明確視界(めいかくしかい)
○
分かりやすい解を求めるなら、殊更、努めるべきは「長生きすること」だと思った。
○
「無かったことにしてやろうか?」
歴史を喰う、そんな奇怪なケダモノが私に言う。
「やめてよ、これはこれで結構楽しんでるんだから。」
愚痴ってみても始まらない。
過去を消されたら、今の私はどうなるというのか。
それを分からず軽々しく言葉を放っているのだとしたら、喧嘩を売られていると認識していいだろう。
「…そうだな。失言だった。」
とも思ったが、相手はどうやら分別を持ち合わせているようだった。
ちょっとだけ気が削がれたけれど、まあいい。
…もしかして、私は喧嘩っ早いのだろうか、とふと思い浮かんで、ちょっとだけ笑えた。
「あと、ケダモノとは失礼すぎだ。神格を有しているのだぞ。」
「そうね、あらゆる病魔から守ってくれるらしいし。あんたを描いた似顔絵が。」
私が笑っている。目の前の幻獣も笑っている。
薄暗い竹林の奥から笑い声が聞こえてきたら、さぞや不気味だろう。
聞くとしたら、それは人ではないだろうが。
私と目の前のこいつの笑い声に、周囲の妖も影からこちらを覗いているようだ。
どんな楽しいことがあるのだろうかと。
別段、取り立てて何かあるわけではなかった。
けれど、確かにそこに私はいた。笑っていたんだ。
○
ある時、ここは境界に区切られた別世界だと知った。
幻想郷、とはとても言い得ていて、私はこの響きが気に入っている。
私はいつからここに居つくようになったのだろうか。覚えていない。
記憶するという脳の作業は、以外にもやっつけ仕事なのだなと度々思うのだ。だって、
何がしか別の事象と関連付けてでないと鮮明には残らないから。
私は、ずっと一人で同じ景色を眺めていたのだから、曖昧になることは仕方がないのだ。
今まで私はあらゆる場所で生きてきた。それでも、私の見る景色は変わらない。変われない。
そして今度の寝床は、どこのかは知らないが、山奥にすることにした。
移り住むのが面倒だったからだ。
「死なない」というのは、不便だと思う。殊に、人々の輪の中で暮らすとしたら。
そういった意味では、山奥の暮らしは快適だった。面白味は無いが。
黒い膜が私の眼に張り付いたのかと思わせるくらい、それから私は、
この薄暗い場所で日差しとはあまり縁の無い空間をずっと見ていた。
これでは、思い出を残すことも困難だろう。
―――でも、そう。覚えているとしたら。
あれは月の光がいつもより蒼い夜だった、かもしれない。
輝夜を、あの蒼い夜に見かけた時は。
急激に全身が熱くなった。
そして、すぐに気が抜けた。
長い時を経て、知ってみれば大した事の無い事実。
あいつも私も変わらないんだ、と。
ここに至って、事柄を、世界の小ささを知った。
この世界では、地も月も星も、すべての事が「事」として収まっている。
意味は何の事は無い「意味」だった。
ふっ、と笑みだか溜息だか、私は息を吐いた。
踵を返して、私は寝床に向かう。
もちろん、あいつがどこに居を構えているかなんて興味が無かった。
追ってみたりするつもりもない。
ただ、今度見かけたら。
そう―――喧嘩を売ろう。
「また来たの?」
「また来たの。いい加減死んでよ。」
軽く言い放たれても困る内容だ。私も軽く笑う。
「どうしたって、死ねないんだから私は。あんたの所為でね。」
「そりゃまあ原因を遡れば私の所為だけど。でもそれって、
遠縁だと名乗るくらいのものよ。つまりは言い掛かり。」
「あんた言ってること滅茶苦茶だからね。なんで私を殺しに来てるか分かってるの?」
輝夜はにこりと笑った、ように口を歪ませた。
「もちろんよ。だけど理由は長く語るほどのものじゃないわ。
あなたがただ目障りだから。いけない?」
「ふ。そうね、いけ好かない。」
私がそう言い返してからは、いつもの展開だった。
輝夜が身に纏う光で私を貫こうとする。
私は長年生きてきて身に着けた符術で輝夜を焼こうとする。
両者の間には殺意が渦を巻き、目に見えるほど外界を歪ませる。空気は凍り、
しかしどこか生温く気持ち悪い温度を保つ、そんな矛盾した感覚を植えつけさせるくらいだ。
だけど。
その感覚が。
輝夜の放つ光が私の四肢を削る痛みが。
私の炎が輝夜の袷(あわせ)を焦がす臭いが。
―――私を繋ぎ止める。
「生きているって素晴らしい」
そう感じていなければ、永遠の生という時間を過ごすには酷というものだ。
人というのも単純だ。
一つの概念を強く感じるには、それと相対する概念を背景に添えればいい。
黒を目立たせるには白を。
光を目立たせるには闇を。
私は、そんな単純な思考で今を生きている。
「生きている。」
○
寝床に帰ると、また五月蝿いのが待ち構えていた。
「またか…自分を大切にしろとあれほど…っ!」
「あー、はいはい。大丈夫だって。こんなのすぐ生えてくるから」
私はリボンで縛った右肩を見る。破れた裾からその先は、今は無い。
ついでに言えば、左の脇腹も穿たれ、左目も存在しているかどうか怪しい。
小さな所も含めれば、全身穴だらけだ。
改めて自身の惨状を確認して、あまりの酷さに少し可笑しかった。
無論、強い痛みに乗せて、悔しさもあった。
それでも―――
「楽しいか?」
五月蝿いのが感情を察せない様な瞳で、私を見据える。
「…別に?」
私はそう答えるしかなかった。
そんなこと、愚問だ。分かっているだろうに。
「そういえば、あんたって実は眼が沢山あるんでしょ? 一つでいいから頂戴よ。」
冗談めかしてみる。
五月蝿いのは、何も言わなかった。
先ほどの表情から変わらず目を逸らし、そのまま私の横を通り過ぎる。
草を踏む音だけが、私の背後から聞こえて、遠ざかっていった。
「ねえ…」
今はいない相手に向かって、
「あんた、天地開闢(かいびゃく)からの知識があるんだったら教えてよ」
そんなことを聞いてみた。
「小難しい、説明をさ」
何の感情も私には無かった。期待もしていなかった。
私は答えを知っていたから。永い時を経て。
「―――下らないな。」
それでも、背後の幻獣は反論した。
私は振り返る。
「まだ居たんだ?」
「お前…さっきの殺し合い、理由はどうあれ、楽しかったんだろ?」
幻獣は、上白沢慧音は両手を腰に当て、仁王立ちしてこちらを睨んでいた。
その表情はまるで子供を窘める母親のようで―――
「お前は、生きることを単純作業にしている。方法はあれだが、
そこに少なからず喜びを見出しているだろう?」
ずんずん、とそんな音が鳴りそうな勢いで慧音はこちらに歩み寄ってくる。
私は、何故だか知らないが、気圧される様に後退っていた。
「人には感情がある。だから、「意味」は「言葉」じゃないんだ。」
慧音は私の目の前まで来ると、じっと私の瞳を覗き込んだ。
目を、逸らせない。
「人は「意味」に感情を乗せることが出来る。喜びの形は人それぞれ、
苦しみの形も人それぞれだ。ほら、「言葉」じゃ説明出来ないだろう?」
「…だったら、それが何よ。」
反論を口にしようとして、しかしその声がとても小さかったのが、何だか恥ずかしかった。
これじゃ、まるで子供だ。
「まだ分からないのか? お前の捉えている世界が小さいと言っているんだ。
…まったく、子供だな。」
う、と今まさに私に与えられている感覚を後押しされて、声が漏れる。悔しい。
「…だからっ!」
声を強く。負けないように。
でも、それは、
「「意味」は「感情」なんだ。人にとってはね。だから、世界は無限大だ。
固定された「意味」なんて、糞食らえなんだよ。」
あっさりと打ち砕かれた。
「―――…え?」
目の前の厳格そうな幻獣の「糞食らえ」だなんて暴言にも驚いたが、
それよりも、私の理念が覆されたことの方が驚愕だった。
頭が真っ白になる。
「世界を捉えようなんてまだ早い! というか、絶対に不可能だな。私にも無理だ。」
彼女は溜息一つ吐いて、
「―――いいか、妹紅。世界はね、一人一人が創る幻想なんだ。」
私に、そう言い放ったんだ。
―――ああそうか、だから私は…
「あ…」
「以上で小難しい説明は終わりだが…質問は?」
まるで教師のように締めくくる慧音に、私は吹き出した。
「…あは、何だ、全然ダメじゃない。小難しくもないよ。―――あはは、何それ。
「意味」は「感情」だなんて、ますます解りづらくしちゃってさぁ。」
―――だから私は、「感じる」ことを忘れていたから、覚えていなかったのかもしれない。
人はきっと「意味」を見出して生きていく。それは、「その事」に対する関心だ。
私は久しくそれを忘れていたんだ。永く生き過ぎたから。
死のない生は、どうしてもその意味が霞みがちになってしまう。そうして、
私は自分の生を「感じ」なくなってしまっていたのだろう。
でも、私は今、輝夜と殺しあうことで死を感じ、生を感じている。
そうして私は自分の生に意味を見出し、関心を持てている。
そう、好きになれているんだ。
「ふう、出来の良い生徒で何よりだよ」
そう言って、慧音は背を向けた。
「慧音っ。」
私は負けず嫌いだから、ありがとうなんて言わない。
「…今度、お茶しに来なさいよね。」
「―――ああ。…お前は本当に出来の良い生徒だ。」
それだけの言葉を交わすと、二人は何事もなかったかのように別れた。
涼しい風がその後に吹いて、僅かな光が消えていく。そうして、静かに夜が来た。
しばらく立ち尽くしていた私は、思い出したかのように寝床に戻る。
今日の夕飯はどうしようと思っていたところ、部屋に慧音が置いていったのだろう食料があった。
保存が利く、調理もしやすそうな者ばかり。
「何よ、馬鹿にして。」
私は捻くれているから、今日の夕飯は手間をかけて作ってやろうと思った。
もちろん、それは失敗に終わったが。
きっと、普段はそんなことはしないから。食べられれば良いと思っていたから。
失敗してしまったのだ。
悔しい。
凶悪な味を舌に感じながら、私は笑っていた。
頭がすっきりしていた。
目に張られていた黒い膜は、もはや単に闇のせいだと知ったのだった。
○
どさり、と輝夜はそこに尻餅をついた。なんとも恥ずかしい転び方だ。
私は遠慮なんてするはずもなく、大笑いした。
お姫様らしからず、輝夜は地に腰を据え、足を伸ばす。
「―――あんた、変わったね。」
そして、私を見上げ、そう言った。
「強くなったでしょ。」
「そうね、服の替えとか営繕が大変になるわ。」
「薬も沢山入用になると思うわよ?」
―――私は、今日も輝夜と殺し合う。
「七面倒になっちゃったわねえ」
「私を殺すのが? 以前から大変だったと思うけど。」
「まあね。―――でも今、あんた楽しそうだから。」
しぶとくなって困るわ、と輝夜は言った。
私は―――微笑んで、燃え上がる符を輝夜に放った。
―――私は、今日も生きている。
「生きているって素晴らしい」
そう思うことは、もはや当然のことで。口に出すまでもなくなっていた。
たとえこの命が永遠でも、生きているのは今なのだ。
私は、生きている。
「生きているんだ。」
○
分かりやすい解を求めるなら、殊更、努めるべきは「長生きすること」だと思った。
世界には、「意味」が沢山あるのだから。
The life is beautiful,foever...
読後の気分、心持ちが軽くなりますね。
生命とは絶え間無い躍動、でも人生は静かなる鼓動。
そんな風な感想を抱かせる、綺麗で、しかも柔らかめのお話、楽しませていただきました。