シャキーン!
咲夜のナイフが、深い闇の中で閃光を放つ。それは本来、ありえない在り方。だがたしかに、咲夜のナイフの数々はその刃に命を刻んでいた。されど、ルーミアは無数のナイフの一つ一つを、暗闇のうねりだけで飲み込んでしまう。これでは、手数で勝負というわけにはいかない。
形勢は咲夜に不利であった。咲夜の能力はあくまでも限定的なものである。使うためには精神の集中、そして自身の能力を制御すること不可欠。反面、ルーミアの闇は彼女と一体と云って云い代物。普段の彼女であればただの遊び場という観念しか抱けない暗闇が、たしかな勝利への布石として存在している。周囲の闇は咲夜から、狙いを、遠近感を、平衡感覚を、戦闘行為に無くてはならない感覚のほとんどを奪い去っていた。
「くっくっく、見える見える、貴様の堕ちる様!」
「時間をかけてあげられる暇は無いわ。時の刻みはあなただけのものじゃない……」
とはいえ、ルーミアは一度たりとも構えを崩さない。十字を描くその体は宙に浮いたまま、動いていない。これでは、必殺に至る一撃のためには針の穴に糸を通すほどの正確さが必要。それも、二度目は無い、ワンホールショット。
シュルル――ガッ!
それすらも咲夜にとっては造作も無い。完全たる咲夜にあって、戦闘でのミスなどありえない。一際の閃光りを放ち、ナイフがルーミアの胸を穿つ。だが、勝者と敗者が決したと思われる不気味なほど静かな間は、直ぐに消え去った。突き立たったナイフが、ルーミアの体に飲み込まれていく。既にルーミアと暗闇に境界は無い。
「っひゃ! 我ぁあが暗闇のぉ漆黒はばばばばばかががディマでぃらでぃろでぃらディラックをもええお飲み込みいいいリョぅううウシ力学の深遠を弄ルぅこぉ根テェイのんのぉおびゃてい義すらぁあひひゃはやはやはっひゃひゃひゃ!」
「ルーミア、あなたまさか、気が……」
気がおかしくなったというより、そういった概念そのものが希薄になっていた。お望みとあらば。笑い続けるルーミアに咲夜が無数のナイフを時間停止を併用して投げ、針のむしろのごとく突き立てるが、なんら効果は無い。
中距離戦では埒が開かない。咲夜が弾幕ごっこではありえなかったであろう距離にまで近づき、ルーミアの暗闇ごと彼女の体を切り刻まんとばかりに、技を繰り出す。こうなれば、暗闇の本体と思しきルーミアの体を切り開き、そこを取っ掛かりに空間ごとルーミアを引っ繰り返すしかない。しかし、接近するまでに体のあちこちが暗闇に食いつかれ、後戻りする余裕はもう無くなった。ここで決めなければ。
「あなたの攻撃はユニーク過ぎる。完全にはなれない……!」
「ひゃーっひゃっひゃ!」
至近距離からナイフの斬撃と同時に時間を最大限に操作することにより、触媒となるナイフがルーミアの内部から彼女の体を『引っ繰り返す』。そのための力を込めてナイフを突き出した。咲夜が始終展開するナイフは、それこそが時間操作を容易にせしめるための、云わば時計の針となる。見立ての有る無しは能力の制御において重要な点だ。その針が直接相手の体内を犯せば、弾幕ごっこのように堕ちて終わるというだけでは済まない。そうなればルーミアの体は内側が外側に、外側が内側にと反転し、五臓六腑どころか脂肪、筋肉、血管、神経、あらゆるものを、断末魔の悲鳴と共に空気に晒すことになる。
「貴様の狙いはぁ、胴体《ここ》だぁ!」
ルーミアに勝つという気持ちは既に無い。戦意の高揚が、咲夜の命の刻みが、全ての目的が彼女を倒すというものに挿げ替えられる。暗闇と共に咲夜と堕ちるのが先か、自分が力尽きるのが先か。ルーミアにはそれしか頭に無い。しかし、ルーミアの言葉通りにはならなかった。咲夜の繰り出した右手のナイフは囮だ。
「左利きだとっ!?」
「ナイフだこがどちらにあるかぐらい、見極めなさい」
咲夜の左手に隠されていたナイフは、ルーミアの顔面へと迫る。そこは、彼女がかけたサングラスがある場所。防御などという概念すら無かった絶対的なルーミアの防壁も、ここに至っては役に立たない。咲夜は、かつての自分の過ちを砕くと、眉間に到達する前に、ナイフを止めた。殊、ナイフに関して、ルーミアは咲夜に及ばなかった。
不意に暗闇と己自身の制御が不可能となり、ルーミアの体に恐ろしいまでの負担がかかった。だが、それだけでどうにかなってしまう彼女ではない。プロとしての心が、ぎりぎりで自分を制御する。そこで邪魔が入った。致命的な邪魔が。
ゲボ!
ルーミアが大量の血を口から吐き出す。彼女の構えが、始めて崩れた。それまで一度たりとも手を出さなかった幽々子が、渾身の力で懐の扇子を放ち、それがルーミアの背骨を折ったのだった。そして、彼女の心も折れた。
「さ、サングラスを……! 誰か、サングラスを、ください……見えない、見えない――サングラスをくださ……い」
濃度が増した暗闇によって眼球をを食われ、地べたで這い蹲りるルーミアの最期をを見届けると、咲夜が西行寺邸から去ろうとする。彼女に向けて幽々子は手をかざした。今にも死を与えてくれるという叫び。これ以上、平穏な生活を乱してはならないという、西行寺家の当主としての、誇り。それがそこにはあった。元凶はこいつだが。
「瀟洒なるメイドよ、命乞いをなさい。あなたに妖夢のことを任せる気はないわ!」
「――死は恐れるものではないわ。死はあくまでも運命《さだめ》の下に従うもの……」
その言葉を受けて、幽々子が残った最後の力を放った。その行く末を見定めた幽々子は、笑い出したのだった。
「あなたは死神よ! あなたを狙っても、死が勝手によけていくわ!」
咲夜はその言葉を聞いただろうか。彼女はただ、主と、そして妖夢が待つ紅魔館へと暗闇から飛び立って行く。そのBGMは中島みゆきであったと、遠目から見ていたプリズムリバー三姉妹は後に語った。
******
妖夢が湖に差し掛かったとき、既に事の次第は司書である小悪魔の報告を受けたパチュリーの遠見の術法により明らかにされ、それは紅魔館全部隊に知れ渡っていた。一般の職務に就く者たちは全員が館内に避難し、門を最終防衛拠点とし、ここに前線司令部が設置される。そこに、パチュリーを司令官とし、総参謀長に司書の小悪魔、咲夜が来るまでの暫定作戦指揮官として美鈴が据えられ、彼女らに全ての部隊長が従う形となる。実質的には彼女らよりも実力・館内での階級が上の者も多くいたが、さしたる混乱も無く、態勢は整ったのだった。
「咲夜が到着すれば、圧倒的にこちらが有利。夕方まで耐え抜けば、レミリアも起きてくるわ」
「それまでは防衛に徹しろということでしょうか」
美鈴が連隊の配置を行っている後方で話し合うのはパチュリーと小悪魔である。湖を臨めるその場所は、ことの他、周囲がよく見渡せた。我々こそが規律であり掟である。そう云わんとするかのように、各隊は足並みを揃え、配置についていく。第一次防衛ラインは既に完成している。主要な作戦としては、第一次第二次防衛線が時間を稼いでいる間に、他の隊が横から奇襲を行い、然る後に包囲網を完成させるという、遊び気の無いものであった。
これほどの人数、よく集めたものだ。パチュリーは思う。朝礼を何度か見た事があるが、そこに集まっていた数の四倍はいるではないか。これでは増えすぎだ。パチュリーは残酷なことを思う。ちょうど良い機会だ、総力戦にさえなれば、数を減らせることだろう。パチュリーは笑う。レミリアは小物の群れを眺めるのが好きなのね。でも、私は嫌い。他に見るべきものが彼女にはあった。
返答を待つ小悪魔にパチュリーは眠たげな目を遣る。何を考えているのか。小悪魔は考えてみたが、それは不敬というものである。小悪魔はパチュリーが口を動かすまで、待った。
「こんな状況じゃ、落ち着いて本も読めない。そうは思わない?」
「御意にございます、パチュリー様」
防衛に徹すべきだ。小悪魔は確信している。絶対的なヒエラルキーと士気の向上により、部下たちは何の文句も無く敵に突っ込んでいくだろう。むしろ、喜びながら血を撒き散らして死ぬことだろう。だが、果たしてそれで良いのだろうか。防衛戦となれば、たしかに時間こそかかるが、余計な損害を出さずに済む。小悪魔は考えるのを止めることにした。パチュリーが本を読みたがっている。それならば、そのために努力しよう。一刻も早く、主人の生活を取り戻そう。そう思うことにした。
「ほらほら、あんたたち、相手はただ一人なのよ! 軽く捻り潰してやりなさい!」
『おおーーーーーーーーーーーっ!!』
小悪魔の耳に、美鈴の檄とそれに応える怒号は、もはや遠い世界のこととなっていた。
******
当初、戦いは包囲が完成すれば決すると思われた。これは弾幕ごっこではない、戦争である。相手を遥かに凌駕する軍勢を有し、それに恥じないだけの実力を備えた者たちに、恐れるものなどあるものか。かつて紅魔館に部外者の侵入を許したのも、館の主人からメイド長を通じて、弾幕ごっこに専念せよというお達しがあったからである。それさえなければ。――しかし。
「バズーカ、スタンバイッ!」
「いつでもOK!」
「やあああってやるぜぇええ!」
「「「Dフォーメションアタァアアアアック!」」」
成人の体を得、奥義で身を纏った妖夢に対してはどれだけ精密な、どれだけ苛烈な、どんな攻撃も、通ることはない。ときたま、中級クラスの悪魔などが大技を繰り出しても、対化生用の弾頭を千の単位で撃ち込んでも、結果は変わらない。現在は機甲部特殊車両中隊の二課が応戦中である。彼らが技を出すとき、俺の歌を聞けぇええとばかりに誰かがテーマソングを歌いだす。普段は金食い虫のレッテルを貼られているだけに、気合が違う。ちなみにこの部隊の隊長らは後方でお茶を飲みながら観戦中である。あ、この曲、俺知ってるわ。歌いますか? マイク、無いんだよね。
「やったかっ!?」
その台詞はご法度である。死ぬ相手も死んでくれないぞ。案の定、妖夢は無傷である。ガーゴイルの声と同じ人が見たら、税金の無駄遣いだな、などと失笑するだろう。これまでに中隊ではサムライオソとロイヤルパソサーによるロイヤルスカッシュ他、単分子ワイヤーによるからめ手、明らかにやばい放射線を浴びたっぽいロボットによるペダルのタイミングがずれると大爆発の技など、ありとあらゆる攻撃が試されたが、未だなんらの成果もあげられずにいた。しかも、他の部隊がその間はほとんど手出しできないため、終いには帰れ帰れの大合唱。元機動隊所属の声優(通称アナゴ)も泣きながら「ちくしょう、我々の夢とロマンはこんな毎週のように下書きを雑誌に載せるような作家が考え出した技に負けるのか」と愚痴りそうな勢いであり、他の支援部隊の盾に成り下がった。MPが足りない! MPってなんだ!? 馬鹿野郎、萌えポイントの略だぁ!
やたらテンションの高い敵を相手にしていた妖夢はというと、楼観剣の一振りで連隊二つを壊滅させ、白楼剣の一振りで通る攻撃すら通らせない。なんとか肉薄したとしても、その体に得物が触れた途端、攻撃した側が生身であった場合は断末魔の叫びを上げて血飛沫と共に霧散していく。ロボット連中を相手にしている間はどういう理屈かは知らないがやたら妖夢の胸が揺れていたが、今となっては動かざること山の如しである。
これでは取り付く島も無いではないか。もはや包囲するどころの話ではない。包囲したとしてもその途端、妖夢が薄ら笑いを浮かべて、周囲の全てを吹き飛ばすだけだ。
「まいったわねぇ、今日は喘息の調子が良くないのに」
「――火符弾頭用意。ドーラを出しますので、前線を十分ほどこらえさせてください」
戦況を見守っているパチュリーの意を汲んだ小悪魔が美鈴に進言する。美鈴は彼女にしては珍しく、不服そうな表情を隠さなかった。あの相手に十分もの時間を稼ぐには、それなりの被害を覚悟する必要があった。
「一度でも乱戦になれば、撤退は不可能です。私の部下を巻き添えにする気ですか」
「あなたは門のことだけを心配していれば良いのです」
美鈴は何かを言うべきだと思ったが、それはしていけないことだとも思う。判断が遅れれば、余計な損害が増えていくだけだ。
「中距離支援部隊、前線との連携を密にして、少しでも負担を減らしなさい! 特殊工兵大隊、ドーラの準備は終わっているな!?」
「――お前ら、姐さんのためだ。喜んで死ぬがよい! 相言葉は!?」
『緋蜂が怖くてドンパチできるか!!』
「よし、死んでこい!」
「――ドーラは既に準備完了。弾頭装填が完了次第、発射できます」
美鈴直属の連隊長の号令の下、支援部隊が前進を開始する。距離が開いていては、満足な通信網を構築できない幻想郷の部隊同士では上手く連携ができないからだ。この内のどれだけが戻ってこれるというのか。見れば、仲の良いメイド同士が、軽いキスや抱擁などをしてから前線へ飛び立っていく。今日が我々のインデペンデンスデイである。美鈴は、今にも崩れ落ちそうな二本の足を支えるだけで精一杯だったが、目は部下たちから一度たりとも離さない。この女、ただの門番じゃないな。一見粗野を装い、たちまち、この場の士気をあげてしまった。
「警備部は仲がよろしいですな」
「黙っていてください」
「これは失礼を。ではパチュリー様、防御陣を張ります――おや?」
小悪魔が明後日の方向に目を遣る。パチュリーと美鈴もそれに倣った。その方向には、戦闘に巻き込まれないよう、湖を迂回する形で到着した霊夢と魔理沙がいた。
「ちょっとちょっと、弾幕ごっこ以外の戦闘は勘弁してよ」
「向こうにその気が無い以上、それは無理です」
「お前らにも無いように見えるけどな」
かなりの距離があったはずだが、美鈴に対する小悪魔の言葉が、魔理沙には聞こえていたようだった。小悪魔はパチュリーの横後ろに控えたまま、何事か言いた気な魔理沙を見遣った。
「ルーミアはお役に立てなかったようで」
「よく知ってるじゃないか。まったく、趣味が悪いぜ。あのメイドも、お前らも」
「それは私もなのかしら?」
「パチュリーは趣味が悪いからこそのパチュリーだぜ。けどな、仮面を被ってるような奴らは、最低だ」
パチュリーが口を挟むが、魔理沙は気を悪くするどころか、歯ごたえのある相手として、喜んで応える。その間に、小悪魔は美鈴を見た。何を考えているのか。彼女は部下が飛び立った、現在既に火砲が交えられている方向へと向き、胸を張っていた。大小、彩り鮮やかな光球が遠くの上空で起こっている。まさか、自分も打って出るつもりか。それも良いかもしれない。小悪魔は既に、先の先を読み始めていた。
美鈴は自身の高揚する心を恥じつつも、どす黒い感情が湧き上がる自身までを否定することはなかった。綺麗だ。単純にそう思った。自身の力のみでは決して作りだすことは出来ない、命そのものが散る輝き。悲しみ、歓喜、絶望、同情、悔恨……それらが同時に炸裂する様は、集中しなくては色を作ることの出来ない自分には到底できない、万華鏡だった。そう、命のやり取りとはかくあるべきだ。無粋な黒き太陽で塗り潰してはならない。美鈴は機を待った。
「この子も私のためにやっているのよ。そう卑下しないであげて」
パチュリーが自分の方を見遣る段になって、小悪魔は主人に向き直った。目は伏せられ、それは礼をしているのか、それとも僣上を恥じているのか、傍目には判らない。彼女は一度だけ深く頭を下げると、直属の者たちと共に対衝撃のための防御陣の構築に入った。
「まったく、あのメイド長、どう収拾をつける気なんだ?」
「あの女は、自分が納得できる範囲が完全なら問題無いんじゃないかな」
「度し難いよな。その点では、私も霊夢も同じだけどさ」
「あら、私は違うわよ」
「ふむ?」
「私は誰がどうなろうと気にしないもの」
「こりゃ一本取られたぜ」
魔理沙と霊夢がこれからどうしたものかと考えつつ普段と変わらない会話をしていると、そこに美鈴が近寄った。美鈴は魔理沙の方を向かずに、口を動かす。魔理沙と霊夢は、美鈴と同じ方角を見つめている。そこは最前線だった。
「ドーラを破壊してください。その間に私は全部隊を撤退させます」
「なに!?」
しぃっ、という霊夢のジェスチャーに、魔理沙が慌てて口を塞ぐ。どうやら、ここにいる三名以外には聞こえずに済んだようだった。魔理沙が首の向きはそのままに、目線だけを美鈴に向ける。美鈴は未だ、部下が散る様から目を離さない。
「私は、あの子たちのためになら死ねますが、あの子たちが私のために死ぬのは耐えられません」
「そこまで言われちゃたまらないぜ。わかった。後のことは知らないからな?」
「はい。あの化け物の注意が逸れればそれで良いんです」
半ば嘘である。美鈴は、あの万華鏡の中で踊る自分を想像しただけで、かつて外の世界にいた頃に毎日のように感じていた、渇きを癒そうとするどうしようもない衝動を思い出していた。魔理沙の答えを受けて、美鈴は彼女たちの一歩前に出る。そして、一度だけ、小悪魔だか、魔理沙たちだか、どこを見ているのかわからないながらも振り向くと、そのまま飛び立っていった。彼女の振り向いて見た先には、門があったのだった。
「あの門番、死ぬ気だな。なぁ、霊夢……」
「わかったわかった、わかったから、そんな乙女チックな目で見ないでよ。気持ち悪いったらありはしない」
「じゃ、あいつのことは頼んだぜ。あと、妖夢は殺すなよ。後が怖い」
「元々、誰も死ぬ必要の無い戦い、か。良いわ、大盤振る舞いよ。これ以上の人死は私も都合が悪いし。ま、きついのは全部あの変態女に取っておいてやるけど」
霊夢の言葉を受けて、魔理沙が被っていた愛用の帽子を手に取ると、子供が格好をつけるように、指先で回して見せた。やる気満々である。霊夢は一度、大きな溜息を吐くと、美鈴の後を追ったのだった。
******
一分ほどの間に魔理沙は目的の場所へ到着し、草の陰に身を潜めていた。なんせ、相手はグスタフ(俗称ドーラ)である。ナチス体制下における禍々しいまでの存在感。歴史上・戦略上での存在感はV2などと比べればかなり見劣りするが、有視界にあっては、その存在自体が脅威と云って良い。砲身を含めた全長は三十メートルに届かんばかり、重量は千トンを軽く越えるというそれは、今やビニールハウスに隠されていた姿を露にし、砲身は妖夢がいると思われる方向を正確に捉えていた。
このグスタフ、最大の長所であり、そして最大の問題は、射程が三十~五十キロメートルということだ。つまるところ、現在の状況では目標が近すぎるのである。当然、その弾は通常の炸裂弾でも相応の威力であり、火符の力を込められた弾ともなれば、恐ろしいまでの破壊力を有すことになる。恐らく、いや確実に、着弾すれば湖の大半が蒸発する。
「ったく、無粋な物を持ち込んでくれたもんだぜ」
一所懸命に動き回り、弾頭を装填し終えた(本来、二時間近くかかることから考えれば、とんでもない準備の速さである)工兵役のメイドたちを見遣りながら、魔理沙が毒づく。とはいえ、破壊するには魔理沙の魔砲だけでは不十分だ。下手に刺激を与えれば、弾頭が具体的にどれだけの威力を持っているかわからないだけに、どうなるかわかったものではない。それこそ、紅魔館ごと吹き飛んで全滅ということにもなりうる。
「予定変更だな。台座をぶっ壊すのは当然としても、弾は外側だけを剥がして、後はあっちに任せるしかない」
弾頭自体が内部に魔力を溜め込めるだけの代物であるから、それ剥がしてしまうだけでも幾分か違うはずである。砲身も近くでよく見ればそこかしこに魔術的な図が描かれていて、警備部がどれだけ愛情を注いだのか、よくわかった。美鈴はそれを知っていてなお、壊せと言った。ならば、やるしかあるまい。
魔理沙が気合を入れなおしたところで、一際大きな閃光が遠くの空に炸裂した。恐らく、美鈴や霊夢が妖夢を相手にしているのだろう。
「よし、こっちもやっちまうぜ!!」
叫ぶと同時に飛び立ち、一気に砲身の向く先へと躍り出る。発射シーケンスのために配置に就いていた者たちが魔理沙に気づくと、驚愕と同時に、今に発射しなければ二度とこれを撃つことはないだろうと覚悟をし、発射のための最後のスイッチを押したのだった。
このグスタフは改良型である。元々、グスタフは戦後には既にこの世のものでは無くなっているのだ。本来、これは中東の某国の協力によって作られた通称「スーパーガン」の予備であったが、予備とは名ばかり、なんとその重量で四本の足による自走を可能としている。これはアメリカの「メタルギア構想」を吸収する形であるが、本来の歴史とは大きくかけ離れたそれは、何の因果か、ここ幻想郷に辿り着いた。時空を操る能力者、運命を弄ぶ吸血鬼、その二つが並立するここにあってこそ、これはここにあるのかもしれない。
「お前らぁ! とっとと逃げやがれぇええ!」
言われるまでもないとばかりに、メイドたちが我先にと逃げ出していく。何名かは流れ弾により負傷しているが、そういった者たちは他のメイドたちに背負われている。そらそら逃げろ逃げろ、早くしねぇと撃っちまうぞ。魔理沙は段々と楽しくなっていたのだった。そしてここに、――
「魔砲――『ファイナルスパーク』!!」
スーパーガン対魔砲の勝負が実現したのであった。魔理沙の魔砲が純粋な力だとすれば、スーパーガンは速度と質量という簡潔な力とでも云える。火剋金の関係上、スーパーガンが不利かと思いきや、中身が中身であるから、ほとんど差は無いと云える。
魔理沙の符が発動されるよりも前から、大砲の内圧はピークに達し、発火と同時に内部を弾頭が進んでいく。多段的な薬室を実装することによって、持続性と瞬発力を備えた速度が、砲身先端から放出される。ほぼ真っ直ぐな延長線上には魔理沙、そしてその遥か後方には妖夢たちがいる。弾頭発射と符の発動は同時であった。
「げっ、角度がっ!?」
魔理沙は、発射の際の砲身の跳ね上がりによる軌道のずれを、予測していなかった。そのため、着弾点こそ寸分違わないとはいえ、魔理沙の位置からではどうしても弾頭に対して角度がついてしまう。これでは、力を存分に叩き付けても、100パーセントの状態で打撃を与えることはできない。しかし、それゆえに、魔理沙が砲弾に砕かれるという事態は避けられてもおり、なんとも歯がゆい想いをしながら魔理沙は手に力を込め続ける。
「剥けろ、剥けろ、剥けろぉおおおおおおお!」
思春期の少年が聞いたら耳を塞ぎたくなるような叫びだが、決してそういう意味ではない。女性の方々にあっては、逆恨みして筆者をセクハラで訴えないよう、お願いしておきたい次第である。そういうことを云うからだめなんだ、と行列のできる弁護士団が騒ぐ声が聞こえる。でもあんたら、脚本に従ってるだけですからー!
さて、筆者がキー局を敵に回している間にも事態は進行する。弾頭の外装は徐々に徐々に融解していき、既に魔砲の延長線上にあるスーパーガンの土台は四つの足全てが破損して鎮座しているが、弾頭は既に発射されている。いくら融けようとも、運動エネルギーを殺し切ることは敵わない。魔理沙は魔砲を放ちながら、ゆっくりと角度を変え、弾頭を見送るような位置になっていく。それにより、後方への持続的なダメージが蓄積され、とうとう、弾の外装が全て剥げ落ちた。
「――勝ったわ」
その様子を見守っていたパチュリーが呟く。いつの間にかサングラスをかけ、両肘は用意された会議用テーブルにつけられ、合わされた手先は口元を隠しており、あんたどこの司令官だよという風貌である。小悪魔は計画があらぬ方向に向かったことで気が気で無いのだが、主人のその言葉によって、どうにか平静を保った。まさか、最初から見抜いていたのか。見れば、煙の中から、弾頭の真の姿が現れていた。
それは正に黒き太陽である。パチュリーがもしものときのためにと警備部に協力して作り上げた火符弾頭は、弾頭という容れ物が頑丈だからといって中身に力を込めに込めた戦略級兵器。その中身はロイヤルフレアであるのだが、その規模、熱量はパチュリーが普段使用するものの比ではない。それが今や開放され、皮肉なことに魔理沙のファイナルスパークの力すらも吸収して、緩やかな下降線を描きながら、妖夢たちがいる場所へと向かって行った。
「魔理沙の馬鹿ぁあああああ! こっちに飛んできたじゃないのお!」
霊夢があまりの事態に叫ぶ。直属の部下と共に三位一体の攻撃を繰り出しなんとか妖夢を食い止めている美鈴も、そして妖夢すらも、我が目を疑った。よもやこれほどまでとは。だが、妖夢は怯まない。他の連中はどうにか知らないが、今や自分は無敵である。そんな自負すらあった。
火球が接近しただけで、後方への注意がおろそかだった何十名かの美鈴の部下が蒸発していく。霊夢は急いで結界を構築し、なんとか熱だけは防ぐが、あの球が衝突したら、全員が黒こげどころか炭すら残らないだろう。霊夢が半ば苦笑しながらどうしたものかと諦めに近い感情を覚えていたとき、美鈴が結界の外に出た。
「あ、あんた、何する気よ!」
「受け止めます」
「ああそう……って、そんなの無理よ!」
既に二百名近くが集結している最前線まで、あと三百メートルの距離まで火球は近づいている。霊夢は自分が美鈴を止めに行けば結界が壊れることを知っていたから、その維持に努めた。こうなれば、美鈴に全てを任せるだけである。
美鈴は自身が持てる気、そして周囲から根こそぎ奪えるだけの気を体内で活性化させる。幸い、ここは湖の真上。水気ならば幾らでもある。水剋火の思想を信じるならば、後は自分の力を信じるだけである。水気が集まれば集まるほど、美鈴の周囲、そして美鈴自身が黒く染まっていく。その勇士は既に強化外骨格零式。もう負けない。負けるわけがない。覚悟が違う。
「ぬぅうううううううんっ!」
いよいよ、火球が美鈴の手に触れた。本来ならこの熱量に触れようものなら、体などあっという間も無く消滅するのだが、美鈴は耐えた。それでも、じりじりと掌は焼け爛れ、水気で守られた体も消耗していく。だが、確かに美鈴は受け止めた!
「こんなもの……こんなもの……こんなものぉおおおおおおお!」
手だけでは支えていられず、体全体を使って受け止めている。だが、少しづつではあるが、美鈴が圧されていく。既に熱量は問題ではない。相手の質量だけが問題である。美鈴が吼える。吼えなければ負ける。そう彼女は不意に思った。
「こんなもののために誰かが死ぬなんて、許さないんだからぁああああああ!」
妖夢を除いた誰もが彼女の背中に偉大なる漢の一文字を見た。任侠立ちすらその勇士は凌駕している! そして皆が叫んでいた。イノキ、ボンバイエ! イノキ、ボンバイエ!
「「「中国ぅううううううっ!」」」
「私の名前は紅美鈴だぁああああああああっしゃあああああああ! コノヤロウうううううう!!!!!!」
その刹那、美鈴の体が金色に光ったと錯覚を覚えた者は何名いただろうか。全員である。中国、あんた輝いているよ。美鈴の怒号と共に、火球が軌道を変え、遥か後方へとすっ飛んで行った。パチュリーは、あまりの非常識な展開に発作を起こし、小悪魔は度重なる事態の急変に高血圧でトんでしまいそうだった。
「あ~あ、あっちってたしか、竹林よね」
結界を解き、一息ついた霊夢の言葉である。まあ、因幡連中は全滅するかもしれないが、蓬莱の連中ならなんとかするだろう、とかなり酷いことを考える一方、焼き兎料理……じゅるるるる、とえげつないことも想像している。
恐らく彼女の生涯において最も輝かしい活躍を見せた美鈴はというと、今や力も無く、湖へと落下していった。隊員の誰もが助けようとしたが、彼女らも消耗していて、追いつくことはできない。
「「「「おやびーん!」」」」
叫びの後に違和感が残った。美鈴が着水する音が何時まで経っても聞こえないのである。妖夢がただ一人、上空を見上げる。そこに傾いた陽はもうなく、彼女の怨敵がいた。
咲夜は美鈴の体を手で抱えながら、かろうじて意識のある彼女に声をかける。美鈴はもうぼろぼろであった。顔は幸いにして無事であったが、綺麗だった髪の先は焦げ付き、露出している部分で爛れていない場所など無かった。命さえ取りとめれば妖怪であるから大丈夫とはいえ、不憫ではある。
「美鈴、よくやったわ。後は任せなさい」
「あ、ちょっと、それ私の台詞ぅ!」
「あんたはあっちで相方と夕焼けにゃんにゃんしてなさいな!」
割って入ろうとした霊夢に咲夜の超絶威力の回し蹴りが炸裂する。
「おにゃんこクラブよ永遠なれぇええええええええっ!」
霊夢は叫びながら、沈黙したドーラの上空にいた魔理沙に向かって飛んでいき、見事に頭と頭をぶつけ合った。
咲夜が美鈴を彼女の部下に預け渡すと、その場にいた隊員全員が親愛なるメイド長に敬礼をした後、美鈴はもちろんのこと他の負傷者の手当てのために、紅魔館へと飛び立っていった。彼女らにメイド長への不信感は残っていたが、出る幕ではないということをよく心得ていた。
妖夢は他の何者にも目をくれず、ただ咲夜を見つめる。今ならば身体的なアドバンテージは無い。それどころか、妖夢は先ほどまでの戦闘で気鋼闘衣の制御を完全なモノにしていた。二振りの愛刀に滴る血を恐ろしい速度で振り払う。残った血曇りもこの二刀にあっては錆の元どころか、口紅のようなものであった。
「あらあら、やる気満々ね」
「十六夜殿、あなたを倒さない限り、我が恥は雪《そそ》げぬ」
「ふふん、だったら、もっと恥ずかしい目に合わせてあげるわ」
それまで静かに笑みを溢す程度だった二人の表情がクワと変わる。既に語ることなど無用であるが、これが二人の生きる道。
「追放された者は悪魔になるしかない……そうでしょう、十六夜殿。貴殿には私と同じ血が流れている。別の血を求め、彷徨う獣の血だ」
「そんな血はもう、流し尽くしたわ」
「……ならば何故生きている!」
一方は、かつて人間の世界から。そしてもう一方は、つい先ほど主人から。だが、妖夢はまだ戻れる。主人は彼女を見放してなどいない。咲夜はそれを伝えなければならない。だが、口ではどうにもならない以上、闘うしかない。傾いた陽が、彼女らを嗤っていた。
目覚めかけた主が呼んでいる
全てを敵にしても、我が下に来るべし
我は与えん、無限なる力を
我は伝えん、勝者の愉悦を
絶対なる者の壮大な誘惑
人たる者の壮絶なる決意
今、幻想郷に、最後の戦いが始まる
次回「刻限」
全てを得るか、地獄に落ちるか
咲夜のナイフが、深い闇の中で閃光を放つ。それは本来、ありえない在り方。だがたしかに、咲夜のナイフの数々はその刃に命を刻んでいた。されど、ルーミアは無数のナイフの一つ一つを、暗闇のうねりだけで飲み込んでしまう。これでは、手数で勝負というわけにはいかない。
形勢は咲夜に不利であった。咲夜の能力はあくまでも限定的なものである。使うためには精神の集中、そして自身の能力を制御すること不可欠。反面、ルーミアの闇は彼女と一体と云って云い代物。普段の彼女であればただの遊び場という観念しか抱けない暗闇が、たしかな勝利への布石として存在している。周囲の闇は咲夜から、狙いを、遠近感を、平衡感覚を、戦闘行為に無くてはならない感覚のほとんどを奪い去っていた。
「くっくっく、見える見える、貴様の堕ちる様!」
「時間をかけてあげられる暇は無いわ。時の刻みはあなただけのものじゃない……」
とはいえ、ルーミアは一度たりとも構えを崩さない。十字を描くその体は宙に浮いたまま、動いていない。これでは、必殺に至る一撃のためには針の穴に糸を通すほどの正確さが必要。それも、二度目は無い、ワンホールショット。
シュルル――ガッ!
それすらも咲夜にとっては造作も無い。完全たる咲夜にあって、戦闘でのミスなどありえない。一際の閃光りを放ち、ナイフがルーミアの胸を穿つ。だが、勝者と敗者が決したと思われる不気味なほど静かな間は、直ぐに消え去った。突き立たったナイフが、ルーミアの体に飲み込まれていく。既にルーミアと暗闇に境界は無い。
「っひゃ! 我ぁあが暗闇のぉ漆黒はばばばばばかががディマでぃらでぃろでぃらディラックをもええお飲み込みいいいリョぅううウシ力学の深遠を弄ルぅこぉ根テェイのんのぉおびゃてい義すらぁあひひゃはやはやはっひゃひゃひゃ!」
「ルーミア、あなたまさか、気が……」
気がおかしくなったというより、そういった概念そのものが希薄になっていた。お望みとあらば。笑い続けるルーミアに咲夜が無数のナイフを時間停止を併用して投げ、針のむしろのごとく突き立てるが、なんら効果は無い。
中距離戦では埒が開かない。咲夜が弾幕ごっこではありえなかったであろう距離にまで近づき、ルーミアの暗闇ごと彼女の体を切り刻まんとばかりに、技を繰り出す。こうなれば、暗闇の本体と思しきルーミアの体を切り開き、そこを取っ掛かりに空間ごとルーミアを引っ繰り返すしかない。しかし、接近するまでに体のあちこちが暗闇に食いつかれ、後戻りする余裕はもう無くなった。ここで決めなければ。
「あなたの攻撃はユニーク過ぎる。完全にはなれない……!」
「ひゃーっひゃっひゃ!」
至近距離からナイフの斬撃と同時に時間を最大限に操作することにより、触媒となるナイフがルーミアの内部から彼女の体を『引っ繰り返す』。そのための力を込めてナイフを突き出した。咲夜が始終展開するナイフは、それこそが時間操作を容易にせしめるための、云わば時計の針となる。見立ての有る無しは能力の制御において重要な点だ。その針が直接相手の体内を犯せば、弾幕ごっこのように堕ちて終わるというだけでは済まない。そうなればルーミアの体は内側が外側に、外側が内側にと反転し、五臓六腑どころか脂肪、筋肉、血管、神経、あらゆるものを、断末魔の悲鳴と共に空気に晒すことになる。
「貴様の狙いはぁ、胴体《ここ》だぁ!」
ルーミアに勝つという気持ちは既に無い。戦意の高揚が、咲夜の命の刻みが、全ての目的が彼女を倒すというものに挿げ替えられる。暗闇と共に咲夜と堕ちるのが先か、自分が力尽きるのが先か。ルーミアにはそれしか頭に無い。しかし、ルーミアの言葉通りにはならなかった。咲夜の繰り出した右手のナイフは囮だ。
「左利きだとっ!?」
「ナイフだこがどちらにあるかぐらい、見極めなさい」
咲夜の左手に隠されていたナイフは、ルーミアの顔面へと迫る。そこは、彼女がかけたサングラスがある場所。防御などという概念すら無かった絶対的なルーミアの防壁も、ここに至っては役に立たない。咲夜は、かつての自分の過ちを砕くと、眉間に到達する前に、ナイフを止めた。殊、ナイフに関して、ルーミアは咲夜に及ばなかった。
不意に暗闇と己自身の制御が不可能となり、ルーミアの体に恐ろしいまでの負担がかかった。だが、それだけでどうにかなってしまう彼女ではない。プロとしての心が、ぎりぎりで自分を制御する。そこで邪魔が入った。致命的な邪魔が。
ゲボ!
ルーミアが大量の血を口から吐き出す。彼女の構えが、始めて崩れた。それまで一度たりとも手を出さなかった幽々子が、渾身の力で懐の扇子を放ち、それがルーミアの背骨を折ったのだった。そして、彼女の心も折れた。
「さ、サングラスを……! 誰か、サングラスを、ください……見えない、見えない――サングラスをくださ……い」
濃度が増した暗闇によって眼球をを食われ、地べたで這い蹲りるルーミアの最期をを見届けると、咲夜が西行寺邸から去ろうとする。彼女に向けて幽々子は手をかざした。今にも死を与えてくれるという叫び。これ以上、平穏な生活を乱してはならないという、西行寺家の当主としての、誇り。それがそこにはあった。元凶はこいつだが。
「瀟洒なるメイドよ、命乞いをなさい。あなたに妖夢のことを任せる気はないわ!」
「――死は恐れるものではないわ。死はあくまでも運命《さだめ》の下に従うもの……」
その言葉を受けて、幽々子が残った最後の力を放った。その行く末を見定めた幽々子は、笑い出したのだった。
「あなたは死神よ! あなたを狙っても、死が勝手によけていくわ!」
咲夜はその言葉を聞いただろうか。彼女はただ、主と、そして妖夢が待つ紅魔館へと暗闇から飛び立って行く。そのBGMは中島みゆきであったと、遠目から見ていたプリズムリバー三姉妹は後に語った。
******
妖夢が湖に差し掛かったとき、既に事の次第は司書である小悪魔の報告を受けたパチュリーの遠見の術法により明らかにされ、それは紅魔館全部隊に知れ渡っていた。一般の職務に就く者たちは全員が館内に避難し、門を最終防衛拠点とし、ここに前線司令部が設置される。そこに、パチュリーを司令官とし、総参謀長に司書の小悪魔、咲夜が来るまでの暫定作戦指揮官として美鈴が据えられ、彼女らに全ての部隊長が従う形となる。実質的には彼女らよりも実力・館内での階級が上の者も多くいたが、さしたる混乱も無く、態勢は整ったのだった。
「咲夜が到着すれば、圧倒的にこちらが有利。夕方まで耐え抜けば、レミリアも起きてくるわ」
「それまでは防衛に徹しろということでしょうか」
美鈴が連隊の配置を行っている後方で話し合うのはパチュリーと小悪魔である。湖を臨めるその場所は、ことの他、周囲がよく見渡せた。我々こそが規律であり掟である。そう云わんとするかのように、各隊は足並みを揃え、配置についていく。第一次防衛ラインは既に完成している。主要な作戦としては、第一次第二次防衛線が時間を稼いでいる間に、他の隊が横から奇襲を行い、然る後に包囲網を完成させるという、遊び気の無いものであった。
これほどの人数、よく集めたものだ。パチュリーは思う。朝礼を何度か見た事があるが、そこに集まっていた数の四倍はいるではないか。これでは増えすぎだ。パチュリーは残酷なことを思う。ちょうど良い機会だ、総力戦にさえなれば、数を減らせることだろう。パチュリーは笑う。レミリアは小物の群れを眺めるのが好きなのね。でも、私は嫌い。他に見るべきものが彼女にはあった。
返答を待つ小悪魔にパチュリーは眠たげな目を遣る。何を考えているのか。小悪魔は考えてみたが、それは不敬というものである。小悪魔はパチュリーが口を動かすまで、待った。
「こんな状況じゃ、落ち着いて本も読めない。そうは思わない?」
「御意にございます、パチュリー様」
防衛に徹すべきだ。小悪魔は確信している。絶対的なヒエラルキーと士気の向上により、部下たちは何の文句も無く敵に突っ込んでいくだろう。むしろ、喜びながら血を撒き散らして死ぬことだろう。だが、果たしてそれで良いのだろうか。防衛戦となれば、たしかに時間こそかかるが、余計な損害を出さずに済む。小悪魔は考えるのを止めることにした。パチュリーが本を読みたがっている。それならば、そのために努力しよう。一刻も早く、主人の生活を取り戻そう。そう思うことにした。
「ほらほら、あんたたち、相手はただ一人なのよ! 軽く捻り潰してやりなさい!」
『おおーーーーーーーーーーーっ!!』
小悪魔の耳に、美鈴の檄とそれに応える怒号は、もはや遠い世界のこととなっていた。
******
当初、戦いは包囲が完成すれば決すると思われた。これは弾幕ごっこではない、戦争である。相手を遥かに凌駕する軍勢を有し、それに恥じないだけの実力を備えた者たちに、恐れるものなどあるものか。かつて紅魔館に部外者の侵入を許したのも、館の主人からメイド長を通じて、弾幕ごっこに専念せよというお達しがあったからである。それさえなければ。――しかし。
「バズーカ、スタンバイッ!」
「いつでもOK!」
「やあああってやるぜぇええ!」
「「「Dフォーメションアタァアアアアック!」」」
成人の体を得、奥義で身を纏った妖夢に対してはどれだけ精密な、どれだけ苛烈な、どんな攻撃も、通ることはない。ときたま、中級クラスの悪魔などが大技を繰り出しても、対化生用の弾頭を千の単位で撃ち込んでも、結果は変わらない。現在は機甲部特殊車両中隊の二課が応戦中である。彼らが技を出すとき、俺の歌を聞けぇええとばかりに誰かがテーマソングを歌いだす。普段は金食い虫のレッテルを貼られているだけに、気合が違う。ちなみにこの部隊の隊長らは後方でお茶を飲みながら観戦中である。あ、この曲、俺知ってるわ。歌いますか? マイク、無いんだよね。
「やったかっ!?」
その台詞はご法度である。死ぬ相手も死んでくれないぞ。案の定、妖夢は無傷である。ガーゴイルの声と同じ人が見たら、税金の無駄遣いだな、などと失笑するだろう。これまでに中隊ではサムライオソとロイヤルパソサーによるロイヤルスカッシュ他、単分子ワイヤーによるからめ手、明らかにやばい放射線を浴びたっぽいロボットによるペダルのタイミングがずれると大爆発の技など、ありとあらゆる攻撃が試されたが、未だなんらの成果もあげられずにいた。しかも、他の部隊がその間はほとんど手出しできないため、終いには帰れ帰れの大合唱。元機動隊所属の声優(通称アナゴ)も泣きながら「ちくしょう、我々の夢とロマンはこんな毎週のように下書きを雑誌に載せるような作家が考え出した技に負けるのか」と愚痴りそうな勢いであり、他の支援部隊の盾に成り下がった。MPが足りない! MPってなんだ!? 馬鹿野郎、萌えポイントの略だぁ!
やたらテンションの高い敵を相手にしていた妖夢はというと、楼観剣の一振りで連隊二つを壊滅させ、白楼剣の一振りで通る攻撃すら通らせない。なんとか肉薄したとしても、その体に得物が触れた途端、攻撃した側が生身であった場合は断末魔の叫びを上げて血飛沫と共に霧散していく。ロボット連中を相手にしている間はどういう理屈かは知らないがやたら妖夢の胸が揺れていたが、今となっては動かざること山の如しである。
これでは取り付く島も無いではないか。もはや包囲するどころの話ではない。包囲したとしてもその途端、妖夢が薄ら笑いを浮かべて、周囲の全てを吹き飛ばすだけだ。
「まいったわねぇ、今日は喘息の調子が良くないのに」
「――火符弾頭用意。ドーラを出しますので、前線を十分ほどこらえさせてください」
戦況を見守っているパチュリーの意を汲んだ小悪魔が美鈴に進言する。美鈴は彼女にしては珍しく、不服そうな表情を隠さなかった。あの相手に十分もの時間を稼ぐには、それなりの被害を覚悟する必要があった。
「一度でも乱戦になれば、撤退は不可能です。私の部下を巻き添えにする気ですか」
「あなたは門のことだけを心配していれば良いのです」
美鈴は何かを言うべきだと思ったが、それはしていけないことだとも思う。判断が遅れれば、余計な損害が増えていくだけだ。
「中距離支援部隊、前線との連携を密にして、少しでも負担を減らしなさい! 特殊工兵大隊、ドーラの準備は終わっているな!?」
「――お前ら、姐さんのためだ。喜んで死ぬがよい! 相言葉は!?」
『緋蜂が怖くてドンパチできるか!!』
「よし、死んでこい!」
「――ドーラは既に準備完了。弾頭装填が完了次第、発射できます」
美鈴直属の連隊長の号令の下、支援部隊が前進を開始する。距離が開いていては、満足な通信網を構築できない幻想郷の部隊同士では上手く連携ができないからだ。この内のどれだけが戻ってこれるというのか。見れば、仲の良いメイド同士が、軽いキスや抱擁などをしてから前線へ飛び立っていく。今日が我々のインデペンデンスデイである。美鈴は、今にも崩れ落ちそうな二本の足を支えるだけで精一杯だったが、目は部下たちから一度たりとも離さない。この女、ただの門番じゃないな。一見粗野を装い、たちまち、この場の士気をあげてしまった。
「警備部は仲がよろしいですな」
「黙っていてください」
「これは失礼を。ではパチュリー様、防御陣を張ります――おや?」
小悪魔が明後日の方向に目を遣る。パチュリーと美鈴もそれに倣った。その方向には、戦闘に巻き込まれないよう、湖を迂回する形で到着した霊夢と魔理沙がいた。
「ちょっとちょっと、弾幕ごっこ以外の戦闘は勘弁してよ」
「向こうにその気が無い以上、それは無理です」
「お前らにも無いように見えるけどな」
かなりの距離があったはずだが、美鈴に対する小悪魔の言葉が、魔理沙には聞こえていたようだった。小悪魔はパチュリーの横後ろに控えたまま、何事か言いた気な魔理沙を見遣った。
「ルーミアはお役に立てなかったようで」
「よく知ってるじゃないか。まったく、趣味が悪いぜ。あのメイドも、お前らも」
「それは私もなのかしら?」
「パチュリーは趣味が悪いからこそのパチュリーだぜ。けどな、仮面を被ってるような奴らは、最低だ」
パチュリーが口を挟むが、魔理沙は気を悪くするどころか、歯ごたえのある相手として、喜んで応える。その間に、小悪魔は美鈴を見た。何を考えているのか。彼女は部下が飛び立った、現在既に火砲が交えられている方向へと向き、胸を張っていた。大小、彩り鮮やかな光球が遠くの上空で起こっている。まさか、自分も打って出るつもりか。それも良いかもしれない。小悪魔は既に、先の先を読み始めていた。
美鈴は自身の高揚する心を恥じつつも、どす黒い感情が湧き上がる自身までを否定することはなかった。綺麗だ。単純にそう思った。自身の力のみでは決して作りだすことは出来ない、命そのものが散る輝き。悲しみ、歓喜、絶望、同情、悔恨……それらが同時に炸裂する様は、集中しなくては色を作ることの出来ない自分には到底できない、万華鏡だった。そう、命のやり取りとはかくあるべきだ。無粋な黒き太陽で塗り潰してはならない。美鈴は機を待った。
「この子も私のためにやっているのよ。そう卑下しないであげて」
パチュリーが自分の方を見遣る段になって、小悪魔は主人に向き直った。目は伏せられ、それは礼をしているのか、それとも僣上を恥じているのか、傍目には判らない。彼女は一度だけ深く頭を下げると、直属の者たちと共に対衝撃のための防御陣の構築に入った。
「まったく、あのメイド長、どう収拾をつける気なんだ?」
「あの女は、自分が納得できる範囲が完全なら問題無いんじゃないかな」
「度し難いよな。その点では、私も霊夢も同じだけどさ」
「あら、私は違うわよ」
「ふむ?」
「私は誰がどうなろうと気にしないもの」
「こりゃ一本取られたぜ」
魔理沙と霊夢がこれからどうしたものかと考えつつ普段と変わらない会話をしていると、そこに美鈴が近寄った。美鈴は魔理沙の方を向かずに、口を動かす。魔理沙と霊夢は、美鈴と同じ方角を見つめている。そこは最前線だった。
「ドーラを破壊してください。その間に私は全部隊を撤退させます」
「なに!?」
しぃっ、という霊夢のジェスチャーに、魔理沙が慌てて口を塞ぐ。どうやら、ここにいる三名以外には聞こえずに済んだようだった。魔理沙が首の向きはそのままに、目線だけを美鈴に向ける。美鈴は未だ、部下が散る様から目を離さない。
「私は、あの子たちのためになら死ねますが、あの子たちが私のために死ぬのは耐えられません」
「そこまで言われちゃたまらないぜ。わかった。後のことは知らないからな?」
「はい。あの化け物の注意が逸れればそれで良いんです」
半ば嘘である。美鈴は、あの万華鏡の中で踊る自分を想像しただけで、かつて外の世界にいた頃に毎日のように感じていた、渇きを癒そうとするどうしようもない衝動を思い出していた。魔理沙の答えを受けて、美鈴は彼女たちの一歩前に出る。そして、一度だけ、小悪魔だか、魔理沙たちだか、どこを見ているのかわからないながらも振り向くと、そのまま飛び立っていった。彼女の振り向いて見た先には、門があったのだった。
「あの門番、死ぬ気だな。なぁ、霊夢……」
「わかったわかった、わかったから、そんな乙女チックな目で見ないでよ。気持ち悪いったらありはしない」
「じゃ、あいつのことは頼んだぜ。あと、妖夢は殺すなよ。後が怖い」
「元々、誰も死ぬ必要の無い戦い、か。良いわ、大盤振る舞いよ。これ以上の人死は私も都合が悪いし。ま、きついのは全部あの変態女に取っておいてやるけど」
霊夢の言葉を受けて、魔理沙が被っていた愛用の帽子を手に取ると、子供が格好をつけるように、指先で回して見せた。やる気満々である。霊夢は一度、大きな溜息を吐くと、美鈴の後を追ったのだった。
******
一分ほどの間に魔理沙は目的の場所へ到着し、草の陰に身を潜めていた。なんせ、相手はグスタフ(俗称ドーラ)である。ナチス体制下における禍々しいまでの存在感。歴史上・戦略上での存在感はV2などと比べればかなり見劣りするが、有視界にあっては、その存在自体が脅威と云って良い。砲身を含めた全長は三十メートルに届かんばかり、重量は千トンを軽く越えるというそれは、今やビニールハウスに隠されていた姿を露にし、砲身は妖夢がいると思われる方向を正確に捉えていた。
このグスタフ、最大の長所であり、そして最大の問題は、射程が三十~五十キロメートルということだ。つまるところ、現在の状況では目標が近すぎるのである。当然、その弾は通常の炸裂弾でも相応の威力であり、火符の力を込められた弾ともなれば、恐ろしいまでの破壊力を有すことになる。恐らく、いや確実に、着弾すれば湖の大半が蒸発する。
「ったく、無粋な物を持ち込んでくれたもんだぜ」
一所懸命に動き回り、弾頭を装填し終えた(本来、二時間近くかかることから考えれば、とんでもない準備の速さである)工兵役のメイドたちを見遣りながら、魔理沙が毒づく。とはいえ、破壊するには魔理沙の魔砲だけでは不十分だ。下手に刺激を与えれば、弾頭が具体的にどれだけの威力を持っているかわからないだけに、どうなるかわかったものではない。それこそ、紅魔館ごと吹き飛んで全滅ということにもなりうる。
「予定変更だな。台座をぶっ壊すのは当然としても、弾は外側だけを剥がして、後はあっちに任せるしかない」
弾頭自体が内部に魔力を溜め込めるだけの代物であるから、それ剥がしてしまうだけでも幾分か違うはずである。砲身も近くでよく見ればそこかしこに魔術的な図が描かれていて、警備部がどれだけ愛情を注いだのか、よくわかった。美鈴はそれを知っていてなお、壊せと言った。ならば、やるしかあるまい。
魔理沙が気合を入れなおしたところで、一際大きな閃光が遠くの空に炸裂した。恐らく、美鈴や霊夢が妖夢を相手にしているのだろう。
「よし、こっちもやっちまうぜ!!」
叫ぶと同時に飛び立ち、一気に砲身の向く先へと躍り出る。発射シーケンスのために配置に就いていた者たちが魔理沙に気づくと、驚愕と同時に、今に発射しなければ二度とこれを撃つことはないだろうと覚悟をし、発射のための最後のスイッチを押したのだった。
このグスタフは改良型である。元々、グスタフは戦後には既にこの世のものでは無くなっているのだ。本来、これは中東の某国の協力によって作られた通称「スーパーガン」の予備であったが、予備とは名ばかり、なんとその重量で四本の足による自走を可能としている。これはアメリカの「メタルギア構想」を吸収する形であるが、本来の歴史とは大きくかけ離れたそれは、何の因果か、ここ幻想郷に辿り着いた。時空を操る能力者、運命を弄ぶ吸血鬼、その二つが並立するここにあってこそ、これはここにあるのかもしれない。
「お前らぁ! とっとと逃げやがれぇええ!」
言われるまでもないとばかりに、メイドたちが我先にと逃げ出していく。何名かは流れ弾により負傷しているが、そういった者たちは他のメイドたちに背負われている。そらそら逃げろ逃げろ、早くしねぇと撃っちまうぞ。魔理沙は段々と楽しくなっていたのだった。そしてここに、――
「魔砲――『ファイナルスパーク』!!」
スーパーガン対魔砲の勝負が実現したのであった。魔理沙の魔砲が純粋な力だとすれば、スーパーガンは速度と質量という簡潔な力とでも云える。火剋金の関係上、スーパーガンが不利かと思いきや、中身が中身であるから、ほとんど差は無いと云える。
魔理沙の符が発動されるよりも前から、大砲の内圧はピークに達し、発火と同時に内部を弾頭が進んでいく。多段的な薬室を実装することによって、持続性と瞬発力を備えた速度が、砲身先端から放出される。ほぼ真っ直ぐな延長線上には魔理沙、そしてその遥か後方には妖夢たちがいる。弾頭発射と符の発動は同時であった。
「げっ、角度がっ!?」
魔理沙は、発射の際の砲身の跳ね上がりによる軌道のずれを、予測していなかった。そのため、着弾点こそ寸分違わないとはいえ、魔理沙の位置からではどうしても弾頭に対して角度がついてしまう。これでは、力を存分に叩き付けても、100パーセントの状態で打撃を与えることはできない。しかし、それゆえに、魔理沙が砲弾に砕かれるという事態は避けられてもおり、なんとも歯がゆい想いをしながら魔理沙は手に力を込め続ける。
「剥けろ、剥けろ、剥けろぉおおおおおおお!」
思春期の少年が聞いたら耳を塞ぎたくなるような叫びだが、決してそういう意味ではない。女性の方々にあっては、逆恨みして筆者をセクハラで訴えないよう、お願いしておきたい次第である。そういうことを云うからだめなんだ、と行列のできる弁護士団が騒ぐ声が聞こえる。でもあんたら、脚本に従ってるだけですからー!
さて、筆者がキー局を敵に回している間にも事態は進行する。弾頭の外装は徐々に徐々に融解していき、既に魔砲の延長線上にあるスーパーガンの土台は四つの足全てが破損して鎮座しているが、弾頭は既に発射されている。いくら融けようとも、運動エネルギーを殺し切ることは敵わない。魔理沙は魔砲を放ちながら、ゆっくりと角度を変え、弾頭を見送るような位置になっていく。それにより、後方への持続的なダメージが蓄積され、とうとう、弾の外装が全て剥げ落ちた。
「――勝ったわ」
その様子を見守っていたパチュリーが呟く。いつの間にかサングラスをかけ、両肘は用意された会議用テーブルにつけられ、合わされた手先は口元を隠しており、あんたどこの司令官だよという風貌である。小悪魔は計画があらぬ方向に向かったことで気が気で無いのだが、主人のその言葉によって、どうにか平静を保った。まさか、最初から見抜いていたのか。見れば、煙の中から、弾頭の真の姿が現れていた。
それは正に黒き太陽である。パチュリーがもしものときのためにと警備部に協力して作り上げた火符弾頭は、弾頭という容れ物が頑丈だからといって中身に力を込めに込めた戦略級兵器。その中身はロイヤルフレアであるのだが、その規模、熱量はパチュリーが普段使用するものの比ではない。それが今や開放され、皮肉なことに魔理沙のファイナルスパークの力すらも吸収して、緩やかな下降線を描きながら、妖夢たちがいる場所へと向かって行った。
「魔理沙の馬鹿ぁあああああ! こっちに飛んできたじゃないのお!」
霊夢があまりの事態に叫ぶ。直属の部下と共に三位一体の攻撃を繰り出しなんとか妖夢を食い止めている美鈴も、そして妖夢すらも、我が目を疑った。よもやこれほどまでとは。だが、妖夢は怯まない。他の連中はどうにか知らないが、今や自分は無敵である。そんな自負すらあった。
火球が接近しただけで、後方への注意がおろそかだった何十名かの美鈴の部下が蒸発していく。霊夢は急いで結界を構築し、なんとか熱だけは防ぐが、あの球が衝突したら、全員が黒こげどころか炭すら残らないだろう。霊夢が半ば苦笑しながらどうしたものかと諦めに近い感情を覚えていたとき、美鈴が結界の外に出た。
「あ、あんた、何する気よ!」
「受け止めます」
「ああそう……って、そんなの無理よ!」
既に二百名近くが集結している最前線まで、あと三百メートルの距離まで火球は近づいている。霊夢は自分が美鈴を止めに行けば結界が壊れることを知っていたから、その維持に努めた。こうなれば、美鈴に全てを任せるだけである。
美鈴は自身が持てる気、そして周囲から根こそぎ奪えるだけの気を体内で活性化させる。幸い、ここは湖の真上。水気ならば幾らでもある。水剋火の思想を信じるならば、後は自分の力を信じるだけである。水気が集まれば集まるほど、美鈴の周囲、そして美鈴自身が黒く染まっていく。その勇士は既に強化外骨格零式。もう負けない。負けるわけがない。覚悟が違う。
「ぬぅうううううううんっ!」
いよいよ、火球が美鈴の手に触れた。本来ならこの熱量に触れようものなら、体などあっという間も無く消滅するのだが、美鈴は耐えた。それでも、じりじりと掌は焼け爛れ、水気で守られた体も消耗していく。だが、確かに美鈴は受け止めた!
「こんなもの……こんなもの……こんなものぉおおおおおおお!」
手だけでは支えていられず、体全体を使って受け止めている。だが、少しづつではあるが、美鈴が圧されていく。既に熱量は問題ではない。相手の質量だけが問題である。美鈴が吼える。吼えなければ負ける。そう彼女は不意に思った。
「こんなもののために誰かが死ぬなんて、許さないんだからぁああああああ!」
妖夢を除いた誰もが彼女の背中に偉大なる漢の一文字を見た。任侠立ちすらその勇士は凌駕している! そして皆が叫んでいた。イノキ、ボンバイエ! イノキ、ボンバイエ!
「「「中国ぅううううううっ!」」」
「私の名前は紅美鈴だぁああああああああっしゃあああああああ! コノヤロウうううううう!!!!!!」
その刹那、美鈴の体が金色に光ったと錯覚を覚えた者は何名いただろうか。全員である。中国、あんた輝いているよ。美鈴の怒号と共に、火球が軌道を変え、遥か後方へとすっ飛んで行った。パチュリーは、あまりの非常識な展開に発作を起こし、小悪魔は度重なる事態の急変に高血圧でトんでしまいそうだった。
「あ~あ、あっちってたしか、竹林よね」
結界を解き、一息ついた霊夢の言葉である。まあ、因幡連中は全滅するかもしれないが、蓬莱の連中ならなんとかするだろう、とかなり酷いことを考える一方、焼き兎料理……じゅるるるる、とえげつないことも想像している。
恐らく彼女の生涯において最も輝かしい活躍を見せた美鈴はというと、今や力も無く、湖へと落下していった。隊員の誰もが助けようとしたが、彼女らも消耗していて、追いつくことはできない。
「「「「おやびーん!」」」」
叫びの後に違和感が残った。美鈴が着水する音が何時まで経っても聞こえないのである。妖夢がただ一人、上空を見上げる。そこに傾いた陽はもうなく、彼女の怨敵がいた。
咲夜は美鈴の体を手で抱えながら、かろうじて意識のある彼女に声をかける。美鈴はもうぼろぼろであった。顔は幸いにして無事であったが、綺麗だった髪の先は焦げ付き、露出している部分で爛れていない場所など無かった。命さえ取りとめれば妖怪であるから大丈夫とはいえ、不憫ではある。
「美鈴、よくやったわ。後は任せなさい」
「あ、ちょっと、それ私の台詞ぅ!」
「あんたはあっちで相方と夕焼けにゃんにゃんしてなさいな!」
割って入ろうとした霊夢に咲夜の超絶威力の回し蹴りが炸裂する。
「おにゃんこクラブよ永遠なれぇええええええええっ!」
霊夢は叫びながら、沈黙したドーラの上空にいた魔理沙に向かって飛んでいき、見事に頭と頭をぶつけ合った。
咲夜が美鈴を彼女の部下に預け渡すと、その場にいた隊員全員が親愛なるメイド長に敬礼をした後、美鈴はもちろんのこと他の負傷者の手当てのために、紅魔館へと飛び立っていった。彼女らにメイド長への不信感は残っていたが、出る幕ではないということをよく心得ていた。
妖夢は他の何者にも目をくれず、ただ咲夜を見つめる。今ならば身体的なアドバンテージは無い。それどころか、妖夢は先ほどまでの戦闘で気鋼闘衣の制御を完全なモノにしていた。二振りの愛刀に滴る血を恐ろしい速度で振り払う。残った血曇りもこの二刀にあっては錆の元どころか、口紅のようなものであった。
「あらあら、やる気満々ね」
「十六夜殿、あなたを倒さない限り、我が恥は雪《そそ》げぬ」
「ふふん、だったら、もっと恥ずかしい目に合わせてあげるわ」
それまで静かに笑みを溢す程度だった二人の表情がクワと変わる。既に語ることなど無用であるが、これが二人の生きる道。
「追放された者は悪魔になるしかない……そうでしょう、十六夜殿。貴殿には私と同じ血が流れている。別の血を求め、彷徨う獣の血だ」
「そんな血はもう、流し尽くしたわ」
「……ならば何故生きている!」
一方は、かつて人間の世界から。そしてもう一方は、つい先ほど主人から。だが、妖夢はまだ戻れる。主人は彼女を見放してなどいない。咲夜はそれを伝えなければならない。だが、口ではどうにもならない以上、闘うしかない。傾いた陽が、彼女らを嗤っていた。
目覚めかけた主が呼んでいる
全てを敵にしても、我が下に来るべし
我は与えん、無限なる力を
我は伝えん、勝者の愉悦を
絶対なる者の壮大な誘惑
人たる者の壮絶なる決意
今、幻想郷に、最後の戦いが始まる
次回「刻限」
全てを得るか、地獄に落ちるか
あふれるネタの数々、素晴らしいです。
熱い、熱いぜ中国ー
グッジョブ
アンタ最高だ