前説:このろくでもない話はプチ創想話にて投稿した「妖夢の災男」の補完作品にあたります。先の作品と同じく深く考えずに書き始めたためのボリューム増大によりこちらに投稿することにした次第です。全二話・三話ぐらいで終わらせるつもりです。
これまでのあらすじ:幽々子の策略により自分は男だと信じ込んだ妖夢。八雲紫のしょうもないちょっかいなどのおかげでなんとか立ち直るが、紅魔館に潜む強大な悪により連れ去られてしまう。どうなる妖夢。助けろよ紫。幽々子は黙ってろ。
******
十六夜咲夜の一日は他のメイドたちとの朝礼から始まる。それぞれが挨拶の仕方、身だしなみなどを確認し合うと、いつもそうしているようにメイド長である咲夜が、一個中隊五十名から成り総勢千名を越すメイドたちの前に、立つ。諸君、私はお嬢様のお世話が死ぬほど好きだ、というくだりから始まる訓辞が終わると、状況開始の号令と共に各部各隊各班各自が散会する。その勢いは部外者が巻き込まれたら無事では済まない。
「まったく、これじゃほとんど地鳴りだわ。お嬢様が起きなければ良いけれど」
咲夜の正式な肩書きはメイド長兼清掃部隊長及びお世話係取締役というなんとも長いものである。清掃部と警備部が紅魔館における二本柱であり、それとは別に設置されているお世話係はレミリア直々に任命されなくては就くことができない。他にはヴワル魔法図書館の管理部や近衛部隊、対フランドール鎮静部隊(要するになだめ役)などが存在しているが、そんなの本当にあるのかよという部署もあり、更には咲夜のようにいくつかの部を股にかける者もおり、その全容を把握している者は少ない。
朝礼が終わると、咲夜だけはその場に残り精神を集中させる。ゆっくりと、咲夜の時間が加速する。相対的に彼女の周囲の時間はその速度を緩め、最終的には完全に停止する。歪に繋げられた空間同士が干渉し合い、たわみ、うねりが生じる。咲夜は的確に空間同士を行き交い、館内部の全ての状況を把握していく。
館を縦横に突っ切る各所の廊下ではモップを掲げた隊の者たちが突撃の号令と共に走り出そうとしていた。庭では警備隊が朝も早くから魑魅魍魎を相手に弾幕を展開し、その後方では花や庭木の世話をしながら「今日も暖かいわねぇ」などという暢気な会話が起こっている。おっと門番の様子を見忘れた。まぁいいや。完璧なのだかいい加減なのだか余人には推し量れない要領でメイド長は確認を続けていく。時折、思い出したように時間を正常に戻しては、各隊の隊長と必要な案件の確認をし合い、二言三言冗談を交わしては別れ、また別の場所へ。
最後に咲夜はある部屋の前に出現した。大きな溜息が吐かれると時間の流れが完全に正常な状態に戻される。瞬間、大きな泣き声がドアを通して部屋の内部から聞こえてきた。ここは紅魔館。紅い悪魔が統べる場所。そりゃあもう阿鼻叫喚の地獄絵図がお茶会が開かれている隣の部屋にあってもおかしくないのだが、この部屋から聞こえてくる泣き声は、そういった類のものとは違っていた。
「あら、メイド長ったら、また来たわ」
「近々、清掃は全て清掃部に任せて、お嬢様のお世話とこちらの管理に専念したいって上申したそうよ」
「夜はお嬢様、昼はこっち。本当、メイド長って世話好きねぇ」
「まぁ、ここのはメイド長が来る前は食用だったらしいから」
「私みたいな妖怪のはともかく、人間のはそうだったみたいね。母体が人間なら、相手が何であってもそこそこの味だし、純正品なら文句無しってなもんよ。ああ、思い出すなぁ、小さい頃にお母さんが作ってくれた照り焼きの味……」
「あんた、頼むから私の前でそういうこと言わないでよ。友達を止めたくなるから」
部屋の前で大儀そうに中の様子を窺っている咲夜を見つけたメイド二人が各々の作業の手を休めずに話をしている。この二人、片方が妖怪出身、片方が人間出身であるから、この部屋の話になると自然、盛り上がる。メイドの七割は妖怪化生の類であり、二割が人間、残り一割が図書館の小悪魔のようにどちらともいえない者たちから成るが、一部の妖怪の間では必要以上に人間を庇護することに反対している者たちもいて、なかなか油断できない。とはいえメイド長の手前何もできず、同時にメイド長が人間でありながらかなりの使い手であることを考えれば、造反などは起こりそうに無い。
さて、話題を独り占めにするこの部屋の名前は何か。とっくに気づいている方もあろうが、ドアにでかでかと貼られたプレートを見れば誰もがわかる。そこにはこう書かれている。
『保育室』
ここに預けられている人間の子供たちの境遇は様々であるが、幸せとは言い難い。そもそもこんな物騒な館の中で生活しなくてはならないのだから、その時点で不幸である。残念。そんな身も蓋もない考えはともかくとして、咲夜は幸せだった。ドアを半開きにして覗き見ている彼女からは怪しいオーラが漂っているが、念能力者で無くてもそれとわかる。なんせ、ハァハァと危険な具合の吐息を口から漏らし、手先はわきわきと何かを弄る仕草を見せているのだから、馬鹿でもわかろうというものだ。ゴン、そいつに近寄るな、ヒソカより危険だ。
「あ、あのメイド長――ひぃっ!」
保育班の副班長が見るに見かねて咲夜に声をかけるが、この世のものとは思えないメンチを切られた所為であぶくを吹いて倒れてしまう。表情だけで人をどうにかできるのはのっぺらぼうや口裂け女などの化け物だけだという認識は改めなければならないだろう。
「いい加減にしてください。子供も怯えてしまいますよ」
代わって班長が他の仲間に引きずられていく部下を見遣りながら、メイド長に物申す。メンチを切らせる余裕を与えず、必要なことだけを伝えるべし。紅魔館対メイド長マニュアル第二条第四項にはそう書かれていることを咲夜は知らないが、その効果は絶大だ。自他共に完璧を求める彼女にあって、完璧でないと思われるような行動は自粛すべき事柄であり、その点に限っては素直に言うことを聞くからである。
「あら、あなたが現場にいるなんて珍しい。体の具合は大丈夫なの?」
「今日は空気が美味しいですから」
「そう? そうかもしれないわね」
何事も無かったかのようにメイド長が背筋を正して目の前の女性に応対する。この班長は悪魔の類であり、外見年齢こそ他のメイドと同じく二十代前半ながら、実年齢は二百歳に及ぶ。しかし、咲夜が彼女の体を気遣うのは歳の所為ではなかった。
「もっとも、あなたが元気じゃないからこうしてここを任せていられるのだけれど」
「それについては感謝していますのよ」
「人間を食べたがらない人外だなんて、そうそういないもの」
特別に設置されている部署の班長レベルになると、人間にはなかなか任せられない。咲夜のような特例はともかく、寿命が短いために自然と経験が足りなくなってしまうからだ。保育班長は彼女の特異な嗜好と悪魔故の責任能力の高さにより、この役に抜擢されている。しかし、彼女の体は他の悪魔よりも衰弱が早く、本来なら余命はあと三百年はあるだろうところを五十年ほどにまで縮めてしまっており、体も週に二日は安静を要し、保育室にいないときはメイドたちの相談役を勤めたりや雑事の段取りをまとめるなどして体と折り合いをつけている。何故に人間を食べないかというと、魔界の某大物の死に際に感銘を受けたからである。あぁ、腹へったなぁ。
「ところで、頼んでおいた案件、なんとかなりそう?」
部屋の中で班長相手に咲夜がお茶を飲んでいると、用件を口にする。途中、メイドたちの手をすり抜けて元気な盛りの五歳児が椅子に座っている咲夜の足に抱きついたあたりで彼女の変なスイッチが入ったりしたが、それについては誰もが無かったこととして片付けた。咲夜も大分落ち着いたようである。しかしながら、膝の上にその五歳児を乗せて頭を撫で撫でしていたり、更には「はい、クッキーですよぅ、こぼしちゃだめですよぅ」などと言いながら茶菓子を食べさせており、霊夢あたりが見聞きしたら「うつけよ、奴は大うつけよ、はぁっはっはっは!」と狂い吼えそうな光景である。
「その件は流石に難しいと先日に申し上げました。これ以上はお嬢様もお許しにはなられないでしょう」
「でも、華に欠けるのよ。この子たちも可愛いけど、女の子ばかりじゃねぇ」
「普通、女子こそ華なのでは……」
おとこにょこ分が足りない。咲夜にそう言われたときは思わず「あんた頭おかしいんじゃない」と言いかけた班長であったが、そこは我慢のしどころである。班長にしてみれば、人間、とりわけ子供は――悪魔が言うのも変だが――天使だった。子供可愛さのあまり、川辺で出会った姑獲鳥《うぶめ》を殴って子供をかっさらおうとしたぐらいだ。かの榎木津探偵でもそこまで横暴ではないだろう。ちなみにその姑獲鳥は現在は彼女の部下であり、さきほど泡を吹いて倒れた者でもある。誰か彼女らの煩悩を祓ってやってくれ。
「あなたもただでさえ大変なんだから、自分でなんとかする」
「それはそれで不安なんですが」
「良いのよ、私は不安じゃないから」
窓から陽射しが差し込んでいる。子供たちの泣き声と笑い声が交じり合う中、ゆっくりと時間が流れていく。咲夜にとって、この時間の流れこそがもっとも心地よい。だが、そのためには。そう思ったところで、ここは四階だというのに窓の外から声がした。見れば腰にロープを巻きつけた清掃班の者たちが、屋上から順々に降下し、窓の外側を拭いているのだった。
「ご苦労様。窓拭きは順調?」
「イエス、マム! イエス、マム! オーイェーッ!」
「続け続け、奴に続けぇえええ!」
咲夜に声をかけられた者も含め、次から次へと窓のある場所へと降下していく。外側から見るとさぞや凄まじい光景なのだろう。彼女たちは紅魔館のメイドにあっては当然のごとくスカート履きであるので、男性諸君であれば下から見たら天国かもしれない。直後に地獄に蹴落とされることは間違いない。
馬鹿は高いところに登る。咲夜はそう思う。実際、紅白などはふわふわ地に足がついていない有様ではないか。とはいえ、清掃部、とりわけ窓拭特別降下部隊の面々の教育方針を少々間違えた感はある。何を勘違いしたのかパラシュートをつけて屋上から飛び降りどこの窓が汚れているかを確認したり、無駄に暑苦しく庭内マラソンをしたりしている。大体、私はマムじゃない。咲夜がそう思いながらも仕事のことを思い出し、庭の方はどうなっているかと渋々五歳児を膝から下ろし、自分は窓から身を乗り出す。
「ん? あれ、美鈴じゃないの。何やってんのかしら」
この窓の位置からは湖を挟んで森の方まで見渡せる。その手前、館前庭の隅で、門番であるはずの紅美鈴が持ち場を離れて、何やら遠くを見ながら右往左往。これは注意してやらねば。休憩時間ならばそれはそれで構わない。
「おーい! おーい、美鈴!」
しかし、いくら大声を張り上げて呼んでみても、どうやら聞こえていない様子。
「ちっ、中国の奴……って、何でそれで来るのよ」
小声で愚痴った途端、美鈴が物凄い速度で飛んできた。こいつも馬鹿だ。咲夜がそう思っていると、彼女を押しのけながら美鈴が窓から部屋の中に入ってくる。この窓をはめ殺しにすべきだと班長が思ったのはこのときらしい。
「あなた、早く持ち場に戻りなさいよ。あんなところでぶらぶらして」
「先週からずっと夜の番で、この間に新しく入った部下も大分使えるようになりましたから、今日の昼間は彼女たちに任せたんですよ」
「そんなこと言ってると、じきのその部下に門番の役を奪われるわよ」
「うわ、それは困ります。カビが生えた菓子パンをメロンパンと勘違いして食べちゃったとき並に困ります!」
「どんな生活してるのよ……」
清掃部窓拭特別降下隊もそうだが、警備部警備隊もなかなかにぶっ飛んでいる。どこから持ち込んだのか知れないアブトマニック・カラシニコヴァやら榴弾砲、終いにはグスタフ/ドーラ(どこに隠してあるかは不明)を改造して化生に効く弾で弾幕を展開し、それを必死の体で掻い潜った侵入者を斬馬刀や方天戟で斬り潰す無双っぷり。流れ弾による苦情は無かったことにされる。そんな彼女らの間で最近は「私のリロードは革命よ!」という掛け声と共に開始されるリロードの速さ競争がブーム。戦地キャンプの寝所のようなそれで集団で寝泊りしている所為か同性愛者は多く、美鈴が狙われたことも一再ではないという、その蠱毒がかけられていそうな死地を乗り越えるからこその警備隊という印象すらある。部隊長である美鈴のことを部下たちは親愛の情と敬意を込めて大姐《タージェ》と呼び、近頃では美鈴の「やっちまいな」の号令と共に状況を開始している。そんな二つ名ばかりが増えて、未だに本名を呼んでもらえないことが美鈴の相変わらずの悩みである。
「食べ物は粗末にしちゃいけません。お百姓さんに失礼です! ちゃんと南無南無して食べないと罰《バチ》が当たります!」
「幻想郷《ここ》に百姓がいるとは思えないし、腹を壊したら罰とそう変わらないじゃないの」
何やら偉そうに食べ物の大事さについて講釈を打っていた美鈴に今度は三歳児が抱きつく。すると美鈴は愛用している帽子をその子供に被せた。彼女も妖怪(カテゴリ:その他)なのだが、色々と苦労が多い所為かここの子供たちには食欲よりも愛情が勝るようである。
「わぁ、ぶかぶかして可愛い♪」
「こらこら……って、あら本当」
三歳児が突然に頭の上に乗った大きな帽子にうろたえていると、帽子がずり下がって終いには目元まで隠れてしまった。そのために更にうろたえて、所在なさげに腕を前方でばたばたさせる。
「こ、これは……凄いわ、見直したわよ美鈴」
「はあ、それはどうも?」
「良いわ、良いわよ、最高よ……!」
事態がよく飲み込めていない美鈴を咲夜は無視して、鼻血をこらえながらぶつぶつと独り言を繰り返す。きっとこの人は火垂るの墓を見てても感動とは無縁のことを考えているのだろう。美鈴は三歳児に被せた帽子を取ってあげると、自分の頭に乗せなおした。
「はい、お終い。ごめんね、からかっちゃって」
「もう終わりなの?」
「これが無いと困るんですよ。外にずーっと立ってると、その、頭が……」
「ああ、紫外線でハゲちゃうものね」
三歳児をあやしながら、なんとも俗っぽい話をする二人である。美鈴の部下は紅に染められた布を頭に巻いているが、あれは何の意味があるのだろうか。そんなことを考えていると、美鈴が何かを思い出した。
「帽子といえば、あの子の帽子も似合ってたなぁ」
「あの子?」
「ええ、さっき、湖の向こうで、男の子だと思うんですけど、着替えをしていたんですよ」
あの広い湖の対岸まで届く驚異的な視力については咲夜は触れず、さらりと耳に聞こえた重要な単語に全神経を注ぐ。ぶおっ、という凄まじい気の流れを美鈴が察知する。馬鹿な、戦闘力が一気に924になっただと!?
「おおおおおお、おと、おとおとおと――」
「弟切草?」
「ぴんくのしおりぃいいいいいいいいいいいいっ!!」
この世のものとは思えない恐ろしい叫び声を出し、咲夜が窓から飛び出す。その恐ろしさは、隠し要素のスタッフのレポートがネタだと気づかなかったプレイヤーの恐怖に匹敵する。チュ○ソフトは世界征服を企む悪の秘密結社である! ジョッカー、ぶっとばぁすぞぅ!
「ふはははは、あははははは、あーっはっはっはっはっは!」
笑い声を上げながら気力を全開にして咲夜が飛ぶ。目標を視界に入れた途端、更にブースターが働き、速度は既に音速に達していた。発生したソニックブームにより近くにいた毛玉やらチルノやらが十キロメートル先へと吹っ飛んでいく。
間違いない、あの姿、間違いなく子供だ。咲夜がターゲットを捕捉すると、その傍に見覚えのある妖怪がいるのが見えた。あのスキマ妖怪、まさか狙っているのか。そうだとしたら、年がら年中、暇を持て余しているような輩に先を越されてしまうではないか!
「そうはさせんぞ、あれは私のもんだ――っ!!!」
あまりの気力にギャ○ック砲でも撃ちそうである。しかし、そんな必要は無い。既に十分な程に速度が乗っている状態だ。このまま目標に体当たりをすればそのまま連れ去ってしまえる。だが、停止している物体に音速の物体が衝突すればどうなるかわからない咲夜ではない。界○拳で体当たりをされたハゲの人のように背骨が折れること請け合いである。そこで彼女はお得意の時間停止を行うと、一キロメートル手前で湖に着水、勢いを殺していく。しかし。
「いたいたいたいた痛い痛ひ、痛ひぎいいいい!」
当たり前である。逆ベクトルの力もかけずに着水したら、水上飛行機でさえばらばらになるというものだ。勢いどころか自分を殺してしまう。それを根性と煩悩だけで耐え切ろうというのだから、頭がおかしいと思われても仕方が無い。半ば転がり、跳ねるようにして目標へと接近していく。なんとか地獄のような痛みに耐え切ると、ちょうど湖の辺の地面に着地できた。咲夜の助骨三本と片足の骨は折れているが、既にそんなことは気にしていない様子。内臓にダメージが無いのが不思議な位だ。
咲夜は四本足の獣のような格好で目標に近づくが、身体疲労のために時間を維持できなくなってきていた。この際、男の子か女の子かの確認作業は後回しにして、とりあえずは連れ去ることにする。男の子でなかった場合は中国をいびり倒せば鬱憤は晴らせる。突っ込みどころ満載且つさり気無く冷酷な決断の下、咲夜は無事な手足の筋肉をフル稼働させて目標を腋に抱えて森の中へ飛び込む。メイドの嗜みとして置手紙も忘れずに。
そして時間が動き出した。
******
十六夜咲夜は落ち込んでいた。つい先ぞにさらって来た子供が、見覚えのある女子だったからだ。以前、春を取り戻しにあの浮ついた頭の女の屋敷に殴り込む際に戦った相手、それが今、自分の傍で気絶している魂魄妖夢である。自分の記憶が確かならば、彼女は間違いなく女子だった。そう、今でこそたしかに男子用の制服を着ているが、女子なのだ。
「うう、痛い……」
自業自得とはいえ、落ち込んだために傷が痛んできた。森の中で見つけた枝などを添え木にして、なおかつパチュリーに以前もらった応急治療用の簡単な法が描かれた紙を当てているから完治までにそんなに時間がかからないとはいえ、それでも痛いものは痛い。
そもそも、この子がこんな格好をしているのが悪い。うわひでぇ、責任転嫁しやがった。魔理沙あたりが聞けばそう突っ込みを入れるところだろう。
「こんな格好……こんな、こんな……ハァハァ」
段々とこれはこれで良いかという劣情が愚痴に取って代わっていく。そこで、気絶させておいた妖夢が目を覚ました。あと三分遅ければ妖夢は地獄を見ていたに違いない。
「うわぁ!」
「なによ、変態に出会ったみたいな声出して」
変態である。しかし、そんなことを妖夢が知るわけもない。律儀な妖夢はとりあえず落ち着いてから、咲夜に頭を下げた。かつて戦ったときのような間柄ならばともかく、このような状況においては言葉遣いこそ幼さが残るものの、妖夢はただただ実直であった。
「取り乱して申し訳ない」
「はい、結構。でも、あやまるよりも先ずは何でそんな格好をしているのか教えてちょうだい」
事と次第によっては、と含みを持たせる。妖夢はどうしたものかと少しの間だけ考え込んだが、じきに事の次第を説明し始める。自分が実は男だったと幽々子に聞かされた、という部分を咲夜は聞き逃さなかった。途端、全身の怪我の痛みが消える。脳内麻薬というのはかくも恐ろしいものか。咲夜がにやりと口元を歪めるのを妖夢は何事かと首を傾げたが、今度は妖夢が質問をする番だった。
「ここはどこ?」
「ここ? 私の別荘」
「別荘というと……別業のこと? なんと、私のような青侍とは格が違う」
「やあね、冗談よ」
本来、ここはレミリアが博霊神社との往来する際に雨が降った場合の避難所として建てられた一階建てのログハウスであるが、一度も使われたことはない。なぜなら、レミリアが外出するときは大抵は咲夜がお供を勤め、細心の注意を払うからだ。ああ、雨の中、駆け込んだ先でのお嬢様とのロマンス、想像しただけで……うっ、鼻血が。咲夜が暇なときにここに来てそういった妄想をするのはよくあることだったりするから、あながち、咲夜の別荘というのも嘘ではない。そのときの鼻血の跡が床などにあり、嫌な感じでスプラッタな雰囲気を醸し出しているが、妖夢は気づいていない様子である。あるいは、気づかない振りをしているだけかもしれなかった。
「それでは、普段は使っていないんだ」
「そういうことになるわね」
説明を聞き終えた妖夢が何やら納得すると、神妙な顔をして咲夜に面と向かった。
「しばらく、ここに置いてもらえない?」
この台詞で咲夜はもう我慢できないぐらいにまで興奮したが、なんとか理性が克つ。しかし、首が縦に動くのを止めることはできなかった。すると、暗かった妖夢の表情に明かりが差す。西行寺邸に帰れないわけではないが、今すぐには無理だと考えている妖夢にとって、当面のねぐらが確保できたことは大きい。一方で、このメイドの世話になるのは危険ではないかという冷静な判断もできるようになっていた。
「貸し借りはできればしたくない。だから、この近辺の妖怪退治と掃除は責任を持ってやらせてもらう」
「そう? こちらとしてもここには人手を割けなかったから、調度良いかもね。あなた、運が良いわ」
本当に運が良いのは私だけど。そう咲夜が心中で毒づく。こうも事が上手く運ぶとは思ってもみなかった。本来ならあのまま思うがままにしたいという欲望が強かっただけに、こういう流れも良いかもしれないと考える。以下、このときの彼女の妄想より。
妖夢、良い子にしてた?
はい、咲夜さん。
それじゃご褒美に今日は一緒に寝てあげるわ。
そ、そんな、恥ずかしいです。
ふふふ、そんな遠慮しないで、ね?
ああ、後生です、後生です、堪忍して。
妄想終わり。この間、0.02秒。東大にでも入って夢オチさえできそうな高速思考である。しかも口調まで変わってるし。時代設定いつだよ。思う存分、脳内妄想を楽しんでから、咲夜は冷静さを取り戻す。
「食べ物は三日分ぐらいあるし、足りないと思ったら持ち込んでも構わない。ソファはベッドにもなるし、毛布や布団もあるわ。お風呂だってその気になれば沸かせるわね。でも、服とかはどうするの?」
それを聞いて、妖夢があっと声を上げた。普段着は紫に預けたままであるし、そもそも女物の服はもう着れない。先ずは気持ちから切り替えなくては。幽々子の言葉を真に受けた涙ぐましい従者精神によって、妖夢はどんどんとドツボにはまっていく。咲夜はしてやったりといった心境だったが、すぐには提案せず、しばらく困ったように腕を組んで首を傾げる。その間、妖夢は不安そうに被っていた帽子のツバを手元でいじり、傍にいた自分の半身に被せたりした。思いのほか半身は帽子を気に入った様子で、そのままふよふよふらふらとダンスのようなものを踊り始める。そのいじましい光景を見ている間、咲夜が何度、鼻血を拭くために時間を止めたことだろう。恒常的に血が必要なのはレミリアやフランドールではなく、彼女かもしれない。頃合を見て、咲夜は妖夢に提案する。
「服は私が用意してあげられるかもしれないわ」
あくまでも、できるかどうかはわからないという点を強調する。それだけ冷静であるというのに、頭の中では自室の棚の奥に大事にしまわれている男児用女児用取り揃えられた服の数々を妖夢に着せたときのことを想像していて、かなりやばい。上着はジャケットが良いかセーターが良いかという点から始まり、靴下は白のハイソックスが良いかそれとも意表を突いてアンクルソックスにすべきかというどうでも良さそうなことまで考えているのだから始末が悪い。そうだ、やはりハイソックスにすべきだ。履きづらそうに足を納めていく様など想像しただけで口元が緩む。頼むからあんた黙ってくれ。――咲夜の提案に妖夢はそうなればありがたい、と返した。
「とりあえず今日はそれで我慢してちょうだい。私は仕事に戻らないといけないし、そうなったら明日の朝までは出られないから。まぁ、遅くてもお嬢様が起きる一時間ぐらい前に戻ってればなんとかなるから、昼過ぎまではここにいられるけど」
「それなら、私が昼ご飯を作るから、食べていってもらえない?」
「あら、料理なんてできたんだ。あの女のことだから、てっきり生のまま食べてるのかと思ってたわ」
「幽々子様はそれでも構わないと仰るけれど、そうもいかないでしょう?」
「それもそうよね。お互い、主人が生肉に噛り付く姿は見たいものじゃないか」
レミリアの場合は吸血鬼なだけにまだサマになるが、幽々子の場合だとただの悪事鬼もとい悪食である。そんなことを思いつつ、咲夜は出来上がってくる料理とこれからのことを考えただけで、怪我のことも忘れて頬が緩むのだった。
これまでのあらすじ:幽々子の策略により自分は男だと信じ込んだ妖夢。八雲紫のしょうもないちょっかいなどのおかげでなんとか立ち直るが、紅魔館に潜む強大な悪により連れ去られてしまう。どうなる妖夢。助けろよ紫。幽々子は黙ってろ。
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十六夜咲夜の一日は他のメイドたちとの朝礼から始まる。それぞれが挨拶の仕方、身だしなみなどを確認し合うと、いつもそうしているようにメイド長である咲夜が、一個中隊五十名から成り総勢千名を越すメイドたちの前に、立つ。諸君、私はお嬢様のお世話が死ぬほど好きだ、というくだりから始まる訓辞が終わると、状況開始の号令と共に各部各隊各班各自が散会する。その勢いは部外者が巻き込まれたら無事では済まない。
「まったく、これじゃほとんど地鳴りだわ。お嬢様が起きなければ良いけれど」
咲夜の正式な肩書きはメイド長兼清掃部隊長及びお世話係取締役というなんとも長いものである。清掃部と警備部が紅魔館における二本柱であり、それとは別に設置されているお世話係はレミリア直々に任命されなくては就くことができない。他にはヴワル魔法図書館の管理部や近衛部隊、対フランドール鎮静部隊(要するになだめ役)などが存在しているが、そんなの本当にあるのかよという部署もあり、更には咲夜のようにいくつかの部を股にかける者もおり、その全容を把握している者は少ない。
朝礼が終わると、咲夜だけはその場に残り精神を集中させる。ゆっくりと、咲夜の時間が加速する。相対的に彼女の周囲の時間はその速度を緩め、最終的には完全に停止する。歪に繋げられた空間同士が干渉し合い、たわみ、うねりが生じる。咲夜は的確に空間同士を行き交い、館内部の全ての状況を把握していく。
館を縦横に突っ切る各所の廊下ではモップを掲げた隊の者たちが突撃の号令と共に走り出そうとしていた。庭では警備隊が朝も早くから魑魅魍魎を相手に弾幕を展開し、その後方では花や庭木の世話をしながら「今日も暖かいわねぇ」などという暢気な会話が起こっている。おっと門番の様子を見忘れた。まぁいいや。完璧なのだかいい加減なのだか余人には推し量れない要領でメイド長は確認を続けていく。時折、思い出したように時間を正常に戻しては、各隊の隊長と必要な案件の確認をし合い、二言三言冗談を交わしては別れ、また別の場所へ。
最後に咲夜はある部屋の前に出現した。大きな溜息が吐かれると時間の流れが完全に正常な状態に戻される。瞬間、大きな泣き声がドアを通して部屋の内部から聞こえてきた。ここは紅魔館。紅い悪魔が統べる場所。そりゃあもう阿鼻叫喚の地獄絵図がお茶会が開かれている隣の部屋にあってもおかしくないのだが、この部屋から聞こえてくる泣き声は、そういった類のものとは違っていた。
「あら、メイド長ったら、また来たわ」
「近々、清掃は全て清掃部に任せて、お嬢様のお世話とこちらの管理に専念したいって上申したそうよ」
「夜はお嬢様、昼はこっち。本当、メイド長って世話好きねぇ」
「まぁ、ここのはメイド長が来る前は食用だったらしいから」
「私みたいな妖怪のはともかく、人間のはそうだったみたいね。母体が人間なら、相手が何であってもそこそこの味だし、純正品なら文句無しってなもんよ。ああ、思い出すなぁ、小さい頃にお母さんが作ってくれた照り焼きの味……」
「あんた、頼むから私の前でそういうこと言わないでよ。友達を止めたくなるから」
部屋の前で大儀そうに中の様子を窺っている咲夜を見つけたメイド二人が各々の作業の手を休めずに話をしている。この二人、片方が妖怪出身、片方が人間出身であるから、この部屋の話になると自然、盛り上がる。メイドの七割は妖怪化生の類であり、二割が人間、残り一割が図書館の小悪魔のようにどちらともいえない者たちから成るが、一部の妖怪の間では必要以上に人間を庇護することに反対している者たちもいて、なかなか油断できない。とはいえメイド長の手前何もできず、同時にメイド長が人間でありながらかなりの使い手であることを考えれば、造反などは起こりそうに無い。
さて、話題を独り占めにするこの部屋の名前は何か。とっくに気づいている方もあろうが、ドアにでかでかと貼られたプレートを見れば誰もがわかる。そこにはこう書かれている。
『保育室』
ここに預けられている人間の子供たちの境遇は様々であるが、幸せとは言い難い。そもそもこんな物騒な館の中で生活しなくてはならないのだから、その時点で不幸である。残念。そんな身も蓋もない考えはともかくとして、咲夜は幸せだった。ドアを半開きにして覗き見ている彼女からは怪しいオーラが漂っているが、念能力者で無くてもそれとわかる。なんせ、ハァハァと危険な具合の吐息を口から漏らし、手先はわきわきと何かを弄る仕草を見せているのだから、馬鹿でもわかろうというものだ。ゴン、そいつに近寄るな、ヒソカより危険だ。
「あ、あのメイド長――ひぃっ!」
保育班の副班長が見るに見かねて咲夜に声をかけるが、この世のものとは思えないメンチを切られた所為であぶくを吹いて倒れてしまう。表情だけで人をどうにかできるのはのっぺらぼうや口裂け女などの化け物だけだという認識は改めなければならないだろう。
「いい加減にしてください。子供も怯えてしまいますよ」
代わって班長が他の仲間に引きずられていく部下を見遣りながら、メイド長に物申す。メンチを切らせる余裕を与えず、必要なことだけを伝えるべし。紅魔館対メイド長マニュアル第二条第四項にはそう書かれていることを咲夜は知らないが、その効果は絶大だ。自他共に完璧を求める彼女にあって、完璧でないと思われるような行動は自粛すべき事柄であり、その点に限っては素直に言うことを聞くからである。
「あら、あなたが現場にいるなんて珍しい。体の具合は大丈夫なの?」
「今日は空気が美味しいですから」
「そう? そうかもしれないわね」
何事も無かったかのようにメイド長が背筋を正して目の前の女性に応対する。この班長は悪魔の類であり、外見年齢こそ他のメイドと同じく二十代前半ながら、実年齢は二百歳に及ぶ。しかし、咲夜が彼女の体を気遣うのは歳の所為ではなかった。
「もっとも、あなたが元気じゃないからこうしてここを任せていられるのだけれど」
「それについては感謝していますのよ」
「人間を食べたがらない人外だなんて、そうそういないもの」
特別に設置されている部署の班長レベルになると、人間にはなかなか任せられない。咲夜のような特例はともかく、寿命が短いために自然と経験が足りなくなってしまうからだ。保育班長は彼女の特異な嗜好と悪魔故の責任能力の高さにより、この役に抜擢されている。しかし、彼女の体は他の悪魔よりも衰弱が早く、本来なら余命はあと三百年はあるだろうところを五十年ほどにまで縮めてしまっており、体も週に二日は安静を要し、保育室にいないときはメイドたちの相談役を勤めたりや雑事の段取りをまとめるなどして体と折り合いをつけている。何故に人間を食べないかというと、魔界の某大物の死に際に感銘を受けたからである。あぁ、腹へったなぁ。
「ところで、頼んでおいた案件、なんとかなりそう?」
部屋の中で班長相手に咲夜がお茶を飲んでいると、用件を口にする。途中、メイドたちの手をすり抜けて元気な盛りの五歳児が椅子に座っている咲夜の足に抱きついたあたりで彼女の変なスイッチが入ったりしたが、それについては誰もが無かったこととして片付けた。咲夜も大分落ち着いたようである。しかしながら、膝の上にその五歳児を乗せて頭を撫で撫でしていたり、更には「はい、クッキーですよぅ、こぼしちゃだめですよぅ」などと言いながら茶菓子を食べさせており、霊夢あたりが見聞きしたら「うつけよ、奴は大うつけよ、はぁっはっはっは!」と狂い吼えそうな光景である。
「その件は流石に難しいと先日に申し上げました。これ以上はお嬢様もお許しにはなられないでしょう」
「でも、華に欠けるのよ。この子たちも可愛いけど、女の子ばかりじゃねぇ」
「普通、女子こそ華なのでは……」
おとこにょこ分が足りない。咲夜にそう言われたときは思わず「あんた頭おかしいんじゃない」と言いかけた班長であったが、そこは我慢のしどころである。班長にしてみれば、人間、とりわけ子供は――悪魔が言うのも変だが――天使だった。子供可愛さのあまり、川辺で出会った姑獲鳥《うぶめ》を殴って子供をかっさらおうとしたぐらいだ。かの榎木津探偵でもそこまで横暴ではないだろう。ちなみにその姑獲鳥は現在は彼女の部下であり、さきほど泡を吹いて倒れた者でもある。誰か彼女らの煩悩を祓ってやってくれ。
「あなたもただでさえ大変なんだから、自分でなんとかする」
「それはそれで不安なんですが」
「良いのよ、私は不安じゃないから」
窓から陽射しが差し込んでいる。子供たちの泣き声と笑い声が交じり合う中、ゆっくりと時間が流れていく。咲夜にとって、この時間の流れこそがもっとも心地よい。だが、そのためには。そう思ったところで、ここは四階だというのに窓の外から声がした。見れば腰にロープを巻きつけた清掃班の者たちが、屋上から順々に降下し、窓の外側を拭いているのだった。
「ご苦労様。窓拭きは順調?」
「イエス、マム! イエス、マム! オーイェーッ!」
「続け続け、奴に続けぇえええ!」
咲夜に声をかけられた者も含め、次から次へと窓のある場所へと降下していく。外側から見るとさぞや凄まじい光景なのだろう。彼女たちは紅魔館のメイドにあっては当然のごとくスカート履きであるので、男性諸君であれば下から見たら天国かもしれない。直後に地獄に蹴落とされることは間違いない。
馬鹿は高いところに登る。咲夜はそう思う。実際、紅白などはふわふわ地に足がついていない有様ではないか。とはいえ、清掃部、とりわけ窓拭特別降下部隊の面々の教育方針を少々間違えた感はある。何を勘違いしたのかパラシュートをつけて屋上から飛び降りどこの窓が汚れているかを確認したり、無駄に暑苦しく庭内マラソンをしたりしている。大体、私はマムじゃない。咲夜がそう思いながらも仕事のことを思い出し、庭の方はどうなっているかと渋々五歳児を膝から下ろし、自分は窓から身を乗り出す。
「ん? あれ、美鈴じゃないの。何やってんのかしら」
この窓の位置からは湖を挟んで森の方まで見渡せる。その手前、館前庭の隅で、門番であるはずの紅美鈴が持ち場を離れて、何やら遠くを見ながら右往左往。これは注意してやらねば。休憩時間ならばそれはそれで構わない。
「おーい! おーい、美鈴!」
しかし、いくら大声を張り上げて呼んでみても、どうやら聞こえていない様子。
「ちっ、中国の奴……って、何でそれで来るのよ」
小声で愚痴った途端、美鈴が物凄い速度で飛んできた。こいつも馬鹿だ。咲夜がそう思っていると、彼女を押しのけながら美鈴が窓から部屋の中に入ってくる。この窓をはめ殺しにすべきだと班長が思ったのはこのときらしい。
「あなた、早く持ち場に戻りなさいよ。あんなところでぶらぶらして」
「先週からずっと夜の番で、この間に新しく入った部下も大分使えるようになりましたから、今日の昼間は彼女たちに任せたんですよ」
「そんなこと言ってると、じきのその部下に門番の役を奪われるわよ」
「うわ、それは困ります。カビが生えた菓子パンをメロンパンと勘違いして食べちゃったとき並に困ります!」
「どんな生活してるのよ……」
清掃部窓拭特別降下隊もそうだが、警備部警備隊もなかなかにぶっ飛んでいる。どこから持ち込んだのか知れないアブトマニック・カラシニコヴァやら榴弾砲、終いにはグスタフ/ドーラ(どこに隠してあるかは不明)を改造して化生に効く弾で弾幕を展開し、それを必死の体で掻い潜った侵入者を斬馬刀や方天戟で斬り潰す無双っぷり。流れ弾による苦情は無かったことにされる。そんな彼女らの間で最近は「私のリロードは革命よ!」という掛け声と共に開始されるリロードの速さ競争がブーム。戦地キャンプの寝所のようなそれで集団で寝泊りしている所為か同性愛者は多く、美鈴が狙われたことも一再ではないという、その蠱毒がかけられていそうな死地を乗り越えるからこその警備隊という印象すらある。部隊長である美鈴のことを部下たちは親愛の情と敬意を込めて大姐《タージェ》と呼び、近頃では美鈴の「やっちまいな」の号令と共に状況を開始している。そんな二つ名ばかりが増えて、未だに本名を呼んでもらえないことが美鈴の相変わらずの悩みである。
「食べ物は粗末にしちゃいけません。お百姓さんに失礼です! ちゃんと南無南無して食べないと罰《バチ》が当たります!」
「幻想郷《ここ》に百姓がいるとは思えないし、腹を壊したら罰とそう変わらないじゃないの」
何やら偉そうに食べ物の大事さについて講釈を打っていた美鈴に今度は三歳児が抱きつく。すると美鈴は愛用している帽子をその子供に被せた。彼女も妖怪(カテゴリ:その他)なのだが、色々と苦労が多い所為かここの子供たちには食欲よりも愛情が勝るようである。
「わぁ、ぶかぶかして可愛い♪」
「こらこら……って、あら本当」
三歳児が突然に頭の上に乗った大きな帽子にうろたえていると、帽子がずり下がって終いには目元まで隠れてしまった。そのために更にうろたえて、所在なさげに腕を前方でばたばたさせる。
「こ、これは……凄いわ、見直したわよ美鈴」
「はあ、それはどうも?」
「良いわ、良いわよ、最高よ……!」
事態がよく飲み込めていない美鈴を咲夜は無視して、鼻血をこらえながらぶつぶつと独り言を繰り返す。きっとこの人は火垂るの墓を見てても感動とは無縁のことを考えているのだろう。美鈴は三歳児に被せた帽子を取ってあげると、自分の頭に乗せなおした。
「はい、お終い。ごめんね、からかっちゃって」
「もう終わりなの?」
「これが無いと困るんですよ。外にずーっと立ってると、その、頭が……」
「ああ、紫外線でハゲちゃうものね」
三歳児をあやしながら、なんとも俗っぽい話をする二人である。美鈴の部下は紅に染められた布を頭に巻いているが、あれは何の意味があるのだろうか。そんなことを考えていると、美鈴が何かを思い出した。
「帽子といえば、あの子の帽子も似合ってたなぁ」
「あの子?」
「ええ、さっき、湖の向こうで、男の子だと思うんですけど、着替えをしていたんですよ」
あの広い湖の対岸まで届く驚異的な視力については咲夜は触れず、さらりと耳に聞こえた重要な単語に全神経を注ぐ。ぶおっ、という凄まじい気の流れを美鈴が察知する。馬鹿な、戦闘力が一気に924になっただと!?
「おおおおおお、おと、おとおとおと――」
「弟切草?」
「ぴんくのしおりぃいいいいいいいいいいいいっ!!」
この世のものとは思えない恐ろしい叫び声を出し、咲夜が窓から飛び出す。その恐ろしさは、隠し要素のスタッフのレポートがネタだと気づかなかったプレイヤーの恐怖に匹敵する。チュ○ソフトは世界征服を企む悪の秘密結社である! ジョッカー、ぶっとばぁすぞぅ!
「ふはははは、あははははは、あーっはっはっはっはっは!」
笑い声を上げながら気力を全開にして咲夜が飛ぶ。目標を視界に入れた途端、更にブースターが働き、速度は既に音速に達していた。発生したソニックブームにより近くにいた毛玉やらチルノやらが十キロメートル先へと吹っ飛んでいく。
間違いない、あの姿、間違いなく子供だ。咲夜がターゲットを捕捉すると、その傍に見覚えのある妖怪がいるのが見えた。あのスキマ妖怪、まさか狙っているのか。そうだとしたら、年がら年中、暇を持て余しているような輩に先を越されてしまうではないか!
「そうはさせんぞ、あれは私のもんだ――っ!!!」
あまりの気力にギャ○ック砲でも撃ちそうである。しかし、そんな必要は無い。既に十分な程に速度が乗っている状態だ。このまま目標に体当たりをすればそのまま連れ去ってしまえる。だが、停止している物体に音速の物体が衝突すればどうなるかわからない咲夜ではない。界○拳で体当たりをされたハゲの人のように背骨が折れること請け合いである。そこで彼女はお得意の時間停止を行うと、一キロメートル手前で湖に着水、勢いを殺していく。しかし。
「いたいたいたいた痛い痛ひ、痛ひぎいいいい!」
当たり前である。逆ベクトルの力もかけずに着水したら、水上飛行機でさえばらばらになるというものだ。勢いどころか自分を殺してしまう。それを根性と煩悩だけで耐え切ろうというのだから、頭がおかしいと思われても仕方が無い。半ば転がり、跳ねるようにして目標へと接近していく。なんとか地獄のような痛みに耐え切ると、ちょうど湖の辺の地面に着地できた。咲夜の助骨三本と片足の骨は折れているが、既にそんなことは気にしていない様子。内臓にダメージが無いのが不思議な位だ。
咲夜は四本足の獣のような格好で目標に近づくが、身体疲労のために時間を維持できなくなってきていた。この際、男の子か女の子かの確認作業は後回しにして、とりあえずは連れ去ることにする。男の子でなかった場合は中国をいびり倒せば鬱憤は晴らせる。突っ込みどころ満載且つさり気無く冷酷な決断の下、咲夜は無事な手足の筋肉をフル稼働させて目標を腋に抱えて森の中へ飛び込む。メイドの嗜みとして置手紙も忘れずに。
そして時間が動き出した。
******
十六夜咲夜は落ち込んでいた。つい先ぞにさらって来た子供が、見覚えのある女子だったからだ。以前、春を取り戻しにあの浮ついた頭の女の屋敷に殴り込む際に戦った相手、それが今、自分の傍で気絶している魂魄妖夢である。自分の記憶が確かならば、彼女は間違いなく女子だった。そう、今でこそたしかに男子用の制服を着ているが、女子なのだ。
「うう、痛い……」
自業自得とはいえ、落ち込んだために傷が痛んできた。森の中で見つけた枝などを添え木にして、なおかつパチュリーに以前もらった応急治療用の簡単な法が描かれた紙を当てているから完治までにそんなに時間がかからないとはいえ、それでも痛いものは痛い。
そもそも、この子がこんな格好をしているのが悪い。うわひでぇ、責任転嫁しやがった。魔理沙あたりが聞けばそう突っ込みを入れるところだろう。
「こんな格好……こんな、こんな……ハァハァ」
段々とこれはこれで良いかという劣情が愚痴に取って代わっていく。そこで、気絶させておいた妖夢が目を覚ました。あと三分遅ければ妖夢は地獄を見ていたに違いない。
「うわぁ!」
「なによ、変態に出会ったみたいな声出して」
変態である。しかし、そんなことを妖夢が知るわけもない。律儀な妖夢はとりあえず落ち着いてから、咲夜に頭を下げた。かつて戦ったときのような間柄ならばともかく、このような状況においては言葉遣いこそ幼さが残るものの、妖夢はただただ実直であった。
「取り乱して申し訳ない」
「はい、結構。でも、あやまるよりも先ずは何でそんな格好をしているのか教えてちょうだい」
事と次第によっては、と含みを持たせる。妖夢はどうしたものかと少しの間だけ考え込んだが、じきに事の次第を説明し始める。自分が実は男だったと幽々子に聞かされた、という部分を咲夜は聞き逃さなかった。途端、全身の怪我の痛みが消える。脳内麻薬というのはかくも恐ろしいものか。咲夜がにやりと口元を歪めるのを妖夢は何事かと首を傾げたが、今度は妖夢が質問をする番だった。
「ここはどこ?」
「ここ? 私の別荘」
「別荘というと……別業のこと? なんと、私のような青侍とは格が違う」
「やあね、冗談よ」
本来、ここはレミリアが博霊神社との往来する際に雨が降った場合の避難所として建てられた一階建てのログハウスであるが、一度も使われたことはない。なぜなら、レミリアが外出するときは大抵は咲夜がお供を勤め、細心の注意を払うからだ。ああ、雨の中、駆け込んだ先でのお嬢様とのロマンス、想像しただけで……うっ、鼻血が。咲夜が暇なときにここに来てそういった妄想をするのはよくあることだったりするから、あながち、咲夜の別荘というのも嘘ではない。そのときの鼻血の跡が床などにあり、嫌な感じでスプラッタな雰囲気を醸し出しているが、妖夢は気づいていない様子である。あるいは、気づかない振りをしているだけかもしれなかった。
「それでは、普段は使っていないんだ」
「そういうことになるわね」
説明を聞き終えた妖夢が何やら納得すると、神妙な顔をして咲夜に面と向かった。
「しばらく、ここに置いてもらえない?」
この台詞で咲夜はもう我慢できないぐらいにまで興奮したが、なんとか理性が克つ。しかし、首が縦に動くのを止めることはできなかった。すると、暗かった妖夢の表情に明かりが差す。西行寺邸に帰れないわけではないが、今すぐには無理だと考えている妖夢にとって、当面のねぐらが確保できたことは大きい。一方で、このメイドの世話になるのは危険ではないかという冷静な判断もできるようになっていた。
「貸し借りはできればしたくない。だから、この近辺の妖怪退治と掃除は責任を持ってやらせてもらう」
「そう? こちらとしてもここには人手を割けなかったから、調度良いかもね。あなた、運が良いわ」
本当に運が良いのは私だけど。そう咲夜が心中で毒づく。こうも事が上手く運ぶとは思ってもみなかった。本来ならあのまま思うがままにしたいという欲望が強かっただけに、こういう流れも良いかもしれないと考える。以下、このときの彼女の妄想より。
妖夢、良い子にしてた?
はい、咲夜さん。
それじゃご褒美に今日は一緒に寝てあげるわ。
そ、そんな、恥ずかしいです。
ふふふ、そんな遠慮しないで、ね?
ああ、後生です、後生です、堪忍して。
妄想終わり。この間、0.02秒。東大にでも入って夢オチさえできそうな高速思考である。しかも口調まで変わってるし。時代設定いつだよ。思う存分、脳内妄想を楽しんでから、咲夜は冷静さを取り戻す。
「食べ物は三日分ぐらいあるし、足りないと思ったら持ち込んでも構わない。ソファはベッドにもなるし、毛布や布団もあるわ。お風呂だってその気になれば沸かせるわね。でも、服とかはどうするの?」
それを聞いて、妖夢があっと声を上げた。普段着は紫に預けたままであるし、そもそも女物の服はもう着れない。先ずは気持ちから切り替えなくては。幽々子の言葉を真に受けた涙ぐましい従者精神によって、妖夢はどんどんとドツボにはまっていく。咲夜はしてやったりといった心境だったが、すぐには提案せず、しばらく困ったように腕を組んで首を傾げる。その間、妖夢は不安そうに被っていた帽子のツバを手元でいじり、傍にいた自分の半身に被せたりした。思いのほか半身は帽子を気に入った様子で、そのままふよふよふらふらとダンスのようなものを踊り始める。そのいじましい光景を見ている間、咲夜が何度、鼻血を拭くために時間を止めたことだろう。恒常的に血が必要なのはレミリアやフランドールではなく、彼女かもしれない。頃合を見て、咲夜は妖夢に提案する。
「服は私が用意してあげられるかもしれないわ」
あくまでも、できるかどうかはわからないという点を強調する。それだけ冷静であるというのに、頭の中では自室の棚の奥に大事にしまわれている男児用女児用取り揃えられた服の数々を妖夢に着せたときのことを想像していて、かなりやばい。上着はジャケットが良いかセーターが良いかという点から始まり、靴下は白のハイソックスが良いかそれとも意表を突いてアンクルソックスにすべきかというどうでも良さそうなことまで考えているのだから始末が悪い。そうだ、やはりハイソックスにすべきだ。履きづらそうに足を納めていく様など想像しただけで口元が緩む。頼むからあんた黙ってくれ。――咲夜の提案に妖夢はそうなればありがたい、と返した。
「とりあえず今日はそれで我慢してちょうだい。私は仕事に戻らないといけないし、そうなったら明日の朝までは出られないから。まぁ、遅くてもお嬢様が起きる一時間ぐらい前に戻ってればなんとかなるから、昼過ぎまではここにいられるけど」
「それなら、私が昼ご飯を作るから、食べていってもらえない?」
「あら、料理なんてできたんだ。あの女のことだから、てっきり生のまま食べてるのかと思ってたわ」
「幽々子様はそれでも構わないと仰るけれど、そうもいかないでしょう?」
「それもそうよね。お互い、主人が生肉に噛り付く姿は見たいものじゃないか」
レミリアの場合は吸血鬼なだけにまだサマになるが、幽々子の場合だとただの悪事鬼もとい悪食である。そんなことを思いつつ、咲夜は出来上がってくる料理とこれからのことを考えただけで、怪我のことも忘れて頬が緩むのだった。
咲夜さんの壊れっぷりは他のSSのと比較しても負けてないし。少佐だし。
二話もですが第2作、3作も期待してます。二人目の笑いの神よ。
情熱的というか行動的というか・・(一般的には変t(バキッ))
2作、3作目を楽しみにしています。
咲夜さん,いくとこまでいっちまってるな('A`)・・・
だが,それがいい.
あなたのSSは革命(レボリューション)だ!!
変態に大笑いする
続き読むかー