の故郷だ。胡散臭い話は全部彼女に馴染みの薄い遠征地で聞かれたものばかり」
「地元の人間を幻術か、妖術で誑かしてる・・・? いや、それとも本当は妖怪じゃ無いって所? まさか不老不死の人間がいるとでも?」
答えを望まない早急の問いかけに、やれやれ、と大きくため息をついた一輪は首を振る。
「さぁ。話はここでおしまい。
ワタシの持ってる情報はそれだけだからね。そもそも一から十まで話を飲み込めていればこんな相談、初めからしないって。言ったでしょう、気になった話って、それだけ」
自分には関係のない話。それをここでするということの意味を村紗は考え。
「・・・気を付けろって言いたいわけね?」
「そういうこと。特に僧侶とムラサは水と油だから。現状を言えば、ここら一帯は飲み水にも燃料にも使えないわけ不毛な土地ってわけだ。資源は有限。異物は除去すべし。水にしても油にしてもな」
会話を断つように、よいしょ、と腰を上げた一輪はそのまま腰に巻きつけた包みから木製を箱を取り出す。書籍二冊分の厚さはあるそれは、
「じゃじゃーん。弁当ー」
「・・・・・・・・・・・・・」
「難しい話してて日も高くなっちゃったし、一息つかない? 場所代としてムラサの分も今回はきっちり用意してきたぞー」
「・・・・・・・・・・・・・」
「いらない?」
はぐらかされている、とは思うが。
「・・・人肉とか入れてないでしょうね?」
「ご想像におまかせ」
◆
人であった名残か、亡霊である村紗には必要の無い、米や肉を摂取する食事という行為は不思議と肉体に安らぎを与えてくれたようだった。
「たまにはこういう無駄な行為も悪くないでしょ」
そう言って結局私の物騒な相談には乗ってくれることもなく、雲居一輪が去り、早十日。
人の捕食もそこそこに、料理なるものをしてみたい、などと積荷の食料を奪うことに腐心し出した緩い日々。妖怪ムラサと成って以来久々に感じる安寧の時間。
しかしそんな緩やかな空気においても、変化というものは実に忌々しく早急であった。
「悪い予感が的中しおったなぁ。・・・にしてもムラサ、これ何・・・?」
「失敗したの。勿体無いから食べなさい」
お礼と称して渡された、塩塗れの生肉の塊を淀んだ目で眺めながら一輪がぼやく。
「アリガタクイタダキマス。で、もう一回聞くけど、これ何?」
「塩漬け肉。古い船の保存食よ。日々フラフラしてる一輪には丁度いいかと思って」
「塩漬け、というよりは単純に「塩と肉」かなぁ。ほら、見て、半分岩塩みたい」
「私もそう思う」
思うのかよ。と恐る恐る塩の薄い部分を舐めて悶絶する一輪を眺めながら、再びもたらされた弁当の恩恵に舌鼓を打つ。悪くない気分と悪くない友人に囲まれた麗らかな午後であった。
だが、そこに漬かって抜け出せなくなるほど村紗は単調ではない。
「塩漬け肉だけにね」
「誰に向かって言ってるんだ。これどうしよう、・・・捨てるか?」
「捨てんなこら」
どうにも的外れな方向に流そうな会話を打ち切るよう、ついでにしぶしぶ村紗の贈り物を布で巻く動きを続けたまま、若干擦れた声で一輪は言葉を紡ぐ。
「今日来たのは・・・言うまでも無いか。この間の話。あれ嫌な予感がしてねぇ・・・・、最近特に調べてみれば案の定の大当たり。
分かりやすいことにここの連中、昔っからムラサにはご執心だったわけだ。最近でこそ対策が打たれて月に数隻程度の被害で済んではいても、今まで味わわされた苦汁を累計すれば恨みの度合いも知れる訳だ。
村民の兼ねてよりの懇願は成就、かくして年の終わり、速ければ来月にでも。「奴」のご訪問と相成る」
稀代の大僧侶、聖白蓮。それが彼女の名であるという。この人外生はつくづく僧侶と関係深いものらしい。亡霊として彷徨っていた時分に聖という名前を聞いた覚えもあった。
――それにしても。
「大僧侶様の姓が「聖」。出来すぎてるといえば出来すぎてる」
同意の頷きを返す一輪にも同種の笑いが張り付いていた。
「それも僧侶の格として賜った聖人位の称号じゃなくて、生粋のモノだって言うんだと、出来すぎている以上にその通りなのかも」
ただその声は、語った言葉以上に難しいものであった。
「十」
彼女の右手五本、左手五本の指がそれぞれ立てられる。
「彼の聖様に退治された妖怪の数だ、それもここ一年の間で」
「・・・・・・」
一地域に潜む妖怪の密度を思えば、それはまさに桁違い、異常と言って問題のない数であった。そしてそれが事実だとすれば、どちらがより化物なのかを純粋に疑うべきである。
「同期のよしみであえて言わせて貰えば、こっちからは絶対に手を出さないほうがいい。人望っていう点もそうだけど、どうにもその僧侶、解せない噂が多すぎる」
それに、と次ぐ彼女は実に多弁であった。
「先方はどうにも一人でムラサと相対したがっているらしい。まぁ、ただの人間なら馬鹿の一言で済むだろうが今回ばかりは気味が悪すぎる」
逃げろ。そう口に出さないまでも、友人だからこそいえる言葉で彼女ははっきりと逃亡を教唆していた。しかし、
「忘れたの一輪? 私は念縛霊よ。ここに未練がある以上離れる離れないは意志じゃないの」
「馬鹿言うな、ムラサのは離れられないんじゃなくて離れたくないだけだろう。それにワタシの言ってるのはそういう意味じゃなくて」
「わかってる」
「海中で逃げに徹すれば人間ごとき。ムラサは絶対に凌げない」
法力だか魔法だか知らないが、それを習得したところで根本は人間。それ以上でもそれ以下でもない。そしてよっぽど「気」でも違っていない限り、その頭の常識が戦いの枷になる。どれほど人がどれだけ鍛えようとも水中で呼吸など出来ないように、それは逃れられない宿命に他ならない。
「わかってる、って言ってるでしょ。確かにここならどれだけの物、力に差があったとしても負けないでしょうねぇ」
でも、と酷薄に笑いかけてやると、一輪は眉間をもむ様な仕草で視線を海中に落とした。
「「負けないだけ」よ。勝ててはいない」
「・・・それをずっと続けろとは言ってないし、別にムラサの力を疑っているわけでもない。事実どんな手馴れだろうと、どれだけの妖怪を屠ろうが関係なく、ムラサは間違いなく生き延びるだろうね。
だけど、話はそんなに単純じゃない」
「単純よ」
その後も人生を(私の場合は人外生を)悠々と送れるか否か、その二極でしかない。
しかしそれを伝えてやると、一輪は珍しく当惑と苛立ちを混ざったような引きつった声でがなり始める。
恐らく、こちらの楽観ともいえる対応に、言いたいことが伝わっていないとでも思っているのだろう。
しかし残念、それはお門違いであった訳だ。
――全部、わかっている。
「ああもう・・・。
確かにな、結果は勝つか負けるかの二次言論だ。それはいい。だけど今ワタシが言っているのはその間の過程だ。ムラサは知らないだろうがな、聖一人がムラサに元に赴く、そう思っておるのは当人たちだけだ。
少なくとも聖の身の危険を考えて仏門側は秘密裏に別働隊を組織しておるし、聖本人に嫌疑を持ってる他の――」
何か懸命に喋っている一輪の声を無意識に削ぎ落としながら、村紗は揺るがない自身の決意を水面に見る。
――村紗に相応しい生き方をする。
たとえ一度であろうとも、主張の頭蓋の衝突を恐れることは村紗が村紗であることを否定してしまう。
闇と蠢く篝火に照らされた自己形成の原初。
年月を重ねれば妖怪とて時代に擦り切れ丸くもなっただろう。しかし丸くならないことを存在理由として持つ私にとって、その磨り減りは消滅の道を転げるに同じ。
聖とかいう僧侶のことだけではない。この後恐らくは何回も何十回も、他人が見れば馬鹿馬鹿しく、飛び切り愚かに立ち振る舞うだろう。そしてその理想に振り回されて、いつか自身は動けなくなる。
妖怪村紗はどう足掻いても長く生きられない。
「オラ!この亡霊もどき! さっきから人の話聞いてんのか!」
「!?」
いつの間にか隣に来ていた一輪の拳が、鈍い音を立てて頭に突き刺さった。
◆
それから一輪が説得という名の独り言を吐き出す中、それを「ざる」にすること二時間。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「一輪さん? ・・・怒ってる?」
打って変わって消沈していた一輪の首が、フルフル、横に振られる。怒ってはいないらしい。
ただ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・オエッ」
目の前で揺れる村紗の手のひらをやんわりと押し戻す一輪は既に死んだ魚の目。
自傷する気分なのか仕舞い込んだ塩漬け肉をえづきながら齧りついているところを見ると、どうにも虚偽申告くさかった。
「いやね。別に一輪の忠告の意味がわからないとか、そういうのじゃないのよ? 一輪のお願いだから無視するぜげへへ、とかいうのでもないの」
だからね、機嫌を直して欲しいなぁ?、と客観的にも愛らしく愛想を振りまいてはみたが。
「けっ」
一蹴されるどころか、ビシャ!と鼻にビンタを打ち込む始末に閉口するほかない。
ただそれでもこちらのご機嫌伺いに多少の食指は動いたらしく、やれやれと口の周りの塩を、
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「私の服で拭くな!」
きっちり無言で拭い終えると、それで機嫌はなおったらしい
「皆まで言わずとも、長い付き合い。村紗の性格はよく知っておる。馬鹿みたいに一直線の負けず嫌い。・・・ようはワタシが何を言っても逃げたくないってことでしょう? それでも今回ばかりは自重して欲しいと言って、さっき無駄になった。
なら、どう対策を打つかくらいは考えても良いだろう」
「へぇ、手伝ってくれるんだ」
「僧侶なんぞに出しゃばられて迷惑するのは亡霊だけじゃない、理由はそれで十分だ」
特定の海域で敵の襲来を待つことしか出来ない村紗とは違い、気のままに空を謳歌する一輪にそれが当てはまるのか、それは不明だが。知恵を貸してくれるというのならば拒む理由はない。
「そうそう、この間の物騒な質問、あれに今日は一つの答えを持ってきた」
あれだ、と一輪が顎をしゃくった先、人の腕ほどの太さに束ねられた荒縄と漆黒の鉄の塊が鈍い光を放っていた。
錨だ。
これは私見ながら、多分この作品は時代を先取りしすぎている
すなわちパイオニアであり、どれだけぶっ飛んだ解釈をしてもいいぞやれという按配です
胡散の香り漂うひじりん描き切って
しかし中盤辺りにもなれば、やはりムラサの内情描写で「これは確かにあのムラサだ」と納得しました。
それにしても、一輪が聖よりも先にムラサと友好関係にあったというのは面白い設定です。
これから聖がここに現れた時、二人はどうなってしまうのか――楽しみですねぇ。