斥候の兎たちが帰ってこない。
次々と屋敷内の兎たちは、“何故か”訓練させられていた通りに、非常事態(スクランブル)体勢を取り始めていた。
「てゐ」
「何? 鈴仙」
その中の兎の一羽が――いや一人(と言って相違ないだろう)が、別の一人に話し掛けた。
「月の使者かな?」
「さあ。まだわからないわ。私が見たのは、竹林で大きな戦いがあっていたということだけだもの」
声はあまり大きくない。
周りが騒がしいため、会話は二人だけにしか聴こえず、他は誰も聞いていない。
「強そうだった?」
鈴仙と呼ばれたほうの兎が、てゐと呼ばれたほうの兎に訊く。
「強いよ」
てゐは、断言した。
「二対一だったけど、それぞれが十二分に強そうだった。私じゃ勝てない」
「私なら?」
「…………。多分、負けると思う」
「そう」
だんだん、騒がしさが増してきた。侵攻してきているのだ。
「扉は?」
今度はてゐが訊いた。
「もうほとんど閉じ終えてる」
あと少し残ってるけどね、という鈴仙に、
「――全部閉じたら駄目だからね」
強い口調で、てゐは言った。
「……てゐ」
困ったように名を呼ぶ。
「姫や永琳様は見失っているけど、ううん、本当は鈴仙を狙っているんだから」
「でも、てゐ」
なんとか反論を試みようとする鈴仙だが、てゐはにべも無い。
「駄目。鈴仙は私の言うとおりにしていればいいの」
大丈夫だから、とてゐは鈴仙を説得する。
「…………わかった」
しぶしぶ鈴仙は首を縦に振った。
一際、屋敷が騒がしくなった。
もうすぐ、侵入者がやってくる。
「てゐ、無理だけは」
するな、という言葉を遮り、てゐは力強く笑って言った。
「私を誰だと思ってるの」
激しい音が響きだす。もう時間だ。
鈴仙は扉を閉じなければならず、てゐは迎撃に向かわなければならない。
心配そうに見送る鈴仙にてゐは、
「――――――」
屋敷の廊下に弾幕が散る。
侵入者は二人。
一人は妖怪、もう一人は人間。
珍しい組み合わせだと思い、まずいな、とてゐは思考する。
――人間を幸運にする程度の能力。
不確定要素が強いとはいえ、相手が悪い。
できれば早々に切り上げたい。
(けれど……)
相手は二人。少し、時間をかけなくてはいけない。
相手は強い。少し、無茶をしなくてはいけない。
(――――くぅっ!)
痛い。怪我なんていつ振りだろう。
怪我はまずい。傷口からばい菌が入るのを考えると怖気が走る。
「でも……」
今は、耐える。
痛みに耐えながら退く。
急げ。後発の兎たちもあまりもたない。
急ぐ。急ぎながら、少し周りを見る。
扉はきちんと閉じられていた。鈴仙も仕事をしたようだ。
(なら、私も私の仕事をきちんとする)
笑顔を、浮かべる。
どこかで見ているはずの鈴仙の心配を吹き飛ばすぐらいの笑みを。
一つ、閉じ忘れている扉を見つけた。
いや、思ったより侵入者が早かったのだ。
(馬鹿鈴仙――)
計画には無い扉だ。少しだけ苦笑する。慌てている鈴仙が目に浮かぶ。
もう時間はない。極力そちらから注意を逸らさせるように立ち振る舞うしかない。
(私の専売特許ね)
一世一代の大仕事。
多少の寿命は仕様があるまい。
懐から一枚のスペルカードを出し、力を込める。
――――変化。
「遅かったわね」
鈴仙の姿を借り、告げた。
「全ての扉は封印したわ。もう、姫は連れ出せないでしょう?」
できないはずはない。封印は未完成だ。馬鹿鈴仙。
本物の鈴仙はどこかで私と侵入者たちを必ず見ている。きっとはらはらしながら。
失敗されては困る、と私は思った。
私が変化で真似できるのは上辺だけ。狂気の術は鈴仙にしかできない。
「――任せたわ」
永琳様が現われて、そして去っていく。
永琳様は気づいたのだろうか。きっと気づいているのだろう。
永琳様の頭脳はずば抜けている。彼女は天才だ。
察した上で、ウドンゲと呼び、あとを任せた。
(いや、永琳様だって騙されたんだ)
だって演技は完璧。
完璧でないはずがない。私は鈴仙を良く知っている。
いや、もはや演技ですらない。私は鈴仙なのだ。
(…………――――)
もう一度だけ、てゐとして、最後の台詞を心の中で繰り返した。
それだけで力がみなぎる。
病は気から、その逆もしかり。
私は、――狂気の月の兎、レイセン。
私の眼を見て、狂うがいいわ。
幕が上がった。
分かっていても続きが気になってしまいます。
結構新鮮な設定で、よかったです。
馬鹿鈴仙、はらはらしながら。 おぉ、柱の陰にいる鈴仙が見えてくる。
貴方様の書き方。 とても惹かれます。
あぁ、長編書いてくれないかなぁ、とか期待。
相変わらずのセンスの光る文章に脱帽です。
しかしこのてゐはカッコイイなぁ…。