――ーこの作品は、作品集10の「博麗伝綺――うぶめの事(1)の続きとなっております。
1を読まなくとも理解は出来ると思いますが、一応読んでおくと理解の幅が広がる……と思うのですがどうでしょう。
そんなこんなで、博麗伝綺うぶめの事、第二話をどうぞ―――
「うぶめ?」
昼下がりの博麗神社。
境内を箒で掃いていた霊夢は、縁側に座る魔理沙の言った妖怪の名前を、怪訝そうな表情で聞き返した。
「そう、うぶめ。知ってるだろ? 百物語評判」
「まぁ、一応はね。子供をさらう妖怪、だっけ?」
霊夢の言葉に、魔理沙は「だぜ」と笑みを浮かべながら頷く。
――産の上にて身まかりたりし女、其の執心此のものとなれり―――
歌うように呟くと、魔理沙は湯呑みを傾け、残った茶を一気に飲み干す。
「そういえば、今日は霖之助さんは?」
「仕入れだと。相変わらず使えもしない代物ばっかり集めてるぜ」
「……あんたも人の事言えないでしょうに」
霊夢にしてみれば、使えない代物を集めているという点では魔理沙も霖之助も同類である。
「まぁ、どうでも良いわ……。で、うぶめがどうしたって?」
「まぁ、どうでも良いぜ。で、うぶめが出てるって話だぜ? もう何人も子供が居なくなってるんだそうだ」
「へぇ……初耳だわ」
「まぁ、ここ数日で急に出てきたみたいだからな」
知らなくても当然だ、と魔理沙は言うと、一度縁側から茶の間に下がる。戻ってくると、魔理沙の手には茶菓子の乗った皿が握られていた。
「食べるか? まぁ、安い茶菓子だけど」
「待て。何で魔理沙がウチの茶菓子の在り処を知ってるのよ」
「蛇の道は蛇、って言うだろ?」
「いや、意味が違うし……。まぁ良いわ……うぶめの事、もう少し詳しく聞かせて頂戴」
魔理沙が差し出した茶菓子をひとつ摘むと、霊夢は箒を持ったまま縁側の魔理沙の隣に腰を下ろした。既に掃除の続きをやる気は無いようである。
「詳しく―――って言われてもな……。解ってるのは、居なくなったのは子供ばかり十人近く。誰一人として見つかってないって事。そして誰もさらわれる瞬間を見てない、って事くらいか?」
「……殆ど何にも解ってないって事だけは解ったわ……」
呆れながらの霊夢の言葉に、魔理沙は「妖怪のやる事だしな」と歯を見せて笑った。
「でもそれで何でうぶめの仕業だ、って解ったわけ?」
「ん? あぁ、どうも、居なくなった子供は皆親無しらしいぜ?」
「あぁ、成る程、だからうぶめなわけね?」
納得したように霊夢が頷く。
うぶめには、さらった子供を自分の子として育てるという性格がある。そして、うぶめに育てられた子供は、強力や神通力を授かり、やがて長じて“鬼”や“天狗”――即ち、妖怪に変ずるという。そもそも、うぶめという妖怪自体、元々は産婦の死後変じたモノ――つまり元々は人間なのだ。“うぶめ”という名前も、元々は“産む女”が変じたモノである。
――因みに、似たような妖怪に“姑獲鳥”、というものが居るが、これは始めからの妖怪であり、“うぶめ”とは似て非なるものである。
「まぁ、親無し子を育てるのは良い事かも知れないけど……。これ以上人妖のバランスが崩れるのは困るわね。面倒だけど、うぶめ退治と行きますか」
「斬りつけてみたら只の五位鷺だった――なんてオチだったりしてな?」
「……笑えないわよ、それ」
とある古典をもじってみせた魔理沙の言葉に、霊夢は思わず苦笑を浮かべる。
「-―――うぶめが出たって事は、何処かで母親が死んだ、って事なのよね―――」
いつもの妖怪退治に使う道具を準備しながら、霊夢はふと呟いて見せた。
「子供を、捜してるだけなんだろうけどね―――」
その気持ちは解らないでもない。
不意に聞こえた、鳥の鳴き声が、霊夢には子供を呼ぶ母親の泣き声のように聞こえた。
晩夏の空を、鳥が円を描きながら飛んでいる。
「あぁ、その話なら―――」
頭上を飛ぶ鳥の姿を目で追いながら、魔理沙は村人の話を聞き流していた。
何処へ行って話を聞いても、魔理沙が霊夢の所へ行く前に聞いていたものと大差ない話ばかりで、魔理沙にはあまり関心が無かったのだ。
「ワシらがあの子を見捨てなければ、或いはこんな事にはならなかったのかも知れんなぁ……」
村の老人は、悔やむようにそう言う。
老人の言う、あの子とは、この村でうぶめにさらわれた子供の事だ。
母親が子供を連れて親子心中をしようとしたが、子供だけ生き残り、だれも引き取り手が居ないまま、うぶめにさらわれたのだと言う。
「それで子供もろとも死んだんじゃ、元も子も無いんじゃない?」
霊夢の言葉に、老人は言葉を無くす。
「食べ物が無いんだもの、仕方ないわよ」
霊夢の言葉は、正しくもありまた間違ってもいる。
だが、こと“生存”という意味で考えれば霊夢の言葉の方が正しいのかも知れない、と魔理沙は思う。或いは、“優しさ”というものは、生き物にとって害でしか無いのかも知れない、何となく魔理沙はそんな事を思った。生き物の存在理由を、“自己の生存”ただ一点に絞るのであれば、であるが。
「あんたらは誰も悪くないさ」
老人を慰めるわけでもなく、魔理沙は小さく呟いた。
「そうさ、悪いのは、子供を連れて死のうとしやがった母親さ―――」
吐き捨てるように言うと、魔理沙はトレードマークの黒い帽子を目深に被る。帽子のつばに隠れて、そのときの魔理沙がどんな顔をしているのか、霊夢には見る事が出来なかった。ただ、その口ぶりから、怒っているような、悲しんでいるような、そんな曖昧模糊とした感情だけは読み取る事が出来た。
家―――むしろ“家族”と言うものを捨てた魔理沙だからこそ、家族と言うものにある種の“羨望”のようなモノがあるのかも知れない。それ故に子供と共に心中しようとした親に対して怒り―――或いは、悲しみ―――を抱いたのか。
「魔理―――」
「次、行こうぜ」
「え? あ、あぁ、そうね」
振り返って見せた魔理沙の顔には、いつもどおりの少年のような笑みが刻まれていた。
……今、自分は何を言おうとしていたのだろう?
老人に礼を言い、先を歩く魔理沙の後を追いかけながら、そんな事を思う。
考えてみれば、霊夢は魔理沙が家を捨てた理由を知らない。
興味が無いと言ってしまえばそれだけだが、魔理沙が自分から家の事を話題にする事も無い事から、相当嫌っているのかも知れないという予想だけは立つ。
……まぁ、私には一生解らないかも知れないわね。
内心で小さく溜息をつき、小走りで魔理沙の横に並ぶと、鬼ごっこでもしているのか、笑いながら駆け回る子供達の姿が目に入った。
「呑気なもんだぜ」
その光景を見ながら、魔理沙が呟く。呆れているような口ぶりだが、その表情はわずかに笑みを浮かべていた。
「魔理沙も、ああやって遊んだのかしら?」
何気ない霊夢の問いに、魔理沙は「さてね」と答えをはぐらかした。
そこでふと思い出す。
魔理沙の家――つまり霧雨家とは、幻想郷の中でも強い力を持った魔法使いの家系であり、今でも何人もの弟子を取っているのだという。知り合いの古道具屋の主人も、かつては霧雨の家に弟子入りしていたらしい。
そんな家の子供では、そうそう同い年の子供と遊ぶような機会は無かったのかもしれない。 魔理沙が家を捨てた理由も、或いはその辺りにあるのか。尤も、幼い頃の彼女を知らない霊夢には、想像のしようが無いが。
ヒトが家を縛り付けているのか。
家がヒトを縛り付けているのか。
どちらにせよ、家―――-或いは家族―――とは一種の“呪”なのかも知れない。
そんな事を考えながら、ぼんやりと子供達の戯れを眺めていると、そのうちの一人の子供が「かあさま」と言いながら一人の女性の傍に駆け寄るのが見えた。どうやら母親が迎えに来たようだ。
母と呼ばれた女性は、自分の子と遊んでいた子供達に礼を言うと、子供を抱き上げ、踵を返す。
「あれ、おかしいな」
微笑ましいその光景に、異議を唱える声が不意に背後から聞こえる。
「あの子の母親は、一昨日死んだ筈なんだけど」
「え?!」
驚いて振り返った二人に、村人はぎょっとした表情で「あ、あの子の母親は三日前に子供を連れてそこの崖から飛び降りたんだ」と説明した。「まともに喋れ無くて、それを果敢無んで死のうとしたって話だ」
村人の話が終わるか否かというところで、再び視線を子供達の方に戻した二人だったが、まるで始めからそんな女性など居なかったかのように、女も、そして子供の姿も忽然と消えていた。
「やられた!」
図らずも二人の叫びが重なる。妖気も何も感じなかった。否、うぶめとは元来人間であるから、妖気が無いのは当然と言えば当然なのだが。
「目の前でやられるなんて……腹立つわ。絶対叩きのめしてやる」
さり気なく物騒な事を言いながら、霊夢は近くの井戸の淵に腰を下ろす。
「……って、魔理沙、さっきから何考えてるの?」
「あ? いや、少し気になる事があって……」
腕を組んで何かを思案している様子だった魔理沙は、不意に顔を上げると、さらわれた子供の事を説明してくれた村人に、「なぁ」と声をかけた。
「さっきの子供は、まともに喋れない……んだったよな?」
「あ? あ、あぁ。そうだが」
「この前さらわれた子供って、どう言う子供だったんだ?」
唐突な魔理沙の問いに、村人は少し面食らったようだったが、すぐに答えは返ってきた。
「生まれつき足が悪くてなぁ。こう、膝から先にいきなり足があったんだったかな、確か。親も、大人になって苦労する前に一緒に死にたかったんだろうな」
この幻想郷で『歩けない』というのは、確実に致命的な欠損である。妖怪に襲われても逃げる事が出来ない。そもそも歩けなければ農作業も出来ない、どこかに奉公に出す事も出来ない、文字通り『無駄飯食らい』である。母親としては、そうなる前にいっそ―――、という事だろうか。
村人の話を聞き終えた魔理沙は、「ふむ」と小さく呟くとまた腕を組み思案にふける。そんな魔理沙の様子に、村人と霊夢は顔を見合わせると同時に小さく首をかしげた。
……何かが見えてきたぜ。
思案にふけりながら、魔理沙はそんな事を思う。
あとほんの少しでこの事件の全容が見えてくる、そんな予感がある。
例えるならそれは、完全な絵画。
まるでそれらが、始めからそうあるべきだと言わんばかりに、全てが全てに繋がり、危ういながらしかし、美しく完成したバランスの上に成り立っている絵画。そんなイメージ。
尤も、何が欠けているのか、魔理沙にはまだ解っていないのだが。
居なくなった子供達。
事件の起こり始めた時期。
母親という生き物。
その全てが、魔理沙の中でゆっくりと形になってゆく。
……ま、こういう事は魔理沙の仕事よね。
ぶつぶつと何か呟いている魔理沙の姿を眺めながら、霊夢はそんな事を思う。
こういう頭脳労働は、どちらかといえば霊夢より魔理沙の方が得意だった。
全て“勘”で何とかなってしまう霊夢は、はっきり言ってしまえば“思考”をする必要が無い。今までの事件―――朱い霧の事件も、終わらない冬の事件も、全て“適当に飛んでいて”その末解決してきたようなモノだ。
そう言う意味で、霊夢は完全にヒトのレベルを超えていると言えたかも知れない。
しかし、魔理沙の場合はそうはいかない。情報を集め、それを整理し、思考する。それが普通の人間が事件を解決する方法なのだ。……それでいて霊夢の解決速度に匹敵出来るのだから、魔理沙の思考速度も、またヒトのレベルを超えていると言えるのかも知れないが。
そのどちらが良いのか、霊夢には判らないし、考える気も無い。
直感で動く霊夢と、理論に拠る魔理沙。
この二人が組んでいるからこそ、どんな事件も解決できるのだと霊夢は思う。恥ずかしすぎて言えたものではないが。
直感と理論は相容れないのではなく、双方が双方を支えるモノなのだ。
相反するモノが二つに分かれたのは、敵対するためではなく、様々な可能性を内包出来るからだ。
そう言ったのは香霖堂の主だっただろうか?
世界の全ては繋がっている。
魔理沙の、その図抜けた思考は、この事件群に一体どのような繋がりを見つけたというのだろう。
「さて、行ってみようぜ」
顔を上げると口の端に笑みを浮かべ、魔理沙は愛用の箒を片手に霊夢にそう言った。
何処に行くのかという霊夢の問いに、魔理沙はただ一言だけ答えた。
「うぶめの家、さ」
1を読まなくとも理解は出来ると思いますが、一応読んでおくと理解の幅が広がる……と思うのですがどうでしょう。
そんなこんなで、博麗伝綺うぶめの事、第二話をどうぞ―――
「うぶめ?」
昼下がりの博麗神社。
境内を箒で掃いていた霊夢は、縁側に座る魔理沙の言った妖怪の名前を、怪訝そうな表情で聞き返した。
「そう、うぶめ。知ってるだろ? 百物語評判」
「まぁ、一応はね。子供をさらう妖怪、だっけ?」
霊夢の言葉に、魔理沙は「だぜ」と笑みを浮かべながら頷く。
――産の上にて身まかりたりし女、其の執心此のものとなれり―――
歌うように呟くと、魔理沙は湯呑みを傾け、残った茶を一気に飲み干す。
「そういえば、今日は霖之助さんは?」
「仕入れだと。相変わらず使えもしない代物ばっかり集めてるぜ」
「……あんたも人の事言えないでしょうに」
霊夢にしてみれば、使えない代物を集めているという点では魔理沙も霖之助も同類である。
「まぁ、どうでも良いわ……。で、うぶめがどうしたって?」
「まぁ、どうでも良いぜ。で、うぶめが出てるって話だぜ? もう何人も子供が居なくなってるんだそうだ」
「へぇ……初耳だわ」
「まぁ、ここ数日で急に出てきたみたいだからな」
知らなくても当然だ、と魔理沙は言うと、一度縁側から茶の間に下がる。戻ってくると、魔理沙の手には茶菓子の乗った皿が握られていた。
「食べるか? まぁ、安い茶菓子だけど」
「待て。何で魔理沙がウチの茶菓子の在り処を知ってるのよ」
「蛇の道は蛇、って言うだろ?」
「いや、意味が違うし……。まぁ良いわ……うぶめの事、もう少し詳しく聞かせて頂戴」
魔理沙が差し出した茶菓子をひとつ摘むと、霊夢は箒を持ったまま縁側の魔理沙の隣に腰を下ろした。既に掃除の続きをやる気は無いようである。
「詳しく―――って言われてもな……。解ってるのは、居なくなったのは子供ばかり十人近く。誰一人として見つかってないって事。そして誰もさらわれる瞬間を見てない、って事くらいか?」
「……殆ど何にも解ってないって事だけは解ったわ……」
呆れながらの霊夢の言葉に、魔理沙は「妖怪のやる事だしな」と歯を見せて笑った。
「でもそれで何でうぶめの仕業だ、って解ったわけ?」
「ん? あぁ、どうも、居なくなった子供は皆親無しらしいぜ?」
「あぁ、成る程、だからうぶめなわけね?」
納得したように霊夢が頷く。
うぶめには、さらった子供を自分の子として育てるという性格がある。そして、うぶめに育てられた子供は、強力や神通力を授かり、やがて長じて“鬼”や“天狗”――即ち、妖怪に変ずるという。そもそも、うぶめという妖怪自体、元々は産婦の死後変じたモノ――つまり元々は人間なのだ。“うぶめ”という名前も、元々は“産む女”が変じたモノである。
――因みに、似たような妖怪に“姑獲鳥”、というものが居るが、これは始めからの妖怪であり、“うぶめ”とは似て非なるものである。
「まぁ、親無し子を育てるのは良い事かも知れないけど……。これ以上人妖のバランスが崩れるのは困るわね。面倒だけど、うぶめ退治と行きますか」
「斬りつけてみたら只の五位鷺だった――なんてオチだったりしてな?」
「……笑えないわよ、それ」
とある古典をもじってみせた魔理沙の言葉に、霊夢は思わず苦笑を浮かべる。
「-―――うぶめが出たって事は、何処かで母親が死んだ、って事なのよね―――」
いつもの妖怪退治に使う道具を準備しながら、霊夢はふと呟いて見せた。
「子供を、捜してるだけなんだろうけどね―――」
その気持ちは解らないでもない。
不意に聞こえた、鳥の鳴き声が、霊夢には子供を呼ぶ母親の泣き声のように聞こえた。
晩夏の空を、鳥が円を描きながら飛んでいる。
「あぁ、その話なら―――」
頭上を飛ぶ鳥の姿を目で追いながら、魔理沙は村人の話を聞き流していた。
何処へ行って話を聞いても、魔理沙が霊夢の所へ行く前に聞いていたものと大差ない話ばかりで、魔理沙にはあまり関心が無かったのだ。
「ワシらがあの子を見捨てなければ、或いはこんな事にはならなかったのかも知れんなぁ……」
村の老人は、悔やむようにそう言う。
老人の言う、あの子とは、この村でうぶめにさらわれた子供の事だ。
母親が子供を連れて親子心中をしようとしたが、子供だけ生き残り、だれも引き取り手が居ないまま、うぶめにさらわれたのだと言う。
「それで子供もろとも死んだんじゃ、元も子も無いんじゃない?」
霊夢の言葉に、老人は言葉を無くす。
「食べ物が無いんだもの、仕方ないわよ」
霊夢の言葉は、正しくもありまた間違ってもいる。
だが、こと“生存”という意味で考えれば霊夢の言葉の方が正しいのかも知れない、と魔理沙は思う。或いは、“優しさ”というものは、生き物にとって害でしか無いのかも知れない、何となく魔理沙はそんな事を思った。生き物の存在理由を、“自己の生存”ただ一点に絞るのであれば、であるが。
「あんたらは誰も悪くないさ」
老人を慰めるわけでもなく、魔理沙は小さく呟いた。
「そうさ、悪いのは、子供を連れて死のうとしやがった母親さ―――」
吐き捨てるように言うと、魔理沙はトレードマークの黒い帽子を目深に被る。帽子のつばに隠れて、そのときの魔理沙がどんな顔をしているのか、霊夢には見る事が出来なかった。ただ、その口ぶりから、怒っているような、悲しんでいるような、そんな曖昧模糊とした感情だけは読み取る事が出来た。
家―――むしろ“家族”と言うものを捨てた魔理沙だからこそ、家族と言うものにある種の“羨望”のようなモノがあるのかも知れない。それ故に子供と共に心中しようとした親に対して怒り―――或いは、悲しみ―――を抱いたのか。
「魔理―――」
「次、行こうぜ」
「え? あ、あぁ、そうね」
振り返って見せた魔理沙の顔には、いつもどおりの少年のような笑みが刻まれていた。
……今、自分は何を言おうとしていたのだろう?
老人に礼を言い、先を歩く魔理沙の後を追いかけながら、そんな事を思う。
考えてみれば、霊夢は魔理沙が家を捨てた理由を知らない。
興味が無いと言ってしまえばそれだけだが、魔理沙が自分から家の事を話題にする事も無い事から、相当嫌っているのかも知れないという予想だけは立つ。
……まぁ、私には一生解らないかも知れないわね。
内心で小さく溜息をつき、小走りで魔理沙の横に並ぶと、鬼ごっこでもしているのか、笑いながら駆け回る子供達の姿が目に入った。
「呑気なもんだぜ」
その光景を見ながら、魔理沙が呟く。呆れているような口ぶりだが、その表情はわずかに笑みを浮かべていた。
「魔理沙も、ああやって遊んだのかしら?」
何気ない霊夢の問いに、魔理沙は「さてね」と答えをはぐらかした。
そこでふと思い出す。
魔理沙の家――つまり霧雨家とは、幻想郷の中でも強い力を持った魔法使いの家系であり、今でも何人もの弟子を取っているのだという。知り合いの古道具屋の主人も、かつては霧雨の家に弟子入りしていたらしい。
そんな家の子供では、そうそう同い年の子供と遊ぶような機会は無かったのかもしれない。 魔理沙が家を捨てた理由も、或いはその辺りにあるのか。尤も、幼い頃の彼女を知らない霊夢には、想像のしようが無いが。
ヒトが家を縛り付けているのか。
家がヒトを縛り付けているのか。
どちらにせよ、家―――-或いは家族―――とは一種の“呪”なのかも知れない。
そんな事を考えながら、ぼんやりと子供達の戯れを眺めていると、そのうちの一人の子供が「かあさま」と言いながら一人の女性の傍に駆け寄るのが見えた。どうやら母親が迎えに来たようだ。
母と呼ばれた女性は、自分の子と遊んでいた子供達に礼を言うと、子供を抱き上げ、踵を返す。
「あれ、おかしいな」
微笑ましいその光景に、異議を唱える声が不意に背後から聞こえる。
「あの子の母親は、一昨日死んだ筈なんだけど」
「え?!」
驚いて振り返った二人に、村人はぎょっとした表情で「あ、あの子の母親は三日前に子供を連れてそこの崖から飛び降りたんだ」と説明した。「まともに喋れ無くて、それを果敢無んで死のうとしたって話だ」
村人の話が終わるか否かというところで、再び視線を子供達の方に戻した二人だったが、まるで始めからそんな女性など居なかったかのように、女も、そして子供の姿も忽然と消えていた。
「やられた!」
図らずも二人の叫びが重なる。妖気も何も感じなかった。否、うぶめとは元来人間であるから、妖気が無いのは当然と言えば当然なのだが。
「目の前でやられるなんて……腹立つわ。絶対叩きのめしてやる」
さり気なく物騒な事を言いながら、霊夢は近くの井戸の淵に腰を下ろす。
「……って、魔理沙、さっきから何考えてるの?」
「あ? いや、少し気になる事があって……」
腕を組んで何かを思案している様子だった魔理沙は、不意に顔を上げると、さらわれた子供の事を説明してくれた村人に、「なぁ」と声をかけた。
「さっきの子供は、まともに喋れない……んだったよな?」
「あ? あ、あぁ。そうだが」
「この前さらわれた子供って、どう言う子供だったんだ?」
唐突な魔理沙の問いに、村人は少し面食らったようだったが、すぐに答えは返ってきた。
「生まれつき足が悪くてなぁ。こう、膝から先にいきなり足があったんだったかな、確か。親も、大人になって苦労する前に一緒に死にたかったんだろうな」
この幻想郷で『歩けない』というのは、確実に致命的な欠損である。妖怪に襲われても逃げる事が出来ない。そもそも歩けなければ農作業も出来ない、どこかに奉公に出す事も出来ない、文字通り『無駄飯食らい』である。母親としては、そうなる前にいっそ―――、という事だろうか。
村人の話を聞き終えた魔理沙は、「ふむ」と小さく呟くとまた腕を組み思案にふける。そんな魔理沙の様子に、村人と霊夢は顔を見合わせると同時に小さく首をかしげた。
……何かが見えてきたぜ。
思案にふけりながら、魔理沙はそんな事を思う。
あとほんの少しでこの事件の全容が見えてくる、そんな予感がある。
例えるならそれは、完全な絵画。
まるでそれらが、始めからそうあるべきだと言わんばかりに、全てが全てに繋がり、危ういながらしかし、美しく完成したバランスの上に成り立っている絵画。そんなイメージ。
尤も、何が欠けているのか、魔理沙にはまだ解っていないのだが。
居なくなった子供達。
事件の起こり始めた時期。
母親という生き物。
その全てが、魔理沙の中でゆっくりと形になってゆく。
……ま、こういう事は魔理沙の仕事よね。
ぶつぶつと何か呟いている魔理沙の姿を眺めながら、霊夢はそんな事を思う。
こういう頭脳労働は、どちらかといえば霊夢より魔理沙の方が得意だった。
全て“勘”で何とかなってしまう霊夢は、はっきり言ってしまえば“思考”をする必要が無い。今までの事件―――朱い霧の事件も、終わらない冬の事件も、全て“適当に飛んでいて”その末解決してきたようなモノだ。
そう言う意味で、霊夢は完全にヒトのレベルを超えていると言えたかも知れない。
しかし、魔理沙の場合はそうはいかない。情報を集め、それを整理し、思考する。それが普通の人間が事件を解決する方法なのだ。……それでいて霊夢の解決速度に匹敵出来るのだから、魔理沙の思考速度も、またヒトのレベルを超えていると言えるのかも知れないが。
そのどちらが良いのか、霊夢には判らないし、考える気も無い。
直感で動く霊夢と、理論に拠る魔理沙。
この二人が組んでいるからこそ、どんな事件も解決できるのだと霊夢は思う。恥ずかしすぎて言えたものではないが。
直感と理論は相容れないのではなく、双方が双方を支えるモノなのだ。
相反するモノが二つに分かれたのは、敵対するためではなく、様々な可能性を内包出来るからだ。
そう言ったのは香霖堂の主だっただろうか?
世界の全ては繋がっている。
魔理沙の、その図抜けた思考は、この事件群に一体どのような繋がりを見つけたというのだろう。
「さて、行ってみようぜ」
顔を上げると口の端に笑みを浮かべ、魔理沙は愛用の箒を片手に霊夢にそう言った。
何処に行くのかという霊夢の問いに、魔理沙はただ一言だけ答えた。
「うぶめの家、さ」