風邪をひいた。
「不覚だ・・・」
誰に聞かせるでもなく呟く。
一体何が原因だっただろう、と彼女は思い返した。
十五軒もの家の雪下ろしを、連続でしたのがまずかったのだろうか。
濡れた体を拭くのもそこそこに、里の外の見回りに出たのもいけなかったかもしれない。
ともあれ、風邪をひいたというのは覆らぬ現実である。
幸か不幸か、今日は何の予定も入ってはいない。
いや、この場合には不幸にも、か・・・
呆とした頭で、そんなことを思う。
予定さえ入っていれば、姿を見せなかった彼女の様子を見に来る者もいるだろうが、何の用もなくこんな所を訪問してくるような物好きは、まあほとんどいない。
こうなると人付き合いの薄さも考え物だ。
重ねて言うが、風邪である。
消化に良いものでも食べて、水分を摂って、たっぷり眠れば一日二日で完治するだろう。
だが今の状態で台所に立つというのは、ルナティックをボム無しノーミスクリアするくらい無茶だった。
薬箱を取りに行くのも、ここから博麗神社まで飛ばずに歩いて行くに等しい労力。
一眠りすれば気力も沸くかもしれない。
そんな希望的観測を交えつつ、上白沢慧音は再び瞳を閉じた。
ふと影が差す。
何者かの気配に、慧音は目を覚ました。
「あ、起きちゃった?」
自らをのぞき込んでそういうのは、緑色の髪をした少女、リグル・ナイトバグだった。
「・・・何をしに来た?」
「うわぁご挨拶ね」
せっかく様子を見に来てあげたのに、と力無く呟く彼女に言葉を返す。
リグルは、慧音にとっても、里の者にとっても、親しい隣人だった。
というのも、彼女は人を襲わないのだ。妖怪にも関わらず、人を食べないのである。
リグルの主食は水。甘い水などあろうものならそっちによっていくくらいだ。
また、彼女は自分の存在意義を、光っている様を誰かに見てもらうことよ、と公言してはばからない。たまに里に下りてきては瞬き、蛍狩りを堪能させてくれるエンターテイナーなのである。
光る蛍を見て喜ばない輩にちょっかいを出す、というのは例外中の例外。
「・・・何故?」
「『蟲』の知らせってやつ?」
慧音の問いかけに、彼女はにっこりと笑ってみせた。
「これは完全無欠に風邪ね」
彼女の額に手をやり、リグルはうんうんと頷く。
「さあ、何かしてもらいたいことを言うといいよ」
「誰か呼んできてくれ」
「・・・私ってそんなに信用無い?」
間髪入れない慧音の言葉に、彼女はやや傷ついたように声を落とした。
「・・・料理が出来るというのなら、こんな事はいわんがな」
うっ、と言葉を詰まらせる。
前述の通り、リグルの主食は水である。
そんな彼女にとっての料理というのは、お湯を沸かすのが精々だった。
「・・・わかったわよ。でもこれくらいはさせなさいよね」
言ってリグルは、濡れた手ぬぐいを慧音の額に乗せ、水差しを手渡す。
ひんやりとしたその感触に、彼女は思わず吐息を漏らした。
「・・・すまん」
「謝罪の言葉より、感謝の言葉が欲しいなー」
慧音の言葉に、リグルは両手を頭の後ろで組み、すっとぼけた口調でそういう。
「・・・ありがとう」
「ん」
和えかに苦笑する病人に、彼女は満足げに頷くと手を振り外へと舞い上がった。
水差しの水を飲む。
存外に喉が渇いていたようで、一度で半分以上飲み干してしまった。
ため息をついて、身を倒す。
既に昼近いというのに、慧音は再びうとうととまどろみの世界に没入していった。
盛大な音に、慧音は目を覚ました。
玄関を突き破って、転がり込むように入ってきたのはリグルと、
「いたたたたた・・・不意な訪問を失礼、慧音さん」
「永琳殿」
軽く目を見開いて、彼女は呟いた。
頭をふりふり立ち上がったのは、八意永琳その人だった。
妹紅と輝夜の関係から、永遠亭と慧音の関係が劣悪なのかというとそうでもない。
彼女らの対立は、もはや惰性に近い。というか、引くに引けなくなっているという感が強い。
双方とも、相手が何を想っているのか解ってしまっているからだ。
自分と同じ事。つまり妹紅は父を、輝夜は義理の両親を想うが故。
どちらかが折れればそれで収拾がつくのは間違いなかった。
だが二人とも気高いので・・・言い方を変えると我が強いので・・・未だにこんな諍いが続いているのだった。
永琳にしても、ことある事にかり出されることに思う所があるが、鈴仙やてゐに憤懣をぶつけるわけにもいかず、たまに慧音の居所を訪れては、お茶を飲みつつ慧音に愚痴り、酒を呑みつつ慧音に愚痴りしていた。
「・・・何故?」
本日二回目の問いかけ。
そんな彼女に永琳は、ちょいちょいと後ろを指さした。
永琳を返しなさい!
何よ、病人がいるのに医者が動かなくてどうするのよ!
永琳は私の部下!貴女の都合でどうこうされては堪らないわ!
宝の持ち腐れじゃない!そういえば好きよねあんた、宝の死蔵。
どういう意味よ!
輝夜と妹紅の喧騒。
痛い頭が更に痛くなった。こらえるようにこめかみを揉む。
そしてちらりとリグルに目を向けた。
「いや、最初は妹紅ちゃんを呼びに行ったんだけどね」
胸の前で両手をぱたぱたと振りながら、彼女は慌てて言い訳をする。
リグルが、『慧音が風邪・・・』と言いかけた時点で、妹紅は外に飛び出していってしまった。
彼女も慌てて後を追ったが、妹紅に追いついたときには、彼女は兎を蹴散らして、中兎を蹴散らして、大兎を蹴散らして永琳の首根っこをひっ掴んでいるところだった。
当然ながら輝夜と対面してしまったわけだが、妹紅はリグルに永琳を放り投げ先に行くように言い、そして二人は今に至るというわけである。外の二人も追いついたようだが。
「事情は彼女から聞いたわ。台所、借りるわね」
「へー、料理できるんだ」
永琳の言葉に、リグルは椅子に腰掛け足をぶらぶらと揺らしながら言う。
「失礼ね、薬剤師に料理は必須よ。薬膳だって調剤なんだから」
腰に手を当て、軽く睨み付ける。
ふーん、とリグルはテーブルにぺたりと頬を当てて気のない声を出す。自分が食べられないものに興味はないらしい。何とも正直だ。
そんな彼女に永琳は毒気を抜かれたようだ。くるりと背を向けると台所へとはいる。
今日こそ決着を付けてあげるわ!目にも見なさいこの新スペル!
どうせ輝夜ビームとかでしょ、センス無いのよあんたのスペル名!
貴女に難癖付けられる筋合いはないわ!なによ虚人ウーってふざけてるの?
あんたこそ永夜返しすぎなのよ!どこぞの春マニア幽霊の桜の咲き加減のパクリじゃないの!
外野はエスカレートしてきているようだ。
当初の目的を覚えているかどうか怪しい。特に妹紅。
内野は静かなものだ。
慧音は横になったままだし、リグルは台所で料理をしている永琳の背中をぼんやりと眺めている。
米櫃を開けた音がしたから、おそらくお粥でも作っているのだろう。
もしも台所に立っているのが魔理沙だったら、お粥を作っているにもかかわらず大鍋に緑色の液体を煮えたぎらせ、それをかき回しつつ奇怪な笑い声をあげそうな気がする。
その点永琳は安心できる人物である。
そんなことを思って慧音は胸をなで下ろした。偏見もいいところだが、そうとも言い切れないところがファンタスティック。
作業音に鼻歌が混じる。割と家庭的らしい。後ろ姿が何とも楽しげだ。
ふん、こっちには月の頭脳がいるのよ、喰らいなさい輝夜ストリーム!
変わんないじゃないのよこのトンチキー!
がしゃんと、目に見えて永琳の手元が乱れた。
「うわぁすごぉいさすがはつきのずのうー」
ものすごい棒読みで、リグルはぱちぱちと彼女の背に拍手を送る。
「わ、私は符の内容の基本案を出しただけで符名に関してはノータッチよ?ほんとよ?」
ぐるんと振り返って永琳はそんな言い訳をする。ものすごい胡散臭い。
リグルもまるで信じていない視線を送る。
そんなことをしている間にも、そのスペルは発動したようだった。爆発音が鳴り響く。
慧音としては、二人の身のことより、周辺環境の破壊が懸案だった。もの言いたげな視線をリグルに送る。
彼女の視線に、リグルはふるふると首を振った。
まあ、あの二人の弾幕ごっこに割ってはいるのは出来る限り遠慮したい。
そもそも服のセンスが悪いのよ!今時ショルダーベルトとかあり得ないわ!
和服にスカートとか意味不明な格好のくせに人の装いに文句付ける気!
だいたいリボン付け過ぎなのよばーかばーか段々リボンー
むあー超絶没個性女がなにいいやがるか!
外の舌戦の低年齢化が進行してきた。
それを聞いて、
「実はあの二人って仲いいんじゃないの?」
とリグルは呟いた。
永琳は聞いていない振りをし、慧音は顔を背けた。
そっちがその気ならこうしてくれるわ!逝きなさいモコスペシャル!
うわーいつの間にか背後に回られて万歳のポーズで腕を固められてあまつさえ足をロックされたうわ痛い痛い派手に痛い!
なんか肉弾戦に移行したようだ。ボキ、ゴキン、という生々しくも鈍い音が響く。
な、これから抜け出すなんて?!
骨さえ折れてしまえばこちらのものよ!決着をつけてあげるわ!光に還りなさい!
上等、返り討ちよ!消し炭にしてあげる!
骨が折れた時点で普通は駄目なんじゃ、などというきわめてノーマルな感想がリグルの脳裏をよぎったが、そんな彼女の思いとは別に、外では一際大きな爆発音が響き渡った。
そして静寂。
「お待ちどうさま」
にこやかに言うのは永琳。
その手にはほかほかと湯気を上げる椀と、薬味をのせた盆が携えられている。
「ああ、かたじけない」
「テイクばかりだったし、これくらいはさせてもらわないと、ね」
半身を起こして言う慧音に、彼女は苦笑しつつ言う。
「ねえ外」
「よければ食べさせてあげるけど」
「それは固辞させていただこう」
「なんか静かになっちゃったけど」
「連れないのね」
「その手の対応は、私としては飽和状態なのだが」
「ねえ」
「ん、美味い」
「それはなにより」
「おーい」
「塩が三粒か」
「よくわかるわね」
「そんなネタ誰もわかんないよ!ていうか聞いてよ!」
大きくなったリグルの声に、知識人二人はようやくそちらに反応した。
「なんだ」
「うわ淡泊」
慧音のリアクションに、彼女は思わずうめいた。
「ああ、そうか。貴女は知らないのね」
合点がいったとばかりに、永琳が頷く。
何が?といわんばかりのはてな顔のリグルに慧音が言う。
「あの二人なら放っておいても大丈夫だ。ほら」
匙で戸をさす。
たたき壊さんばかりの勢いでそれが開かれた。
「永琳、帰るわよ!」
うわぁ、とリグルは驚きの声をあげる。
「慧音、大丈夫?!」
ひぇぇ、とリグルは悲鳴をあげる。
輝夜と妹紅がそこにいた。
だがリグルにしてみれば、それが本当に輝夜と妹紅なのか、確信が持てなかった。
輝夜は、輝夜というよりも炭だった。声がなければ誰だか知れたものではない。
妹紅は・・・名状しがたい有り様だった。何というか、妖怪に喰われかけた人のような、えらくスプラッタな惨状だ。大丈夫かどうか、こちらが訊きたい。
「邪魔よ炭」
「誰が炭よ、猟奇殺人死体」
「暖炉にくべてあげよっか?」
「今すぐ土葬してあげるわよ?」
「お二人とも、病人の前です。荒事はお控え下さい」
腰に手を当て、静かながら抗いがたい口調で言う永琳に、炭と猟奇殺人死体はう、と声を詰まらせた。
「作り置きしておいたから、温めて食べてね」
振り向き、今度は柔らかな口調で彼女は慧音にそう付け足す。
「ありがたい、助かる」
礼を言う彼女に、永琳は頷くと、
「では戻りましょう、姫様」
「・・・そうね。決着は預けておくわ。短い余生を精々楽しみなさい」
鼻で軽く笑い、それだけ言い残すと、輝夜は従者を連れ空へと舞い上がった。
その背に妹紅はお行儀悪く中指を立てる。
振り向いた彼女を見て、リグルは目を丸くした。まあ、ずたぼろだった体がもう真っ新になっているのだから無理もない。
「それで大丈夫なの?慧音」
一転して心配そうに表情を曇らせる妹紅に、
「ああ、大事ない」
慧音は安心させるように微笑む。
そんな彼女の額に妹紅は手をあて、眉をひそめた。
「まだ熱があるじゃない。駄目よ横になってなくちゃ」
言って彼女は慧音の手から椀と匙を取り上げると、無理矢理上掛けをかける。
「うわっ、も、妹紅?」
「はい、あーん」
お粥を一匙掬うと、慧音の口元に運ぶ。
「いや、自分で食べられるから」
「あーん」
「本当に大丈夫だから」
「あーん」
「あー、妹紅?」
「あーん」
「・・・・・・」
「あーん」
引く気はないようだった。
彼女はリグルに視線で助けを求める。
その視線に彼女はにやりと笑い、
「じゃ、私は帰るわね。里の見回りは私がしておいてあげるから、安心して養生しなさい」
言って立ち上がる。
恨めしげな慧音を楽しげに見やり、
「ごゆっくり」
と言い残すと、リグルの姿は戸から消えた。
視線を戻す。
にこにこと匙を構える妹紅が見えた。
観念して口を開く。
そんな慧音に、それは嬉しそうに彼女は給仕する。
むぐむぐと粥を咀嚼した彼女の口元に、妹紅は再び粥を運ぶ。
「妹紅・・・」
弱り果てたように、慧音は情けない声をあげた。
「いいじゃない」
そんな彼女に、妹紅は唇を尖らす。
「こんな時くらい、私に面倒みさせなさいよ」
彼女の言葉に、慧音は脱力した。身が沈む。
そして彼女は、口の端に笑みを浮かべた。
慧音の様子に、妹紅は首を傾げる。
「どうしたの?」
「いや・・・」
慧音はかすかに首を振り、
「そういえば、なんだか体調が悪くなった。匙も持てそうにない。食べさせてくれるか、妹紅?」
彼女の言葉に、妹紅はきょとんとした表情を浮かべる。
ややあって、それがぱっと明るく輝いた。
「うん!」
「じゃあ次は体拭くね」
「いやそれは本当にいい」
・・・翌日、慧音の風邪は嘘のように治り、何故か妹紅が風邪をひいていた。昨晩何があったかは、永遠の謎とされている。
「不覚だ・・・」
誰に聞かせるでもなく呟く。
一体何が原因だっただろう、と彼女は思い返した。
十五軒もの家の雪下ろしを、連続でしたのがまずかったのだろうか。
濡れた体を拭くのもそこそこに、里の外の見回りに出たのもいけなかったかもしれない。
ともあれ、風邪をひいたというのは覆らぬ現実である。
幸か不幸か、今日は何の予定も入ってはいない。
いや、この場合には不幸にも、か・・・
呆とした頭で、そんなことを思う。
予定さえ入っていれば、姿を見せなかった彼女の様子を見に来る者もいるだろうが、何の用もなくこんな所を訪問してくるような物好きは、まあほとんどいない。
こうなると人付き合いの薄さも考え物だ。
重ねて言うが、風邪である。
消化に良いものでも食べて、水分を摂って、たっぷり眠れば一日二日で完治するだろう。
だが今の状態で台所に立つというのは、ルナティックをボム無しノーミスクリアするくらい無茶だった。
薬箱を取りに行くのも、ここから博麗神社まで飛ばずに歩いて行くに等しい労力。
一眠りすれば気力も沸くかもしれない。
そんな希望的観測を交えつつ、上白沢慧音は再び瞳を閉じた。
ふと影が差す。
何者かの気配に、慧音は目を覚ました。
「あ、起きちゃった?」
自らをのぞき込んでそういうのは、緑色の髪をした少女、リグル・ナイトバグだった。
「・・・何をしに来た?」
「うわぁご挨拶ね」
せっかく様子を見に来てあげたのに、と力無く呟く彼女に言葉を返す。
リグルは、慧音にとっても、里の者にとっても、親しい隣人だった。
というのも、彼女は人を襲わないのだ。妖怪にも関わらず、人を食べないのである。
リグルの主食は水。甘い水などあろうものならそっちによっていくくらいだ。
また、彼女は自分の存在意義を、光っている様を誰かに見てもらうことよ、と公言してはばからない。たまに里に下りてきては瞬き、蛍狩りを堪能させてくれるエンターテイナーなのである。
光る蛍を見て喜ばない輩にちょっかいを出す、というのは例外中の例外。
「・・・何故?」
「『蟲』の知らせってやつ?」
慧音の問いかけに、彼女はにっこりと笑ってみせた。
「これは完全無欠に風邪ね」
彼女の額に手をやり、リグルはうんうんと頷く。
「さあ、何かしてもらいたいことを言うといいよ」
「誰か呼んできてくれ」
「・・・私ってそんなに信用無い?」
間髪入れない慧音の言葉に、彼女はやや傷ついたように声を落とした。
「・・・料理が出来るというのなら、こんな事はいわんがな」
うっ、と言葉を詰まらせる。
前述の通り、リグルの主食は水である。
そんな彼女にとっての料理というのは、お湯を沸かすのが精々だった。
「・・・わかったわよ。でもこれくらいはさせなさいよね」
言ってリグルは、濡れた手ぬぐいを慧音の額に乗せ、水差しを手渡す。
ひんやりとしたその感触に、彼女は思わず吐息を漏らした。
「・・・すまん」
「謝罪の言葉より、感謝の言葉が欲しいなー」
慧音の言葉に、リグルは両手を頭の後ろで組み、すっとぼけた口調でそういう。
「・・・ありがとう」
「ん」
和えかに苦笑する病人に、彼女は満足げに頷くと手を振り外へと舞い上がった。
水差しの水を飲む。
存外に喉が渇いていたようで、一度で半分以上飲み干してしまった。
ため息をついて、身を倒す。
既に昼近いというのに、慧音は再びうとうととまどろみの世界に没入していった。
盛大な音に、慧音は目を覚ました。
玄関を突き破って、転がり込むように入ってきたのはリグルと、
「いたたたたた・・・不意な訪問を失礼、慧音さん」
「永琳殿」
軽く目を見開いて、彼女は呟いた。
頭をふりふり立ち上がったのは、八意永琳その人だった。
妹紅と輝夜の関係から、永遠亭と慧音の関係が劣悪なのかというとそうでもない。
彼女らの対立は、もはや惰性に近い。というか、引くに引けなくなっているという感が強い。
双方とも、相手が何を想っているのか解ってしまっているからだ。
自分と同じ事。つまり妹紅は父を、輝夜は義理の両親を想うが故。
どちらかが折れればそれで収拾がつくのは間違いなかった。
だが二人とも気高いので・・・言い方を変えると我が強いので・・・未だにこんな諍いが続いているのだった。
永琳にしても、ことある事にかり出されることに思う所があるが、鈴仙やてゐに憤懣をぶつけるわけにもいかず、たまに慧音の居所を訪れては、お茶を飲みつつ慧音に愚痴り、酒を呑みつつ慧音に愚痴りしていた。
「・・・何故?」
本日二回目の問いかけ。
そんな彼女に永琳は、ちょいちょいと後ろを指さした。
永琳を返しなさい!
何よ、病人がいるのに医者が動かなくてどうするのよ!
永琳は私の部下!貴女の都合でどうこうされては堪らないわ!
宝の持ち腐れじゃない!そういえば好きよねあんた、宝の死蔵。
どういう意味よ!
輝夜と妹紅の喧騒。
痛い頭が更に痛くなった。こらえるようにこめかみを揉む。
そしてちらりとリグルに目を向けた。
「いや、最初は妹紅ちゃんを呼びに行ったんだけどね」
胸の前で両手をぱたぱたと振りながら、彼女は慌てて言い訳をする。
リグルが、『慧音が風邪・・・』と言いかけた時点で、妹紅は外に飛び出していってしまった。
彼女も慌てて後を追ったが、妹紅に追いついたときには、彼女は兎を蹴散らして、中兎を蹴散らして、大兎を蹴散らして永琳の首根っこをひっ掴んでいるところだった。
当然ながら輝夜と対面してしまったわけだが、妹紅はリグルに永琳を放り投げ先に行くように言い、そして二人は今に至るというわけである。外の二人も追いついたようだが。
「事情は彼女から聞いたわ。台所、借りるわね」
「へー、料理できるんだ」
永琳の言葉に、リグルは椅子に腰掛け足をぶらぶらと揺らしながら言う。
「失礼ね、薬剤師に料理は必須よ。薬膳だって調剤なんだから」
腰に手を当て、軽く睨み付ける。
ふーん、とリグルはテーブルにぺたりと頬を当てて気のない声を出す。自分が食べられないものに興味はないらしい。何とも正直だ。
そんな彼女に永琳は毒気を抜かれたようだ。くるりと背を向けると台所へとはいる。
今日こそ決着を付けてあげるわ!目にも見なさいこの新スペル!
どうせ輝夜ビームとかでしょ、センス無いのよあんたのスペル名!
貴女に難癖付けられる筋合いはないわ!なによ虚人ウーってふざけてるの?
あんたこそ永夜返しすぎなのよ!どこぞの春マニア幽霊の桜の咲き加減のパクリじゃないの!
外野はエスカレートしてきているようだ。
当初の目的を覚えているかどうか怪しい。特に妹紅。
内野は静かなものだ。
慧音は横になったままだし、リグルは台所で料理をしている永琳の背中をぼんやりと眺めている。
米櫃を開けた音がしたから、おそらくお粥でも作っているのだろう。
もしも台所に立っているのが魔理沙だったら、お粥を作っているにもかかわらず大鍋に緑色の液体を煮えたぎらせ、それをかき回しつつ奇怪な笑い声をあげそうな気がする。
その点永琳は安心できる人物である。
そんなことを思って慧音は胸をなで下ろした。偏見もいいところだが、そうとも言い切れないところがファンタスティック。
作業音に鼻歌が混じる。割と家庭的らしい。後ろ姿が何とも楽しげだ。
ふん、こっちには月の頭脳がいるのよ、喰らいなさい輝夜ストリーム!
変わんないじゃないのよこのトンチキー!
がしゃんと、目に見えて永琳の手元が乱れた。
「うわぁすごぉいさすがはつきのずのうー」
ものすごい棒読みで、リグルはぱちぱちと彼女の背に拍手を送る。
「わ、私は符の内容の基本案を出しただけで符名に関してはノータッチよ?ほんとよ?」
ぐるんと振り返って永琳はそんな言い訳をする。ものすごい胡散臭い。
リグルもまるで信じていない視線を送る。
そんなことをしている間にも、そのスペルは発動したようだった。爆発音が鳴り響く。
慧音としては、二人の身のことより、周辺環境の破壊が懸案だった。もの言いたげな視線をリグルに送る。
彼女の視線に、リグルはふるふると首を振った。
まあ、あの二人の弾幕ごっこに割ってはいるのは出来る限り遠慮したい。
そもそも服のセンスが悪いのよ!今時ショルダーベルトとかあり得ないわ!
和服にスカートとか意味不明な格好のくせに人の装いに文句付ける気!
だいたいリボン付け過ぎなのよばーかばーか段々リボンー
むあー超絶没個性女がなにいいやがるか!
外の舌戦の低年齢化が進行してきた。
それを聞いて、
「実はあの二人って仲いいんじゃないの?」
とリグルは呟いた。
永琳は聞いていない振りをし、慧音は顔を背けた。
そっちがその気ならこうしてくれるわ!逝きなさいモコスペシャル!
うわーいつの間にか背後に回られて万歳のポーズで腕を固められてあまつさえ足をロックされたうわ痛い痛い派手に痛い!
なんか肉弾戦に移行したようだ。ボキ、ゴキン、という生々しくも鈍い音が響く。
な、これから抜け出すなんて?!
骨さえ折れてしまえばこちらのものよ!決着をつけてあげるわ!光に還りなさい!
上等、返り討ちよ!消し炭にしてあげる!
骨が折れた時点で普通は駄目なんじゃ、などというきわめてノーマルな感想がリグルの脳裏をよぎったが、そんな彼女の思いとは別に、外では一際大きな爆発音が響き渡った。
そして静寂。
「お待ちどうさま」
にこやかに言うのは永琳。
その手にはほかほかと湯気を上げる椀と、薬味をのせた盆が携えられている。
「ああ、かたじけない」
「テイクばかりだったし、これくらいはさせてもらわないと、ね」
半身を起こして言う慧音に、彼女は苦笑しつつ言う。
「ねえ外」
「よければ食べさせてあげるけど」
「それは固辞させていただこう」
「なんか静かになっちゃったけど」
「連れないのね」
「その手の対応は、私としては飽和状態なのだが」
「ねえ」
「ん、美味い」
「それはなにより」
「おーい」
「塩が三粒か」
「よくわかるわね」
「そんなネタ誰もわかんないよ!ていうか聞いてよ!」
大きくなったリグルの声に、知識人二人はようやくそちらに反応した。
「なんだ」
「うわ淡泊」
慧音のリアクションに、彼女は思わずうめいた。
「ああ、そうか。貴女は知らないのね」
合点がいったとばかりに、永琳が頷く。
何が?といわんばかりのはてな顔のリグルに慧音が言う。
「あの二人なら放っておいても大丈夫だ。ほら」
匙で戸をさす。
たたき壊さんばかりの勢いでそれが開かれた。
「永琳、帰るわよ!」
うわぁ、とリグルは驚きの声をあげる。
「慧音、大丈夫?!」
ひぇぇ、とリグルは悲鳴をあげる。
輝夜と妹紅がそこにいた。
だがリグルにしてみれば、それが本当に輝夜と妹紅なのか、確信が持てなかった。
輝夜は、輝夜というよりも炭だった。声がなければ誰だか知れたものではない。
妹紅は・・・名状しがたい有り様だった。何というか、妖怪に喰われかけた人のような、えらくスプラッタな惨状だ。大丈夫かどうか、こちらが訊きたい。
「邪魔よ炭」
「誰が炭よ、猟奇殺人死体」
「暖炉にくべてあげよっか?」
「今すぐ土葬してあげるわよ?」
「お二人とも、病人の前です。荒事はお控え下さい」
腰に手を当て、静かながら抗いがたい口調で言う永琳に、炭と猟奇殺人死体はう、と声を詰まらせた。
「作り置きしておいたから、温めて食べてね」
振り向き、今度は柔らかな口調で彼女は慧音にそう付け足す。
「ありがたい、助かる」
礼を言う彼女に、永琳は頷くと、
「では戻りましょう、姫様」
「・・・そうね。決着は預けておくわ。短い余生を精々楽しみなさい」
鼻で軽く笑い、それだけ言い残すと、輝夜は従者を連れ空へと舞い上がった。
その背に妹紅はお行儀悪く中指を立てる。
振り向いた彼女を見て、リグルは目を丸くした。まあ、ずたぼろだった体がもう真っ新になっているのだから無理もない。
「それで大丈夫なの?慧音」
一転して心配そうに表情を曇らせる妹紅に、
「ああ、大事ない」
慧音は安心させるように微笑む。
そんな彼女の額に妹紅は手をあて、眉をひそめた。
「まだ熱があるじゃない。駄目よ横になってなくちゃ」
言って彼女は慧音の手から椀と匙を取り上げると、無理矢理上掛けをかける。
「うわっ、も、妹紅?」
「はい、あーん」
お粥を一匙掬うと、慧音の口元に運ぶ。
「いや、自分で食べられるから」
「あーん」
「本当に大丈夫だから」
「あーん」
「あー、妹紅?」
「あーん」
「・・・・・・」
「あーん」
引く気はないようだった。
彼女はリグルに視線で助けを求める。
その視線に彼女はにやりと笑い、
「じゃ、私は帰るわね。里の見回りは私がしておいてあげるから、安心して養生しなさい」
言って立ち上がる。
恨めしげな慧音を楽しげに見やり、
「ごゆっくり」
と言い残すと、リグルの姿は戸から消えた。
視線を戻す。
にこにこと匙を構える妹紅が見えた。
観念して口を開く。
そんな慧音に、それは嬉しそうに彼女は給仕する。
むぐむぐと粥を咀嚼した彼女の口元に、妹紅は再び粥を運ぶ。
「妹紅・・・」
弱り果てたように、慧音は情けない声をあげた。
「いいじゃない」
そんな彼女に、妹紅は唇を尖らす。
「こんな時くらい、私に面倒みさせなさいよ」
彼女の言葉に、慧音は脱力した。身が沈む。
そして彼女は、口の端に笑みを浮かべた。
慧音の様子に、妹紅は首を傾げる。
「どうしたの?」
「いや・・・」
慧音はかすかに首を振り、
「そういえば、なんだか体調が悪くなった。匙も持てそうにない。食べさせてくれるか、妹紅?」
彼女の言葉に、妹紅はきょとんとした表情を浮かべる。
ややあって、それがぱっと明るく輝いた。
「うん!」
「じゃあ次は体拭くね」
「いやそれは本当にいい」
・・・翌日、慧音の風邪は嘘のように治り、何故か妹紅が風邪をひいていた。昨晩何があったかは、永遠の謎とされている。
で我慢の限界に来た。もこたん可愛いよもこたん
つーかゴキが人を襲わないのは、妖怪というより虫に近いからなのかなぁ。目から鱗だ。
この創想話にあまり出てこないないリグルさんまでも使いこなせる技量はすばらしいの一言
輝夜ストリームが一番ウケタw
この輝夜なら、その内OL○Pもやりだすに違いない。
他のメンツも実にらしく、輝夜と妹紅の掛け合いは深夜なのに思わず声に出して笑ってしまいましたよ。
しかし、鼻歌えーりんかぁ……思わず「エプロン付新妻えーりん!?」という妄想が幻視えてしまったのは俺だけではないはずd(天文密葬法
が、私的には噴出しポイントでしたw
グジョー><b
やはり、この2人の関係は、こう言う笑えるものの方が一番です。
もはや宿敵じゃなくてケンカ仲間って感じでね(^^。
とても良いストーリーでした。
今まで無かった感じで凄く期待して読めました。読後の感想は点数の通り。
てるもこの口喧嘩にしても、お互いの事を良く理解してるなぁと感心してしまいました。ええなぁ。
…塩が三粒って将太の寿司でしたっけ
リグルと慧音とは、なかなか珍しい組み合わせですね。でもこういう組み合わせも案外アリですねぇ。リグルは咲夜よりレミィに興味示したくらいだし。
そして、やっぱ妹紅と輝夜は仲良しさんですねぇ。よきかなよきかな。
>思わず「エプロン付新妻えーりん!?」という妄想が幻視えてしまったのは俺だけではないはず
私も見えたから大丈夫でs(天網蜘網捕蝶の法)
いやいやいやいや。
とても面白いです、もこたんと姫様。もちろんリグルや永琳、慧音も。
部屋の中と外でギャグの温度差があり、その差がワンパターンを防止して心地良い波を作り出していますね。
締めにはちょっと百合色な雰囲気も漂わせて、ああ色々とご馳走様です。
良いお仕事でした。
リグルもいい味出してる。
雰囲気とかいい味です